FC2ブログ

航海タイム

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。




  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

第八章 彼方の海で――(後編)

4

「さっ、行きましょう。アイさん!」
 そんな声が何度か繰り返されて、アイは半ば強引に目を覚まさせられた。
「リィちゃん、早くないかしら? まだ思いっきり朝よ」
 布団を被ったまま、アイは気弱な声でそう呟いたが、今の彼女には聞こえていないも同然。
「船を造ってもらえると思うともう、いても立ってもいられなくて! ささ、早く起きて、食事して!」
 出会った頃に比べて、この子も元気になったわ……と、逆に元気を吸い取られたようになりながら、アイはベッドから体を起こした。
「かおるさんは? 帰ってきた?」
「今朝方戻ってきて、すぐベッドに倒れ伏したって聞いてます」
「そう……良かった。って、それじゃあやっぱり飲んでたのかしら」
「さあ。でも、かおるさんはさすがに起こしちゃうのはまずいですかね」
「そうねぇ」
 私もまだ寝てたかったけどね、とアイは心の中でだけ言った。
「ところで風邪は直ったのかしら?」
「はい! もうこの通りです!」
 と、リィは胸の前で小さなガッツポーズを作ってみせた。
 確かに昨日に比べて、見た目にも元気が戻っている。
「案外、フェレさんが倫敦から怨念でも飛ばしたのかもしれないわね……。うん、風邪が移ったんじゃなくて、むしろ怨念かも」
「怨念って……何でです?」
「だって、リィちゃんを『”フォスベリー”から下ろしたくない』って、散々ごねてたもの」
案の定、フェレットの思惑にすっかり勘付いていたアイであった。
「え! 本当ですか」
「あら、知らなかったのかしら」
 言わなきゃ良かったかな、とアイは思った。
 だが言ってしまった後では撤回は出来ないし、それで何か進展が有るのならむしろ喜ばしい事だ。
「どうして、私を下ろしたくないなんて言ってたんでしょう」
「あぁ、どうしてかしらねえ……。多分、女の子がいなくなるのがイヤだったんでしょう」
 幾ら女二人の会話とは言え、ここであっさりと真実を答えてしまうわけにもいかない。
 だが、決定的な一言を言ってしまえないことがもどかしくもあった。
「そうですか。そうですよね……」
「うん。まさか今更船長にならない、なんて言わないわよね?」
「ええ、それは大丈夫ですけど」
 さっきまで元気だったかと思えば、一転して今度は黙り込んでいる。
 ああ、若者だなぁ……とアイはそれを微笑ましい様子で見つめるのだった。
「それより、名前は決まったのかしら?」
「あ……ええ、何のです?」
「当然、船のよ!」
「ああ、まだです……。実物を見てみて、それから付けようと思ってるんです」
「成る程、それは良いかもしれないわね。よーし、そうと決まったら早く準備を始めるか!」
「カリタスさんは朝一番で、先に造船所に行っちゃいましたよ。自分が行ってもう一度説得してみる、って」
「はぁ……」
 その行動力にアイは恐れ入り、感嘆の息を吐いた。
 これが何時もの面々だったなら、もっとグダグダになって、恐らく夕方頃出発する羽目になるだろうな……と一瞬で光景が思い浮かぶ。
 事実自分もそうなりそうな気配であった。

 朝食を終え、二人はまた造船所までやってきた。
 以前からの知り合いだけあって、もしかしたらカリタスさんが巧く言い包めてくれてはいないだろうか……そんな一縷の希望を抱いてもいたが、
(今のところはまだ、駄目みたいね)
 目の前の光景を見て、アイはそう判断をした。
 桟橋があって、一人の男がそこに座り込んで釣りをしている。
 その後姿を立ったままで眺めている一人の男。こっちはカリタスだ。
「親方。女性なら、まだたくさんいるじゃないですか。いっそ新しい恋に燃えてみるのも悪くないと思いますよ」
「ワシは別に、自分から女を求めてはおらんからね。だが時にこう、自らの体に雷が落ちたかのような……そんな衝撃を感じる時があるんだよ。そしてそれを感じさせてくれるような素敵な女性がいなきゃ、どうやっても恋に落ちることは出来ないんだよ」
(何て妙な会話をしてるのかしら……)
 二人の会話は中々に大きい声で行われており、アイとリィは思わず体を固めた。
 一応ちゃんと説得に当たってくれているようだが、この会話に如何にして口を挟めと言うのか。
「あのぉ、カリタスさん」
 躊躇いがちになりながらも、リィが小声でそう呼びかけた。
「あっ! 来てくれたか、丁度良い所に!」
 やはり説得は行き詰まっていたようで、二人を見た時のカリタスの表情は心から嬉しそうなものだった。
「親方、彼女が親方に船を造って貰いたいと言っているんです。せめて、話を聞いてあげては……」
「うむ……?」
 ぼそりと声を出しただけで、ウォルターは振り向かなかった。
 丁度魚がかかっているらしく、視線は釣り竿を伝って海の中だ。
「む! ああくそ、駄目か!」
(本当に大丈夫なのかしら……)
 リィだけでなく、割と好意的であったアイまでが、表情を渋くさせている。
 もしかしたら恋人が云々――の話は言い訳で、船を造ることに対する興味を失ってしまっているんじゃ?
「で、船を造って欲しがってるのは何方なのかね……」
 ウォルターはようやく振り向いた。
 のそりとした動作で、ぼんやりと視線を上げる。
 最初にいきなり、リィと目が合った。
「ウヌオオオオアアーッ!?」
 放たれた奇声が耳にぶつかり、三人は桟橋から落ちそうになるほどの衝撃を受けた。
「な、何だっ?」
 ウォルターと親しいはずのカリタスまで、恐怖に駆られたような表情になっている。
 アイなどは別の人間の声かと思い、辺りをきょろきょろ見回している。
「……?」
 リィは驚きのあまり魂が抜けたようになり、その場に立ち尽くしていた。
「君、名前は何て言うんだね」
「リィですけど……」
「造ろう、船を。君の為に」
(え――!?)
 散々ごねてた割にまたえらくあっさりとこの人は!
 アイは声を出してそう言ってやりたい気分だったが……感電しかねないと思って、やめた。
「金は完成した船を見て、君が払おうと思っただけ払えばいい」
「で、でも、良いんですか?」
 一番信じられないのは何よりリィ本人であろう。
「構わない。だが、一つだけ頼みがある」
「え……」
 女性二人に同時に嫌な予感が走る。
 リィちゃん気をつけて、とアイは心の中で警告する。
「ワシが船を造っている間、出来たら傍でそれを見てて欲しい。それだけだ」
「……それくらいなら、お安い御用です」
「しかし、船はそう簡単に出来るものじゃない。その間ずっと見ているのは君が思ってるよりもずっと面倒だよ」
「それでも大丈夫です。私の船を造っていただくんですもの、私が頑張るのは当然ですから」
「うむ、そう言ってくれると助かるな。……よーし野郎ども、そうと決まったら早速作業に取り掛かるぞ!」
「イ、イェッサー!!」
 目にも止まらぬ早さで桟橋を駆けて行き、造船所の皆を呼びかける。
 彼等にもウォルターの魂が乗り移ったのか、いささか鈍かった動作がきびきびとしたものに変わり始める。
「早く! 君も来てくれ!」
「あっ、はい!」
 その勢いに圧倒されながらも、リィもまた造船所へと走って行った。
「やれやれ、とんだ取り越し苦労だったな。本当に……」
「ええ……。カリタスさん、心中御察ししますわ」
 場に取り残された二人、カリタスとアイ。
 彼等の表情には、疲れたものと爽やかなものが入り混じっているのだった。
「だが、これで久々に親方の造った船が見られる。……そう言えば、思い出したよ。親方が作ったキャラベル船が一般価格の三倍の値段で売られたその理由を」
「何なんです?」
「細部の造り、そのデザインで……女性の姿を表現したのだよ、確かね。他にはない流麗なデザインに、荒くれ者の船乗り達が皆惹かれたと言う訳だ」
「あんな風に恋をして、そうして造られたものなんでしょうね。その船も」
 それなら今回も、ウォルターは素晴らしい船を造ってくれるであろう。
 他人にはない感性でもって、他人に創ることのできないものを創りあげる――それこそが芸術の根本なのだから。
(ま、人間的には欠陥があるのは確かだけどね)
 それもまた、芸術家としての素養か。
 何にせよ、船の完成が楽しみであることは確かだ。
「我々も見守るとするか……遠くから」
「ええ、遠くからですね」
 ウォルターにあれこれと話しかけられているリィの姿を見て、アイは「頑張れ」とエールを送るのであった……心の中だけで。

5

 リィがしていることは、船が造られていく様子をただ眺めるだけであった。
 時々、ウォルターに話しかけながら。
 雨が降っても作業は続けられたし、当然彼女もそこから動くことなく、造り上げられて行く芸術作品を目にしている。
「お嬢ちゃん、疲れたら建物の中に入ってて良いですぜ」
 造船師の一人が、彼女に優しく声をかけた。
「いえ、平気です」
 ただ眺めているだけでも、それは楽しかったから。
 一日、一日と時が過ぎて行く。
 うち数時間はアイやかおる、カリタスらと一緒にいながら。
 時々倫敦に残っている青年のことを思い出しながら。
 その日も暮れて、夜がやって来て。
 リィは宿に戻っていたが、あの未完成の船がどうしても見たくなって、独りで造船所へとやって来たのだった。
 昼間騒がしかった造船所もさすがに今は無人で、辺りが閑散としている。
「やっぱり良いなぁ……」
 大きな大きな船を見上げ、それに魅入られるようにして呟いた。
 今思えば、自分はなんと壮大で素敵なものに乗って旅をしてきたのだろうか。
 ”フォスベリー”も”永久機関”も、”シャルトリューズ”も、同じ船でありながら皆個性的で、まるで人間のように生きているかのよう。
 そして眼の前のこの船にもまた、命が宿ろうとしているのだ。
(名前、どうしようかな)
 自分一人では決められない。
 アイさんに相談してみようか、かおるさんにも意見を訊きたいけど。
 ――フェレさんにも相談したかったな。
「お嬢ちゃん、どうしたんだい、こんな所で」
「あ……こんばんは」
 後ろから声を掛けられて、驚いて振り返ると、そこにはウォルターがいた。
 色々と浮かべていた思考はひとまず中断する。
「本当に素敵な船だなあと思って、夜中なのにいてもたってもいられなくなっちゃって、見に来たんです」
「そうか。そこまで気に入ってくれると造ってるかいがあるってもんだよ」
 ウォルターはその岩のような顔に、満面の笑みを浮かばせるのだった。
 それを見て、リィも笑顔を浮かべる。
「でも……あの、一つだけ訊いても良いですか?」
「構わないよ」
「あの……」
 ウォルターは訊いても良いと言った。
 だが、それでもリィは躊躇いの気持ちを覚えるのだった。
「カリタスさんから、訊きました。ウォルターさんは一人の女性に恋をして、その女性をイメージした船を造るって……」
「あの小僧め、喋ったな」
 また、にししと笑う。
 しかし今度は、リィは真剣な表情をしたままだ。
「この船は、誰をイメージしたものなのですか?」
 ”君をイメージしたものだよ。”
 そんな言葉が返ってくるなんて、リィは思っていない。
 だからこそ訊ねたのだ。
 その言葉を聞いて、彼女が躊躇っていた理由にウォルターも気付く。
「君は勘が良いね。と言うより……見る目があるのかもしれんね、船を」
「この船を見ていて、感じるんです。こんなに大きいのに、滑らかなデザインなのに、落ち付いた風貌をしてて……私なんかより、もっとずっと大人の女の人を見てるように思えたんです」
「成る程ね。ウチの造船師達でさえ気付かなかったのに、本当に素晴らしい」
 ウォルターは心から感嘆の声を放った。
 放った後、その視線をゆっくりと海のほうに移す。
 リィも同じようにそちらを向いた。
 真夜中の海はその美麗さが半ば隠されて、代わりにしっとりとした趣きをしている。
 そう、この未完成の船は――太陽に照らされた海ではなく、月の柔らかな光の下に存在する、この海のようなのだ。
「君の推測の通りだ。この船は君じゃなく、別の女性をイメージして造ったものだよ」
 別にショックではなかった。
 イメージしたのが誰であろうが、ここにある船は例えようのない程素晴らしいものなのだから。
 リィはただ黙って、話の続きを待っている。
「今から半年前に恋をした一人の女性。優雅でありながらも決して派手じゃなく……あの月の様だったよ」
 この人は今まで幾多もの恋愛をしてきたはずだ。
 色々な女性の魅力を知っているはずのこの人にそこまで言わせるなんて、その女性とは一体どんな人だったのだろう。
「彼女はストックホルムから遥々やって来たのだと言った。海に出稼ぎに行ったまま戻らない亭主を探しに来たのだとね」
「……亭主の方が、ベルゲンに来ていたのですか?」
「彼女がこの町に来てから少しして、辺りで嵐が起こり、何隻かの船が波に飲まれた。そのうちの数隻は難破して、陸の付近で浮いている所をやがて住民に発見されたよ。そしてその船のうち一つが、彼女の亭主の船だった」
 遺体は発見されなかったが、船の特徴が一致しており……出かける前に女性が夫にプレゼントした、ネックレスがその船には残されていたのだ。
「亭主は別の町にいたんだよ。きっと仕事を終えて、ストックホルムに戻ろうとした時に嵐に巻き込まれたんだ。亭主の死を知った女性は、後を追って身投げをしたのさ」
 バカな話だ、とウォルターは寂しげに笑った。
「恋……と言っても、ささやかなものだったよ。別に手を出した訳でもないしな。だが、彼女がいなくなり、何もかもが手につかなくなってしまったんだ」
 そしてその状態は半年も続いた。
「私には弟子もいるし、このままじゃいかんと思ってね……。それに船をまた造りたくなってきたんだ。何とかきっかけを得た振りをして、今こうやってまた船造りに取り組めていると言う訳さ」
「そのきっかけが、私だった?」
「ああ…騙すような真似をして、すまなかったね」
 ウォルターは言った後、少し慌てて訂正を加えた。
「いや、君を素敵だと思ったのは確かだよ。最後の一線を踏み切れたのは君のお陰であることは間違いない」
「私なんて…」
 この人が以前に恋をしたと言うその女性。
 私は何もその人のことを知らないけれど、けれどその女性と比べて自分が魅力的であるなんてとても思えない。
「……まぁ、それに他人に恋をしている女性には手を出さんと言うのが、私の流儀なものでね」
 ウォルターはさらりとそう口にした。
「分かるものなんですか?」
 照れるより先に、リィはただ驚きを隠せなかった。
「分かるよ。君は分かり易い」
「そうですか……?」
 リィは一瞬拗ねた表情になる。
「それに、その女性の方だって夫がいたんでしょう?」
「既婚者はまた別ってことだよ」
「まあ、なんてずるいんでしょう!」
 声は怒っているのに、何故だろうか、笑いが込み上げてくる。
 とにかくおかしくて、リィは笑った。
「昔話を一方的に聞かせてしまって、すまなかったね。船の方は絶対に素晴らしいものに仕上げてみせる。楽しみに待っててくれ」
「はい! 本当に期待してますからね!」
 場を去る前にもう一度、そこにある船を見上げる。
 月の光によって銀色に染められた船は、儚くて、けれどきっと、未来を抱く強さをも持ち合わせているのだと、そう思った。
 望む未来――そう、私と一緒に。
 一緒に行こう。
 海へと、未来へと。
 ……一緒に過去を、探して貰えるかな?
 新たなる仲間に向かって、リィはそう囁きかけるのだった。

6

 予定は大幅に伸びて、倫敦を再び訪れたのはさらに一ヶ月も後のことだった。
 船の完成に時間が掛かった訳じゃない。
 ウォルターは力を尽くして、最短の時間で素晴らしい”作品”を創り上げてくれたのだった。
 仲間の帰還を今か今かと待ち侘びていたフェレット、それらしき船が海に姿を現わした瞬間に港へと行き、そこで到着を待っていた。
 船が停泊するなり、駆けよって何やら声を上げている。
 帰って来るのを心待ちにしていたのは、何もフェレットだけではない。
「ただいま帰りました、フェレさん!」
 早々にフェレットの姿を見つけ、リィは呼応するように声を上げた。
「リィ、大きい船買ったなあ!」
「ふふふふ。色々あったんですよ、向こうでも。フェレさん、もう風邪は治りました?」
「そりゃ治ってるよ、もう。だって二ヶ月近くも帰ってこなかったんだからな、君達は」
「ええ、ごめんなさい」
 二人が会話を交わしている最中、他の船員達もタラップを渡ってくる。
 アイやカリタスらも。
 だが、フェレットの視線には入っていないようだった。
「デザインも、何だか洒落てるな。見た感じはそこまで変わってるわけでもないのに……何だか、女性的な感じがするよ。この船の名前は?」
「”コンスタンティア”って言うんです」
 リィが名付けた船の名前は、ウォルターが恋をしたあの女性の名でもあった。
 ウォルターに女性の名前を訊ねて、そしてそれを船の名とすることを、リィは迷わなかった。
「”コンスタンティア”か。うん、雰囲気と一致してる良い名前だな」
「あら、行く前は散々、リィちゃんが船長になることに反対してたのにね」
 そうアイに声を掛けられて、フェレットは少しだけ渋い顔になる。
「今でも心配ですよ。リィが新しい、ゴッツイ船員に囲まれて上手くやってけるのかってね……」
「その点なら心配無いわよね。リィちゃん?」
「ええ。ふふ」
 二人の女性は、顔を見合わせてくすくすと笑った。
「リズウィー、ちょっと来てくれないかな?」
「はい?」
 リィに呼ばれて、”コンスタンティア”から姿を現したのは…なんとリィと同じ位の年齢の女性。
「彼女を始めとして、この船、女性の船員ばかりなんです」
「なッ!?」
 何時かベルゲンの町に落ちた雷のように、フェレットの体にも雷が走った。
「みんなー、この人が”フォスベリー”の正規の船長、フェレットさんなのよ」
 アイが声を掛けると、新顔の女性ばかりがそこにわらわらと集まってきた。
「始めまして、フェレットさん。これから宜しくお願いします」
「アイさん達から噂はかねがね聞いてます。何でも妄想癖が……素晴らしいそうですね」
「カリタスさんに比べるとちょっと……だけど、素敵な船長さんですね」
 幾多もの女性に囲まれて、フェレットはもみくちゃにされている。
「ふふ、どう? フェレさん。気に入ったかしら?」
 得意気な顔で、アイがフェレットの顔を覗き込む。
 最高だよ、と満面の笑顔で返したい気持ちと、気に入るか! と怒ってしまいたい気持ち……その二つがせめぎあい、フェレットとしては微妙な表情になるしかなかった。
「……リィ、一人か二人、うちの船員とトレードしない……?」
「絶対に嫌です」
 にべもなく断られ、フェレットは今度はむすりとする。
 その後、一つのことに気付き、周囲をきょろきょろと見回し始める。
 彼の動作が何を意味しているのか、リィもアイも知っていた。
 二人の表情に影が落ちているその理由を、フェレットは知らない。
「かおるさんはどうしたの?」
 きょとんとした様子で訊ねたが、二人とも返事に困っているのだ。
「……アイさん?」
 フェレットは重ねて疑問の声を口にした。
「かおるさんは、今此処には居ないの」
「どうして?」
 どうして居ない? それは私が訊きたいくらいなのに。
 アイは思いながらも、返す言葉を探した。
「ベルゲンでずっと一緒に居たんだけど……。”コンスタンティア”が完成して、さあ帰ろうかと言う時になって、突然居なくなっちゃったのよ……」
「居なくなったって、宿は一緒だったんでしょ。それに大体、居なくなる理由なんか無いじゃないですか?」
 フェレットの脳裏にはただ”どうして”と言う疑問だけが有った。
「どうせ”永久機関”の皆に酒場でも連れてかれて、酔っ払ってどっか行っちゃったとかそんなんですよ。探したら絶対直ぐに見つかるよ」
「私達もそう思ったんです。でも見つからなくて、町の人にもし見つかったら連絡をくれるよう伝えて、それで戻って来たんですよ」
「だから遅れたのか?」
 リィは頷いた。
 船長が不在のはずの”永久機関”はしかし、目の前に停泊している。
 不思議に思ってフェレットは訊ねた。
「”永久機関”は残った船員でなんとか操縦して、此処まで来たわ」
 アイが返事する。
「ふーん……」
 浮かべた声は不満気なものだった。
 自分が居ない間に、自分の居場所が違うものに変わってしまったような、そんな感触を覚えて。
「皆が落ち付いたら、もう一度ベルゲンに行きましょうよ。自分の船が持ってかれちゃって、今頃路頭に迷ってるんじゃないですか? あの人は」
「そうだと願いたいわね。いや、それもどうかと思うけど。でも、どうせすぐひょっこり帰ってくるでしょ。今までだってずっとそんな感じだったものね、かおるさんは」
「そうですよ。チュニスでいきなりばったり倒れて、誰かに襲われたのかと心配したら、慣れないアラビアンシューズのせいで靴擦れを起こしてたとか」
「ああー! あったわね! その時だって最初、いきなりどっか行っちゃって心配してたら、水タバコを飲んで酔っ払って、休憩所の人に介抱されてたのよね」
「ターバンがほどけかかってて、危うく変装がばれそうだったのに、水タバコの吸い過ぎで顔色が悪くなってるんだと勘違いされて、九死に一生を得たんですよ。あの時は本当に死ぬかと思った!」
 大笑いするフェレット、アイ。
 かおるのことを話す時、二人は本当に楽しそうだ。
 いいな、羨ましいなぁ……と、リィはその様子をただ見つめていた。
 あの人の破天荒さは知ってるけど、姿を消したことなんて今までに無かったから不安だった。
 アイさんも不安がってた。
 けれど二人の会話を聞いていると、三人の関係は以前からそんなだったようにも思えた。
 長年の付き合いなのだろうし、たまに喧嘩もする。不安に駆られもするのだろう。
 それでも三人はずっと一緒に居られた。
 今回もまた何時もと同じように、かおるさんは帰って来るんだろう。
 そう、リィは思った。
 フェレットとアイも思っていた。

 だが、彼は帰っては来なかった。
 月日が過ぎて、季節が変わっても――かおるは帰って来なかったのだ。


 あの町から、どれだけ来たのだろうか。
 地名すらよく知らぬ、最果ての場所。
 予め用意されていた船に乗って、自分は彼らのところから消えたのだ。
 まだ半信半疑で、何もかもを手探りにしながら……そう、探る手元は記憶の中にある。
「少しは嬉しそうにしろよ」
 HIGE――クライドが言う。
 この男の声に、自分は聞き覚えがあるのだ。
 例えばあの酒飲み船長の声、あの……これと言った例えが思い浮かばないや、フェレッチ君の声と同じくらい、聞き覚えがある。
 何もない、道だけが続いているその場所に、やがてぽつぽつ畑が見受けられるようになった。
 だが、相変わらず人影は皆無だ。
「テメェからすりゃあ、これから見るものはよ。……言わば楽園みたいなもんだぜ? 感謝しろ、俺様に」
「……髭の濃い人間を信じるなと、そう教えを受けている」
「誰からだよ。……おい、まだ疑ってんじゃねえだろうな」
「こんなイカツイオサーンに言われたら疑いたくもなる」
 HIGEは、詳しいことを話そうとはしなかった。
 ただ「会って自分の目で確かめろ」とそれだけ言った。
 この先に、何がある?
 そもそも貴様が何故、今になって現れる? 俺の前にいるのだ?
 ――あの時、失ったはずだ。
 何もかも。

 更にもう少し行くと、そこには小さな民家が幾つかあった。
 薄汚くて、蹴飛ばしただけでも崩れ落ちてしまいそうな程、汚い家だ。
 倫敦とかリスボンにいたりしたから……忘れていたな。
 こんな風景は。
「そんじゃあな。俺はちょっとやらなきゃいかん仕事があるんでな」
「おいHIGEッ?」
 いきなり踵を返した男を見て、かおるは驚愕した。
「貴様、こんな辺境まで私を連れて来といて、放って帰るつもりか? いやこれ、間違いなく野垂れ死ぬって!」
「民家の中の奴らに食わせてもらえ」
 有無を言わさず去って行くクライドに向けて、かおるは遠慮なく槍を抜き払い、そして投げ付けた。
 そう来ると読んでいたクライド、それをあっさりとかわしてみせる。
 ……行ってしまった。
「民家の……ってなぁ。おじさん人見知りだから、とても嫁に下さいなんて言い出せんよ」
 見当の外れた独り言を口にしながら、かおるはゆっくりと民家に近付いて行った。
 ――この民家に、私が何より求めていたものがあるだと?
 かおるはドアを開いた。
 ギギィと音を立てながら……それはゆっくりと開いていく。
 開くなり、家の中から何かが突進してきた。
「フグァッ!?」
 渾身のタックルを胴に受け、かおるはそこからメートル単位で吹き飛ばされた。
 受身を取っていなかったなら、それだけで大怪我となっていただろう。
 それだけの威力を持った攻撃だった……只者ではない。
「謀られたかッ!?」
 即座に立ち上がり、愛用の武器を手に取ろうとする――が、無い。
 まさか体当たりをした際に隙をついて武器を奪ったと言うのか!?
 かおるは驚愕した。
 しかし一秒後にああ、違うや……と思い立つ。
「しまった、さっき!」
 クライドに向かって投げつけた槍は、そのまま放置してきている。
 死ぬ。
 殺されるのか、ここで。
 一秒に満たぬ時間だけ、かおるは迫り来る死を意識してみた。
「かおるさん!」
 飛び道具? いや、違う。
 届いたのは声だった。
 それなのに、槍で貫かれたかのような衝撃がその身に走った。
 痛くはない……何なのだ、この感情は?
「かおるさん、かおるさんだぁ!」
「……えっ」
 聞こえてくる声――ただそれだけで、かおるの全身はまるで金縛りにあったかのように硬直した。
 そこにある姿を、意識出来なかった。
 声だけで……たったそれだけで、戦意なんてもう、無くなってしまった。
「かおるさん!」
 一つの声が届いて、同じ響きのものがそれに幾つも重なってくる。
 少年の、少女の声達が優しく届く。
「わぁ、本当にかおるさんだ!あのヒゲのおじさんの言ってたこと、嘘じゃなかったんだ!」
 また、猛烈な体当たりが幾つも同時に襲い掛かってくる。
 かおるはそれを避けようともせず、全てその身で受けた。
「……何故此処に居る?」
 みんな……みんな、死んでしまった、のに。
 夢じゃないのか? これは。
 ――いや、違う! ……夢じゃない。
 夢であってたまるものか……。
「助けてくれたのよ。クライドさんが」
 一人前へと進み出た少女。
「アスナ!」
 かおるの声は平静を装い切れなかった。
 その少女の記憶が一瞬にして蘇り、そして全身を駆け巡る。
 民家の中にいた子供達の中では一番年長だが、それでもまだ十八、十九歳位だ。
 小麦色の肌をした少女、アスナ。
 確か、スペイン人とイギリス人のハーフだった。
「また会えるなんて思ってなかった。良かった、無事で」
 彼女のその声には、涙が混じっている。
(……現実なのか、全て)
 幾つもの体の温もりを、確かに感じていた。
 みんなの姿が、声が、温もりが……この光景が夢現ではないことを教えてくれていた。
 アスナ、マテウス、ミケ、セルマ……通称マー坊。
 かおるは順に、彼らの名前を呼んでいった。
 あの時、火に包まれた町で、自分は何もかもを失った。
 何より大切で、いつも傍に在ったもの。
 これからもずっと一緒に居られるはずだったのに、全てが炎の中に消えてしまった。
 ……消えてしまったんじゃ、なかったのか?
 クライドが楽園と言ったその意味が解った。
 ――ああ、全てが色褪せていく。
 楽しかった冒険の日々が、仲間達との思い出が、少しずつ。

 一枚の絵がそこにあって、その絵はある日、紅色で全て塗りつぶされてしまった。
 その色がどうしても辛くて耐え切れなくて、紅の上から新たに蒼色で絵を描き直した。
 ……今、何もかもが戻って行く。
 目の前の光景を受け入れようと、変わって行く。
 そうだ、あの日々は。
 海の蒼よりももっと清らかな、まるで光のように淡く美しい絵が、そこにあったのだ……。
スポンサーサイト


  1. 2005/07/05(火) 02:24:50|
  2. 小説本文
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<第九章 そして船はゆく | ホーム | 第八章 彼方の海で――(前編)>>

コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://sunebana.blog5.fc2.com/tb.php/19-cbd4d598

フェレット(或いはスネばな)

11 | 2018/12 | 01
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -

Recent Entries

Recent Comments

Recent Trackbacks

Archives

Category

記事の検索

Link(公式・情報系サイト)

Link(友人・お気に入り)

TB People

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。