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航海タイム

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第十八章 血と雨と(前編)

1

 吸い込まれそうな青があって、遠く連なる岩山がそこにある。
 何たる雄大な眺めをした土地だ――ケープ。
 素晴らしき景色のどれよりも強く目に焼きついたのは、町を見下ろすようにして聳える山の存在。
 頂上が平らな山……その名をテーブルマウンテンと言うらしい。
 船団の面々誰もが、如何にしてあの山がああなったのか、興味を抱かずにはいられなかった。
「地盤の柔らかい部分が風雨で削り取られて、ああやって固い部分だけが台形上で残ったんだそうよ」
 この地の人間と面と向かって会話を出来るアイが、ケープの民からそう情報を仕入れてきた。
 町に着いてすぐなのに、フェレット達は一列横並びになって、皆同じ顔をしてあの山を見ている。
 何たる珍妙な集団、と地元の人間には思われていそうだが、それすら気にならないほどの興奮を胸に秘めて。
「……間違いなく、世界でここにしかない山だぜ。あれは。なあ、リィ」
 無我夢中になりながら、フェレットは呟くように言う。
 こくりと頷きを受けて、また瞳を山のほうへと向ける。
「凄ぇ……」
 僕らは船乗りで、冒険者だった。
 あのテーブルマウンテンが、それを強く実感させてくれた。
 ――船乗りでいて、良かった。
 全てを投げ出してでも、目にする価値がある山だ、あれは。
 フェレットはそんな言葉を、頭の中で何度も何度も繰り返していた。
 彼だけじゃなく、皆そうだ。
 だから山だけを見たまま、何処にも行こうとしない。
「船長」
 女性の線の細い声が左方から響く。
 すっかり聞き慣れたものとなった、ロッティーナの声だ。
「私、この船団に入って本当に良かったと思っています。海軍にいたら絶対に見られない光景です、あれは」
「ああ! 僕も似たようなこと、感じてたよ」
 歓喜の声をフェレットは返す。
 そうだ、ここ最近は色々複雑な事情も絡んでいたけれど……今も絡んでいるけれど、僕らが旅を続ける理由は未だ目にしたことのない場所を探す為。
 例えばあの山のように、これからも未知の光景が僕らのことを待ち構えているのだろう。
 そうに違いない。
「んでも、ロッティが素直に褒めてくれるのって珍しいな。こりゃ嵐が来るかもしれん」
「船長から見て、私はどんな短気な女なんですか? 私だって素直に良いと思ったものは良いって言いますよ、全く!」
 どんなと言うか、そんな位だと思っているけど。
 そう、フェレットは心の中でだけ呟いた。
「……それに、褒めたのは山で、別に船団そのものを褒めた訳じゃないですし……でも、入って良かったとは思ってますけど……」
 感想を抱き辛い呟きがさらに届いて、フェレットはとりあえず何も返さずにおいた。
 こんな知らない大地に自分達はいるけれど、心地良い空気を感じている。
 もう少しこうしていられたらと思うが、しかし本来の目的は他にあるのだ。
「……これでこの後に控えてる海戦さえ無けりゃ、本当に楽しい旅だったと言えるんだけどな。つくづく難しいもんだよ」
「ええ」
 冗談めいたやり取りをしていたが、その言葉を境にロッティーナは表情を引き締めた。
「そもそも今ここでこんなことをしている時間だって、本当は無いのですからね。同胞達は、休憩所で待っているとの事ですよ」
「そうだな……。ああー、こんなだったら依頼なんか受けないで、ただの遊びとして来るんだったよ」
「今回ばかりは私もそう思いますね」
 苦笑する二人。
「とは言え、期限が間近に迫っているからな。行く気でいるんだったら早めに一度、顔を出しておいた方が良いと思う」
 休憩所の方角を指しながら、現在暫定で”永久機関”の船長として納まっているカリタスが言った。
 あくまで暫定で、この先彼が正式の”永久機関”の船長になることはおそらく無いだろう。
 彼自身も自分があのガレー船の長として相応しいとは思っていない。
 資質、能力の問題でなく、単純にあのガレー船が最も似合う男が、他にいるからだ。
 この旅はその男を船団へと連れ戻す旅。今もまだ、その航海の途中にいる。

 ヨーロッパにあるような酒場、宿屋はこのアフリカにはない。
 店の半分程が剥き出しになった休憩所が代わりとしてあって、親しい家族のような風景がそこにあった。
 言葉は違えど団欒の風景はヨーロッパもアフリカも同じだ。
 居るのはアフリカの人間ばかりで、今回の依頼をこなす為に北から訪れた同胞の姿は見られない。
「案外、これからお仲間になるその人達も、アフリカの風景に見惚れてたりするんじゃないかしら?」
「こんな素敵な場所ですもの。二つの目が付いていれば、誰だって魅了されますよね」
 アイとリィの二人は談笑しながら席へと付いた。
 今回、休憩所の主人と会話をする役はルーファ、カリタスに任せている。
 どんな料理が来るかと楽しみにしていたが、ふとちらりと視線を傾けてみると。
「ファッ!?」
 そんな奇声を、二人ほぼ同時に放った。
 いきなりのことで周りの人間は驚き、怪訝そうにして二人へと視線を集中させる。
 なんだこいつら……と、最も二人のほうを怪しむかのように見ているのは一番の身内、フェレットだったりする。
「ちょっとっ、フェレさん!」
「んー? アイさん、幾らケープの町並みが物珍しいからって……恥掻かせないで下さいよ、僕らに」
 少し嫌らしい笑みを浮かべながらフェレットは言った。
「いや、違うのよ! あっち見て、フェレさんも!」
「あっち?」
 アイがばっと指差した先に、フェレットは素直に視線を送った。
「フゥァアッ!?」
 再び放たれる奇声。
 送るなりぱっと見開き、後ろにさっと飛び退く。
 アイ、リィの二人はほれ見たことかと、じと目で彼のほうを見ている。
(何たる事……)
 彼等三人が一体何を見て驚いたのかと言うと、それは休憩所の店員の姿。
 看板娘……と呼ぶには薹が立ち過ぎていて、そして恰幅が良すぎる、そんな女性がいた。
 彼女のその力強く陽気な雰囲気に圧倒された訳ではない。
 ただ、よく知る人間の姿に酷似していたのだ。
「……あれ、フアナおばさん……?」
 アイへと囁き訊ねるフェレット。
「有り得ないわ。大体肌の色からして違うもの……」
 肌の色からして? いや、肌の色だけが違う。
「凄いですね……。国が違っても、あんなにそっくりな人がいるなんて」
 あまりのそっくりさにリィも半ば呆然としている。
 フアナと言うのは地中海に面する町、セウタで暮らしている女性の名だ。
 同じように酒場の店員をしていて、記憶を失ったリィに優しくしてくれた親代わりのような存在でもある。
「アレクサンドリアでもリィにそっくりな子がいたな。……人種が違っても、何処かで繋がってるのかもな」
 後半の科白はしっとりとした空気を持たせて、フェレットは言った。
 何が繋がっているとは言わないけれど、種類こそ違えど同じ人間であることには変わりない。
 閑話休題して、思考は再び、後に控える海戦へと向けられる。
「にしても……他の冒険者の方達は、どの辺りにいるのかしらね?」
 アイが言う。
 期限の日までまだ数日有るし、もしかしたらまだ自分達以外の冒険者達はここまで辿り着いていないのかもしれない。
「大体依頼内容自体が、大きな依頼の割に細かい部分が適当だからな。『ケープの港から近い休憩所に期日までに集まった冒険者達で力を合わせて海賊を倒しに行け』って、それだけだもん」
 やれやれと息をつき、フェレットはぼんやり海のほうを眺めた。
「セビリアからこんなに離れてるんだもの。緻密な指示なんて出せっこないわ」
「確かに」
「依頼人の思惑としてはとりあえず冒険者達に依頼してみて、もし海賊達を倒してくれたら儲けもの、ってスタンスなんじゃないかしら?」
「仮に冒険者達がやられても、向こうからしたら損害を被る訳でもない……僕らは都合の良い協力者ってことか」
「フェレさんはともかくとして、私達はイスパニアの出身ですらないからね。向こうからしたら、さぞかし便利に思われてるでしょう」
「ふむー、まあ頑張るしかないですね。ここまできたら」
 投げやりな口調でフェレットは言った。
 自由な船乗りを気取るフェレット、出来れば国家間の汚い部分には関わりたくないらしい。
 セビリアだってリスボンだって、倫敦だってアムステルダムだって、みんな素敵な場所だった。
 だけどその町の人間達が全て平等に、仲良くやれるかと言えばそんなことはない。
 スペインの支配下にあるネーデルランドでは独立運動が活発化して来ていると聞くし、新教国のイギリスもまた、旧教国のスペインとはかねて対立関係にある。
 イギリスとスペインの間でもし戦争が起こりでもしたら……どうなってしまうのだろう? この船団は。
 スペイン人である僕と、イングランド人であるアイさんやロッティーナ達、皆離れ離れになってしまうのだろうか?
 そんなことを深く考えたこともあったが、”実際にそうなってから考えよう”と言う結論に落ち着き、最近は考えないようにしている。
「なんか面倒になっちゃったなあ。依頼を放っぽって、ただのアフリカ旅行にしようか」
 彼の思惑では元々、海戦に赴く前にかおるを再び仲間に加え、彼が先頭に立って戦うその場所を用意するつもりだった。
 何でも子供と一緒にいるとかで腕もなまってそうだし、リハビリ代わりに丁度良いのではないかと。
 しかし色々複雑な事情が絡み合った末に結局、今かおるはここには来ていない。
「数秒前と言ってることが違うわよ。フェレさん」
「だって、元々戦う事はあんまり好きじゃないし。報酬額は凄まじいけど、僕らそこまで金に困ってる訳でもないしな」
「新しい船を買おうよ。今でも大分貯金はあるけど、さらに一段階大きい船を買う勢いでやりましょう」
「そっすね」
 また、投げやりな返事。
 今回の依頼に抱いていたはずの興味の三分の二程は、ルアンダに置き忘れて来たままのようだ。
「わざわざ依頼する位なんだから、海賊の戦力はかなりのものなんだろうな。かくなる上は、他の冒険者の戦力に期待するしかない。僕らはまあテキトーにやるとするか」
 覇気のない声でぼやくフェレットであった。
 どうせ言葉が聞き取れているのは船団の仲間達だけだし、何時もの冗談と思って流してくれるだろう。
 そう思っていたのだが、しかしタイミング悪く。
「はっ、戦いがお嫌いなら、わざわざ参戦しなくても丘に上がって応援だけしてても良いんだぜ?」
 休憩所の外から、そんな声が響いた。
 言語はスペイン語。
 だらけていたフェレットの顔が、一瞬にして引き締まった。
「わざわざアフリカくんだりまでご苦労なこったが、俺達も無駄な死人を出したくないんでな」
 クックッ、と笑みを含ませた声。
 それを鳴らしながら、彼等は休憩所内へと入ってきた。
 声の数は一つだったが、人間の数は二人。
「誰だ? あんた達は」
 フェレットが問うが、直接の返事は無かった。
「Hola(こんにちは)、盟友達。アフリカ観光は楽しめたかい?」
 わざとらしい言い回しをして、その声はまた笑う。
「エメラルドの海もじきに赤が目立つようになる。そうなる前に観光を終えて、さっさと引き上げった方が身の為だぜ、お坊ちゃん」
 声の主は細長い体躯をしていて、その瞳はぎょろりと大きく、爬虫類のそれにも似ていた。
 その隣には対照的にがっしりとした四角形の肉体を持った、落ち着いた雰囲気をした男がいる。
 身長は大きくないが、まるで岩のように頑丈そうだ。
「よせ、ジャン・イーヴ。まだろくに会話もしていないのに、突っ掛かることも無いだろう」
 見た目通りの物静かな口調で、男は諭すように言った。
 だが、そのジャン・イーヴと呼ばれた男は益々声を荒げるばかり。
「だってよ、こいつらんトコの陣営をよく見てみろよ。どいつもこいつも役に立ちそうも無え女ばかりだぜ! よく言うだろう、航海に女は不吉だってな!」
 その声はアイを始めとした女性船員達の目の色を変えさせたが、それでも何とか抑えている。
「命がかかった戦いに女連れで来るような奴らに、背中を預けることなんか出来ねえだろう。俺らは戦いに勝って、報酬を受けるために此処に来たんだからな。そうだろ? ピオ」
 岩のような体をした男、名前はピオと言うらしい。
 しかし名前を呼ばれたものの、彼は憮然として返事をしなかった。
 あまりな物言いに、仲間である彼までもが腹を立てたのだろうか。
 憮然としているのは彼だけではない。
(まったく、何時かの時と言い……どうしてこう女性蔑視主義の男が後を絶たないのかしら)
 今回は怒っては駄目だ、他人事として聞いていよう、とアイは自分に言い聞かせていた。
 彼等とは、今後共同戦線を張ることになるのだ。
 ここで迂闊なことを言って、関係が悪くなっては困る……もう十分悪くなっている気もするが。
 アイはちらりとフェレットのほうを見た。
 船長として、びしりとあの男に言ってくれないだろうかと、一縷の希望を抱いて。
 だがフェレットはあからさまに狼狽しており、どうやってこの場を纏めようか悩みに悩んでいる様子。
 あれではとても、ウィットに富んだ発言など期待出来そうもない。
 アイは溜息をつきそうな顔になった。
「悪いがそれは、少々知識に欠けている所が有るんじゃないか?」
 と思いきや、曇った空を切り裂くかのような鋭い声。
 見るとフェレットは相変わらずで、彼の口から出たものではないようだ。
「何者だ? お前は」
 カリタスが何時の間にか席から立ち上がり、そしてやって来た二人の方へと進み出ていた。
「海は男だけの物じゃあない。この海には女の冒険者なんてそれこそ星の数程いる。まさかそれを知らずしてここまで来たわけでは有るまい」
「死んだ星ばかりだったぜ。ろくな航海技術も持ってねぇ上に、他の船員を混乱させるだけのな。それに身体も弱ぇ。海戦なんてもっての他だ」
「凶悪さで歴史にその名を残した女海賊、アルビダを知らないか? 彼女の船も皆女性の船員ばかりだったと聞くが。仮に彼女達と戦いになったとして、君達は百パーセント勝てると言えるのか?」
 カリタスが挙げたアルビダとは、かつてバルト海を中心に活動した女海賊の名だ。
 元々スカンディナヴィアの王女だったが、他所の国の皇太子と結婚させられることを嫌がり、海へ出て名を馳せたと伝わっている。
「屁理屈言ってんじゃねえよ。アルビダ自体、実際に居たかどうかも判らん人物だろう」
「だが、万が一つでも負ける可能性があると思うのなら、君にこの船団の女性船員達をけなす権利は無くなる」
 へらへらと笑っているジャン・イーヴに比べて、カリタスの視線は真摯そのもの。
 真っ直ぐな光を湛えていて、そこに一寸の曇りもない。
「何故なら、彼女達がアルビダに劣らぬ資質を持っているかも、判らないからな」
「ハハハハ! すかした顔しやがって、どんなこと言うのかと思えば! 自分の船団贔屓もいい加減にしとけよ!」
「私は正確にはこの船団の一員じゃない。あくまで手伝いに来てるだけだ」
 侮辱の声を受けても、カリタスは至って平然としている。
 自身の言葉が間違ったものではないと、確信が有るからだ。
「まあ君の人間性にどうこう口出しするつもりはない。だが、余計な偏見は捨てた方が身の為だと、そう言っておく。命を落としてからでは遅いからな」
「テメェ、それは挑発のつもりか? 何ならお前らが本当に今回の依頼を受けられるだけの力があるが、この俺様が確かめてやろうか?」
 ジャン・イーヴがぺろりと舌を出し、下唇を舐めた。
 手に獲物は握られていないが、このまま続けば殴り合い、殺し合いへと発展しかねない雰囲気だ。
「よせ、ジャン・イーヴ。いい加減にしろ」
 のそりと立ち上がって、カリタスとジャン・イーヴの間に割り込んだ男がいた。
 岩の様な姿をした白人、ピオだ。
 視線は低いながらも刺すような鋭さを帯びており、下手な真似は許さんと、そう言っている。
「この方の言う通りだ。男だろうが女だろうが、今日会ったばかりの人間を決まったような目で見るのは良くない」
「だがよ、ピオ」
「この危険なアフリカまで辿り着けただけでも、この方達の能力は並のものじゃないはずだ。現に我らの船団でも、辿り着けなかった奴らが何人も居ただろう」
 寡黙そうな男だが、ピオは畳み掛けるようにして言葉を連ねた。
 ジャン・イーヴを黙らせるにはこうするのが一番だと、彼はそう理解していたのだ。
「船団の長は俺だぞ、ジャン・イーヴ」
 最後にそうびしりと言われ、ジャン・イーヴは下を向いて黙り込んでしまった。
 まだ怒っているのか、ただ拗ねているのか、よく解らない。
 ピオは彼のほうをさて置き、フェレットらのほうへと振り返った。
「すまないことをした。折角いい気分で休んでいた所だったろうに」
「いや、気にすることはない。私達は今着たばかりだ」
 返事をしたのはカリタスだ。
 フェレットらもわざわざ声を挟まず、黙ってやり取りを見ていることにする。
「俺はピオと言う。で、こいつはジャン・イーヴだ。……俺達の船団の船は三隻、本当はもう一人船長がいたんだが、今回の航海の途中に風邪をこじらせて死んじまった」
「おい、ピオ! なんでこいつらにそんな事!」
 俯いていたジャン・イーヴがいきなり慌てた声を上げたが、ピオは構わず続けた。
「船団唯一の女、それでいて随一の船乗りだった。コイツはまだ、その悲しみから逃れられないでいたんだ。許してやってくれないだろうか」
 ピオは人差し指を仲間のほうへと向けた。
 ジャン・イーヴは何を言って良いのか分からずに、顔を休憩所の外へと背けている。
 黙って聞いていたフェレットだったが、そんな彼のほうを見て、いたたまれない気持ちになった。
 船長が三人、男二人、女一人。
 自然と思い浮かぶのは自分達の船団だ。
 ……僕がいて、かおるさんがいて、そしてアイさんがいる。
 誰か一人でも欠けたならどうなるだろうか?
 航海を続けられなくなる位、悲しいに違いない。
 そう考えたら、ジャン・イーヴを責める気持ちなど一片も残らずに消え失せてしまった。
 フェレットは勢い良く立ち上がり、ジャン・イーヴのほうへとつかつか歩いて行った。
 そっぽを向いている彼の視線にわざわざ自分の顔を持って行き、
「印象的な出会い程、長続きする関係を築けるものですよ。宜しくお願いします」
 そう言って、右手を差し出した。
 にこり、と多少無理な笑みを作っている。
 殴られやしないかなぁ、という微かな恐怖心もまだ完全に消えた訳ではないのだ。
「……依頼が終わるまでは、しょうがねぇか」
 ジャン・イーヴはよくわからない顔のままで、躊躇いがちに右手を出した。
 恥ずかしがっているのだろうか?
 怒ってはいないだろう。
「宜しく」
 フェレットの右手と重なり、互いの手がぎゅうと握られる。
 ……しかし本当に人間らしからぬ、蜥蜴みたいな顔をした男だ。
 握手をしながらも、フェレットはそんなことを考えていた。
 僕らの船団に当て嵌めるなら、間違いなくこの人はかおるさんに相当するだろう。
 だって男で僕じゃないんだったら、かおるさんしかいないから。
で、あの身長は低いけど、良い人っぽい船長が僕……で、アイさんは……。
 ……いや、僕らの船団には当て嵌まらないな。
 うん、やめよう。
 僅か数秒の時間、フェレットはこんなことを考えていた。
「……おい、放せよ」
「あぁ、ごめん」
 大分長い間手を握ったままだったらしく、フェレットは慌てて右手を離した。
 やけに微笑ましいやり取りに見えたようで、休憩所内にくすくすと笑い声が響いている。
「今ケープに来ているのは俺達の船団だけじゃない。あともう一つ、結構なでかさの船団が既に到着している。それに君等の船団が加わっておそらく最後だろうな」
 やり取りが一段落ついたと見て、ピオがそう説明を始めた。
「敵の戦力はかなりのものだ。ここから南西の海に、一大艦隊が集結してる」
「……もう集まってるんですか?」
 驚いて、思わずアイがそう訊ねた。
「ああ。スペインの船が来ることを知っていて、どうやら迎え撃つ気満々でいるようだ」
「戦力はどの位なのです?」
「十数隻と言った所かな。偵察船で遠くから捉えただけだから、まだちゃんとは解っていない。奴等、この辺りを行き来する船にもちょっかいを掛けているらしく、ケープの南は殆ど封鎖されたようになってるそうだ」
「責任重大ってことですね。僕等」
 ははは、とフェレットは乾いた笑いを浮かべた。
 自分等がどかさねば、海賊達はそこに居座るつもりなのだろうか。
「早急になんとかせねばと思っていたが、戦力が整っていない状態で行っても犬死にするだけだろうからな」
「期日までまだ数日有りますね。ぎりぎりまで待って、それから出発するとしますか」
「ああ。あまり寸前に来られても困るが……」
 出会った当初とは一転して、話し合いは和やかな空気の元で続けられた。
 やがてピオ達の船団の水夫達、それにまた姿を現していなかったもう一つの船団もそこに加わって。
 冒険者達の船の数は十六隻までに膨れ上がり、船の数だけで言えば海賊達とも対等に渡り合える程になった。
 期日を迎えてもこれ以上船団が増えることは無く、そして出発の時を迎え。
(かおるさんもいないし、ここで躓いてられるか。そうだ、ここはまだ通過点だ)
 船が海へと出る直前、フェレットはそう心にぽつりと浮かべ……そして冒険者達は不穏な気配のする、海へと向かった。

2

 ずんぐりとした形をした軍船、ガレアス。
 ”ルーレライ”と名付けられたその船こそが、メルキオール海賊団の旗艦である。
 帆の色は燃え盛る炎、或いは血の赤色で統一されていて、見る者に独特な印象を与えるが、しかしこの船の姿を間近で見て生き残った船乗りは未だかつていない。
 船の中の一室に、海賊達を束ねる主であるメルキオールと、そしてクライドがいた。
「海が慌しくなってきた。じき、戦いが始まるようだな」
 ここは地下にある船室で、海の青色は四方どこにもない。
「俺にはさっぱり判らんが?」
 不思議に思い、クライドは言った。
「海賊としての勘という奴かな。海の流れは何時も、これから起こる様々な事象を反映するのだよ」
「ほう、どうやら俺には海賊の才能が無えらしいな」
 くっくっと笑う。
「海の流れはお前に取って良い方向に向いてるか? んや、そんなことまでは解らねぇのかな。よく知らんが」
 クライドは何となしにそんなことを訊ねてみた。
 メルキオールは柔らかい表情のまま、それに応じる。
「どうかな。少なくとも海戦の行方についてはわからない。個人的に勝って欲しいのはスペインなんだが、期待して良いものか。ちゃんとした軍をよこさず、寄せ集めの冒険者達が集結しているとの噂だからな」
「寄せ集めの冒険者ねぇ」
 その言葉を聞き、思い出すことが一つある。
 今より数日前、ルアンダを訪れた冒険者達の姿。
 アスナから聞いた話では、彼等は「海賊と戦わなければならない」と言っていたのだとか。
(あの嬢ちゃんのいた船団もそうか。それにあそこは確か、以前かおると一緒に、北海の海賊を始末したそうだしな。案外解らんかもしれねえぞ)
 それに……とクライドは思うことを続けた。
 天上天下唯我独尊、とにかく協調性と言うものに欠けた”あの男”と、何年も航海を続けていた船団――それだけでもう、只者ではない。
「クライド、お前はどう思う? どっちが勝つか」
「さぁなぁ。占い師の才能ってモンも俺には無いんでな」
「そうか。ならいい」
「……ああ」
 クライドは不思議に思い、僅かに眉根を寄らせた。
 何気ない会話を交わしていたはずなのに、メルキオールの声が寸分、冷たさを帯びた気がしたのだ。
「クライド。もう一つ、お前に訊きたい事がある。かおるのことだ」
 メルキオールの声が変わったその理由。
 それは解らないが、この先はこちらも言葉を選択しなければならない。
 そう思い、クライドは緊張を隠そうと、右手で顎鬚を弄くるのだった。
「かおるは帰って来ないか? まだ」
「ああ。また何時もの所だろう」
「そうか」
「何故そんなことを訊く?」
「波が、似てるんだよ。あの時と」
「あの時だと?」
「かおるが俺達の元から居なくなった、あの時だ」
 そのメルキオールの様子を見て、クライドは自身の目を疑った。
 何時も沈着冷静で……仲間が死んだ時でさえ目の色一つ変えることのないメルキオールが、焦りを浮かべている?
「落ち着け。波の流れなんぞ、思い込みでしか無え。何も表しちゃいねえよ」
「なあ、クライド。もしもあいつが……」
 僅かな膨らみを持った胸が、不規則なリズムで揺れている。
 その声も同じように、不穏な揺らぎを抱いていた。
(落ち着け。平静を装え)
 クライドは自分にそう、言い聞かせた。
 こいつはこれから俺に何を問う?
 俺にどうしろと言って来るのだ?
「……あいつが俺達の所を去るとしたら、一体何処へ向かうと思う?」
「言うまでも無え。あのガキ共の所だろう」
 クライドは一瞬悩んだが、そう答えた。
 ……まさかあの船団の元へは帰るまい。
 彼等と遭遇した上で、あいつはそれでもアスナ達を選んだのだ。
「何故、あいつは俺達を選ばない。見知らぬ子供などと一緒にいようとするのだ。あんな子供を育てた所で何も得るものなど無いだろう。あいつがいなくなってから数年間も待って、やっと帰って来たと言うのに……」
「落ち着け、メルキオール」
 自分にも言ったことを、クライドはこの部屋にいるもう一人の人間にも聞かせた。
「あの子供達がルアンダにいる限り、あいつはずっと俺達の船団にいる。だってあの子供達は、あそこから離れられないのだからな。……仮にもし子供達があそこからいなくなったら、かおるはそれを追って、この船団を出て行くだろう」
(……どうかな)
 出て行くことは有り得ないと、クライドは知っていた。
 あいつらは皆、海を何よりも嫌っている。
 恐れている。
 脳内に刷り込まれた忌まわしき記憶が、海を見る度に再び襲い来るのだろう。
 陸路を取るにはアフリカの大地はあまりに広大で危険過ぎるし……何より、アスナ達は今のあの生活に満足しているのだ。
 あいつらはかおるが影で海賊をしていることなど、少しも知らされていないのだから。
「ガキ共はあそこからいなくならんだろうよ。今そんなことを考える必要は無い」
「あの子供達がいなくなったら……かおるは後を追う。だがもし、追えないような場所に行ってしまったら、どうする?」
 ……追えないような場所だと?
 クライドはその意味を解りかねた。
 一挙一動に反応することをやめ、黙って言葉を聞こうとする。
「あの子達は本来、あそこにいるべきではなかった人間だ」
 その声には暗き感情が篭っていた。
 メルキオールにとっては別に子供の命など、どうでもいいものでしかない。
 言わば道端に生えている草木のような存在だ。
 しかしメルキオールは彼らを助けた。
 何も子供達の為を思ってのことではない。
 そうしなければかおるはきっと俺の手元を離れてしまうと、そう思ったからだ。
 数年の時を経て、かおるは帰ってきた。あの子供たちがいたからだ。
 最初はそれでも良いと思っていた。
 たとえあいつが何より欲するものがこの船団ではなく、俺でも無かったとしても。
 それでもあいつはここから離れられないのだから……それでも良いと、そう思っていた。
 だが、それは自己欺瞞でしかなかった。
 どうすればあいつを、かおるを俺の手元に置いておける?
 誰にも束縛されることのない、獣の顔を持ったあの男の心を、こちらへと向けさせられる?
「このアフリカの波を感じながら、ずっとそう思案に暮れていた。そして解ったんだよ。彼らに相応しい場所はあんな汚い場所ではなく、もっと澄み切った――光に包まれた場所だとな」
「光だと? メルキオール、お前何を考えて」
 そこまで言った所でクライドは言葉を止めた。
 無意識に止まってしまったのだ。
 暗い船室の中で、海がある方角を眺めているメルキオール。
 その眼差しに秘められた暗き炎の輝きを目にして、クライドは色を失った。
(今直ぐにでも襲い掛かって来そうな、そんな目をしてやがる)
 感情をそう表に出すことのないこの人間が、怒りを露にしているその理由。
(独占欲……か。ヤツに対する)
 かおるに対する執着、そしてそれと同等の怒り。その矛先にいるのは……。
(なら、俺はどう動けば良い)
 こいつは何時だって、強固な意志の元に思いを巡らせる。
 俺が口で言っても、止まりはしないだろう。
(――どう動けば、アイツらを救える?)
 その問いに応じることの出来る人間はいない。
 無言になった船室に、ほんの僅かな波音が届いてきて、クライドはその答えを海へと求めた。

3

 冒険者達の連合艦隊がケープの海へと姿を現してから、早くも五時間が経過した。
 彼らの眼前には海賊の艦隊がおり、一触即発の雰囲気の中にありながら、未だに砲撃は一つとして放たれてはいない。
 海賊の艦隊は一箇所に密集した形になっていて、迂闊に攻められないような状況だし、実際に砲撃するにはまだ距離が遠い。
 フェレットら十数人の船長達は皆、どう動いて良いか判りかねて、敵味方構わず、誰かが動き出すのを待っていた。
(戦力はそう変わらないはず……)
 右手で顎を弄くりながら、フェレットはぼんやりと考えていた。
 時刻はもう真夜中。普段なら就寝している時間である。
 船団はそれでも少しずつ前進をしていて、このままの速度で進めば、数時間後にやがて戦闘状態に突入するだろう。
(眠い)
 緊迫感に満ちた状況であるにも関わらず、事あるごとに欠伸が出て、思考を寸断した。
 既に戦いは長期戦の様相を呈している。
 長丁場を乗り切る為に、現在水夫達の半数は睡眠を取っている最中だ。
 他の船、他の人達は眠くないのだろうか?
 妙に静まり返った船の中で、フェレットは続けて考える。
 今回の依頼をこなすべく集まった冒険者は皆、気の良い人物ばかりだった。
 最初はとんでもない出会いとなったが、結局あのジャン・イーヴとか言う男も話せば気の良い男であったし、彼らとならば今回の依頼だって無事にこなせると、そう思うことが出来た。
 とは言え、やはり出会ってから間も無い間柄だ。
 例えばかおる、アイのようにその人柄を知り尽くしている訳でもないし、彼らの思惑は殆どが霧に包まれたままである。
 動きに統一感が無いのも仕方のないことだ。
 この艦隊は、戦いでは無く冒険を生業とする人間達の船によって構成されているのだから。
 そしてその冒険者達もまた、未だに互いの性格すらよく知らない間柄。
 こんな状態では、どんな天才であろうとも理路整然とした動きを取れるはずがない。
 予め行動の方針を話し合ってはあるものの、乱戦へと持ち込まれれば、船一つ一つで行動するしかなくなる。
 ……しかし、海賊達は一向に動き出そうとしない。
 自分達に有利な陣形を保ったまま、こちらを迎え撃つつもりか?
 悶々としながらフェレットはずっと海の先を見据えていたが、状況はそれから一時間もの間、一つとして変わりはしなかった。
 ――そう。
 一時間して、ようやく止まった時の中にいた、海がまた揺らぎ始めたのだ。
 変わった動きを見せ始めたのは、こちらの船団ではない。
「……海賊達も、ようやく目を覚ましたようですね」
 口にしたのは副官のロッティーナ。
 彼女もまた異変を知らされて、たった今目を覚ましたばかりである。
「ああ、こちらへと向かって来てる……。今更何のつもりだ?」
 フェレットはもう眠気を感じてはいなかった。
 伊達に船乗りとして数年間もやって来ている訳ではない。
 睡眠欲ですら、或る程度コントロールする術を覚えているのだ。
「彼らはこの辺りの地形をよく知っていますから、自分達が一番戦い易い場所に来るまで、待っていたのかもしれませんね」
 ロッティーナが言う。
 さっきまで全く動こうとせず、まるで要塞のようになってそこに留まっていた海賊達。
 こちらへと向かって来つつ、段々とその速度を上げて来ている。
 冒険者達の船団はと言えば、相変わらずのゆっくりとした前進を続けている。
(……じき、砲撃が届く距離に到達するな)
 まず戦闘状態に入るのはフェレット達の船団ではなく、ジャン・イーヴやピオの船だ。
 彼らの船団ともう一つ、十隻近くもの船を所有する”アンヌ・マリー商会”の船団が陣の前列にいて、フェレットらは殿を務める形になっている。
 迫ってくる船の数はこちらとほぼ同数。
 数で劣っていなければ、物を言うのは船一隻ごとの戦力、そして戦術だ。
 冒険者達の船もようやくその速度を上げ、距離はどんどん縮まっていく。
「あっ!」
 ”フォスベリー”の水夫の一人が叫んだ。
 海賊の船から砲撃の放たれたのが、目で確認出来たのだ。
 遠目でもよく見えるほどの巨大な砲弾は、数十発も同時に放たれて――そして、対象の船を直撃した。
 こちらにまで衝撃が伝わってきそうな程の轟音が鳴り響き……攻撃を浴びた船は、たったそれだけで、沈黙した。
 その瞬間、この海を渡って冒険者達の船団全てに、戦慄が走った。
「おいおい!」
 目を疑ったのは”フォスベリー”の船員全てだ。
 彼らだけでなく、冒険者達全員が身の毛を弥立たせていることであろう。
「嘘だろう、あれだけで沈んだんじゃないだろうな! まさか!」
 フェレットが叫ぶが、返事が出来る者は誰もいない。
 やがてロッティーナの方に振り向くと、彼女は不安に満ちた表情をしていた。
「やられた船は確か、ジャン・イーヴさんが船長をしていた船です。だとしたら……私達と同じ、キャラック船だったはずですわ」
「……”フォスベリー”もあれを食らったら一撃ってことか? そんな馬鹿な」
「当たり所が悪かったのかもしれませんし、混乱して動きが止まっているだけなのかもしれないです。まだ、判断するには早いですわ。……けれど、敵が全て、あれだけの威力を持った砲を積んでいたとしたら……」
「こりゃまずいな。アフリカの海賊をなめてたのかもしれん。これなら下手に撃ち合うより、白兵戦に持ち込んだ方がまだ勝機が有るか?」
「いえ、敵はこのまま近付いて来る様ですよ」
 ロッティーナは悔しそうな顔をしていた。
 敵の思惑が未だ掴めないまま、船内には俄かに不穏な気配が漂い始める。
 砲撃は既に冒険者達の船からも放たれていて、響き渡る轟音はまるで雷鳴のようだ。
 身近で鳴り響くそれは、いつこちらを直撃してもおかしくない。
 動きが止まっているジャン・イーヴの船を、さらに数発の砲撃が襲う。
 敵船が完全に沈黙したと知りながらも、海賊達の船はそのまま近付いていく。
「何もかも、奪い尽くすつもりか……?」
 遠距離での撃ち合いを繰り返しながらも、海賊達は進撃を止めない。
 こちらの陣形を切り崩すこともせず、そのまま滑るようにして、隙間へと潜り込んで行く。
 敵の狙いは……強力な砲撃でこちらを怯ませ、その隙に白兵戦を仕掛けるつもりか。
 海賊達の動きを目の当たりにしながら、”フォスベリー”の船長はそう判断をした。
「そちらのほうがこちらとしてもまだ、やり易い。もしもの時は頼むよ、ロッティーナ。みんな」
「はい」
 一挙一動を全て自らの手中に収めるべく、フェレットはじっと敵の動きを観察していた。
 そのせいだろうか、彼が何時だって気にしていたはずの……足元に有る蒼き海から視線が逸れ――気付けずにいたのは。
 海は確かに、異変の兆しを表していた。
 波は怒気を孕んだようになって、やがてこの戦場に混乱を巻き起こそうとしていた。

 ルアンダの町から遥か遠くの海をぼんやりと見つめている、一人の胡散臭い男。
「ねーえ。かおるさん、こっちにおいでよ。そんな所にいちゃ、濡れちゃうよ」
 可愛らしい少女の声が男へと向けられたが、凄まじい轟音によって遮られた。
 絶えず降り続ける雨は全ての音、そして光景を遮断し、まるで怒りを湛えているようだった。
 土を穿ち、泥へと変貌させ、それをもさらに刺し続ける雨。
 かおるはそれをずっと浴びていながら、それでも呆然としてそこに立っていた。
 既に雨が全身を浸しており、ここまで来たら今更雨を避けても何も変わらない、そんな段階にまで達している。
「ちょっと、もう! どうしたの?」
 休憩所から少女が一人、飛び出して来た。
 豪雨は彼女にも降り注ぎ、一瞬にしてその姿を湿らせてしまう。
「アスナ、中に入ってろ」
 雨に阻害されながらも、その声はなんとか届いた。
「そのつもりだったけど、かおるさんが来ないから……。みんな、不思議に思ってるよ」
「倫敦ではこうやって、雨を浴びるのが日課だった。で、雨が上がったら乾布摩擦を……」
「聞いたことないよ、そんな話」
 かおるの冗談めいた口調を受け、アスナは首を傾げた。
「とにかく放って置いてくれ。おじさんは今自分が雨男であるか、そうでないかを試している最中であって……」
「……よく解らないけど。なるべく早く、中に入ったほうが良いと思う」
 アスナは諦めた口調で言ったが、そこからいなくなろうとはしなかった。
 ただ海だけを見つめているかおるの背中を、彼女はずっと眺めている。
 かおるはそれを気にせずに、遥か先の海だけを目にして、思いを巡らせていた。
『私達、あと五日位したらケープに行くわ。そこで海賊達と戦わなきゃいけないの。……あと五日、ここにいる』
 思い出されるのはそんな声。
 休憩所で、酒瓶を手にした女性が口にした言葉。
 あの時のやり取りは何もかも、記憶の中に明確に残ったままだ。
 浮かんでくるその声に対して、かおるは心の中で一言ずつ感想を口にした。
『カリブにも行こうって言ってたでしょ、宝の地図がたっくさん溜まってるんだから』
 ああ……そんなことも言ってたっけ。
 カリブに行って、本場のパイレーツ・オブ・カビリアンを見ようとか話してたんだった。
『フェレさんとリィちゃん、恋人になったのよ。かおるさんがいなくなってから直ぐに』
 そんなこと言われても今更コメントし辛いよなぁ。
 それにほら、おじさんそう言うのは横から生暖かく眺める主義だし。
 ……まあ、これはほぼ確実にそうなってるだろうと思ってたけど。
『ワタシはかおるではない。印度出身のトンドル・ズラトゥコフ二世だよ』
 うん、ああ、これは私が自分で言ったんだっけか。
 雨に打たれながら、かおるはずっとそんなことばかりを考えていた。
『あと五日位したらケープに行くわ。そこで海賊達と戦わなきゃいけないの』
 再び、心の中で繰り返される言葉。
 ……フェレッチ君達がいなくなってから、今日で十日目、か。
 全てを忘れて、今ここにある幸せだけを抱いて生きるつもりでいた。
 だがさっき出航所で一人の商人と出会い、そうしてはいられなくなった。
「いやぁもう、とんでもない目に遭ったよ。九死に一生を得たとは、正にこの事だ」
 嵐に見舞われて、散々な思いでルアンダへと辿り着いたのだと、その商人は言っていた。
「ここに来る途中さ、この嵐の中でドンパチやってる連中を見かけたんだよ。いや、命知らずってのはああ言う奴等を指す為に使われる言葉なんだろうな。奴等ありゃぁ、絶対に溺れ死ぬぜ」
 閉まい込もうとしていた記憶の数々を、その言葉が無理矢理に引っ張り出した。
 日数的に言っても……その命知らずとは間違いなく、彼らのことで有ろう。
(何故、この嵐で? 海賊達が逃がしてくれないのか……今もまだ、戦い続けているのか?)
 メルキオールは、このアフリカの海賊達は命知らずが揃っていると言っていた。
 自らの命すらも投げ打って金銀財宝を求めるような奴等が揃っている、と。
 この嵐でさえも、彼らを退かせるには足りないと言うのか?
(船はある)
 数分前と状況は何も変わらない。
 只管降り続ける雨と、その場に呆然と立ち続けるかおる、アスナ。
 しかしたった一つだけ、変わったことがある。
 それは目に見える事象ではなく。
「アスナ」
 雨と雨の間を縫って、言葉が届いた。
「えっ?」
「マグロ漁に最適の天気だ。私は行く」
 そう口にするや否や、かおるは即座に身を翻した。
 アスナが表情を変えるよりも早く、その場を離れようとする。
「待って!」
 少女アスナは知っていた。
 彼がどんな思いで海を眺めているのか、その視線の先に誰がいるのかを。
 だから不安でならなくて、この雨の中、彼を見守っていたのだ。
 かおるの足は速かった。
 アスナが追おうとしても、比べ物にならない速度で引き離す。
「待ってぇ!」
 叫んでも、返事はなかった。
 この雨に掻き消されたんじゃない。
 彼は何も口にはしなかったのだ。
 泥だらけの地面に足を滑らせ、アスナは転倒した。
 身体にも服にもべっとりと泥が付着し……それでも、誰も振り返りはしなかった。
(かおるさん!)
 駄目……行ってしまっては。
 もう、二度と帰って来ない気がしてやまないのだ――あの時と同じように、また。
「かおるさんっ、嫌だ! 行っちゃ駄目!」
 瞳から零れるものは涙なのか、雨なのか、それとも泥なのか。
 それすら判別できず、アスナは何度もそう叫び続けた。
 だがそんな思い虚しく。
 胡散臭い男はもう、止まらない。
(行かねばならぬ!)
 アフリカに来てから初めて、彼は自らの意思で戦場へと向かった。
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  1. 2005/09/18(日) 06:54:17|
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