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航海タイム

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第十四章 空はかようにして美しく(後編)

3

「それじゃあ行ってきまーす。フェレさん、一ヶ月位で必ず戻ってきますね!」
 ヴェネツィアの港に、リィの華奢な声が響き渡る。
 去って行く幾つかの船を見送りながら、町に残された面々もまた笑顔を浮かべている。
 結局あれから話は皆に伝わり、船団の女性陣が総出で、フュルベールのお供をすることとなったのだ。
 無論、手伝った代わりに望みのものを一つずつ買って貰うと言う約束の元で。
「アイさんには珍しいお酒、ルーファさんには交易品を買って上げると喜ぶと思います」
 最初、リィがそうフュルベールに説明をし、二人の船長の顔を歪ませたものの。
 いざ出発となると、やはり二人は女性だ。
「エレオノーラさんってあの、酒場で働いてる子よね。彼女だったら…うーん、意表をついてインドのサリー辺りを買ってきたら喜ばれないかしら」
「いや、ここはストレートにドレスをプレゼントするのが良いと思うな」
 対象の女性の下見をこっそりと済ませてきた二人、色々と議論を交し合っている。
 無論心の中では、自分達が何を貰うのかも既に考えてあるのだろう。
 ともかくそんな風にして、”フォスベリー”、それにパングの”嵐を呼ぶ鹿号”を残し、船団の船の半分以上がヴェネツィアを出て行った。
(まぁ……仕方ないか)
 話を聞かされた時、フェレットは当然難色を示した。
 だが女性陣はすっかりその気になっているし、どうせ自分はこの町で暫く、例の音楽家フランチェスから色々と歌を教わるつもりでいる。
 結局”なるべく早く帰って来る”という条件付で、しぶしぶ彼女らが出かけて行くことを認めたのであった。
 ちなみにパングも一緒に行こうと誘われたのだが、彼は「ちょっとここでやりたいことが有るので」と断ったそう。
(しかし、この数日の間に一回、皆に聴かせようと思ってたんだけどなぁ)
 これから機会は幾らでもあると言えど、自分が密かに立てていた計画が潰えてしまい、フェレットは一人残念な気持ちを覚えていた。
 別に皆に聴かせなくても、とりあえず今いる船員にだけ聴かせられれば良いか。
 そう、自分を無理矢理納得させようとする。
 そうだ、今の内に日取りだけでも決めておこう。
 日にちはどうしよう。時刻は……大体、日が落ちる頃から始めようかな。
 フェレットはぼんやりと浮かべていたが、船員達のほうに顔を向けた。
「ねえかおるさん。今度酒場でさ」
 口からついて出たのは、そんな言葉だった。
「船長、今かおるさんって言いやした?」
 船員の一人に問われて、フェレットは疑問顔になる。
「かおるさんって言った? 僕」
「言いやしたよ」
「……いないって解ってるのに、なんか口から出ちまった」
 無意識に出た言葉に不思議な感触を抱きながら、フェレットは呟いた。
 かおるさんがいなくなって、もう一年と数ヶ月も経つのに。
 変な話だ、まだこんなことを口にしてしまうなんて。
(もうそんなに経つのか)
 自分が思い浮かべたことに対して、フェレットはコメントを加えた。
何だか実感が無い。
 このままこうやって、彼の存在がこの船団からフェードアウトしていっても、もしかしたら僕達は”実感がない”の一言で済ませてしまうのではないか。
(――何をしてるんだ? 僕等は)
 それなのに、僕等は見知らぬ人の手助けをしたり、旅の楽しさを貪っている。
 ……やはり、リィ達を行かせるべきじゃなかった。
 そんなことよりもっと他にすべきことがあると、何故言わなかったのだ?
「フェレット君」
「え?」
 振り返ると、そこにはフランチェスがいた。
 フェレットは慌てて、表情を取り繕おうとする。
 だが、それすらも彼は見抜いていて。
「そう言った感情は、何かを表現するには欠かせないものだよ。今度はきっと、良い演奏が出来そうだね」
 一言だけ、そう言った。
 まるで憑き物が落ちたかのように、フェレットの表情がすっと爽やかになる。
(成る程……そんな考え方も有るのか)
 そうだな、リィ達はもう行ってしまったことだし、今更どうにもならない。
 折角演奏を皆に聴かせるんだ、とりあえずはそっちのことを考えるとしよう。
 フランチェスに言われた言葉とは真逆に、猛っていた感情は一瞬にして静波のようになった。
 とは言え、元々感情の起伏はどちらかと言えば激しい方だ。
 たとえ表面には出さなくとも、奥底では何時も、それこそ海のように絶えず流動させている。
「よーし。今度の演奏会だけと言わず、この一ヶ月間頑張るぞ」
 フェレットはもう一度決意新たに、海へと出て行った仲間達の事を見送るのであった。
 こっちはこっちで頑張るから、君らも早く用件を済ませて帰って来いと。
(にしても見知らぬ男の人助けとはな。リィ達も人が良いと言うか何と言うか……)
 ちなみにフェレットは、彼女らが”ある条件”つきで手助けをしていることを知らされていない。

4

 それから数日が過ぎ、いよいよ練習の成果を披露する日がやって来た。
 ”フォスベリー”と”嵐を呼ぶ鹿号”の船員達は早々と、酒場に集まって来ている。
 昼間から酒を食らいながら、開演を待つこと数時間。
 いよいよ今日の主役が現われ、場には酔い混じりの拍手が湧き起こった。
 パングもちゃっかりカウンターにつき、エレオノーラと何やら話をしながらフェレットの方を見ている。
 が、いざ演奏が始まったとなると、場は一気に静まった。
 リュートの奏でに乗って、優しいメロディが店内を包み込み、場にいる人々の心を、何処か遠くの世界へと連れ去ってしまう。
 かと思えば”エル・サオール”という、シンプルなメロディーの船漕ぎ歌を歌い、人々の心を今度はぎゅっと掴み取るのだ。
 幾つか歌われたその歌の全てに、フランチェスの声がハーモニーとなって乗った。
 彼の普段の話し声は特に美しくはなく、至って”普通”としか形容できないものなのに。
 ――歌うとここまで違うものなのか。
 まるで天使の歌声……とは言わずとも、人の声を超えた美しい響きを持っている。
 彼の歌声を知っている酒場の常連客達はともかくとして、船員達は皆、恍惚の表情を浮かべるしかないと言った感じだ。
 たった一時間にも満たない時間でのその演奏会はしかし、観客の心を魅了して引き離さない程にするには、十分な時間であった。
 ありがとう、と一言だけ声が漏れると、辺りからは大歓声が湧き起こった。
「良かったよ、フェレット君」
 まず労いの言葉を掛けたのは、傍で彼をずっとサポートしていたフランチェスだ。
「いや……貴方がずっと、僕の下手な部分を覆い隠しててくれましたからね。僕の歌と演奏だけ取れば、まださっぱしですよ」
「けど、これから海を行くにつれてもっと成長していくさ。最初は下手でも、海が歌を変えてくれる。そうだろう?」
「はい」
 最初この人に会った時に、フェレットはそんなことを言ったのだった。
 それを同じように返されて、音楽家の船乗りは照れ笑いを浮かべる。
「まだ君がこの町を出て行くまで、幾らか余裕があるみたいだからね。それまでの間に、出来るだけのことを教えてあげよう。だが、とりあえず今日この後は、料理と酒を楽しむとしようか」
「はい!」
 握手を交わす、音楽家の師弟。
「……なぁ、ラフィタよ」
「なんだいアチェロさん。改まって」
 そこから数メートルだけ移動して、こちらは”フォスベリー”の船員達のやり取り。
「俺はたまぁに、あの船長が別人のように見える時がある」
「ああ、俺もですぜ。一年にいっぺんとか、それ位の単位ですがね。普段はかおるさん程大物じみた雰囲気を放ってもないし、カリタスさん程の覇気も感じられないのに。でも極稀に、その二人ともまた違った、独特なオーラを出してる時が有るんだよな」
「何時ものあの人と、そのたまぁに雰囲気が変わった時のあの人。一体どっちがホンモノなんだかなあ」
「んなこた、言うまでもねぇだろうよ」
 口を挟んだのは、フェレットが始めて海に出た時からずっと生死を共にして来ている唯一の水夫、パベルだ。
「普段のちょっとすっ呆けた船長と、今みたいな、一味違う雰囲気をした船長。そのどっちもがあの人の持ち味なんだよ」
 まるで自らのことのように誇らしげに言うパベル。
 他の船員もまた同じような表情をして、頷きを重ねるのであった。
 その後、ひそひそ声になってさらにやり取りは続き。
「……見ろよ、ロッティさんのほう」
「あぁ、拍手もせずに固まったままだぜ。さっきから」
 船員達の視線が向いている先にいるのは、”フォスベリー”の副官ロッティーナ。
 意識が飛んでいるかの様に、彼女はずっと一点を見つめたまま固まっている。
「ありゃ、魅了されたと言うか。すっかりヤラれちまってるな……」
「……船長、幸せ者だよな」
「ああ……」
 今度は急にしみじみとする、船乗りの面々達であった。
 基本的にやもめ暮らしの船旅、時に幸せな恋人達が羨ましくもなる。
 まあフェレットとロッティーナの二人に関して言えば、想いは明らかに一方通行なのだが。
「よぉーし、今日は飲むぞ!」
 さて、普段の顔に戻ったフェレットが先陣を切って号令をする。
 既にフェレット以外の面々には酒が入っているのだが、改めて仕切り直しと言うことで。
 ロッティーナもようやく正気を取り戻していて、フェレットにいつ賛辞の言葉を述べようかと、待ち構えているようだ。
 乾杯の合図がなされないうちは、と、立ち上がる寸前の所で止まっている。
 だが。
 彼女が心に溜めていた賛辞の言葉は全て、吐き出されずに消えて行くのだった。
 全ては、フェレットが次に口にした失言のせいで。
「折角今日はあの口やかましい女性軍も一人残らず出払ってる訳だし、男だけで豪快に飲むとしよう!」
 何気なく口にされたその言葉。
 フェレットもいちいち発言を省みなかったし、他の船員も。
 いや、パベルだけは気付いて、ロッティーナのほうをちらりと眺める。
 ……あ。
 パベルは口をぱくりと開き、そのまま固まった。
 ひどく、悲しそうな顔をしている。
 あの一言だけで? と、こちらが驚きを隠せなくなる程。
「まあ大体、最初は船団も大半が男だったのに、何時の間にこんなことになっちゃったのかと、ずっと疑問だったんだよ。だから今日は久しぶりに男だけで親交を深めようと……」
 大きな声で口にするフェレットの真後ろに、ロッティーナがいる。
 彼女がばっと席を立ちあがっても、フェレットは気付くことはなかった。
 そして、彼女が店を出て行っても。
「せ、船長! ちょっと!」
 乾杯の声が終わり、さあ飲むぞと言うところで、船員達が四方からフェレットのほうに駆け寄った。
「ん、何?」
「ロッティさん、出て行っちゃいましたぜ」
「ロッティが?……あっ」
 ぼけっとして言葉を聞いていたフェレットだったが、ようやく気付いたらしい。
 そしてその表情がみるみる暗いものへと変化をしていく。
「……怒ってた?」
「と言うより、悲しそうに見えやした。あんまりですぜ船長。ロッティさん、誘われたのにわざわざ残ってくれたんでやすから。謝りに行って上げて下さいよ」
「う、うん。わかった」
 フェレットは元々大の酒好きという訳じゃ無いし、酒よりも大事なものがこの世にたくさんあることも知っている。
 まあ、それは人それぞれと言うもので、中には酒が何より大事な人間もいるのだろうが。
 手にしたグラスをそっと置き、フェレットは走って酒場を出て行った。
 ちなみに何時の間にか、パングの姿も消えている。
 そう言えば、エレオノーラというあの女性も。
「やっぱり幸せ者だな。船長は」
「中々無いよな、今時」
 残された船員達は船員達で素に戻り、またあっさりとした様子で酒を飲み始めている。
 さすが海の男達、荒事、トラブルへの対応は人一倍慣れているのだ。
(あの青年は、船員に恵まれているようだね)
 音楽家フランチェスもまた、若者達を優しげな瞳で見つめながら、ワインと口へと運んでいた。

「ロッティ……?」
 店を出て直ぐの場所で、ロッティーナは独りぽつんと立っていた。
 視線は逆の方向を向いており、名前を呼びかけても反応がない。
 あの一言だけで、そんなに怒らせたのかな……?
 フェレットは少しの疑問を交えながらも、
「ロッティ、ごめんよ」
そう声を吐き、彼女をこちらに振り向かせようとした。
 右手を肩に添えても、振り向かない。
 フェレットはしびれを切らして、一歩前に進み出て、彼女の顔を覗きこんでみた。
(……えっ)
 そうしてようやくフェレットは事態の深刻さを飲み込むのであった。
ロッティーナはその瞳から、涙をぼろぼろと零していたのだ。
 普段見ぬ彼女の表情を見て、フェレットの目は丸くなり、視線が虚ろになる。
「ごめん、そんなに気に障ったかな? あの……あれは言葉のアヤというやつであってさ。悪気は無いんだ」
 フェレットが視線を向けると、彼女は思いっきり顔を逸らした。
「ごめんね、ロッティ」
 今後二度と出せないであろうと言うほどの、優しい声を絞り出したつもりだ。
 しかし相変わらず、彼女からは何の反応もない。
 目に見えているのはただ、滝のように溢れ続けている涙だけ。
 こうなれば、とにかく謝罪の言葉を繰り返すしかあるまい。
「ごめん……」
「船長っ!」
 え……?
 唐突に放たれた怒号。
 それを受け、フェレットの表情が素に戻って固まる。
 ――怒っている?
 こんなに悲しそうな顔をして、瞳からは涙が零れているのに?
「今夜は! 私と朝まで付き合っていただきますからね!」
「え?……はい。付き合わせて頂きます」
 ――要するに女性とは、男より遥かに不可思議な生き物であるのだと。
 フェレットの中では一瞬にしてそんな結論が出た。
 普段は男よりも愛想がよく、人当たりも優しいのに。
 突然その表情に悲しみを表し、怒りを表に出す。
 ……つまり、芸術家の素養を多く持つのは、男より女のほうなのでは無いだろうか。
 そんなことを考えながら、また酒場へと連れ戻されて行くフェレットであった。

5

 ヴェネツィアに日が昇り、そして落ちて行く。
 そんな光景を何度か繰り返すうち、気付けば時は過ぎていた。
 たった一月だ……なんて言っていては、きっとこのまま時間が経ち、何もかもを成せないまま生命が途切れてしまうだろう。
 人の一生は短いとは思わないけれど、何もかもを急がなければならない。
 少なくとも、今は。
 フェレットはそう思いつつも、しかし酒場で体調悪げにして、一向に動けないでいるのだった。
 それと言うのも、この間酒を飲んだ時以来。
 肉体的にと言うより、精神的にと言うべきだろうか。
 あの後結局、ロッティーナと一対一で朝まで酒を飲む羽目になった。
 酒を飲みながら、朝まで色々と愚痴を聞かされたのだ。
 その大半は”フォスベリー”の船員のだらしなさだとか、船長としての在り方だとか、そんなことに対してである。
 ……酒を飲んで酔っ払っていても、彼女はなんとか本音を口にしないでいられたらしい。
(ロッティ……やっぱり嫌ってんじゃないだろうな。僕のこと)
 気になって他の船員に訊ねてもみたのだが、返ってきたのは「それだけは絶対無いから安心してくだせぇ」という言葉。
「ならいいんだけどな……」
 フェレットはぽつりとそう浮かべた。
「何がですか? 船長」
 返事をしたのはロッティーナだ。
 さっきまでは居なかったのに、まだ真昼間なのに何故此処にと、フェレットは慌てる。
「いや、何でもない。それよりどうして此処に?」
「帰ってらっしゃいましたよ。船団の女性船員が」
「え! ああ、そうなんだ……ごめん」
 まだあの時のショックが抜け切っていないらしく、殆ど反射的に謝るフェレット。
 そんなやり取りをしていると、酒場のドアが静かに開かれて。
 そこから見知った顔の女性達が次々と店内に入ってきた。
「ただいま、フェレさん。一ヶ月も留守にしてしまって、すいませんでした」
 リィを筆頭に、レティシアとその船の船員達がずらずらと。
 まるでこっちと向こうで時の流れる速度が違ったかのように、彼女達は皆、服装が派手なものに変わっている。
「フェレさん見て。これっ、ナポリでバザーを開いていた商人の方から買ったんですよ」
 赤色を基調とした、飾りを施されたモラを、リィはフェレットのほうに見せつけた。
「あ、それ……。そうか、買っちゃったんだな。高くなかったか?」
「……いいええ。その商人の方の好意で、とっても安いお値段で譲って頂いたんです。それこそもう、ただって言っても良い位のお値段で」
「そうなの?」
「はいっ」
 リィの言葉に普段と違う感情の起伏があるのを、フェレットは気にしなかった。
「それにレティシアちゃんも。……それもナポリの商人から?」
 少女レティシアが羽織っている、体型に似合っているのか微妙なジュストコール。
 これもただ同然?
 だとしたらなんと親切な商人なんだろうか、その人は。
 さすがにフェレットの顔が少し疑わしげになる。
「う、うん。これもただだよ」
たじたじとなりながら応えるレティシア。
「ふーん? それよりさ、肝心のその、プレゼント探しのほうはどうなっ……」
「しっ! フェレさん!」
 開いたばかりの口を慌ててリィに塞がれた。
「そこにいるエレオノーラさんに上げるんですから、プレゼント…。喋っちゃ駄目です」
「ああ、そうか」
 二人はちらりと、カウンターで元気に営業をしている娘のほうを見やった。
「で、男は何処行ったの?」
「今、宿でアイさんとルーファさんに色々、服装を指導されてます。あと、プレゼントする時の台詞とか……」
「……色々やってるのね。君達」
 好きにやらせておけば良いのに、とフェレットは少し呆れた。
 それから直ぐ、彼等は酒場へとやって来た。
 まず最初に姿を現わしたのは――襞襟とカボチャパンツを主体とした、ラフカラータブレットを纏った青年だ。
 一見して誰もが”上品だ”と言った感想を抱きそうな、そんな姿をしている。
「……あれかい?」
「はい」
 フェレットの声に、リィは力無く頷いた。
 ふふ、と笑うその表情も、とにかくよそよそしい。
「エレオノーラさんっ!」
 その青年――フュルベールは入ってくるなり声を上げた。
 幸いまだ時間が早く、場には酒場のマスターとエレオノーラの他は、船団のメンバーしかいない。
「はい? 初めまして……私の名前を知ってるんですか?」
 どんな時でも元気にと言うのが彼女の信条らしく、エレオノーラは屈託ない声でそう返すのだった……少なくとも、表面上ではそう見える。
「……初めてなの? 会うの」
「はい。今まではその、物陰から見つめてた、そうで」
 端のテーブルでぼそぼそと話している、フェレットとリィの二人。
 フェレットの中では既に幾らか、嫌な予感がしていて。
 リィに取っては或いは、予測が出来ていた光景なのかもしれない。
「これを受け取って欲しいんです!」
 フュルベールが差し出したのは、服だ。
 それもとびきり珍しく、この辺りでは手に入らない貴重なもの。
「何、あれ……」
 フェレットは遠目ながらもその服の姿をしっかりと視線に入れている。
「ラクスシャルキって言うそうです。ダンスをする時に纏う服装なんだそうですよ」
「いや……なんであんな物をあげるんだ?」
 フェレットは心からの疑問顔になって言う。
 だってその服は踊りをする為の服とあって、下着と見紛ってもおかしくないほど、露出が多いのだ。
 さらに続けて差し出されたのは、エスコフィヨンと呼ばれる、帽子の土台にリボンが縫い込んであるもの。
「帽子はともかくとして……。しょ、初対面であんな服なんかあげたら、好かれるどころか、怪しがられるに決まってるじゃないか」
「そうですかねぇ……やっぱり」
「やっぱりって」
「その……実は私達、自分達が欲しい服を探すのに手一杯で……。あんまりちゃんとアドバイスしなかったんです。ごめんなさい……」
 話の流れ上、仕方なくリィは真相を全て明かすことにした。
「成る程ね。そのモラもあの男の有り余っている金で購入したって訳か」
「はい。ごめんなさい……フェレさん」
「まぁ、僕が買ってやれなかったことにも問題があったからな。そんなに欲しがってたなんて、知らなかったよ。ごめんな」
 この間ロッティーナに怒られたせいで、女性に対して幾らか優しくなっているフェレットであった。
 それは期間限定のことで、数日もすればまた元に戻りそうであるが。
「それにあの二人、良い雰囲気じゃないか? 意外にも」
「ええ。あのラクスシャルキ、気に入って貰えたんですね」
 それはどうだろう? と、それに関しては相変わらず疑問を抱いているフェレット。
 だが、カウンターにいる二人は楽しげに歓談を交わしている。
 それは確かなのだ。
 数分間もすると、フュルベールはやがて何かに気付いたかのようにして。
 いきなり向きを変え、こちらに向けて走ってきた。
 たった数メートルの距離なのに全力で走ってきて、そして立ち止まる。
「ありがとう、リィさん! レティシアさん! 彼女本当に喜んでくれたよ!」
 満面の笑みを浮かべながら、フュルベールは言った。
 エレオノーラもこちらのほうを見ながらにこにことしている。
「彼女、僕のこと大好きだってそう言ってくれたんだ!」
「そ、そうですか……。良かったですね、本当に」
「うん。本当に良かったね」
 リィに続いて、レティシアがまた笑みを浮かべながら返す。
 彼女の微笑みはリィに比べると、大分心の底からの表情に見える。
 たとえ、真相のところはわからなくても。
「それじゃ、宿に置いてある他のプレゼントも持って来ます。彼女にもっともっと喜んでもらいたいし。また後で!」
 フュルベールはまた疾風へと変わり、急ぎ酒場を出て行った。
 エレオノーラも手を振って見送ってくれている。
「あからさまに単純な男だな。あのエレオノーラさんもそう気付いて、それであいつを騙してるんじゃないのか?」
「フェレットさん、そんなこと言っちゃ駄目」
 レティシアに注意され、フェレットは「ごめん」と小さく返す。
 こちらの会話は相変わらずひそひそ声のままだ。
 数秒後、再び酒場のドアが開かれた。
 今度やって来たのはフュルベールではなく、アイとルーファ、それにパングの三人。
「あっ、ただいま。フェレさん」
 アイとルーファの視線はすぐにこちらに気付き、そしてテーブルへとやって来た。
「久しぶりね。色々なものを買って来たから、後でじっくり見せてあげるわ」
「うん、お帰り」
 フェレットは言う。
 だが彼の視線はアイ達ではなく、真っ直ぐにカウンターへと掛け込んで行った少年のほうを見ていた。
「パングちゃん、たまたまここの入り口で会ったのよ。何か色々荷物を抱えてたみたいだけど……」
 アイも同じ方向へと視線を向けた。
 久々に会った仲間が別に優先するものを見つけていて、少し寂しそうにしながら。
「エレオノーラさんっ!」
「あ、パングさん、いらっしゃい。待ってたんですよー!」
(仲良くなってるっ?)
 パングとエレオノーラ。
 二人の若者のやり取りを見て、衝撃を受ける船団のメンバー達。
「見てみて、エレオノーラさん。今日はこれ持ってきたっすよ」
 パングは何やらカウンターにごちゃごちゃと並べた。
 それらを、フェレットの視線は一つずつ掴み取る。
 ああ、金の装飾が施されたサンダルに……あれは宝石箱。……あっちは多分、首飾りだろう。
 目にしていくうち、フェレットの表情が段々と崩れていく。
 笑うしかないと言う感じになって、フェレットは乾いた笑いを浮かべた。
 パングよお前もか、と。
 何故だろうか、男性と言う性別そのものが、女性のもとにひれ伏してしまったかのような、そんな感触に囚われている。
「ここ一ヶ月間、ヴェネツィアのバザーで散々探したんっすよ。これならきっと、エレオノーラさんに気に入ってもらえると確信してるっす!」
「わぁ、ありがとう! パングさん、大好き!」
 何時の間にか、フェレットの乾いた笑いが皆にまで伝染している。
 このことをパングに伝えるべきか……フュルベールに伝えるべきかと思案に暮れつつ。
 最早全てを見なかった事にするしか、手段は残されていないような気もするけれど。
「これだから男って言うのは……最低だわ」
 ロッティーナがぽそりと呟き、フェレットは背筋をぞくりとさせた。
 それを表情に出さないようにしながら、フェレットは席を立ち、そして窓のほうへと歩いていく。
「ねぇ……アイさん。僕、一つ思い付いたよ」
「何を?」
 真昼間のヴェネツィアは青空が支配していて、そこには雲一つない。
 この一月の間ずっとこうだった訳ではない。
 たまには雨が降るし、日没の時には何時だって、熱き感情を秘めた橙色が空を包み込む。
 けれど水の都はその全ての空に調和をし、最も美しい光を空へと返すのだ。
「”女心とヴェネツィアの空”」
「その心は?」
 こうなれば好きに言わせてやろうと、アイは訊ね返してあげた。
「絶えず変わり続けるヴェネツィアの空のように、女心もまた移ろいやすいってことさ。そうありつつも神秘性に満ちてて、永遠の謎でもある」
「うん。まぁ、そう思っておくのは素敵なことだと思うわ」
 アイにくすりと笑われて、フェレットはああまたか、と表情を沈ませた。
 今口にした言葉でさえも、ただの子供の戯言に聞こえているのかと。
 見上げた空は蒼いままで、いっそ人々の想いもあそこまで単純に、美しいだけのものであったらどんなに楽だろうか。
 いやそんなことはない。
 空と同じように様々な色を持つからこそ、それは美しいものになり得るのだ。
 そうだ、そうに違いない。
 そんな風に、結論を二転三転とさせながら。
(……かおるさん、早く帰ってこないかなぁ)
 背後の喧騒を忘れるようにして、フェレットはぼんやり空を見ていた。
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  1. 2005/07/29(金) 05:25:16|
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