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航海タイム

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第十八章 血と雨と(後編)

7

 風吹き荒れる夜に、幾多もの船はそれに翻弄されるかのようにしてぶつかり合っている。
 冒険者の船のうち一隻は派手に海賊船と激突し、諸共海へと飲まれていった。
(何時終わる? 戦いも、嵐も)
 右手に握られた剣を見やった後、フェレットはそれを地面に放った。
 地面に落ちている別の剣を拾い、新たに持ち直す。
 元は誰のものだろうか? 自分の船の水夫のものかもしれないし、敵の海賊のものかもしれない。
 剣に刻まれた刻印……見たことがあるような気もするし、無いような気もする。
 そんなことを考えたのに、何故か思考は有耶無耶になってしまった。
 降り続ける雨のせいだ、とフェレットは判断した。
 極度の寒さのせいで、物事をまともに考えることすら難しくなってきている。
「……また、来る」
 視界の先は夜。
 海も、敵の船も、何もかもが黒一色に染まっている。
 ”フォスベリー”が戦っている敵の船の数は二隻。
 その二隻の海賊船達はさっきからずっと、近付いたり遠退いたりを繰り返している。
 撹乱の意もあるだろうが、まるで獲物を嬲り殺そうとしているのかのような、そんな動きだった。
 視線を船に戻し、周囲を見渡す。
 フェレットは愕然とした。
 四十五人の、皆見知った顔ばかりの水夫達。その殆どが地面に横たわっている。
(どうして、こんなことになってしまった)
 何人かはもう、こときれているだろう。
 大半は怪我と、極度の疲労によって立てなくなっているだけだ……そうだと信じたい。
 彼らを気遣っている暇は無い。
「船長! 敵船です!」
 副官ロッティーナの声だ。女性の声はこの豪雨の中でも際立って届いてくる。
 傍へと寄って来た彼女を見ると、その右肩に大きな裂傷が有った。
 フェレットは罪悪感に苛まれる。
「すまないな、ロッティ。僕のせいで……」
「怪我のことですか? それなら話は後回しです」
「しかし」
「死にたいのですか? 船長」
 その剣幕はフェレットの口を閉じさせた。
「海賊が乗り込んできたぞォーッ!」
 時を同じくして水夫の一人がそう叫び、二人は体に緊張を漲らせた。
 生き残りの水夫達――倒れていた水夫達までもが気力を振り絞り、立ち上がって敵へと向かって行く。
「私はここで、船長をお護りしますわ」
「ああ……」
 ロッティーナの声に頷くフェレット。その顔は悔しさに歪んでいた。
 何故、僕は護られる立場に居るのだ。
 ……かおるさんならば、先陣を切って敵へと突っ込んで行き――その力でもって戦いを有利に展開させるだろう。
 カリタスさんでも、上手く機転を利かせて劣勢を跳ね返すんじゃないか。
 それなのに何故、僕は。
 正解のない問題の答えを求めるようにして、フェレットの思いは闇へと沈んで行く。
 沈んで行こうとした。
 それを遮ったのは、眼前に突如現れた敵の姿だ。
「突破されたのか。こんなあっさり……」
 いや、船内は乱戦になっていて、最早誰もが自分の命を護るだけで手一杯になっている。
 現れた敵はたった一人。
 二メートル近いであろう巨躯に、巨大な鉄の斧を抱えている。
「いかにも力だけが取り得です、って感じね。醜いわ」
 毒を吐きながら、ロッティーナは一歩前に進み出た。
 傷口からは絶えず血が流れている。
「ロッティ……」
「下がってらして」
 フェレットを制し、ロッティーナは一対一で戦う態勢を取った。
 敵の海賊は下劣な笑みを浮かべてそれに応じる。
 素早く間合いを詰め、ロッティーナが放った突きの一撃――斧の大きな刃に、それは受け止められた。
 だが、敵の攻撃は大振りをするしかない。
 ある程度の間合いを取って連続で攻撃を仕掛ければ、対応し切れない筈。
 ロッティーナはそう判断をして、一歩後ろに下がろうとした。
「あぁっ?」
 しかし、そうさせてはくれなかった。
 彼女が後ろに下がろうとする丁度その瞬間を狙って、海賊はロッティーナの左足を蹴り付けたのだ。
 それだけでは大したダメージでは無いが、この雨のせいで足場が極端に悪くなっている。
 バランスを崩して、ロッティーナは転倒した。
 転倒しただけならまだ良い。
 しかし倒れた時の衝撃が右肩の怪我に響き、激痛のあまり剣を取り落としてしまった。
 そこに振り下ろされた斧の一撃。
 素早く体を回転させて、何とか回避する。
「野郎っ、ふざけたことを!」
 フェレットが割って入ろうとするも、何と言うタイミングの悪さか。
左から突如振るわれた刃。
 もう少し避けるのが遅れれば、フェレットの首は落ちていただろう。
 また、新たな海賊が現れたのだ。
「ちぃっ!」
 自分に向かって突き出された刃。
 海賊の刃を完全に避けることが出来ずに、左脇腹の辺りがぶしゅうと音を立てて裂けた。
 回避に専念していれば、そうはならなかっただろう。
 攻撃回避を試みると同時に、フェレットは反撃の刃を繰り出していたのだ。
 それは、現れたばかりの海賊の右胸の部分を的確に貫いた。
 殆ど同時と言ってもおかしくない程、近いタイミングでだ。
 刃を素早く引き抜き、今度は横薙ぎに払う。
 海賊の首を飛ばし、地面へと転がせた。それは僅かニ、三秒の出来事だ。
「ロッティ!」
 名を叫ぶと同時に、フェレットは振り返った。
 彼女はまだ海賊と戦っている。
 落とした剣を何とか拾い直し――しかし形成は不利のまま、海の側まで追い詰められていた。
 ちょっと押されれば、或いは足を滑らせでもすれば、一環の終わりだ。
 しかし足場の悪さのせいで、中々そこから抜けられない。
 フェレットは走った。
 ロッティーナと対峙している海賊のその背中に、剣を突き立てる為に。
 だが、距離は遠い。
 たった数メートルでも、この状況においてはまるで一つの海を跨ぐかのように、長く遠く感じた。
 斧の一撃をロッティーナはかわしたが、間合いから逃れられない。
 大きな左腕が、彼女の首を掴んだ。
 ロッティーナの口から、呻き声が漏れる。
 一瞬で意識が朦朧とする程、凄まじい力だった。
(そこで……止まってろ!)
 フェレットの怒り、その足が進む速さがさらに上がった。
 海賊は完全にロッティーナのみに気を取られている。
 両腕で細く白い首を握り締め、それだけに全てを注いでいる。
 待っていろ、今後ろからその背中を貫いてやる。
 彼のその願いはしかし、叶うことがなく終わった。
 ざっ。
 思わず耳を塞ぎたくなる轟音が、空間を裂いた。
 雨も、風も――空間に有る全ての音を吹き飛ばすような音が。
 確かに響いた、のだ。
 フェレットの耳には届いていたけれど、しかし実際には無音だった。
 ただ、その視覚には――彼の目には、それは確かに飛び込んできた。
 何も無かったはずの海から、その男は突如現れたのだ。
 聴覚を刺激し、錯覚させる程の強烈な印象を残して。
 海賊は海のほうを向いていて、ロッティーナを宙に吊り上げている。
 だから彼には何もかもが見えていたはずだ。
 そしてその意味を理解出来ぬまま、太い首はまるでビリヤードの打ち出された弾のように、皆の視界から逸れて飛んだ。
 支えを失い、どしゃ、と音を立てて地面に崩れ落ちるロッティーナ。
 フェレットの視線はもうそちらに向いてはいなかった。
 つかつかとこちらに歩いてくる、その男のほうだけを見ている。
 長い髪は生気をまるで感じない、白色……知っている、それが本来だと。
 肌の色も似たものだ。
 普段はただ淡い光を放っているだけの細い目は、今はまるで獣のように鋭く猛っている。
 なんと懐かしい。
 フェレットは思った。
 数週間前にも彼の姿を見ているはずなのに、何故だろうか。
 今初めて、その存在を実感した。
「どうやって現れたんです? 此処に」
「海上にたくさん船の破片が転がってたから、それを飛び移って」
 何も無かったかのように、会話を交わす。
 何時だってそうだった。
(飛び移って……えっ?)
 ロッティーナは自分では意識を保てていたつもりでいたが、その言葉は彼女に改めて、現在地点を強く認識させることとなった。
 現実では有り得ない、ここは夢の世界なのだ、と。
 大事な仲間の帰還。
 すんなりと受け入れて、フェレットはまた、戦いの場へと戻ろうとした。
 しかし。
 今までに見たことが無い表情をして、かおるの視線は僅かに下へと向けられた。
 何かを言おうとしていて、しかし口からは出ない。
「かおるさん」
 フェレットはそちらを向かずに、言った。
 視線は船上の、仲間達のほうを見ている。
「あなたは本当は色々なことを抱えてて、それはきっと僕でも、アイさんでも背負い込めない程のことで。それでも皆素知らぬ振りをして……何だかんだで、僕らはずっと一緒に来た。ずっとそうだったでしょう。だからそんな顔をしてないでください」
 あ、と何かに気付いたような声を出して、フェレットは振り返る。
 かおるの居る方角へと歩いて行き、その手前にいるロッティーナの手を取る。
 次に口にした台詞はしかし、彼女へと向けたものではなかった。
「言いたくなったら、聞きますよ。重すぎて背負い込めなくて、みんなで潰れるのも悪くない。ただ」
”ただ?”
 そう問う者はいない。
 フェレットは風の音を代用とした。
「今は後回し。溺死するのも船乗りらしいけど、大事な仲間に恨み殺されるのだけは勘弁願いたいんでね」
 透明色だったその声が、ぱっと赤色に染まった。
 悲しみよりも果てしない怒りに彩られて。
「ああ……」
 かおるはその手を、血が滲むほど握り締めた。
 そうだ、私がずっとここにいたならば、誰一人とも死なせはしなかった。
 この豪雨よりも、海賊よりも、ただ自らのことを憎いと思った。

8

 それから更に時間は過ぎて。
 冒険者達の生き残りの内大半は、皆同じことを思っていた。
 ”何故か戦況が優位に傾きかけている”と。
 或る一人の男の存在を知らぬ者はそう思い、知っている者は”何故か”の部分を取り除いて考えられていた。
(しかし今更優位に傾いても、ようやく五分と言ったところだ)
 慣れないガレー船から戦いの行方を占いつつ、カリタスはきつく唇を縛っていた。
 今更五分? いや、五分まで盛り返すことが出来ただけでも奇跡だ。
(何と言う男だ)
 頼もしさと恐ろしさを同時に感じるのは初めてのことだった。
 体力はもうとうに限界を越していたはずだ。
 それなのに、まだ動けているどころか力が沸いて来ている気さえする。
 何より敵のほうが、脅威に感じているだろう。
 ずっと戦況を見守るようにして、陣列から離れた場所にいる船が一隻有る。
 恐らくは、海賊の首領がそこに居るはずだ。
 そして敵の陣を真っ直ぐに突破している二隻の船を見て、首領は慌てふためいているに違いない。
 ”フォスベリー”、それに”永久機関”。
 各所を散々に破壊されたずたぼろの船はしかし、命の鼓動をこの海にまで伝えるようにして進んでいる。
(終わりだな。この二隻の船は、ここまでだ)
 今だってまともに砲弾を浴びれば、即座に沈みかねない。
 しかしそんな状態にある二隻の船が、快進撃を続けている。
 ”フォスベリー”は現在、一隻の海賊船と戦闘状態に入っている。
 その船さえやり過ごせば、陣の最深部に辿り着く。
 だが、敵は辿り着かせないだろう。辿り着く必要も、無いだろう。
(なら、全力でサポートをするだけだ)
 この船の主は今、自らの家を離れて戦地に赴いている。
 家族達は皆、頼りがいが有るけれども何処か頼りない、その家主に付いて行きたがっている。
 本来の船員ではないカリタスにはそんな気は無かったが、それでも今はただ、あの戦いぶりを間近で見ていたかった。

「行くぞオオォォウゥルゥァアッシャァオラァ!」
 獣の叫びと共に、敵船に雪崩れ込む戦士達。
 半数に減っていた”フォスベリー”の船員達も治療を行い、また幾らか動けるようになっている。
 先頭を行く男は隼と化し、それこそケーキでも裂くかのように人を斬って行く。
 フェレット達は付いて行くだけで精一杯だ。
「前に出過ぎるな! 自分の体力と相談して、やれると思う奴だけ進め!」
 一人の敵を辛うじて仕留めると、フェレットはそう指示を送った。
 先頭を行く男――かおるの後を無理に追っては、それこそ命が保たない。
 この海戦で何人もの仲間を失ったのだ。
 これ以上はもう、誰一人として死なせたくはない……いや、死なせない。
 最悪、かおるさんなら一人でも大丈夫だろう。
 いや、常識的に考えればそんなはずは無いのだが、けれど平気なように思える。
「船長っ、何なんですか! あの人は!」
 ロッティーナの叫びにフェレットは反応し、表情を崩した。
 戦場に居るにも関わらず、ふふと笑っている。
「ロッティ。あれが、あの人が」
「かおるさん、ですぜ。ロッティさん」
 船長の言葉を、傍に居た”フォスベリー”の船員が勝手に紡ぐ。
 楽しみを邪魔されたかのように、フェレットは細い目をしてその船員を見やった。
「……何なの、あの人は」
 独り言のように、ロッティーナはもう一度呟いた。
 思い出すのは、何時か倫敦でフェレットと交わしたやり取りだ。

『会わせたかったな、あの人と』
 ”フォスベリー”の船の上。
 剣の練習を終えた後にフェレットが呟いた言葉。
『かおるさんという方のことですか? ”永久機関”の船長だった……。よくその方のことを口にされますね』
『そりゃあね。ロッティもきっと、驚くと思うよ。戦ってみたらね』
『その方が私よりも強いと仰るんですか?』
『悪いけど間違いない』
『……船長がそこまで言うのなら、きっとそうなんでしょうね』

 あの時、内心では「そんなことが有るものか」と思った。
 しかしこの場においてはもう、考えを改めざるを得ない。
「人間じゃないみたいだわ……。有り得ない、常識じゃ考えられないわ。大体、名前からして変」
「ロッティ」
 びしり、とフェレットの声が届く。
「そこは突っ込んじゃいけない部分だ」
「はぁ……ごめんなさい」
「とにかく、やっぱり僕は思ったよ!」
 いきなり襲い掛かってきた海賊。
 その剣の一撃をフェレットは同じく剣で受けて見せる。
 隙を逃さず、ロッティーナは横からその海賊の体を断ち切った。
「僕も結構な時間、船乗りをやってるが……。今まで生きてこれたのはあの人がいたお陰だ。きっとこれからも、そうだ」
 一人無人の野を駆けるが如く突き進んでいく男を眺めながら、フェレットは誇らしげに言った。
「いえ、船長」
 ロッティーナの声に少しだけ、濁った色が混じる。
 雨と風の仕業か、フェレットは気付かない。
「これからは、違います。あの人と……私のお陰だと、そう訂正させてみせます」
 正面から見据えられて、フェレットは剣を持っていない手でこめかみを掻いた。

 かおるの前に、一人の男が立ち塞がっていた。
 歯をがちがちと鳴らしながら、かおるのことを睨み付けている。
「てめぇか? てめぇだな」
 槍を持ったその手が怒りに震えていた。
「てめえがいなければ、この戦いは俺達の圧勝で終わっていた。そうだろう」
「わがんね」
 すこぶるどうでも良いと言いたげな表情をしているかおる。
「いいか。俺はこの船の、いや、この船団で……」
 その海賊はまだ前口上を述べている途中だ。
「にッ?」
 にも関わらず、かおるは襲い掛かった。
 激しい剣戟が鳴り渡り、詰められた間合いはまた、離される。
「卑怯な奴! だが、そうでもしないとこの俺には勝てねぇだろうからなァ!」
 響く男の声。
 かおるは知らん、と吐き捨てた。
「いいか、俺の名はサビニ! この船団で最も強い男だ! この俺を殺せたらてめぇらの勝ちを認めてやる、だが絶対にそんなことは有り得ん!」
「いや、だから」
 交差する剣と槍。
 剣は胸の肉を抉り、槍は空だけを裂いた。
「ッヌォッ!」
 怒号を上げ、海賊はもう一度槍を突き出そうとした。
 が、予測不可能な速度で剣が繰り出され。
「ッッ――?」
 斬ったのでは無い、正面に突き出した一撃だ。
 なのにまるで横薙ぎにしたかのように、それは海賊の胴体を真っ二つに砕いた。
 上半身だけが地面にごろりと転がる。
「スワヒリ語で言われてもわからんて。ほら、私印度人だから」
一仕事を終え、かおるはスペイン語でそう言った。
 気付けば何時の間にか雨の勢いは和らいでおり、空からはゆっくりと日の光が覗き始めていた。

9

 数日の間、ただがくがくと震えているのがレティシアの仕事であった。
 ”シャルトリューズ”は後陣に配置されていた為、幸い戦闘回数は他の船に比べれば少なく、彼女のいる船室にまで敵が迫ることはなかった。
 それでも絶えず剣戟が響き渡っており、レティシアは自分の無力さを呪うよりもただ只管恐い、恐いと心で繰り返していた。
 ずっと絶えなかった剣戟、それが今になってようやく途絶えた。
 何もかも掻き消すほどの豪雨の音も、果てしなく吹き荒れる風の音も……聞こえない。
 しかしそれを好意的に受け止めることは出来なかった。
 例えばアイさん達がみんな、やられてしまった。
 或いは実は何時の間にかこの船が転覆していて、ここは水中だから何も音が聞こえない。
 間も無く船室にも水が入ってくる。
 ……それとも自分が実は飢え死にしていて、ここはもう現世では無いのだとか?
 考え付くばかりの、少し現実離れした事象ばかりを想像し、レティシアはまた体を震わせた。
 さらに数分もそんなことを考えた後、船室の端で縮こまっていた彼女は、立ち上がった。
(……確かめてみようか)
 恐る恐る、船室の扉の方へと近付いて行く。
 どうしようか、開いた瞬間、そこに屍ばかりが転がっていたら。
 或いは出て直ぐのところで、海賊が待ち伏せをしていたら。
 散々迷って、また時間を掛けながらも、レティシアは少しずつ足を進めていった。
 ようやく、ドアのノブを手に掛けるところまで行く。
 がちゃり。
 開いて、ドアが少し動いた。
 しかしそれは、自分の力によるものではなかった。
「ひ、あああぁぁあ!」
 そこからぬっと現れた白く細い手。
 殺される、とレティシアは思い、そのまま声にして叫んだ。
「レティちゃーん!」
 どが、と強烈な音を立てて、胴体にタックルを浴びる。
 確かに死んでもおかしくない程の衝撃だった。
 最初に座っていた位置まで吹き飛ばされ、レティシアは地面に転がった。
「あ、あが……」
「あっ、つい力の加減が!」
 言いつつも、緑の悪魔は手を緩める様子がない。
 素早く駆け寄ってきて、レティシアの体を中空に持ち上げた。
 海に投げ捨てる? いや、このまま絞め殺される?
 もうどうにでもなれ、とレティシアは思った。
「レティちゃん! 終わった、終わったのよ!」
「えっ?」
 終わった……自分の命が? いや、違う。
 レティシアはようやく認識した。
 目の前に居るのは悪魔ではないということを。
「アイさん。終わったって、何が?」
「この戦いがよ! 海賊達は逃げていったの!」
 アイはレティシアを宙に抱いたまま、ぐるんぐるんと自分ごと回転した。
「それじゃ、勝ったの……?」
 信じられないといった声でレティシアは訊ねた。
「うん。こっちもぼろぼろだし、声を大にして勝ったとは言えないけれどね。でも、敵もこれ以上の戦いは無益だと判断したんだわ。きっと」
 海賊を全滅させたかと言えば、精々半数を沈めた位だろう。
 被害が甚大なのはこちらも同じ。
 単純な戦果で言えば、冒険者達の船団のほうが劣っているかもしれない。
 しかしそれでも、確かに海賊達は退いていったのだ。
 双方が望んだ戦いだったが、全滅寸前まで争うことは不毛だと判断したのだろう。
「とにかくそうなのよ。だからレティちゃんも早く外に来て! 皆もうゆったり休んでるわ」
 拒否権というものは最初から用意されてなかったらしく、レティシアは抱かれたまま船室の外へ連れて行かれた。
「おっ、来たか。ガキ」
 グラフコスの乱暴な声が響く。
 それすら懐かしいとレティシアは思った。
 皆甲板の上にそのまま座って、今にも寝そべりそうな態勢を取っている。
 大半が怪我を負っているし、さすがに酒を飲んではいないようだ。
「しかしよくもまあ、ここまで盛り返したもんだぜ。確実に負けたと思ったのにな」
 グラフコスの声に、他の水夫達もこぞって同意の声を連ねた。
「最初は明らかに劣勢だったからな。ほんのさっきまでそうだったのに、気付けばこちらの勝ちだ。嬉しいけど、どうなってんだか」
「俺なんかもう、絶対に自分は死ぬと思ってたよ。今こうやって話せてんのが奇跡だ」
(そっ、そうだったんだ……)
 やっぱり船室に閉じ篭っていて良かった。
 レティシアは今更ながらに全身を震わせた。
「アイさん。アイさんはどうしてだと思う? なんでこっちの船団が勝てたのか」
 振り向き、その先でレティシアはきょろきょろとした。
 さっきまでここにいたはずの姿が何時の間にか消えている。
「アイさん?」
 四方を見回して、ようやく彼女の姿を見つけた。
 朝焼けに彩られた空のほうを――海の先を、彼女は眺めていた。
 船の姿は殆ど見えない。
 ただ景色だけを眺めているのだろうか?
「おかえり。また一緒にお酒飲もうね」
 そう、アイは言った。
 声を向けた先は遠い彼方。
 この海の向こうに浮かぶ船に、彼が居るのだと知って。
 その声は、少しだけ穏やかになった風にさらわれていった。


 アフリカの海から嵐が過ぎ去って、十日以上も経った或る日。
 同時に、死闘を繰り広げていた両陣営の船達もそこから去って行った。
 噂は海を渡り、アフリカの町々にまでも届いている。
 命知らずの冒険者どもが、周辺を牛耳る海賊どもを撃退した、と。
 当然、その噂はルアンダにも。
 それが届く前にも、届いてからも、アスナはずっと不安に苛まれて日々を過ごしていた。
(マグロ漁に行く……って。そんなの、誰も信じる訳が無いじゃない)
 冒険者、海賊。
 あの人は間違いなく、そのどちらかに混じっている。
 ――初めて出会った時、あの人は海賊だった。
 私達は身寄りが無くて、必死にお金を貯めて……平和な土地で暮らそうと、船乗りの人に無理を言って船に乗せて貰って。
 旅の途中、その船の水夫達を皆殺しにした海賊。
 それがあの人だった。
 ……この間ルアンダに来た人達は、自分達のことを冒険者だと名乗っていた。
 かおるさんは今、一体誰と一緒に居るの? 何をしているの?
 そんなこと、どうでもいい。とにかく早く帰って来て。
「ねぇ、アスナ」
 小さな家の中に、声が響き渡った。
 この間の激しい風にも、ぎりぎりで耐え切れたと言った所だ。
 じき、潰れてしまうかもしれない。
 振り向くと、そこにはセルマがいた。
 血が繋がった家族では無いけれど、愛しき少女。
「どうしたの?」
「それがさ」
 セルマのものではない声が響いた。
 ひょっこりと姿を現したのはマテウスだ。
 後一人、ミケを加えて四人。
 今までずっと生死を共にしてきた、大切な人達。
「俺たちすぐそこで遊んでたんだけどさ。ミケの奴がどっか行っちゃったまま帰ってこないんだよ」
「えっ」
 アスナは激しく動揺をした。
 丁度嫌な予感がしていた所だったのだ。
「迷子……になったのかしら。この辺りは何も目印になるようなところが無いから……」
 ミケはこの四人の中で最年少の子供だ。
 元々無口で大人しい少年だけに、不安も尚一層高まる。
「被ってた帽子が落ちてたの。ねぇ、大丈夫かなあ」
 セルマの声は泣き出しそうな程に沈んでいた。
 マテウスも同じだ。
 彼は強がりだから、中々素の感情を表に出そうとはしないけれど。
「ねぇ、アスナ。どうしよう」
 二人の声がほぼ同時に響く。
「二人とも、ここで待ってなさい。私が探してくるから。わかったわね」
 アスナは言うと、返事を待つことなく外に出て行った。
 時刻は夕刻。
 なのに空は眩しいほどに晴れ渡っていて。
 いつもとは何かが違う――そんな雰囲気をしていた。
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  1. 2005/12/25(日) 03:59:18|
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