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航海タイム

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第十六章 求めし夢の肖像

1

 キャラック船”バブーシュカ”の船内は、何時にも増して活気に包まれていた。
 船員達は皆、数年間もこの船の上で一緒に過ごしており、互いのことを知り尽くした家族のような存在達ばかり。
 そしてこの度、三年もの間恋人同士として暮らしてきた一組の男女が、結ばれることとなった。
 新婦となる予定の女性、エジェリーは既にその胎内に新たな命を抱えており、今回の航海には同行せずに町に残っている。
 そのせいだろうか、青年フロランの視線はことあるごとに一定の方向を向き、その度何かを思い出してはぐにゃりと破顔するのであった。
 ”バブーシュカ”は今、エメラルド色に輝くアフリカの海を進んでいる。
「おい、お前ちゃんと前見てなよ。ここで座礁しちまったら元も子も無いんだから」
「あ、すんません。ディヴィ船長」
 解れば良いよ、とディヴィは笑った。
 船長を務める青年もまた、フロランとエジェリーの関係はよく知っている。
 元々エジェリーはフランス、ボルドーの町に住む一般の町民であった。
 北海へと向かう際にたまたまボルドーに立ち寄って、フロランが一目惚れをしたところから話は始まった。
 そして彼女とフロランの仲を取り持ったのはこのディヴィであったのだ。
「しかし、フロランもついに結婚か。俺も考えさせられるな」
「考えさせられるって……」
「俺ももう若くないからな」
「そんな、船長ってまだ二十六歳でしょ。船乗りとしちゃむしろこれからですよ。ヴァスコ・ダ・ガマもクリストバル・コロンも皆オッサンばかりなんッスから」
「また凄いところと比べてくれたな。それにヴァスコ・ダ・ガマはまだ三十路前って話だぞ?」
 ディヴィは、はははと声を立てて笑った。
 その笑いが他の船員達にも伝染り、彼らも皆楽しそうに笑っている。
「ところで、名前は決めたのかあ? 子供の」
 甲板の反対側で操船作業に当たっている船員が、大きな声で訪ねて来た。
「ああー! 当然だよ!」
 フロランはにんまりと笑い、
「男だったらユーグ、女の子だったらクラリスにしようって、もう一年も前から決めてあんだ!」
笑い混じりの叫び声で返した。
「俺達も覚えとかないとな。女の子だったらエジェリーと親子二代で、うちの船の看板娘になることが決定してるんだから」
 ディヴィが背後からそうこっそりと声を挟み入れた。
「男だったら、どんな風に育てて欲しいですか?」
 振り返ってフロランが訊ねると、ディヴィは顎に手をあてて考えた。
「お前以上の剣術家に……と言いたい所だが、海が好きな人間に育てば、俺からは何の文句も無いよ。……と、それよりそろそろだな」
 夜を迎えて辺りは一気に冷え込んできたものの、この船上だけは相変わらず、ほのぼのとして暖かい空気の中にあった。
 今、船が見据えている先にはアフリカ大陸の岸がある。
 アフリカの西岸に位置する町サンジョルジュで受けた依頼を果たすべく、これからこの辺りで上陸し、”青い瞳の獣”を探索する予定となっている。
「思ったより遅い時間になってしまったな……。この辺りは人が住んでいなさそうだし、下手な所で野宿するのは危険だろう。今日は船上で夜を明かし、明日早朝から出発するとしよう」
「イエッサー!」
 ディヴィの声に、船員四十六名の声が重なって返った。
「で……フロラン。お前には今夜一晩、たっぷりと話を聞かせてもらうからな」
 急にひそひそ声になって話しかける船長を見て、フロランは苦笑する。
「またですか。この航海の間、もうずっと聞いている癖に……」
「お前だって本当は話したがってる癖によく言うな。良いか、幸せってのはな、一隻の船で共有するものなんだよ」
「それは確かにッスね。船長、相変わらず良いことを言う」
「だろ? だったら早速準備をするぞ」
「準備?」
「宴会の準備以外に何がある?」
 そう言うと、船長自ら船倉のほうへと駆けて行く。
 さらに数人の船員が付いて行って、たくさんの酒瓶を持って帰って来た。
 ”バブーシュカ”の船員達は皆、どっかと甲板に座り込み、それぞれに酒を飲み始めた。
「大した肴が無え分、お前の話で酒を旨くしてくれよ。フロラン」
「一生にいっぺんしかねえ出来事なんだ。何度でもてめえののろけ話に付き合ってやるから、聞かせろ」
 ばらばらに座っていたかと思いきや、違う。
 何時の間にか、船員達はフロランを囲むようにして座っていた。
「俺のことも船長じゃなく、ただの一水夫と思って話してくれよ。ここで下手に威張ったら、あとでエジェリーに何を言われるかわからないからな」
「ディヴィ船長! そんな……」
「いいから」
 ディヴィはワイングラスをフロランに渡し、そこにワインを注いだ。
「……船長」
「ん?」
 ディヴィは返事をした後、フロランの顔を見て驚いた。
「どうしたお前、もう酔っ払ってるのか?」
 たった数秒前までそんな素振りも無かったと言うのに、フロランはその瞳を真っ赤に腫らしていた。
 ぐすり、ぐすりと言う音が聞こえて来、ワイングラスを持つ手も覚束無い。
「俺、本当に幸せです。元々は何の能力もない、取り柄と言ったら喧嘩が強いくらいのしょうもねえ人間だったのに……。あなたに出会ってこの船に乗って、それから全部が変わりました」
「何、世話になってるのはこっちもだろ。御互い様だよ」
「エジェリーも、船長には本当に感謝してるって言ってました。……ねぇ、船長」
「ん」
 照れているのか、ディヴィの返事はぶっきらぼうだった。
「これからもこんな風に、幸せが続いていきますよね。絶対」
「この船があって俺達が乗ってる限り、不幸になる理由なんか一つも無いよ」
 ディヴィの優しい声を受けると、フロランは一気にワインを飲み干した。
 涙が詰まって堰き込み、その後またワインを催促する。

 やがて海は完全に暗闇によって支配され、そこに響くのはただ小波の音だけとなった。
 フロランは凄まじい勢いで酒を飲みまくっているかと思いきや、あっと言う間に限界を越してしまい。
 波の音を枕にして、甲板で心地よい眠りを貪っていた。
 夢の中でも、浮かぶのは大切な人間の姿。
 彼女の胎内できっと安らかに眠っているだろう、まだ見ぬ子供の姿。
 生まれてきた子は女の子で、エジェリーに似てとても聡明な子に育って。
 年の差はあるけれど、ディヴィ船長と結婚して、”バブーシュカ”の面々と皆で幸せに暮らしている――そんな夢を見ていた。
 甘い甘い夢の光景を引き裂いたのは、エメラルドと黒色の空に挟まれた現実の光景。
 目を醒まさせたのは、響き渡る怒号。
「っ何……?」
 船員の誰かに怒鳴られたのではと思い、フロランは慌てて目を覚ました。
 いや、確かに怒鳴られていた。
「やっと起きたかっ! 死にたくねぇなら、さっさと立ちあがれ! 剣を持て!」
「あ……ラフィ、どうした?」
 口調は荒いが気の良い友人に、フロランは安心しきった声を掛けた。
「海賊だ! 得体の知れねぇ船が一隻、こっちに向かって発砲して来てる!」
「何だって!」
 一言浴びただけで、酔いはすっかり吹き飛んでしまった。
 いや、そう思っても体は付いて行かない。
 立ちあがろうとするか、よろけてしまう。
「落ち付け、フロラン」
 彼のことを支えたのは船長、ディヴィだ。
「あれはフリゲートだな。哨戒任務に使われる軍船だ」
 彼も酒を飲んでいたにも関わらず、口調はしっかりとしている。
 それもそのはず、彼はこの船一酒が強い。
 彼が酔っ払って我を失ったところを、未だ誰一人として見たことが無いくらいだ。
「妙な色をしてやがる。鉄か何かを船体に張り巡らしてるのか?」
 口調が少し荒いのは酔いのせいではなく、辺りに漂う緊張感のせいだろう。
 迫り来るフリゲート船は、帆も船体も黒色をしている。
 この闇に紛れ込むために塗り替えたのだろうか。
「まともに撃ち合ったらまずいかもしれないな。接近して白兵戦に持ち込むか……」
「白兵……」
 フロランが不安な声を出す。
 剣技には相応の自信を持っているが、今の状態でまともに戦えるかどうか。
「フロラン、お前は船室に行ってるんだ。酔っ払いに居られても迷惑だからな」
「船長、でも酔ってるのは俺だけじゃ……」
「泥酔してるのはお前だけだよ。それにお前には無理をされちゃあ困る理由も有る」
 ディヴィはフロランの肩をぽんと叩いた。
「幸せってのは共有するものなんでしょ? それに俺は、酔っ払ってたってこの船の誰より強いッスよ」
「言ってくれるな」
 ディヴィは困ったような笑みを浮かべた。
「まぁ、白兵戦になるか判らんしな。まだ敵船とは距離があるし、戦いを避けられたらそれに越したことはない」
 そう口にした瞬間、遠方から放たれてきた砲弾が、”バブーシュカ”の船体を砕いた。
 衝撃は凄まじく、転倒しそうになる程船が大きく揺れている。
「鬱陶しいな。やはり遠距離から攻めてくる気か?」
「いや、こちらに近付いて来てます!」
「何?」
 船員の一人が叫び、皆の視線が改めてフリゲートへと向く。
 未だ殆ど視界の先が掴めないような状況であるが、確かにほんの少しづつだがこちらへと近付いてきているようだ。
 こちらの背後には岸があって、後退は出来ない。
 もし撤退するのなら、今直ぐに行動に移す必要があった。
「フリゲートはそこまで船員を必要としない船だ。水夫の数はこちらより少ないだろう」
 酔っていても、ディヴィは冷静に物事を考えられた。
 ”バブーシュカ”の面々もまた、海戦を知らなくはない。
 長き航海の間に、海賊と剣を交える機会は幾らでもあった。
「やれるか? みんな」
 ディヴィが言う。
 彼がそう訊ねた時点で、皆の心積もりは出来ていた。
「たかが一隻くらい、物の数にも入りやせんぜ。さっさと片付けて、また宴会を続けるとしやしょう」
「おお! その通りだぜ!」
 船員達はそれぞれの武器を手にして、気合の声を放った。
 皆、今回の航海の終わった先に、大きな幸せが待っていることを知っている。
 それを目にする前に死んでたまるかと、普段とは気合の入り方が段違いであったのだ。
「フロラン、お前は……」
「俺も戦います。大丈夫、無鉄砲に突っ込んだりはしませんから」
「くれぐれもだぞ」
 迫ってくる一隻のフリゲート。
 こちらが意を決してからは、時間が進むのがやけに早く感じられた。
 フリゲートはそのまま一直線に突っ込んで来、互いに砲弾を放てない程の近距離まで迫ってきた。
「来るぞ! 皆準備をしておけ!」
 敵の船は大きくない。
 思いきり積め込んでも、船員はせいぜいこちらの半数位しか入らないはずだ。
 そう知っていても、ディヴィ達は相手を舐めてかかるような真似はしなかった。
 皆、とにかく生きてその後に待つ幸せな光景を目にしようと、それしか考えていなかったのだ。
「速度が落ちないな、敵の船は」
 フロランが怪訝に思って呟いた。
 白兵戦に持ち込むにしろ、ぎりぎりで速度を落とさなければ、そのまま敵船に突っ込んでしまうことになる。
 上手く接舷する為に体勢を整えておかねば、白兵戦どころではなくなるだろうに。
「……まさか」
 フリゲート船の狙いは、白兵戦に持ち込むこと――それは間違ってはいなかった。
 しかし。
「船長! 敵は!」
 フロランが叫んだ時には、もう敵は避けられない位置にまで迫ってきていた。
「みんな、伏せろッ!」
 ディヴィの怒声。
 それとほぼ同時だった。
 フリゲートに取り付けられた鈍く金色に光る衝角が、”バブーシュカ”を真っ二つに裂いたのは。

2

 流れ出した時は、止まらない。
 巨大なキャラック船は激しい衝撃を浴びて、船体の四分の一が塵のようになり、消し飛んだ。
 体勢を整える時間をくれる訳がなく、フリゲートは”バブーシュカ”に接舷。
 そこから大きな足音を立てて、敵の船員達が乗り込んで来た。
「みんな無事か!」
 船体は今の突撃でぼろぼろにされたものの、中にいる船員達はまだ五体満足のままだ。
 真っ先に立ちあがったディヴィの声に、仲間達は次々と応じた。
「くそ、ふざけた真似しやがって!」
 フロランも立ち上がると、自分の額から何かが垂れてくることに気づいた。
 どうやら転倒した時のショックで、軽く額を切ったらしい。
「なにっ、酔いが覚めて丁度良いぜ!」
 言い聞かせるようにそう叫びながら、フロランは再び、ぎゅうと剣を握った。
 何時の間にか、半壊した”バブーシュカ”に覚えの無い人影が幾つも現れていた。
 その数は見た感じでは、二十かそこら。
 彼らが乗り込んできてから殆ど時間は経っていないし、何処かに隠れたりはしていないだろう。
 敵の姿――皆、無個性な海賊の服装だ。
 何より動きやすさを優先しているのだろう。そしてその手には、奇妙にひん曲がった剣が握られている。
 だが、たった一人だけは違った。
(何だありゃ? 泥でも被ってるかのような……)
 フロランは目を細めて、その男を見やった。
 だがその胡散臭さは確かに海賊のそれに見える。
 遠目でも大きい背丈をしていて、そのせいだろうか、異様な雰囲気を放っているように感じるのは。
「おい、お前が海賊どもの頭領か!」
 フロランは威嚇するかのように、大声を放った。
 だが、相手方からの返事はない。
「よせ、フロラン」
 フロランを制止したのは船長であるディヴィであった。
 大きくはないが強い声で、フロランの感情を沈ませることに成功する。
「こちらには戦う意思はない。お前達の要求は何だ?」
 視線の先に浮かんでいる二十幾つの人影に向かい、ディヴィは声を投げかけた。
「要求か」
 ぽそりと返って来たのは酷く無愛想な声だった。
 そこには、敵意すら感じられない。
「特にこれと言って特筆すべきようなものは無いんだが」
 独り言とも取れるような声が、中空へと向かって放たれる。
 ディヴィ達は呆気に取られたが、どうやらそれは海賊達も同じようだった。
「おい、勘弁してくれよ。金品を残さず奪うくらいのことはしねぇと、ラムで突撃した分と差し引いて赤字になっちまうだろうが」
「私の船じゃないし」
「あのな」
 何やら駄々を捏ねているように見える、長身の男。
 そいつを放って、一人の男が一歩前へと進み出た。
 立派な顎鬚を蓄えたその男は、”バブーシュカ”の船員達をぐるりと見回す。
「ふん、まあいい。お前等、死にたくなかったら金品と食料を全てここに運んで来い。変に隠したりすんじゃねえぞ」
「ちょっと。船長は私なんだけど」
「……てめぇの船じゃないんだろうが。お前がもたもたしてっから、俺がやってんだよ」
 見知らぬ男二人の会話。
 それは何処か間が抜けていて、直ぐ付近に居たフロランを激怒させるには十分であった。
「おいお前等、解ってるのかよ! お前らの方が数が少ない癖に、勝った気になってるんじゃねぇぞ!」
 剣を握った両手がわなわなと震えている。
 フロランとは対照的に、敵のリーダー格らしい一人の男はがははと笑った。
 もう一人の、恐らく船長である男は憮然として佇んだままだ。
「なら、かかってくるか? 死んじまってからじゃあ、後悔は出来ねえぞ」
「抜かしやがれ!」
 よせ、とディヴィは叫ぼうとした。
 しかしフロランの動きは素早く、制止の声を受けるより先に、渾身の力で剣は振るわれた。
 がきん、と鈍い音がして、刃は刃によって受け止められる。
 そのまま振り抜こうとしたが、びくともしない。
 こいつ、かなりの腕力をしている。
 フロランは即座にそう判断をした。
 それなら中距離で、早さで撹乱してやる。
 素早く一歩下がり、再び剣を振るう。
 振るおうとした。
「え――?」
 だが、ぐらりと視線が崩れ落ちたのだ。
 立ったままのはずなのに……視線の先に、甲板がある。
 そこから動かせない。
 上半身と下半身が引き離されたのだと、フロランが気付くことは無かった。
 腕力だけじゃなく、早さでも圧倒的に敵のほうが上回っていたのだ。
 フロランが下がろうとしたその瞬間を見切り、横薙ぎに刃を振るい、そしてフロランの胴を真っ二つにした。
「い、痛い……」
 視線の先にある甲板が歪んでいく。
 幾つか……たくさん聞こえていた声が、何か別のものに変わっていく。
「助け、て……」
 ――大切な人、エジェリー。
 彼女はその胸に、子供を抱えていて……その顔は見えない。
 ああ、俺とエジェリーの間に産まれて来る、新しい命。
 どんな顔をしているのだろうか?
 子供の姿だけじゃない。
 何もかもが薄れて行って、見えなくなっていった。
 全てが激痛によって霞まされていく。
(嫌だ……俺は、まだ)
 その次の瞬間、彼の意識は寸断された。
 放たれた刃が首を落としたのだ。
 幸せな光景も痛みも、全てが天へと呑まれていった。
 失われた命の代わりに、死体からはどろどろとした液体が流れ出る。
「相変わらず甘ちゃんだな、お前は。やる気無かったくせに、痛がってると見るや止めを刺してやるなんてな」
「騒がしくされても困る」
「よく言うぜ」
 止めを刺した長身の男は、再びそっぽを向いてしまっている。
 残されたもう一人は顎鬚をしごくと、”バブーシュカ”の面々を見下した。
「今のヤツみたいになりたくなかったら、さっさとするんだな」
「その必要は無い」
「何?」
 大切だった仲間の亡骸の傍に立ち、ディヴィは真っ直ぐに敵のことを睨み付けていた。
 こいつらだけは必ず殺してやる――そう、溢れ出る怒りの感情を抑えずにそこにいた。
「俺の……俺達の生きる理由が今、半分無くなった。だが……貴様等の首を海に投げ棄ててからではないと、死ぬ気にはなれん」
「死ぬ気にならなくても、死ぬ時は死ぬもんだぜ」
 いかにも面倒臭そうに、男は言った。
 今、自らの向かいにいる男が如何なる思いで剣を握っているのか。
 そんなことを気に留めるつもりは欠片もない。
 ディヴィが甲板を蹴ると同時に、”バブーシュカ”の船員達もまた、一斉に敵へと襲い掛かった。
 例えようのない怒りにその身を任せながら。
 人員の数ではこちらが大分上回っている。
 負けるはずなど無いと、そう思っていた。
 それなのに皆”そんなはずはない”とそう思いながら、その命を散らしていった。
 長き時を過ごしてきた命がたった数秒の出来事によって断ち切られ、失われていく。
 そして剣戟の音が響かなくなるまで、十分と掛からなかった。
「……き、貴様等……」
 ただ一人、ディヴィだけはまだ辛うじて命の灯火を絶やさずにいた。
 顔面を大きく斬られており、あとたった数秒の命だと知りつつも。
「……この、辺りの人間じゃぁ、無いだろう。フランス人……か? 何故、同国人にこんな真似をする」
 今までの会話は全て、フランス語で行われている。
 海賊達にフランス人は一人としておらず、敢えてディヴィ達の言語に合わせて話していたのだが。
 だが、それをわざわざ説明する気も、時間もなかった。
「海賊だからだ」
 たった一言。
 その声が、ディヴィが耳にした最後の声となった。
 燃え尽きた命に彼らは何かを想うこともなく、再び海賊の会話をする。
「蝿みてぇに鬱陶しい連中だったぜ。さっさと貰えるものを貰って、戻るとしようぜ。なぁ?」
 頬についた返り血をぺろりと舐めて、髭面の男はそう口にした。
 右手の指は、耳の穴に突っ込まれている。
 その視線の先には、漆黒のトルコ帽を弄くっている無愛想な男。
「船に帰って寝る。後は勝手にやってくれ」
「おい?」
 くるりと踵を返す船長を見て、髭面の男は呆然とするしかなかった。
 今回ばかりはやけに動作が速く、あっと言う間に船から船へと乗り移っている。
「……今回は俺がわざわざ付いて来てやったから良かったものの……。偏屈なところも相変わらずだぜ、野郎」
 そうぼやきつつも、仕方なく自分達で略奪行為を開始することにした。
 たっぷり積め込まれた食料、交易品。
 交易品の中にはダイヤモンドも混じっていた。
 くまなく船の内部を回ってみたが、その他に目立った金品は見つけられず。
 船室の一つにひっそりと置かれていた指輪には数行の詩が彫られていて、誰にも届くことなく、それは海へと沈んでいった。

3

 未開の土地、ルアンダ。
 その異質な町並みに最初は戸惑いを感じもしたが、一年半という歳月がそれを馴染みある光景へと帰ってくれた。
 一つの仕事を終えて、およそ一月ぶりに帰ってきた町。
 港を出ると直ぐに、大切な家族達からの出迎えを受けた。
「かおるさん、お帰り!」
 よく響く少年の声がまず届いて来て、幾つもの声がそれに重なって鳴り渡る。
 少年少女達はかおるの姿を見かけるなり、こちらに向かって一斉に走ってきた。
 到達するなり、輪のような形になってかおるを囲む。
「何で此処に居る?」
 彼らの家は大分離れた場所にあり、徒歩では数時間も掛かる道のりだ。
 そしてかおるが今日帰ってくることは、彼らは知らないはずであった。
「みんな『かおるさんは絶対今日帰ってくる』って、毎日のようにずっと言ってたの。だから朝起きたら何時も、皆でルアンダまでかおるさんのこと迎えに来てたんだよ」
 健康的な小麦色の肌をした少女が、にっこりと笑って言った。
 しかしかおるはむっつりとして、何も答えない。
 彼が無表情なのは何時ものことだが、今回に限ってはそこに不自然さが加わっていた。
 少女アスナはそれがどのような意味を持っているのか、知っていた。
「ふふ。かおるさん、嬉しがってる」
 かおるはまだ黙ったまま。
 つまり図星であったと言うこと。
「危険じゃなかったのか? あの家からここまで、歩いて二時間は掛かるだろう」
「でも、獣の類は見ないところだから。平気よ」
「なら良いが」
「それより、ねぇかおるさん。折角町まで来たんだから、帰る前に色々見ていこうよ」
 アスナはかおるの目の前に進み出て、彼の瞳を覗き込んだ。
 恥ずかしがって視線を逸らそうとする、かおるの仕草を楽しむようにして。
「わたし、コーヒーが飲みたいわ。かおるさんも好きだったでしょ? コーヒー」
「コーシーか。悪くないな」
「えーっ! あんなの苦いだけの薬じゃん」
 大声で異を唱えたのはマテウスという名の少年。
 名前と肌の色からしてヨーロッパ諸国の生まれであることは間違いないが、彼はそれ以上に自分のことを知らない。
「マテウスももう少し大人になれば分かるよ。苦いものはね、その分体に良いのよ」
 アスナが優しく言ったが、マテウスはわざとらしくそっぽを向いている。
「おれ、どうせ健康だもん。体に良いものなんていらないよ」
 楽しそうに会話をしながら、町のほうへと歩いていく少年少女、そしてかおる達。
「そんなこと言っちゃ駄目。体に良いものを食べないとね、今は健康でも、やがてかおるさんみたいに不健康な大人になっちゃうわよ」
「え……それはちょっと嫌だなぁ」
「でしょ?」
 姉と弟のような二人の会話を、相変わらずの無表情で聞いているかおる。
 今度は別に嬉しそうな様子はない。
 少年少女と一人の胡散臭い男は、そんな風にして町のほうへと歩いて行った。
 少し後ろの方から、それをぼんやりと眺める男が一人。
(……こりゃ、邪魔者みてぇだな。俺は)
 顎鬚を弄くりながらぽつりとそう考えると、男は踵を返そうとした。
「何やってるの! クライドさんも来てよぉ!」
 しかしアスナのそんな声が響いてきて、クライドはいそいそと一行の後を追った。

 ルアンダの町が闇に包まれた時、一行は休憩所にいた。
 コーヒーには利尿作用があると知りつつも、かおるはガブガブと口にして、しょっちゅう席を立っては人気のない場所に消えていた。
 離席した回数が十を数えるくらいになった時、かおるはその人気のないはずの場所で、一人の男を見つけた。
「HIGEも立ちションか」
「みてえなもんだ」
「みたいなもんってことは、立ち大か」
「殺すぞ」
 それだけ言葉を交わし、無言になって並んで用を足す二人。
 その場は異様な雰囲気に包まれていたが、かおるはそれに気付かずに帰ろうとする。
「おい」
「ンア?」
 クライドが呼び止め、かおるは立ち止まった。
 返事もせず、振り向こうともせずに。
「お前、いつまでこうしてるつもりなんだ」
「立ちションならもう終わったが」
「そうじゃねぇよ」
 クライドの声は何故だか、荒いものになっていた。
 さすがのかおるも少し驚き、訝しげに振り返る。
「このままガキのお守りと海賊を両方続けてくつもりか?」
 クライドの陽に焼けた精悍な顔つきに、普段見られない沈痛な翳りが浮かんでいた。
 拭い切れない、やりきれない思いがそこには抱かれている。
 かおるはその鋭い目をさらに細めた。
「……そう言う約束で、俺をここまで連れて来たんじゃなかったか?」
「あぁ、確かにそうだ。だが、てめぇがこのままやってけるとは思えん」
 二人の間に、ピンと張り詰めた空気が漲っている。
 今のこの状況が歯痒くて仕方無えはずだ、とクライドの黒い瞳が言った。
「あのガキ共はてめぇが影で人殺しをしてるってこと、全く知らねぇんだろうが。隠し続けていれば、いつかテメェ自身の精神が保たなくなる」
「かと言って教えることは出来んよ」
「なら、ガキ共を騙したままでここにいるつもりか?」
「他にどんな手段がある」
 かおるは鋭利な刃物のような声で問うた。
 隙間風のような呼吸音、それが二つ、小さく鳴っている。
「ここでも、常に監視の目はある。下手に逃げようなどと考えれば……俺は問題無くやれるだろう。だが、アスナ達がどうなるかわからん」
「この後に及んでガキの心配か。てめえは」
「当たり前だ。でなければここに居る理由が無くなる」
 言うと、かおるは足音を立てて歩き出した。
 去るのではなく、クライドの方に近付いてきた。
「またかよお前?」
「文句は尿意に言ってくれ」
 その一言でクライドを沈めると、かおるはまたさっきと同じポジションにつくのだった。
 今度はやけに長く、暫くそっちの方にのみ、神経を傾ける。
 ようやくそれが終わった後、かおるは言った。
「俺はもう、何も失くしたくない。今ここに在るものを見られなくなるのが嫌なんだよ。――それを失くさない為なら、人殺しの罪だろうと甘んじて受け入れよう」
 たとえ過去を握りつぶしてでも、他人の大切な何かを踏み躙ってでも。
 今ここに在る宝物を失いたくはない。
 あの時のような思いをするのはもう、御免なのだ。
 大切だった仲間達の顔。
 それが一瞬浮かんで、滲んで消える。
 彼らの姿は度々浮かんで、今ここに在る幸せな光景の邪魔をした。
 今でも時々邪魔をするが、やがて消えてしまうだろうと思う。
 何より大事な子供達の姿が、代わりにそこに浮かぶ。
 かおるはクライドのほうを向くことなく、休憩所のほうへと歩いて行こうとした。
「……並の労力じゃねぇぞ」
「労せずして手に入るものではないことくらい、知ってる」
 そうだ、いつだってそうだった。
 きっともうこんな真珠のような光景は二度と手に入らないと、そんな風に思えた大切な時間が、幾度もそこに存在した。
 この幸せを失いたくないと、何度も考えたのだ。
 けれど何時だって、それは長くは続かずに……夏の夜に見る夢の様に、いつしかこの手から離れて、そして過ぎ去って行った。
 ――今この地ににある幸せの、なんと眩いことか。
 そうだ、今はただ浸っていればいい。
 守り続けていればいい。
 誰にも侵されることのない強き意思の元に、かおるはいつもと同じように、家族の元へと急いだ。
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  1. 2005/08/22(月) 16:36:19|
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