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航海タイム

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第十五章 時は流れ出した(後編)

4

 オスマントルコへの使節団がヴェネツィアを発ち、数日。
 その船団をガードしているのはヴェネツィア海軍の船であり、さらに特別に雇われた冒険者達の船がある。
 ”フォスベリー”の船長を始めとして、その冒険者達もまた熟練の船乗りだが、しかし。
(僕らがいる必要あるのか? これって……)
 オスマントルコの首都イスタンブールへと向かう洋上で、フェレットは思っていた。
 ヴェネツィア海軍の陣容たるやそうそうたるものだ。
 船数こそ多くはないものの、哨戒、護衛任務に使われるフリゲート船と主とした軍船で構成されている。
 それに比べてフェレット達の船団はと言えば、本来商船として多く使われるキャラック船を中心として構成されている。
(戦力で言えば、ヴェネツィア海軍だけで十分なのにな)
 いや、これから先は海賊の多い地域。
 どれだけ戦力があってもそれで足りているということは無いかもしれないが……。
 幾多といる冒険者、船乗りの中から何故僕らを選んだのだろうか?
 そりゃ報酬額は並じゃないし、こちらとしても良いこと尽くめではあるのだけれど。
 何にしろ、出来ればこのまま目立った遭遇もなく、イスタンブールに辿り着いて欲しいものだ。
(結構ガタが来てるからな、フォスベリーも……)
 手に入れた時はあんなに美しく、壮観だった船も何時しか傷つき、その命にも終焉が訪れる。
 幾度か経験したサイクルだ。寂しさは残るけれど、躊躇いはない。
(次は大型のキャラベル船にでもするかな)
 寂しさは直ぐに新しきものを求める好奇心へとすりかわり、フェレットは頭で構想を練り始めるのであった。

「ねぇ、レティシアちゃん」
 速度に特化したダウ船、”シャルトリューズ”の船上。
 ここでもまた、
「この依頼の報酬で、船を買い換えようと思うの。次はどんな船が良いかしら?」
フェレットと話し合った訳でもないのに、そんなやりとりが行われていた。
「わたし、ナオが良いな。あのヴァスコ・ダ・ガマのサン・ガブリエル号と同じやつ」
「船長にゃ、意外にガレー船とかが似合うんじゃないか?」
 横から口を挟んだのは副官を務めるグラフコスだ。
「生憎、ガレーは私よりも相応しい船長が他にいるからね。…そうだな、サムブークなんか良いかもしれない。ダウと同じくらい早い船だし」
 このダウ船も何代目かの”シャルトリューズ”だ。
 ”フォスベリー”そしてガレー船”永久機関”とともに、船を変えながらもその名は引き継がれてきた。
 三つ子のように時を過ごしてきた三隻の船のうち、一隻は今、倫敦へと残されたまま。
(かおるさんはきっと、次もガレーだろうな)
 アイはそんなことを自然と思い浮かべていた。

 以前訪れたクレタ島にあるカンディアの町では、今回は補給のみを行った。
 それから数日をかけて、エーゲ海に面した所に位置する町、アテネへと到着する。
 北は山、南をエーゲ海に囲まれた街アテネは、綺麗だがどこか古風な町並みをしていた。
 倫敦やセビリアが時代と共に移り変わって行き、常に進化を遂げてきた町であるならば。
 アテネはかつての町並みを残したままで、そこにまた未来の光景をも共存させてきたのだろうか。
 その古めかしささえもまた新鮮に思え、ギリシャ語で覆い尽くされたこの土地はとにかく魅惑的であった。
 今は依頼の最中だと言うのに、面々は観光気分で町へと繰り出すのだった。
 町は大きく分けて、四つの地区に分かれている。
 アテネのヘソと呼ばれるシンタグマ広場地区を一通り目にした後、活気のあるプラカ地区を訪れた。
 丁度この日は市が催されていたようで、フェレットとアイ、そしてリィの三人は辺りをぶらぶらと見て回った。
「フェレさん、見てください! 魚肉が安いですよ! あ、それにオリーブもたくさん!」
 はしゃぎ回るリィを見て、やれやれと息をつく二人。
その表情は微笑ましそうにしている。
「魚肉なんか買ってどうするんだ? 調理する場所も無いし、大体そこにある魚なんて、普段僕等が釣ってるのと同じ種類だぞ」
 フェレットは英語でそう口にした。
 だが、リィも今回は負けていない。
「そんなこと言うの、フェレさんらしくないわ。いつもなら率先して珍しい物を全部買ってくでしょう?」
 そう、即座に言い返した。
「……僕ってそんなイメージで見られてるの……?」
 アイのほうに振り向くと、彼女も直ぐに頷きを返す。
 そうして彼女もそこに言葉を連ねた。
「ってことはつまり、リィちゃんはフェレさんに悪影響を受けてるのね。このまま放っとくとまずいかもしれないわ」
 その声にもまた、悪戯めいたものが混じっている。
 それすらも、リィを動じさせるには足りないものであった。
「うふふ、確かに影響は受けてますよ。だってずっと一緒にいるんだもの。でも決して悪影響なんかじゃないですよ。フェレさんから教わった釣りだって今や立派な趣味になってるし、散歩の楽しみ方だって、夜空に浮かぶ星の形だって、みんな。本当にみんな、フェレさんと会えたから知ることが出来たんです」
 リィは恥ずかしがりながらも、しっかりとした声で言った。
 思わず聞いていた二人が黙り込んで感心する程である。
 その反応が、さらにリィのことを照れさせてもしまうのだが。
「元気になったわ、随分。もしかしたらリィちゃんは、記憶を失くす前はもっともっと、騒がしい子だったのかもね」
「ああ。それは有り得るな。今まで大人しかったのは緊張してたからで、少しずつ地が出てきたのかも」
 そう言って大いに笑う、フェレットとアイ。
 リィもわざとらしく顔をしかめていた。
 けれど、その瞬間に。
 ほんの一瞬だけ、何かが心の中を通り抜けて行った。
 二人の声も聞こえなくなって、リィの意識は何処だか判らない場所をぐるぐると回った。
 ――それはこの町の風景?
 もしかして……自分はずっと昔に、此処を訪れたことがある?
「リィ?」
 不思議に思ってフェレットが訊ねた。
 リィは既に我に返っていて、すがるような瞳でもって見返す。
 フェレットは当然その視線の意味に気付く事はなかった。
「あ、ちょっと立ち眩み……してました」
「大丈夫? リィちゃん」
「はい。一瞬でしたから」
 ――違う。
 町の風景が過ったんじゃない、それはただ目の前にあっただけ。
 けれど今、確かに私の中の……一番奥にあるところに、何かが触れた。
 痛かったのだろうか?
 もう、何も覚えていない。
 結局市で幾つかの食品を買い込み、一行の両手は荷物で一杯になった。
「にしてもこんな旅行気分で良いのかね、僕等。パング君らはコロナキ地区に行ったんだっけか。他の船員も四方に散らばってるけど…呼び出しとか来ないだろうな」
 アテネには昼に到着したのに、気付けば辺りは真っ暗だ。
 今更そんなことを心配しても遅い気もするのだが。
「ゼルダさんが良いって言ったんだから、良いんじゃない? ここまではしゃぎ回るとは、さすがに予想してなかったかもしれないけどね」
 アイに言われても、フェレットはまだ心配げな様子。
「使節団の人らとも、最初に一回挨拶を交わしただけだしな。裏が有りそう……とは言わないけど、やっぱり国家の重要な機密はひた隠しにされるって訳か」
「当然でしょ。一介の冒険者にべらべら喋る道理は無いもの」
「いや……実は影で、オスマントルコとヴェネツィアが手を組んでいる可能性も考えられる。そうして、イスパニアの最重要冒険者である僕や、イングランドを影で操る酒飲み女王のことを、依頼にかこつけて始末するのが奴等の依頼なんだ」
「フェレさん……?」
 いきなり表情に影が落ち、何かをぶつぶつと呟いているフェレット。
 それを見て、リィもまた不安そうな顔をする。
「……もしこの依頼中に死ぬようなことがあったら、僕は自分の善人さを恨むしかなくなるな。そしてヴェネツィアの狡猾さを憎みながら、夜の静寂の如くな死を向かえることに……」
 声が終わる頃には、リィはもう平然としていた。
 それがフェレットが何となく仕立て上げた三流の劇だということに、気付いたからだ。
 アイに関しては最初からただ目を細めると言うリアクションをしているのみ。
「フェレットさん」
 が、次に届いてきたその声は、三人の心を同時に揺さぶった。
 ハンマーで殴られたかのような衝撃を受けて、視界が覚束無くなる。
「フェレットさん達もこの市に来られてたのね。ふふ、ご機嫌麗しいみたいで何よりだわ」
 現れた姿は、美しさと凛々しさを兼ね備えた女性のもの。
 使節団を護衛する海軍を取り纏めている若き司令官、ゼルダがそこに立っていた。
「あ、こんにちは。それにロッティも」
 彼女の後ろには”フォスベリー”の副官であるロッティーナもいる。
 ゼルダのことをここまで案内してきたのだろうか。
 ロッティーナが苦虫を噛み潰したような表情になっているのは、おそらくさっきのやり取りを耳にしたからであろう。
 そして彼女の顔を見やって、フェレットもようやく自身の失言に気が付くのであった。
「いや、今のはその。イスパニアのアンダルシア地方で流行っているオペラの一場面でして……けして本心から口にした言葉では……」
 フェレットだけでなく、アイとリィも焦っている。
 眼の前にいるこの青年が、たった一言で国家間の関係を危うくさせた英雄として歴史に名を残さないようにと、フォローすべく様子を伺っている。
「別に構わないわ。貴方達に詳しい事情を教えてなかったこちらが悪いんだもの」
 ゼルダは意外にもあっさりとしていた。
「今回の使節団に関しても、別に同盟を組むとかではないの。ただ、交易関係の話をしに行くだけでね。わざわざ話す程でも無いと思って、教えてなかっただけなのよ」
 かつて東地中海の交易を制していたのはヴェネツィア、ジェノヴァの商人達であった。
 しかし数十年前にオスマントルコが東ローマ帝国を滅ぼしたことにより、支配者が交代。
 交易のルートは目に見えて狭まり、ヴェネツィアの商人達にとっては困難な状況を極めているのだ。
「にしても、無礼な発言であったことは確かですわ。代わりにお詫び致します」
 言葉を探しているフェレットの代わりに、アイが謝罪をした。
「いいの。アイさんも、顔を上げて」
「しかし……」
「お気になさらずに。……そうね、それじゃあ代わりにと言ってはなんだけど」
「はい?」
 アイは自分の目を少しだけ疑った。
 ゼルダが一瞬だけした表情は、まるで玩具を手にした子供のように、無邪気なものに見えたのだ。
「この市場に並んでいるものを、貴方達に色々と説明して欲しいのよ。今までこう言ったものに触れたことがないから、よくわからなくて……」
「触れたことがない?」
 フェレットがぽかんとして訊ねる。
「仕事で他の国を訪れることはあっても、そんな時間はなくてね。それに教えてくれるような人もいなかったの。だから、貴方達の冒険者としての目、口で、私に説明をして欲しいわ。そうしたらさっきの発言は許してあげる」
「成る程……」
 意外な話だ、とフェレットは思った。
 ……いや、意外でもないか。
 それこそ船乗りか商人でもなければ、各国の市場を回る機会なんてそうそう無いだろう。
「っても、僕等確かにこうやって市場を回るのは好きなんですけど、自慢じゃないが交易の腕はさっぱりなんです。それでも良ければ」
「構わないわ」
「そう言うことならば、喜んで」
 フェレットは間近にあったオリーブを手に取って、そして嬉々として解説を始めるのであった。
 交易が下手でも、とりあえず面白おかしく解説することにかけては一級品である。
「あ、ちょっと待って。その前に一つ」
 楽しそうにしていたゼルダの顔が、突如として引き締まる。
 フェレットの右手にはオリーブが収まったままだ。
「偵察船から連絡が入ったの。イスタンブールの間近に位置するボスポラス海峡が、海賊に封鎖されているらしいわ」
 その一言は、和やかな空気を一瞬にして張り詰めたものへと変化させた。
 周囲の活気さえもシャットアウトされて、三人の耳はただゼルダの声だけを受け付けるようになる。
「戦力はどれ位なんです?」
「そこまでは未だ判明してないわ。けれど、まず戦いは避けられないでしょうね」
「……僕らが此処までやって来たことが、無駄足にならなくて良かったですよ」
 フェレットは言った。顔は笑っていない。
「そうね。貴方達がどんな風に動いてくれるか、期待してるわ」
「ええ、任せて下さい」
 そう返事したものの、しかしフェレットの胸の内にはやはり疑問が残ったままであった。
 耐え切れなくなり、質問を投げかける。
「でも、あれだけの戦力があるなら僕等なんて必要ないと言うか、むしろ足手まといになっちゃいませんかね? 僕等は本職は冒険者だし、正直役に立てるかどうか」
「謙遜することは無いわ」
「いや、謙遜じゃなくて! 未だに何故、ゼルダさんが僕等を選んだのか不思議でしょうがないんですから!」
「貴方達ならきっと力になってくれる。そう思ったからよ」
「……何処を見て、そう判断を?」
「何処を、か。そうね」
 ふうと息をつき、会話の途中であると言うのに、ゼルダは空を見上げるのだった。
 そこに浮かぶ光景は未来か、それとも。
「今から数年前に、私は一度貴方達のことを見掛けてるのよ」
 少しだけ小さくなった声で、ゼルダは言った。
「マルセイユの海事ギルドでね。なんて騒がしい連中だと、その時は思ったわ」
「マルセイユ……」
 フェレットとアイは、互いの表情を見合わせた。
 東地中海は今までにも何度か訪れているが、マルセイユの海事ギルドに行ったことは――。
「確かアイさんと知り合って、船長が三人になってからの初めての航海で……あれ、マルセイユだったっけかな。私掠船討伐の依頼を受けたのは」
「マルセイユよ。あの町で海事の依頼を受けたのは、後にも前にもあの一回だけね。ああ……」
 思い出そうとするアイの顔は、少しだけひきつっていた。
 嫌な記憶なのだろうか? とリィは黙って言葉を待っている。
 その、たった一度の依頼。
 それを受けた際に、また例によって彼等は一騒動を起こしていたのだ。

「ちょっと! 折角マルセイユくんだりまで来たってのに、他所のギルドへの連絡文書を送る依頼しか無いってどう言うことだよ!」
 そうやって海事ギルドの依頼代理人へと噛み付いているのは、当時まだ十代後半の若き船長、フェレットであった。
 その横にはかおるもいる。
 フェレット程声を大きくはしていないが、わざとらしいじと目になって、ずっと依頼代理人を見つめているのだ。
 アイはと言えば、少し離れたテーブルに座りながらフランス、ブルゴーニュの葡萄酒を上品に飲んでいる。
 しかし内心ははらはらしていて、ちらちらと二人のほうを見やりながら、それでも我関せずを装っていた。
(あの二人……紳士とは思ってなかったけれど、初めて会った海事ギルドの人にああまで馴れ馴れしく、しかも無礼に接してるなんて……。もしかして、加わる船団を間違ったかしら)
「本当はもっと、普通の船乗りとかには言えないような依頼があるんでしょ? 有るけど敢えて黙ってたりとかしてるんでしょう? 頼むよ、ここでまた安い依頼なんか受けると、そろそろ水夫達への給料が払えなくなりそうなんだ」
「うちの軽ガレー船なんか、もうオールが腐りかけてるよ」
 打ち合わせもしてないのに、二人の呼吸はぴったりと合っている。
「船団の水夫達、みんな大食いなもんで、財政難のせいでちゃんとした食事もあげれなくて……毎日辛い思いをさせてるんだよ」
「うちの軽ガレー船なんか、もうオールも半分くらい食べられたよ」
「……ほう」
 依頼代理人はその茶番劇を、仏頂面をして聞いていた。
「……どうして、そんなに金を必要としてるんだ? 大食いのせいだけか?」
「いや、それだけじゃない!」
 ここぞとばかり、フェレットは言葉を捻じ込む。
 ばっと右手を開き、そして人差し指を背後のテーブルのほうへと向けた。
「実はあの、ついこの間船団に加わったあの女船長が、僕等の予想を遥かに上回る大酒飲みで! 安い依頼をこなしても、あっさりと酒に変換して飲んじゃうんだ!」
「な……何ですって?」
 思わぬ方向に矛先が向いて、アイは思わずワイングラスを取り落としそうになった。
 責任転嫁も甚だしいが、ここで下手に反撃しては……自分まで、あの二人と同じように見られかねない。
「こないだうちの軽ガレー船も、オールを半分くらい酒と勘違いされて飲まれたよ」
「飲むかぁ!……あ」
 かおるの無表情な声に、つい反応してしまった。
「いや、その……たまたまこの二人が極端に酒に弱いだけで、別に私は、大酒飲みでは……」
 弁解するアイであったが、そんな声は依頼代理人に届いてはいなかったのだ。
 岩のように固まっていたその顔が、何時の間にか若干緩んでいるその理由は。
「……俺もかつては、あんたらのように船乗りとして海を行く者だった」
 あれ? とフェレット達は首を傾げた。
 依頼代理人の目尻に、小さな光が宿っていたからだ。
「旅の途中に出会った女船長と一緒に旅をしてたんだが、そいつは壊血病にかかって死んじまった」
 ほろり、と涙が頬を伝い落ちる。
「その新しく加わったって言う女船長、精々いたわってやりなよ。くれぐれも自棄酒を飲ませるような真似だけはしちゃならん」
(いや、別にヤケ酒を飲んでる訳じゃ)
 アイは訂正したかったが、どうせ聞いてないだろうと諦めた。
「……私掠海賊を討伐してくれとの依頼が来てる。それをあんたらにやって貰おうか」
「やったあ!」
 歓声を上げる三人。
 何事も言ってみるものだ、と心の中でにやにやとしながら。
「だが敵は数が多いし、それに三十日以内と言う期限も定められている。あんたらに黙っていたのも、現時点ではきつそうだと判断したからだ。そっちの戦力は軽ガレー一隻に軽キャラベル、それにブリティッシュコグだろう? 敵は恐らく、キャラベル船が六、七隻はいる」
「問題ない。行動は迅速に、正確にだ」
 難色を示しているその声を、かおるが一言で切って落とした。
「……楽勝、だね。こっちには肉食獣みたいな船長が一人、いることだし」
「ええ、楽勝だわ……多分」
 フェレットとアイは、かおる程楽観的にはなれないらしい。
 敵の数を聞き、あからさまに蒼ざめた表情に変わっている。
「……で、やれるの? かおるさん」
 二人の声がほぼ同時に、かおるの両耳をついた。
「海の藻屑となるのも面白い。行こうか」
 その無表情な口元がぐらりと傾いた。
 僅かな笑みを刻みながら、かおるはくるりと踵を返し、そのまま歩いて行った。
「……あれって、大丈夫なの? フェレットさん」
 アイが、今度はフェレットに訊ねる。
 「危ない橋も平気で渡る人だけど、あれは何だかんだでやれる自信があるんだと思いますよ。平気平気」
 かおるの声を聞いただけで、フェレットの顔は平然としたものに戻っていた。
「でも、戦力差が相当あるみたいだけど」
「この船団で航海を続けてくうち、やがてスリルも楽しめるようになりますよ」
 そんな馬鹿な、とアイは思った。
 だが、今更決定は覆らないだろう。
「海の中の生き物になるんなら、藻屑じゃなくてイルカ辺りになりたいな。さ、僕等も行きますか」
 フェレットもまた、似たような動作で入り口の方へと歩いて行った。
(心強いような、不安なような)
 彼らの後に続こうとしたアイを、依頼代理人の声が呼び止める。
「それじゃ、詳しい依頼の説明はあんたにさせてもらおうか。時間が限られてるから、ちゃんと聞いてくれよ」
「はあ……はい」
 ワイングラスを放り、説明を受けるアイ。
 そして、このギルド内にいるのは、依頼代理人とアイの二人だけではなかったのだ――。

「戦力を聞いて唖然としたわ。中には無謀な冒険者もいるものね、ってね。けれど貴方達はそれから一月後、立派に依頼をこなして帰って来た」
 ゼルダは言った。
 彼女の言葉は確かに間違いではない。
 たった三隻の戦力で、私掠船を全滅させると言う戦果を上げたのだ。
「その時に貴方達の名前を耳にしてね。それに北海で海賊ウルフガングを倒したのも貴方達だと聞いたわ。もし機会があったら、貴方達と行動を共にしてみたいと、そう思っていた」
 ゼルダの視線は、フェレット達のことを正面から見据えている。
(そうだったのか。この人も、私と同じ……)
 ヴェネツィア海軍を率いる立場にいるこの女性に、ロッティーナは親近感を覚えるのであった。
「納得して貰えたかしら? 私が貴方達を誘った理由。そして貴方達なら立派に戦えると、そう思っている理由を」
「ええ」
 返事したのはフェレットだ。
 確かに事情を聞いて、彼女の思うところは解った。
 だが、たった一つ残された問題がある。
(あの時……僕等も確かに頑張ったけど、敵船を一からぶち壊してったのは殆どかおるさんなんだよな……)
 軽ガレー船の無謀とも言える特攻により、意表を突かれた私掠船群は次から次へと撃破されていった。
 フェレットらはと言えば、只管後方支援に徹していただけ。
 だが、それを言い訳にして、今ここで逃げるなんてことは出来ない。
 だってこの人は、それだけの期待を僕達に抱いてくれているのだ。
「ご期待に添えるか分かりませんが、僕等らしいことをしろと言われれば、誰よりもちゃんと出来る自信はあります。それで良いですかね?」
「何より、それを望んでいるわ」
 元々おだてに弱いフェレットだ。
 彼女がどれだけの期待をしているか知り、いつしか自己顕示欲が、不安を追い越していた。
(やるしかない)
 フェレットの体に無意識の力が篭り――握っていたオリーブがひとつ、ぐしゃりと潰れた。

5

 東地中海には相変わらず、船の姿はあまり見られなかった。
 しかしエーゲ海、アテネより北のサロニカ諸島に差し掛かった辺りで、急に辺りの海がざわめきを増すのだった。
 アテネを発つ直前、ゼルダは言っていた。
 「海峡を封鎖している海賊もだけど、イスタンブールの周辺は海賊の巣窟になってるって噂だわ。全てを相手にしてたら、それこそこの戦力でも足りないくらいなの。自分から向かって来る海賊船以外は、全て無視してちょうだい」――と。
 確かにこれは凄まじい、とアイは思った。
 ”シャルトリューズ”の船上から眺めているだけでも、異様な雰囲気が伝わってくる。
 青、緑、黒、様々な色が交じり合った海の上を、幾つも蠢く影がある。
 ぱっと見た限りでも十隻近く……これからイスタンブールに辿り付くまで、その数倍にはなるだろう。
「ヴェネツィア海軍としても、猫の手も借りたくなるわけね」
「その猫の手は、この辺りの海賊に通用すんのか?」
 少々慌て気味に口を挟んだのは、”シャルトリューズ”の副官グラフコス。
「さっき、バーバリアンガレーが数隻浮かんでんのを見た。あんなのに突っ込まれでもしたら……俺は無駄死にすんのは御免だぜ、船長」
「折角拾った命じゃない、無駄に落とすなんて勿体ないわ。落とさないようにしながら、なんとか使ってちょうだい」
「落とさない手段とかを教えてくれる訳じゃねぇんだな」
 そう返ってきて、アイはそうねぇ、と寸分考えた。
「失くせないものを、たくさん作れば良いんじゃないかしら? もし自分が死にそうになった時に、それらのことを思い浮かべるの。そうしたらきっと、こんな所で死んでられるかー! って奮起出来るわよ」
「船長で言う、あのガキみたいにか?」
 と、グラフコスは右手の指で、甲板の隅にいるレティシアのことを指すのだった。
「誰がガキよ! これでも年齢はあんたとそう変わらないんだから!」
 レティシアの怒りの声が返ってくるも、グラフコスは早々に視線を逸らしてやり過ごす。
「じゃあよ。仮にその失いたくないものが先に失くなっちまったら、どうすんだ?」
 その問いは再びアイへと向けられている。
「レティシアちゃんは死なないもの」
 アイはきっぱりとそう言い切り、結局そこで会話は途切れたのだった。
 グラフコスはわざとらしく呆れ顔をしてみせた後、ふと、真顔に戻り。
(失いたくないモンか。……確かに無えな、俺には)
 生んでくれた親の顔さえ、もう忘れている。
 ……確か、何処かの胡散臭い商会の奴等に殺された。
 そうして行き場を失い、賊に身をやつして今まで生きてきた。
 最早当たり前のことになってしまって、それを寂しいと感じたことなど今までには無かったはずだ。
 何故だろうか。この船に乗ってから、今まで凍り付いていた何かがじわじわと溶け出してきているような、そんな気がしている。

 イスタンブールに近付くにつれ、船団はじわり、じわりと速度を落として行くのであった。
 敵の出現を警戒しているのもあるが、航行中にやたら藻が絡み付いて来て、それがこちらの行動を阻害していた。
 この辺りは開けた海ではなく、陸と陸に挟まれた狭い海域を、窮屈な思いをしながら進んで行くしか無い。
 こちらが小船ばかりだったなら、すいすいと抜けることの出来た場所なのかもしれないが……。
「まずいかもしれないですね、船長」
 辺りをきょろきょろとしながら、”コンスタンティア”の副官、リズウィーが言う。
 その仕草は何処か小動物のようで、見るものの不安を煽りもするが、これでも測量をやらせれば右に出るものはいない優秀な船乗りなのだ。
「例の海峡もこんなに狭かったとしたら、海賊は小回りの利く船でこっちを撹乱してくるかもしれません。そうしたらこっちは数が多い分動き辛いから……大変なことになっちゃうかも」
「大変なことって……」
「やられちゃうかも、ってことですね」
 リィの声に、リズウィーは躊躇わず返事をした。
 しばし考え、リィは言葉を返す。
「けど、小さな船は武装にも限界がある。この戦力なら、ちょっとやそっとのことじゃ揺るがないと思うわ。むしろ素直に大きな船で来られた方が厄介かもしれない」
「あぁー成る程。それも確かにですね」
 使節団が乗る船の中心を、海軍のフリゲート船が囲っている。
 フェレットやリィ達の船は、それをさらに覆うようにして外側に配置されているのだ。
「やれますかね? 私達」
 リズウィーが訊ねた。
「やらないと。女性ばっかりの船でも、力になれるってところを見せてあげましょう。頑張ろう? リズウィー」
「はい!」
 リズウィーは不思議な感触を覚えていた。
 船長はあんなに華奢な体をしていて、声だって細いのに。
話していると……不思議と、この人ならやれそうな気がする、とそう思わせてくれる。
(私はそんな船長を、目一杯フォローしよう)
 更に狭まって行く海の先を見ながら、リズウィーは思った。

 ボスポラス海峡は、トルコのヨーロッパ部分とアジア部分を隔てる海峡。
 南北に細長く続いているものの、その横幅は僅か七百メートル程度だ。
「聞きしに勝る狭さだな。いや、聞いたことなかったけど」
 ”フォスベリー”の船上には、にわかに緊張が漲っている。
 フェレットが意味の通らない発言をしているのも、不安に苛まれているからなのだろうか。
 いよいよ船団は海峡へと差し掛かり、そして海賊が姿を現わしたのだ。
 船の数はこちらよりも大分少ない、四隻。
 あの高い船首楼を持った大型の帆船は、おそらくキャラック船だろう。
「船そのものは”フォスベリー”よりも大きいな。だが、思ったより少ない」
「数から言っても、こちらの方が明らかに戦力が上ですね」
 ロッティーナの声に、フェレットは頷いた。
「そうだな、どうするか」
 顎に手を当てて、フェレットは唸っている。
 じっくり考えているように見えて、その額には汗を滲ませながら。
「そうだ、ロッティ。とりあえずアレをやるか?」
「アレとは?」
「ラッシャァオラァってやつ」
「やりません」
 切って落とすような返事が来た。
「そんなことをしてる場合でじゃないでしょう。ゼルダさんは我々に期待してくれているのですよ。船長がここで頑張ろうって言う姿勢を見せずにどうするんですか」
「まぁ……そりゃそうだけどさ」
「どうしたんです?」
 元気無く呟くフェレットを見て、ロッティーナは怪訝な声で問う。
「あの若さで海軍中尉を務めてるような立派な人が、なんで僕等にそこまで入れ込んでるのかなぁって」
「人が他人に入れ込む理由なんて、理屈じゃないですわ。理由はともあれ、期待して頂いているからにはちゃんと応えてあげないと」
「……そうだな。いや、単純にちょっと気になっただけだよ」
「船長。そんなことより」
「そうだな、作戦だな」
 敵はもう、間近に迫っている。
 悠長に話している時間などないのは誰しもが解っていることだ。
 フェレットは右手でこめかみを弄繰り回している。
「予め立てておいた作戦内容はどうなってるんだね。ロッティーナ」
 フェレットはいきなり改まった口調になり、彼女に問い掛けた。
「敵船が我等より同数以上だったなら、包囲を崩さず防護態勢でいく、と言ってましたね。船長が」
「うん」
「こちらより少なければ、旗艦狙いで攻めると」
「ああ、そう言った」
「となると、攻めの作戦を取る方向で?」
「作戦通りで行こう。僕等の船団も決して弱くないし、固まって進めば平気だろう。後方支援をしてくれる艦隊も頼もしいことだし。それこそかおるさん並の活躍をしてやるつもりで行くぞ」
「了解しました」
「……今日は妙にストレートに聞き入れてくれるんだな」
 フェレットは少し、驚いた様子だ。
「私を何だと思ってるんですか?」
 折角すんなりと進んでいたのに、余計な一言のせいで雲行きが怪しくなる、二人のやり取り。
 だが、さすがに場をわきまえてはいる。
「船長達はこう見えても、海での戦闘を幾つもこなしていると聞きました。私はこの船に乗り込んでから、ちゃんとした海戦を行うのは初ですし」
「実戦経験は君のほうが豊富なんじゃないのか?」
「そうですけど、でも……私も、ゼルダさんと同じように……」
 ロッティーナは何かを言いかけて、口をつぐんだ。
「……船長は私ではありませんから。私は貴方に従います」
 あからさまに言葉を変えたのがわかって、フェレットはぽかんとした顔つきになった。
「いや、ゼルダさんと同じように、って言わなかったか? 今」
「何でもありません! それよりも、敵は直ぐそこなんですよ!」
「……? ああ、そうだな」
 フェレットは表情を引き締めると、船員達にそれぞれ指示を送り始めた。
 視線はもうロッティーナからは逸れている。
 彼女の瞳が、密かに彼のほうを向いていることも知らずに。
(私もゼルダさんと同じように、あの人を見ていたい。だってまだ、私はそこまであの人のことを知らないもの)
 そうだ、敵は直ぐそこにいる。
 意識しなくちゃいけないのは、むしろ私のほうか。
 そう浮かべて、ロッティーナは独り静かに悲しい笑みを刻んだ。

 使節団を護衛するヴェネツィア海軍の船にもまた、細かい指示が送られていた。
 ただしこちらはフェレット達以上に積極的に動くことはせず、使節団の乗る船が被害を負わないことを第一に考えている。
 旗艦であるガレオン船の上で、ゼルダは一人戦いの動向を見つめていた。
 海軍の船を囲うようにして進んでいた、冒険者達の船団が包囲を解いていく。
 散開はせず、纏まったままで一つの巨大なラム(衝角)と化し、海を貫き進んで行く。
(強気に攻めるわね)
 彼等なら出来る、なんて言葉は、戦場では不確かな言葉でしかない。
 戦力が倍上回っていない限り、勝ちを確実に掴めると思ってはいけないのだ。
 仮に倍上回っていたとしても、抜群の戦術でもってそれを引っくり返す提督も、中にはいるのかもしれない。
 狙ってそれをやろうとする人間は天才かもしれないが、無謀の天才は部隊には要らない。
(この辺りを長く根城にしている海賊達だったら、地形にも慣れているはず。侮ってはいけない)
 ゼルダは船員達のほうへと振り向き、そして指示を送り始めた。
「私達は突出しすぎないよう、このままゆっくりと前進するわ。冒険者達の船を隠すよう、上手く前方に弾幕を張って」
 別に彼らの御手並みを拝見しようなどとは思っていない。
 だが、彼らが自ら進み出ると言うのなら、それを止めようとは思わない。
 フェレットらの船団を瞬く間に弾幕の霧が覆い隠し、そして海賊からの砲撃を届かなくさせた。
 海賊達の射程が狭まっている間に、フェレット達はさらに前進して行く。
(進むと言うなら、私もやれるだけのことをするまでだわ)
 ヴェネツィア近辺はともかくとしても、東地中海は少なからず海賊がいる地域だ。
 この程度の規模の海戦なら、今までに幾度となく経験している。
 ゼルダの指示は的確で素早かった。
 優先すべきは使節団の護衛だが、同時に海を駆けて行くフェレット達の船の行方をもその瞳で追い掛け、そして守るつもりでいた。
 その瞳に秘められしは、意思の力。
 淡く鋭く光る瞳は、過去と現在の光景の間をゆらゆらと揺れて、それでも輝きを失わずにいた。

 真っ直ぐに海を行くは、冒険者達の船。
 それらは海上の城と化し、必勝の気合を込めて海賊達へと向かって行った。
 アイの船”シャルトリューズ”は他の船よりも速度で勝っている分、細かな調整をしながら、足取りを乱さぬようにしていた。
 下手に突出すれば、瞬く間に集中砲火を受け、沈没させられてしまうだろう。
 それに何より、彼女は自分がかおる程無鉄砲ではないことを知っていた。
 自分だけじゃなく、フェレットもまたそうだ。
 長年の付き合いでそれなりに仲間のことを解ったつもりになっているが、フェレットは慎重なタイプ……とは言い切れないが、少なくとも無駄に自分の命を粗末にするようなことはしない。
 慎重と言うより要するに臆病と言ってしまったほうが近いだろうか。
 なのに今回、海軍より先んじて敵に攻撃を仕掛ける役目を自ら選択した。
 その理由、なんとなく想像はつく。
(フェレさんは気負ってる)
 かつて船団が、自らの戦力に似合わぬ大きな依頼を達成した。
 そのことをゼルダさんが知っていて、今自分達に期待を寄せてくれている。
 ……本当はあの時はかおるさんが主に敵と戦って、私達は援護を主としていた。
 だけど今はかおるさんはいない。
 ”自分が先陣を切ってやらなければ”と、きっとそう思ってる。
 その事実に、焦らされているのだ。
「アイさん、このまま突っ込むの?」
 船室に入っていたレティシアが、ちょこちょこと歩いてきて訊ねる。
 どうなのかねえ、とアイは曖昧な声を返した。
「まあ、大丈夫。なんとかなるわ」
 続けてまた、曖昧な声。
 レティシアの顔がたちまち不安なものになった。
 しかしアイは至って平然とした表情だ。
「みんな何だかんだで、海戦の経験も豊富な船員達だもの。船長がちょっとミスを犯しても、フォローはしてくれるわ」
「船長って……アイさんがってこと?」
「私に関してもそうね。レティシアちゃん、そう言うことだから宜しく頼むわね」
「頼むって言われても……」
 レティシアの困っている様子が愛らしくて、アイは表情にしっとりと笑みを滲ませた。

 アイの口にした”船長”という単語が果たして誰のことを指しているのかは不明だが、フェレットの船”フォスベリー”は先陣を切って敵へと到達し、しかしそこから先に進めずにいた。
 幾度となく砲撃を繰り返しているものの、敵のキャラック船は思った以上に強固で、攻め倦んでいたのだ。
「あの船は鉄でも貼ってあるのか? 全く傷ついている様子がないじゃないか!」
 情けない声で叫ぶ”フォスベリー”の船長。
 隣では冷静な視点で、ロッティーナが物を見つめていた。
「砲撃の威力もかなりのものです。やはり一隻の性能では相手が上回っているみたいですね」
「僕らの船団は向こうより一隻多い、五隻だぜ。それに背後には多数、海軍の船が控えてるし。ちょっとばかし性能で上回ってるくらいで……」
「海軍の船は護衛を最優先にしてますからね。私達の船が突撃したせいで、そうせざるを得なかったんでしょうけど」
「言い辛いことをあっさり言ってくれるな」
「事実ですから」
 二人の間に微妙な空気が流れたが、一瞬で収まる。
「ここにかおるさんがいたなら……戦局を一瞬で変えてくれそうなもんだけどな」
「どうやって変えるんです?」
「ああ、ええーと。この距離から怒涛の勢いでオールを漕いで、敵船へと近付いて行って」
 フェレットはオールを漕ぐ動作をわざわざしてみせた。
 さらに剣を抜き払って、それをぶんぶんと振りまわすふりまで。
「ばったばったと敵を切り払って、気付けばあっと言う間に敵船が空っぽになってるんだ。刃で裂いたり海に落としたりと、凄まじいもんだよ」
「つまりかおるさん並の活躍をするには、私達もそれくらいのことをしないと駄目なのですね」
 確かに強引に敵船へと乗り込んで白兵戦に持ち込んでしまえば、船の性能差は問題では無くなる。
 その場でものを言うのは、船員の数、そして個々の戦闘力のみだ。
「敵の船もキャラック船ですから、こちらと船員数は大差ないでしょう。船員の数で言えば、全ての船の合計では勝っているはずです。私達もそのかおるさんに習って乗り込むとしますか?」
「そう……だなあ。皆で一斉に敵船へと乗り込むのも面白いか……」
 会話している最中、一つの砲弾が”フォスベリー”の甲板を叩いた。
 小さな爆発が起きて、砕けた破片が辺りに飛び散る。
 今の攻撃で負傷したものはいなかったが、運が悪ければ死人が出てもおかしくはなかった。
 数人の船員達は攻撃を浴びた箇所の修理に当たっている。
 しかし治したその場所から破壊されていってしまっては、きりがない。
「船長! ここで止まっていては狙い撃ちにされてしまいやすぜ! 攻めるか退くか、指示を……」
 船員の声が、フェレットに選択を迫る。
 フェレットとて、何も考えずにその場に居た訳ではない。
 何とか冷静に状況を見極めようと、絶えず思考を働かせていた。
 さらに砲弾が一つ飛来し、それは船の帆を破壊した。
「……みんな、すまない。退いて、海軍の船と合流しよう。他の船にもそう伝えてくれ」
 フェレットがそう指示すると、船員達は掛け声をあげ、一斉にそれぞれの持ち場へと走って行った。
 数人の船員が素早く代えの帆を持って来、交換作業へと取りかかる。
(情けない)
 かおるさんが居たなら、戦局は好転した。
 彼が居ない、彼の乗る船がここに無いだけで、消極的な手段を取るしかなくなるとは。
「白兵戦に持ち込めば、強引に敵船を捕らえてしまえるかもしれませんよ。良いのですか?」
 ロッティーナが訊ねると、フェレットはこくりと頷いた。
「僕らが乗り込んでしまえば海軍からの援護は出来なくなる。それに、白兵戦になればこちらも無傷では済まないからな……。それなら、時間は掛かっても安全な手段を取ろうと思ったんだ」
「成る程」
 ロッティーナも頷きを返す。
 彼女は別に反論を述べてはいないが、フェレットは浮かない顔をしている。
「……すまないな、ロッティ。最初は攻めろって言っておきながら、敵船を前にしてびってて後退するなんて。指示が一貫してないなんて、船長として失格だ」
「船長?」
 フェレットの声から、何時もの様な明るい響きが失われていた。
 消え入りそうな声を聴いて、ロッティーナは驚き、船長の顔を覗き込む。
「今までかおるさんと一緒に、海事の仕事だってこなしてきた。だが思い返してみれば、全部かおるさんがいたからやれたことだったんだ。僕自身は別に戦略家でも、剣術家でもなんでもなかった。これがその証拠だ。殆ど素人みたいなもんじゃないか、まるで……」
「船長、そんな事は無いですわ」
 普段の毒舌も忘れてしまい、ロッティーナはフェレットのことを励まそうとする。
 だが、止まらない。
「君は元海軍なんだろう? 君からしたら、そもそも僕が船長を務めてること自体変な話で……君が指示を出した方が、ずっと上手くいくはずなのに」
 急に顔を覗かせた弱々しい男の像を、ロッティーナはどうするべきか、一瞬だけ迷った。
 たった一瞬だ。
 本来、むしろ扱いやすいと思っているのはこう言ったタイプであるのだから。
「確かにそうかもしれませんね」
 相手が後ろに下がろうとするのなら、それをさらに奥へと押し込むふりをしてみせる。
「私が指示を出していたとしたら、最初から海軍と共同で、無理をせずじっくり攻めたでしょう。それなら余計な被害も出さず、無難に敵を沈められたはずです。船長が余計な色を出して、かおるさんばりの活躍をしようだなんて言い出すから、こうして寸前で敵の強さを思い知る羽目になったんです」
「滅相もない」
 フェレットの声は殆どぼやき声となっていた。
「けど、私は副官です。船長である貴方に従い、必要であるなら助言する。それが出来なかった時点で私も同罪ですわ」
 背けがちになっていた船長の視線を、ロッティーナは声で強引に振り向かせた。
「それに、私はかおるさんと言う方がいなくなってから、この船団に加わりました。もしここに私じゃなくてかおるさんがいたとしたら、間違いなく戦況は有利になっていたのでしょうね。だとすれば、かおるさん程働くことが出来ない私に問題があると言うことです。船長は何も悪くは無いですわ」
「ロッティ、そんなことはない!」
「とにかく、貴方一人の責任ではないということです。船団の一員である以上、皆に同等の責任があるのですから」
「言わんとしていることはわかるけど。でも……」
 声を大きくして叫んだかと思えば、フェレットはまた神妙な顔つきに戻った。
「だから、船長」
「う、うん」
 ロッティーナはいきなりにこりとした。
 その笑顔自体は朗らかで心地の良い物だったが……何故だろうか、怖い。
 フェレットの思考を寸断してしまうほどの破壊力を持った笑顔。
「頼みますから……戦闘中にうじうじ悩み出すのだけは、おやめになって下さいね?」
「……二度といたしません」
 満面の笑顔から放たれた声は、まるで剣を手にしたかおるのような迫力を持っており、フェレットは船が後退していく最中、只管平謝りを繰り返した。

6

 嵐過ぎ去りし海は、再び平穏を取り戻した。
 穏やかな風に吹かれながら船団は海を行き、やがて目的の地へと到達した。
 イスタンブールはその町を訪れるまで、恐ろしいというイメージさえ抱いていたのだが、いざ到着してみると。
 青き空に見下ろされたその町はヨーロッパの諸国に比べると親しみやすくは無く、馴染んだ景色はそこにない。
 大きな丘の上に立つ巨大なアヤソフイア・モスクは、かつてキリスト教の聖堂だった建物を改造したもので、その神秘的な雰囲気もまた、聖堂から引きついたものなのだろうか。
 フェレット達は船から降り、即座に仲間達だけで集った。
 ゼルダ達ヴェネツィアの人々は出航所で色々と手続きがあるらしく、こちらのことはしばし放っておくつもりのようだ。
「アレクサンドリアも凄かったけど、ここも凄いですね。一面、モスクがたっくさん」
 きょろきょろとしているのは”コンスタンティア”の船長、リィ。
 その胸の辺りに、同じような仕草をしているレティシアの顔がある。
 そんな二人をアイは微笑ましげに見つめ、そしてフェレットは苦々しく眺めていた。
「素の格好のままでこうしてイスラムの街を眺められるなんて、素敵。アレクサンドリアの時は殆ど顔を覆い隠してて、ちゃんと見れなかったし」
「あれはあれで面白かったけど、この方がちゃんとした観光が出来そうね」
 リィの声に、ルーファもまた弾んだ調子で声を返すのだった。
 人生は長いと言えど、一生を海の上で過ごそうとするのなら、それでもまだ年月は足りない。
 果たしてこの街を今後、何回訪れることが出来るのだろうか?
 ……今回が最初で最後になるかもしれない。
 自分達は貴重な体験をしているのだと、彼らは自覚していた。
 一歩一歩イスラムの土を踏みしめて、その感触を確かめるようにしてそこにいる。
「フェレさん、どうしたんっすか?」
 普段なら先陣を切ってはしゃぎ回っているはずのフェレットは元気がない。
 心配というか、怪しく思ってパングが声をかけた。
「どうしたもこうしたもない。僕等はちゃんと依頼をこなすことが出来なかったんだぞ? 皆どうしてそんなに浮かれていられるんだ」
 今にも土に沈み込んでしまいそうなほど、暗い表情をしてフェレットは言った。
「でも、海賊達を追っ払うことは出来たんっすから……」
「それだって、最初は僕らがやろうとして、けど出来なくて……結局主に戦ったのはヴェネツィアの海軍だ。僕等は後方支援をしてただけ。ゼルダさんは僕等に期待してくれてたのに、大した役に立てなかったんだ。報酬を貰えないどころか、下手したら怒ってかおるさんの居場所を教えてくれなくなるかも……」
 怒涛の勢いでまくし立てられて、パングはそうっすねぇ……と同じように暗い顔になる。
 フェレットの表情が伝染したのは、しかし彼にだけだ。
 レティシアは訳がわからないと言った様子でぽかんと立っており、ルーファはいつもの通り、悠然とした態度でいる。
 アイとリィは、目を見合わせてくすくす笑っていた。
 フェレットの予想以上の落ち込みぶりが可笑しかったらしい。
「フェレさん……考え過ぎですよ。きっと」
「うん。そんなことより今はこのイスタンブールをじっくり見ておいたほうが良いと思うわ。フェレさんのことだもの、絶対後悔して喚きだすから」
 何でこの二人、こんなにのんびりしてるんだ?
 フェレットはそれが不思議でならず、かわるがわるリィとアイの顔を見ている。
 だってゼルダさんは元々、僕等が難しい海事の依頼をこなしたことを見込んで、僕等に今回の護衛を頼むことにしたんだろう。
 それなのにボスポラス海峡での戦いでは目立った活躍をすることが出来なかったばかりか、使節団と一緒に護衛される側に回る形になってしまった。
 失望されるだけの理由は十分揃っているだろうに。
「船長。人は一旦抱いた思いを、そんなに簡単に変えたりは出来ませんよ」
 その声は、アイともリィのものとも違った。
 後ろのほうで船長達の会話を聞いていた、ロッティーナの声だ。
「期待通りの働きが出来なかったくらいで失望してしまうくらいなら、最初からそんな簡単に期待も抱かないということです。人間の思いって、理屈だけじゃないですもの。……私より船長のほうが、よくご存知だと思いますけど」
「ロッティさんの言う通りだわ。フェレさんらしくもないわね、基本的に理屈嫌いの癖に」
 アイに言葉を連ねられて、フェレットは複雑な表情になった。
 もしや傷つけてしまったかとアイはフォローを入れようとするが、そう言う訳でもない。
(理屈に縛られてるからこそ、理屈嫌いを装いたくもなるんだよ)
 常識の概念、理屈、理論。
 そんな言葉は自分の書庫には存在しないと言わんばかりに、自由な生き方をしている男が一人、居た。
 自分がかつてその人間に惹かれ、行動を共にすることになったのも、そんな理由からなのかもしれない。
「あら、ゼルダさん達がこっちに来るようよ」
 アイの視線が指した先に、ヴェネツィア海軍の人間が数人居た。
 ようやく出航所での手続きを終え、ゼルダを先頭にこちらに歩いてくる。
「お待たせしたわね」
 数人の海軍兵の視線を浴びながら、会話が始まる。
「これから、使節団はオスマントルコの王の元まで赴くわ。引き続き、その護衛を頼めるかしら?」
「けど、僕等なんかで良いんですか?」
「勿論よ」
 ゼルダのその声には、一片の迷いもなかった。
「ヴェネツィア海軍と一緒にだから息が詰まるでしょうけど、それさえ済んだら夜にはパーティが催されるはずだから。楽しみにしていて」
「パーティ……イスタンブールで?」
 フェレットの瞳が、本能的に輝きを増した。
「ええ。トルコ料理を思う存分口にされると良いわ」
「トルコ料理! そりゃすごい、滅多に経験できることじゃないですね!」
「……実を言うと、私もそのパーティを何より楽しみにして、ここにいるのよ」
 ゼルダが小声で言うと、周囲の海兵達もまた相好を崩して笑うのだった。
「さて、それじゃ私達はもう少し手続きがあるから。フェレットさん達は良かったらもう少しこの辺りで待っていて貰えるかしら?」
「その手続きって、どんななんです? 僕等外部の人間が見てたりしたらまずいですかね? やっぱり」
 パーティ、という単語が聞こえた辺りから、フェレットの思考はただ”好奇心”という言葉のみで埋め尽くされてしまっている。
「構わないけれど、堅い話ばかりだから聞いていてもつまらないと思うわ」
「それでも良いですよ。たまには他国同士のやり取りってものも見てみたい」
 興味津々に食い付いてくるフェレットを見るゼルダの視線は、嬉しそうなものだった。
「じゃあ、フェレットさん一人でお願いね。さすがに大人数では行けないわ」
「解りました。それじゃリィ、アイさん達。ちょっと僕見学に行って来るんで、も少しこの辺りで待ってて貰えるかな」
「はいはい」
 子供の我侭を優しく聞き入れて上げるような、柔らかなアイの返事であった。
 嬉々とした様子でゼルダ達に付いて行き、出航所のほうへと向かうフェレットを、残された面々は生暖かい視線と微笑ましい視線半々で見守る。
「理屈ではどうとも出来ない、本能的な部分が顔を覗かせたわね」
 ちょこちょこと身を翻す姿は小動物のようだと、アイはまたくすくすと笑った。
「心配無さそうですね。元々、そこまで落ち込んでるって感じでもなかったけど」
「そうね。まああれ位ならしょっちゅうだし」
「あはは。その通りですね」
 フェレットの恋人と、半保護者の会話。
 しかし彼に関する話題は早々に打ち切られた。
「それより、私達ももう一頑張りしないと。このまま全く役に立てなかったら幾らなんでも申し訳無いし。それに」
「それに?」
 リィがきょとんとして疑問の声を投げた。
「頑張って、それで手に入れた情報でないとね。本当にそこにかおるさんがいるのか、不安になっちゃうから……」
「アイさん……」
 普段滅多にその顔を覗かせない、アイの弱気な部分。
 仲間を心配する時にだけ、陰からひっそりと顔を出す。
(仲間と言うより、フェレさんとかおるさんのことを思う時かしら。……それとも、かおるさんのことを思う時? なんて)
 リィは一人静かに、そんなことを考えるのであった。
 もしそうだったなら、なんと嬉しいことだろう。
 そうだったなら、みんなこのまま一緒にいられる。
 時が流れて――そう、海が果ててしまうまで、ずっと。
「アイさん。頑張りましょうね!」
 リィは両手で、アイの右手をぎゅうと握った。
 思わずアイが顔をしかめるほど、力が篭っている。
 さらにそれをぶんぶんと上下左右に振りまわすリィ。
「どっ、どうしたの? リィちゃん」
「どうしたもこうしたもないです! 思いっきり頑張って、かおるさんがそこにいるって言う百パーセント信じられる情報を手に入れるまで――頑張りましょうね? アイさん」
 頷くよりも返事するよりも前に、ただアイは”痛い”とだけ思っていた。


 一月を経て訪れたヴェネツィアの町は祝祭を終え、普段の顔に戻っていた。
 当初は謝肉祭で倒れるまで飲み明かすつもりだったのだから、そこに残念な気持ちは残った。
 けれどもう、この町の光景は見知らぬものではなくなった。
 来年謝肉祭が催された時にまた、ヴェネツィアを訪れればいい。
 そして今度こそ、謝肉祭が始まって終わるまでの時間を、全てこの目に焼き付けてやるのだ。
 それをするのはまた来年の話で、今はまた、別の目的がある。
「行ってしまうのね」
 旅立ちの日。
 出航の準備を整えるべく港へと集まっていた面々の元に、ゼルダがやって来た。
 あの壮絶な海戦の最中にも表情を崩すことの無かった彼女の顔に、確かな寂寥の色がある。
「はい。かおるさんの居場所が判った以上、ここでゆっくりはしてられませんから」
 甲板掃除をしていたフェレット、半袖のシャツを一枚羽織っただけの簡素な格好をしている。
 ヴェネツィアに戻ってきたのは一昨日のことだ。
 そして昨日、ゼルダから今回の報酬金を貰うと共に、かおるの居場所を聞いた。

「一年近く前に、海事の仕事でアフリカに赴いたことがあったわ。その時にかおるさんの姿を見かけたの。私の記憶が正しければ……だけどね。背丈は百八十以上、一見やる気の無さそうなその表情、それにその怠惰な声も。特徴がぴったり一致していたの」
 只者じゃない、とフェレットは思った。
 そのかおるらしき人物が、じゃなくてゼルダがである。
 実際に会話を交わしたことは無いはずなのに、そこまでかおるの特徴を掴んでいるとは。
 ……まあ、確かに一見して解り易い人ではあるけれど。
「それに何より、一緒に居た子達に”かおるさん”とそう呼ばれていた」
「……子?」
 フェレット、アイ、リィの瞳が一斉に大きく開かれる。
「まさ……か、赤ちゃん……? それとも、隠し子とか……」
 リィの想像している光景が理解できたようで、ゼルダは笑った。
「誤解させてしまってごめんなさいね。子って言っても、みんな十歳は越えていたと思う。四、五人の子供達に囲まれて、かおるさんは市場を見ていて……本当に楽しそうだったわ」
「なんだ……」
 ほっと胸を撫で下ろすリィ。
 だが他の二人はまだ真剣な表情のまま。
 ――あの人なら十年前にこっそり子供を作っていても不思議ではない、と思っていたのだ。
 まあ、それはそうとして。
「……にしても、子供とかおるさんか。なんか想像つかないわね」
 アイはふうと息を吐いて、天井を見上げた。
 ここはゼルダの自宅で、この間のようにワインを飲みながらの会話をしている。
「かおるさんはそう言えば、リスボンの酒場にいた女の子にも人気だったな。でも普段は、そんなに子供と接してるイメージ無いけど……」
「一見してあからさまに胡散臭いから、逃げちゃうのよね」
 酒のせいか、アイの声にも毒が混じっていた。
「アフリカの、何処の町なんです? かおるさんが居たのは」
 こほんと咳をして、問うたのはフェレットだ。
「遥か南、ルアンダよ」
「ルアンダ……」
 フェレットもまたアイと同じく天を見上げた。
 ルアンダはアフリカ南西部に位置する、大きな都市である。
 そう知識としてはあるが、フェレットもアイも、実際に行った事はない。
「遠いわね。どうする?」
 アイがフェレットにそう投げかける。
 勿論フェレットは迷うことなく、
「言うまでも無い。行きますよ」
そう、答えた。

「ゼルダさん。今まで本当にお世話になりました」
 ”フォスベリー”が見守る、港での会話。
 日は今にも暮れて行きそうで、初めてこの町に辿り付いたのと同じ時刻に、彼らはここを去ろうとしている。
「僕等は結局、大した活躍も出来なかったのに……報酬もちゃんと頂いたばかりか、かおるさんのことも詳しく教えてくれた。心から感謝しています」
「礼には及ばないわ。感謝の言葉を言いたいのは、むしろ私のほうだから」
 ゼルダは感慨深げに言った。
 その場には何時しか、アイとリィも集まって来ている。
「ああ……でも、そうね。もし、報酬が多過ぎだと思うんだったら――あと一つ、私の言うことを聞いて頂けないかしら?」
 急に躊躇いがちになって、ゼルダはそんなことを言った。
 フェレット達はぽかんとして顔を見合わせる。
「何です? あまり時間の掛かることで無かったら……」
「時間はね。貴方達次第かしら」
「僕等次第?」
「ええ」
 ずっとこちらの視線を見据えていた、ゼルダの瞳が逸れる。
 下へと落ちて、港の地面を見つめる。
 そうした後、輝きに満ちたヴェネツィアの日没を、彼女は眺めた。
「貴方達がかおるさんを見つけて、また気ままに冒険を出来るようになったなら……。一度だけで良いの。私を、冒険の旅に連れ出して欲しい」
 ゼルダが口にしたのは、意外な言葉だった。
 最もそれを意外だと思っていたのは、フェレットだけだったかもしれない。
 アイもリィも何となく勘付いていたのだ。
「フェレットさん、アイさん、それにかおるさんを最初に見かけたのは確かにマルセイユの海事ギルドだった。けどね、実はその後にも一度、カルヴィで貴方達の姿を見たの。恐らく、貴方達が丁度私掠船を沈めて来た帰りだと思う」
 ゼルダは躊躇いがちに、しかし楽しそうに続けた。
「酒場で貴方達三人が、船員に囲まれて飲んでいてね。本当に楽しそうに見えたわ。ああ、冒険者、船乗りというのはあんな風なのかって。そう強く刻まれて、消えなくなった」
 今回の依頼でフェレット達に同行を申し入れたのだって――本当はただ、彼らのことをもっと近くで見てみたかったのだ。
「海軍の仕事は殆ど休みが無いけど……もし貴方達がまたヴェネツィアを訪れたなら、私は何より優先して貴方達に会いに行く。私も貴方達みたいに……何かに縛られることなく、鳥のように海を越えて行きたいと、そう思っていた。――今でも思っているわ」
 彼女が自分達に寄せる思いが伝わってきて、フェレット達は嬉しさと、そして別れの寂しさを同時に感じた。
 急いで旅立たねばならない理由が無かったなら、もう少しこの人と語り合ってみたいと、そう思った。
「こちらこそ、喜んで」
 フェレットは微笑み、彼女の右手を自らの右手で握った。
 礼儀としての握手ではない。
 彼女を心からの友人として認めたという、心からの握手だ。
「今度と言わず、今直ぐにでも攫って行きたい位ですけどね」
 フェレットは格好をつけて、そんなことを口にした。
 僅かにゼルダの口元が綻ぶ。
 照れているのだ。
 この人はこんな表情も出来るのか、とそんな感想を抱く。
「Grazie(ありがとう)、フェレット」
「さようなら、ゼルダさん」
 彼女と沈み行く夕陽、それを暖かく受け止めようとするヴェネツィアの町。
 その全てに見送られながら、船団は海を去っていく。
 なんと素晴らしい出会いだったろうか。
 この光景の中にいる誰もが皆、そう思っていた。
 結局かおるは東地中海にはいなかった。
 昨日それを聞かされた時、無駄足を踏んでしまったのか、とフェレットは一瞬だけ思った。
 だが思い返してみればそんなことは無い。
 この東地中海は僕らに様々な出会いをもたらしてくれたではないか。
 アレクサンドリアやヴェネツィア――他にも様々な町を回り、全てが美しい旅の記憶となっている。
 これから時を経て行くうち、もっともっとそれは育って行くだろう。
(かおるさんに散々自慢してやるか)
 にししと笑うキャラック船の船長は、遠くアフリカの土地を見ていた。
 長く長く続くこの海の先に、あの人がいるのだと信じて。
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  1. 2005/08/21(日) 05:18:31|
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