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航海タイム

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第十八章 血と雨と(中編)

4

 左右からは風が横殴りに襲い、上空からは小石程の重さをした雨が絶えず降り続ける。
 そんな光景の中に、数十隻もの船が埋もれていた。
 嵐の中でも航海を続ける船乗りには愚か者の烙印を押される。
 下手に風に煽られれば転覆する可能性も有るし、でなくとも船員が船に落ちる危険も考えられる。
 次の町へ、或いは未知の場所へと向かう航海になる訳など無く、それは言うならば死への旅路のようなものだった。
 だが、今この海ではそんな船乗りの常識でさえ、通用しないのか。
 かつて見た事のない海の風景を見やりながら、フェレットは疑問ばかりを頭に並べていた。
 勝負を急がなければ、間違いなく双方に多大な被害が出る。
 そのはずなのに、海賊達はまるで波のように海を漂うことだけを繰り返し、目だった行動を取ろうとしない。
 攻めて来るかと思いきや、或る程度まで進んだところで退き、そしてまた押し寄せてくる。
 操縦が下手で、この風に良いように蹂躙されてしまっているとか?
 フェレットはあれこれと思案を巡らせ――やがて、一つの考えに行き着いた。
「恐らく、だけど。海賊達は僕等の船を分断しようとしてる」
「分断?」
 雨にかき消されそうだったその声に、辛うじて返事が行く。
 ロッティーナを始め、船員達は皆船長の方へと近付き、言葉の続きを待っていた。
「あいつらはさっき、白兵戦に持ち込むべく接近してきたかに見えた。けど、また波のように引いてったろ? 多分近付いてみて、わかったんだ。僕等の艦隊がまだにわかのものでしか無いってことに」
「……確かに冒険者の艦隊は、あからさまに散漫な動きをしています。しかし海賊達がそう知ったと言うのなら、わざわざ退く必要は無いのでは?」
 ロッティーナのその声は震えている。
 雨にずっと打たれたままで、少しずつ体温が奪われてきているのだ。
「だが僕等はずっと、敵の不規則な動きに混乱させられていた。周囲の”コンスタンティア”や”永久機関”が見えるか?」
 言うと、フェレットは雨霧に包まれた先を指差した。
 一見そこには何もないが、目を凝らして見れば、僅かに船の形が確認出来る。
 そしてその船は、出発した時よりも明らかに小さな姿へと変化をしていた。
 水夫達がそれを理解した上で、フェレットは話を続けた。
「少しずつ、船と船の距離が離れてってる。強風で流されていっているせいもあるだろうし……それに艦隊が、敵の不規則な動きにいちいち乗せられてるってことだ」
 押し寄せては引くのを繰り返す海賊達の船、修練度の浅いこちらの艦隊を撹乱しようという腹か。
 そうすれば細かく打ち合わせをしていないこちらの艦隊は、どう動いて良いか判らずに個々の考えだけに頼ることとなる。
 敵の動きに気をとられるあまり仲間の船との連携がおろそかになり、保っていた距離を離してしまったと言う訳だ。
「船長、敵の船がまたこちらに近付いて来ます!」
 水夫の一人がそう叫び声を上げる。
 また或る程度まで来たところで、後方へと退くつもりか。
 それとも機は熟したとみて、そのまま攻めて来る?
 見極めるより先に、”フォスベリー”へと砲弾が到達した。
 たった一撃だが、強風による揺れと混ざって、船には大きな衝撃が走った。
 フェレットは咄嗟に掴まって堪えたものの、数人の船員は耐え切れずに転倒する。
 船体に直撃はしなかった。
 ラティーンセイル(三角帆)が砲弾を浴び、破れた帆がそのまま風に吹かれ、海へと沈んでいった。
「直ぐ張り替えろ!」
「イェッサ!」
 フェレットの声を受け、数人の船員が素早く交換作業に当たろうとする。
 だが、それもまた強風に遮られることとなった。
 激しい揺れの中でまともに帆の張り替えが行える訳などなく、作業は難航した。
「くっ」
 フェレットは舌打ちをした。
 こちらが身動き取れなくなっているのも海賊達には解ってるのか、さらに加速して向かってくる。
 ――今度は牽制じゃない、本当に攻めてくるつもりだ。
 敵の進軍が殺気を帯びたように、フェレットには思えた。
「帆を張り替え終えたら、白兵戦に備えろ! 舵は回さなくていい!」
 そう指示を叫んだ。
 どのみち、この混乱状態では目立った行動は取れない。
 ”フォスベリー”だけでなく、他の船もだ。
 最早こちらが取れる行動は、敵の思惑の通りに超至近距離での戦いに応じることのみ。
 敵は遠距離戦でもこちらを圧倒していたのに、それでも接舷するつもりか?
(それ程自信があるってことだ。白兵戦にも)
 今自分達が相対している敵は、アフリカの海を制する海賊達。
 自信があって当たり前だ。
 僕ら冒険者が、旅の果てに手に入れた”未知”を自らの糧とするように、彼らもまた他人の船を襲い、命を貪り、それを自らの血肉と変えてきたのだろう。
 ――だが、僕達だって! 
「良いか、皆よく聞いてくれ」
 フェレットの声は決して大きなものではなかった。
 雨に掻き消されそうなその声は、しかし船乗り達の耳へはっきりと響く。
「正直なところ、僕らの艦隊は相当まずい状況にいる。船と船は分断されて、敵は僕らを各個撃破するつもりでいるんだろう。そして僕らに出来る事はただ一つ。自らの命を落とさないようにして、船へと乗り込んできた敵を撃退する、それだけだ」
 数年も航路を共にしてきた仲間達、その声を聞くことにも慣れていた。
 これから始まるであろう惨劇を知りつつも、一人として不安な表情を浮かべてはいない。
 揺らぐ心を必死に覆い隠しながら、彼らは黙って話を聞いていた。
「”フォスベリー”は普通の船じゃない。他のキャラック船と違い、一人欠けただけで航行不可能になっちまう、不完全な船だ。良いか、誰一人として欠けるな。何より命を最優先してくれ」
 そう静かに言い終えると、水夫達からは歓声にも似た叫び声が沸き起こる。
 船長の言う通りだ、ここで死んでたまるものかと。
 押し寄せる行軍は不吉な気配を帯びているように感じ、それを振り払おうと皆必死であった。
「船長。貴方の事は、私がこの命に代えてもお護り致しますわ。ですからどうぞ、ご心配なさらぬように」
 傍にいた女性、ロッティーナがしっかりとした口調でそう、言った。
 フェレットは困ったような笑みを浮かべる。
 今言ったばかりなのに……と。
「僕だって自分の命くらいは自分で護れるさ。それより、ロッティ」
「はい?」
 その声と次の言葉の間に、数秒の時間が空く。
 フェレットはちょっとの勇気を振り絞って、言葉を口にした。
「くれぐれも死なないでくれ。この船は四十六人乗りで、そのうち一人分は女性席として固定されてるんでね」
「女性席」
 ロッティーナはその意味を深く考えようとはせず、ただ言葉の通りに受け取った。
 意識して、数秒の後にその頬を僅かに赤らめ、あたふたとした。
(女性……女性。女性――)
 たった一言だったその声を、ロッティーナは何度も心の中で繰り返した。
 この興奮が傍目にはどう映っているか、さらに数秒が経ってからやっと気になりだす。
 それでももう、彼女はどうこうしようとは思わなかった。
 はしゃいだままで、純真な笑みを浮かべながら言葉を返す。
「そうですよね。私がいなかったらみんな、満足に掃除も出来ないような人達ですもんね……私が頑張らないと!」
「……申し訳ない」
 フェレットはたははと苦い笑いを浮かべた。
 彼女に言わせれば、相変わらずの頼りない船員であるのだ、僕等は。
 あっと言う間に素に戻り、何故か謝罪の言葉を口にさせられるフェレットであった。
 この女性の性格にもまた、何時の間にか慣れを感じていた自分がいる。
 あのどぎつい性格がこの船に馴染むのかなあと思いもしたが……今にしてみれば、彼女はちゃんと常識を持った女性であり、かおる等に比べれば遥かに付き合い易い人間であった。
 失いたくないものの一つだ、彼女もまた。
 彼女だけじゃない、この船の水夫達皆も、アイさんやリィ達、何もかも失いたくは無い。
 それは欲張りなのか?
 こんな状況であるのに、そう誰かが問い掛けて来た。
(何かを犠牲にして手に入れた幸せは、きっとかけがえの無いものになるだろう)
 無言のままで、フェレットは応じる。
(けれど僕は何をも失いたくない。大切なものを全て傍へと置いて、自分は今幸せだ、楽しい航海をしてるんだって、大声で叫びたいんだよ)
 返事はそこまでで終わった。
 それ以上に言いたいことはもう、何もない。
 噴出しそうな感情を抑えて、フェレットは海の先ばかりを睨み付けていた。
 豪雨の中、再び砲弾が飛来する。
 この視界の悪さだ、敵だって”フォスベリー”の位置を完全に捉えているはずはない。
 なのに、砲弾は船を直撃した。
 雨音を越える激しい轟音が鳴り渡り、そこにあったものが、まるで何も無かったかのように壊れて行く。
 辛うじて攻撃は船首楼を逸れたが、受けたダメージは少なくない。
 被害状況を確認すべくその場に集まる船員達。
 フェレットがまず始めに到達し、瓦礫の山を至近距離で見やった。
 目立って壊れた道具などは見当たらない。
 だが――フェレットは固まった。
 驚きも悲しみもせず、ただ、普段の表情のままでそこに止まった。
 そこにあったものを、彼の全てが拒絶して、受け入れないままでいる。
「パベル?」
 イスパニア、アンダルシアに住んでいた時からずっと一緒だった友人。
 運悪く砲弾を浴び、無残な屍となってそこにいる。
 その光景を、ただ黙ってずっと眺めた。

5

「おい見ろよッこの船! 女しか乗ってねぇみたいだぜえ!」
 下卑極まりない声が響いた。
 男としての欲望のままに吐かれた声はしかし、”コンスタンティア”の船員達に恐怖を抱かせた。
 視界の悪さに紛れ、敵がここまで来ていたことに気が付けなかったなんて。
 リィはそう歯噛みをし、剣をぎゅうと握った。
 フリュート船”コンスタンティア”の周囲を幾つかの船が取り囲んでいる。
 接舷してきたのは一隻のみで……他は牽制するかのように、ぐるぐると回っているだけのように見えた。
 この船じゃなく、他の船を狙っているのか?
 視界の悪さのせいで、それすら判別出来なくなっていた。
「みんなっ、絶対に離れないで、固まって動いて!」
 リィがそう、大声で指示を送る。
 ”コンスタンティア”の船員は皆女性、中には目に見えて怯えている者もいた。
(いけない、こんなんじゃ……)
 叱咤しても、彼女達の恐怖を取り去ることなど出来ないだろう。
 だが、怖がっているだけじゃ――どうなるかは目に見えている。
「撃って!」
 リィの声と共に、放たれる銃撃。
 それを浴び、船へと乗り込んできたばかりの海賊数人が、音を立てて地面に倒れ伏す。
 しかしそれは皮肉にも本格的な殺し合いの始まる合図となった。
 喋っている余裕は無いと判断し、海賊達もまた全速力で襲い掛かってきたのだ。
 まだ距離はある。
 幾つか取って置いた弾丸を改めて放ち、さらに海賊達を負傷させる。
 が、彼らの進撃は弛まない。
 こちらの船員は三十二人……敵は何人いる?
 リィが僅かに視線を動かした瞬間、
「ひゃはぁーッ!」
 狂気じみた声と共に、剣戟が襲い掛かった。
「くっ――!」
 敵が迫っているのは知っていた。
 それを冷静に払い除け、返す刃で首を海へと飛ばした。
 傍に居た副官リズウィーが言葉を失う程、鮮やかな手並みであった。
 そうしている彼女にも、直ぐ様刃が襲い掛かる。
 船内はあっと言う間に乱戦になった。
 リィも再び別の海賊に襲われ、刃を繰り出すもなかなか有効打を浴びせられない。
 警戒されて、敵は距離を取って攻撃を仕掛けてきているのだ。
 鋭い突きをリィは刃でかわし、そのまま攻勢へと転じようとする。
 そこに、シャワーのように背中へと降り注ぐものがあった。
 降り続く雨と同質のものであるはずなのに、それはやけに生暖かく、粘つくようにしてリィの身体を汚した。
 リィの剣は今度は違わずに海賊の体を捉えた。右腕を落とし、続く二撃目で胴体を叩き割る。
 そうした後にようやく振り返り、自分の背中に掛かった血が誰のものであるか、改めて確認をした。
 振り返った先には息を切らしているリズウィーがいて、地面に倒れている海賊がいる。
 降り注いだ血は、海賊のものだった。
「船長」
 興奮状態のまま、リズウィーが呟くように言う。
 だが、彼女は直ぐに表情を固めた。
「船長、大丈夫ですか! 怪我は……」
「私? うん、平気よ」
 彼女が何故慌てているのか、リィは解りかねた。
 だが改めて体に降りかかった液体の匂いを感じ、そして気付く。
 血は背中だけでなく、前半身にもべったりとこびりついていた。
 海賊二人を切った際についた返り血だ。
 この叩き付ける雨を受けても、それらはまだ意地悪く残ったままであったのだ。
「きゃあっ!」
 突如として、リズウィーが悲鳴を上げた。
 倒したと思っていた海賊がまだ生きていて、そいつに右足を引っ張られたのだ。
 予想外のことに対応できず、リズウィーは転倒した。
 虫の息の海賊は最後の力を振り絞り、手にした短剣を彼女の体に刺し込もうとする。
 だが、ここでもリィの動きが勝っていた。
 直ぐに何が起きたかを理解し、短剣が届くよりも先にリィの剣が海賊の右腕を刎ね、そして止めを刺す。
「船長」
 リズウィーは状況が飲み込めず、ただ呆然としていた。
 リィのことを凄いと、そう思う暇すらない。
「ねぇ、リズウィー」
 リィは逆に問い返した。
 まだ戦いは始まったばかり。
 周囲では耳を背けたくなるほど、数十の剣戟が鳴り響いて止まずにいる。
「私、殺されたくないもの。だから、倒すしかないよね……?」
 何よりこの状況が掴めていないのは自分。
 自分は今、どうしてここで……人を殺している? 殺せているの?
 今ここにいるのは、もしかしたら自分では無いんじゃないか。
 別の人格が私の身体から這い出してきて、そいつが戦っているのでは――リィはそんなことすら思った。
(だって、おかしいもの)
 私はこんなに戦えるはずはない。
 銃の腕に関して言えば相応の自信は有ったけれど、剣の腕はここまででは無かった。
 なのに、どうだ。
 瞬く間に二人を切り伏せ……自分は全くの無傷。
「船長っ!」
 リズウィーが叫ぶ。
 再び海賊が一人、リィへと刃を向けて来たのだ。
 俊敏な動きで、それを受けてみせる。
(これが私?)
 こんなに疑問を抱きながら、それなのに体は自然と、覚えていることを実行する。
 幾度か切り合った後、海賊はリィの刃を受け、死んだ。
(嫌だ、こんなの)
 私よ、掻き消さないで。
 あの楽しかった思い出の日々を、連れて行かないで。
 楽しかった日々。
 フェレットと出逢って直ぐ、”フォスベリー”の船上での一幕をリィは思い出した。
『――これ、どうするんですか?』
『どうするも何も、一つしかないだろう。これから僕等と行動して、任務をこなしてく上で……それなりの戦闘技術はどうしても必要になる。一朝一夕で身に付くものではないけど、せめて基礎くらいは教えておこうと思ってね』
 あの人はそう言って、私に剣を教えてくれた。
 今思えば彼も半分ふざけていたのだろうけど、初めて振るう剣は興味深くて、楽しさも感じた。
『これなら、鍛えたら結構なモノになるかもしれないな。よし、それじゃあもう一度』
 そう、言ってくれた。
 ……騙していたの? 私は、あの人を。
 思いとは裏腹に、彼女の視線は敵を探した。
 血を流して倒れている女性船員アタリーの姿が視線に飛び込んで来、付近にいる海賊の姿もまた目に入る。
 あいつを倒さなきゃいけない。
 私はこんなんじゃない。
 感情は休む間も無くせめぎ合いを続けている。
(許さない)
 しかしその華奢な足は迷わず、敵の下へと向かっていった。

 ”フォスベリー”、”コンスタンティア”よりもさらに後方に、”シャルトリューズ”はいた。
 船長アイは元々戦いが本分ではない。
 なるべくなら避けたいと思い、今回の戦いでも後方に配備してもらえるよう、予め話を通しておいた。
 しかしその位置までも敵船は到達し、他の船と同じように”シャルトリューズ”にもまた、黒き肌をした海賊どもが上がり込んできていた。
 アイが戦い嫌いとは言え、船員達は常々万が一の事態に備えての訓練をしてはいたのだ。
 伊達に百戦錬磨のガレー船”永久機関”の面々と一緒に旅をしていた訳ではない。
 決して優勢ではないが、海賊達と互角以上の戦いを繰り広げていた。
「おいっガキ! お前そんなとこから顔出してると、マジで殺されかねンぞ! 逃げてろ!」
 船員の一人、グラフコスが怒鳴り声をあげる。
 二十歳半ば程の年齢をした、頬に大きな傷をもったその男、剣術の腕には確かな自信を持っていた。
 船長を守るようにしてぴたりと動かず、向かい来る敵を片っ端から切り伏せている。
「ちょっとっ、誰がガキなのよ! あとで覚えててよ!」
 船室の方から聞こえてくる可愛らしい声は、すっかり”シャルトリューズ”のマスコットと化しているレティシアのものだ。
 しかしグラフコスの言うことが正しいのは解っているようで、言葉を言い終えると即座にその姿を引っ込めた。
「船長、こりゃ相当ヤバいことになってるぜ」
 ひとまず周囲の敵を倒し終えたと見て、グラフコスはそう、アイへと話し掛けた。
 彼女はと言えば、緊張した面持ちのままでそこにいる。
「前線を突破されて、敵がここまで来てるんだものね……。隙間を抜けられたのかもしれないし……みんな沈められたのかも、わからない」
「ああ。下手したら航海はここで終わるかもわからん」
 その声に、アイは返事を出来なかった。
 可能性は決して低くは無いのだ。
 あまりに不利な状況を突き付けられて、空元気を出す力さえもう体からは失われていた。
「……ま、死んでもゴメンだがな」
「え? グラフ、何が?」
 固まっていたアイの顔がきょとんとなる。
 敵はまだ、こちらに来る様子はない。
「折角見つけた旨いメシを食わせて貰える場所が、失くなるのは御免だって事だよ」
「お酒ばっかで毎日辛くなかったかしら」
「酒は好きだからな。……俺はここに来るまでは殆ど、獣みたいな生活をしてたんだよ。この船に乗って初めて知った、あれは人間の暮らしじゃなかったってな。静かな場所で飲む酒の味ってのも知ったな。それに」
「それに?」
「たまぁに船長自ら料理を振舞ってくれる日があるだろ。あれで、何だ……その。”おふくろの味”って意味が、ようやく解った気がしたんだよ」
「おふく……」
 その言葉を耳にして、アイの表情から色が失われた。
 今ここにある緊張に、さらに別種の緊張感が混じり込む。
「……嬉しいけど、せめてもう少し私に相応しい表現は思い浮かばなかったのかしら」
「この状況じゃ、あまり考えてる暇も無かったよ」
 嘘だ、絶対今の言葉が一番似合うと思って言ったでしょう。
 アイは心の中でそう断言をした。
  姉御、酒飲み船長……それに加え、新たな通り名がまた一つ。
 ――お袋。
 自らの行く末が心配になり、アイは思わずその場に崩れ落ちそうになるのであった。

6

 カリタスは険しい表情をして、海の方を見やっていた。
 閉ざされた視界の先に、幾らか知った姿をした船を発見したからだ。
(あれは、確か)
 キツネを象った紋章を掲げたキャラック船。
 あの男、ジャン・イーヴが船長をしていた船だ。
 砲弾を浴び、撃沈されたのは見ていた。
 その時はもっと離れた場所にいたはずだが……強風に煽られ、流されてきたのか?
「接舷してくれ」
 カリタスが指示を送り、”永久機関”はその船へと近づいて行った。
嫌な予感はしていた。
 風のせいで一ヶ所に留まっていられない二隻の船、ぎりぎりの所まで近づいて、橋を架けた。
 その船はすっかり生気を失っていて、人の影は全く確認できない。
(駄目な様だな)
 白目を剥き、血を流して倒れている人間の数、船内を探し回るうちに十を超え、二十を超え。
 船員達は皆沈痛な表情をして、ただその光景を眺めることしか出来なかった。
(もし生存者が誰一人としていないのなら、早めに捜索を打ち切るべきか)
 こうしているうちにも海賊達の静かな行軍は続いている。
 今”永久機関”を狙われればひとたまりも無いだろう。
「よし、”永久機関”まで戻っててくれ。船室を見ている水夫達が帰って来次第、私も戻る」
 カリタスは早々に指示を下し、付近にいる船員達を元の船へと帰らせた。
 あと数人、船室の最奥部まで捜索に行っている水夫達が帰ってきたら、自分も戻るつもりだ。
 恐らく生存者はいない……もしいたとしたら、この状態で船室に篭っていることは考えられない。
 操舵をしなければ船は果てまで流されて行き、それは死と同義なのだから。
 だが幸い、カリタスの予想は外れた。
”永久機関”の船員達は数人の生き残りを連れて、船室から戻ってきたのだ。
 その中にはこのキャラック船の長、ジャン・イーヴの姿も含まれていた。
「無事だったか」
 カリタスは無愛想な声でそう、爬虫類顔をした長身の男へと声を掛けた。
 ジャン・イーヴの右手には剣が握られたままだが、見たところは目立った怪我を負っている様子はなかった。
 或いはこの降り続ける雨で隠されているだけなのかもわからない。
「俺はな。だが、船員の大半は死んじまった」
 ジャン・イーヴはそう吐き捨てた。
 悔しさも悲しさも、表面上は感じられない。
「お前等も、あまりここに長居してねえ方が良いぞ。海賊はまだ山ほどいるんだからな」
「船内にか?」
 カリタスは驚き、周囲を見渡した。
「この海にってことだ。船内の奴等は全て殺した」
「そうか……」
 死体の数が多かったのは何も、こちらだけが一方的にやられた訳ではなかったのか。
「船はもう動かんだろう? なら早々に私達の船へと移動しよう。また何時敵が襲ってきてもおかしくない」
「ああ」
 ジャン・イーヴの声は何処か別の空を向いているようであった。
 仲間を失った悲しみのせいだと、カリタスは察する。
 だが、それだけではなかった。
「……あいつは何モンだ?」
 不意にそんな声が届いた。
 見ると、ジャン・イーヴは明後日の方角を向きながらぶつぶつと呟きを上げている。
「一方的に船を沈められて、下手すりゃ皆殺しの憂き目に遭うとこだった。……奴がいきなり飛び移ってきて、変えちまった」
「何を言っている?」
 気でも違えたのかと心配し、カリタスが近付く。
 ジャン・イーヴの視線の先へと、同じように目を向けてみる。
 甲板の隅で一人、雨に打たれながら何かを貪り食っている男が一人、そこにはいた。
 顔面部は、奇妙な形をした仮面で覆い隠されている。
 だが、その仮面ですらそこから生じるオーラを隠し通せてはいなかった。
「自分の船の食料が嵐で全部流れちまったらしくて、ここに来るまで殆ど何も食わずにいたんだとよ。この船に乗り込んだのも元々はメシに有り付く為だったらしい。考えられないだろ? そいつが、海賊達をたった一人で片付けちまったんだ」
 虚ろな声で、ジャン・イーヴはつらつらとそう説明をした。
 だが、カリタスにはその声は届いていなかった。
 ただぽかんと口を開けて、そこに固まっている。
 ――あの男、さっきからずっとあそこでああしていたのか。
 それなのに何故自分は気付けなかったのか、向こうは気付こうとすらしていないのか。
 疑問が雨に混じって降り注ぎ、開いた口が塞がらないままでいる。
 その疑問を解明しようとは考えず、カリタスはつかつかと歩いて行った。
「おい」
 仮面のと顔の間に器用に食料を潜り込ませ、食事をしている。
 あまりに異様な光景に、カリタスは表情を引きつらせた。
「……おい」
 もう一度声を出したが、男はこちらを意に介する様子はない。
 カリタスは座り込んで食事をしているその男の襟首を掴み上げた。
 ぎろり、と仮面がこちらへと向く。
「フオォオオッ!?」
 刹那、雨音すらも完全に掻き消してしまうほどの叫び声が響いた。
「何やってんだ、あんた……」
 仮面とカリタスの視線が合った。
 だがその仮面は直ぐにまた、食料のほうへと視線を戻す。
「私は祭礼をする為に産まれた祭礼用マスクマンだ。ナリタスと言う男の名など知らないな」
 先程とは打って変わって、虫の羽音のような声が響いた。
 それを聞き、カリタスの顔がいっそう引きつる。
「生憎、私もナリタスという名前の人間は知らない。だが」
 ぐいっ、と。
 強引に首をこちらへと振り向かせた。
「君はカリタスと言う名前の男を知ってるはずだ。知らぬとは言わせん」
「知らぬ」
 いい加減話の進まないやり取りにも飽きたようで、カリタスはその男の顔面を覆っていたマスクをがっと掴み、
「フゥアッ?」
 目の前の男が焦るのもまるで取り合わずに、それを素早く海へと投げ捨てた。
 仮面の中から現れた男の顔はやはり見知った顔であり――その顔は歪んでいた。
「あ、あんた何て非人道的なことを……もしや海賊か!」
 吐かれた叫び声は誰からも返事を貰えずに、空へと消えて行った。
 カリタスの視線は眼前の男だけを見据えている。
(やはり来たか)
 その男の名前、かおる。
 出身はイングランド、性格は極めて不可思議。
 それ以上は一切謎に包まれたこの男は、船員皆に愛される男であった。
 カリタスもまた、確かな信頼のおける男だと、彼をそう見ていたのだ。
 最後に会ってからもう数年の時が流れているが、かおるの顔は変わっていない。
 だが一つだけ感じる違和感、それは、
(……白髪?)
髪の色。
 かつて倫敦を訪れた時は紫色だったし、航海の途中に自分でちょこちょこと色を弄っていると言うのは、フェレットから聞いた覚えがあった。
 だが、今の白髪は……普段の人工色のものよりも、生気が感じられない。
 まあ深くは考えるまい、とカリタスは自らの意思で思考を切った。
「ここに来たと言うことは戦うつもりでいるんだろう? なら早く援護を頼む。現時点で相当まずい状況にあるんだからな。大体船はどうしたんだ?」
「船員に無理に付いて来て貰ったからな。先に船ごと帰ってもらった」
 どうせならそのまま戦って貰えば、とカリタスは思ったが、直ぐに考えを改める。
 時間を掛けている暇は無いと、早々に船へと戻ろうとする。
 だが、そうはいかなかった。
 かおるはあっと言う間に数人に囲まれて、そこから身動きを取れなくされていたのだ。
「船長」
 ”永久機関”の船員達は皆、感慨深げな様子で立っていた。
 かおるの姿を目にして、名前を呼ぶだけで、それ以上にどうしたらいいか解らないままでそこにいる。
「私はここまで”永久機関”に乗ってやって来たんだよ。ようやく慣れぬガレー船の船長と言う責務から解放される時が来たか」
 その様子を羨ましく感じながら、カリタスは言った。
「船を放ったらかしにして蒸発した男に、船長をやる資格なぞ無いよ」
 だが、かおるの返事は芳しいものではなかった。
 ずっとぶっきらぼうな口調で続けられていた声だったが、ほんの僅かの寂しさが抱かれたように、カリタスには思えた。
「それが本音か? なら言わせてもらう」
 本音じゃないだろう。
 カリタスは心ではそう見透かしながら言葉を続けた。
「放ったらかしにした船員達は君を慕ってここまで来た。その好意すらも無にした時、君は本当に船長の資格を失う」
 仏頂面をしている男に向け、カリタスはふふと笑みを投げかけた。
 口調こそ厳しかったが、つまりこの船の長として相応しいのは君なのだと、そう言っていた。
 彼はルアンダではかおると会わなかったものの大体の事情を聞き、そして察していたのだ。
「もう一度、自らの周囲を見回してみるんだな。彼らがどんな思いでそこに居るのか、じっくり見てみると良い」
 言われるがままに、半ば無意識にかおるの表情が動く。
 ゆっくりと視線を傾けると、”永久機関”の船員達は皆、歯を食いしばるようにして泣いていた。
 その光景を目にし、ずっと石像のふりをしていたかおるの表情が、耐え切れずに歪む。
 襲い来るのはただ後悔の念だった。
「それに私にはやっぱり、百足みたいな形をしたガレーよりも帆船のほうが似合うんでね」
 言いながら、カリタスは右手を差し出す。
 かおるは再び顔面に無表情を貼り付けて、それでも数秒の後に自身の右手を重ねた。
 まだ躊躇いは有るようだったが、確かな彼の本心であった。
 ”永久機関”の船員達が歓声を上げ、一層の涙を流す。
「迷惑掛けたな、ジャッキー」
「ジャッキー? 誰だそれは?」
 かおるの突拍子もない声を受け、カリタスはただ訊き返すことしか出来なかった。
 数秒後にはそうしたことを悔やむ羽目になると言うのに。
「ジャッキー・カリタス(カルパス)」
 呟くように声が重なると、その場は気まずい沈黙に包まれた。
 雨の音、風の音が耳を劈くように鳴り渡っているはずなのに、全くの無音のように思える。
「んじゃ、行くか」
 かおるは踵を返した。
 甲板に転がっている食料をがっと拾って、そのまま海の方へと歩いていく。
 海より先に視線に入ってくる姿があった。
 ”永久機関”と名付けられたガレー船。
 一見して禍々しささえ抱かせるその船は、数年間の時を共にしてきた大事な仲間。
 前に見た時よりも老朽化が進んでおり、自分がどれだけそこから離れていたのかを表していた。
 あの船に乗り込んだとき、さらに実感することになる。
 何を忘れようとして、何を置いて来たのか――それらがどれだけ大事なものだったか、再び思い起こすこととなるだろう。
 大切な場所を一つしか選べないとして、二つの場所が同時にこの海に存在していることを、改めて自分は知る。
(――行かねばならぬ)
 暗礁に乗り上げようとする思考とは裏腹に、両足はもう迷わなかった。
 誰よりも先んじてタラップを渡り、そして自らの船へと歩いて行く。
 ”永久機関”の船員達は歓声を上げながら、それに続いた。
(今はただ、彼らとの再会を喜ぼう)
 やがてそう、思考は落ち着いた。
 彼らがどれだけ愛しい存在であったかを改めて知る……知れば良い。
 そうして悩むことがあるのなら、ひとしきり喜んだ後に死ぬ程悩んでやる。
「さて……私達も行かねばな」
 かおるが”永久機関”までたどり着いたのを確認した上で、カリタスは背後に振り向いた。
 そこにはまだジャン・イーヴの船の水夫達が残されている。
「ジャン・イーヴと言ったな。君達も早く乗り移らないと置いてくぞ」
 そう呼び掛けても、ジャン・イーヴはぽかんとしてそこに立ったまま。
「どうした?」
「何も実感が沸かねぇんだよ。船員が殆ど死んじまったことも……俺がなんで生きてんのかもな」
 それは乾いた空気のような声で、感情が乗ってはいない。
「全部あの野郎のせいだって解った。全く理解がつかねぇあの男のせいで、まるで夢かなんかを見ているような気分にさせられてんだよ。……あいつは何だ。何モンなんだよ、一体……」
「何者だ、か」
 視線の先にいる男。
 カリタスはその男のことを知っているつもりでいた。
 それなのにその像は時々ぼやけて、霧の中に消えてしまおうとする。
「私が知りたいな」
 まごうのことのない本音で、カリタスはそう言った。
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  1. 2005/09/26(月) 15:13:13|
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