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航海タイム

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第十七章 憧憬ふたつ(前編)

1

 目的の地、アフリカへと向かう途中、フェレットらは仲間達との再会を果たした。
 商会"Bar Like A Child"の代表を務める北海の雄、カリタス。
 彼が自らリスボンへと赴き、船団を出迎えてくれたのだ。
「代表主がこんなところにいて良いんですか?」
「やれやれ、第一声がそれか」
 酒場で顔を合わせるなり、同じく"Bar Like A Child”の一員であるルーファにそんなことを言われ、カリタスは苦笑した。
「まあ、まだ頼りになる面々が多数倫敦に残ってるからな。問題は無いよ。それに」
 カリタスが指差した先。
 そこに有ったテーブルについている面々は、フェレット達にとって馴染みの深い顔ばかり。
「アビエル、ジェイコブ! それにみんなも!」
 そこにいたのはかつてかおるが乗っていた船”永久機関”の水夫達。
 フェレット、アイ達は信じられない光景を目にして、その瞳を普段の数倍にも輝かせた。
「フェレットさん、気付くの遅いですぜ。俺達はさっきからずっと此処に居たのに」
「北海に残ってたんじゃなかったのか!」
 ”永久機関”は倫敦の町に残され、水夫達もまた倫敦で暮らしているはずだった。
「かおるさんの居場所が判ったと報告を受けて、居ても立ってもいられなくなったみたいでな。私がここまで運んで来たんだ」
 再会を喜び合うフェレット達のほうを優しい視線で眺めながら、カリタスは言った。
「え、じゃあもしかして、カリタスさんが”永久機関”に?」
「ああ。ガレー船は初だから不安だったが、手練れの船員ばかりで助かったよ」
「そりゃ、あのかおるさんが船長でしたからね」
 フェレットは自信満々に言った。
 頼りになる船長のお陰で航海術が上達したのか、或いは不甲斐無い船長のお陰で航海術を上達させざるを得なかったのか。
 それはこの場では明らかにされることはなく。
「で、かおるさんの居場所はアフリカの何処だって言ってたっけ?」
「ルアンダで、子供達に囲まれて暮らしてたとか……」
 カリタスに問われて、答えたのはアイだ。
「ふうん。何があったんだろうかな、一体。あの人は仲間と一緒にいても何処か一匹狼みたいな雰囲気を持ってたけど、それがまさか子供と一緒にいるとはな。その情報は確かに信用出来るものなのか?」
「はい」
 返事は短かったが、そこには確信の色があった。
「解せないのは私達もですけど……今まで散々探し回ったんですもの。ここまできたら、世界の果てだろうと探しにいくつもりですよ。ね、フェレさん」
「うん」
 フェレットの声も短い。
 彼の顔色に、僅かな翳りがあるように見えた。
「フェレさん?」
 不思議に思ってアイが訊ねると、フェレットは少々驚いた顔をした。
「あ、ちょっと考え事をしてたもんで」
「考え事って……」
「僕、ちょっと思ったんですけど」
 再会を祝う酒の席の雰囲気が、彼の声を境に張り詰めたものへと変わった。
 それ程、彼らしくもない真面目な声であったのだ。
「カリタスさんがさっき、かおるさんが一匹狼みたいな雰囲気をしてるって言ったけど……僕にもそう見えますけど。でも、あの人は本当は」
 フェレットは口篭った。
 未だ、言葉が整理されていない段階で外に出してしまったらしい。
「本当は僕らよりもずっと、かけがえのない仲間を求めているというか……そんな風にも思えたんです。あの胡散臭い雰囲気がブラインドになって、はたからはよくわからなくなってるけど」
「それは私も解ってるわよ。かおるさんは別に、たまたま知り合って、たまたま一緒に行動してた訳じゃないもの。きっと私達のことをかけがえのない仲間だと、そう思ってくれてたに違いないわ」
「うん」
 アイに言われても、フェレットの表情は冴えないまま。
 それどころか、さらに一層沈んだよう。
「なのに、船団のことを放っていなくなってしまった。それはもしかしたら」
 フェレットは言葉と言葉の間に一呼吸を置いた。
 無意識に、一旦声が止まってしまったのだ。
「他にもっと大切なものが見つかったからなのかもしれない。一緒にいた子供達が、かおるさんにとって僕らより大切な存在なのかもしれない」
「フェレさん……」
 彼らしくない、とアイは思った。
 元来決して強気な性格ではないけれど、少なくともかおるの捜索に関しては、弱音を吐いたことは今までに一度として無かったのに。
「……もしかして酔っ払ってる?」
 アイが一応そう訊くと、フェレットは頭を横に振った。
「僕はまだ一杯しか飲んでないよ。ただ、ふと思い直してみて、そんな気がしたんだ。じゃなければ、無断でいなくなるなんてことやっぱり無いと思う。……迷子になって漂流した可能性は有り得るけど」
 足元から這い上がってくる不安に襲われて口にした言葉ではない。
 かおるのことをよく知っているからこそ、フェレットはまた彼の行動が信じられなかったのだ。
 新たな航海に赴く時は何時だって、見知らぬ大陸が手招きをしているように感じるものだった。
 だが、今回は違う。
 未知の大陸アフリカは、船団のことを拒絶するのではないか。
 そんな不安が頭にこびりついて、離れなかった。
 フェレットの声が吐かれた後、そのテーブルには静寂が落ちた。
「フェレさん」
 やがてその静寂を打ち破ったのは、”コンスタンティア”の船長、リィの声。
 真横から届いてくる声に、フェレットは複雑な表情で耳を傾ける。
「かおるさんに会って、真相を聞きましょう」
 今ではもう一日たりとも彼女の声を聞かない日はない。
「怖がってしまう気持ち、わかります。でも、今回は迷っていても、きっと何も進みはしないですから」
「簡単に言ってくれるな」
 けれどそれが、こんなに鬱陶しく感じたのは初めてのことであった。
 君に何が分かるって言うんだ、そう怒鳴りつけたくもなった。
 抑えることが出来たのは、単にそうする気力さえも無かっただけなのかもしれない。
 そして彼女の言うことが間違いではないことも知っていた。
「その為にリスボンまで来たんだからな。他に選択肢が無いことくらい知ってるよ」
「でしょう。だったら、もっと元気出してください。体力が残ってないと、とてもアフリカまで体が保ちませんよ! さぁフェレさん、もっと飲んで飲んで!」
 リィはそう言い、半ば強引にフェレットの眼前にあるグラスへと、酒を注ぎ込むのであった。
「ねぇフェレさん。飲みましょう?」
「……ああ、分かったよ。こんな時は無理にでも元気を出すべきなのかもな」
 リィだって特別酒が好きなわけでも、強いわけでもない。
 自分の為に無理をしてくれているのだと知り、フェレットは仕方無くグラスへと手を運んだ。
「それに、アフリカでやらなければいけない仕事も有るんだろう」
 二人のやり取りが平穏に収まったと見え、再びカリタスが静かに口を開く。
 彼は何も、ただ”永久機関”の船員の輸送だけを目的にここまで来たのではなかった。
 イスパニア、セビリアの町でフェレットらが受けた依頼はかなりの戦力を必要とするもので、いざとなれば自身も参戦すべく、リスボンまで出向いてきたのだ。
「イスパニアも何かと大変な様だな。今セビリアでは、命知らずの船乗りを多数募集してるんだって?」
 カリタスの言によれば、つまりフェレット達も命知らずであるらしい。
 それに加勢するつもりで来たのだから、彼自身もだ。
「アフリカ大陸の最南端にあるケープの付近の海で、海賊達が終結して一大艦隊を形成しているそうですよ。交易船が殆ど通れないような状況になってるとか」
 フェレットがそう、改めて事情を説明する。
「イスパニアでもタベラ枢機卿が直々に、海事ギルドへと海戦が出来る者の募集を掛けるよう、依頼したらしいです」
「ルーファからの報告でもそう聞いてるけど、どうしてその依頼を受けるつもりになった?」
「依頼の報酬額が並じゃなかったから、ですな」
 フェレットはあっさりそう言い、カリタスは少し拍子抜けをした。
「解り易い理由だが……君ら、いつから冒険者と傭兵を掛け持ち始めたんだ」
「ま、僕に取っては一応国家の危機でもありますからね。それに、あと」
「あと?」
 フェレットがごにょごにょと小声で何か言っているのを見て、首を傾げるカリタス。
「場所、ルアンダからそう遠くないし。かおるさんが復帰したら、リハビリ代わりに丁度良い依頼だと思ったんです」
「国家の危機も、あの人に取っちゃリハビリ代わりか」
 疑問は氷解し、カリタスはふっと笑った。
 今回、ケープ付近の海域に終結している海賊の艦隊を滅ぼすべく向かうのは、フェレットらの船団だけではない。
 期日は今から二ヵ月後。
 二ヵ月後、その時が訪れた際にケープへと終結した船乗り達と共闘し、海賊を倒す……という手はずになっているのだ。
 まだ見ぬ大陸へと旅立つことに不安を覚えなくもない。
 それと同時に、高揚感も胸から込み上げて来て、全ての感情を乗っ取ろうともする。
(まずはルアンダ。それからケープだ。大丈夫だ……かおるさんはきっと帰ってくる。これ以上不安に思うことなんて、きっと無い)
 迷っていても、ここから何も進みはしない。
 フェレットはさっきリィが口にした言葉を思い出したが、あの時と同じような苛立ちはもう感じない。
 確かにその通りだ、とだけ思う。
 げに恐ろしき酒の魔力よ、と思いつつも、この魔力に浸ったまま、もう少しいることにした。

2

 ルアンダから一時間も歩けば、人気が全く無い荒野へと出る。
 そこからさらに進んだところに、民家が一つ、ぽつんと建っていた。
 その古びた民家は大きくもないし綺麗でもないが、何時だって幸福の光景がそこにはあった。
「フオオオオ!」
 家の主らしき男はやたらと胡散臭い風貌をしていて、そこから放たれた声は外見以上に不気味だった。
 家の掃除をしている最中に、何やら見知らぬ物を発見したらしい。
「かおるさん、どうしたの?」
 そもそも彼が掃除をしている事自体が、年に一度かそれ以上のことだ。
 物珍しげにして、少女アスナはそれを後ろから眺めていた。
「ちょ、これ見てこれ!」
 アスナのほうへと振り返ったかおるは、普段とは違う顔の形をしている。
 それもまた、普段以上に胡散臭いものであった。
「あははははは」
 アスナは大笑いをした。
 その声を聞いて子供達が駆けて来て、また腹を抱えて笑う。
 彼が被っている仮面――ごつごつとした質感のそれは妙に優しげな顔をしていて、頭から生えている羽根のような葉っぱの群がまた奇妙で可笑しかった。
「ははは、かおるさんが被ってると変に似合ってておかしい!」
 何故かかおるからマー坊と呼ばれている少女、セルマが涙を流しながら口にした。
 その後ろにちょこんと立っているのは、ミケという名の少年だ。
「ナウいかね」
「うん!」
 セルマに続けてミケも、うん、と小さな声を出す。
「祭礼用のマスクらしいわ。ルアンダに住んでいるおじさんが、使い道が無いからってくれたの」
 アスナが言う。
 本来の使い道ではないけれど、こうして子供達が笑えればいいと、貰って来たのだ。
「ねぇ、かおるさん。お掃除も良いけどそろそろ町に行こうよ。食料も心もとなくなってきたし、買出しに行っておかないと」
「おう、んじゃ行くか」
「……そのマスク、被ったままで?」
「忘れてた」
 かおるは祭礼用マスクを外し、脇に抱えた。
「……持って行くのね」
「うん」
 何故持って行くのか、アスナはもう訊ねる気は無いようだった。
 家を出ると、空一面にはどんよりとした灰色が広がっていて。
「もしかしたら雨、降るかもね。早目に行ってこないと」
 空をぼんやりと見上げて、アスナが呟いた。
 隣ではマテウスが、そんな空から目を背けるようにして、地面へと視線を落としている。
「雨が降るか、晴れてくれればいいのに。曇り空ってなんだか、嫌いな色をしてる」
 重々しくて、落ちてきそうで嫌なんだ。
 マテウスはそう続けた。
 重々しい雰囲気――分からなくもない。
 だが、かおるはそんな灰色が嫌いではなかった。
 慣れ親しんだ倫敦の町は何時だって、そんな色をしていたから。
 荒野には時々風が押し寄せてきて僅かな草木を揺らし、また何処かへと吹かれて消えていく。
 ほんの少しの寂寥感さえ抱かせるこの場で、彼らは楽しげに会話をするのだった。
「ねぇかおるさん」
 しかし、途中で吐かれたセルマの声は、浮かばぬ色をしていた。
「明後日からまた、お出かけなんだよね? 今度は何時頃帰ってくるの?」
「ああ、今度はそんな遅くならんと思う。十日とか、そんくらいかな」
「十日かあ……でも長いね。マグロ漁船のお仕事ってやっぱり大変なの?」
 重ねてセルマに訊ねられ、かおるは一瞬考えた。
 そして何かを言おうとするも、セルマの声がそれを遮る。
「あたしも手伝いたいな。そうしたらかおるさん、少しは楽になるかな」
「……ボクも」
 ぼそりと、ミケがさらに言葉を連ねた。
「何言ってんだよ。お前らみたいな子供じゃ、行っても邪魔になるに決まってんだろ」
 そう口を挟んだのはマテウス。
 とは言っても彼だって、年齢は二人と一つか二つしか変わらない。
 アスナを除いた三人は十年と少しの年しか生きていない、あどけなさが多分に残る顔つきをしていた。
 だが、それでも。
(大きくなったものだ)
 かおるは思った。
 海から帰ってきて彼らの顔を見るたび、そう感じていた。
 まだ大人とは呼べないけれど、本当に成長したのだ、彼らは。
 アスナ、マテウス、セルマ、そしてミケ。
 出会ったのはもう、八年近くも前のこと。
 ――あの時はまだ、一人では何も出来ない子供たちであったのに。
 彼らと出会い、自分は色々なものを貰った。
 もしも彼らを知ることが無かったなら……自分は今生きているかも解らない。
 生きていたとしても、きっと今ほど幸せだと感じることは無かっただろう。
 ……あの長かった暗黒の時代も、愛しい仲間達と過ごした冒険の日々も。
 そうだ、全てはきっと今の為に在ったのだ。
「かおるさん?」
 アスナが彼の声を呼ぶも、かおるの神経は別のところへと向けられたまま。
(どうしてんのかなぁ)
 何故だろうか、今日はやたらと、過ぎ去った景色が脳裏を繰り返し過ぎる。
 北海の、倫敦を思い出させるあの灰色の空のせいか?
 ……愛しき仲間達。今ここにはいない仲間達。
 きっともう会うことはないだろう、仲間達。
 いや、もう彼等のことを仲間と呼ぶ資格は自分にはない。
(俺……私、か。いや……俺がいなくても、彼らはきっとこれからも、幸せにやっていける)
 フェレッチ君はギャルと幸せにやってそうだし。
 アイさんはまぁ、酒が有ればどうとでもなるだろう……むしろアイさん=酒みたいな。
 彼らと過ごした日々は、今も色濃い記憶として残されたまま。
 だから浮かばせようと考えさえすれば、彼らの顔はすぐにイメージ出来た。
 ずっと拒絶してきたはずなのに、ふと、思い出したくなったのだ。
 浮かんでくる幾つかの顔は、潮風に吹かれながら楽しそうに笑っている。
 酒を飲んでは楽しく笑い、航海の先で未だ目にしたことのないような美しい風景を見つけた時も、彼らは心からの笑顔を浮かべた。
 この祭礼用マスクを見たら、やっぱり彼らは大声で笑うだろう。
 だが、彼らは今ここに居ない。
 これからもう、出会うことも無いだろう。
「かおるさん!」
 金糸刺繍で仕立てられたイスラムの服装ドルマンを、思い切り引っ張られた。
 さすがのかおるも予想できず、つんのめりそうになる。
 引っ張ったのは華奢な少女の腕で、それはアスナのものだった。
「かおるさん……今、私達とは別のところ、見てた」
「ンア?」
「私達四人とも、こっちにいるよ。曇り空ばっかり見てないで、もっと私達のほう向いててよ」
「……じゃそうする」
 ぶっきらぼうな声を返してみせる。
 ぶっきらぼうながらも心外だ、と言いたげな声……そんな風に、アスナは思ってくれただろうか。
 気付かれないようにして、彼女の表情を確認しようとする。
 が、出来なかった。
「フグッ?」
 今度は、何かが背中にのしかかってきたのだ。
 覚えのある感触だが、突然のことなので戸惑うかおる。
「曇り空なんて、マグロ漁船の上でも見れるもん。だけど漁船に乗っちゃったらあたし達には会えないんだよ。だからもう、空ばっか見てちゃあダメ!」
 背中に負ぶさっているのはセルマだ。
 さらに、無言でドルマンの裾を引っ張っているのはミケ。
 楽しそうに押したり引いたり、繰り返している。
 彼らの楽しそうな声、幸せそうな顔。
 それを見て、記憶の中にある光景を思い出さずにはいられない。
(……疑うな)
 かおるは掌を強く、血が滲むほど握り締めた。
 運命の皮肉と残酷さをただただ呪いながら。
(この光景を、この幸せを疑ってはいけない)
 無いものねだりは幾らだって出来る。
 ここに在るものがどれだけ大切なのかを考えながら、今日だけを生きよう。
 幸せは何時だって、少し目を逸らしている隙に、その不思議な力を失ってしまうものだったから。

3

 リスボンから真っ直ぐ南へと向かい、船団は一度、カナリア諸島にあるラスパルマスの町に寄港した。
 この町の出港所で、リスボンの冒険者ガスパールとアイが壮絶な飲み比べ合戦を繰り広げたのは、今からもう数年も前のこと。
 たかが数年だけど、フェレット達にはそれがやけに懐かしく思えた。
 だが、懐かしさだけに浸っていては何も進みはしない。
 補給を早々に終えて船団はそこからさらに南下を続けるのだった。
 かつて無人であった島に作られたカーボヴェルデの町へと到達した辺りから、船が走るその地面の色、海の色が少しずつ変化を始めた。
「すごーい! こんなこと初めての体験だわ!」
「アフリカは海の色も違うのね……世界にこんな海の色があるなんて、知らなかった!」
 カーボヴェルデを出発し、一行は今再び海の上に居る。
 この船の名は”コンスタンティア”。
 世にも珍しい女性船員のみが搭乗しているフリュート船だ。
「こんなロマンチックな光景、隣に男の人がいたらもっと素敵だったのにねぇ」
「次の町についたら、誰か誘ってみたらどう? カリタスさん辺り、どうかな」
「パングさんなんかもホイホイ付いてきそうよね」
(……こらこら)
 お喋りな船員達のやり取りを密かに聞きながら、船長であるリィは珍しく機嫌悪げにしているのだった。
 彼女は元々は”フォスベリー”の一乗組員である。
 甲高い歓声ばかりが響き渡るこの船の上で、時々あの船の男臭い雰囲気が恋しく思えることもあった。
(この海の色――)
 緑の海。
 決して濁っているわけではない。
 射し込む太陽光線の量、海の深さ、そして海の鮮やかさを演出する珊瑚礁の群。
 それらがこの海を美しい緑色へと変化させているのだ。
「船長?」
「……えっ」
 背後から声を掛けられて振り返ると、そこにはリズウィーが心配そうな顔をして立っていた。
「どうしたの、リズウィー。何か見つかったの?」
「いえ……。船長、何だか浮かない顔をしてると思って……」
「そうだった、かしら?」
 自分は誰もいない海のほうを見ていたのに、どうして解ったのだろうか。
「別に普段と変わらないつもりでいたんだけど」
 そうして彼女が放った声もまた、明るいものではない。
 リズウィーの顔に益々不安の色が広がった。
「もっもしかして、私達があんまりキャーキャー騒いでるから怒ってました……?」
 それも確かに、少しだけ有るけど。
 思いはしたが、リィはわざわざ言いはしなかった。
 普段ならきっと、自分も彼女達と一緒にはしゃいでいただろうから。
 今、そうすることが出来なかったのは理由があった。
(――この海の色、見覚えがある)
 エメラルド色をした海が、記憶を擽って止まないのだ。
 この感覚は、初めて感じたものではなかった。
 あの時アテネで感じて以来、ことあるごとに責め立てる。
 この光景も……あの町の空も、建物もみんな。
 フェレさんやみんなが教えてくれた色々なことも、すべて。
 もしかしたら何もかも、自分は知っていたのではないか。
 知っているんでしょう?
 そう問い掛けてくるのだ。
 ずっと長い間、何処かに隠れていたもう一人の自分が、問い掛けてくる。
 頭の中に霧がかかったようになって、この眩いばかりの光景も素直に楽しめない。
 いつかこの霧が晴れる時は来るのだろうか。
 そして晴れたときには記憶が戻っていて……私はそれでも、此処に居られるのだろうか?

 エメラルド色の海は何もかもを眩ませるほどに美しく。
 その光に紛れるようにして動く闇もまたそこにはあった。
 アフリカの海に住む海賊たちは地中海に比べて数が多く、その分縄張り争いも激しい。
 生き抜く為には比類なき力が必要となり、手にした刃の鋭さは海をも裂く程だ。
 メルキオール海賊団という、インドでその名を知られる海賊団があった。
 そのリーダー、メルキオールは浅黒い肌をしたハンサムな青年の姿をしており、海賊達を束ねる主としてはあまりに華奢な体躯をしている。
 だがその実力の程はインドの海全域にも轟き渡っているほどで、かつてイスパニアの艦隊から奪ったというその剣で、キャラベル船一隻の船員達を全て一人で斬り殺したとも言われている。
 また艦隊戦の指揮においても並々ならぬ腕をしており、たった三隻の船で敵船二十四隻を沈めたという伝説めいた話も残されている程だ。
 それがただの伝説ではないことは、海賊団の面々が一番よく知っている。
 その際にもメルキオールは敵船へと自ら乗り込み、散々斬りまくって船内を朱に染めた。
 だがその時はメルキオール一人ではなかった。
 メルキオールと共に敵船へと突撃し、まるで風を切るかのように人を斬っていった男があと二人、いたのだ。
 その一人、まるで猛る虎のような怪力でもって船を砕き、もう一人はまるで鋭い眼光を放つ狼のような神速でもって海を駆けたと海賊達は噂した。
 ”海狼”と呼ばれしその海賊、長く行方を眩ましていたが、今再び本来の巣へと戻り、時が満ちるのを待つようにしてそこにいた。
 長き戦友であった”黒き虎”と称されし男もその場にはいて、そしてメルキオールもいる。
「……つまり今回はただ傍観していれば良いんだろう?」
 ”海狼”は息を吐くようにして言葉を放った。
 とても自らの主に対して吐かれたものとは思えないほど、それは不躾な声だった。
「ああ、そうなる」
 メルキオールは慣れているのか、それを大して気に留める様子もない。
 海賊団の旗艦”ルーレライ”の船上でのやりとり。
 この場には三人だけでなく、各船の重要人物達が集結している。
「なら、俺がここにいることは無いだろう。また戦いの機会があったら呼んでくれ」
「おい、何処へ行くつもりだ? まだ会議の途中だぞ」
 ”黒き虎”が一応呼び止めようとする。
 本心では、どうせ止まらないだろうと知りつつも。
「”人畜無害”に帰る。その後ルアンダまで」
「何だよ。人畜無害って」
「フリゲート船の名前に決まってる」
 それだけ言い残し、”海狼”はさっさと船から去って行った。
「……あの野郎、この間は自分の船じゃねぇとか言ってた癖に。しかもまた妙ちくりんな名前付けやがって」
「鉄張りの黒い船体に黒い帆、さらには髑髏の紋章までつけられているのに名前は”人畜無害”だという、そのギャップがミソなんだろうな」
 何故か楽しげに、つらつらと語るメルキオール。
 海賊達が呆気に取られている中、真剣な表情へと戻った。
「確かに彼の言う通りではあるからな。他所の海賊とイスパニアの勢力が潰し合う様を、横から眺めるのが我々の仕事だ。酒の肴にでもなるような、良い戦いを演出して欲しいものだな」
「どっちが勝つと思うんだ? メルキオール」
 ”黒き虎”クライドもまた、この人物と長き年月を共にしてきている。
 話す言葉は対等であり、同じ視線で彼のことを見据えた。
「イスパニアの戦力がはっきりしてない分、まだ何とも言えない。だが海賊達が敗れるとは考えにくい」
「奴等もアフリカでは名の知れた連中らしいからな」
 メルキオール海賊団は今までインドでの活動を主としてきて、アフリカでの勢力はまだ小さい。
 だからこそ、今ここでイスパニアとアフリカの海賊が潰し合ってくれるのは願ってもない好機であった。
「イスパニアには頑張って貰いたいものだな。彼等が健闘してくれればその分、こちらも動きやすくなるというものだ」
 メルキオールが瞳を向ける先には大海がある。
 フランスの豪商であった男とスラヴ人の女との間に出来た子は、胸の内に多大なる野望を持って生まれた。
 求めし物は金ではなく、ただこの広大な海、そしてそこに広がる景色。
「これからまた忙しくなる。頼むぞ、クライド。お前達二人の活躍なくば、俺もまたアフリカの海を収めることは出来ないだろう」
「ああ……」
 クライドはこの猛き貴公子が胸に抱く、何人たりとも折ることの出来ない意思を誰よりもよく、知っていた。
 信頼をおいている腹心の部下でさえも、メルキオールの心の根底には決して、近寄ることを許されない。
「かおるも帰ってきてくれた。彼はもう、二度とこの手を離れることは無いだろう」
 離れることは無いのではなく、離れられないのだ。
 そう、仕向けている。
(逃げ道は無ぇか……)
 全てを溶かす灼熱と、凍てつくような冷気を併せ持ったその意思の剣、何人たりとも折ることは出来ないと、クライドは知っていた。

4

 見知らぬ世界へと踏み出すことは冒険者にとって最大の栄誉であり、また何より好奇心をそそられることでもある。
 だが”未知”という名の魔力は、彼らから体力、精神力を根こそぎ奪い取ろうともするのだ。
 アフリカの太陽は焼け付くほどに熱く降り注ぎ、水夫達の中に倒れるものも出始めていた二十日目の航海。
 サンジョルジュを出発してサントメを通り抜け、ようやく船団はルアンダへと到達した。
「あー長かった! 死ぬかと思った!」
 藍色と微かな朱色で染め上げられた夕闇の空が一面に展開された中、颯爽として陸に降り立ったのは”フォスベリー”の船長、フェレット。
 その顔には隠せない疲労の色と、未知のものに対する好奇心が同居している。
 いや、僅かに好奇の心のほうが勝っているようで、出航所役人との手続きをアイ達に任せ、フェレットは一人さっさと町の方に歩いていった。
「やれやれ、決して頑丈そうじゃないのに、あれで生命力は人並み以上にあるんだから……」
 アイの呟きに、カリタスやパングなどそこにいたほぼ全員が頷きを返した。
 彼らもまたげっそりとしていて、出来れば今直ぐにでもベッドに横たわりたい気分でいるのだろう。
 他の船長に少し遅れて、リィがタラップを下ってきた。
「長かったわね、リィちゃん。大丈夫?」
「ええ、私は大丈夫なんですけど」
 アイに訊ねられて、リィはその表情を暗くした。
「船員が何人か、熱射病にかかってるみたいで……。命に別状は無いと思いますけど、ちょっと心配です」
「あの日の照り具合じゃねぇ。うちの船員も途中でへたったりしてたわ」
「やっぱりこんな時、船員が女性ばかりだと大変です。男の方の手が欲しくなるって言うか」
 リィは力無い笑いを浮かべるのだった。
 釣られてアイも苦笑いをする。
「確かに男の人は元気よね。さっきも一人、さっさと町の方に行っちゃった男の人がいたもの」
「フェレさんですか?」
 疑問系で言いつつも、リィは確信をしていた。
 さすがに結構な長い付き合いだけあって、行動パターンもそれなりに読めているのだ。
 それに今回に限っては、しょうがない部分もある。
「この町にかおるさんが居るんだものね……」
 アイはそう、感慨深げに言った。
 本来なら自分だって、出航所での手続きなど投げ出して町へと走って行きたいのだ。
 彼がここにいると教えてくれたのはヴェネツィア海軍の将校を務める若き女性、ゼルダ。
 彼女は確かに目撃したと言ったが、それはもう一年と数ヶ月も前の話なのだ。
 その間にかおるがここから移動していたとしても、何の不思議もない。
 だが、初めてまともに得た情報なのだ。
 そこから一つずつ当たっていかねば話はこれ以上進まないだろう。
「よし。私達も行くとしますか」
 手続きを終え、アイは気勢を上げるように言った。
 何も知らぬ未開の土地。
 そしてそこには、誰よりも親しい一人の男がいるはずであるのだ。
 冒険者足るもの、ここで気力を振り絞らずにどうする。
「それに……多分だけど、フェレさん困ってるだろうしね」
 アイはまた、呟くようにしてそう言葉を加えた。
 今度は他の船長達、ただ疑問顔になる。
 その疑問が解明されるのはフェレットを見つけた時、それから五分程後のことになるのであった。

 フェレット達からして未知の存在であるなら、つまりフェレット達もまた、相手方からは未知の存在ということになる。
 心臓を早鐘と変えて町を進んでいたフェレットだったが、早速周囲にいた子供達に取り囲まれ、色々と話しかけられることとなった。
 此処に辿り着くまでアルギン、サンジョルジュといった幾つかのアフリカの町に寄ってはきたが、急ぎ足でいた為にまともに町の人間と話す機会はあまり無かった。
 だからこそ、このルアンダの子供達と親しくなるつもりでフェレットはいたのだが……。
 たった一つ、予想外のことがあった。
 数人の子供達の話す声。
 声変わりをしていない少年達の声は可愛らしくもあったが、同時に雑音のような耳慣れぬ感触も含んでいたのだ。
(これ、何語だ……?)
 彼らの話すその言葉が一つとして聞き取れない。
 フェレットは焦り、ポルトガル語で彼らに呼び掛けてみたが、子供達はただ首を傾げているだけだ。
(な、何故だ。サンジョルジュじゃ、ポルトガル語が通じたのに…思わず落とし穴だ)
 子供達は相変わらず、フェレットの周囲にまとわりついている。
 言葉の通じない相手を前にして、珍獣でも眺めるように楽しげにして、そこにいる。
(困ったな)
 いきなりこの場から逃げ出すのもどうかと思うしな……と珍獣フェレットは悩んだ。
 かおるさんを探さなきゃいけないのに、こんな所で無駄な時間をかけている訳には……。
 困惑した顔でいたフェレット。
 しかし突如としてあることを思い出し、ぱっと目を見開いた。
(そうだ! かおるさんは子供達と一緒に居るってゼルダさんが言ってたんだ!)
 まさかこの子達が、そうなのか?
 フェレットは一瞬にして気力を取り戻し、子供達の顔を順々に見回してみた。
 人数は四人。
 男の子三人、女の子一人。
 年齢は……まだ十歳にも満たないようだ。
(ゼルダさんの話では、十歳は越えてるって事だったな)
 外したか、とフェレットは目に見えてがっかりした顔になる。
 子供なんて無限にいるだろうし、この子達がかおるさんの連れている子供達である確率は僅かであろう。
 だが、この子達はルアンダに来て初めて知り合った人間だ。
 ……いや、まだ知り合ったとは言えないだろうけど。
 彼らから一つずつ当たって、情報を入手していかねばならない。
 たとえ言葉が通じなくても、そうだ。僕には顔があり体があり、手と足があるのだ。
 フェレットは子供達を目の前に並ばせて、そして彼らのほうを見据えた。
 そして何をするかと言えば。
 ぴくり。
 自身の眉間に深い皺を寄らせた。
 瞳は半開きにして、口元もまたきっちりと締め、頑固そうな人間の顔を作っている。
 所謂”仏頂面”。
 フェレットがイメージするかおるの顔を、彼は作って見せたのだ。
 そして右手の指で自身の顔汚指差す。
 これを目にしたことで、僕らがこんな顔をした人を探しているということに気付いてくれないだろうかと……そんな希望を込めた仏頂面。
 だが、そんな希望は彼らからしたら笑いの種でしかなく。
「っはははっはっははは!」
 返ってきた反応……何層にも渡る笑いの声、ただそれだけ。
 子供達はフェレットの顔を見て、大笑いをし始めた。
 相当可笑しかったのだろうか、地面に転がって腹を抱えて笑っている。
(こ、このガキども)
 フェレットは腹立たしい思いをしていたが、笑い声が万国共通のものであると知り、不思議な興奮をも抱いてもいた。
 そんな興奮はしかし、今ここでは何の役に立つこともない。
 普通の顔に戻ったにも関わらず、まだ笑われている。
 どうしたものかと途方に暮れていたフェレットだったが、
「何してるの? そこで」
風の音を押し退けるような声が響いてきたのだ。
 それは此処に居る子供達の声とは違う。
 この子達の話す言語でもなく、ポルトガル語でもない。
 フェレットにも馴染みの深い、北海で長く常用していた言語、英語であった。
 もしかしてアイさん?
 フェレットはそう一瞬だけ思ったが、直ぐに思い直した。
 彼女にしては声が若過ぎる。
 変声期を過ぎたばかりの少女の声だった。
「ねぇ。その人を放してあげてよ」
 少女の声がそう言うと、纏わり付いていた子供達が直ぐに、その場から少しだけ遠ざかった。
 彼らはまだ興味津々にこちらを見ているが、フェレットの視線は別を向いている。
「助かったよ。君は……?」
 視線の先にいるその少女。
 この熱を帯びた大地に似合わない、ふうわりと柔らかな金色の髪をしていて、その雰囲気は遥か北の国の風景を想像させるものであった。
 年齢は十二、十三と言った辺り――十を少し越えた辺り、だ。
 だが、この時点ではフェレットの神経はそこまで深くを考えられず。
「お兄ちゃん、この町の人じゃないよね」
 言おうとしていたことを先に言われて、フェレットは少し遅れて頷きを返した。
「僕はスペインの人間だ。名前はフェレットって言う。君は?」
「あたし、セルマって言うの」
 少女セルマはそう言うと、フェレットに向けて満面の笑みを浮かべた。
 同じ肌色をした者に対する安心感のせいか、そこに警戒心などなく。

 一度途切れたはずの運命が再び交わろうとする瞬間。
 邂逅はやがて大いなる悲劇を招くことになると、誰もが知らぬまま。
 無情にも時は流れ、物語は進み行く。
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  1. 2005/09/05(月) 02:39:43|
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フェレット(或いはスネばな)

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