航海タイム

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第二十三章 違う風が吹く(後編)

4

 数日の間、リィは灰色の夢を見て。
 目が覚めれば、一つとしてそれは記憶に残ってはいなかった。
 ただ”夢を見た”という曖昧な記憶だけが置き去りにされていた。
「生きてる……?」
 見上げる天井には、やはり灰色があった。
 自分の目がおかしくなってしまったのかと疑ったが、違う。
 気付けばそこはもう、海の上ではなかったのだ。
 船の中でもない。
 大地の薫りが確かに感じられて、リィは改めて自らの生命がまだ保たれていることを実感するのだった。
 それでも体は満足には動かない。
 地面にただ布を被せただけのような、そんな簡素なベッドに寝かされたまま、そこから起き上がることは出来なかった。
(此処は何処なの?)
 何も無い部屋に、自分だけが居る。
 何処かの町まで辿り着くことが出来たのだろうか。
 確かに体はまだ脈打っているが、この無機質な部屋の感触は、彼女が”死”に対して抱くイメージとよく似ていた。
 しかし他に何をも考えることが出来ず、そのままイメージの横たわるようにしてさらに数十分もの時をリィは過ごした。
(元気かな、みんなは)
 思い出そうとする三つの顔。
 ぼやけて、浮かぶ姿は不鮮明だ。
 このまま彼らの顔をどんどん忘れていって……何もかも忘れてしまうのだろうか。
 この航海の間に何度も何度も繰り返し浮かべたことだ。
 解っていても、同じことばかり考えてしまう。
 思いは迷宮へと入り込んでしまい、もう一人ではそこから出ることは難しそうだった。
 しかし。
 聴力すらも低下していたのか、音はよく聞こえなかったけれど――目では解った。
 申し訳程度に張り付いているそのドアが、開かれたのだ。
 視線も殆ど動かせないまま、リィは意識をそちらへと傾けた。
 鬼が出るか蛇が出るか、気が気で無かったが、しかし幸いにもその予想は外れた。
 部屋に入ってきた人物は、リィにとって心を許すことの出来る大切な仲間であったからだ。
「船長……?」
「リズウィー……無事だったのね」
 部屋に入ってきたのは”コンスタンティア”の副官リズウィー。
 馴染みのある顔を目にして、リィは自らの心が、一瞬にして天から地まで引き戻されたかのような感覚を抱いた。
 そしてリズウィーに続いて、もう一人。
「やっと目を覚ました様だな」
 幾分か野太い声でそう口にした男。
 肌の色は黒く、その胴体もまるで自分の二倍は有りそうな程に太く、頑丈そうだ。
 その姿を目にしてようやく、リィは思い出した。
「貴方は……」
 海の上で出会い、そして私達の事を助けてくれた。
 思い出すことが出来たのは、そこまでだ。
 そもそも彼の名前はまだ知らされていない気がする。
「やっとまともに会話が出来たな。出逢ってからもう、結構な日数が経ってるのにな」
 ふふん、と得意げに笑う男を見て、この人は悪い人では無さそうだ、とリィは思った。
 別に疑って掛かった訳では無いけれど、外見だけで言えばあまり穏やかそうには見えない。
「あの、貴方のお名前は」
「俺かい?」
 男はわざわざ疑問系で訊ね返した。
 その後リィが返事するまでもなく、
「俺の名前はクロガネーゼだ」
とそう、決められたテンポに言葉を乗せるように、彼は名乗った。
「クロガネーゼ……さん?」
「ああ」
 リィはまじまじと、クロガネーゼのことを見やった。
「……どうしたんだ?」
「あ、ええと……。何処の国の方なのかなあ、と気になったんです」
 彼はずっとスペイン語で話している。
 けれど見た感じ、とてもイスパニアの出身には見えない。
 肌の色も黒いし、まるで岩石のように屈強そうな体躯をした人間を、少なくともセビリアで見かけたことは無かった。
 だが、しかし。
「ああ。俺はイスパニアだよ」
「えぇっ!」
 心の中で否定したばかりの言葉を耳にして、リィは仰天した。
(この人がフェレさんと同じ国の出身……信じられないわ。もしかしたら、今まで見たことのない国の出身じゃないかとさえ思ってたのに)
 そのまま心でぶつぶつと並び立てるリィだった。
 それはとりあえず後回しでいいことだ、と気付いたのはそれから数秒の後。
「ありがとうございました。貴方が、私達のことを助けてくれたんですよね」
 力を振り絞って、ベッドから立ち上がろうとする。
 クロガネーゼに改めて礼の言葉を口にする為に。
 しかしリズウィーが慌てて駆け寄り、再びリィをベッドに寝かせた。
「ずっと寝っぱなしだったんだ。もう体力が残ってないだろうから、起きるのはよしたほうがいい。大丈夫だ、気持ちは伝わったよ」
 クロガネーゼの太い声はしかし、優しい調べをもって響いた。
「すいません……」
 ベッドに寝そべって天井を見上げたまま、ぼそりと呟くリィ。
「それに、そこまで礼を言われるほどのことをした覚えも無いからな……」
「そんな。命を助けて頂いたんですから」
「確かにな。俺の力でお嬢さんたち全員の命を救えたんだったら、もっと誇った顔をしていたかもしれないな」
 神妙な顔になって、クロガネーゼは言った。
「え……」
 リィは表情を固めた。
 言葉の意味に気が付いたからだ。
「リズウィー」
 動かない首を強引に動かして、彼女はリィは自らの服官のことを見やる。
 何も言えず、下を向いてしまうリズウィー。
「みんな、無事なの……?」
「殆どは。しかし」
「いいの。教えて」
「……コートニー、レオニー、ヘザー、クリスティの四名が、今回の航海で……」
「そう」
 表立った悲しみを感じることは出来なかった。
 あまりに大きい悲しみが突如として目の前に現れて、その全貌を確認することが出来ずにいるのかもしれない。
 これから徐々に、体内に染み込んで来るのかも知れない。
「クロガネーゼさんが居てくれなかったら、きっとみんなを死なせてしまっていたわ。駄目な船長ね、私は……」
 体にはもう、水分が残っていないのだろうか。
 涙さえも流れなくて、リィはそんな自分のことを憎いとさえ思った。
「船長。今は気になされず、休んで下さい。貴方だって危険な状態なのですから。悲しむことは体が癒えてからでも出来ます。だから今はそのことは考えないで」
「お嬢さんの言う通りだ。今はとりあえず、自分が助かることを最優先に考えた方が良いな。でないと、残された船員達の努力をも無にすることになる」
「はい……」
 リズウィー、そしてクロガネーゼに諭されて、リィはもうこれ以上に何かを考えることをやめにした。
 考えたらきっと、また思考は闇へと沈んで行ってしまうだろうから。
「食欲は有るかい?」
 少しの沈黙の後、クロガネーゼがそう訊ねた。
 顔の割に柔らかい雰囲気を持つ人だ、とリィは思う。
「スープくらいなら」
 体調は未だに優れなかったが、しかしあの全身が軋むような痛みはもう感じなくなっていた。
 体が動かないのは病気のせいではなく、何も食べていないせいで体力が低下しているからだろう。
「スープはちょっと分からないが、温かいものなら用意出来るか。珈琲は平気かな?」
「はい。飲みたいです、珈琲」
「よし! ちょっと待ってなよ」
 クロガネーゼは言うや否や、直ぐに外へと駆け出して行った。
 その体躯のせいか、暫く足音は響き続けて、やがて聞こえなくなった。
「クロガネーゼさん……か。とても優しい方のようで良かったわ。ちょっと、顔は怖いけど。あの人に助けられなかったらどうなってたか……」
「ええ。本当にお優しい方ですよ。あの方がここまで”コンスタンティア”を牽引してくれたんですし」
 にこ、と笑ってリズウィーは言葉を重ねた。
「ただ、アクの強い方であるのは否めないですけどね」
「え? アク?」
 きょとんとするリィのほうを見ずに、リズウィーはたははと笑うのだった。

 数時間後、食事を終えて僅かにだが元気になったリィは、リズウィーとクロガネーゼに連れられて外に出ることにした。
 ここはサンティアゴという名前の町。
 決して大きな町ではなく、ものの数時間で全てを回ってしまうことが出来そうな場所だったが、それでも久々に感じた人の気配はリィの心を安らがせた。
「船長!」
 交易所に行くと、そこには”コンスタンティア”の船員達が数名いた。
 リィの姿を見つけるなり駆け寄ってくる船員達。
「船長。良かった、ご無事で……」
「みんな……」
 メアリ、ルーシー、ミア。
 三人の名前を順に呼び、リィは彼女達と抱き合って喜んだ。
「ごめんね。迷惑掛けてしまって」
「気になさらないで下さい。マラリアに侵されては、どうしようもないですわ」
「マラリア?」
 メアリの言葉に、リィは首を傾げた。
 代わりに説明したのはクロガネーゼだ。
「まだ確実にそうとは言い切れないけどな。だが、副官のお嬢さんから詳しい話を聞いて、恐らくそうだと思った」
 カリブは清潔な土地ではない。
 少なくともヨーロッパ諸国と比べれば、衛生的には底辺のレベルだろう。
 それはアフリカにしても同じことで、その土に根差したような生活の雰囲気が、ヨーロッパ出身の船乗り達には新鮮でもあった。
 しかしそれは即ち、ヨーロッパでの船旅よりも衛生に気を遣わなければ、大変な事態を巻き起こすことにも繋がる。
「カリブに来た時に、蚊が飛んでるのを見かけたんだろう? マラリアってのは、蚊が運んでくる病気だからな」
「成る程……」
 あくまで可能性の話だが、確率は低くはない。
 リィがリズウィーに視線を送ると、彼女は苦笑いをしていた。
「小さな蚊でさえもカリブの息吹を……なんて言ってましたけど、思わぬ災難でしたね」
「本当に……ね。一生忘れない、良い教訓になったと思うわ……」
「船長、大丈夫ですか?」
「うん。まだ何となく感覚が掴めないだけ。食欲も戻ってきたし……もう大丈夫だと思う」
「……良かった。本当に」
 人目もはばからず、泣き出すリズウィーだった。
 そんな健気な様子を見せられて、リィの瞳からもまた涙が伝った。
 失くしていた感情を取り戻したように思えて、リィはそれが嬉しくて、暫くの間涙を止めようとはしなかった。

「……さて、行くとするか。お嬢さん方」
「はい」
 交易所に並べられた商品の物色を一通り終え、クロガネーゼを先頭にして一行はまた歩き出した。
 マラリアは伝染病だ。他の船員に伝染らないように、病魔に侵された船員達は隔離された場所に移されて寝かされていたが、病気から回復した半数の船員は”コンスタンティア”にいる。
 思えば数日もの間、リィはちゃんと仲間達の顔を見ていなかった。
 急に彼女達に会いたくなって、皆で”コンスタンティア”の所まで向かうことにしたのだ。
「おっと、待った。その前に」
「はい?」
 クロガネーゼに呼び止められ、立ち止まる五人の女性。
「ああ。良かったら君達は先に行っててくれないか」
 と、リィ以外の船員達を先に行かせようとするクロガネーゼ。
 しかし特に疑問の言葉を口にするまでもなく、皆先に歩いて行ってしまう。
「え? え?」
 リィとクロガネーゼ、二人だけが取り残された形になり、ただただ呆気に取られるリィだった。
「あの、クロガネーゼさん。これは一体……」
「実はずっと君に渡したいと思っていた物が有ってね」
「えっ。渡したい物?」
 さっきまでと何も変わらない、優しい口調だ。
 クロガネーゼは右手を一端後ろへと隠し、その後ばっと前に差し出した。
 そこに握られているのは、一冊の厚い本。
「こ……これは?」
「名付けて”愛の詩集・太陽”」
「愛の詩集……?」
 驚いた声を放つリィ。
 ああ、とクロガネーゼは頷き、真っ直ぐに彼女のほうを見やった。
「今日この日の為に、紡いだものだ。良かったら受け取って欲しい」
「えぇ!」
 あまりに突然のことで、事態を把握し切れないリィであった。
「で、でも、今日の為にって……。私達、知り合ったのってほんの数日前なのでは……」
「いや」
 リィとは対照的に、クロガネーゼは冷静に首を横に振った。
「やがて来ると信じていた運命の日の為に、ずっと書いていたんだ。さあ、受け取ってくれ」
 台本を読み上げるかのように、流暢に科白を並べ立てる。
「は……はい」
 拒否する事も出来ず、リィはその詩集を受け取った。
 そのまま小脇に抱えようとするが、
「ああ、良かったら人前に出さないようにして欲しい。君以外の人間の目には触れさせたくないんだ」
「はぁ。分かりました」
そう言われて、慌てて荷物袋の中に詩集をしまった。
「それじゃ、俺は自分の船に戻るとする。疲弊してるのは我が船の水夫達も同じだからな。話はまた明日以降にしよう。俺の船の場所は、君の船の水夫達には伝えてあるから」
「はい。色々有難う御座いました」
 手を振りながら去って行くクロガネーゼ。
 リィも手を振り返したが、表情は未だ固まったままだ。
 そしてそのまま、先に行ってしまった仲間達の後を追う。
「あ。船長が来たわ」
 リズウィー達は少し先の場所で待っていてくれていたらしい。
 リィが到着するなり、
「あの……船長。平気でしたか?」
とそう訊ねた。
「へ、平気って何が?」
 クロガネーゼのことを気遣って、知らぬ振りを通そうとするリィだったが、しかし出来なかった。
「詩集、貰ったんですよね? 今日の為にずっと紡いでいたって言われて」
「え」
 ずばり言い当てられて、リィはまさか……と嫌な予感を抱いた。
「もしかして、リズウィー達も、貰った……の?」
「他の人には見せないでくれって言われてたんですけど、つい昨日みんなにばらしてしまって……。そうしたら、他のみんなも同じように詩集を貰っていたんです。見て下さい、これを」
 と、リズウィーは荷物袋から一冊の厚い本を取り出した。
「私が貰ったのはこれです。”愛の詩集・風”」
「私はこれ。”愛の詩集・空”」
「……”愛の詩集・花”を貰いました」
「”愛の詩集・炎”を」
 次々に荷物袋を開き、似た内容の言葉を口にする船員達。
 そこには自分のものと似た本が入っていて、頭がくらくらするリィだった。
「詩集って……そんなに有るのね。炎って……。でも、何だか私のに比べると……」
 五冊の詩集をぱらぱらと捲ってみたが、よくよく見てみるとリィが手にしている”愛の詩集・太陽”の他は、文章に手抜き感が否めなかった。
「も、もしかして船長の以外偽者……?」
「本物でも嬉しくない……」
 そう言えば、とリィは思い出す。
 数日前――正確には何時なのか思い出せないが、海の上でクロガネーゼの船と遭遇した時の一幕を。
(ちょっと不思議な……雰囲気をした人だったわ。フェレさんやかおるさん、どっちかって言うとかおるさんみたいな。……変人の匂いが)
 そして改めて、さっきリズウィーが口にした言葉の意味をも知った。
 確かにアクが強い。
 凡百の人物では無さそうだ――良くも悪くも。
「船長、優しくされたからって騙されちゃ駄目ですよ。フェレットさんの時もそうだったって聞いてますけど、情に絆され易いんですから」
「……騙されないもん」
 ようやく戻りつつあった調子がまた崩れそうになって、それからリィは頼り無い足取りで船まで歩いた。

5

 翌日、リィは朝一番にクロガネーゼの船を訪れた。
 彼に改めて、自分達の目的を告げようと。
 自分達はまだこの土地のことを殆ど知らないし、これからまた”コンスタンティア”一船で旅を続けるのは危険が多過ぎる。
 出来たら彼らと共に行動をしたい。
 欲を言えば、仲間達と合流を果たすのを彼らに手伝って貰いたいのだ。
 港の直ぐ近くまでやって来ると、そこに映る海の色はまだ暗かった。
(つい気が逸って早く来ちゃったわ。もしかしたらみんな、まだ眠ってるかしら……?)
 少しだけ足を遅くして、リィは後少しの道のりを進んでいった。
 しかし――船乗り達の朝は早かった。
 船乗りと言うか、正確には二人。
 船長クロガネーゼと、その子分ジョニー。
 遠くからこちらへと歩いてくる一人の少女を見やりながら、何やら悪巧みをしている。
「なあ、ジョニー。ここであの子の印象を良くするにはどう挨拶をすれば良いと思う?」
「ここはやっぱり、朝一番に爽やかな挨拶!でやしょう。女の人……特におしとやかな女の人ってのは、爽やかな好青年に弱いもんでやすぜ」
 悪巧みと言うほどでもない、可愛らしいやり取りだ。
「成る程な。爽やかな挨拶か」
「こう、右手を上に挙げて”おはよう、リィ!”と元気良くかませば、船長の魅力にイチコロですぜ」
「むう。さすがだな、ジョニー。よく解っている」
「そりゃもう。船長に一族郎党こき使われ……いや、働かせてもらってやすから。船長のことなら誰よりよく知ってやすよ」
「よし。お前の言う通りにやって見るとするか」
 と、リィがまだ来ていないにも関わらず、ジョニーの言う通りに右手を挙げるクロガネーゼ。
 しかしその瞬間、彼は肝臓の辺りに何かを突き入れられたかのような痛みを感じた。
「あぅっ」
 悶絶して地面に崩れ落ちるクロガネーゼ。
 何が起きたのかと振り返ると、そこにいたのは――。
「まったく、いい加減にしときなよね? クロガネーゼさん」
 両手を腰に当てて立っている女性。
 薄いラベンダー色と、花弁のようなピンク色を合わせたペチコートを身に纏っている。
 大きな瞳は少しだけ歪んでいて、それは僅かにだが彼女が怒っていることを示しているようだ。
 ちなみにクロガネーゼの肝臓に走った痛みと言うのも、先程彼女がその部位に右手を突き刺したことによるもの。
「マ、マツリさん」
 眼帯に覆われていない方の目を見開き、クロガネーゼはその女性のことを見やった。
「男の人ならそんなに細かく考えずに、体ごとぶつかっていかないと! ジョニー君も、そんなこといちいち進言しなくて良いんだからね」
「は、はぁ。マツリさんの仰るとおりでやす。本当は嫌だったんですが、どうしてもと言われて仕方なく……」
 即座に船長を裏切る、ジョニーであった。
「それにね。クロガネーゼさん」
 にこり。
 そよぐ春風のように爽やかな笑顔を浮かべながら、マツリは言った。
「この間私に”愛の詩集・海”くれたよね? あれ、私結構嬉しかったんだけどなぁ」
「ああ。気に入ってくれるとは何よりだ。俺もマツリさんにプレゼントする為に時間を掛けて書いたかいが……」
 いきなり立ち上がってニヒルに笑んでみせるクロガネーゼだった。
 だがマツリはそれに何らリアクションを返さずに、船へと歩いてきている少女の方を指差す。
 もう、随分近付いて来ている。
「あの子が右手に持っているの、何かしらねぇ?」
「右手……? はっ!」
 クロガネーゼは気付き、眼帯が千切れそうな程に表情を歪めた。
 しかしそうこうしている間にリィは何時の間にか船に到達し、そしてクロガネーゼ達の所まで着いていた。
「おはようございます、クロガネーゼさん。皆さんも」
「お……おはよう」
 中途半端に右手を挙げて、挨拶を口にするクロガネーゼ。
 黒い肌の顔からはすっかり血の気が失せている。
「あの、クロガネーゼさん。本当に……申し訳無いんですけど」
 そしてリィはいきなりに、その右手に持っていたものを差し出した。
「これ、やっぱり受け取れません! 私、離れ離れになった恋人がいるんです。それなのに他の人からプレゼントを貰うなんて不誠実だし、何よりクロガネーゼさんの誠意を踏み躙ることになってしまうから……」
「良いのよ、そもそもがあまり誠実なプレゼントじゃないんだから。ね? クロガネーゼさん」
 相変わらずの笑顔を浮かべながらマツリは言う。
「あ、ああ。いや、そんな、ことは。俺はこれでも、一冊一冊誠意を……」
 しどろもどろになっているクロガネーゼ。
「あとでカボチャ持ってきてね、クロガネーゼさん。それはそうと」
 マツリはもうこれ以上、彼を責める気はないようだった。
 こうしていては何時までも話が進まないことを知っていたからだろうか。
 笑顔を少し自然なものと変えて、マツリはリィのほうに向き直った。
「初めまして。私マツリって言うの。あなたはリィちゃんよね?」
「あ……はい、初めまして。クロガネーゼさんのお仲間さんなんですか?」
「そうなの。ちょっと……クロガネーゼさんの船と一緒に航海をしててね。本当はもっと早く話し掛けたかったんだけど、具合が悪そうだったから」
「ご迷惑掛けました。けど、何だか安心しました。こんな遠い場所で、マツリさんみたいな可愛らしい方に逢えるなんて」
「私もそう思ってるよ。異国で同じ肌の人と知り合うのって、何だか不思議な気持ちになるよねぇ」
 話し始めるや否や、リィの表情にもマツリと同じような笑顔が灯った。
 残る男二人のことなど忘れて、話題を展開させていく。
「……なぁ、ジョニー。俺達って忘れられてやしないか」
「しょうがないですぜ、船長。女の子達ってのは数が揃うとお喋りになるんでやすから」
「にしても、な。俺のほうが早くから知り合ってたのに……何だかもう、マツリさんのほうが親しくなっちゃって」
 小声でぼそぼそと会話する船長とその子分。
「それより、ですぜ。船長」
「何だ?」
「詩集……残る一冊”愛の詩集・大地”を姐さんにあげたこと……もしマツリさんにばれたら」
「しっ。声が大きいぞ、ジョニー」
 クロガネーゼは部下の口を右手で押さえ、それ以上の言葉が吐かれるのを防いだ。
 額からは冷や汗が流れている。
 ちなみに姐さんというのは、彼の船の副官を務める女性コーネリアの通称だ。
(マツリさんにバレたら――笑顔で殺される。間違い無く)
 暗い顔をしている男性二人、笑顔で会話を続ける女性二人。
 陽と陰、光と闇の二つに避けた空間は、それから一時間もの間そのままだった。

 黒と白がやがて交じり合って、そこにはまた平穏な色が戻る。
 朝早いせいもあって皆何処と無く眠そうで、そんな気分の中話し合いは静かに行われた。
「……ああ。事情はもう、君の船の水夫達から聞いてるよ。船長である君の体調が完全になったら、送り届けると言う約束もしてる」
「本当ですか?」
 リィは自らが置かれている状況を説明したが、クロガネーゼ達はもう何もかもを把握している様子だった。
「海で君達のことを助けたのはもう十日近くも前のことだ。さすがに話は聞かせて貰ってるさ」
「私達も、航海仲間が欲しいなって思ってたところだったの。ね、クロガネーゼさん」
 にこりと笑ってマツリが言葉を紡いだ。
 優しげだが基本的には無骨な印象を抱かせるクロガネーゼと、対照的だが何となく違和感の無い組み合わせの二人だ。
「リィちゃんさえ良かったら、私達もカリブに居る間中、貴方達と一緒に行動しても良いかな? 大丈夫、迷惑掛けたりはしないから」
「はいっ、勿論です!」
 歓喜の声をあげて、マツリの手を取るリィだった。
 彼女の申し出は正しく願ったり叶ったりであったのだ。
「ジャマイカに行く予定だったんだよな? 俺達は丁度ジャマイカから帰って来たばかりだから、道は覚えてる」
「丁度良かったね。リィちゃんの船のみんなが元気になったら、直ぐ向かうとしましょう」
「でも……良いんですか?」
 出逢ったばかりの二人があまりに親切なので、萎縮してしまうリィだった。
 命を助けて貰っただけでも、簡単には返せないほどの借りがあると言うのに。
「俺達、当ての無い旅をしてるだけだからな。誰かの役に立つ為なら、何処にだって行くよ」
「本当に……。有難う御座います、クロガネーゼさん」
 リィは心から感動した様子。
 両手を差し出して、自分の手よりもずっと大きいクロガネーゼの手をぎゅっと握る。
「……当然のことだ。船乗りは助け合わないとな」
 正面から見据えられて、思わず視線を逸らしてしまうクロガネーゼであった。
「船長。また下心が……」
「黙れ、ジョニー」
「イエッサ」
 部下を叱る時だけ冷たい口調になるクロガネーゼであったが、しかしリィはもう彼のことを疑いはしなかった。
 言葉を交わしてまだ二日目だけど――この人は悪い人じゃない。
 そう確信していた。
 例えばかおるさんのような、あからさまな変人。
 彼らのような人は根は素晴らしく良い人なのだと言う根拠の無い確信が、彼女の中には有った。
「けど、ジャマイカはね……。リィちゃん達が行っても、楽しめるかはちょっと解らないと思うな」
 マツリはその表情を曇らせた。
「えっ。どうしてですか?」
「あそこはね……今、他所の国の商会に支配されてるようなものだから」
 その商会のせいで居心地が悪くて、結局たった二、三日滞在しただけでジャマイカを去ったのだと、そうマツリは説明をした。
「……そう言えば、イングランドの商会がカリブで幅を利かせていると、マディラの酒場のマスターから聞かされました。やっぱり本当だったんですね」
 「うん。交易に関してもすっかりシェアを握られちゃっててねぇ。お陰で観光以外、何もすることが無くて」
「だが、リィさん達は別に交易をしに行く訳じゃないんだろう?」
 クロガネーゼに訊ねられ、リィはこくりと頷いた。
「なら、こっちからちょっかいを出さない限りは問題は無いはずだな」
「あの、クロガネーゼさん」
 今度訊ね返したのはリィの方だ。
「その商会って、名前は何て言うんですか?」
 マディラで入手した情報は不完全なものだった。
 頭の隅に引っ掛かっていた釈然としない気持ちを何とかしようと、リィはクロガネーゼにそう質問をしたのだ。
「ええと、確か」
 顔を見合わせるクロガネーゼとマツリ。
「ランチェスター商会……だったわ。確か」
 声に放ったのはマツリの方だ。
「ラン、チェスター……」
 意識せず、ぽそりと声を出すリィ。
「聞き覚えが有るの?」
「有る……ような、無いような。ちょっと判らないです」
 言葉とは違い、リィの心は何となく、その名前を覚えているような気がしていた。
 どうして覚えているのか、そしてその名前が自分にとってどんな関係であるのかは分からない。
 イングランドの商会だと言う話だし、以前倫敦にいた時に名前位は耳にしていても不思議では無いが。
 今ここで深く考える必要は無いかもしれない。
 どうせこれからその商会がいる地へと向かうのだから。
 それなのに、やけに気にしている自分がいる。
(もしかしたら)
 自分の中で、長い間失われていた何かが戻りつつあるのかもしれない。
 それは求めて止まず、けれど何処かで取り戻すことを恐れてもいる宝物――記憶。
 ランチェスター商会……私の記憶、私の過去に関係がある名前なのだろうか。
 カリブの海が、私の中にパズルのピースをばら撒いてくれた。
 いや、最初から眠っていたそれを、美しい海の色が浮き立たせてくれた?
 解らない。けれど何かが変わり行こうとしている。
 仮に記憶が戻ったとして、それでも私は今までのように仲間達と一緒に居られて、あの人を愛していられるのだろうか。
 ――いられるだろう。
 自問自答の末、リィはそう自らの心に言葉をぶつけた。
(行こう。ジャマイカに)
 不思議な話だ。
 私は今、過去を求めようとしながら未来を目指している。
 知らぬ土地、違う風の吹く大地へと、とっくに失われてしまった何かを探しに。


 果ての楽園、ジャマイカ。
 島の中央部には巨大な山脈が連なっており、いつも霧に覆われたその山こそが、ジャマイカの水源となっている。
 山には川が流れ、その川は海へと続き、そして周囲に豊かな台地を作り出しているのだ。
 しかし今、その美しい大地でさえもが、霧に閉ざされたようになっていた。
 町はよそよそしい空気に包まれて、闊歩するのは見知らぬ国からやって来た肌の白い人間達。
「何だかここ最近、物騒な感じになってきたよなあ」
「直接何かされてる訳じゃねぇけどさ。居心地悪いよなぁ……」
「奴ら、カリブを侵略するつもりなんじゃないだろうな」
 ジャマイカに暮らす若者達は白人達のことをそう噂する。
 決して歓迎される雰囲気にはないこの土地を、この日また新たな白人が訪れることとなった。
 出航所へとやって来た船は多種多様、色とりどりで、原住民達は物珍しげに、しかし遠巻きにそれを眺めている。
 一番近い位置にあるのは、まるで百足のような奇妙な形をした船だ。
 そこからまず、一人の男がぬっと顔を出す。
 その男の肌は白い。
 纏っている服は、ジャマイカの民には全く見覚えのないものだった。
 トルコ人が羽織う長い外套――ドルマン。
 その名は未だ、この土地にはろくに伝わってきていない。
 男は度々、両目を覆っている眼鏡を弄くっており、その仕草は不気味極まりなかった。
 いきなり剣を抜き放ち襲い掛かってきても不思議ではない、とさえ思わせる程。
「お前達、国籍は……?」
 出航所の役人は恐る恐るスペイン語で訊ねた。
「潮風ロマンヌ船団だ」
 無国籍風の男はそう、何故か英語で返事して。
 それ以上に何も言わず、そのまま町へと歩いて行った。

 潮風ロマンス船団、いよいよ目的の地へと到着――。
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  1. 2006/04/06(木) 04:07:44|
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フェレット(或いはスネばな)

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