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航海タイム

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第十二章 異なる闇に、月は沈み(後編)

3

 アレクサンドリアから数時間ほど西に行った所に、開けた海岸があった。
 先に続いているのは砂漠ばかりで、とても文明があるようには思えない。
 だが、一行はここに来る理由があった。
 海岸の端に、まるで乗り主に捨てられたかのようにぽつんと佇むタレッテ船を見付けたからだ。
 警戒しつつも船内を確かめて見ると、何と裳抜けの殻であった。
 まあ、こんな所に立ち寄る人間などそういないだろうから、無警戒でいるのもわからなくはないが。
 それにタレッテは十人も乗ることが出来ない、小さな船だ。
 船の警備に割く人員がいなかったのかもわからない。
 フェレットらは一応念をおして、船員の大半を船へと残していくことにした。
 多人数で動いては気取られるだろうし、それに敵の数は極少数なのだから、少人数でも問題はないと判断して。
 さっきアレクサンドリアに降り立った面々からルーファとレティシアが外れて、それに腕の立つ船員を数人選り抜き、一行は砂漠に降り立った。
「……私も来ちゃって良かったのかしら」
 船を降りてから直ぐのことだ。
 アイがそんなことを口にしたのは。
「そりゃ、レティシアちゃんと離れるのが嫌なのは解ってるけど」
 しかしフェレットは相変わらずの軽い調子。
「そうじゃなくてね。しくじるのが許されない状況なんだから……」
「平気だよ。こんなに屈強そうなボディガードがここにいるでしょ?」
 フェレットは自信満々に言い、自らの胸を親指で差した。
「屈強には見えないけどね。でも、頼りにしてるわ」
「うん。こっちもね」
 フェレットの声もまた、心からの本音である。
 彼の中では未だに、かおるとアイの二人ともがいない光景なんて、考えられないのだから。
 船団で最強の男がいない今、戦力的に万全と言えないのは確かだ。
 万全どころか、半身が失われた状態と言ってもいい。
(けど、失敗はしない。今までだって何だかんだで上手くいってきたんだ)
 フェレットは自らの荷物袋の中身を確認し、そして強く決意をした。
(かおるさんがいないんだ。僕が先陣を切ってやらなければ)
 目指す目的地は、上陸地点から南東にあるというオアシス。
 これもまたユリアから聞いた情報であり、あの包帯で全身を覆い隠した男はそこに向かったとのこと。
「冷えてきたっすね」
 パングが、真上に広がる満天の星空を見渡しながら呟く。
「砂漠ってのは夜はとんでもなく寒くなるらしい。急がないとな」
 フェレットの声も、このあまりに広大な大地の下にいるせいだろうか、不安げに響いた。
 急ぎつつも、出来るだけ気配を隠しながら進む。
 岩肌が露出した歩き辛い場所ばかりを選びながら、少しずつ進む。
「リィ。きつかったら君は離れてろよ」
「いえ、大丈夫……。やれます」
 呟く声は弱々しくて、フェレットは考え深げに、うーむと唸る。
 ――失敗は許されないんだぞ、リィ。
 解ってるのか?
 そう強く問い掛けたい気持ちで一杯だったが、それを口に出さぬように抑えながら。
 大丈夫、あいつは一見意思が弱そうに見えるけど――その華奢な姿よりもずっと、秘めた強さを持っているのだから。
 僕よりも、ある意味ではかおるさんよりも強いのかもしれない。

 岩肌が直角に隔たっていて、そこを九十度回転するようにして曲がると、そこには。
「お前等、何処から来た者だ?」
 何を確認するよりも先ず、届いてきたのはアラビア語で吐かれた言葉だった。
 その地点から遥か奥にぼんやりと見えている光景。
 黄土色ばかりのこの場所に在る、たった一つの深き蒼の色が覗いている。
 しかしその場所まではまだ遠い。
 そして遮るようにして眼前に立っているのは、三人のイスラム人。
 フェレットらは未だに変装をしたままで、一見して敵国の者だとばれることはない。
「この辺りにオアシスがあると耳にしたもので、チュニスから見物に来たのです」
 アイの流暢なアラブ語は、彼らの耳にも全く違和感を感じさせないほどのものであった。
「おお、それはそれは。よくもこんな時間に来たものだね」
 一言ですっかり騙し通せたことを確認し、フェレットは静かににやりと笑んだ。
 それは宵闇に紛れて、イスラム人達に見えることはなく。
 砂漠の冷えた空気の中に殺気が混じったことにも、彼らは気付かない。
 アイは続けて彼らに問うた。
「貴方達は一体何処からいらしたのです?」
「ああ、俺達は……。俺達の船の長の、お守りをやってんのさ」
「交易船か何かでしょうか」
「いや、私掠船なんだ。実はね」
 男のうち一人が平然とそう口にする。
 次の瞬間、会話相手の集団の中から、影に潜む獣がばっと飛び出し。
 素早く抜いた剣をそれぞれの相手へと薙ぎ払い、
 ロッティーナの剣は男の首を刺し貫き、グラフコスの剣は胴体を真っ二つに叩き割った。
「なっ……」
 残された一人の男が声を上げるも、彼もまた、既に首が胴から落ちた状態となっていた。
 パングの剣には、どす黒い血糊がべったりと付着している。
「こいつらも普段はガレー船の船員なんだろう。ざまあみやがれってんだ」
 グラフコスが暗い笑みを浮かべながら、シミターを鞘へと閉じた。
「包帯男はオアシスにいるのか? このまま気取られないように急ぐぞ」
 フェレットの号令で、一行は進む速度を速めてオアシスへと向かう。
 まだオアシスまでは大分距離があり、ここで起きた出来事は気付かれてはいないだろう。
 いよいよもう後戻りは許されなくなった。
 ――長き東地中海の旅の、一つの終着点がこの先にある。
 あとはただ、それを目指す他なくなったのだ。

4

「……何しに来た。俺を殺しにでも来たか?」
 砂漠の中に映し出された甘美な光景に、魅了される暇などなかった。
 オアシスに着くや否や、まるで刺し貫く銃声のように鋭い声がこちらへと響いたからだ。
 全身に包帯を巻いたその男はただオアシスのほうを眺めていて、言葉を口にした後、ゆっくりと振り向いた。
「イスラムの人間ではないな。貴様等は」
 視線を送ってから僅か数秒だ。
 それなのに、男はそう断じた。
「町の平和呆けした連中には解らんだろうが、解る奴には解るだろうよ」
「……そこまで解ってるなら、自分が死ぬしかないってことも、解ってるんだろうな」
 男を囲む六人の影。
 その影を守るようにして、さらに幾つかの影がある。
 影のうち一つが、続けて声を放ち続けた。
「あんたの部下はもう向こうで仏様になってる。この人数差じゃ勝ち目はないんだ。観念しろ」
「人数差だと?」
 上から見下したようにして言葉を吐くフェレットを、男は嘲笑った。
「俺には小汚いキツネか何かが数匹、周りを囲ってるようにしか見えんがな」
「おいてめぇ、立場を弁えろよッ」
 囲みの中から一つ、影が飛び出した。
 フェレットが制止するのも間に合わず、剣を男へと振り下ろそうとしたものの、
「マヌエル!」
 フェレットがそう叫びを上げた時には、隼の如くな刃を逆に浴びせられ、その船員は地面に崩れ落ちていた。
「あ……ああ、ああぁあ!」
 死を伴う痛みを雄叫びのようにして放ち、マヌエルは地面を転げ回った。
 その右頬を無慈悲な刃が貫き、それは地面へと抜けた。
「キツネでも、ここまで喧しいのはそういないな」
 包帯に包まれた口元から、ククッ、とそう笑みが零れる。
 そこに狂気は篭っておらず、場の状況を冷静に考えた上での、確信の笑み。
 ――僕達のことを恐れるに足らずと、本当にそう思っている!
「みんな、かかれっ!」
 フェレットの号令で、闇に紛れた殺戮の獣達が一斉に動くことを始めた。
 ロッティーナやグラフコスなど、剣術の覚えがある者達は、様子を窺いながらじっくりと動きを詰めて行く。
 パングもそうだ。
 即座に襲いかかった二人の船員は指を落とされ、心臓を貫かれ。
 どちらも数秒の後に躯と化した。
 リィとアイの二人は、陣形の最後尾で固まったまま、敵の動向を探っている。
 男は相変わらず、突っ込んでくるでもなく、かと言って退くでもなく。
 向こうもまた、こちらが動くのを待っているかのように見えた。
が、しかし。
「うわっ?」
 男は一挙動の後に、煙玉を投げつけて来たのだ。
 それも最も人数が固まっている場所に。
 地面へと落ちたそれは一瞬のうちに辺りを煙に巻き、闇に包まれていた視界をさらに悪くする。
 撹乱させて、逃げる気か?
 フェレットはそう思った。
 そう思うことですらもまた、敵の思惑の上にあったのだ。
 また二つ、三つの悲鳴が響き、何かがばたりと大地に沈んだのが見えた。
 その一つ、間近に転がった死体は、”シャルトリューズ”の船員のものであった。
 さらに、包まれた煙の先から繰り出された一撃!
「グッ!」
 シュバイツァーサーベルの刃を、フェレットは間一髪の所で受けた。
 とてつもなく重い一撃で、連続で繰り出されたら間違い無く受け切れないと、一瞬にして実感させられる。
「船長ッ!」
 ロッティーナが素早く横から割り込み、上に羽織っていたチャドリを男に投げ付ける。
 視界が一瞬閉じた所にエストックの鋭い突きを御見舞いするが、手応えは無かった。
 反撃の刃を持ち堪えて、二人は何度も刃をぶつけ合う。
 その攻防は一見互角に映った。
 戦っている二人以外から見れば、だ。
 しかし剣がぶつかり合うその度に、双方が受ける衝撃は明らかな差があった。
(鋭い!)
 再び刃が交わり、ロッティーナは思わず目を細めた。
 ……何? この威力――。
 まるで、岩で直接手を殴られているみたいに思える。
 一瞬でも気を緩めば、直ぐにこの手から剣が飛ばされてしまう!
 微妙だけども明らかな差、それを感じつつも、
(……負けるものかぁっ)
ロッティーナはそう気合を入れ直し、繰り返し攻撃を仕掛けるのだった。
 そうだ。
 戦いでその心が折れたもの、それは刃が折れたも同然で、死と同義語なのだから。

(ど……どうなってるの?)
 アイは未だ戦いに参加出来ないままで、そして自らがここに来たことを後悔していた。
 あの男、並の腕ではない所の話ではない。
 まるで人外のような、化け物のようなその戦いぶりはまるで――。
 敵がたった一人であるが故に、また迂闊に割り込むことも出来ない。
 この闇の中では敵味方すらの区別すら付き辛いし、他の剣士達の邪魔になりかねない。
 このままの状態で戦いが続けば……こちらが敗れることも有り得る。
 それ程、あの男は化け物のような強さをしていると、アイは思った。
 さらに、事態は悪化の一歩を辿り。
「みんなぁ! 敵の援軍っすよ!」
 パングの怒鳴り声が聞こえて来たその方角から、数人の男達がこちらに向かって来ている。
 タレッテは少ない人数でも動く船だ。船員は包帯の男と、さっき殺した三人で全てだと思っていたが――誤算だった。
 ロッティーナがほんの一瞬視線をずらそうとしたその隙を逃さず、サーベルが彼女の右頬を裂いた。
「ちっ、洒落にならんぜ!」
 フェレットとロッティーナはとても動ける状況ではないと判断し、グラフコスはパングの加勢へと向かった。
「船長、あんたも!」
 グラフコスは振り向かずにそう、呼び掛けた。
 一箇所に留まっていては危険だと察知し、アイに向かって叫んだのだ。
「アイさん!」
 リィが彼女の肩を押し、そして一緒にグラフコスのほうへと向かって行く。
(フェレさん――平気なの?)
 あの男の強さ、貴方だって判っているでしょう?
 間近で見ている分、むしろ貴方のほうが……。
 きっと私と同じ風に感じているはず。
 まるでかおるさんを見ているような……そんな疑念に駆られているはずだわ、貴方も。
 仮に相手がかおるさんだったなら、たとえロッティさんが付いていたって、勝てるはずがない。
「リィちゃん! リィちゃん!」
 隣を走る少女を呼び掛けたが、返事がない。
 アイの顔に焦りが浮かび、それは段々と大きくなっていく。
「パングさんの方を何とかして……直ぐ、戻りましょう」
 リィはしかし、アイ程動揺している様子は無かった。
「……うん」
 ああ、どうしてこの子はこんなにも強くいられるのだろう。
 自分はこんなにも、泣き叫びたいほど恐怖に駆られているのに、どうして?
 リィの顔にも、確かな怯えの色がある。
 それなのに彼女は必死にそれを抑えて、口調は平静を保っているのだ。
 ――何故、それが出来るの?
 そうだ、出会った時からこの子は剣が使えて、それでいて見事な銃の腕を持っていた。
 不安を口にしたことはあったけれど、それでもいつも根底の部分では、芯の強さを持っていた。
「アイさんっ! 前を見て!」
 繰り出される槍を受けながら、少女が声を上げる。
 普段のあの可愛らしい声とは別の、凛々しくて強い声。
 ……なんて凛々しくて、強いのだろう、貴方は。
 さっきアレクサンドリアに居た時とは、まるで別人。
 ――リィちゃん、貴方は一体何者だと言うの?

「ロッティッ!」
 フェレットの悲鳴が吐かれたその先には、体の半身を血に濡らしたロッティーナの姿があった。
 大きく斬られた訳ではないが、体の各所に傷があり、レザーベストに血が段々と染み出して行く。
 首に出来た切り傷、脇腹、頬……どれも、後少し深かったなら致命傷になりかねない傷。
 そしてそれらの傷が浅いもので済んだ理由は、決して彼女の力量のお陰とは言い切れ無かった。
 つまり運が悪ければ、最初の一撃で殺されていた可能性は存分にあったのだ。
 包帯の男は、決着を急ごうとはしなかった。
 基本の動きは全て受身で、こちらから攻撃を仕掛けない限り、無理に突いてはこない。
 まだ、見くびってると言うの――?
「く……そぉっ!」
 ロッティーナは悔しさの余り、唇を血が滲むほど噛んだ。
「ロッティ、平気か!」
「大丈夫です……船長。だから、構えたままで」
 駆け寄ろうとするフェレットを、ロッティーナは声で制した。
(……まだまだ、こんなところで死んだりなんか、するものですか。そうよ、私が死んだら一体誰があの人を)
 崩れそうになった膝をもう一度立て直し、ロッティーナは再び敵を見やった。
 だが、その視界は直ぐに別の存在によって閉ざされた。
「船、長……?」
「あんまり守って貰ってばっかってのも、船長らしくないからな」
 キャラック船の長である青年は、すたすたと歩いてきながら言った。
 そして剣を構え、ロッティーナと包帯を持った男の間に割って入る。
 さっきまでも戦ってはいたものの、主に援護に徹していた。
 自らの意思で剣を合わせようとするのは、これが初。
「無理です! こいつは並の腕じゃあ!」
「それに今はともかく……かつては船団の中で二番目に剣が使えた男だぜ。僕は」
 自分の声を無視した返事が来て、ロッティーナは思わずきょとんとした。
「……っ本当ですか、船長?」
「ああ。任せておいてくれ」
 ”フォスベリー”の船長は自身満々にそう口にした。
 翳した剣を、敵へと叩き付ける動作を見せて。
 そして素早い動作で、道具袋から何かを取り出して投げ付けた!
「ぬおっ?」
 広範囲に浴びせ掛けられたそれを包帯男はかわすことが出来なかった。
 どろどろとした感触を体全体で味わいながら、自身が何を受けたのかを改めて確認する。
「特製の粘着油だ」
 にやり、とまるで擬音でも響いてきそうな程、フェレットは笑みを作って。
 そして今度こそ、剣を翳して敵へと躍りかかった。
 彼の思惑は成功し、先程までと比べると、包帯男の動きは大分鈍いものへと変わっていた。
 いちいち粘ついてくる油のせいで、まともに身動きが取れなくなっているのだ。
 繰り出される攻撃も、フェレットでも十分対応出来るものだ。
 さらにフェレットは度々距離を取り、また道具袋から武器を取り出しては投げ付けるのだった。
 投げナイフは刃によって弾かれ、烈火薬は辛うじて避けられたものの、
「……小細工をッ!」
この強敵に舌打ちをさせる程、それらは効果的な対抗手段であった。
「卑怯、だわ」
 ロッティーナもまた、思わず戦いに混じることさえ忘れて、そう呟きを浮かべていた。
 戦慄? 恐怖? 違う。
 そこにあるのはただ好奇心――。
 こんな時なのに、何故だか、怪我の痛みよりも何よりも、高鳴る胸の鼓動だけを感じる。
 今まで生きてきた人生の中で、たった一つだけの存在だと思った。
 また、思わせてくれたのだ。
 ずっと探し求めてきたものの存在を確かめるようにして、ロッティーナはそこにいた。

5

 戦いが始まってから、何分が経過したのだろうか?
 今、どっちが優勢にあるのか?
 それはきっとこの場にいる誰もが、掴めずにいるものであった。

 ……包帯を巻いたその体に、汗が滲んでいく。
 所々に、赤い汗も混じる。
 何故、こんな所で……?
 俺はこの砂漠に、戦いをしに来た訳じゃない。
 なのに何故貴様等は、俺のことを殺そうとするのだ?
 ……貴様等など、相手にしている時間は無いのだ。
 俺には……。
(早い――少しずつ、攻撃が加速してってやがる!)
 急所を正確に狙ってくる刃を何とか受け流しつつも、フェレットは改めてこの男の力に恐怖を覚えていた。
 油が体から落ちてきたのだろうか、或いは単純に慣れて来たのか?
 フェレットが予め持ってきておいた道具はまだ幾つもあった。
 だが、もうそれを使わせてはくれない。
 距離を取るタイミングさえ掴めないまま、フェレットは気付けば防戦一方になっていた。
 速さだけじゃない。
 その攻撃に、徐々に破壊力も戻ってきたのを感じる。
 ……このままでは、まずい!
 撃ち合っていれば、じきにこちらがやられるのは目に見えている。
 かと言って、逃れることも出来そうには……。
「はっ!?」
 一瞬の思考の隙をついて、男はフェレットの懐へと潜り込んできた。
 こちらが刃を繰り出せない零距離の射程まで、一瞬で距離を詰めたのだ。
(しまっ……!)
 男は両腕で、フェレットの後頭部を掴んだ。
 そのまま渾身の勢いで、顔面部へと膝蹴りを叩き込み、そしてフェレットを吹き飛ばした。
 ぽきり、という音が、薄れ行く意識の中に響く。
 空中に飛び散る血痕……恐らく、今の一撃で鼻の骨が折れたのだ。
 だが、本人はまだそのことを認識出来てはいない。
 視線が夜の闇よりもさらに暗く、落ちて沈んでいくのを実感しているだけ。
「う、グ……」
 フェレットはそのままうつ伏せになって地面に倒れた。
 その衝撃で僅かにだが意識が取り戻され、両手をついて立ちあがる場所を探そうとするが、ままならない。
 痛みのあまり、目の焦点が合わないのだ。
「船長っ!」
 ロッティーナが再び戦いに割り込もうとしたが、男はその動きさえも完璧に把握していた。
 エストックの突きを避けつつ、同じようにロッティーナの懐へと潜り、今度は鳩尾に膝蹴りを撃ち込んだ。
 焦りのせいで散漫になっていた動きでは、それを避けられない。
 カウンターの一撃は、彼女から全ての力を奪い去り。
「……あぅっ」
 か細い悲鳴が響き、ロッティーナは気を失って倒れた。
 さらに倒れている彼女に向かい、男はもう一度蹴りを入れる。
「邪魔をしてくれたな、貴様等ッ」
 男の声には、さっきまで感じることの出来なかった感情の色があった。
 刃を振り上げて、それをロッティーナに突き刺そうと、男は彼女の顔を見据える。
 そこを、背後から銃弾が貫いた。
「ガ……ッ」
 予想外の痛み、衝撃が全身へと響き渡り、振り上げたはずの剣が手から転がって落ちる。
 その銃弾を撃ち込んだ本人でさえ、それは或る意味では本意ではなかった。
 何かの間違いで弾が逸れていってくれたなら、それも良いと。
「何……?」
 矛盾する思いに駆られながら放った弾丸はしかし、無情にも男の胸を貫いている。
 少量の血を奪って、遥か虚空へと逃げて行った。
 痛い。
 声が出せない。
 ……何だ。
 何が起きたのだ? 俺の身体に……。
 地面に落ちた剣を拾おうとするより先に、男はゆっくりと、背後に振り返った。
「誰が、やったのだ……?」
 そこに居たのは、マッチ・ロック式の射撃銃を構えたままでこちらを睨み付けている少女。
 金色の髪がさらさらと風に揺れていて、それが男の意識を掻き乱す。
 リィは溢れ出ようとする感情を全てその身に込め、ただ、自らの敵を見据えていた。
 ――敵?
 そうだ。
 この人は私達に取って、許し難い敵。
 ここで意思を折ってしまっては駄目だ。
 自らにそう、信じ込ませながら。
 今それを疑ってしまっては、自分は大切なものを失ってしまうかもしれないと。
 信じ込ませながら。
「……貴、様か」
 言葉を口にする度、口から血が溢れ出る。
 体中に巻かれた包帯は、何時の間にか朱色へと変わり果てていて。
 それでもまだ、まるで何かを求めるようにして、血は色々なものを濡らして染めて行く。
 男の膝がくずおれて、仰向けで倒れた。
 その際に、顔面に巻いていた包帯が半分程、ひらりと解け落ちたのだった。
 そこから現れた肌の色は、
(あ――)
イスラム人の黒色ではなかった。
 リィの表情から、色が失われる。
 そう、この男はリィとフェレットらと同じ白人であったのだ。
「……どうなってやがる」
 戦いを終えて戻ってきたアイに抱き起こされて、フェレットは辛うじて意識を取り戻している。
 鼻が妙な形に折れ曲がっていたが、激痛よりも眼の前の光景のほうが気になって仕方が無い。
「おい……あんた、何で……イスラムにいたんだ」
 倒れている男はまだ死んではいない。
 そう確信した上で、フェレットは訊ねた。
「答えなよ。最期に言い残す言葉くらい、受け取ってやるから」
 同じ肌の色のよしみ……と言う訳ではない。
 男はやがてゆっくりと、地面に片腕をついた。
 立ち上がろうとするが立ち上がれずに、結局半身を回転しただけで、今度は空を見上げて倒れる。
「俺は元々……イスパニアの海軍だった」
(ちっ。同国人かよ……)
 せめて別の名前を挙げてくれれば、こんな胸の奥からじわじわと込み上げて来るような、罪悪感も感じずに済んだかもしれない。
「ヘマをして、オスマントルコに捕まった。そしてこうなったって訳だ……。本来なら奴隷になるか、斬首されるところを……実力を買われて私掠船の艦長に、任命された、のだ。……肌の色を隠す為に、全身を包帯で覆い隠しておけと、言われてな。それに拷問の痕を、隠す為にも」
 だが、と男は続けた。
「こっちでの生活は、悪く、なかった。貴様等が来るまで、は」
 空を見ていた瞳から、ゆっくりと光が失われて行く。
 虚空の色へと変わって行く瞳で、男はリィのほうを見やった。
「貴様等、さえ……来なければ……」
 そう言って。
 男はやがて、何も言わなくなった。
 その後に訪れた沈黙はしばらく続き、まるで永遠にこのまま続くかのように思えた。
「アレクシスさん、ごめんなさい。ごめんなさい……」
 アレクシス――ユリアから聞いたこの男の名前を口にして、リィは天を仰いだ。
 瞳から、ぼろぼろと涙を零しながら。
 どうしようもない悔恨の気持ちにとらわれながら。
「リィのせいじゃない」
 鼻を抑えたままで、フェレットが言う。
 辺りには気絶から立ち直ったロッティーナや、パング達も居る。
 皆、涙を流すことさえ出来ずに、ただ目の前のこの光景を受け入れようとしていた。
「……だって、この人は。この砂漠に、オアシスにキツネを探しにきただけなんです。誰かを殺しにとか、そんなんじゃなくて……。それなのに私達は……」
「キツネ?」
「小さなキツネがオアシスに住んでるって、噂されてて、ユリアさんがそれを見たいって……そう、頼んだんだって。だから、この人は」
 リィは嗚咽を繰り返して、それ以上言葉を口に出来なかった。
 アイも、他の仲間達も皆、言葉を失くしているままだ。
「リィ」
 よれよれと歩いてきて、フェレットは右手をリィの髪に添えた。
 居た堪れない気持ちのまま、その綺麗な髪を優しく撫でる。
 その思い、自分達が倒した男に対して抱いたものではない。
 ろくに知らぬ人間達に対して、ここまで優しい感情を抱くことの出来る少女のことが、不憫でならなかった。
「行こう。この人のことを忘れないようにして、航海を続ければいい。僕等にはそれくらいしか、してやれることはない」
 こんな冷たい言葉を言いたくはない。
 もっと優しい言葉を掛けてあげられればどんなに良いか。
 ……だが、今ここでそうすることは出来ない。
 ここはまだイスラム圏だ。あの包帯男の船員が全滅したとは限らないし、一刻も早くこの場を離れる必要がある。
 わんわんと泣くリィの体を抱いて、そのまま立ち上がって。
 何かを欲しがって泣く駄々っ子を、家へと連れ帰るようにして。
 フェレット達は、帰路へとつくことにした。
 まだ旅は終わっていない。
 結局アレクサンドリアではかおるの居所は掴めないままであったのだ。
 イスラム圏にこのまま居座るのは危険極まりないが、東地中海にはまだ多数の町が在る。
 探索の旅はまだこれからも続くのだ。
 鼻の辺りは相変わらず混沌となっていて、
(もしこれで鼻の形が変わりでもしたら、その分も報酬料として請求してやるからな……)
フェレットはそんなことを脳裏に浮かべていた。
 痛くて痛くて気を失ってしまいそう……なはずなのに、何故だか、意識はしっかりとしている。
 最後にもう一度、戦いの地となったあのオアシスを振り返った。
(悲しいな)
 両目に映っているその光景。
 それは類を見ない程美しくて、切なくて、胸に突き刺さる。
(……けど、あんたに墓は造ってやれないよ。悪いな)
 あのイスパニア人の遺体はオアシスに残されたままだ。
 何れ風化し、土へと還るはず。
 魂はきっと故郷へと……なんてことは、きっとないだろう。
 ――同情することは出来ない。
 暫くの間、フェレットはその美麗な景色を眺めたまま、留まっていた。
 砂漠の中にたった一つだけ、エメラルドのような色をした宝物が落ちていた、そんな気分。
 あっ。
 向こうで今、小さく何かがきらめいた……。


 アレクサンドリアの町は一時期の間、よそよそしい雰囲気を醸し出していた。
 異形の人間が町を歩くその光景こそがそんな雰囲気を感じさせる原因であり、そしてそれがいなくなった今、町は再び活気を取り戻しつつあった。
 何時も大勢の客が訪れる休憩所も、他の場所と同じように、普段通りの喧騒が戻っている。
 そう、異形の男は何時の間にか、来なくなったのだ。
 彼がどうなったのか、何故この町から居なくなったのか。
 それを知る者はもうこの町には居なかった。
「しかしようやく休憩所らしさが戻ったよな、此処も。あの不気味な男のせいで、休憩所なのにまるでくつろげないでいたもんな、最近」
 頬から顎に剛毅な髭を蓄えた客が言う。
 それに何人もの客が、別の席に座っている男まで含めて同意の声を連ねた。
「私掠船の船長として、他所の船を沈めてたって言うけど、こっちに取っちゃ良い迷惑だったな。大体あの包帯は何だったんだか、エジプトのミイラでも模してたのかねえ?」
「さあな。とにかく不気味だったことには変わりはねえが、でも……」
 男の一人が、僅かにトーンを落とした声で呟きを浮かべた。
「――元気失くなっちまったよな、最近」
「ああ」
 隣でミントティーを口にしている男が、同じような声で呟き返した。
 今は夜、外には奇妙な形をした月が浮かんでいる。
 奇妙だけど美しく、町の住民も皆それに見惚れていた。
「何時もあんなに元気で、それこそ俺はあの娘に会いにここに来てた様なもんだったんだがな。あの包帯野郎がいなくなったら、また元気になると思ってたんだが」
「……バカ、お前本人に聞こえるぞ」
「心配要らん。あの娘は今店内には居ないよ」
「じゃあ何処に居るんだよ?」
 髭をしごきながら、男は訊ねた。
「ああ……。最近よ、何時もこの時間になると店の外に出て、あの月を眺めてるんだ。ぽかんとして、誰の声にも耳を貸さなさそうな感じでさ。寂しそうに月を見てるんだよ……」
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  1. 2005/07/20(水) 06:43:07|
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