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航海タイム

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第十五章 時は流れ出した(前編)

1

 Carnevale di Venezia――
 ヨーロッパで数多く行なわれている謝肉祭(カーニバル)とは、”断肉業”の前に肉をたらふく食べて大騒ぎする催しだ。
 だが、ヴェネツィアの謝肉祭は他の街とは一線を画す。
 豪華絢爛な衣装を身に付けた人々が色鮮やかに街並に溶け込み、幻想的な雰囲気を醸し出す祭。
 そしてそんな光景の中に、フェレットらもいた。
 きょろきょろと辺りを見回しながら、一行はずっと感嘆の声を漏らしっぱなしだ。
「ヴェネツィアとはまた別の国にいるみたいな、そんな感じがするわね」
 普段落ち付いているアイでさえも、興奮を隠し切れない様子だ。
「うん。でもこれこそがヴェネツィアの謝肉祭なんだって。ヴェネツィアならではの空間なんだよ、これも」
 フェレットがそう口にした。
 最近訪れた国を、たった一月で理解したなんて思ってはいない。
 ほら、今日もまた、町はこうやって新しい顔を覗かせている。
「不思議ね。涼しげな水の都なのに、こんなに熱気を帯びてる」
 これは確かに現実であるのに、ここにあるのは小さな夢の空間。
 鮮やかな身なりをしているだけでなく、仮面で顔を覆い隠しているものもいる。
 祭の間中、この街からは身分そのものの分別がなくなり、中には貴族が庶民の格好をしていたり、庶民が貴族に扮していたりもするのだ。
 普段厳密に存在する貧富の階級もまた、仮面で全て覆い隠してしまうようにして。
「フランチェスさんが言ってたんだけど、この数日間の祭の間中に、身分を越えて恋が芽生えることも有るんだそうだよ」
 フェレットが言うと、周囲にいた女性軍は皆「ロマンチック!」と声を大きくしてはしゃいだ。
 自分の手柄でもないのに、何故だか自慢げな顔になるフェレット。
「にしても、私達の格好のほうがむしろ普通に見えるわね。周りがこんなに派手だと」
 そう口にしたのはルーファである。
 彼女にしてもそうだが、船団はさすが各地を旅してきただけあって、服装も各国様々なものを纏っているのだ。
 リィが羽織っているモラは遥か西に位置する新大陸で編まれた手芸品であるし、他の面々にしても、ジェノヴァで購入した物だったり、倫敦で買った物だったりとそれぞれ違う。
 だがそんな彼らの格好が地味に見えてしまうほど、謝肉祭そのものがとにかく眩い趣きをしていた。
「まぁ、ごたくはその辺にしときましょうや。船長方」
 ぽそりと呟いたのはアイが船長を務める船”シャルトリューズ”の一船員。
「折角の謝肉祭ですぜ。普段以上に飲んで食べないと話になりやせんよ!」
 船長組が振り向いた先には、各船の船員達がそれぞれ、両手一杯に肉やら酒やらを抱えて待ち構えている。
「尤もな話だな」
 フェレットらは互いの顔をちらちらと見やった後、用意された宴会料理に食い付くのであった。
 香辛料を効かせた力強く濃厚な味わいが特徴のヴェネツィアの料理は、手軽に摘め腹持ちが良いため、こう言ったカーニバルの時にも好んで食べられるのだとか。
 今日ばっかりはかおるを探すと言う目的もすっかり忘れて、皆日が沈むまでどころか、数日後に謝肉祭が終わるまで、踊り狂い飲み倒す勢いだ。
 そしてそんな彼等を木陰から静かに眺める姿が一つ、あった。
 船員の誰もがそんなことを気にせずにいたものの、やがてリィがたまたま振り返った時に視線が絡み合い……いや、視線は互いの顔を目にしていたにも関わらず、絡み合いはしなかった。
 何故ならその木陰にいる人間もまた、顔に仮面をつけていたからだ。
(仲間に入りたいのかしら……?)
 姿も性別も掴めず、リィはあたふたとした。
 だが、相手の人間はこちらと視線があったことに気付くと、その場を後にしたようだ。
 何だったのかしら……と、誰もいなくなった木の辺りをまだ眺めているリィ。
(船員の誰かに恋をしたとか……なんてことは無いわよね、きっと。ああ、そうだ! 恋と言えば!)
「パングさん!」
「なんっすか?」
 再び振り返りざま、少年を呼びかける。
「エレオノーラさんとはどうなったんですか? その後」
 実は前々から気になっていて、けれど訊ねられずにいた。
 元々あまり話す方では無いからと理由だったが、今は酒が入っているせいもあり。
「ええと……いや、もう終わった話っすよ……。終わると言うか、そもそも始まりもしなかったんっすけどね……」
(……終わったんだ)
 リィだけじゃなく、こっそり聞き耳を立てていた面々も皆、一斉に言葉を失うのであった。
「まあ、やっぱり異国の人との恋愛は難しいかなと……。そんな訳っす」
「そうなんだ……。ごめんなさい」
「謝らないで下さいっす、リィさん。余計惨めな気分になるっすから……」
「そうですよね、ごめんなさい……あ!」
(パング、哀れな奴……)
 一行はまた、無言でそのやり取りを見つめているだけだった。

 楽しい時は、あっという間に過ぎていく。
 夜中になってもまだ町は色彩鮮やかで、人影も消えはしなかったが、フェレットら船団の面々は既に半数が船や宿屋へと戻り、ゆっくりとした時間を過ごしていた。
 酒に強い何人かの面々は未だ町中で催されている宴会の輪の中にいるようだが、それは船員のごく一部だ。
 フェレットもまた宿に戻ってきていて、独りベッドに横たわりながら、意識をゆらゆらとさせていた。
 時刻も遅いのに何故だか中途半端に目が冴えていて、視線はずっと天井を見上げている。
(もしここでも何の手がかりも得られなかったら……次は何処へ行けば良いんだ?)
 誰の声も聞くことなく過ごす夜。
 次第に、脳裏に過ぎる思いにも闇色が交じっていく。
 だが、こんな夜は何も初めてのことではない。
(リィはどうしてるかな)
 たとえ寝るのが遅くなろうとも、どうせ明日もまた謝肉祭に参加して一日を過ごすのだ。
 明日も、明後日も。
 フェレットは再びベッドから起き出して、部屋から抜け出していった。
 だが何処かに移動するよりも先に、部屋の直ぐ外に見知った人間の姿を見つけたのだ。
 鮮やかな金色の髪をしたその少女の姿――今や誰よりも馴染みの深い姿がそこにはあった。
「リィ、どうした?」
 フェレットは静かに訪ねたが、返ってきた声は少し慌しい調子。
「それが、その……ヴェネツィア海軍を名乗る方が、今この宿を訪ねて来られて……」
「ヴェネツィア海軍」
 彼女が口にした単語を、小声で繰り返す。
「……ヴェネツィア海軍だって?」
 そしてもう一度、大きな声で再びそれを口にするのだった。
「それで、僕等に用事が有るって言ってるのか?」
「はい」
「そうか」
 フェレットは一歩後ずさった。
 自分達が一体何をしでかしたのかと、思考を巡らせてみる。
「そうか、ついに僕らの悪事がバレてしまったのか……」
「……何がですか?」
「いや、冗談だ。僕等が海軍に呼ばれる理由なんて無いと思うが」
 アレクサンドリアでの一件にしても、まさかヴェネツィアに知られているはずはない。
「そうそう、用事があるのは船団にじゃなくて、フェレさんとアイさんにだそうです」
「へ?」
 それこそ一体どう言う風の吹き回しだろうか。
 そもそも何故、ヴェネツィアの海軍に自分達の名前が伝わっているのだろうか。
 アイは既に宿の外で応対しているとのこと。
 眠気も完全に消え失せてしまい、フェレットはリィに連れられて外へと向かった。
 宿屋を出るや否や、そこにはまず一つ、見知った仲間の姿がある。
「アイさん……」
 そしてもう一つの影。
 海軍と言うから、てっきり物騒な身なりの男数人が、横柄な態度でやって来ているのかと思った。
 しかしそこにある人影はアイと同じほどに細身で、華奢なものであった。
 背丈はフェレットよりも少し大きく、遠目には男性に映ったが、違う。
「フェレットさんね」
 届いてきた声は堂々としていたが、隠すことの出来ない線の細さもそこには感じられた。
「こんばんは」
 フェレットは丁寧とも無作法ともつかない挨拶をし、その姿をもう一度間近で見やった。
 すらりと伸びたその姿、確かに女性のものだ。
 肩まで伸びた長い黒髪は綺麗に手入れをされており、銀色の輝きを帯びている。
 しかしその身に纏ったコルセアコートが、彼女の華奢な体躯を覆い隠していた。
「ようこそ、ヴェネツィアまで。私の名前はゼルダと申しますわ」
 女性は丁寧に礼をし、その視線をフェレットの方へと向けた。
「あなたが、海軍の方……?」
「中尉を務めさせてもらってるわ」
 にしては若い、とフェレットは思った。
 外見から判断した限りではまだ、二十代半ばと言った辺りだろう。
「中尉様が一体、こんなしがない冒険者に何の御用で?」
 フェレットが物怖じせずに言うと、ゼルダは静かに微笑むのだった。
「そうね。もし良かったら、これから私の家まで来て頂けないかしら?」
「真夜中ですよ、もう」
 あまりに唐突で、さすがのフェレットもあまり好意的な言葉を口には出来なかった。
「無礼は承知してるわ……けれど、もし付いて来て貰えるなら…私の話を聞いて貰えるなら、それは間違いなく、貴方達にとっても有意義な時間になると約束出来るわ」
 半信半疑と言うより、現時点ではまだ疑うことしか浮かばない。
 どうするべきかと、フェレットはアイのほうに視線を向けた。
「ここで話すのは難しいのでしょうか? 内容を全く知らずに付いて行くことはちょっと、難しいですわ」
 アイがそう言い、フェレットも頷きを加える。
「話せなくはないわ。ただどうせなら、こちらとしてもちゃんとした応対をさせて頂きたいの。いきなり訊ねて用件だけ言って帰るなんて、礼儀知らずも甚だしいことですから」
 ゼルダもまた、フェレット達が明らかに疑っていることには気付いている。
 だから、彼らが絶対に食い付くであろう餌をそこに用意した。
「貴方達はこの町で”かおる”と言う人物のことを探し回っているそうね」
 その名前を出されただけで、フェレットらに表情が一瞬にして、より真剣なものへと変わる。
「もしかして行方を知っているとでも?」
「知っている、と言ったら付いて来て貰えるのかしら?」
 問い返されて、二人は返す言葉をなくした。
 もしそれが真実なら、喜んで付いて行くだろう。
 言われるがままにどんなことでもするだろう。
 けれど、今のところはその確証がない。
「いきなりこんなことを言われて、貴方達が私を疑うのは仕方無いと思っているわ。けれど、私は何も貴方達を騙そうとしているわけじゃない。それだけは信じて」
ゼルダは言うと、二人に向かってもう一度頭を下げた。
 それでもまだ、フェレットはどう返事をしていいか迷っていた。
 海軍と言われればとにかくお堅いイメージが付き纏うのだが、この女性は中々に誠実で、柔らかい物腰をしている。
 口調もけして上から見下すような感じではなく、対等の立場で話そうとしているのが見て取れた。
「……行こうか? アイさん」
「そうね」
 まさかいきなりひっ捕らえられて斬首される、なんてことはないだろう。
 何故この二人だけを招くのか気になりはしたものの、彼女自身を疑う気持ちは大分薄くなっていた。
「リィはこのことを皆に伝えてもらえるか? 帰りはそんなに遅くならないと思うけど」
「はい」
 そして半信半疑でありつつも元々好奇心旺盛なフェレットだ。
 ヴェネツィアの人間とこうして関わりを持てることを楽しいと思う気持ちも、同時に浮かんでいた。

2

 街の中心地にはたくさんの豪邸が立ち並んでおり、その白亜の光景の中にゼルダの邸宅も存在していた。
 邸宅の周囲には草花が植えられており、ブロンズや石のオブジェも配置されている。
 夜の闇さえも照らし出すほどの華やかな外観に、フェレットとアイの二人は一瞬にして魅入られた。
 やがて室内へと招かれても、二人はまだ何処か躊躇いがちであった。
 一室へと通されて、きょろきょろとしながら二人は椅子に座っている。
 興味津々に部屋の隅々までを舐めまわすように見ているフェレット達は、どう見ても田舎者そのもの。
 アイはともかくとしても、フェレットはかなりあからさまだ。
(なんか、フェレさんが元々貴族だったって話も疑わしく思えるわね。こう言うのを見てると……)
 さすがのアイも若干引き気味で、そんな感想を抱くのだった。
「ふふ、そんなに気になるかしら?」
 ゼルダはくすくすと笑いながら言った。
「そりゃ気になります。こんな豪邸に独りで住んでらっしゃるんですか」
 何時の間にか、フェレットの顔は全て、好奇心という言葉だけで覆い尽されている。
「ええ、そうよ」
「使用人とか、執事も雇わずに……?」
 独身なんですか、と言う言葉を引っ込めて、フェレットは代わりにそう訊ねた。
「さすがに管理しきれないから定期的に来て貰ってるけれど、基本的には独りね」
 そう聞かされて、益々この女性のイメージが謎めいたものへと変わって行く。
「別にこの邸宅にしても、私が何かしたと言う訳ではないの。親から継いだものだからね」
 私自身は何も偉くは無いわ、と自嘲めいた声で最後にそう、付け加えた。
「そんなこと……」
 両親はもう、いないのだろうか。
 そうぽつりと浮かべたけれど、わざわざ訊ねはしない。
「お腹の具合はどうかしら? 大したおもてなしは出来ないけれど」
「大丈夫です。もう時間も遅いですし」
 アイが即座にそう、丁寧に応対をした。
 特に彼女はさっきまで祭で飲み食いをしていたのだから、当然と言えば当然だ。
「そうね……まずは用件だけさっさと話すとするわ。その方が貴方達にとっても都合が良いでしょう」
 別にそうでもないけど、とフェレットは思った。
 どうせここまで来たのだから、もっと堪能してから帰りたい気持ちもある。
 ……そんなこと、口には出来ないが。
 さて一息をついて、ようやく話は本題へと移る。
「貴方達に頼みたいことと言うのはね」
「ええ」
「実は、今度ヴェネツィアがオスマントルコへと派遣する使節団の護衛を、貴方達にお願いしたいの」
「えっ!」
 フェレットとアイの二人がほぼ同時に声を上げた。
 無理だ、と言うよりも浮かんだ疑問はそれ以前のことだ。
「国同士の外交に関わるなんて、考えられない話です。僕はイスパニア出身だし、アイさんはイングランド人なのに」
「外交そのものに関われとは言わないわ。ただ、オスマントルコの首都であるイスタンブールに着くまでの、その道のりさえ無事に果たせれば良いの。それに見合う額の報酬を用意させて貰うわ」
 ゼルダは朗々として依頼の説明をした。
 しかしこれだけでは合点がいくわけもない。
「ゼルダさん」
 まず一つ、はっきりさせなければならないことがある。
 アイはしっかりとした声で彼女に訊ねた。
「何故、私達なのです?」
 ゼルダはフェレットとアイだけをわざわざ指定して、ここに招き寄せたのだ。
 護衛の依頼に向いている人間は、船団には他にもいる。
 海賊に襲われたことを考えるにしても、パング等の方が戦闘技術に関しても優れているはずだ。
「貴方達しか知らなかったから、かしらね。依頼は勿論、貴方達の仲間を連れて来ても構わないわ」
「知らなかった?」
「ええ。正確には貴方達とあともう一人だけ、元々名前を知っていたの」
「……かおるさんですか」
 フェレットは殆ど反射的にそう口にした。
 自分とアイの名前が出て、後一人と言ったら他に誰の名前が思い付くと言うのだ。
「その通りよ」
 ゼルダは言うと静かに笑んだ。
 照れ笑いをしているかのように、フェレットには映った。
「何故知っているか、今は訊かないで貰えるかしら。まだ、貴方達が私の頼みを受けてくれるか分からないから。親しくなれるかも分からないのに、あまり自分のことをぺらぺら話すのは変な話でしょう?」
「確かに言われてみれば」
 フェレットは呟いた後、うーんと声を出して唸るのだった。
 そう言われてしまっては無理に追求は出来ないけれど……気になる。
 以前、まだかおるさんと一緒に航海をしていた時に会ったことがあるとか、そんな所だろうか。
「ヴェネツィアでそのお仲間さんを探しているところを見ると、どうやらまだろくな手掛りを掴めてないようだけど? それならきっと、私から得られる情報は有益なものになるはずよ」
 確かにゼルダの推測の通り、ろくな手掛りどころか、未だに一つとして有益な情報を得られてはいない。
「その情報は、百パーセント確かな情報なんですか?」
「百……とは言い切れないわね」
「かおるさんを何処かで見かけたとか?」
「ええ」
「先にその情報を教えて貰うとかは、駄目ですかね? その情報が確かなものだったら、改めて協力するってのは」
「それは虫が良過ぎるわね」
「……ですよね」
 フェレットはたははと笑った。
 ゼルダの声に、尖ったものは感じない。
「使節団は今から十日後に派遣される。それまでに結論を出してくれれば良いわ」
 ゼルダの邸宅を訪れてから、三十分ほどが経った。
 部屋に着いてから直ぐに話し出して、今のところはそれだけだ。
「もう今日はこの話は止めにしましょう。折角来て頂いたんだもの、依頼の話だけで終わりなんてつまらないわ」
 こほんと咳をつくと、ゼルダは椅子から立ち上がった。
「二人共、お時間は大丈夫かしら?」
「ゼルダさんさえ良ければ。船乗りには時間なんて、有って無いようなもんですから」
 フェレットは何故か得意げな調子で言った。
「それはフェレさんだけ、或いは謝肉祭の間だけでしょう。少なくとも私は、普段はそんな事は無いわよ」
 アイにたしなめられて、その調子に乗った顔も萎んでしまう。
 しかし直ぐに反撃の言葉を思いついて。
「アイさんもそれじゃあ、謝肉祭の間に限っては時間を気にしないってことだね」
「……そうなるのかしら」
「アイさんも構わないそうです。ゼルダさん」
 そのやり取りは、普段と何ら変わらない船団の光景だ。
 その会話を聞いただけで、ゼルダは何とも楽しそうに微笑を浮かべていた。
 彼女は心から嬉しそうに笑っていたのだ。
 フェレット達はそこまでは理解出来ずに、ただ照れ臭そうにするだけだったが、
(悪い人じゃなさそうだな、この人は)
 そんな感想を抱いてもいた。
 人間は表裏一体の生き物であるし、これだけで判断する事は必ずしも正しくは無いけれど。
 言わば船乗りとしての直感だろうか。
 この女性には刃の煌きよりも、海の香りのほうがよく似合うのではないかとも思った。
 ゼルダは自宅にあるワイン蔵から秘蔵のワインを取り出してきて、結局この後、彼等は朝まで語り合うことになる。

3

 謝肉祭が続く中、ヴェネツィアの港には静かに、しかし荘厳な雰囲気をした船団が停まっていた。
 それは僅か二日で造られたもので、これからイスタンブールへと向かって移動する、海の要塞である。
 整って並んでいる船には十分な武装もされており、その眺めは壮観であった。
「ヴェネツィア海軍も立派なもんだな。こりゃ迂闊に戦争なんか起こせないぞ」
 少し遠くからその光景を見つめて、フェレットはそんなことを呟いていた。
「物騒なこと言わないの」
 隣にいるアイが、何時ものように彼をたしなめる。
「それに、これから私達の船もあの要塞の一部となるんだから」
「うん」
 結論が出るまでに、そう長い時間は掛からなかった。
 今回、使節団護衛の為の一団を率いている海軍提督ゼルダ。
 この間彼女の家で過ごした一夜で、彼女が誠実な人柄をしていることは理解できた。
 彼女の力になってあげたいと言う気持ちもあったが、やはり何よりも。
「かおるさん、本当に居るのかな。ゼルダさんが知っているってことは……やっぱり東地中海に居たんだろうか?」
「さあ? 大体、どうしてゼルダさんがかおるさんを知ってるのかも、まだ判らないわ」
 アイが言う。
 そしてまた、物思いに耽る二人。
 少し背後では、相変わらずの狂騒景色が展開されているのに。
「かおるさんだけじゃなく、僕とアイさんのことも知ってたからなあ。……以前何処かで会った事があるとか、そんななのかな」
 ワインを飲みながら彼女と話した時も、上手くかわされて、とうとう教えては貰えなかったのだ。
「不思議な人ね。ゼルダさんは」
「うん……。信用して良い人だとは思うけど」
 詳しい事を話してくれないのは、理由が有るからなのだろうか。
「とにかく、これで一歩前進したって訳だ。依頼も馬車馬のようにこなして、速攻で終わらせてやるさ」
 ”目的のない旅”と銘打たれた航海。
 けれど時を経て、仲間を失い。
 今までのようにぶらぶらと海を行くことが、何時しか苦痛に感じるようになっていた。
 この痛み、何れ消えて無くなるだろう。
 かおるさんを見つけ出して、そしてまた今までと同じように海を見よう。
 海の先に求めるのは”自由”で、他には何もいらない。
 また、そんな旅へと赴こう。
「よーし、アイさん!」
「……何?」
 背後の喧騒に負けじと、フェレットはいきなり怒鳴り声のような叫びを上げた。
 殆ど反射的に、一歩そこから距離を取るアイ。
「あと少し、頑張りましょう! ラッシャアオラァ!」
 気合と共に吐かれた声を聞き、アイはさらに一歩後ずさった。
「ほら!」
 気付けばフェレットは右手を差し出して固まっている。
「あのね……」
 固まったのはアイも同じだ。
 固まったままで、物思いに耽っている。
 そこに右手を乗せて……同じように声を上げろと?
 ――ほら、かおるさん。
 あなたがいないせいで、こんな役回りが私のところに回ってくるんだから。
 早く帰って来てよ。
 貴方が座っていた椅子は、絶対誰が座ったってしっくりこないんだから。
「……アイさん!」
 アイが普段、こんな事をしないのはフェレットだって知っている。
 殆どノリで口にしたまでは良かったが、食いつきの悪さにフェレットは少し困った顔になっていた。
 その様子を見るに見かねて。
「ッシャァオラァ」
 小さな手がフェレットの右手に触れて、そんな可愛らしい叫びが響いた。
 一瞬だけ「まさか?」と驚愕するフェレット。
 その手の温もりはしかし、フェレットもよく知っているものだ。
 アイの手ではない。
「……リィ」
 さっきまでに此処には居なかった少女の姿を、二人ともぼんやりとして見やる。
「フェレさん、アイさんもっ」
 リィは再び、フェレットの右手をがしりと握った。
 そのまま自分の顔のほうへと引き寄せる。
 左手ではアイの手を同じように握って、そしてまた引き寄せて。
 三つの手を、顔の前で合わせた。
「今度こそ、絶対にかおるさんを見つけましょうね。それでまた、今まで通りに元気になって下さい! 二人とも!」
 リィの口調はふらふらとしていて、よく見ればその顔色も夕陽のように紅くなっている。
 船団は今、出発する前の最後の謝肉祭を楽しんでいる最中なのだ。
 酔っ払っているのだろう。
「元気になるって、僕等がか……?」
 リィはこくりと頷く。
「単にかおるさんが居ないから……かおるさんと元気に喋ってる二人の姿が見られなかったからかもしれないけど。二人とも……特にここ最近、元気が無かったように思えました」
「そうかしら。……リィちゃんがそう言うのなら、そうだったかもしれないわね」
 フェレットとアイは互いの顔を見た。
「私も精一杯、御手伝いします。ずっとお二人にお世話になってるんですもの。少しくらいお返ししないと」
「今更お返しも何もあるかよ、リィ」
 フェレットは優しく笑いかけ、彼女の手を少しだけ強く握った。
「貸し借りがどうのなんて仲でも無いだろう? 僕等は」
 たったそれだけの言葉で、リィは頬をさらに赤くする。
「北海での戦いの時は僕も散々怖がったけどさ。今はそんな気分じゃないんだ。あの時と同じ位の海賊と戦うことになっても、楽勝で倒せちゃう気がするね」
 それもまた、少量だが口にしているアルコールのせいもあるだろう。
「かおるさんは居ないけど、その代わりに色々と、頼りになる仲間が増えたからね。パング君は元より、脅迫が得意な某女商人も自分の船で付いて来てくれてるんだし。それに”シャルトリューズ”にはあの時には無かった、船長のやる気もとい船の速度を十二分に出させる、小さくて可愛らしい帆が装着されたことだし」
「帆……ってもしかして、レティシアちゃんのことかしら……?」
 アイの問いに、フェレットは答えない。
 そのまま言葉を続けた。
「”コンスタンティア”だって今はあるし、それに”フォスベリー”にも、頼りになる副官が乗ってくれたことだし。…ちょっと怒りっぽいけど」
 かおるがいた時とは明らかに違う、船団の姿。
 あの時理想だと信じていた姿とは、大分違ったものになってしまったけれど。
 今のこの船団の姿が限りなく最高に近いものなのだと、今またフェレットは信じることが出来ていた。
 そしてここにあと一人、加わったなら――。
「もしかして、脅迫が得意な某女商人って私の事じゃないわよね? フェレさん」
 ぎくり。
 たった一声届いて来ただけで、フェレットは全身を震わせた。
「ははは。二人が話してるのに気付いてたの、私だけじゃないんですよ」
 リィの声を聞いて、笑い事じゃない、とフェレットは思う。
 背後から、幾つもの殺気が迫ってきていると言うのに。
 振り向いて、まず最初に視線へと飛び込んできたのは……倫敦の商会”Bar like a child”の商人、ルーファ。
 彼女は至って平然とした表情をしていて、それが逆に恐ろしい。
 そして彼女の左右にはパング、レティシアの二人。
 さらにその後ろにはロッティーナ、グラフコス、リズウィーと言った副官組が続いている。
「船長! 誰が怒りっぽいって言うんですかっ!」
 ロッティーナの怒鳴り声。
 こちらはあからさまに怒っている。
 ――なんと愛すべき仲間達、愛すべき光景なのだろうか。
 彼等はいつだって、そんな風に思わせてくれるのだ。
「よし、じゃあ折角皆揃った所でもう一度やるとしようか! みんな右手だけを前に出して、せーのでラッシャアオラァと大声で……」
「釣られないわよ!」
 二人の女性の声が重なって響く。
 ルーファとロッティーナの右手は、フェレットの頬に向かって差し出された。
 風を切り、ばちん、ばちんという大きな音が空へと吸い込まれる。
 衝撃でフェレットはよろめいたが、男の意地を見せて、辛うじてそこに踏み止まった。
「こら、何てことするんだ! 折角、感動的な台詞を口にしてたのに!」
「ふーん? こっちにはそんな感動的な台詞は一言たりとも響いて来なかったわよ」
 目の前にあるルーファの顔は怒りの形相のまま。
 おでこの辺りには青筋が浮かんでいる。
 このままではまずいと思って、フェレットは口から出そうになっていた過激な言葉を、全て飲み込んだ。
「……すいませんでした」
「わかればいいの」
 まだその場に残っているやり切れない思いを、なんとか空へと葬り去るフェレット。
 両頬に残された紅の傷跡が、じんじんと響いて切ないが。
「……もっかいしません? ラッシャアオラァってやつ」
 小声でぽつりと言うと、他の面々はそれぞれの顔を見渡すのだった。
 そうして、躊躇いがちに右手を差し出そうとする。
 まずパング、レティシア、それに他の面々が遅れて。
「よーしそれじゃあ! ラッシャァオラァ!」
「……ッァオラァ」
 人数の割にはやけに小さな、気合を入れる声が空へと吸い込まれていった。

 そんな奇妙と言っても良い喧騒を、木陰から眺める影が一つ。
 何時かの様に、仮面を被ってはいない。
 銀の光を帯びた美しい黒髪が、穏やかな風を強請るようにして靡く。
 鋭い眼光を持ったその瞳は、一行のほうをただ見つめていた。
(変わってないわね、あの時と)
 かつて目にした光景――記憶の中に映るのは一人の夢多き少年と、不気味な雰囲気をした男、そんな二人を穏やかな空気で包み込む淑女……その三人。
(彼らはあの時のままでいてくれた。良かった)
 自身の眼差しに羨望の色が混じるのを抑えられずに、彼女はそこにいた。
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  1. 2005/08/08(月) 16:25:59|
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