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航海タイム

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第十二章 異なる闇に、月は沈み(前編)

1

 かつて訪れた時に比べて、東地中海はなんだかよそよそしい雰囲気をしていた。
 相変わらず海に浮かぶ船は、フェレットらの船団を除いては皆無で、生気を感じさせてくれるのはただ、釣れる魚のみであった。
 ――いや、それすらも疑わずにはいられない。
 釣ったばかりの魚はぴちぴちと甲板を跳ねまわっているのに、そんな”生”を感じさせる仕草が、まるでこの海に相応しくないもののようにさえ思えてしまう。
(かおるさんが見たら嘆くわね……)
 ダウ船”シャルトリューズ”の船長、アイはそんなことを思っていた。
 フェレットやアイはまだ良い。
 彼等は以前に一度、本来有るべき姿としての東地中海を目にしているのだから。
 リィちゃんは、この海に絶望してしまってはいないだろうか。
 アイはそう心配せずにいられなかった。
 しかし、本当に海賊船一つ見当たらない。
 この海を同じように、船団もまた何者かの手によって沈黙させられるのではと、そう危惧をしていた。
 だが、東地中海に入って直ぐに三隻の難破船と遭遇して以来、結局一度として余所の船には遭っていない。
 そしてその難破船のたった独りの生き残り、グラフコスは言った。
「多分この船団は、運が良かったんだろ。この辺りを荒らし回ってるガレーが補給か何かに行ってる時に、たまたま通る事が出来たんだ」
「成る程ね。そのガレー船はたった一隻なの? 海域全てを荒らし回ってるって言う位なんだから、もっと大勢いても……」
「一隻だ、間違いねえ」
 アイの問いに、グラフコスは確信を込めて言った。
「俺らギリシャムーンズは、以前から何度もそのガレーに痛い目に遭わされてきた。たった一隻に全滅させられたことも有ったが、何人か逃げ延びてきた奴もいて、そいつらは口を揃えて同じことを言ってたよ」
「へえ、何て?」
「顔面を包帯で覆い隠した、化け物みたいな奴が船長の船にやられたってよ」
「貴方の時はどうだったの?」
「俺はそいつには遭遇しなかったよ」
「じゃあどうやってやられたの?」
 アイは重ねて訊ねる。
「ヤツ等は相当な熟練者ばかりだった。仲間は瞬く間に斬られていってたよ。……俺は背後から殴られて、気絶してたんだ。そしたらまあ、死体と間違われて見逃されたんだろうな。あの乱戦だし、しょうがねえことだ」
 背後を取られたことがしょうがないのか、死体と見間違ったことをしょうがないと言っているのかはわからない。
「ふーん……しかしまだ、眉唾ものの話だわね。包帯を巻いた海賊……か」
「いや、海賊じゃねえよ」
「海賊じゃないの?」
「恐らくは、トルコの奴等がここらの治安維持の為に泳がせてるんだ。俺らも含めて、東地中海は海賊の多い地域だからな」
「ああ、そう言うことね」
 治安維持と言えば聞こえは良いが、オスマントルコに取ってはイングランドもスペインも敵国だ。
 遭遇すればまず、排除の対象にされることは間違いない。

 結局遭遇が無いまま数日を経て、北アフリカ沿岸に位置する大都市、アレクサンドリアへと船団は近付く。
 セビリアで受けた依頼は”東地中海で船が姿を消している、その原因を突き止める事”。
 グラフコスから聞いた話だけでもあらましは掴めたのだが、何より仲間の行方を探す為に、イスラムに潜入する道を選んだのだ。
 アレクサンドリアも、敵国オスマントルコの同盟都市である。
 元々船団は東地中海に入る前から紋章などを偽装し、イスラムの船に見えるよう、予めの対策を取っておいた。
 町への到着を間近に控え、面々の服装もまたイスラム圏のものへと変わっている。
 商会”Bar like a child”の力によって集めたこの地の服装は、フェレットらヨーロッパの人間に取ってみれば怪異な形をしているのだが、船乗りとして各地を回ってきている分耐性はついている。
「良いか、胡散臭い行動はするなよ。そうすりゃばれることは無いはずだ」
「平気ですぜ。かおるさんも居ないんですから」
 ”フォスベリー”の船上で、船長と船員はそんな言葉を交わした。
 皆頭にはターバンを巻くかアジシェ(トルコ帽)を被り、靴はアラビアンシューズを履いている。
 胴に纏っているのはトルコ人が羽織う長いコート”ドルマン”だ。
「ターバンはイスラム教・アラブ世界における権威の象徴って言われてるんだぜ」
 船長フェレットはそんな薀蓄を漏らしたが、
「それ前にも聞きやしたぜ」
と船員の返事は冷めている。
「……船長」
 ”フォスベリー”唯一の女性船員ロッティーナが、何かを疑っているかのような声を口にした。
「何だい、これは本当の話だよ」
「いえ、そうではなくて」
 ロッティーナの声はいつもより少しだけ抜けが悪く、口元の辺りで何やらもごもごと言っている。
 それは全て服装のせいだ。
「本当に、これで潜入出来るのですかっ?」
 ロッティーナが纏っているのは”チャドリ”と呼ばれる、頭の先から足首までの全身をゆったりと袋で包むような形の外衣。
 頭巾からは覆面が垂れ下がっていて、それで顔の半分以上を覆っている為、殆ど誰なのかすら判別がつかなくなっている。
「平気平気、よく似合ってるよ」
「……じゃあどうして、含み笑いをしているんですか!」
「似合ってても変な物は変だからね」
「船長だって変ですよ」
「さっきもう散々笑われたんだから、勘弁してくれ」
 たとえ変装をしようとも、肌の色が白いままでは傍目には一目瞭然。
 皆、丁寧に化粧をして、肌色まで黒人のそれに扮している。
 男性陣は加えて、付け髭も。
 口を動かすだけで邪魔な感触を覚え、自分は一生髭を生やす事は無いだろうなとフェレットは思った。
「しかしまぁ、こうやってたまに訪れる分には良いけど、住むにはちょっときつそうだね」
 ターバンに溜まった汗を感じながら、フェレットはうめくように言った。
 この辺りの温暖な気候に相俟って、空気の逃げ場がないこの服装と来ている。
 体感する暑さは半端ではない。
「それにこんな布袋みたいな服装で、一体女性の何処を見て伴侶を選べって言うんだか」
 ぽそりとそう口にした後に、フェレットはすぐにその発言を後悔した。
 が、勿論取り返しがつくわけもない。
「あら。船長は女性を裸にしないとその人の事が分からない程、想像力が貧困なので?」
 響いたのは隣にいる、布袋みたいな服装をした女性の声。
「……失言でした」
 どっちが船長だよ、と自分に言い聞かせつつ、フェレットはぺこりと頭を下げるのであった。
 ルーファとこのロッティーナの二人は、フェレットの中で既に”ニ大毒舌王”として認識をされている。
「万一もし町の人間にばれたら、最悪袖の下を払ってやり過ごす。まあここらは僕がやるから、皆くれぐれも離れないように頼むよ。……ロッティ、構わないよね?」
「良いと思いますわ」
 いよいよ到着とあって、船員は皆緊張を隠せない様子だ。
 とは言え実際に町へと降り立つのは船団の全人数のうちほんの数人。
 各船からそれぞれ数名が陸に降り、改めてアレクサンドリアへと潜入する面々の顔を見回した。
 フェレット、アイ、リィ、ルーファ、パングと言う船長組に加え、フェレットの補佐役ロッティーナや”シャルトリューズ”の新船員グラフコス、そしてレティシアの顔がそこにはあった。
 皆服装が似通っていていまいち無個性になっているのだが、それでも辛うじて見分けはつく。
「アイさん、出航所の手続き頼むよ」
「任せておいて」
 フェレットも一応アラビア語を話すことは出来るのだが、自信を持てるほどのものではない。
 各国の言語を流暢に話すことが出来るアイの方が的確と考え、先頭を彼女に譲る。
 以前イスラム圏で交易を行った経験を持つルーファがさらに続き、フェレットは三番目。
「万が一正体がばれて、捕まりそうになった場合はどうしますか?」
 リィがそう質問を投げかける。
 彼女の声にもいつものようなほのぼのとした色はない。
「こっちより人数が少なかったら、仲間を呼ばれる前に即座に始末するしかないわね。人数が多ければ逃げましょう」
「解りました」
 アイの声を受け、リィは頷いた。
 服装のせいで動き辛いが、何時でも銃を抜き放てるよう神経を研ぎ澄ませておく。
「何か役立たずっすねぇ、男は」
「言うな、パング君」
 何故か歩く内他の面々に抜かされ、気付けばフェレットはパングと並んで最後尾を歩いていた。
「パングじゃないっすよ。ここではウマルって呼んで下さいっす」
「そうだったな。そして僕はアブドゥッラーか」
 町の中で呼び合うための名前も決めてある。
 しかしこればかりは会話中にぼろが出てしまいそうで、なるべく名前を呼ぶような会話をしないことを心掛けるしかない。
(にしても、以前来たときはもっとこう、和やかな空気で町に入った気がするんだけどな)
 フェレットはそう思い、過去と現在を比べて何が違うのかを考えてみた。
(……かおるさんか)
 過去を回想する度常にその姿を現わす男が、今此処には居ない。
 それが不安でならなくて、例えようのない緊張感を生んでもいる。
(度々イスラムに来たがってたけど……。でも、本当に居るのかな? ここに)
 イスラム圏は広いし、そもそもかおるがイスラムに来ているという保証もない。
 それでも各地を虱潰しに探して行かねば、このままでは一生再会は無いかもしれないのだ。
(深入りし過ぎても、下手したら僕等が命を落としかねないしな。――よし、かおるさん。ここは貴方を見習って、貴方のような心構えでもって、貴方の探索に臨みます)
 つまりはテキトーに。
 出航所での手続きは滞り無く終わり、八名の潜入者達は毅然とした態度で町の中へと入って行った。

2

 地中海沿岸各地へ進攻するための戦略拠点として建設されたと言われる都市、アレクサンドリア。
 だからと言って、その風景に刺々しいものは微塵も感じない。
 砂漠地帯であるせいで植物が少なく、緑が殆ど見られない。
 それに砂漠から吹き込んでくる熱風のせいで、まるでかまどの中に入っているかのように熱いのだ。
 しかしそれでも、街には活気があった。
 言語が違うせいか、同じ人の声による喧騒でも、倫敦やセビリアとはまた全く違った感触を受ける。
 だが、ここ数日もの間全く感じることの出来なかった生命の鼓動を、この街では確かに感じる事が出来た。
 町行く人々もその暑さのせいか何処かのんびりとしているものの、皆開放的で、話していてただ”楽しい”と感じられた。
 スーク(市場)に行って魚などを見て回ったり、交易所でラクダの毛や綿花をたっぷり購入したり。
 アレクサンドリアに着いてからと言うもの、海上ではゆっくりと進んでいた時間が、一気に数倍の速度にもなって流れ出して行く。
 出航所へと行く前に感じていたあの張り詰めた緊張は一体なんだったのだと、皆口には出さないものの、そう思っていたことだろう。
 だが、それでも油断は禁物だ。
「ここの人達だって、余所の奴等がわざわざ変装してまで来るなんて思っちゃいないだろうしな。正体がばれた瞬間に刃を持って襲ってくるような、そんな人が全てじゃ無いと思うよ」
 交易所を出た頃には、辺りはすっかり夕闇に包まれていた。
 町を歩く最中、辺りに人間がいないことを確認して、フェレットがそんなことを言った。
「いや……僕等の国を本当に心から憎んでるのはむしろたった一部の人間だけで、大部分の人達はたとえ国が違っても仲良くしたいって、そう思ってるんじゃないかな」
 それはあくまで希望でしかない。
 少なくとも現時点では。
 聞いていて、甘い考えだ、とロッティーナは思った。
 甘いけれど、だけどそうなるといいなとも。
 わざわざ姿を偽らなければ会話すらままならないなんて、どう考えても正しい人付き合いの有り方とは言えない。
 これ以上ここでこんなことを話していても、危険な目に遭うだけだ。
「そうだったら良いですね」
 リィがぽそりとだけ言って、会話は打ち切られた。
 皆、心の中で小さく頷きをしながら。

 一行は情報を求めるべく、休憩所を訪れた。
 小さな建物の外にエキゾチックな雰囲気をした椅子が幾つも並べられていて、そこで何人もの客が料理を食べたり談話したりしている。
 それに習い、フェレット達も同じようにして椅子に腰掛ける。
「へぇーっ」
 興味深げにきょろきょろと見回すリィを見て、一行は苦笑する。
「ファーティマ、そんな田舎者みたいなことしちゃダメよ」
「ごめんなさい、アミーナ」
 アミーナことアイに窘められて、リィは恥ずかしそうに俯いた。
 服装のせいで表情は殆ど見えないため、感情も仕草だけで判断するしかない。
「お嬢ちゃん、余所からの旅行者かい?」
 俯いている所に、休憩所の主人に声を掛けられ、さらにリィはびくりとなる。
 今日一日かけて様々な場所を回ってきてはいるものの、未だに一度として、イスラムの人間と面と向かって口を聞いていないのだ。
「ええ。チュニスから船で」
 ロッティーナがそう即座に応対し、なんとか事無きを得た。
 ちなみに彼女はここではドニアと名乗っている。
(頭がこんがらがりそうだな……)
 いつか誰かがぼろを出さないかと、いやむしろ自分がやるのではないかと、常に不安に苛まれているフェレットであった。
「ご注文は何にしますかー?」
 だが、背後からそんな声が聞こえて来て。
「えーとそれじゃあ……」
 不安は一瞬にして全て、何処かに吹き飛んでしまった。
 フェレットは振り向き、そこに居た少女の顔を一目だけちらりと見やった。
 どうやらこの休憩所で働いているらしい。
 数年前に来たときはいなかったと思ったが……。
「水タバコを、ここに居る皆に頼むよ」
 少々ぎこちのないアラビア語で注文をしつつ、彼はもう一度、少女の顔を見ようとした。
 だが、彼女はもう休憩所の建物のほうへと歩いて行っていた。
 それでもまだ、驚いた顔でその様子を眺めているフェレット。
「そっくりだな。ファーティマに」
「本当ね。目の大きさと言い、全体的な顔の造りも。本人かと思った」
 ルゥエティことルーファも、同じようにして休憩所の娘のことを見やっている。
「……私ですか?」
 リィはよくわからないと言った感じでぽかんとしているだけだ。
「まあ良いや、それより」
 ユリアという名の少女が抱えて持ってきたのは、水タバコを飲むための容器。
 煙草の煙を水に一端くぐらせてから吸うと言う、この地方ならではのもの。
 ただしかかる代金は結構なもので、貴族や裕福な商人の間でのみ流行っているらしい。
 煙草はヨーロッパにも無い訳ではない。
 かの有名なクリストバル・コロン提督が新大陸から煙草をヨーロッパに持ち込んだと噂されてはいるが、まだ簡単には手に入らない代物である。
「……そう言えば、かおるさんが持ってましたね。この容器」
 またも興味津々といった顔になりながら、リィが言う。
 かおるの船”永久機関”の船倉に積み込まれているのを見せて貰った事があったのだが、かおる自身も正しい吸い方は忘れていたようで、嫌な予感がして結局見るだけに留めておいた。
 味が染み込んでいる煙草を炭火で燻し、その煙がグラスへと溜まっていく。
「もう少し時間が掛かるから、のんびり待っててね!」
 ユリアにそう言われて、フェレットは破顔してぺこりと頷いた。
「ああ、良いところだな。アレクサンドリアは」
 何かに感銘を受けたかのように呟くフェレットを見て、リィは目を細めているのだった。
 やがて水タバコの容器の中に煙が充満していき、
「はい! これで平気だよ!」
ユリアがそう、準備が完了した事を皆に告げた。
 が、何人かの瞳はまだ非常に疑わしげなままだ。
 ちなみに水タバコには幾つかの香りがあるそうなのだが、今回はユリアのお勧めと言う事でミント味のものにしてもらっている。
「……アブドゥッラー、これを本当に吸うんっすか?」
「平気だよ。吸ってみな」
 アブドゥッラーはウマルにそう促した。
 彼は初体験ではないものの、自分が最初にやるのは嫌らしかった。
 実を言えば、水タバコは確かに物珍しくはあったが、かつて吸った時には直ぐに気持ち悪くなってしまい、決して良い思い出ではなかったのだ。
 アイも同じで、今回もあくまで雰囲気を楽しむと言った感じで服用をしている。
 東地中海を去ってしまえば出来ない経験だ、今後人生で後何度此処に来ることが出来るのかわからない。
 そう考えれば、肺へと流れ込む芳香も心地よく思えてくるものだ。
 和やかな空気のまま時間は経って行き、やがて見る見るうちに辺りも涼しくなってくる。
 その快適さに騙されたまま、一行は暫く、まともに情報を収集する事を忘れていた。
 しかしその空気も、場にいる客達の顔色も。
 何もかもが、たった一つの出来事によって変化を遂げた。
 ――奇妙な来客。
 思わず皆、一瞬だがそちらの方に視線を送り。
 まさか向こうと目が合いやしないかと、直ぐに逸らそうとする。
 まるでその男に関わりたくないと言った、そんな風な仕草だ。
 いや、何より驚きの顔で持ってその光景を見つめていたのは、他でもないフェレット達であった。
「いらっしゃいませ。ご注文は、何になさいますか?」
 休憩所の看板娘、ユリアがその男へと近付いて行く。
「水タバコを、頼む」
「フレーバーは何がいい?」
「ミントだ」
 ぼそぼそとした、小声でのやり取りだ。
 客と店員とのやり取りなのに、不思議な空気を放っている。
 フェレットらはそれを眺めながら、皆どう動くべきかを迷っていた。
 休憩所に現れた一人の来客。
 その姿はあまりに奇妙で――見るものに、戦慄を覚えさせた。
 アイが無言のまま、グラフコスのほうへと視線を送る。
 グラフコスもまた、他人の視線が向いていないのを確認した上で頷きを返す。
(……何たる偶然)
 汗が零れ落ちるのは、暑さのせいだけではない。
 訪れた客のその姿は正しく異形。
 顔全体が包帯に包まれて、両目の場所だけが破れていて、そこから視線を通せるようになっているだけだ。
 包帯は顔だけではなく、体にも巻かれている。
 ブルンジュクと呼ばれるラフな服装の下には、黄土色に変色した布、布。
(ミイラ……を模しているの? 粉にして飲むと、万病に効くって噂の……)
 唾をごくりと飲み込みながら、ルーファは思った。
 ヨーロッパには無い、この地域ならではの風習か何かなのか?
 だが、固まっているのはフェレット達一行だけではない。
 休憩所の店員を含めたこの場にいる全員が、あの男を前にどう対応をして良いか計りかねている様に見える。
 一瞬にして静まったこの場所で、相談事をすることも出来ず。
「アミーナ、ドニア、アジズ。交易所を見に行こう」
 フェレットは小声で口にして、立ち上がった。
 場の空気に耐えかねて立ち上がった、そんな風に傍からは映っただろうか。
「もしも帰る時になったら、教えて貰えるかな?」
 更にルーファにもそう伝えた。「うん」と至って平然とした返事を受ける。
 アイ、ロッティーナ、そしてグラフコスの三人はよそよそしく立ち上がって、
「ありがとう。お代は私達の仲間から受けとって」
休憩所の主人にそう言い残すと、フェレットに続いて去って行った。
「あれ……」
 パングが僅かに慌てた顔になったが、隣にいるリィに
「もう少し飲んでましょ?」
と囁かれ、ようやく察する。
 ルーファとレティシアもだ。
 下手に動いて気取られてはならないと、とにかく平静を保とうと努めていた。
 そしてそうしながら、包帯を全身に巻いたあの男の動向をじっくりと探る。
 髪型も顔さえも全く判断できないが……体型は何処か、かおるさんに似ているだろうか。
 ルーファはそう、ちらりとだけ送った視線で確認をした。
(かおるさんがミイラに……。いやまさか、無いわね)
 休憩を取るはずの場所でここまで息の詰まる思いをするのは、きっと人生で最初が最後だろう。

 休憩所を逃げるようにして離れたフェレット達は、直ぐに交易所に向かうでもなく町を歩いていた。
 足取りはゆっくりとしているものの、彼らの表情は何かに対して焦っているようにも見える。
「とんでもない偶然だぜ。しかし」
「アジズ、じゃあやっぱりそうなの?」
 訊ねたのはアイだ。
「間違えようもない……」
 グラフコスは歯軋りをしながら言った。
 あの包帯の男は、ギリシャムーンズの仲間を何人も殺した男。
 悔しくてならなかったが、復讐の時は未だに訪れないままであった。
 だがここにきて、その時が一気に迫ったのを感じた。
「願ってもないチャンスが来たな。グラフコスの言う事が正しければ、東地中海へとやって来たイスパニアの船を悉く消してるのは、全部あいつの仕業だ」
 フェレットも何時になく真剣に言葉を並べる。
 必死に、思考を巡らせる。
「正確には、ヤツが船長を務めてるガレーによって、だがな」
「船長を仕留めてしまえば、その力も弱まる」
「殺っても、船長が代わるだけかもしれないがな。しかし、あの男を許してはおけん」
「ああ。まさかこの町で、あんな無防備にしてるとはな。願っても無いチャンスだ、本当に」
 フェレットは先程口にした言葉を反芻した。
 自らがいる場所が虎穴だと気付かずに、虎子に遭遇してしまったような、そんな気分だ。
「船長、それじゃ……」
「頼りにしてる。ドニア」
 フェレットに言われて、ロッティーナは頷いた。
 無謀な賭け、で終わらせるわけにはいかない。
 あの男がこの町にいる間に、何とかして仕留めなければ。
 もしも仲間と合流されれば、それこそ暗殺するのは至難の業になってしまう。
 ロッティーナは、自らの右手が震えを抱くのを感じた。
「じっくりやりましょう。急いては事を仕損じるって、言うじゃない」
 血気に流行る面々を制すように、アイは言葉を吐く。
「さっきの客の反応からして、町の人にも快く思われてないように見えたわ。それとなく交易所の人に訊ねてみましょうか?」
「そうだね。……僕がやるとぼろが出そうだし、頼みます」
 こうして、一度用件を済ませたはずの場所へと四人は再び向かう。
 交易所には何人かの客がいたが、その内に一人、先程休憩所にいた客の姿があった。
 向こうもこちらのことを覚えていたようで、姿を見るなり気さくに話しかけて来た。
 これもまた願ってもないことだ。
 いちいち探りを入れるまでも無く、情報を得ることが出来るかもしれない。
「あんた達、他所から来たんだろう? さっきは災難だったな」
 案の定、男はいきなりその話題に触れた。
 しめたとばかりに、フェレットらは興味を表に出さない様にしつつも応じる。
「ここ最近、あの休憩所に居着いちまってな。あいつが来ると何時も、落ち付いて喋ってられなくなるんだよ。いい迷惑だぜ本当に」
「あの人は、この辺りに住んでる方なんでしょうか?」
 やはり表に出て応答をするのはアイ。
「それが、噂じゃあな……」
 何かを言おうとして、男は口篭もっている様子だ。
 周りの人間の目を気にしている。
 その理由に気付いた交易所の店主が、
「ここらじゃ有名な話だろ。私達の顔色を窺う必要は無いだろうよ」
そう抑揚のない声で言った。
「そうだな……。この話を聞いても、あんまり大っぴらに噂しないようにしときなよ」
 あまり口外してはいけない事情があるのだろうか。
 フェレットらは緊張を漲らせて、言葉の続きに耳を傾ける。
「……イスタンブールから派遣されてきた、私掠船の船長らしいんだよ」
 イスタンブールは、ボスポラス海峡をはさんでヨーロッパ大陸とアジア大陸の2つにまたがる、世界唯一の都市だ。
 オスマントルコ帝国の首都であり、かつてビザンティン帝国の首都でもあった。
「何でもイスパニアやらポルトガルの船が、最近ここらの海に増えてきたって言うんで、王から直々に許可を貰って他所の商船を狩りまくってるそうだぜ」
「うちによく取引に来る商人がいるんだが、嘆いてたよ。この辺りの海が、まるで死骸みたいになっちまったってな。あの包帯男の船のせいで、マトモな船なんか殆ど通らなくなっちまったからねぇ」
 交易所の店主は暗い表情のまま、言葉を連ねた。
 彼等二人の言葉を、興奮を抑えられずに一行は聞いていた。
 物事を達成する瞬間の、あの気持ちだ。
 ここまで詳しい事情を入手出来たのだ。
 セビリアで受けた依頼の達成は成ったと言ってもいいだろう。
 フェレットは、自らの幸運ぶりに心からの感謝を捧げた。
 最初にアレクサンドリアを訪れず、他所の町に行っていたら。
 あのタイミングで休憩所に居られなかったなら、ここまで事はスムーズには運ばなかった。
(ここで、あいつを殺す事が出来れば――)
 じとり、と握った手に何かが滲む。
 ……さっき、休憩所に来た時もあいつは一人だった。
 部下の兵士と一緒に行動してはいないのか?
 どう動けば、こちらが一切被害を出す事なく奴を仕留められるのか。
(もう少し、この町の雰囲気を楽しみたかったんだけどなぁ)
 そんな残念な気持ちを胸の奥へと仕舞い込みながら、フェレットは思案を巡らせた。
 あの男が休憩所を離れたのなら、皆が知らせに来てくれるはず。
まだ来ていないと言うことは、つまり。
 四人は顔を見合わせて、再び休憩所へと戻ることにした。

 幸い、ツキは未だにこちらに味方をしているようであった。
 休憩所に行くと、先程の男の姿は既に見えなくなっていた。
 この場に残っていたルーファらによれば、さっき出て行った所だとのこと。
 さらに男が何処に行ったかまで、ルーファらは情報を掴んでいた。
 一行は直ぐこの場を離れ、また人気のない場所へと移動し。
「休憩所で噂になってたんだけど……」
 ルーファは直ぐに説明を始めた。
「ここから船で少し西に行った所の、砂漠に行ったらしいわ」
「砂漠に? 何で……」
「それはわからないんですけど」
 ルーファの代わりに応えたのはリィ。
「休憩所で働いてた、ユリアさんがそう教えてくれたんです」
「ユリアさんって、さっきのリィに似てた? 変に訊ねて疑われたりはしなかったか……?」
「それは平気だと思います」
 聞けば、リィはあの休憩所の娘と幾らか言葉を交わしたらしい。
 包帯を巻いた男が休憩所を去ってからのことなので、時間にしてたった数分ではあるが。
「大きな船でも停泊出来るような場所があって、さっきの人はそこまで出かけて行ったんだって、そう言ってました」
「後を尾けようとは思ったんっすけどねぇ……。客の視線もあって、あんまり大っぴらに動けなくて……」
 パングがそうすまなさそうな声で言った。
 それはしょうがないわ、とアイが優しい声で慰める。
「例のガレー船に乗ってったのかな」
 フェレットの声が暗くなる。
 仮にそうだとしたら、最早暗殺することは不可能。
「いえ、タレッテ船が出航所に停めてあって、それで行ったらしいです」
 リィが言う。
「それなら、丁度良いチャンスじゃないか!」
 一転してフェレットの表情は明るいものになったが、
「にしても、やけに詳しく教えてくれたな。普通そんなこと、わざわざ告げてくものか?」
そう言って首を傾げた。
「ええ……」
 リィも同じように考えていたようで、その声は何処か沈痛な響きをしていた。
「あの、フェレさん」
 何かを言い出そうとして、すぐに声を引っ込めてしまう。
「どうした?」
 フェレットが問いかけるが、彼女から返事はない。
「リィ、教えてくれ。どんな情報でも重要だ」
 彼女の様子を察し、フェレットが再び声を投げる。
 一拍を置いてから、リィは消え入りそうな声で言った。
「……あの包帯の人、見た目は怖いけれど良い人なんだって……。言ってたんです、ユリアさんが」
 リィは緊張した面持ちであの休憩所にいたが、気さくに他の客に話しかけているあの少女を見て、彼女と色々なことを話してみたくなったのだ。
 自分達の受けた依頼のことなど関係無しに、ただ言葉を交わしてみたいと思った。
 そしてユリアは幾つかのことを、楽しそうに語ってくれた。
「リィ……」
 フェレットはまたもう一度、彼女の名前を呼んだ。
 闇の色を交えたような、そんな声で。
「百人を殺してきた殺人鬼だって、ある一人の人間からは優しい人なのかもしれない。だが、僕等はその一人の視線に立って見ることは出来ないよ」
 ……そんなこと、リィだって解っているだろう。
 だから彼女はわざわざそれを表に出す事を躊躇ったのだ。
 それを口にした所で、他の皆の気力を削いでしまうだけだと知っていたから。
「追おう。今ならまだ間に合うはずだ。このチャンスを逃しちゃいけない」
 リィからの言葉はない。
「詳しい話を聞いているのはリィだけなんだ。先導を頼めるか?」
「――はい」
 喉の奥から絞り出した声を、たった一言だけ。
 彼女は今、どうしようもない罪の意識に苛まれていた。
 頭の内を、何度も何度も駆け巡る声があったのだ。
 その声があまりに煩くて、やるせなくて。
 ……悲しくて、堪らなかった。
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  1. 2005/07/20(水) 06:18:02|
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