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航海タイム

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第十四章 空はかようにして美しく(前編)

1

 水の都、ヴェネツィア。
 船団が町に辿り付いた時は丁度日没の時刻で、黄金色に照らされた町並みはまるで夢の光景のようであった。
 船を降り、道を行く時でも四方には海があり、海での暮らしを常とする船乗り達にはまた、馴染みやすい場所でもある。
 このヴェネツィアの土地は、大陸からの川の流れに乗ってくる土砂、そしてアドリア海の波と風の力によって作られた湿地帯。
 そのままではとても人が住み着けるような土地ではなかったはずなのに、様々な事象が重なって人が住み着き始めた、言わば奇跡の町である。
 カンディアから一直線に、他所の町に寄港することもなく来た為、到着した頃には披露困憊になっており。
 その日は町の光景を散策したり体を癒すことに専念して、翌日から本格的な情報収集にあたることとなった。
 と言っても相変わらず、探す手掛りは一つとして掴めていないままだ。
 形振り構わずに辺りの人に訊いて回るくらいしか、捜索手段も思い浮かばない。
 となれば事は焦らずじっくりとやるべきだと、やはり楽天的な面々。
 船長組もまた珍しく男女に分かれ、街の各所を時間を掛けて回っているのであった。
 リィ、アイ、ルーファという三人の女性船長にレティシアを加えた四人で、まずは靴屋を訪れて。
「あの……ドルマンって言う、ええーと、トルコの人達が着てるって言う長いコートを着た、背の高い男の人を見ませんでしたか?」
 店の人間にまず訊ねたのは”コンスタンティア”の船長、リィ。
 しかし、この説明で解る人間なんている訳が無い、と自分でもそう思っていた。
 案の定、靴屋の店主はうーん……と首を傾げているだけだ。
「あんたみたいな美人に訊ねられて、何も教えてあげられないってのも悔しいけどねぇ……。それだけじゃ幾らなんでも、無数に居過ぎると思うよ。それにいつも同じ服装をしてるって訳でもないんだろう?」
 何時も同じ服装なんですけど、とリィは思ったけれど、言わなかった。
「ごめんなさい、解り辛いことを訊いてしまって」
「いやいや。こっちこそ役に立てなくてすまんね」
「さてと、それじゃあ本題に移りましょうか」
 会話が終わったと見るや、口を挟んだのはアイだ。
 彼女もまたダウ船”シャルトリューズ”の主であり、幾多もの依頼をこなしてきた生粋の冒険者でもある。
 その冒険者としての鋭い瞳が今回向いているのは、店頭にずらりと並べられた、幾多もの種類の靴。
「ねぇ見て見て、このリボンシューズなんか、リィちゃんに似合いそうじゃない? あ、それにホラ! こっちはレティシアちゃんにぴったり!」
 女性数人が揃えば何時だってこんなものである。
 或いは未だ見つからぬ友人を心配するあまり、無理に元気を出そうとしているのかも分からない。
「ヴェネツィアはイスラムほど特殊な場所じゃないけど、それでもやっぱり色々と珍しいものが有るわよ」
 と、他所の店のほうから、ルーファの声が呼びかけている。
 彼女の視線の先には、透き通った光を映し出した細工品の数々。
 ヴェネツィアは水の都であると同時に、ガラス細工が有名な町でもある。
「うわぁ! すごい、私こんなの初めて見ました!」
 あまりの美しさに、手に取るのも躊躇しているリィ。
「あはは、お嬢ちゃん、気にせず近くで見てみて構わないよ」
「ありがとうございます、それじゃあ!」
 ヴェネツィア共和国が生み出した光と焔の芸術、ガラス。
「わぁ……」
 まるで水晶の如くな煌きを放っており、手に取るとそれは両手の中で鮮やかに光るのだった。
「綺麗でしょ?」
「はい!」
 ルーファの声に、心からの返事をする。
「けどその分、相当値が張るからね。ガラスを室内に飾ったり出来るのは王侯貴族だけって話だし」
「え、そうなんですか?」
「うん。迂闊に買っちゃわないようにね」
 と、店の主人を目の前にして歯に絹着せぬルーファであった。
「ちょっとちょっと、お嬢さん方。こんな耳元で高いなんて言われちゃ、こっちも黙って聞いてるわけにもいかんね」
「ごっ、ごめんなさい」
 慌てて謝ろうとするリィ。
 だが、主人は別に怒っている訳でもない様子だ。
「いや、お嬢ちゃん方の為に少しくらいなら安くしてあげるってことだよ。お嬢ちゃん方、どこからいらしたんだい?」
「えーと……一応、倫敦ですけど」
「倫敦! 船乗りさんか何かかい」
「はい」
「そりゃ驚いた。よーし! わざわざ倫敦からガラスを見に来たとあっちゃ、ただで返す訳にはいかないね。お嬢ちゃん、好きなだけ選んでくれて良いよ。こっちが損するくらい安くしてあげるから」
「本当ですか!」
 別にガラス細工を見に来た訳では無いのだが、そこはまあご愛嬌と言う事で。
 ようやく本格的に商品を手に取り始めたリィだったが、あることに気付き、
「ルーファさん、ありがとう」
彼女の方に振り向いて、ぺこりと御辞儀をした。
「ん。まあ私は何もしてないわよ、殆ど」
 店主が勝手に乗ってくれただけで。
 ルーファはそうくすりと笑った。
「さて、それじゃそろそろちょっと、交易所のほうを見てくるわね。さすがに船員ばっかりに交易を任せとくのは不安だから」
「あ、私も付いて行って良いかしら?」
 何時の間にやら靴屋での買い物を終えたらしいアイの声だ。
「たまにはまともに船長の業務やっとかないとね。いい加減、酒飲み船長と言うイメージも何とかしたいし……」
 それは難しそうだと、口にはしないが場にいる誰もが思った。
「それじゃあ私達はどうしようか? レティちゃん」
 リィは背を屈めて、隣にぽかんと立っている少女へと囁きかけた。
 このレティシアという女性、年齢こそリィやルーファらと同年代であるものの、背丈が子供並に小さいのだ。
「んー。私もう少しお買い物したいかなー」
 外見だけでなく、発する声も見た目の通りに幼い。
「それじゃ、私達だけで見ましょうか? レティさん」
「うん!」
 二人がそう言い出したのはアイにとっては予想外のことであり、てっきりレティシアは自分と一緒に来るものだと思っていたらしく。
「リィちゃん」
「はい?」
「レティシアちゃんに、変な気起こさないでね」
 一応念の為、そんなことを注意しておくアイであった。
 さすがのリィも閉口してしまい、少し冷えた目で見返すことしか出来ない。
 しかしこう言うことをあまり根に持たないのが彼女の良い所である。
「この辺りの店、のんびり回りましょう。レティさん」
「うん、それじゃあね。アイさん、ルーファさん」
 そうして、くるりと踵を返す二人。
 別にその行動自体は至って普通のものである。
「アイさん、別に向こうに付いて行っても構わないわよ」
 ここから消えて行こうとする二人の姿を眺めているアイに向け、ぽそりとルーファの声が届いた。
「よしておくわ。そろそろ、もう一つ異名がついてしまいそうだから……」
 と、ぎりぎりの所では何とか理性を保っているアイ。
「それにやっぱり――何か足りないものね。今は」
 意識せずにそんなことを呟いて、彼女はその表情を少し曇らせた。

 フェレット、パングという二人の船長は、町に着くなり酒場へとやって来ていた。
 ただ酒を飲みに来たのではなく、今回此処を訪れたのは明確な目的があったからだ。
 まず一つはかおるの行方探し。
 そして、もう一つは。
「そう、メロディーはそんなところだね。ただ発音がまだなってないかな。それにリズムも」
 数年間に渡る航海で、幾つもの国を目にして来た。
 航海中は滅多に披露する機会が無いとは言えど、フェレットは音楽を趣味とする人間である。
 ポルトガルやイングランドなど、それぞれの地に伝わる歌を、旅の最中に自分のものとしてきたのだ。
 無論その地に生まれた人間が歌うものにはかなわないだろうが、せめてその魂を僅かにでも汲むことが出来たらと思い、それを皆に聴かせられたらと。
 そしてこのヴェネツィアで、音楽家らしき人物を見つけるや否や、フェレットは教えを乞うことにしたのだった。
 フランチェスと名乗ったこの男、普段はサン・マルコ大聖堂の聖歌隊を務めているのだとか。
 歌に関しての学識もフェレットの比では無かったろうが、他所からやって来たこの奇妙な生徒に、親切丁寧にヴェネツィアの音楽を解説してくれていた。
 この数十年後にヴェネツィア、サン・マルコ大聖堂から二重合唱(コーリ・スペッツァーティ)と呼ばれる特殊な形式の合唱方法が生まれ、そこから音楽はさらに深化していく。
 だが、それは現時点ではまだ知られることのない話だ。
「まだ早い時刻なのに、君の連れも頑張るね」
 酒場のマスターが言う。
 まだ夕刻、本格的に客が入るのはまだこれからだ。
 ぽつぽつと数人が端のテーブルにいる以外は、フェレットと音楽家フランチェス、酒場のマスターと、カウンターに一人だけ座っているパングしかこの場にはいない。
 案の定向こうの音楽の授業には入れるはずもなく、今の時刻ではまだ酒を飲む気にもならない。
 パングは独り取り残された様な気分になりながら、カウンターでぼんやりとしていた。
(これなら、わざわざ僕を連れて来る必要は無かっただろうに……。アイさん達には秘密にしてるみたいだし……)
 不満たらたらなパングだが、口にしてもどうせ彼の耳には届かないであろうと、黙って眺めている。
 ちなみに何故女性陣には黙っているかと言うと、フェレット曰く「努力ってのは女性には知らさずに、スマートにやるものさ」らしい。
 そして何故パングを連れて来たかと言えば「だって知らない土地だぜ? 独りじゃ緊張するだろう」との事。
(今ならこっそり宿に帰っても気付かなさそうっすねえ。まあ、フェレットさんにはここでじっくり練習に励んでもらうとして……)
「あぁ、ええとパング君」
 楽器の音に混じって、声が届いてきた。
「何っすか?」
「そこのジュース、こっちに取ってくれない?」
(パシリかい!)
 辟易しつつもちゃんと運んであげる、気の良い少年パングであった。
 しかしもうこれ以上やってられんと、こっそりながらも店を出て行く決意を固める。
 幸い、丁度フェレットはこちらを向いていない。
 ばっと席を立ちあがり、つかつかと入り口のほうに向けて歩いて行ったその時。
 その入り口のドアがばたんと開き、そこから一人の少女が姿を現わしたのだった。
「こんばんはー! 遅れました!」
 そう元気よく入ってきた少女は、恐らくパングと同年代だろう。
 大きくぱっちりと開いた瞳に、後ろで幾つもに束ねた可愛らしい髪型。
 そのどれもが視線へと突き刺さるようだったが、パングが何より一番に反応したのは果たして。
「きょッ!?」
「……きょ?」
 放たれた奇声に、フェレットらも思わず振り向く。
「あら、お客さんかしら?」
 目の前で石像のようになっている少年を見て、その少女はきょとんとしている。
 だがすぐににこりと笑って、
「私、エレオノーラって言うの。お客さんですよね? 初めまして、よろしくね!」
そう、元気な声を響かせた。
 パングは彼女の顔よりも僅かに下、胸部のほうを見ていたが、慌てて視線を上げて。
「よ……よろしくっす」
 それでもまだ顔のほうを直視出来ないままで、返事をするのだった。
「あっ、もしかして、帰ろうとしてたのかな? 私邪魔しちゃった?」
「いやいや、とんでもないっす! ちょっと酔っ払って、ふらついてただけで! たまたま出口の方に歩いて行っちゃっただけっすよ! この後また朝まで飲もうと……」
「そうなんだ? それじゃあ、朝までここでお話してようね!」
「はいっす!」
 さっきまでこの場から逃げようとしていたパングだったが、気付けばまた嬉々としてカウンターの席についている。
 ぽつぽつといる酒場の客はそれを怪訝な様子で眺めていたが、フェレットは一人、やれやれと目を細めていた。
(一見愛想が良いのに限って、その実は……ってことがよくあるもんだ。まあそうしてつまづくのもまた人生経験の内かな)
 パングのことを少し心配しつつも、介入する気はないようで、フェレットはまたすぐにフランチェスのほうへと向き直るのだった。
「そろそろ人が増えてきたね。私達が雑音を響かせているのもいい迷惑だろう、他所に行くとしようか?」
 音楽家フランチェスが言う。
「構わんよ。あんたには何度か、宴会の余興として歌ってもらったりしてるしな。客も皆、ここにあんたと言う音楽家がいると承知の上で来てるだろうよ」
「今日に限っては、若者達の邪魔をしてしまいそうだからね」
 大人の笑みでマスターに返すと、フランチェスは席を立った。
「それじゃ行こうかね、フェレット君。波音をパーカッションとして楽器を奏でるのも悪くないもんだよ」
「はい!」
 ヴェネツィアで出来た、たった数日間限定の師匠だ。
 だが出会ってから間も無く、ほんの少しの間教えを乞うただけで、フェレットはこの音楽家の歌声、演奏にすっかり魅了されていた。
「パング君、ちょっと出てくるから。アイさん達他の面々には適当にごまかしておいてくれる?」
 店を出る直前にそう言ったが、パングの神経は一寸たりともこちらには向いていなかったようだ。
(大丈夫かな……。まぁ、わざわざ喋らないとは思うけど)
 ドアを閉める直前まで、パングとエレオノーラのほうをちらちらと見ながら。
 二人の音楽家はそれぞれたった一つずつの楽器を持って、海へと消えて行った。

2

 実際のところ、まともにかおるを探していたのは、リィとレティシアの二人だけだったのかもしれない。
 町の様々な場所を回りつつも、彼女達は常に周囲を見まわし、何処かに怪しい人間がいないかチェックをし。
 そして――ついに見つけた。
 ヴェネツィアのシンボルとも言えるサン・マルコ広場の隅っこで、一人、まるでこの世の終わりをただ待っているかのように地面にしゃがみ込んでいる男。
 視線は真下を向いており、こっちからは顔を確認する事は出来ない。
 その代わり向こうもこちらに気付いていないだろうと、二人はこっそりと男の傍に近付いた。
 その際に辺りにいた人から「浮浪者には迂闊に近付いたりしないほうが良い」と諭されたが、お構い無しに歩いていく。
 リィ達としても、何も怪しい人間をただしらみつぶしに当たっているわけでもない。
 この男の羽織っている服装はかおると同じ、黄土色のドルマンであったのだ。
 頭には黒色のアジシェを被っており、これもまたかおると同様。
 どちらも泥に塗れてこんな色になってしまったのかも、判らないが。
 髪の毛の色はどう見ても天然色とは思えない、紫色。
 かおるもまた、各地で面白い色の染色料を見かけては、その度髪の毛を染め上げたりしていたらしいので、今回たまたま紫を選んでいたとしても不思議ではない。
(似てるわ……ちょっと人を寄せ付けない雰囲気も、あの人にそっくり)
 蹲っている男の至近距離までやって来て、そしてリィは思った。
「話してみる?」
 横隣、少し低い位置からレティシアの声がぼそぼそと聞こえる。
(そう、ねぇ……。不安だけど……襲われたりしないかしら)
 たとえこの人がかおるさんでも、かおるさんじゃなくても。
 可能性として有り得なくはない、とリィは考えた。
「あの、すいません。今、大丈夫でしょうか?」
 リィは顔を近づけて、そして出来るだけの優しい声で呼びかけた。
 ……反応がない。
「あのぉ、すいません。いま、大丈夫でしょおか?」
 レティシアがリィの口調を真似て、もう一度訊ねてみた。
 それでも返事がなく、顔を見合わせる二人。
 リアクションは、それからさらに数秒遅れで返ってきた。
「僕にナンの用だ……?」
 俯いたままで、ぼそぼそと吐かれた声だ。
 だがそれだけでリィはもう、この人物がかおるでないことを掴んでいた。
(残念。声も違うし、そもそも”僕”だなんて、絶対に言う訳ないもの……)
 しかし話し掛けてしまった手前、このまま無言で去る訳にもいくまい。
 リィ達はそう思って、”すいません、人違いでした”と軽快な調子で口にしようとした。
 が、その瞬間。
「君達はッ?」
 地の底へと沈んで行きそうだった男の顔がいきなり跳ね上がり、顔を間近で眺めていたリィは、繰り出された頭突きをすんでの所で回避した。
「あ……ごめん。わざとじゃないんだ」
 続けて聞いてみれば、男の声は意外にも若いものだった。
 こちらを向いた顔もかおるとは似ても似付かず、年齢はまだ二十歳に満たないと言ったところであろう。
「どうしたのですか? こんな所で、一体……」
 心配げと言うよりも、最早単に怪訝な顔になっているリィであった。
「浮浪者なの?」
 レティシアもまた、無垢な調子でそう言葉を重ねる。
「失礼なことを言わないでくれよ。僕はこれでも、船乗りをしてるんだ。ちょっと……酔っ払ってしまって。帰れない程になってしまって、ここで寝てたんだ。……辛いことがあってね」
「辛いことってなぁに?」
 さらにレティシアが訊ねる。
 だが返事として返ってきたのは、わんわんと泣く男の情けない声であった。
「……もう、僕は人間として、男として駄目なんだ。今まで船乗りとして、色々な場所を見て回ってきて……それなりの自信ってものを持ってたつもりだったのにさ。そんなもの、一つも役に立たないんだって、そう知ってしまったんだよ……」
 ああ情けない酔っ払い男の典型。
 二人の少女は再び顔を見合わせ、そして溜息をつく。
「でも、ちょっとフェレットさんに似てる、感じがする……?」
「ううん。全然、全く似てないですよ。レティさん」
 リィの声は至って平然としたものだった。
 それなのに、レティシアは何故だか、無意識のうちに一歩距離を取っている。
 ほんの一瞬だけ、殺気のようなものが過った感じがしないでもない。
 リィはにっこりと笑って、また男のほうへと向き直った。
「それで、どうしたんです? 私達に向かって”君達は”って仰いましたけど」
「ああ! そうなんだよ!」
 項垂れてたかと思えばまた声を張り上げ。
 情緒不安定なのもまた酔っ払い故であろう。
「ああ、でも……やっぱりどうせ、僕なんかの相談に乗ってもらえる訳なんかないし」
 一瞬で躁から鬱へと転じたらしく、また男はしゅんとなる。
「……私達に出来ることなら、相談に乗ります。いいから教えてください」
 さすがのリィも多少の怒気を孕ませながら、そう声を放った。
 それでもまだ男は躊躇いがちであるが。
「……うちの船、水夫も男ばかりでさ……。普段、女性と関わることなんか殆ど無くて。だから女の人に相談に乗ってもらいたかったんだけど、だから船が男ばかりだから、それも出来なかったんだよ。今まで。本当にもう、嫌になっちゃうよね」
「ええ、それで」
 要領を得ない話し方である。
 リィは最早怒ると言うより、無味乾燥な顔つきで話を聞いている。
「実は……僕は、フュルベールって名前なんだけどね。フランスからわざわざ、このヴェネツィアまで用事があって来たんだ。その用件も済んだんだけど……たまたま立ち寄った酒場で、一人の女性に恋をしてしまったんだ」
「へぇ! なんて方にですか?」
「エレオノーラさんって言うんだ。元気で活発そうで、僕にない光の部分を全て持ち合わせているような、太陽のような人だった」
 もしかして酔ってなくてもこんななのだろうか、と不安になるリィ。
「この気持ちを伝えようにも、僕は口下手だし……。何か、プレゼントをあげようと考えた。しかし駄目なんだ」
 駄目って、何が? と、レティシアの相槌もどこか適当な響きだ。
「だって彼女とは国も違うし、国籍も違う。それなのに、彼女が気に入ってくれるようなプレゼントを選べるわけがない。だって僕は、彼女のことを何にも知らないんだ。ワインの味一つとっても、フランスとヴェネツィアはまるで天と地程も離れてたりするんだから」
「……成る程。それでどうすることも出来ないからって、お酒を飲んでここで独り落ち込んでたんですね」
 このままでは埒があかないと、リィは半ば強引に話を要約させた。
「けど、君達みたいな女性が相談に乗ってくれるのなら、もしかしたら……エレオノーラさんが気に入るようなプレゼントを選ぶことが出来るかもしれない」
 まるで闇の中に一筋の光明を見出したが如くに、男は急にまた嬉々として語り始めるのであった。
「そうだ……。女心を知りたいのなら女心を持っている人に訊ねるのが一番だろうし、これならきっと上手くいくぞ! 良かった!」
 ああ、きっとこの人は重度の病に冒されているんだわ。
 だからこんなに、物事を単純に考えようとするの。
 恋の病は何時だって、冷静な判断力を奪い去ってしまおうとするのだから。
 リィは頭を抱えたい気分で話を聞いていた。
 口にしてしまった以上、手伝わない訳にもいかなさそうだ。
「もし君だったら、どんなプレゼントを貰ったら嬉しいだろうか?」
 またも唐突にそう訊ねられる。
 リィは悩み、一応真剣に考えて答えを出すのだった。
「そうですねぇ……私だったら、相手の人の気持ちが篭められているんだったら、どんなものを貰っても嬉しいですけど」
「エレオノーラさんも、そんな風に模範的な答えをしてくれる人だったら良いんだけどなぁ」
(模範的って……)
 真剣に答えたつもりだったのにそんな事を言われ、リィは心外とばかりに言葉を続ける。
「でも……女性ってみんな、そうだと思います。好みは色々あるかもしれないけど、やっぱり相手の人の気持ちが感じられなかったら意味が無いですもの。ね、レティさんもそう思いますよね?」
 視線を下げて、必死に同意を求めるリィ。
 それなのに、レティシアの視線は別の方向を向いている。
「――わたし、チャドリが着たい」
「えっ?」
「それも普通のじゃなくて、インドの藍染めのやつ。欲しいけどすごい高いの」
「レ、レティさん?」
 ぼそぼそと聞こえてくる言葉の内容を、リィは聞き取ることが出来なかった。
 だが、言葉はその後も連続して吐かれる。
「それにこの間シラクサの町で、ジュストコールを着ててる人を見たの。あれも着てみたいな」
 ジュストコールと言うのは襟のない、前開きで膝丈のコート状の上衣だ。
 胴を細く絞って、腰から裾に向かって優雅な広がりをみせるシルエットに特徴がある。
「レティさん……」
 少女の意外な物欲に、リィはどう返して良いか分からなくなる。
 歓喜の表情を浮かべているのはむしろフュルベールのほうだ。
「そうそう! そんな風に教えてくれれば僕も色々と作戦の立てようがあるんだ! ほら、そっちの君も、同じようにもっと具体的に教えてくれよ! 参考にするから!」
 フュルベールの視線が、真っ向からリィのことを捉えた。
「具体的にって言われても……」
「本当は色々有るんだろう? 本音を教えてくれよ、別に隠す必要は無いんだから!」
(隠してる訳じゃないけど)
 寸分悩んだが、やがて小声でその本音を口にし始めるリィであった。
「わ、私は……ここから遥か、ずぅっと真西の……カリブ海の島に伝わっているって言う、モラが欲しいです……」
 モラとは、パッチワークでもなく、刺繍でもない手芸品。布を何枚も重ね、切り込み、縫製することで色のラインを作り出し、絵柄を構成しているカリブ特有のデザインなのだ。
 無論彼女はカリブ海のことを知らなくて、セビリアでモラのデザインをした服が売られているのを見て以来、憧れていたのだ。
 バザーで出品されているその服を見て、フェレットにねだってみたのだが、「服一着で、小さい船が買えてしまうくらい高いなんて有り得ないよ。何時か実際にカリブに行って、そこで購入するとしよう。目標を常に多く持っておくのが、楽しい旅をする為の秘訣なんだ」なんて尤もらしいことを言われ、結局セビリアでは手に入らず終いであった。
「そうか! 君達のお陰で、女性って生き物が何を欲しがるのか、十分に解ったよ」
 二人のアドバイスを聞き終わり、フュルベールはふふ、と笑った。
 言葉の通り、彼の声にはさっきまでには無かった自信が篭もっている。
「女性とは……気持ちよりも何よりも、高級な物を貰うのが何より嬉しいんだな。そうと決まれば話は早い! 今まで全く使い道の無かった、有り余った金を全てプレゼントにつぎ込んでやるぞ!」
 フュルベールは凄まじい勘違いをしている。
 リィは心ではそう思っていたが……全力を込めて、その思いを口から出さぬよう、封じ込めた。
「お金、余ってらっしゃるんですか……?」
 代わりに、躊躇いがちに放ったのはそんな声。
 こんな風に話を持っていくことに、僅かの躊躇いを覚えはするものの。
 それが物欲とせめぎあい、少しずつ押されて行く。
「ああ! 男ばっかりの船じゃあ、せいぜい食費くらいしか使い道が無くてね。……そうだっ君達にもアドバイスをしてくれたお礼として、好きなものを買ってあげるよ! 君はモラで、君は藍染めチャドリと王冠だったね?」
「ええ……」
 単純な男の人。
 そんな言葉が脳裏に浮かんで、リィの心は自分を強く責め立てた。
 責め立てたが、しかしここまで来たら、今更”いいです”だなんて言うのも勿体無い気がする……。
「良かったら、エレオノーラさんにプレゼントする物を一緒に選んで貰えないだろうか? 僕は服のデザインとかそう言うのに疎いし、独りだけだと自信が……」
「構わないですよ」
「それじゃ、探してる時に一緒に君達の希望の物も買って上げるとするよ。よーし、明日から忙しくなるぞ! 各地を船で回るんだから!」
 その言葉に、リィとレティシアの二人は表情を固めた。
 構わないとは言ったものの……てっきりこのヴェネツィアだけで話が済むものと思っていたのだ。
 そりゃあ、モラや藍染めチャドリを手に入れるとなれば、この町だけでは足りないのは解っていたけれど。
「何処から行くとしようか。トリエステ、サダール……アテネ、カンディア、ナポリの方まで行ってみても良いな」
 一人構想を浮かべているフュルベールを尻目に、二人の少女は僅かに顔を青ざめさせていた。
 たとえ人助けの為とは言えど、私達には本来優先すべき目的がちゃんとあるのに。
 まだヴェネツィアについて一日目、本格的にかおるさんのことを探すのはこれからなのに。
(フェレさんに何て言おう)
 リィは頭の中で彼への言い訳を考えつつ、しかし。
(いっそアイさんやルーファさん、それにロッティさん辺りも誘ってみようかしら。この人、女性には極端に弱そうだし)
 同時進行で、フュルベールと同じように明日からの構想を練り始めてもいるのであった。
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  1. 2005/07/29(金) 05:23:57|
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