航海タイム

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第二十二章 永い夢(前編)

1

 陸には青、空には青と白のグラデーションが展開されていて。
 時と共にそこに赤色が混じって行き、闇が落ち――また繰り返される。
 一定のリズムで何もかもが展開されていく、そんな空間に彼らはいた。
 普段ならば心地よく感じるその拍子でさえも、ただそれだけが続けばやがて飽き始めるということを知った。
 航海が始まって、二十日。
 早朝に目を覚まし、進む海の先を見やると、そこには何時も通りのあの朝陽がある。
 (陸が見えないのが、こんなに苦痛だとはな)
 フォスベリー”の船長、フェレットは複雑な表情をしてそれを眺めていた。
 彼の感性はその眩い景色を、陰鬱な色だと表現する。
 何年もの間航海を続けてきたが、ここまで長い期間、陸から離れていたことは無かった。
 地中海、北海、アフリカ――何時だって、視界の端には緑色が存在していたのだ。
 そしてそれが心を安らがせる効果を持っていたことに、フェレットは今更ながらに気付いた。
「ねえ、船長! すごい綺麗な朝陽ですよ! あれを見るとまた一日が始まるって気持ちになりますよねぇ!」
 静まり返った空間に響いたのは、新米の水夫であるユーリ少年の声だ。
(大物だな、アイツ……)
 この場でそんな声を出せるのは、間違いなく彼だけだったであろう。
 フェレットは何も返せず、ただ深く長い息だけを吐く。
「あと何日、掛かるんでしょうね」
 後ろから響いた声に、フェレットは親近感を覚えた。
 今の自分の気分に程なく近い、疲れ切った声であったからだ。
「ロッティ、おはよう。お疲れ様」
「おはようございます。船長」
 この船の副官ロッティーナ。
 フェレットが眠っている間、代わりに船の指揮系統を任されていた。
「大丈夫か?」
 彼女は目に見えて顔色を悪くしていて、フェレットは傍へと駆け寄った。
「ええ、寝れば治ると思います。けど」
 その次に彼女が吐いた言葉、それは恐らくこの船団の水夫殆どの言葉を代弁したものであっただろう。
「これがこのままずっと続くと考えると、気が狂いそうです」
「ああ……」
 一人朝陽を見てはしゃぎ回っているユーリ少年には聞こえないようにして、二人は会話を続けた。
「私、方向感覚には自信が有るつもりでしたけど……。ずっと同じ光景ばかりが続くと、もしかしたら全く見当違いの方向に進んでいるのではないかって、そう思ってしまいますわ」
「……僕はなんか、逆方向に数日も進めば、直ぐマディラに戻ってしまいそうな気がするよ。全然進んでないように思えて来た」
「クリストバル・コロン提督の偉大さが身に沁みてわかりますね。私達はこの先にカリブがあると知らされているから良いものの、提督は全く未知の航路を辿って行ったのですから」
「全くその通りだ。たとえ別の大陸と勘違いしててもな」
 球体であるこの世界は、ヨーロッパ、アフリカ、アジア(インディアス)の三つの大陸からなるものだと、誰もが思っていた。
 ヴァスコ・ダ・ガマが発見したインド大陸へと向かう別の航路を開拓すべく、コロン提督は西から回ってインドに行こうとしたが、しかし世界は彼の予想を上回る程に広大で、未知に包まれていて。
 結果インドではなく、新たな大陸へと辿り付くことになった。
 それはこの海原を駆け巡る航海者達にとって、興味の尽きない話であった。
 世界には――この蒼き大地の向こうには、まだまだ誰もが踏み入れたことのない光景が眠っているのだと教えてくれたのだから。
「たくさんの人が亡くなったんだろうなあ、カリブに行く為に。僕らはどうなるんだか」
「船長らしくないですわ。よしてください」
「ああ、そうだな。ごめん」
 話を続けるに連れて、フェレットはまた忘れていた疲労を感じてくるのであった。
 いっそこのままもう一眠りしてしまいたいくらいだ。
「船長」
「ん?」
 少し、ロッティーナの口調が変わった。
 僅かに力が篭もった声になっている。
「たとえどう思っても、船長は弱音を吐いては駄目です。知らない場所への旅こそ、航海の醍醐味なんでしょう?」
「ど……どうしたの、急に」
「根拠がなくても”何とかなる”って、しょっちゅう仰ってるではありませんか。今回もそう言ってらして下さい、貴方は。その方が船長らしいです」
「うん。そうだな」
 心では、そう言われてもな、と思っていた。
 しかし確かに船長である自分が自信を持てなくなれば、船の水夫の誰もがへこたれてしまうだろう。
 フェレットはまだ眠気の抜けない身体に言い聞かすようにして、大きく伸びをした。
「ようし、ユーリ」
「はい、何ですか? 船長」
「今日は釣りを教えてやる! 釣って釣って釣りまくって、それをこの船の食事にするんだ! 大事な任務だぞ!」
 釣竿を二つ引っ張り出してきて、フェレットは自ら糸を海へと垂らし始めた。
「その為に食料の配分を少なくして、水を多めに積んであるんだからな。これからの食事をイワシだけにしない為にも、色々な魚を釣り分けるんだ!」
「は、はい!」
「返事はイエッサだ!」
「イエッサ!」
 緊張した顔で釣竿を握るユーリに、フェレットは持ち方を教えてあげている。
 二人を後ろから見やりながら、ロッティーナは微笑ましい表情になった。
 確かに感じられる生命の息吹。
 この航海のうちにそれが途絶えることは無いだろうと、そう思わされる。
(何とかなる……か。そうよね)
 その光景を見て、ロッティーナはようやく眠る気になれた。
 二人の邪魔をしないようにして、静かに船室のほうへと歩いていこうとする。
 ロッティーナは彼らの邪魔をしなかったが、しかし彼女の行動を阻害する声が、背後から響き渡った。
「ヌオァッ? な、なんだこれは!」
フェレットが叫び、ロッティーナは思わず振り返る。
「船長? どうしたのですか」
「ちょ、竿が……ロッティも来てくれ! 早く!」
 見れば、フェレットとユーリは二人で一本の竿を握っている。
 そうしなければ引きずり込まれてしまう程、巨大な獲物がかかったのだろうか。
「早く!」
 声に引き寄せられるようにして、ロッティーナもまたその竿を掴んだ。
「な……何、これっ! 重い!」
 竿を引っ張る力の強さに驚きを隠せないロッティーナ。
「ちょっと、みんな来て!」
 堪らず他の船員をも呼び寄せる。
 寝惚け眼の水夫達も皆、竿を握った瞬間に驚愕し、眠気など飛んで行ってしまった。
「相当でかいぞ! もしかしてカリブ海だけにしか生息しない未知の魚じゃないだろうなぁっ!」
「まだここはカリブ海じゃないですわ! 船長!」
 興奮を隠せずに声を上げながら、船員達は一丸になって竿を引いている。
 均衡が崩れ、徐々にだが、獲物が上へと持ち上げられていく。
「ぬおおおおお!」
 気合の声が五、六も重なって放たれた瞬間。
 その巨大な獲物は空へと舞い上げられて、朝陽と重なった。
 直ぐに光から外れて、凄まじい音を立てて地面に墜落する。
 凄まじい力を持った獲物のその正体。
 それを見た瞬間、皆は驚き、そして興奮に打ち震えた。
「せ、船長。これ、何の魚……?」
「マグロだよ!」
 ユーリの声に返事をしながら、フェレットはただ眼前の生き物に魅入られるようにして止まっている。
「それも相当でかいマグロだ! ここまでの大きさのは生まれて初めて見たよ、僕も」
 地面に叩きつけられても、それだけで力尽きるはずはなく、マグロはばたばたと暴れている。
 その様子ですら、船員達は興味深く見つめていた。
 それはこの海に出てから長らく見ていなかった、”生”を感じさせる存在であった。
 他にも雑魚はたくさん釣れていたけれど、見慣れた魚達がまるで命を持たぬ人形か何かに思えるほど、彼らは疲弊していたのだ。
 ”フォスベリー”と並行して進む六つの船。
 もしかしたらそこに居るはずの水夫達も全て、死人と化しているのではないだろうか?
 そんな有り得ない疑いさえ抱くようになっていたが、眼の前で生命力を溢れさせて跳ね回るその魚の姿を見せられて、ようやく”そんなことはない”と言い切ることが出来た。
「たまにこう言うのがあるから、やめられないんだよな。船乗りは……」
 口元から笑みが零れるのを抑えられずに、フェレットは言った。
 今までこの海が嫌いになったことは一度だってない。
 けれどその光景に疑問を抱いたことは、幾度となくあった。
 それでもその度にこうして、新たな魅力を見つけてきたのだ。
 そうして繰り返してきたことさえ、忘れていた。
「船長。処分はどうしますか?」
 ロッティーナの声に、にやけた顔をした船長が応じる。
「ま、このマグロの生命力を僕らも分けてもらうとしようぜ」
「つまり……」
「食べる。これだけあれば一月はマグロ尽くしで過ごせるな。生憎うちの船にはちゃんとした料理が出来る奴がいないから、バリエーションが限られそうだが」
「すいませんね。料理がさっぱり出来ませんで」
「いや、別に君のことだけを言ったわけじゃないんだけど……」
「あっ? 失礼しました」
 寝不足のせいか、ロッティーナの声も何処か見当外れなことを言っている。
「そうだな。どうせだから幾つかに等分して、他の船にも分けてやるとしようか。リィ、きっと喜ぶだろうな。かおるさんも飢えてるだろうし、アイさんなんか今頃丁度肴を欲しがってそうだ……」
 他の船を眺めようとして、視線を”フォスベリー”の外へと向けると。
 瞳は鮮やかな色をした景色へと引き寄せられて、そこから動かなかった。
 何もかもを眩く染め上げてしまう美しい朝陽、そしてパステルブルーの海。
 その魅力を忘れていた自分はなんて愚かだったのだろうと、思わされる。
 そう――海も、空も、今は目にすることの出来ないあの大地も。
 それらは皆、在るべき美しい姿のままでそこにいる。
 美しいと思えなくなったなら、それは彼らが悪いのではない。
 ただ自らの感性が、正しくものを見られなくなっているだけのこと。
(カリブまで、あと何十日か……。楽しもう。楽しめるよな、きっと)
 心の中でそう呟くと、フェレットは隣を行く船に声を送った。
 そうだ、この海の色。
 地中海のそれとはまた違った印象を抱かせる。
 右手を海につけたとして、引き上げた時にはその手が青く染まっていそうな程に、ただ、青い。
 近付きつつあるのだ。
 目指す未知の大陸、カリブに。

2

 それから更に数十日も経った日のことだった。
 青ばかりに染め上げられたその光景に、緑色が混じり込んできたのは。
 見つけるなり、船団の面々は次々に歓声を上げた。
 自分達は間違っていなかった。
 僅かに見えるあの大地が、それを証明している。
「あと数日もあれば、陸に辿り着けそうですね! 船長」
 フリゲート船”コンスタンティア”の船上でもまた、眠っていた水夫達もが目を覚まして来て、総出で新たな大地の出現を喜んでいた。
「うん……」
「浮かない表情をしてますね。船長」
「あ、そうじゃないのよ。リズウィー」
 心配させてしまったかと思い、リィは優しい口調でそう返した。
「この辺り、やたら蚊がいるじゃない? それが気になっちゃって」
「言われてみれば……。この辺りは蚊が多いんでしょうかね」
 リズウィーもまた口にした時に丁度、頬に痒さを感じて。
 自らの手ではたくと、細長い手足を持った蚊の死体がそこに収まっていた。
「カリブにしかいない蚊だったりするかもしれませんね、船長。こんな虫でさえ、ちゃあんとカリブの息吹を感じさせてくれますよ」
「蚊で?」
 苦笑いするしかない、と言った感じの台詞を受け、リィは対応に困るのだった。
「私はもうちょっと……ロマンチックな感じ方をしたかったな。虫じゃなくて、もうちょっとこう……」
「それも間も無くですよ、きっと。カリブの地は間違いなく、大歓迎をしてくれるに決まってますから!」
「ふふ。そうよね、きっと」
 この大陸には私達がまだ知らない、たくさんの素晴らしい光景が待っていて。
 それは間違いなく、素敵な思い出になるだろう。
 リィだけでなく、船員達は皆希望に胸を膨らませた。
 しかし。

 期待を遥かに上回る歓迎を、船団は受けることとなった。
 カリブの地が視認出来るようになってから、一日と半分が経過した時のことだった。
 巨大な船が次々と姿を現し、この船団を囲むようにして海に浮かんでいる。
「この船と同じ……大型のキャラックが数隻か。確かに大歓迎だな」
 ”オールド・ブラック・マジック”の船長を務める男、カリタス。
 まだ距離のある敵船の姿を冷静に観察し、動向を探っている。
「船長、我らはどう出ますか?」
「もう少し様子見だな。こっちの退路を塞ぐようにして動いているところを見ると、賊の類である確率は高いが。一応、向こうから砲撃してくるまでは待とう」
 十中八九敵だとしても、十割ではない。
 不審な船を取り締まって回っている自警団の船かもしれない。
 しかしそんな期待も、僅か数分で打ち破られることとなった。
 遠距離から放たれた砲弾が、こちらの船へと着弾をしたのだ。
 撃って来たのは一隻ではない。
 その一撃を皮切りに、こちらを囲んでいた船が一斉に攻撃を開始する。
 こちらも何も、ただそれを黙って見ていた訳ではなかった。
 敵が攻撃の素振りを見せた瞬間に直ぐ様陣を展開させ、反撃に移れる形を取っている。
「カリブの海賊の、お手並み拝見といくか」
 そう口にするカリタスの表情は、決して意気に満ちたものではない。
 敵の船は恐らく、こちらに匹敵する程の戦力を要している。
 慎重にならざるを得なかった。
 折角新たに造った船もまた、このカリブに滞在している途中で傷付き、壊れるかもしれない。
 壊れるかはともかくとして――傷付くことは逃れられないだろう、もう。
 そう考えると、複雑な思いに駆られずにはいられなかったのだ。

「船長、大変ですぜ!」
「うん。わかってる」
 本当に解ってるのか、と問いたくなるほどの能天気な声をかおるは返した。
 それはある種の癖みたいなもので、心の底から能天気でいるわけではない。
「アスナは船室の奥に行ってて。船員を数人付けるが、近寄らせはせん」
 台本を棒読みしたような声だったが、しかしその言葉には頼りがいを感じさせた。
「かおるさんは!」
「パイレーツ・オブ・カビリアンの力を見てこようと思って」
 まだ敵船まで距離があるというのに、かおるは既に剣を抜き払っている。
 つまりは距離を詰めて白兵戦に持ち込むつもりでいるらしい。
「かおるさん……気をつけて」
 アスナの声は不安に満ちている。
 この船に乗り込んでから、戦いを経験するのはこれが初めてなのだ。
「アスナ」
 かおるはこほん、と咳をした。
 他の船員はそれを聞き、耳を疑う。
 珍しく、彼らしくない芝居がかった仕草に思えたからだ。
 船長でもやはり女っ気が付くと変わるものなのか、と興味深く、しかしこっそりやり取りを聞いている。
「もう、誰も死ぬことはない。大マグロ漁船に乗ったつもりでいなさい」
 ああ……やっぱり何も変わってない、いつもの船長だ。
 たった一人の少女を除いて、彼らは皆そう思った。
 思わせたのは”マグロ漁船”という単語の力だろう。
 しかし少女アスナにとっては、後半の科白など問題ではなかった。
 誰も死なせないというその言葉だけを、頭の中で逡巡させて。
「絶対……絶対だよ! 約束してよ、かおるさん!」
 アスナはそう言いながら、数人の船員と共に船室の方へと走っていった。
 それを確認したうえで、かおるは呟く。
「ああ。死なんし、殺させんよ。ヤツらの為にもな」
 剣を握る手に力が篭った。
 けれどそれは自らの意思によるものではない。
 何故?
 かおるはそう疑問を抱いた。
 答えはしかし、誰かに問うまでもなく導き出せた。
 この手には、この身体には幾つもの力が宿っている。
 それは力強さばかりが先走るこの身に、優しさを与えてくれるあたたかい力。
(私は死ぬまで生きるぞ。そこで見ていろ――セルマ、マテウス、ミケ)
”かおるさん”
 そう、自分の名前を呼ぶ彼らの声。
 今だって直ぐに思い出せるし、忘れることは無いだろう。
(それにHIGEの奴もだ)
 自らの力を改めて試すかのように、かおるはひゅっ、と剣を一振りさせた。
 それはこの風さえも軽々と二つに裂いてしまう。
 人の身体など、音もなく切断してしまうだろう。
(……HIGE?)
 その奇怪な単語を浮かべた所で、かおるはふと気付くことがあった。
 ここ数日、ずっと不思議に思っていたことの答えが、偶然にも今ここで導き出せた。
(ヤツの仕業か。まさか)
 剣を持った右手から、力が急激に抜けていく。
 からんと音を立て、剣は地面に転がった。
「船長! 一体どうしたんでやすか!」
 駆け寄る船員のほうに振り返ることも出来ない。
 かおるはわなわなと震えていた。
「い、いや……。心なしか、最近ヒゲが濃くなってきたような気が……。まさか、HIGEの怨念がこの身に……」
「船長……」
 それはやっぱりいつもと変わらぬ調子の声。
 むしろいつも以上に、今日のこの人は切れている。
 船員達は皆、心の中でそう訂正を加えた。

 現れた船は確かにかなりの戦力を有していたが、アフリカで戦った海賊達に比べれば、やり易い相手ではあった。
 嵐に巻かれながら戦ったアフリカの海賊――彼らはまるで自らの命さえも惜しくないかのように、隙あらばこちらの船へと乗り込んでこようとした。
 しかし今対峙している船団は、遠巻きに砲撃を繰り返してくるだけで、零距離まで近付いてこようとはしない。
「まあ……普段、こうだったものね。アフリカのが異常だっただけだわ」
 戦いの途中にそう口に出来るだけ今回は余裕があると、アイは判断した。
 さっきから幾度と無く砲撃を浴びているが、”シャルトリューズ”には目立った損傷はない。
 距離が遠いせいもあるが、これまでのダウ船であったなら、衝撃を受けた際の揺れも比ではないほどに激しかっただろう。
「折角の新しい船だし、このまま無事にいられれば良いんだけど」
 彼女がそう口にしたのと、ほぼ同時であった。
 まとまっていた船団の陣形を割るようにして、一隻の船が飛び出したのは。
 崩れたのは敵の陣形ではない。
 こちらのものだ。
「……相変わらず、恐れを知らない人だわ」
 新鮮ならばバラの香りを持つものもあると言われる木材、ローズウッド。
 それを原料として造り上げられた茶褐色のアラビアンガレーは、行く手を遮るものが何も無いかのように、ただ敵船へと突貫していく。
 百人以上もの人間がオールを漕ぎながら進むその姿を見て、まるで百足のようだとアイは思った。
 その一隻に引き摺られるようにして、船団の他の船もまた、陣形を展開させていく。
 実際のところ、援護をしなくてもあの一隻で事足りるのではないか?
 そんな風に思っていたのはきっと、アイだけではなかっただろう。
 アフリカの海で、かおるはたった一人で百人もの海賊を相手にし、そしてそれを全て片付けたと言う。
 フェレットからそう聞かされたとき、さすがのアイでさえも耳を疑った。
 疑いはしたがしかし、完全に「有り得ない」と言い切ることは出来なかった。
 人々が抱く現実感さえも破壊するほどの力を、あのガレー船の長は持っているのだと、そう知っている。
 それでもやっぱり一隻での突撃は、傍目にはただの自殺行為に他ならない。
 フェレットの”フォスベリー”、パングの”嵐を呼ぶ鹿号”が後を追うようにして、敵船の方へと進み始めた。
 さらに続いて”オールド・ブラック・マジック”と、リィの乗るフリゲート船”コンスタンティア”もまた前方へゆっくりと進んでいく。
 下手に同時に進んでは、自船団の船同士で衝突を起こしかねない。
 自然と”シャルトリューズ”と、ルーファの”ヴェレーノ・プリンシペッサ”が殿として残される形となった。
 砲撃を交えながら、アラビアンガレー船と始めとした三隻が突っ込んでいく。
 一番近い位置にいた敵戦と、アラビアンガレー船が隣接する。
 それから僅か一時間足らずで、そこにあった敵の堅固な陣形には、槍で一突きにしたかの如くな穴が開いた。
 攻撃の手はそれでも緩まない。
 雨あられと砲弾を浴びせながらも、三隻の船はさらに進撃を続ける。
 アイは船上から、それをまるで創り上げられた鮮やかな手品を見るような思いで眺めていた。
 あまりに不謹慎だろう。
 そう言い聞かせようとしても、胸の高鳴りがやまない。
 ずっと欠けてしまっていたピースがようやく戻ってきた。
 視界の先に展開されている光景は、それを表しているのだ。
 船団に無くてはならない存在だった、かおるさん。
 それに、フェレさんもか。
 彼らと一緒に行動をしている時、不安に駆られることもあるけれど、でも心の底では「きっと何とかなる」と、何時だってそう思っていた。
 この人達とならば、どんな困難な道でさえも乗り越えていけるのではないかと――月並みな表現だけれど、思っていられた。
 今再び、自分はそう思えている。
 リィを初めとした新しい仲間達も加わり、大事だった場所はさらにかけがえのないものへと変わりつつある。
(私はずっと見ていよう。あの人達の姿を見守っていよう)
 そして彼らが助けを必要としているのなら、そこに手を添えてあげるのだ。
 今ここにある幸せの光景――どんな形をしているのか、よく知っているつもりでいる。
 だからそれが形を変えてしまわないよう、私はやれるだけのことをしよう。
(さすがに戦闘中に、それは不謹慎か)
 アイはその表情に笑みを刻むと、想いを胸の奥へと閉まった。

3

 明るかった空。
 それがふっと影に染まり、落ちてきたのは大粒の雫。
 まだ量は多くないけれど、やがて二倍にも三倍にも、数を多くして降ってくるだろう。
 つくづくついてない、とアイはそう呟いて捨てた。
「アフリカの再現はしたくないからね。いざとなったら何時でも逃げられるように準備をしておいて!」
 航海に嵐は付き物だと理解している。
 それでも何も、海戦の度に嵐を到来させなくても良いじゃないか。
 そう天に文句を言いながら、アイは自船団の動向を慎重に見やっていた。
 彼女の思惑とは逆に、陣の最前列にいる船たちは全く退く気配を見せない。
 下手に撤退する姿勢を見せれば追撃を受けるだろうし、戦局そのものはこちらが優位にある。
 どうせならば完全勝利で終わらせてやる……と、きっとそう思っているのだろう。
 相変わらずの勢いでアラビアンガレーは進撃を続けており、立ち塞がった二隻の大型キャラック船は蹂躙され、やがて動くことをやめた。
「えらく解りづらくなっちまってんな。前線は」
 ”シャルトリューズ”でも屈指の剣の腕を持つグラフコスが、身を持て余しながら言った。
 唯一”永久機関”のみが目に見えて派手な動きをしているが、他の船は皆混戦状態になっており、ここからでは敵味方の区別すらつかない。
「案外、新しい船を手に入れて調子に乗って引き際を見誤ってんじゃねえのか? 船長」
「そんなことは無いと思いたいけど……。確かにあの人達、冷静な時は冷静だけど、一端調子付くと止まらなくなるところがあるからね」
 アイが心配そうにそう口にする。
 声として出してみると、尚更有り得そうに思えた。
 さすが船団の中心人物である二人の船長をよく知っている。

「よーし! この勢いで敵を殲滅するぞ!」
 ”フォスベリー”の船上でフェレットがそう声を上げた。
 確かにアイの想像通り、彼は調子に乗っていた。
 それはまた、前方を行くガレー船が同様に調子付いており、他の船までも引っ張っていく勢いで無謀な突撃を繰り返しているからだ。
 とは言え船長が船長だけあり、そんな無謀ささえもまかり通っていた。
 最初六隻もいた敵の船は今や、たった二隻にまで減らされている。
 実際に姿を消した訳ではなく、既に戦闘意欲をなくしてその場に浮いているだけだ。
 それらをかいくぐるようにして”永久機関”が進み、他の船も続く。
 空が覆い隠されるほどの砲撃を浴びせる。
 快進撃はそれから数時間も――本格的に嵐が訪れるまで、続いた。
 大粒だった雨がある時を境に、いきなり石のような重さを持ち出したのだ。

「ヌォー!」
 丁度敵船に乗り込み、敵の船員を切りまくっていた最中であったかおる。
 驚き、空を見上げて叫び声を上げた。
 その隙に背後から槍が突き入れられるが、それすらも計算通りだったのか、避けると同時に反撃の刃を返し、その船員の命を奪った。
「何つう雨だ!」
 雨だけじゃない。
 風もだ。
 かおるはかつて印度で海賊をしていた経験があり、海戦の途中に嵐に見舞われたことは数多くあった。
 だからこそ、対応手段もよく知っている。
 そろり、と静かにだが素早く、踵を返す。
「ずらかるぞ!」
 さっきの叫びよりも遥かに大きい声で怒鳴った。
 自身の船へと戻るべく、そこから走り出す。
「えっ! 船長、これくらいならまだ……」
「こりゃ長く降る雨だ! 逃げとけ!」
 かおるの珍しく真剣な声を聞き、船員達もまた、目の前の戦闘を放棄して走り出した。
 剣戟すらも轟音にかき消されるようになり、このまま斬り合いを続けては余計な被害を出すだけ。
 そう判断したのは敵味方両方だったようで、心配されていた敵の追撃はなかった。

 アフリカでの死闘を光景を想起させるかのように、空間は雨と風に包まれて。
 それだけではなく、さらに霧が張り詰めて視界を遮っている。
 船はまともに身動きが取れぬようになり、何とか敵船と距離を取ろうとしつつも、しかし目立った航行が出来ない状況に陥った。
「参ったな。こりゃ……」
 ずぶ濡れになりながら、フェレットは見えない海を見ている。
 さっきまで共に行動をしていた二隻、”永久機関”と”嵐を呼ぶ鹿号”の居場所は把握している。
 未知の海域であるカリブで他の船とはぐれてしまえば、合流することは困難だろう。
 下手すれば、二度と合流出来なくなるかもしれない。
「ここまで雨が酷くなるとは。予想外でしたね」
「ちゃんと空を気にしていれば、予測出来たかもしれないが……。まずったな」
 副官ロッティーナ、そしてフェレットの声も、むしろ戦闘中よりも真剣さを増している。
 自然の脅威、それは場合によっては刃よりも遥かに鋭く、人の命を抉り取ろうとするのだ。
 後続の船の姿は全く確認出来ず、それどころかたった数メートル先でさえまともに状況を掴むことが出来ない。
「……僅かに、陸が見えるのがわかるか? ロッティ」
「ええ。戦闘中に少しずつ近付いて来てましたからね」
 前を行く”永久機関”の向かう先は、その陸地のようだ。
 船が停泊出来るほどの開けた地形を見つけたのだろうか。
「僕らも追おう。陸に停まって、嵐が去るのを待たないとな」
 ただでさえ、さっきの砲撃戦で大分船が傷付いているのだ。
 修理をする時間も欲しいし、このまま海に浮かんでいては新造船があっと言う間にスクラップになりかねない。
「アイさん達も、僕らの船の近くにいると良いんだけど……」
 海戦が始まってから、そう長い時間が経った訳ではない。
 霧が晴れればきっと、互いの姿を目視出来るようになるだろう。
 ひとまずは嵐をやり過ごすことだけを念頭において、”フォスベリー”、”嵐を呼ぶ鹿号”、そして”永久機関”の三隻は、一番近い位置にある大地へと上陸を果たした。
 念願のカリブ発上陸も、決して感動出来るような状況には無く。

 雨と霧に包まれて白く染まっていた空は、フェレットらが陸に降り立った頃には黒色へと姿を変えていた。
「やれやれ、第一印象は最悪っすね。カリブ」
 ”嵐を呼ぶ鹿号”の長であるパングの声は、あからさまな疲労感に満ちている。
「つまりこれからは良くなる一方だと、そう信じたい所だがな」
 返事をするカリタスの声も同様だ。
 彼が船長を務める”オールド・ブラック・マジック”も既に陸地へと到達している。
 一度ばらばらになった船団は、また再び在るべき姿を取り戻そうとしていた。
 ”オールド・ブラック・マジック”よりも数時間遅れて、”ヴェレーノ・プリンシペッサ(毒の姫)”が姿を現し、それからまた二時間程。
 僅かに雨の勢いが収まってきた頃に、一隻の船がこちらへと向かってきているのが見えた。
 船団の水夫達はそれぞれ船の修復作業に当たりつつ、その船が何処の所属であるかを確認しようとしていた。
 先程襲い掛かってきた船団の姿は、跡形もなく消えてしまった。
 撤退したのか、嵐に呑まれてしまったのかはわからない。
 しかし今向かってきているあの船は、まず海賊船ではないものと思われる。
 未だ行方知れずの二隻――”シャルトリューズ”と”コンスタンティア”。
 おそらくはそのどちらかだ。
 風の強さには波があるようで、今は僅かに緩やかなものとなっている。
 船は帆を開いたまま、出せるだけの速度で陸へと進んで来た。
「サムブーク……。シャットットルリューゼか」
 干し肉を食らいながら、かおるがそう口にした。
 素で間違っているのかわざとなのかは知らないが、やって来た船はアイの乗る船”シャルトリューズ”。
 これで一隻を残して、船団が再び揃ったことになる。
 残る一隻。
 リィの”コンスタンティア”だけが未だこの海域に姿を現さない。
(ああ見えて、あいつの船は腕利き揃いなんだ。海に呑まれた、なんてことは無いはずだ。……有る訳がない)
 フェレットも”フォスベリー”の修理に当たっていたが、全く身につかない様子で、その瞳はひたすら海のほうを凝視している。
 しかし、そこには何もない。
 水平線さえ見えない空虚な空間があるだけで、眺めていればいるほどに不安ばかりが募った。
(少しだけど……雨、止んできたか)
 これなら、再び海に出ることも可能じゃないのか?
 ふと、そんな考えが過ぎる。
 それでもまだ最初は”無理だ”という思いのほうが強かったが、考えれば考えるほどにそれは強い思いの波に押し返されて行き。
(カリタスさんに相談してみるか)
 やがてそう思い立ち、フェレットは”フォスベリー”を後にした。
 そしてカリタスの所まで行き、話を持ち掛けてみるものの。
「今は彼女達の事を信じてあげるんだな。この嵐の中、下手に出て行ったら、折角陸に辿り着けた水夫達の命まで危うくなるんだ」
 そう言われるだろうとは思っていたものの、やはり断られてしまった。
 カリタスの言うことが尤もな話であることは知っている。
 それでもフェレットは諦めきれなかった。
「何なら”フォスベリー”だけでも……」
「ともかく、もう少し待ちたまえ。船長が慌てていると、部下まで不安の渦に陥れることになる」
「それはわかってるんですが、けど」
「私からもお願いします。カリタスさん」
 そう挟まれたのは、女性の声。
 振り返らずとも誰のものか即座に判別出来る、よく知った声だった。
「フェレさんをこのまま放置しておくと、暴れてこの船団を壊滅させかねないですからね」
「アイさん……」
 フォローしてくれたかと思えば、言葉の内容はそんなだ。
 フェレットはどう反応していいか解りかねて、ただ困った顔になっている。
「それにリィちゃん達にもしものことが有ったら、幾ら後悔しても足りなくなりそうですから。たとえここにいるみんなが無事で済んだとしても」
「……それくらいなら、皆でカリブ海に沈んだほうがマシだと言うのか?」
「どっちか選べって言われれば。そうなりますかね」
 答えたのはフェレットだ。
 アイも静かに頷きを重ねる。
「まあ死ぬのは美味しいものを食べている最中だって決めてるんで、出来れば溺死は避けたいんですけどね」
 冗談めいた口調で、フェレットは最後にそうおどけた。
 やれやれと声を吐き、カリタスは少々わざとらしく、呆れたポーズを取って見せた。
「まるでこっちがごねているかのように思えてきたな。しょうがない、君達二人がそう言うなら従うとしよう」
「申し訳ないです」
 フェレットとアイ、二人の顔は歓喜に包まれている。
 とても申し訳無さそうには見えない。
「その代わり、私も付いて行くよ。幾らなんでも、皆がこの海の藻屑と化すことだけは止めねばならん」
「そりゃあ助かりますよ」
 華やぐ二人の表情。
 更なる話し合いの結果、さすがに全船で赴くのは危険過ぎるということになり、残るかおる達の船はこの場に留まることとなった。
 もしものことが有ったら、とアイはそう言ったが、彼女はその”もしも”の光景を欠片ほども想像はしなかった。
 フェレットに関して言えば最初はしていたかもしれないが、再び海に向かううち、それは記憶の外へと放られた。
 ”コンスタンティア”の船長である以前に、記憶を失くして独り倒れていた少女、リィ。
 思えば彼女との出会いは偶然に他ならない”運命的”と表現するのが相応しいものであった。
 そんな始まりをして、彼女と共に長く続けてきた航海。
 こんな中途半端な所で、まるで糸を切り落としたかのように、突然に終わってしまうはずがない。
 そうだ。
 何れ訪れるであろう終焉まで、それはきっと運命に導かれたものとして続くはず。
 それはあたかも、素敵な一編の物語のように――。
 アイはそう信じていた。
 いっそ終わりが訪れず、永遠に続けばいい……とも。
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  1. 2006/01/17(火) 23:37:28|
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