航海タイム

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第二十三章 違う風が吹く(前編)

1

 サントドミンゴの日は暮れて、やがてまた昇り。
 町並みは絶えず変化を続けていたが、しかし船団は姿を変えないままでそこにいた。
 帰って来ない”コンスタンティア”。
 フェレット達は寂しさを紛らわすようにして、昼間から町の見物に繰り出していた。
 だが、胸の内を欠けてしまった部分を、カリブの陽気が埋めてくれるかと思えば。
 陽気ではなく、何処と無く不穏な空気が代わりにそれを満たしていくばかり。
 アフリカの時のように使用言語が違っているなどと言うことはなく、 この町ではスペイン語でも会話をすることが可能なようだ。
 ほっと胸を撫で下ろしたフェレットであったが、これもまたアフリカの時のように、子供達が気さくに話し掛けてきてくれるということも無かった。
 それどころか街の人々は皆、一歩離れた場所からこちらを遠巻きに見つめているような、そんな感触を抱いた。
 男の子が独りで歩いているのを見かけたので、意を決して話しかけようとすれば、目が合った瞬間に逃げられてしまう。
 よそよそしい、閉鎖的な雰囲気を持った町――これが普通ということは無いだろう。
 間違い無く、自分達は歓迎されていない。
 悲しいけれどそう認めざるを得なかった。
 そしてそれを理解したなら、今度は「何故?」という疑問が付き纏う。
 その疑問はその日の間は解けず、更に一日の後。
 数人の面子で交易所に赴いた時に、氷解することとなった。
 交易所の店主は他の人々よりもさらにつっけんどんで、あからさまに敵意を示しているのが見て取れた。
 じろじろとこちらの顔を覗いてくる。
 フェレットとアイは対応に困って、顔を見合わせるしかない。
 しかしずっと正面を向いていた店主はやがて、ふっとその瞳から烈火の色を解くのだった。
「どうやらお前さん達じゃないみたいだな」
「お前さん達?」
 さらに目を見合わせるフェレット達。
「一体何のことで?」
「いやな」
 店主は話し辛そうにしていたが、躊躇いがちにだが続きを口にしてくれた。
「最近、この辺りの町で幅を利かせてるヨーロッパの連中がいるって、専らの噂でな。てっきりお前さん達のことかと思ってたんだが」
「とんでもない。僕達は数日前に来たばっかだよ。幅を利かせるも何も、他所の町の場所すらろくに知らない」
 驚いてフェレットがそう弁解をした。
「その連中っての、名前は何て言うんです? ほら、船団の名前とか」
「それがそこまでは解らなくてな」
「悪い噂だけ伝わってきてるのか。それはまた妙な……」
「違う国なんだもの。こんなものじゃないかしら?」
 アイは平然と返したが、フェレットはどうも釈然としないらしい。
「でも、これじゃおちおち滞在してられないですよ。道具を売って貰えなかったり、或いは宿を襲撃されるかも……」
「そんな。まさか」
「全く有り得ない話ではないかもしれんぞ」
 真剣な口調で言葉を挟んだのは交易所の店主。
「この間ウチに来た冒険者が、言ってたんだよ。『ヨーロッパの奴らのせいでデカイ借金抱えちまった。許せない、殺してやりてえ』ってな。決して冗談には聞こえなかったぜ。同じように思っている奴は大勢居るだろう、とも言ってた」
「うへ、冗談じゃないよ!」
 現実味の有る単語を聞かされて、二人はあっと言う間に顔面蒼白になった。
「ど、どうしようアイさん。今日にでも直ぐここを出た方が良いんじゃ……」
「そう簡単にはいかないわ。移動を重ねては、リィちゃんと合流するのも難しくなるだろうし。何とか自分達の身の潔白を証明する手段は無いかしら」
「うーん……」
 黙り込んで考えるフェレットとアイ。
 そうしている間にも、数人の人間が彼らのことをじろじろ覗いては去って行く。
 困ったもんだ、と交易所の店主もまた溜息をつくのだった。
「そうだ。お前さん達、船団の名前は何なんだ?」
 暫しの沈黙の後、店主はそんなことを訊ねた。
「教えてくれれば、俺がお前らは悪くないってことを広めといてやるよ。これでもこの町じゃ顔が広いほうなんでな」
「それは助かる! お願いします!」
 縋りつくようにして言うフェレットだった。
 しかし、肝心な問題がひとつ。
「船団名……何でしたっけ、アイさん」
「未決定のままね。まだ」
 かつて何度か決めようとして、その度散々揉めた末に結局決定には至らず。
 この船団は未だ”名前のない船団”のままであった。
「今、暫定的に決めちゃいます……?」
「の方が良いかもしれないわね。あの人に相談したら、また揉めるのは目に見えてるから」
 アイの言葉に強く頷くフェレットだった。
 あの人と言うだけでその名を口にしてはいないが、それは最早言うまでもないということだ。
 そしてフェレットは考えた。
 一時的な船団名を今ここで強引に決めてしまおうと。
 しかし気ばかり焦って決まらない。
 もしかしたらこうしている間にも、宿のほうにいる仲間が襲われているかもしれない。
 船が沈められているかもしれない。
 そんなことを考えてしまって、纏まらない。
(オヤ、オヤカタムーンズとか、良いんじゃないだろうか……? いや、駄目だ。それは確か最初にあの人が言った名前のはず。どうして僕がその名前に魅力を感じているんだ。馬鹿な話だ。もっと僕ならではのセンス溢れる名前を思い付ける筈だ。――そうだ。ムーンズの部分を”旅団”に変更したら中々なんじゃないか? あれ、でもそれって何処かで聞いた覚えが……)
 続く逡巡。
 両手で顔を覆って名前を捻り出そうとしている青年を他所に、アイは今のうちにこっそりと、まともな船団名を店主に告げてしまおうかとも考えていた。
 だが、そこに通り掛った男が一人。
 アイは驚いて声を出そうとしたが、男の右手がそれを制止する。
 フェレットはまだ、顔面に両手を被せたままだ。
「アー、店主よ」
 つかつかと近付いていき、その男は棒読み口調で続けた。
「うち”潮風ロマンス船団”だから。よろしく」
「シオカゼロマンスセンダンン!?」
 言葉を聞いた瞬間、フェレットはばっと顔をあげた。
 そこにいるのは言うまでも無い、あの男――かおる。
 既に口を挟むタイミングは逃している。
「ふうん、聞き慣れない変な名前だな。その分伝わりやすいかもしれないから、丁度良いな。解った、伝えといてやるよ。”潮風ロマンス船団”の奴らはまともな奴等だってな」
「恩に着るよ、マシター」
 まるでさっきから会話していたかのように、やけに慣れたやり取りをする二人。
 かくしてここに”潮風ロマンス船団”が新たに誕生したのだった。
(……名前からしてそもそもまともじゃないと思うんだけど。まぁでも、なんだかうちらしいかもね)
 珍妙なネーミングだとアイは思ったが、それでも特に不満は無いようだった。
「――で、フェレさんは良いのかしら?」
 わなわなと震えている青年に訊ねたが、
「不覚にも、結構格好良いと思ってしまった……。何時の間に僕の頭に黴菌が入り込んでしまったんだ……。眼鏡をかけた胡散臭い雑菌が……」
毒付きながらも案外気に入っているらしいフェレットであった。
「で、そんなイカス名前が決まった所だが。フェレッチ君」
「は?」
 自分で言うなよと思いつつ、耳を傾けるフェレット。
 かおるは別に、ここまで船団名を告げに来た訳では無かった。
「”フォスベリー”の水夫が一人、襲撃に遭ったらしい。今、宿で寝かされてる」
「何だって!」
 かおるが本来の用事を口にし終えた瞬間、フェレットはもう走り出していた。
 楽しい船旅になるはずだった、カリブへの航海。
 しかし今のところは苦難の連続である。

2

「はい。ユーリ君、もう平気よねえー? 良かったわねぇ、軽症で済んで。消毒はしておいたけれど、また具合悪くなったら言ってね?」
 フェレット達が部屋に入るなり響いたのは、間延びした特徴の有る声。
「それに栄養はちゃんと取っておいてね。軽い怪我でもねえ、体が不健康だと治りも遅くなっちゃうんだからねえ」
 それはセビリアに立ち寄った際に新たに雇い入れた船員ホルフィーナの声だ。
 彼女は”フォスベリー”に軍医として乗り込んでおり、医に関する知識を誰よりも多く持っている。
 元々”フォスベリー”には女性の数がたった一人、副官を務めるロッティーナしかいなかった。
 女性一人では色々気を遣わせてしまうだろうと思って、彼女が少しでも楽になるようにと、新たにもう一人の女性副官を雇い入れたのだ。
 しかしフェレットの思惑は成功したとは言い難かった。
 おっとりした性格の軍医ホルフィーナと、お世辞にも気が長いとは言い難いロッティーナ。
 フェレットは未だに、この二人が仕事以外の所で多く言葉を交わしている光景を見たことがない。
 今もこの場に二人ともいるが、はきはきとした様子で看護をしているホルフィーナに比べ、ロッティーナは部屋の隅にただ立っているだけだ。
 心なしか、ぶすっとした表情をしているが、今は誰もそちらを気にしてはいない。
「ホルフィーナさん、ありがとう。ロッティも。――で、ユーリ。一体何が有ったのか、詳しく教えてくれ」
 フェレットは、ベッドに眠っている若き水夫に声を掛けた。
 そこには普段の軽い調子は感じられない。
 ユーリはちゃんと記憶を保っているようだったが、頭には包帯が巻かれており、頬の部分に大きな青痣が出来ていた。
「襲撃に遭ったと聞いてるが、もしここの住民にそんなことをされたんだったらこれは由々しき事態だ。放ってはおけない」
 しかしユーリは答えなかった。
 フェレットのほうから視線を逸らしている。
「襲撃……と言う程のものではないんです」
 代わりに答えたのはロッティーナだった。
「危害を加えられたのは事実ですわ。けど、それはちょっとした行き違いによるものです」
「行き違い?」
「この辺りの砂浜は、所々にヤシの木が生えているでしょう。なっている実をユーリが取ろうとして、木に登っていたんです。それが住民の子供達には、町を荒らされているように感じたみたいで……」
「それで暴行を……?」
「いえ。石を一つ投げられただけです。それも当たりはしませんでした」
「……じゃあ、なんでそんな怪我を」
「驚いて、木から落ちてしまったんです」
 僅かに声を小さくさせるロッティーナだった。
「申し訳有りません。私が付いていながらこんな事になってしまって」
 そう言って彼女は頭を下げた。
 しかしフェレット達が彼女のことを責める理由など一つも無く。
「いや……それ位ならかわいいもんだ。ほっとしたよ」
 胸を撫で下ろしながらフェレットは言った。
「石を投げるのはやり過ぎのような気もするけど、子供同士って結構喧嘩とかするもんな。襲撃って聞いたから、もっと酷いことになってるのかと心配してたんだ」
「子供じゃないですよ、おれ」
「確かに船乗りをやってる以上、子供だなんて言っちゃいけないか。けど」
 ベッドから響いた消え入りそうな声に、フェレットは船の長としての言葉を返した。
「知らない土地であんまり目立つ行為をするのは良くない。今回は特に事情も有る。人がいる場所でヤシの木に登ったりするのは、あまり大人らしい行動とは言えないな」
「フェレさんだって酔っ払って裸になったりしたくせに……」
「うるさいうるさい!」
 アイに痛い所を突かれて顔を赤らめるフェレットであった。
「とにかく、当分目立つ行動は慎んでもらう。わかったな、ユーリ」
「……はい」
 不服そうにしているユーリを見て、フェレットは右手で髪を弄くりながら言葉を続ける。
「交易所の店主から聞いたんだ。僕らはこの町の人々にあまり歓迎されてないって。何でも僕らとは別のヨーロッパの船団がカリブで横暴働いてるらしくてね、僕らはそいつらと間違われてるんだと。店主が皆に誤解だってことを伝えてくれるとは言ってたけど、そう直ぐには無理だろうし」
「ヨーロッパの……?」
 ロッティーナは表情を固めて呟いた。
「ああ。お陰で相当恨まれてるらしい。だからユーリが襲われたって聞いて、僕らに恨みを抱いてる連中にやられたのかと思ったんだ。石を投げてきた子供達にしても、僕らに決して良い感情は抱いてないだろう」
「しかし、私達の他にもヨーロッパの人間が来ていたんですね。この町には私達しかいないようですけど」
「その悪評のせいで近付かなくなってるのかもな。何にしろ、厄介な事になったよ」
「ねえ? フェレさん」
 口を挟んだのはアイだ。
「ラスパルマスの酒場のマスターが言っていたわ。カリブで幅を利かせているイングランドの商会がいるって。もしかしたら交易所の店主が言っていたのも、その商会のことなんじゃないかしら」
「ああ……そんなこと、言ってた気がするな。何でしたっけ、名前」
「何て言ってたかしらね。マスターもよく覚えてなかったみたいだけど」
「――確か」
 右手を顎に当て、考え込むような姿勢を取っているかおる。
「ナンペスチャー商会と言っていた。私は酒を飲んでいなかったからな。よく覚えとるよ」
「そう言えばそんな名前でしたね。うーん、ナンペスチャーね……聞いたことの無い名前だな。後でカリタスさん辺りにでも訊いてみるか」
 と、僅かの間信じたフェレットであった。
 しかし続くかおるの言葉が、そこから信憑性を取り去っていく。
「いや、確かナムプラー商会だった気もした。ナム? ナンデスカー商会だったかな。ケムンパス商会?」
「……ま、良いでしょう。とりあえず名前は不明ってことで」
 これから自分達はカリブ海を駆け巡ることになるのだ。
 何れ関わる機会もあるだろう。出来れば関わりたくないが……。
「問題は今後のことよね」
 皆が思っていたことを、アイが代弁する。
「リスボンの依頼人の話によると、ドラゴンのことがが話題になっているのは此処じゃなくて、ジャマイカと言う名前の町らしいわ。依頼達成の為にはずっと此処に居ちゃいけない」
「何処なんですかね、町の場所は」
「交易所の店主に訊いたら教えてくれるんじゃないかしら?」
「折角親しくなったことですしね。親しくて言っても、ちょっとだけど……」
 基本的に相槌を打つのはフェレットだけで、かおるや他の面々は黙って話を聞いている。
 かおるに関して言えば、常にボケるタイミングを見計らっているのかもしれないが。
「仮にジャマイカが場所が判っても、リィちゃんたちが行方不明になっている以上、下手に動いたらすれ違いになってしまう可能性も有るわ」
 これが例えば北海、地中海であるならばまた話は別だ。
 しかしこのカリブ海がどんな場所なのか、幾つの町がここに有るのか。
 何も判らない以上、一つ一つの行動に慎重にならなければならない。
「リィ達とはぐれた場所からここはそう遠くない。もしかしたらまだこの辺りにいるかもしれない」
 リィが船長を務める船”コンスタンティア”は、海戦の最中に襲った嵐に巻き込まれ、行方が分からなくなった。
 船旅に嵐はつきものだ。
 この世界が始まってから今までに、何千、何万隻もの船が強い風に蹂躙され、沈んでいったことだろう。
 それでも、フェレットは”コンスタンティア”の船員の――リィの生存を疑っていなかった。
 いや、心の奥底では不安もあったが、それでもそのことを口に出したりはしない。
 そうしたら不安に押し潰されてしまいそうになるのが目に見えているから。
「あの……」
 数秒考えてから、フェレットは言葉を場に刻んだ。
「船団を半分に分けるのはどうでしょう?片方はここでリィ達の行方を探ってもらって、もう片方はジャマイカに向かう……」
「そう……ね。そうするしか無いかもしれないわね」
 アイの返事は心からの賛同という感じではなかった。
 フェレット自身も含めて皆そうだろう。
 何も知らないこの場所で、ばらばらに行動することは危険が大き過ぎる。
 ”コンスタンティア”だけならまだしも、他の船まではぐれて合流できなくなってしまったら、もう取り返しが付かない。
 しかし、それでも。
「僕は行きますよ、ジャマイカに。このままここで待っているなんて身が保たないよ」
 決意を込めて呟くフェレット。
 駄目だと言われても聞かないだろうし、誰も止めたりはしない。
「行ぐか。ドラゴンを見たいしね」
 と、かおるも続いて名乗りを上げた。
「ドラゴンか。子供だって言うけれど、実際にどんなものなのか私も見てみたいな」
 アイもまた、ここに残るつもりは無いようだった。
 ”フォスベリー”、”永久機関”、”シャルトリューズ”の三隻がジャマイカに向かうとなると――現在、船団に残された船はあと三隻。
「カリタスさん達に残ってもらうとするか……まあ、何も丁度半数に分けなくても良いかもしれないけど」
「そうね、幾らなんでも勝手に決めちゃまずいわよ。話し合わないと」
「ええ」
 アイの言葉に首を頷かせるフェレット。
 それでも、
「でも僕は絶対に行きますよ、ジャマイカまで。誰が何と言おうとも」
と、彼の決意は固いようだった。
「それじゃあまた船旅が始まるんですね! 私も色々頑張らないとー!」
「うん。期待してるよ、ホルフィーナさん」
 元気に声を上げる自らの船の水夫に、フェレットは優しい笑いを返すのだった。
「ユーリも。また忙しくなるから、早々に怪我を治しておけよ?」
 続けて柔らかな声で言うも、返事は来ない。
 拗ねてしまっているのだろうかとベッドのほうを見やると、彼はもうすっかり寝息を立ててしまっていた。
「疲れていたんですよ、この子。今日一日、色々なことが有りましたからねぇ……」
「確かに。初の航海で異国の地を踏んでいるんだ。ストレスも半端じゃないだろうからな」
 ホルフィーナとフェレット、揃って長い息を吐く。
 そうした後、フェレットはくるりと踵を返した。
 爪先が指しているのは部屋のドアだ。
「ちょっと、また交易所まで行って来るよ。ジャマイカの場所も知りたいし、それに」
「それに?」
 アイが訊ねる。
「……ヤシの実、船に積んどこうと思ってね。交易所の店主ならそれくらいどうとでもなるだろ」
 口にしながら、フェレットは部屋を出て行った。
「船長。私も行きますわ」
「あ、私も行こうか?」
 追おうとするロッティーナに声を掛けたのはアイだ。
「いえ、皆さんは休んでらして下さい。大丈夫、直ぐに戻りますから」
 ロッティーナはそう言って、結局二人だけで出て行ってしまった。
「……明日から忙しくなるものね。私達も、早めに休んでおくとしますか……」
 微妙な空気の中アイが口にするも、聞こえたか聞こえていないのか、かおるは無言で一つのビンを差し出す。
「かおるさん、何これ?」
「ヤシ酒」
「……ほお」
 そしてその妙な空間もまた、三十分後には酒気に満たされることになるのだった。

「ねえ、船長。ユーリのこと」
「うん」
「許してあげて下さいね。あの子、ヤシの実を家族にお土産として持って行こうとしただけなんです。決して悪気が有った訳じゃ無いですから……」
 宿から交易所までは幾らかの距離がある。
 夕暮れに彩られた砂浜を歩きながら、二人は言葉を交わしていた。
「ああ、別に怒ってる訳じゃないよ。その証拠に今だって……な? 怒ってたら、わざわざヤシを買いになんか行かないさ」
「なら良いんですが」
「にしても、ロッティ」
「何です?」
「んや……やっぱいいや」
 何だか最近丸くなったよな、とそう言おうとしたフェレットだったが、慌てて口を噤むのだった。
 隠し事をされたと感じたようで、ロッティーナは口をへの字にしている。
「夕陽が……綺麗だなあ、と思って」
「嘘つかないで下さい。そんなことを言おうとしたんじゃないでしょう?」
 自分でも白々しいなと思っていたが、やはり一瞬で見抜かれる。
 こうなればついでとばかりに、フェレットはずっと気になっていたことを訊ねた。
「ホルフィーナさんのことは、嫌いかい?」
 あまり考えずに口にしたせいか、質問は単刀直入なものになってしまった。
 ロッティーナは一瞬顔をしかめたが、言葉を返さない。
 そうして数秒の時が流れた。
 空気に耐え切れなくなったのはフェレットの方だ。
「ほら……あの人を雇ったのはカリブに来る前、ユーリよりも先だろ。なのに君ら、あんまり喋ってるのを見たこと無いから……さ。やっぱり心配になるんだよ。船長としては」
「別に……」
 視線を逸らしたままで、ロッティーナもようやく口を開いた。
 吐き出す息のように小さな声だった。
「ホルフィーナさんのことが嫌いなのではありません。あの方の医療技術は確かですし、皆に気を遣ってくださる優しい方です。ただ……」
「ただ?」
 ロッティーナは口篭っている様子だ。
 フェレットは無言のままでいて、二人はそのまま砂浜を少し歩く。
「……私が、一人で副官をしている間でも、別に”フォスベリー”の業務は滞りなくこなしていましたわ。わざわざ、もう一人副官を雇う必要は無かったのでは……」
「いや、別にさ。ロッティ」
「私一人ではご不満でしたか?」
 ずっとそっぽを向いていたロッティーナの視線が、ぎろりとフェレットの顔に向けられた。
 フェレットは驚き、思わず足を止めてしまう。
「ふま、不満なんて事は……滅相も御座いません。僕は別に、君だけじゃ不足だなんて思ったことはいっぺんだって無いよ。けど、君だけに任せっきりにするのはやっぱり悪いかなあと思ってさ」
「これまでずっと、私一人でやって来たではありませんか!」
 何故僕は怒られているのだろう。
 不思議に思いつつ、何とかフォローをしようとする”フォスベリー”の船長。
「そうだけど……やっぱり君は女性だし、何から何まで負担を掛けてしまうのは……」
「冒険者として船に乗り込んでいる限り、女性であることは捨てていますわ。そんなこと、船長が心配をなされる必要は有りません」
「そうなんですけどね……」
 たははと笑いながら、フェレットもまた視線を逸らすのであった。
 溜息をつこうとして、すんでのところで抑える。
 もし彼女に気付かれたら、大変なことになりそうだ。
(……相変わらず”女心とヴェネツィアの空”ってヤツだな。女心は移ろいやすいというか、訳が分からないと言うか。気を利かせてホルフィーナさんを雇い入れたつもりだったのに、とんだ逆効果だったか)
 わざわざ自らが生み出した格言までも頭に浮かべながら、複雑な表情をしているフェレットだった。
 そして彼が思っていたことは確かに正しかった。
 ロッティーナもまた表面では怒りの色を浮かべたままでいながら、内心ではフェレットが自分のことを心配してくれていたことを嬉しく思ってもいたのだ。
 こんな小さなことで怒っている自分。
 後で冷静になって考えしてみれば、何と恥ずかしいことをしたのだろう……とそう思うのではないか。
 そうと知りつつも、それでも彼女は自らの想いを抑えられなかった。
 ――そうだ、嫉妬しているのだ。
 私はホルフィーナさんに嫉妬している。
 あの人のことが嫌いな訳ではないのに、好意的に接することが出来ないでいる。
 今までは、少なくとも船の上ではただ一人、私が誰よりも長く船長と一緒に居られたのに……あの人のせいでそんな幸せな空間が揺らいでいるから。
 そして、船から陸に下りれば――船長には、誰よりも大好きな人がいる。
 私が何をしても、もうどうにもならない事実。
(今は……リィさんは此処には居ない。けど)
 居ないけれど。
 愛する人を失ったまま、悲しい顔をしたままの船長を見ているのは辛いんだ。
「ねえ、船長」
「ん……」
 少し前とはまるで違う穏やかな声を受け、フェレットは戸惑いを浮かべる。
「リィさん、早く見つかると良いですね」
「うん?……そうだな」
 一分少々の間に、彼女の心が一体幾つの色を抱いたか。
 知る由も無く、ただただ頷くフェレットであった。

3

 波に揺られている時間はまるで無限、永久に終わることが無いのだろうかと思う程に長い。
 陸沿いを北に進んでも、一向に町が見えてくる気配は無かった。
 このままずっと同じ光景が続く? 続いたとしたら――それは即ち死の光景へと繋がる。
 ”コンスタンティア”の船員はもう誰もが、精神的にも肉体的にも極限まで疲弊し切っていた。
 船内には疫病が蔓延し、食欲を保っていられた船員は誰一人としていない。
 中には……命を落とした船員もいた。
 病魔と闘いながらの航行では、普段通りの速度が出るはずもなく。
 誰もが皆、思い始めていた。
 私達はここで死ぬのだと。景色はもうこれ以上続きはしないのだと。
「船長!」
 船室からゆらりと姿を現したのは、息も絶え絶えになっている一人の少女。
 まともに立つ事も出来なくなっているようで、船室の壁に寄り掛かっている。
 副官リズウィーは驚き、彼女のほうへと駆け寄った。
「船長、出て来ては駄目です! こっちの業務は私達だけでやれますから!」
「ううん……」
 その少女こそがこの船の長、リィ。
 海の方へ行こうと、彼女は寄り掛かっている壁から手を離した。
 しかし両足にはもう力が残されておらず、地面に崩れ落ちてしまう。
「船長!」
 リズウィーは倒れそうになったリィのことを抱きかかえた。
「リズウィー……」
「大丈夫……聞こえております、船長。無理をなさらないで下さい」
 無理でも自分のほうに視線を向けようとするリィを見て、リズウィーは居た堪れなくなった。
「メアリから……報告を、受けたわ。陸はもう、続いていないって」
「……はい」
 出来れば、船長には伝えないで欲しかった。
 リズウィーはそう思った。
 彼女にもうこれ以上、絶望感を与えたくなかったのだ。
 カリブに辿り着いて不審船に襲われた時、船団は丁度陸の端に差し掛かっていたのだ。
 嵐が起きて他の船とはぐれてしまい、”コンスタンティア”は横に伸びたその陸地の北側に沿って進むことにした。
 何時かは町も見えるだろう、その町で仲間達が待ってくれているだろうと一縷の望みを抱きながら。
 だが、それは結果として叶えられなかった。
 リィ達にはこの時点で知る由も無かったが、その島の名はエスパニョーラ島と言う。
 ずっと西へ伸びていたその陸地は途切れ、そこからはまた海だけが広がっていた。
 陸を離れ、再び広がる青へと繰り出すか。
 それともこのまま陸に沿って、今度は南へと向かうか。
 絶望に苛まれた中で、二つの選択肢の中から一つを選び取らなければならなかった。
 しかし決断にそう時間は掛からなかった。
 四方が全て海になってしまえば、目印も何も無くなる。
 そうなればもう、仲間との合流を果たすのは奇跡にも近い確率になってしまうだろう。
(フェレさんやかおるさん達も……きっと同じように考える筈)
 このまま陸に沿って進むしかない。
 陸の北側には町は無かったが、南側にはきっと有る。
 フェレット達もそこに居る筈だ。
 そう信じて進むしかない。
(大丈夫……私はこんなところじゃ、死なない)
 一歩一歩進む度、体は音を立てて軋んだ。
 それでもリィは強靭な意志を保ち続けたままでいた。
 折角、何かを思い出しそうだと言うのに、こんな中途半端なままで終われないと。
 そして自らの愛する人の顔をもう一度見るまでは死ねないと。
 二つの意思が、波のように繰り返し迫ってくる痛みを、命まで達すことの無いように抑えていた。
 時間が経って、夜が訪れても。
 リィは船室に戻ろうとしなかった。
 仲間に支えてもらいながらずっと、暗くなった海を見ていた。
 ベッドに寝そべってただ天井だけを見上げているより、潮風に当たりながら見慣れた光景を眺めていた方が、身も心も休まる気がしたのだ。
 黒一色のその光景に、何時かは何よりも見慣れた船団の姿が現れるのではないかと思っていられた。

 数時間して――暗黒の世界に眩い光が割り込んできたその時に、海からもまた迫り来る船の姿があった。
 船の数は二隻。距離は遠く、まだはっきりと確認は出来ない。
(もしかして、フェレさん達の……?)
 心に抱いてみて、それは自分の願望なのだとリィは思った。
 この広い海で、彼ら以外にも船乗りは無数にいるだろう。海賊船である可能性も考えられる。
「船長」
 直ぐ傍にいるリズウィーが話し掛ける。
「あの二隻の船に、助けを求めましょう。もしかしたらちゃんとした船医を乗せているかもしれません」
「けど、もし海賊だったら」
「その時は、私達の命運はここで尽きたのだと思いましょう」
 俯きがちながらも、しっかりとした口調でリズウィーは言った。
 他の水夫達も頷いている。
「そう……ね。このままじゃどのみち、皆助からないかもしれないものね」
 リィは操舵手に、二隻の船に接弦するように指示した。
 仮に逃げようとしても、今の状態ではろくに速度も出せない。
 海賊船だったなら、戦っても逃げても結果は同じだろう。
 しかし、その二隻の船の対応を見る限り、襲い掛かってくる気は無いように見えた。
 船同士がぶつからないようにと迂回して進もうとしたのだ。
 ”コンスタンティア”はその二隻を追うようにして進む。
 こちらに戦闘の意思は無いと、白旗を掲げているが、時刻はまだ陽が昇りかけた早朝。
 相当接近しないと見えないだろう。
 それでも、二隻の船はやがて動きを止めた。
「船長っ、もしかして助かるかもしれませんね!」
 歓喜の声をあげる”コンスタンティア”の水夫達。
 やがて、いよいよ二隻のうち片方の船まで到達し。
 この海にいる三隻の船、全てが動きを止めた。
 こちらが対応するよりも先に、向こうから”コンスタンティア”へと小さな桟橋が架けられた。
 そこから人影が一つ、ゆっくりと歩いてくる。
 リィ達は皆、緊張の眼差しをしてそれを見やった。
 まだ空は灰色だったが――人影が桟橋を半分程渡ってきたところで、突如としてパァッと陽が射すのだった。
 瞬間、何もかもが白日の下に晒される。
 そこにいたのは、一人の男。
 銃を持ち、それをこちらに向けている。
「お前ら! 一体何の用だ?」
 警戒されるのは当然のこと。
 だが”コンスタンティア”の水夫達は皆、男のその容貌を見て愕然とした。
「船長……」
 肩に触れたリズウィーの右手は、震えていた。
「ここまでかもしれません。私達」
「……うん」
 銀の甲冑に身を包んだその男の背丈は、自分よりも二倍近くは有りそうだ。
 そしてその浅黒い肌は醸し出す獣の香りを更に増している。
 左目には、眼帯が付けられていた。
 間違い無く海賊と――いや、国軍と剣を交えた際に負った怪我だろう。
 「間違い無い」と言い切る根拠は無かったが、船員皆同じ事を思った。
 間違い無く、海賊。
 殺される。
 絶望の単語ばかりが彼女達の脳裏を過ぎる。
「答えろ。何の用だ!」
 その声はスペイン語で吐かれたものだった。
 どう見ても、イスパニアの出身には見えないのに?
 そう疑問を抱いても、口にする余裕は無かった。
 大男は一歩一歩、大きな音を立てながら近付いてくる。
 足音は重く、まるで桟橋を突き破ってしまいそうな程。
「わ、私達は……!」
 どうせここで死ぬのなら、せめて抵抗をしてから死のうと。
 リズウィーはやけくそになって叫んだ。
「船員が皆疫病に侵されてしまって、貴方達に助けて貰いたいんです! お願いします、金品で良ければお礼は用意出来ますから……」
「君達、女性かい?」
「え……は、はい」
 リズウィーはどきりとした。
 突如として、男の声が優しいものに変わったのだ。
 それこそ、あの無骨な姿の人間が吐いたものとは思えない程に。
「お礼はいらない」
 また、優しい声。
 訳が分からなくなり、混乱する”コンスタンティア”の船員達。
 水夫達は皆船長のほうを見やり、リィはリィでただあたふたとしている。
「君達のその美しい瞳の輝きを見れただけで十分だ」
 男はここぞとばかりに決め台詞を放った。
 が、その言葉に気の利いた反応を返すには皆疲れ過ぎていたし、ウィットに富んでもいなかった。
 思ったより反応が薄い、と残念そうな顔になる、浅黒い肌を持った男。
 そうした後、自らの船の方へと振り返る。
「コーネリア。ジョニーもだ! うちの船医を呼んで来てくれ! それと栄養のつく食べ物もたっぷりとだ。今直ぐにな!」
 おそらく船の水夫? にそう指示を送ると、男はもう一度”コンスタンティア”のほうを向いた。
 いや、今度はその視線はリィだけを見ている。
「と言う訳だ。安心してくれ、お嬢さん」
 男はにかり、と擬音が響きそうな程に爽やかに笑った。
 覗かせた白い歯はまるで、宵闇を切り裂く朝陽のよう。
(わっ。どうして私……?)
 男の視線にやられたのか、リィはどさりと地面に崩れ落ちた。
「た、助かったんでしょうか。私達……」
 呆気に取られたままでリズウィーが言う。
「ちょっと……自信無いわ」
 リィもまた、そう返すしか出来なかった。
 黒、白。
 この空間にある幾つもの色。
 その全てが入り混じって、混乱の渦と化していた。
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  1. 2006/03/23(木) 13:59:56|
  2. 小説本文
  3. | トラックバック:1
  4. | コメント:3
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コメント

どうもどうも。

>アーセナル氏

どうもどうも。ちょっと時間掛かってしまいましたが別にサボっていたのではなく、クロ○○○○氏をいかにして書くか色々と考えておりました。

>fire_fist氏

やぁ どーもどーも (´, _ `)ゝ
そちらのブログにも書かせていただきましたが、改めてリンクさせていただきました。お互い波風に負けぬよう頑張りましょう。
  1. 2006/04/02(日) 15:16:55 |
  2. URL |
  3. フェレット(管理人) #-
  4. [ 編集]

新作楽しみにしてました~。
これからも読ませていただきます~。

今日のブロガーイベントは楽しかったですねぇ~。
それとリンクの方、張らせていただきましたのでご報告まで。

ではでは~。
  1. 2006/04/02(日) 02:10:51 |
  2. URL |
  3. fire_fist #DBsNzvOg
  4. [ 編集]

おお 新作ーーー!!

楽しみしてましたよ!

さて いまから読むかなw

(読む前にコメントかいてしまったww)
  1. 2006/03/28(火) 22:44:02 |
  2. URL |
  3. アーセナル #-
  4. [ 編集]

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