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航海タイム

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第九章 そして船はゆく

1

 幾らかの時が流れた。
 あの時まだ余所の町として映った倫敦の光景にも何時しか馴染んでしまい、居心地の良さに任せて、彼らは今もここに居る。
 キャラック船”フォスベリー”の船上では、剣を交える男女の姿があった。
「ちっ、くそ!」
 素早いガードを避け、なんとか剣を潜り込ませようと、青年は何度も攻撃を繰り出す。
 だが相手の女性の華麗な動きによって、その全てが受け流されていた。
 とは言え青年も負けていない。
 互いの攻撃が有効打にならないまま時間が過ぎ、やがて根を上げたのは青年のほうであった。
 汗を掻きすぎて、自慢の緑色の髪もしなしなになってしまっている。
「……参ったよ。僕の副官なんかに収まるには勿体無いくらいの腕だね」
「いえ、船長こそ中々のお腕ですわ」
「まだまだだよ。僕は」
 青年はそのまま甲板に寝転がり、晴れ渡った空を見上げてみた。
「女性なのに、こんなに剣が使える人は初めて見たな。今まで負けたことあるのかい?」
「幾つか他流試合を申し込まれたこともありますが、全て私の勝利で終わっていますね」
「そうか。会わせたかったな、あの人と」
 青年――フェレットはぽそりと呟いた。
 その響きは、女性にも届いている。
「かおるさんという方のことですか? ”永久機関”の船長だった……。よくその方のことを口にされますね」
「そりゃあね。ロッティもきっと、驚くと思うよ。戦ってみたらね」
「その方が私よりも強いと仰るんですか?」
「悪いけど間違いない」
「……船長がそこまで言うのなら、きっとそうなんでしょうね」
 ロッティーナ・フォゼリンガム。
 この一月の間に新たに”フォスベリー”に乗り込むことになった仲間。
 ただ雇ったのではなく、これには少しややこしい事情がある。
 フェレットが所属する船団には計四隻の船がある。
 そのうち一隻は船長を失ったままだが、半年前に加わったフリュート船”コンスタンティア”は、船員全てが女性という前代未聞の船だ。
 そして”コンスタンティア”の船長を務めているのはかつて”フォスベリー”の船員の一人であった少女、リィ。
 ”フォスベリー”唯一の女性乗組員を失い、補充要員は絶対に女性にしよう、とフェレットが思っているところに、タイミング良く、船に乗せて貰えないかと志願してきた人の姿があった。
 その人こそがこの女性、ロッティーナだったのだ。
 年も若く剣の腕も立つ才色兼備の仲間が加わり、船団は再び活気が戻った。
 だが、彼等は倫敦を離れることはしなかった。
 居心地が良いのも勿論だったが、北海で消息不明になったままのかおるの捜索を続けていて、他の地域に向かうことが出来ずにいたのだ。
 この半年間、探せるだけの場所は探したつもりだ。
 かおるが消息を絶ったベルゲンの町も訪れたし、アムステルダムやオスロなど近隣の町も探した。
 それでも、手掛りは何一つとして掴めなかった。
 いや――ただ一つだけ。
 ベルゲンで、かおるがいなくなった日に前後して、一隻の身元が知れぬハンザ・コグが港でもない場所に停まっていた……との情報を手に入れた。
 それは確かに、かおるに何かが起こった可能性を示峻する事象であったが、捜索の手掛りになるとは言い難かった。
「この辺にしとこうか。君も疲れが溜まってるだろう?」
「ええ。”フォスベリー”の掃除に忙しかったもので」
 このロッティーナと言う女性、潔癖症と言っても良い程の綺麗好きであった。
 男の船員ばかりで汚れに汚れていた”フォスベリー”は、殆ど彼女一人の手によって、ここ数日ですっかり綺麗に磨き上げられた。
 汚い衣服は捨てられ、使い道のない玩具も全て処分された。
 彼女の尽力のお陰で”フォスベリー”はこの数年後に”スペインで最も手入れの行き届いた船””女性の尻に敷かれた船”という二つの通り名を頂戴することになる。
「どこへ行かれるのです?」
「ちょっと……適当に町に繰り出してくるよ」
「疲れてないんですか?」
「別腹ってヤツさ」
 確かに言う通り、”フォスベリー”の船長はまるで疲れなど感じていないかのように、船から走り出して行った。
 時刻は朝だ。
 一日はこれからだと言うのに、寝ている気にはならないのだろう。
 しかしそれにしても。
(全く、隠すのが下手な方だわ)
 後ろ姿で自身の船長のことを眺め、ロッティーナは少し複雑な表情をしている。
 フェレットが何処に向かったのか、おおよそ見当はついていた。
 彼女だけでなく、船員の大半もきっと気付いていただろう。
 かつて名も無き砂漠に一人、倒れていた少女、リィ。
 彼女とフェレットが出会いそして恋に落ちるまで、そう長い時間はかからなかった。
 二人が恋愛関係にあるのは船団では周知の事実で、本人達も隠そうとはしなかった。
 ……いや、中途半端にはぐらかしたりはするのだが、傍目にはばればれだった。
(あの方は何よりも海を愛している方だと、耳にしたわ)
 そして何人にも縛られることのない、自由な精神を持っているとも。
 彼の噂をこの町の酒場で耳にし、どんな人間なのかと興味を抱いた。
 確かに面白い人ではあるが――今のあの人は、海よりも……。
 けれどそれは人間として当然のことなのだ。
 人間が愛すべき対象はまた人間。
 それは自然の摂理とも言えることで、疑問の入り込む余地などない。
(けれどあの人は今、海を愛しているの? また航海に出たいと思ってるのだろうか……?)
 船上から陽が沈み行く町を眺めながら、ロッティーナは思いを巡らせていた。
 見込み違い……とは思わない。
 しかし求めていたものが此処に有るのか、それはまだ判らなかった。
「ロッティさん」
「はい?」
 振り向くとそこに、船内の掃除に取り組んでいる最中だった船員が一人、いる。
「船長もリィさんと逢引きみたいだし、俺達もこの後何処かにシケこむなんてどうだい?」
「ご冗談はせめて、その顔をもう少し綺麗なものにしてから口になされてくださいね」
 彼女の毒舌を受けて、その船員は思わず地面にへたり込んだ。
「酷いですよ、ロッティさん。そりゃあ俺はハンサムじゃあねぇけど……。リィさんとは別の意味で冗談が通用しない人だぜ、全く……」
(あら、そんなつもりじゃ)
 掃除の最中についたのだろう、その船員の顔には汚れがこびりついていたのだ。
 しかしいちいち訂正しないロッティーナ、やはりリィに比べて厳しい性格であることは確かだった。

2

 待ち合わせの場所は繁華街の一角。
 この辺りは倫敦の町でも特に行き交う人々が多く見られる地域だ。
 此処で落ち合うのはこれが初ではない。
 普段と同じように挨拶を交わす二人だったが、フェレットは彼女が醸し出す違和感に即座に気付いた。
 そして、笑い出した。
 人目につくくらい、大声で。
「プッ……フアハハハ! リィ、どうしたんだ、その頭に被ってるのは!」
 大笑いしながら彼が指差している先には、彼女が巻いている緑色の布――ターバンがある。
「笑うこと無いでしょう……」
 リィは顔を赤くして言うが、フェレットはまだ笑っている。
 堪りかねて、リィはフェレットの右手を思いきりつねりあげた。
 突然の痛みにフェレットは声を出すことも出来ず、顔を歪める。
「何する!」
「これ、商会の方から頂いたんですよ。きっと似合うからって言われたのに、笑うなんてひどいです」
「いや、だってさ。それ、フェザーターバンだろ? そんだけ派手なやつだと、服装も合わせないと変に見えるよ」
「それでも、何もこんなところで大声で笑わなくても……」
「ごめんごめん。ところで商会の人から貰ったって、なんて人から貰ったんだ?」
「ステイシスさんって方です。昨日倫敦に帰ってこられたそうですよ」
「あぁ、イスラムの方に出かけてたって言う造船師の方か。ふーん」
「何ですか?」
「いや何でもない」
 カリタスを始めとする面々が倫敦の町で興した商会”Bar Like A Child”は、各地で盛んに交易を行い、遥か南から運んできた胡椒や珊瑚などを取引し、多大な利益を得ていた。
 フェレットらは名義上は商会には加入していないが積極的に活動を援助しており、商会員との交流も少なくない。
「半年間もあっち行ってたのか。イスラムは楽しかったって?」
「私はちょっと顔を合わせたくらいで、殆ど話はしなかったから。あ、でも、向こうにはこっちでは造れないような船が有ったりして面白かったって仰ってました」
「イスラム……バーバリアン・ガレーか」
「そう言ってました。フェレさん、知ってるんですね」
「前に行ったとき、かおるさんがなんか、そんなことを言ってたなと思って」
 彼の名前を出すたび、心の奥底が少しだけ軋んで、痛んだ。
 フェレットだけじゃなく、聞いているリィもそうだ。
 痛みは僅かであったが、けれど半年前に比べてほんの少しだけ強いものになった。
 何故?
 その理由を知っていて、けれど自分達は知らないと、言い聞かせようとしていた。
 放り置けば痛みはきっと、これからも少しずつ強くなっていき……やがてこの胸を引き裂いてしまうだろう。
「今日はどこ行きたいか?」
「そうですねぇ。私、このターバンに合う服装が欲しいです。選んで下さいね?」
「有るかな、倫敦に……。そうだなあ、ドレスとか……」
「笑った分、ちゃんと考えてよ。フェレさん」
 雲が空を支配する光景に、二人の声が騒めく。
 互いの体に触れながら、町へと繰り出して行く二人。
 ――はにかんだ笑みを浮かべながら、人気の無いところでキスを交わす。
 相手の体を優しくなぞり、その温もりを自分のものにしようとする。
 二人は今、自分達が幸せであることを知っていた。
 こんなにも幸せな日々がここにあるのに、大事な仲間が傍にいない。
 傍にいないのに、こんなに楽しい日々を過ごしている……。
 そんな自分達に僅かばかりの嫌悪感を抱きつつ、ゆっくりながらも時は確実に流れていた。
 勿論、かおるの捜索は依然続けてはいた。
 だが、もしこのまま彼が見つからなくて……そして時が流れていっても……。
 かおるさんがいなくても……もしかしたら自分達はこのまま、幸せなままでいられるのではないだろうか?
 そんな思いが、確かに胸の奥にはあった。
 カリタスやルーファなど、この町には別の新しい仲間がいる。
 大切なものを何処かに置き忘れた振りをして、このまま過ごすことも不可能ではなかった。

 楽しい時間はあっという間に過ぎて行く。
 夜も更けて、ふと周囲を見まわすと、すっかり人気もなくなっていた。
「すっかり遅くなっちゃいましたね。……アイさん、今頃心配してるかなぁ」
 同じ宿に寝泊りしている仲間の顔を、リィは思い浮かべた。
「そうだな。まぁ大丈夫じゃない? 最近はアイさんにも仲良しの友達が出来たみたいだしさ」
「レティシアちゃんのことですね」
 レティシアという名の少女もまた”Bar Like A Child”の一員である。
 仲良しの友達と言っても、彼女の年齢はフェレットらよりも一回り以上も下……に思える外見。
 実年齢は二十歳前後らしいのだが、フェレットはそれを未だに信じられないでいた。
 アイとレティシアの二人がいる光景は、下手すれば母親と娘が連れで歩いているようにも見えるのだから。
「だから、ま、寂しくないでしょ。しょっちゅう一緒にどっか行ってるみたいだし、問題ない問題ない」
 フェレットが口にするその言葉に、リィは少し寂しげな響きを感じていた。
 それはフェレットが感じている寂しさか?
 或いはリィが勝手に思っているだけなのかはわからない。
(以前なら――)
 例えばリスボンを訪れた時でも、北海に向かう途中の各町でもそうだった。
 フェレットらは何時だって、互いの行動を把握しあっていた。
 片方が酒場にいて片方が宿屋で寝てる、たったそれだけの日でも、いちいち互いのことを気にかけていたのだ。
 そんな彼らの関係が少しずつ変わりかけてきているように見えて、リィはそれが寂しくてならなかった。
 フェレットだって心の底では、同じ風に考えているに違いなかった。
 アイだって、きっと。
 それなのに誰もそれを口に出そうとしない。
 まるで失ったものを別の場所に求めるかのようにして、日々を過ごしていた。
 このままここで時を過ごせば……幸せではいられるけれど、今まで自分が大切だと思っていたものの幾つかを永遠に失ってしまうかもしれない。
 失ったままの記憶を、手にすることも無くなってしまうかも……。
 そう思いつつも、今此処に有るささやかな幸せから逃れることが出来ずにいたのだ。

 二人が戻ってくると、宿にはまだ灯りが点っていた。
「あれえ? こんな時間だってのに」
 フェレットが素っ頓狂な声をあげる。
 この時間に帰って来たのはこれが初めてではない。
 今まではいつも、戻ってきた時には宿は真っ暗になっていたのに。
 まさか僕等の為にわざわざ……なんてことは、まずないだろう。
 顔を見合わせた後、フェレットが進み出てドアを小さくノックした。
 するとその音に反応するようにして、凄まじい勢いでドアが内側から開かれた。
 迫り来る木製の鈍器を辛うじてかわし、フェレットは慌てて中を覗き込む。
 「何……どうしたんだ?」
 向こう側からも同じように、にゅっと顔が現れた。
 よくよく見ると、その顔はロッティーナのものだ。
「あ! 船長!」
「やあ……どうしたの? こんな夜遅くに」
「どうしたの、じゃないですよ! 貴方を探していたんです!」
「え?」
 ロッティーナの声は大きくないがはっきりとして鋭く、まるで問い詰められているかのようだった。
「大変なことが起こったんです! この辺りの海をうろついているならず者に、レティシアさんが攫われてしまったんです!」
「何だって?」
 そこまで聞いて、フェレットもようやく表情を一変させた。
「攫われたって、どうやって! ごろつきが容易く入港できるほど、ここは管理が甘くないだろう!」
「それが……レティシアさんが、バルシャ船に乗って海で遊んでいた所を襲ったみたいで……」
「バルシャ一隻で? 何てことだ」
「アイさんは?」
 違和感に気付いて口にしたのはリィだ。
 彼女がそのことを知ったなら、間違い無く黙っているはずがない。
「”シャルトリューズ”がたった一隻で、追跡に出てしまったんです。整備中でろくな武器も積んでいないのに、待ってる暇は無いと仰られて……」
「何で一隻で? ”Blac”のみんなには言わなかったのか」
 ”Blac”とは”Bar Like A Child”の略称だ。
「カリタスさん達は商会の仕事で不在にしています。今動けるのは私達の船団だけです!」
「しかし……」
「船長っ、何を躊躇してるんですか!」
 ロッティーナはフェレットの両腕をがっと握りしめた。
 思わずフェレットが顔をしかめるほど、その腕力は強い。
「躊躇ってる訳じゃない。ただ、”フォスベリー”も掃除やらなんやらで、各部品を取り外してあっただろ? 直ぐに出れるかどうか……」
「残った船員で準備しておきました。あとは貴方が船に乗るだけです」
「……そりゃあ準備が早い」
「早いものですか! レティシアさんがいなくなったのは昼ですよ!」
「ずっと僕を探してたのか? 君でも船は動かせただろうに……」
「”フォスベリー”は貴方の船です。勝手に動かすわけにはいきません」
 そうか、とフェレットは呟くように言った。
 何時だったか、勝手にベルゲンまで乗って行かれたっけ、そう言えば。
「行きましょう、フェレさん。アイさんが心配です」
「うん……そうだな」
 リィにも言われて、フェレットはようやくその重い腰を上げた。
 すぐにでも彼女達を助けに行きたいのはやまやまだったが、船をまともに動かすのは久方ぶりなのだ。
 こんな状態でまともに戦えるのか、不安でならなかった。
「フェレさん」
 リィの右手が、フェレットの体に触れた。
 ”大丈夫”
 その手の温もりが言っている。
 何時の間にか力関係が逆転してしまったな……と、フェレットは苦い笑いを浮かべるのだった。
 これもまた際限なく流れて行く時のせいか。
 そう、時は流れて行く。
 このままここから動き出さなくても、時はやがて何もかもを終着点へと運び去ってしまうのだ。
 行かなくてはならないのか、僕らは。
 ……そうだ、行かねばならない。
 船乗りなんだから、僕は――。

3

 ”フォスベリー”と”コンスタンティア”。
 二隻の船は真夜中に海へと繰り出した。
 辺りは暗闇に包まれていたが、目標を探すことはそう困難なことではなかった。
 倫敦の町からそう離れていない位置に、二隻の船が停まっているのが見えたのだ。
 片方の船はアイの乗っているダウ船”シャルトリューズ”だ。
 もう一隻の船も、シャルトリューズによく似た外観をしている。
(あっちもダウかよ。ならず者の船にしちゃあ、えらく豪華な)
 ダウは三角帆が特徴の平底の船だ。
 その形状には特徴があり、遠目でも判断がついた。
 二隻の船は互いを睨み合うようにして浮かんでいた。
 が、フェレットらの船が近付くにつれ、その二隻もまた少しずつ前進を始めるのだった。
 二隻の船の距離が少しずつ近づいていく。
 何故、このタイミングで?
 今までずっと睨み合っていたのなら、何故合流出来る寸前のところで敵に向かって行く?
 まるで僕達が来るのを見計らっていたかのようじゃないか。
「何らかの取引をしようとしてるのか? よし、僕らももっと近付こう」
「船長、砲撃の準備はどうしやすか?」
「要らない。敵は人質を持ってるんだもの、こっちから攻撃の姿勢を見せちゃまずいわ」
 船長の代わりにロッティが答える。確かに言っていることは間違っていない。
「下手に撃ったらアイさん達に当たりかねないか。もしかしたら身代金か何かを要求されてるんじゃないだろうな……」
 船団の貯金の管理はアイに一任している。
 普段冷静沈着なアイだが、レティシアが関わっていることに対してのみ彼女は人が変わる。
 もしかしたら勝手に法外な値段の身代金取引に応じてしまっているのでは……と、フェレットはあらぬ危惧をするのだった。
 フォスベリーはシャルトリューズを追尾するかのように進み、コンスタンティアもまたそれに続く。
 わざわざ積み直してきた大砲の出番も無しに、倫敦の外の海は奇妙な冷戦の真っ只中にあった。
 シャルトリューズとダウの速度は大したものでなく、フェレットらは徐々に距離を詰めて行った。
「……接舷したわ。シャルトリューズと、ダウが」
 ”コンスタンティア”の船上で、リィが呟きを漏らす。
 まさかあのアイさんが白兵戦を挑んだわけでもないだろうが……。
「私達もダウに乗り込みましょう。一応、剣と銃の準備をして」
「僕らもダウに行くぞ。あの船に適度にぶつかって、くっついてやれ」
 二人の船長は偶然にも、同じタイミングで同じことを口にした。
 キャラック船がまずダウに取り付き、少し遅れて戦闘用フリュートがダウへと接近する。
 やけにあっさり接舷できたところを見ると、敵に戦闘の意思は無いということか?
 船を動かせるだけの水夫を”フォスベリー”に残し、フェレットは数名の船員と共にダウへと乗り込んだ。
「……なんだ? この船は?」
 船員の一人が船内を見まわし、声を上げる。
「ろくに明かりすら点いてないとはな」
 フェレットも目を丸くしている。
 ダウの船内は中途半端に暗く、見渡しが利かなくなっていた。
 月明かりに助けられてはいるものの、甲板の上でさえまともに前を見ることが出来ない。
 これではこの船の乗組員達だって、まともに行動出来ないだろうに。
 そして何より、甲板に一人も水夫がいないのはどういうことだ?
 敵の来襲を察知して、皆船室のほうに逃げてしまったのだろうか?
「撹乱かもしれない。一応、気をつけろ」
 そこまで言ったところで、また別の船からの客がダウ船を訪れた。
 ”コンスタンティア”の船員達が、足音を潜めて乗り込んでくる。
「リィ、平気か?」
「はい。にしても変な船ですね」
 リィ達もまた、フェレットと同じようにきょろきょろと辺りを窺った。
 奇妙過ぎて、恐ろしい罠が仕掛けられているのではないかと疑ってしまう。
 敵船員の出迎えも無く、二隻の船の船員達はどう行動すべきか迷った。
 迷って、場に一瞬の沈黙が落ちた時。
 立っている地面の下、船室の何処かから声が僅かに響いた気がした。
「今何か聞こえたか?」
「ええ、男の人の声でした」
 正確な台詞まではさすがに聞き取れなかった。
 意を決して、地下の船室へと乗り込むことにする。
 他の足音が響いてくるでも無しに、不気味な気配の中階段を下って行く。
「船長、います」
 少し前を歩いていたロッティーナが、小さな声でフェレットらに知らせた。
 階段を降りて最初に辿り付いた船室。
 そこにアイを始めとする”シャルトリューズ”の船員達が集まっていた。
「良かった、無事で……」
 声を掛けようとするも、そこにいたのは彼等だけではなかった。
 アイ達と向かい合って、黒衣に身を包んだ集団がこちらを睨んでいたのだ。
 敵の数は十数人。
 この船室にはそれだけだが、まだ何処かに潜んでいる可能性も少なくない。
 皆覆面をしていて、素性を掴むことは出来なかった。
「ふん、援軍を呼びやがったか!」
 集団のうち一人が、擦れた声で叫びを上げた。
 その男は剣を手にしていて……切っ先を、一人の少女に突き付けている。
「新たに来た奴等もよく聞けよ! ちょっとでも変な真似しやがったらこのガキの命は無いからな!」
 突き付けた刃を、少女の頬に掠らせた。
「ひっ」
 押し殺した悲鳴が、少女の口から漏れる。
「助けてぇ! アイさん!」
 今までは声を出すことすら出来ずにいたのだろう。
 だが心の奥底に閉じ込めていたものが、恐怖の絶頂を超えて声となって 溢れ出た。
「レティシアちゃん!」
 アイもまた悲痛な叫びを上げる。
 船室内もまた暗く、不意をついてレティシアを奪い返すことは難しいだろう。
 狙撃の名手であるリィでも、犯人だけを正確に狙い打つのは困難だ。
 ここはなんとしても、確実に人質を奪い返す手段を取りたかった。
(アイさんは……冷静さを失っている可能性もある)
 暗い船室の中で、彼女の表情は殆ど視線に入ってこない。
 振り返らず、ただレティシアのほうだけを見ているのだ。
(そんなに大事なのかよ、しかし……)
 一体彼女のどんな部分に惚れ込んだのだろうか、そのサイズか?
(もしかして、今はもう、僕等よりも……)
 そんなことは今はどうでもいい。
 とにかく、僕がやらなければいけない。
 そう強く思いを抱いて、浮かんでくる不安な思いを繰り返し繰り返し、潰した。
「……あんたらの目的は何だ?」
「武器を捨てろ」
 にべもない。
「はいそうですかと従うわけにもいかない。答えてくれ、身代金が目当てか?」
「金に興味は無いな」
「じゃあ単に幼女趣味か何かかい?」
 売り言葉に買い言葉で、フェレットはそんなことを口にした。
 迂闊な行動だったと、直ぐに思い知らされることになる。
「あっ!?」
 絞り出したような悲鳴。
 アイの口から出たものだ。
 向けている視線の先で……血がしぶいたのを見た。
 男が刃を、レティシアの右手に当てたのだ。
 彼女の小さな手を裂き、そこから赤いものが溢れ出て行く。
 視線は暗かったが、流れる赤色だけはやけに鮮やかで、その光景に映えていた。
「何てことを!」
 アイが思わず飛び出そうとする。
 リィとロッティが彼女のことを制止し、二人の視線はフェレットのほうにちらりと向いた。
「……そっちの要求を聞かせてくれ。僕等にやれることなら言うことを聞く」
 下手に出たつもりはない。
 だが、これ以上失言を重ねれば、取り返しのつかないことになりかねない。
「まず、持っている武器を全部捨てろ。剣も、銃もな。話はそれからだ」
 フェレットらは言われた通りにした。
 から、からんと続けて音を立て、武具が地面に転がる。
「それでいい」
 覆面に覆われた顔がにやりとする。
「こちらの目的はたった一つだ。君が大人しく聞く態勢を取っていれば、何も荒事に持ち込む気は無かった」
 まだ刃は突き付けられている。
 だが、そこから放たれる殺気がほんの僅かにだが薄れた気がした。
「君達は”フォスベリー”、”コンスタンティア”の船員だな?」
「ああ……そうだ」
 何故、船の名前を知られているのだ?
 船乗りを始めてから数年経つが、そこまで有名になっていたのだろうか。
 それに何故だか、残る一隻の名前は挙がっていない。
 しかしこの状況において、わざわざそれを指摘することもない。
「こちらの要求はただ一つだ――今挙げたニ隻の船に、即刻倫敦を出て行って貰いたい」
「何だって!?」
 彼等が提示した要求。
 それはあまりに突拍子もなく、予想だに出来ないものであった。
「それでレティシアさんが助かるんなら、そうする。しかし何故なんだ? 理由を聞かせてくれ」
「理由か。単刀直入を言わせてもらうと、邪魔なんだよ。君達は」
 邪魔だと?
 その表現に、封じ込めていた怒りがまたふつふつと沸いてくる。
 代わりに冷静さが飛んでいき、だから気付かなかった。
 擦れていたはずのその声が、段々と透き通ったものに変わってきていることに。
「我等はこの町で商会を開いている者だ。始めてからここ半年ばかり真面目に商売を営み、お陰で業績も伸びてきている。だが」
「だが、何だと言うんだ」
「ここ数ヶ月のことだ。君等という存在のせいで、倫敦の町に居座っている女王様の機嫌が少しばかり宜しくなくてな。気になって我々は商売に集中出来んのだよ」
「女王だって……?」
「ああ。女王様は、君達に余所の海に行って欲しがってるんだ」
 徐々に沸き上がってくる怒り。
 それはある地点まで達した所で、
「……あ。……へ?」
 ぷつんと途切れて、最低ラインまで落ちた。
 倫敦の商会? それに――女王様?
 その女王様はもしかして酒が好きだったりする?
 嫌な予感、どうしようもなく嫌な予感。
 いや――それはすぐに確信へと変わった。
「……貴方達の商会名は?」
「想像に任せるよ」
 声と共に、男は覆面を取り払った。
 するとそこには、見慣れた男の顔が在ったのだ。
 黒衣を纏った他の人間も、次々とそれを脱いで行く。
 そこから現れるのは何もかも、見知った姿ばかり。
「どうなってんの……?」
 フェレットはへなへなとその場に崩れ落ちた。
「気付くのが遅かったな、フェレット」
 その青年は、吹き込んでくる爽やかな風の如くに笑んで見せるのだった。
 青年の名、カリタスと言う。
 フェレットらにとって馴染みの深い商会”Bar like a child”の主であり。

4

 ――そして、出発の朝を迎えた。
 フェレットの心の中には爽やかな気持ちと不機嫌さが同居をしている。
 ”フォスベリー”、”シャルトリューズ”、そして”コンスタンティア”。
 三隻の船は出港の準備を終えて、あとはもう海へと繰り出すだけ。
 出港を目前に控え、船乗り達は港で待機していた。
「ねぇ、アイさん」
「何かしら?」
 返ってきた声がまるで勝ち誇っているかのように思えて、フェレットはまたむっつりとする。
「僕はそんなに頑固者に見えました? あんな大芝居打たないと納得しないくらいの強情者に見えましたか?」
「ええ。中々の硬度を誇る岩の様だったわ」
(そうやって、大人の笑みで流そうとする……)
 暖簾に腕押し、という諺がぴたりと当てはまるのだが、フェレットがそんな言葉など知る訳もなく。
 彼女が受け流すほど、フェレットの表情は沈み行くのだった。
 まるで撃沈された船のように、ゆっくりとだが海底に向けて。
 リィもそんな二人のやり取りを見つめて、笑っていた。
 騙されたのは彼女もなのに、フェレットに比べて大分清々しい表情をしている。
「よくやりますよ。ったく、カリタスさん達まで引き込んで、たった二人を騙すなんてさ。やることがえげつないですよ」
「でも、久々の冒険は楽しかったでしょ?」
「……うん」
 そこでそう答えてしまうのが、アイに握られている弱味でもあった。
 こんなやり取りは昨日から今日にかけて、もう三回も行われている。
 ――この半年の間に、かおるの捜索と称して何度かは海に出た。
 だが今にして思えば、その全てはどこか上の空で、かつてのように航海そのものを楽しめずにいたのかもしれない。
 アイさんは僕のそんな気持ちを見抜いていて、再び冒険に出ることを躊躇っている僕等のことを、導こうとしてくれたのだ。
 ちなみに騙されていたのはフェレットとリィ、たった二人だけ。
 ”フォスベリー”も”コンスタンティア”の船員も予め話を聞かされていて、全ては計算通りの進行だったらしい。
 そう考えれば、あのあまりに不審過ぎる行動の全てにも納得がいく。
 フェレットらがダウ船に乗り込んだ時に丁度、あの光景に出くわすよう、仕組んでいたのだろう。
 あの時カリタスがレティシアを傷つけたかのように見えたが、それも芝居だった。
 前もって用意しておいた赤い染料の入った袋を、わからないように切り裂いたそうだ。
 改めて思い返せば幾つでも疑える点はあったが、それにしてもカリタスの演技力は中々のものだったと、フェレットは今更ながらに感嘆するのであった。
「ねえアイさん」
「ん?」
「旅に出たかったの? ずっと」
「ん……うん」
 二人の船長は、顔を見合わせずに言葉を交わした。
 二人ともただ、これから進み行くであろう航路の先を見ている。
「かおるさんが何処にいるか解らないけど。……解らないから、かな。じっと一箇所にいると、何だか不安でね」
 もう、彼がこのまま戻ってこない気がして。
 一人仲間が欠けたまま、このまま時間だけが過ぎて行くような気がして。
 彼女の言葉の続きを、フェレットは心の中で紡いだ。
「探してみましょうよ、色んな町を。絶対手掛りは有るわよ」
「うん……」
 二人の顔には憂いの色があった。
 もしもかおるさんが帰ってこなかったら……。
 これから何度もそう思って、その度乗り越えて行かなければいかない。
 しかしそれでも、動いていれば楽な気持ちになれるだろう。
(やっぱり、アイさんも一緒だったんだ……)
 リィは思っていた。
 自分達が感じていた不安を彼女も心に抱いていて。
 アイさんもそれを口に出せずにいたのだ、今まで。
 だからあんなに面倒のかかる手段を取ったに、違いない。
「北海の捜索は、商会のみんなが手分けしてやってくれるそうだわ。私達は南のほうを探すとしましょう」
「そうですね。かおるさんって昔から何かと南方志向だったし」
「そうね。衣服も何故かあっちのほうのものだったわね」
 交差するアイとフェレットの声。
 二人の船長が今後の行動の指針を立て、リィはそれに参加せず、ただ従う気でいた。
 彼らは私よりもずっと、かおるさんのことを知っているだろうから……と。
「船長」
「ん?」
 ”フォスベリー”の副官、ロッティーナがフェレットのことを呼びかける。
「これでようやく、貴方の船長らしいところが見れますね」
「まぁ確かに、最近の僕は丘に上がった河童みたいなものだったからね。はは、はははは」
 ――いや、船上でも基本的にはあまり変わらないけど。
 フェレットは自身の台詞を心の底でひっそりと否定した。
 しかし彼女がうちの船に乗ってからまだ一度として、まともに海に出ていなかったと言うのか……。
 自分はこの半年間、その多大な時間のうち幾らかを、無駄なことに費やしていたのかもしれない。
 だが悔恨の念ばかりに囚われて過ごすには、残された時間はまだあまりに多い。

 三隻の船は倫敦の町を発った。
 いなくなった仲間を連れ帰るまで、きっともうこの町を訪れることはないだろう。
 かおるが乗っていたガレー船”永久機関”を港に残して、船団は再度旅へと出発するのだった。
 いきなり隊列を乱し、”シャルトリューズ”がほんの少しだけ先を行く。
 乱している……いや、違う。
 その船の動きは、まるではしゃいでいる子供のようにも見える。
「やれやれ、女王様は大分機嫌が宜しいようで」
 フェレットはそう言って、開かれた未来のことを思い浮かべた。
 ――温かく吹き込んでくる風は、南方へと誘う風か。
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  1. 2005/07/10(日) 03:57:51|
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フェレット(或いはスネばな)

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