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航海タイム

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第七章 Like a child, on the little sheep(後編)

9

「アムステルダムの犬どもが! このウルフガング様に立て付くだとっ!」
 大型キャラック船から放たれた怒号。
 この艦隊の主、ウルフガングの声は空を劈き、一帯に響き渡った。
 その声には焦りの色などなく、ただ怒りにだけ満ちている。
「それもたった数隻、何も考えずにこちらに突っ込んでくるだけか。余計な手間を取らせやがって……」
 わなわなと震えているその腕は大木のように太く、握られた斧はどんなものでも両断してしまいそうだ。
「時間の無駄だ。さっさと踏み潰してしまえ」
「はっ」
 吐き捨てるように指示をする。
 ウルフガングは決して侮っていたわけではない。
 もしかしたら海軍が本腰を入れて来るかもしれないと、万全の構えでもってこの取引に臨んでいた。
 だが奴等はなんだ? たった数隻だけで突っ込んでくるのも理解出来ないし、あの緩慢な動きは。
(我等をまだ侮っているようだな。アムステルダムの連中は……!)
 良かろう。
 それならばあの時と同じ様に、何もかもを血に染めてやるだけだ。
 そして今度こそ認めさせてやる、北海に海賊ウルフガングありと、平和呆けした人間共の脳髄にまで叩き込んでくれる。
 額に青筋を立てて、ウルフガングはそう強く誓いを立てた。
 だが、その次の瞬間に表情が変わった。
 怒りが収まったわけではない。
 目の前に起きた光景が信じられず、自然と大口が開いたのだ。
 アムステルダムからの使者と人質を交換し、そして替わりに金品を山ほど積んで帰ってきたピンネース。
 あの一隻のみは戦闘力よりも速度に特化した仕様となっていたが、それでもピンネースは頑丈な船だ。
 こちらに向かってくる三隻の船――ガレー一隻とキャラックニ隻では、そう容易に沈めることは出来ない。
 そのはずであったが、しかし。
「奴等、何をした!?」
 ぐらぐらと揺れて、傾いて、そして沈んで行く。
 あの三隻がピンネースへと到達してから、数分と経っていないはずなのに。
 まだ、目立った砲撃も放たれてはいないのにだ。
(ピンネースへと三方向から襲いかかったその瞬間だ。白兵戦を仕掛けた様子も無い)
 成る程な。
 ウルフガングは考えた後に理解し、ふふと笑った。
 奴等は下手に小細工を仕掛ける事無く、力任せな戦法に出た。
いや、その力任せこそ、こちらの裏をかこうとした結果の小細工に過ぎん。
 たった数隻で攻めてきたところで、我が艦隊の壁を破ることは出来ないだろう。
 船員の修練具合、士気においても全てこちらが上だ。
(それより解せんのは……)
 奴等が何故少数で攻めて来たかと言う事だ。
 統率が出来ておらず、他の艦船が付いてこなかったのか? 
 その証拠に、こちらへと突撃してくる船のさらに後ろ、中途半端な位置に三隻ほど留まっている。
(まさか)
 気付かれたと言うのか? 
 ……だとしても、本陣に向かってくる戦力がアレではどうにもならん。
 ウルフガングは巨大な二つの碧眼でもって、向かいくる三匹の仔羊を睨み付けた。

 激突したことによる激震がおさまり、キャラック船”フォスベリー”は新たな敵へと視線を移した。
 フォスベリーだけでなく、残る二隻”永久機関”と”オールド・ブラック・マジック”も同様に。
 敵の数はこちらの数倍。振り向けばそこに敵の姿がある。
 そんな状況に立たされていたが、三隻の向いた方向は全て同じ、正面だ。
 この場で周囲に目をくれず、正面だけを見ることがどんなに勇気の要ることか。
 まだ遠くにいるピンネースから砲弾が撃ち込まれる。
 そのうち数発は船へと到達した。
「みんな、何が起こっても向きを変えようとするなよ! ただ目指す敵の姿だけ見据えろ!」
 フォスベリーの船長が怒鳴る。
「今は旨いもののことを考えちゃあ駄目ですか! 船長!」
「あれは冗談だ阿呆!」
 この場においてもそんなことを言う自分の船の船員を、フェレットは情けなくも誇らしくも感じた。
(一点集中作戦……戦力差は歴然。躊躇ったら囲まれて、終わりだ)
 船員にあれだけ言っておけば、例え自分が逃げよう、と言ったところで船はもう戻らないだろう。
 海に出る前にカリタスが口にした言葉を、フェレットは脳裏に浮かばせた。

――『こちらは三隻、敵は少なくともその数倍はいるだろう。まともに突っ込んだところでどうなるのかは目に見えている。途中で誰か一人の船長が逃げ出しでもすれば、全てが終わりだ。それを覚悟した上で、この戦いに臨んで欲しい』
『コワイヨー助けてオカアチャーン!』
脳裏に浮かぶ光景の中に、あまり思い出したくないノイズのようなものが混じる。カリタスの声と比べて、あまりに品位に欠けている。
 言うまでも無く、残る一人の船長、かおるが発したものだ。
『いや、ヘレッチ君の代弁してみたんだよ』
 そして彼はすました顔でそう続けるのだった。
『何で僕が? ちょ……ちょっと冗談じゃないですよ! そりゃ怖いのは確かだけど、自分だけ逃げたりしませんよ!』
 怒りが混じった掠れ声。
『まあほんの茶目っ気という奴だ、気にするな』
『気になるわ!』
 二人のやり取りは場から緊張感を一気に奪い去った。
 ようやく静まった後、カリタスが肩を竦めながら声を置く。
『まあ怖がるのは当然のことだ。私だって怖いさ』
 カリタスはそこまで言った所で一転、表情に自信を漲らせた。
『一つ、面白いエピソードを用意してきた。二人ともこれを見てくれ』
 そう言って取り出したのは、何処から調達してきたのか、一本の矢であった。
『この矢を折ろうとすれば、簡単に折れてしまうだろう。矢というのは元々そこまで頑丈に出来てないからな』
 手にした矢をへし折る振りをして、カリタスはもう一度二人へと視線を送る。
『だが、これが三本になったならどうだ?』
 さらに二本の矢を加えて、カリタスはそれらを一緒に握ってみせた。
 力が篭っても、三本になった矢はびくともしない。
『一本の矢は脆くとも、三本一緒になればそう容易くは折れない。我々もこれと一緒だ。三本の矢が同じ目標を持って進めば、それを止められる者などいやしないさ』
『な、成る程!』
 フェレットのその声には、少しだけわざとらしさが混じっていた。
 その理由を、続けて説明する。
『なんて素晴らしい例えだ……と言いたいんですけど、それ、どっかで聞いたことがあるような……』
『なっ! 何を言ってるんだ! これは私自らが考え付き、今まで必死に温めていた話なんだからな!』
『ちょっとその矢、貸して』
 何を思ったのか、かおるはカリタスの手にした矢をひったくるようにして奪った。
 深く考える事無く、矢を握った手に渾身の力を加えてみる。
 瞬間、めきり、という鈍い音が響き渡るのだった。
 かおる以外、残る二人の表情が同時に青白いものへと変化を遂げる。
『三本でも折れたけど』
 無慈悲な声とともに、かおるは折れた矢をぽいと放り捨てた。
『折ってどうすんだ! 全部台無しだろうがっ!』
 幾つかの感情が入り混じったカリタスの声が場に響き渡り、その後に自分も何か言ったのだが――とりあえず、回想はここまでで終わる。

(最後にとんだことをしてくれたもんだけど、あの例え話は間違った話ではない。信じて、自信の拠り所にするに足りる話だ)
 船が進むに連れ、砲撃もその数を増して行く。
 今の所はまだ、船体に目立ったダメージはない。
(ピンネースが囲んで守っている二隻の大型キャラック船。どちらかにウルフガングがいる)
 目指す先、倒す目標はただ一つ……ウルフガングの旗艦のみ。
 ポーンもナイトもすっ飛ばし、キングを詰めに向かう――それが主な作戦だ。
 しかし敵も簡単にさせてくれるわけはなく。
 三隻の行く手を、覆い込むようにしてピンネースが遮ってくる。
 放たれた砲撃のうち幾つかが、今度は船体を捉える。
「怯むなっ!」
 フェレットが叫び、船は惑うことなくそのまま正面へと進んで行った。
 正面にピンネースが立ちはだかろうとも、”フォスベリー”は進むことをやめない。
「ぐっ!」
 激しい衝撃が、船体に響いた。
 それこそ横に傾いてしまってもおかしくないほどの揺れが、暫くの間”フォスベリー”を襲う。
 だが、敵船はそれ以上。
 凄まじい衝撃を受けて浸水し、無傷だった船がゆっくりと沈んで行くその姿が見て取れる。
 ”フォスベリー”、”永久機関”、それに”オールド・ブラック・マジック”。
 それぞれの船首から、まるで獣のそれの如くに猛々しい角が突き出している。
 それを突き刺され貫かれて、ピンネースは沈没した。
 いざと言う時に敵船に体当たりをして攻撃する為のラム(衝角)。
 突撃など仕掛ければ当然、自船にも相当のダメージが来る。
 下手に扱えば自殺行為となりかねない諸刃の剣を、三隻の船は扱っているのだ。
 船体には鉄版を張りめぐらし、装甲を強化してあるとは言えど。

「成る程な、突撃による一点突破か。一見無謀にも思える……いや、無謀であることは間違いないが……。だがこの状況を見る限り、奴等の思惑通りに進んで行っていると言う事か」
 ウルフガングの船をキングとするならこちらはクイーンか。
 副将グスターヴァスは大型キャラック船の上で、戦いの動向をじっくりを眺めていた。
「しかし、たとえ突破出来たとしてもそれは一時限りだ。結局ピンネースに囲まれ、集中放火されかねん。……いや、待てよ。そうさせない為に、あの三船がいるのか」
 グスターヴァスの目がさらに奥を向く。
 今攻撃を仕掛けて来ている船よりもさらに後方……まるで漁場を探す漁船のように、戦場をうろついている三船。
 アイが操る”シャルトリューズ”もその内の一船であり、その目的は遊撃。
 フェレットらに攻撃が集中してしまわないよう、少し遅れて援護を仕掛ける役目であった。
「船長、我々はどう動きますか?」
 船員が声をかけたが、グスターヴァスは海を見やったままだ。
 右手をゆっくりと動かし、自前の顎を擦っている。
 その顔、その体は傷跡だらけで、付けられた異名が伊達じゃないことを証明している。
「今突撃してきているあの三船の船員達は、中々の度胸の持ち主だな。自らの置かれている状況に恐れを為し、一瞬でも怯んでしまったなら全て灰燼に帰すと言うのに」
 ”北海の飢狼”グスターヴァス、船員達には大の薀蓄好きとしても知られている。
「もし奴等が突破し、ここまでやって来たなら――我等が全て終わらす。それだけの話だ」
 右頬にある大きな傷痕が、ぐにゃりとひしゃげた。
笑ったのだ。

10

 本格的に戦いが始まってから、時間が経つのがやけに遅く感じられた。
 自分が見守る立場だからか、待つ立場だからか? 
 アイは思う。
 彼女を船長とする”シャルトリューズ”も、ニ隻の船と共に敵陣へと進撃している最中だ。
 しかし目的はあくまで援護、フェレットらに比べれば死の危険には程遠い。
(これでフェレさんやかおるさん、リィちゃん達が帰って来なかったら私はどうすれば良いんだろう) 
 思っても何も始まらないし、今は何も終わらない。
「船長、大丈夫ですぜ。あの人らは並の人物じゃねえ。海が干からびちまわねぇ限り、確実に帰って来るに違いねえですよ」
 アイを気遣って、船員の一人が声を掛けた。
「そうね。そうだといいけど……」
 アイの笑みは何時もより力なく、苦いものが混じっている。
「そんなに気弱でどうするんですか。いつもの船長ならここで、パーッと酒宴の準備でも始めるでしょう。フェレットさんらが帰ってきたら今度は酒の海で航海させてやろう、とか言って」
 アイはまだ苦笑いしていた。
 ほんの少し前より、苦いけれど少し明るい笑い。
(でも、船員にもこんなことを思われている私って一体……)
 素直に笑ってしまってはいけない気もした。
 しかし幸か不幸か、返事をするタイミングが掴めずに事態は急変する。
「船長。後方でも、戦闘が始まったようです。……凄い数の船ですぜ」
「えっ?」
 振り向くと、遥か後方――自分達が最初にいた地点でも、砲撃が飛び交っているのが見えた。
「カリタスさんが言っていたことは正しかったのね、やはり……」
 元々こちらには十数隻もの船が戦力としてあった。
 その大半をあの場所に残してきたのは、敵の伏兵を予測してのことだったのだ。
「仮にこちらが約束通り、人質と金品を交換して帰路についていたら……途中で伏兵に囲まれて、そして皆殺しにされていた……ってことかしら」
 この辺りには隠れることの出来る地形が多く存在し、敵は確実に戦力の大半を伏せている。
 こちらを油断させ、確実に仕留めるつもりなのだと……カリタスは予めそう、皆に言って聞かせておいたのだ。
 何故確信を持ってそう言えるのか、その理由も知らされている。
「確かに、相当の数ね。間違い無くこっちよりも多い」
 戦力では絶対の差がある。
 だからこそ、積極的に敵の大将を狙いに行く必要があった。
 ウルフガングを捕らえてしまえば、敵はそこまでで戦うことを止めるだろうから。
「フェレさん達は、大丈夫かしら……」
 彼がこの言葉を聞いていたなら”大丈夫なはずない! 死ぬ死ぬ!”と大声で反論するだろう。
 その様子が鮮明に浮かび、微笑ましさを感じつつも、数倍する不安を浮かばせずにはいられなかった。

 黒い船と黒い船の間を通りぬけ、青い海を進む。
 戦いの最中に日は落ち、辺りは真夜中を迎えていた。
 砲撃を浴び、突撃を繰り返し、目に見えてぼろぼろになってきた我が船を見て、フェレットは嘆息する。
「……こうなったら、この戦いで得た報酬で黄金船に改造してやるっ! 折角取り付けたラムももっと数十メートルくらいある豪華なやつに変えてやる! それくらいしないと納得いかない!」
 不安を吹き飛ばすかのように、フェレットは大きな叫び声を上げた。
 それさえも、砲撃の音で掻き消されてしまう。
 だが、この局面においてむしろ船員の士気は高まっていた。
 襲い来るピンネースを掻き分け、その先に見えた船の姿。
 漆黒の大型キャラック船が二隻。
 ようやくゴール地点が視線に入り、失われかけていた気力を再び取り戻すことが出来た。
 何隻かのピンネースがまだ無傷で残っているのだが、こちらに向かってくる気配はない。
 きっとアイさん達、後続の部隊が上手く牽制してくれているのだろう。
(かおるさんとカリタスさんも、ちゃんと隣にいる)
 ラムによる突破作戦は確かに成功した。
 だが、今回の作戦――僕達の船団が本領を発揮するのはむしろこれからだ。
 ……残念ながら僕がやるのではなく、愛すべき仲間達がやるのだが。
 だからこそ、フェレットは絶対の自信を持っていた。
「リィ、そろそろだぞ! 大丈夫か!」
「はい!」
 フェレットの声に負けぬ大きな返事が来る。
 彼女に怯えの色は全くない。
 ちゃんとした海戦を経験するのはこれが初だと言うのに、ここまで堂々と出来るものなのか? 
 それを怪訝に思うよりも、今はただ頼もしかった。
「フェレさん達こそ、ちゃんとギリギリの所まで近付いてくださいね!」
「任せといてくれ!」
 殆ど同じ動作で直進していた三隻の、その動きにずれが生じる。
 ”永久機関”と”フォスベリー”が右方、”オールド・ブラック・マジック”が左方へと分かれて進み始めたのだ。
 ピンネースの囲みを突破し、ウルフガングとグスターヴァスの大型キャラック船に挑むべく、フェレット達はもう一つの賭けに出る。
 片方の黒船に向かうニ船の内”フォスベリー”が僅かに先行する。
 そして大型キャラック船に向け、砲撃を開始した。
 反撃を受け、”フォスベリー”が大きく揺れる。
 砲弾のうち一つは、船員の身体を焼いた。
「ハビィ! 平気か!」
 右足を血に染めた船員に、フェレットが駆け寄ろうとする。
「大丈夫でさあ! 船長はそこから離れちゃ駄目ですぜ」
「しかし……」
 他の船員の視線もまた、ハビィと同じことを言おうとしていた。
「怪我人の治療は俺達でなんとかしやす。船長とリィさんらの組は気にしないでくだせぇ。じゃないと皆生きて帰れねえかもしれねぇんだから」
「……そうだな、分かった」
 フェレットは、自らの意識をあの大型キャラック船へと向け直した。
 リィと十数人の船員が彼に付き従い、行動開始の時を待っている。
 大型キャラックの攻撃は凄まじく、早めに仕掛けなければ一方的に沈められてしまうだろう。
 ”フォスベリー”は全速力でもって、大型キャラック船へと接近していく。
 ”永久機関”との距離がその分離れていく。
「フェレさん」
「んっ?」
 小さな声が聞こえた。
 振り向こうとするその瞬間、右手にほんのりとあたたかいものが触れる。
「リィ、どうした?」
 手に触れたものが何か、確認する前にそれはもうそこから離れていた。
 触れたものが何であるか、分かっていたけれど。
 女性に触れられただけで緊張するような歳でもないが……あまりに突然で、フェレットは目を丸くしている。
「……もう大丈夫です。ちょっと……ふふ、最後に確かめておこうと思って」
 リィは自分の右手をじっと見つめていた。
 その手に残った温もりを確かめるようにしながら。
 そうして、照れ笑いを浮かべる。
「確かめるって、何を?」
「大事な人の温もりをです」
 こんな時だと言うのに、フェレットの心臓はどきりとした。
 リィはそんな様子に気付くこともなく、ゆっくりと口を開く。
「砂漠で倒れていて、助けてもらって……お母さんが出来て、リスボンに行って……。今ここに来るまで大好きな人達と一緒に旅をしてきた、その証を確かめたかったんです」
「……やめてくれよ。これで終わりになるわけじゃないんだから」
 そんな言葉もまた、物語の最後で口にされるべきものなんじゃあないのか? 
 フェレットは思った。
「ええ。だから大事な人の温もりがどれだけ心地良くて……どれだけ失いたくないものなのか、再確認したんです。一緒ですよ、美味しいものを思い浮かべたりするのと。私はいつも、怖いことを経験する前にこうやって温もりを確かめてたんです」
「そうか……」
 彼女の言葉に対して、色々と質問を投げかけたい部分はあった。
 全てこの戦いが終わってから訊くとしよう。
「みんな、銃の用意は良いですか?」
「イエッサ! 任せてくだせえ!」
 リィの左右に広がって並ぶ船員達。
 その両手には何れもマッチ・ロック式の銃の射撃銃が握られている。
「良いですか? 私の声をよく聞いて下さいね」
 フェレットは聞いていて、まるで先生が生徒に語りかけているかのようだ、と思った。
 リィはこの場にいる誰よりも銃撃を得意としている。
 それを最初に知ったのはかおるで、以前ヒホンの西の海にて”若草海賊団”と名乗る少年達に襲撃を受けた際に知ったのだとか。
 かおるからそう聞かされて興味を抱き、リィの射撃の腕がどれだけのものなのか、航海中に試したことがあった。
 船上から陸に向けて射撃をし、陸上の獲物を上手く仕留められるか競い合った。
 その辺りには鹿や豚が多く暮らしており、格好の標的となったのだ。
(あの実力を発揮出来れば……何とかなる。頼む、リィ)
 リィの腕を知っているからこそ、他の船員も必死で彼女の指示にすがっているのだ。
 ロンドンの町を出る際に、彼女の銃の腕を一つの戦力として挙げたのはフェレットだった。
 ”フォスベリー”はさらに接近していく。
 大型キャラック船が目の前にきて、敵船員の姿が目で捉えられる程まで近付いた。
「大丈夫、そのままで構えてて下さい。私が合図をするから、その時に一斉に撃って」
 リィは改めて敵の姿を見据えた。
 近い。
 向こうもこちらを睨んでいるかのように思える。
 不思議と怯えはなかった。
「今よ!」
 声と共に、手にした射撃銃が火を吹く。
 派手な音を撒き散らして、撃ち込まれた弾丸の行方を目で追うことは出来ない。
 だが、敵の船員が何人か、地面に倒れ込んだのが確かに見えた。
「再装填を急いでください! 狙うことより、こちらの姿を隠す事を優先して!」
 ”フォスベリー”の船員達は剣を使った白兵戦はともかく、銃撃戦に関しては決して巧みではない。
 リィの冷静な指示により、船員達は何とか敵を見失わずに続けて弾丸を撃ち込んでいく。
 銃撃で敵を怯ませて、その勢いで敵船に乗り込み白兵戦を仕掛けると思いきや、しかし白兵戦を挑まずに、ぎりぎりのところでその横を通り抜けていく。
「近付き過ぎるな! 僕等の仕事はあくまで援護だ!」
 ”フォスベリー”が先に出たのはつまり前座としての役割を果たす為。
 銃撃で注意を逸らし、あわよくば敵の戦力を少しでも軽減する事が目的だ。

 敵はここまで来ないだろうとタカをくくっていた大型キャラックの船内も、慌ただしくなりつつあった。
「……銃撃そのものは大した量じゃないのに、正確に狙ってきやがる。結構な腕ですぜ、敵さんは……」
 その船員の右肩もまた弾丸で撃ち抜かれて、朱に染まっている。
 表情にも痛みが走っていたが、戦うことをやめる気はないらしい。
「狼狽えるな。船員の数はこちらのほうが多く、まともにぶつかったなら敵は歯が立たん。だからこそ、あのキャラック船は撹乱のために銃撃をしてきたに過ぎん」
 ウルフガングの副将、グスターヴァスが不敵に笑う。
「その証拠にキャラック船は横に逸れて行く。直接戦闘を挑んでは来ずに、この船とお頭の船を交互に狙って行くつもりだろう。ひとまずあれは無視しろ」
「ならば、我々が相手にするのは……?」
「この船に乗り込んできている、あのガレー船の連中だけで構わん。白兵を挑んできたからには、別の船からの銃撃は無くなるだろう!」
 船内では既に”永久機関”の船員との斬り合いが始まっている。
 にも関わらず、グスターヴァスは全く慌てている様子がない。
「てめぇがこの艦隊のボスか! 死んでもらうぜ!」
 グスターヴァスの右方に、一人の男が現れた。
 獣の如く喉を鳴らしながら、その刃でこちらの首を切り落とそうと狙っている。
「残念だが、ボスは俺ではない。……それでも良ければ狙ってくると良い。だが、過ぎた真似はろくなことにならんぞ」
 グスターヴァスの声に突き動かされるようにして、男は襲いかかる。
 次の瞬間、驚愕の光景を目にした。
 自らの体が、体の部位が切り取られていき、そしてやがて死に行くその光景を。
 まず剣を持った右腕を落とされ、男が次の行動に迷った時にはもう、命の器は零れ落ちてしまっていた。
「血気盛んな……。敵も海賊か?」
 自らの傍に転がった死体に見向きもせず、グスターヴァスは言った。
 まさか、その言葉に返事が来るとは思わずに。
「私達のほうがむしろ海賊だ」
 あまりに妙な台詞。
 また、敵か? グスターヴァスは訝しげに振り返った。
 そこにいたのは、海賊にも一般の船乗りにも見えない、妙な服装に身を包んだ男。
 それもまた奇妙――滑稽極まりない格好だ。戦場に立つ姿ではない。
「ボスが別にいるってことは、もしかしてあんたが北海の飢餓死狼か」
「飢餓死狼ではない。飢狼だ」
 冷静に返すグスターヴァス。
 しかし相手の男は、絶えずこちらのペースを乱し続けた。
「こう言っちゃなんだが、私も印度では似たような名で呼ばれている。だから私の他に似たような人がもう一人いると困るんだよ。ドップルガンガーかと思っちゃうし」
「ほう、出身が印度だと言うのか? それは面白いことを聞いた……」
「いや、北海の出身だ」
「……成る程な。あの銃撃をしてきた船の様に、妙な会話で俺を戸惑わせるつもりか。戦場でそのようなことをするのは中々勇気がいるだろう。大した度胸だ……」
「ありがとう」
 よくわからないながらも、とりあえずそんな返事をする。
「……やるならやるとしよう。その槍は、飾りじゃないんだろうな――!」
 飾りかと疑ったその槍が嵐と化し、突き出された。
 グスターヴァスの頬を掠め、ぶしゅりと血が渋いた。
 自分じゃなければ避け切れなかっただろうと、直感でそう感じ取る。
 この男、強い!
「貴様、名前は……」
「インドでは北海の餓狼と呼ばれてるが、かおるだ」
「北海の餓狼……?」
 その言葉を、グスターヴァスの耳は真剣に聞いた。
 本人の意思に関わらず、つい聞くほうに神経が傾いてしまった。
 ……かおる? だと? 
 俺の知っている言語では発音することさえ難しい。
 そもそも何故インドで”北海の”と呼ばれているのだ? 
 ……何もかもが妙だ。
 そう、考えてしまった。
「――なッ」
 かおるが放った攻撃は鋭く、疾かった。
 槍は胸を深々と貫き、それは致命的な一撃となった。
 血飛沫が自らのものであることに気付いた時には、グスターヴァスの体はもう動く事を止めていた。
 それは攻撃を仕掛けたかおるでさえ唖然とする程、ほんの一瞬の出来事であった。
「あれ? 終わっ……そうか、飢餓死したのか」
 信じられないといった表情をしていたのはむしろかおるの方であった。

11

 ゆっくりと流れていたはずの時間。
 しかし三隻が敵地の奥深くに潜り込んだその時から、全ては早く進み始めた。
 こちらの船団には、持久戦に耐えるだけの力がなく、時間を掛かればジリ貧になるのは目に見えている。
 カリタスを中心とする船団は、決着を急ぐ必要が有った。
「かおるさん達は、まだ戦ってるか。さすがにあの人と言えども、そう簡単にはいかないようだな」
 冷静さを失ってはいないが、カリタスは興奮した様子でそう呻くように言った。
 大型キャラック船に張り付いたまま動かないガレー船”永久機関”、その戦況が気になったが、とは言えここで止まってはいられない。
 二つの船をすり抜け、”フォスベリー”はもう片方の大型キャラック船へと突進した。
 銃撃による牽制を織り交ぜつつ、徐々に距離を詰めて行く。
 向かってくるその船を、大型キャラック船は引き離すことが出来なかった。
 左方から迫り来る”フォスベリー”を右に避けようにも、右方からは別に迫ってくる船が有ったのだ。
「もっと速度は出んのか!」
 艦隊の長ウルフガングが怒鳴り声をあげても、状況は何も変わりはしない。
「何故敵の船がここまで来ている! あの包囲が何故、突破されたのだ!」
 その理由はウルフガング自身も知っていた。
 護衛の船に囲まれて、安全に敵の様子を眺めていることが出来たのだから。
 敵の船三隻が、護衛の船には目もくれずに突っ込んできたのだ。
 船首にラムを取り付け、立ち塞がるものを全て吹き飛ばしながら。
 こちらの砲撃で沈められなかったのは……恐らく、鉄板か何かで装甲を最大限まで強化したのだろう。
「お頭、キャラック船ニ隻の速度はこの船と殆ど同じに見えます。このままじゃ何れ追い付かれちまいやす」
「ピンネースの援護は来んのか? どうなってると言うのだ……」
 援護が無い理由、それも知っている。
 だからこそ、歯痒くてならないのだ。
 三隻の船は孤軍で突っ込んできたかと思いきや、背中をがらあきにしてはいなかった。
 後方からさらに別の船が三隻、影のように動きながらこちらの行動を巧く遮っている。
 砲撃を仕掛けたかと思いきや離れて行き、逃げるのかと思いきや、ピンネースの移動経路を塞ぎに来る。
 ピンネースはまだ大半が無傷に近い状態で残っているにも関わらず、普段の動きをさせて貰えず、本領を発揮できないままだ。
「お頭、どうなさいやすか……。グスターヴァス様もガレー船と交戦中で、実質こっちはニ対一です。銃撃も絶えねえし、段々こちらが不利に……」
「うるさい!」
 ウルフガングは剣を一閃、間近にいた船員を切り殺した。
 その場の空気が一瞬にして氷のように固まる。
「いいか! 弱音を吐いた奴はこいつみたいになるぞ!」
 物言わなくなった男を指差し、ウルフガングは怒鳴った。
「敵はこの船だけを狙ってきている! その理由がわかるか! 戦力で劣っている分、この俺様を捕らえでもしねえと奴等のとこには勝ちが転がり込まんと、そう思っているからだ。つまりこの船が沈まない限り、勝ちは揺るがん。貴様等に全てが掛かっているのだ!」
 砲撃の音に混じり、鳴り渡った声は空へと吸い込まれて行く。
 だが部下の海賊達は誰一人として、その言葉を最後まで聞いてはいなかった。
 ウルフガングが声を放つのとほぼ同時に、船体に大きな揺れが走ったのだ。
「奴ら、また突っ込んで来る!」
 船員の一人が叫ぶ。
「狼狽えるな! この船はそう簡単には沈まん!」
 再び放ったその声も、今度は幾多も響いてきた銃声に半ば掻き消される。
「お頭、あのキャラック船の奴等が乗り込んできやがった!」
「蹴散らせ!」
 ウルフガングが言うまでもなく、船内はあっという間に混戦と化した。
(何故だ……)
 兵力では大きく勝っている。
 敵の作戦は取るに足らぬものであったはず。
 それなのに、今のこの状況は一体何なのだ? 
 あの小船三隻如きに我が軍勢が苦戦を強いられている。いや、それどころか押されている? 
 キャラック船から乗り込んできた敵兵の数は多くなかった。
 兵士個人の力においても、こちらの方が間違い無く上であるはずなのに。
 もう片方のキャラック船から時折飛んでくる、波のような銃撃。
 あれのせいか? 
 ――負けるはずはない。
 仮に敵の奮闘によって、こちらの優位が引っくり返ったとしても。
 この俺は、海にその名前を轟かす、ウルフガング様なのだぞ? 
 それがこんな得体の知らない小船団に敗れるなんて、有ってはならないことなのだ。
「うおぉっ!」
 誇りを守る為に沸き上がった怒りの感情に任せて、ウルフガングは手にした鉄斧を振り回した。
 ただ振り回しているだけではない。
 付近で別の船員と争っていた敵兵を豪快に叩き割った。
「正面から突っ込んでくるから度胸のある奴等と思いきや、そんなことは全く無かった! 直接ぶつかり合うのを恐れて速攻勝負を挑んできただけのことだ。所詮奴等はアムステルダムの犬、犬と狼の違いをこやつら自身理解しておったと言うことよ。例え敵が乗り込んで来ようが、気勢に圧されなければ勝つのは我等だ!」
 それは自身の兵にではなく、何より自分に言い聞かせたかった言葉であった。
「皆殺しにしてやれ! 首だけにしてこの冷えた海の中に放り捨ててやるのだ!」
「いい加減悟るべきだ、ヴァイキングの長よ。この場においても醜く喚き散らすお前と私達の、どちらが犬に見えると思うか」
 正面から響いた声には明らかな殺気が篭っていた。
「何ぃ!」
 気付けば、ウルフガングはその周囲を囲まれていた。
 味方の兵はいない。
 付近にはただ、さっきまで味方だった部下達の屍が転がっているのみ。
「観念しろ。大人しく投降すれば、部下の命は助けるぞ」
 ”オールド・ブラック・マジック”の船長は鋭くそう言い放つ。
 貴様はどうせ助からんがな、とその表情は言っている。
「メイン・ディナーをラム(仔羊の料理)とするなら、差し詰め今はデザートか。血のソースで頂いてしまっても、一向に構わんのだがな」
 カリタスは暗い炎を宿らせた瞳で、ウルフガングを睨み付けた。
「貴様がこの船団の長か! よくも……!」
 ウルフガングは激昂し、斧を振り翳して襲いかかろうとした。
 だがその瞬間、彼方から飛来した弾丸が右肩を撃ち抜く。
 斧は宙に舞い、海へと落下して行った。
「……味方ながら、恐ろしい腕だな」
 銃を撃ったのはカリタスでも無ければ”オールド・ブラック・マジック”の水夫達でもなかった。
 その弾丸を放ったのが”フォスベリー”の女性船員だと知り、カリタスは薄ら寒いものを覚えた。
 しかし集中を逸らしてはいない。
 その鋭い瞳は真っ直ぐにウルフガングを捉えていた。
「どの道貴様等は俺を殺すだろう。貴様等がやらずとも、アムステルダムの連中が黙っちゃいまい。ならば、ここで貴様等と一緒に死んでやるさ」
「何をするつもり? この後に及んで!」
 ルーファが憤る。
 カリタスはそれを片手で制した。
 ウルフガングは押し殺した笑みを浮かべて、そして言葉を続けるのだった。
「貴様等はどうせ、俺を生け捕りにして、俺の部下どもが戦うのを止めさせるつもりだったのだろう? つまり俺が捕まりさえしなければ戦いは続く。そうなれば、兵力で劣る貴様等は何れくたばるだろう」
「捕まらない自信があるなら、やってみろ」
 カリタスの冷静な声を受け、ウルフガングは焦りを露わにした。
「馬鹿め! ここで俺が海に落ちれば全ては終わりだ! 停戦させる理由もなくなる。俺も死ぬがお前等も皆殺しだ」
「アムステルダムからの援軍がもうじき到着する。どの道、貴様の海賊団は全滅の憂き目にあうだろう。その時に私達が死んでいるか、それはわからんが」
 場は少しの間沈黙した。
 彼らの周りでは未だに戦いが行われていると言うのに、まるで無音のように感じられた。
 その沈黙が、ウルフガングに取ってはまるで無限のように長かったであろう。
「――貴様はどうせ死ぬ、それは確かだ。だがここで大人しく観念すれば……恐らく貴様の率いていた海賊団は助かる。運が良ければ軍のほうで働き口を用意してくれるかもわからん。……貴様に進むべき道が幾つかあって、しかしその末路が全て死であると言うのなら、せめて仲間に取って救いとなる道を選ぶべきだと、そうは思わないか?」
「……俺に取っては何も変わらん」
「これだけの軍勢を率いているのだ、部下に嫌われてはいないだろう。彼らの道を、変えてやれ」
 言葉が終わると、ウルフガングのその表情から、肉食獣のような猛々しさが消えた。
 地面にへたり込み、今度は絶望に苛まれる。
 そんな光景を見せられても、カリタスは同情しなかった。
 ウルフガングは大声で降参を口にはしなかったが、船上での戦闘は少しずつ収まりを見せた。
 元々、船員は戦意を失いつつあったのだ。
「……一つだけ訊きたいことがある。貴様等は何故、我が船団が大半の戦力を伏兵として隠しておいたことに気付いた……?」
 ウルフガングの本来の目論見では、人質と金品を交換し、安心しきった敵の船団が引き帰して行く際に隠しておいた伏兵によって一気に殲滅し、人質のアムステルダムの貴族も金品も、全て頂くはずであった。
 伏兵を隠す位置も練りに練っておいた場所であり、予め敵がそれに対応した布陣を敷いていたことがどうしても解せなかった。
「数年前に貴様等がやった事を、忘れていなかっただけのことだ」
「何故、知っている? あの時相手にした奴等はことごとく沈めた。一船たりとも逃さず、皆殺しにしてやったと言うのに……」
 そう、たったの一人も助かることがなかった惨劇。
 その事件は瞬く間に付近の町に広まり、やがてこの海全てに広がった。
「……一人だけな、いたんだよ。足を一本失いながらも、必死で海を泳いで……倫敦まで帰りついた奴がな」
 カリタスの声に、何かが混じった。
 憎悪と、哀しみの念だろうか? 
 聞いていて、ルーファにはそんな風に思えた。
「そいつは真相を私に伝え、やがて死んだ。大事な友人だったよ」
「……唯一貴様だけが、知っていたのか。俺達の、殺しの手段を」
「いつかこんな時もあるだろうと思っていた。数年間、待ったかいが有ったと言うものだ」
 カリタスはそれ以上に何かを語ろうとはしなかった。
 ただ、戦いの結果が全てを物語っていたのだ――予め、勝者が決められたゲームであったと。

12

 戦いは終始思惑通りに進み、結果として見れば圧勝であった。
 ウルフガングの大型キャラック船には降伏の意を示す狼煙があり、それを炊きながら幾つかの戦場を回った。
 ”オールド・ブラック・マジック”を始めとする三隻を除けば皆防御を主体とした戦術を取っており、被害は微少ですんだのだ。
 それでも死傷者が出なかった訳ではない。
 ”フォスベリー”のみ、唯一全船員が命を落とすことがなかったのは、奇跡だと言って良かった。
 ヴァイキングの大将が降伏したのを知ると、その部下達は大半が捕虜となった。
 統率力を持ったリーダーの下でなければ、海賊達は海賊でいることすら難しいのだ。
 これを機会として真っ当な生活に戻りたいと思った元海賊も、決して少なくなかったはずである。
 倍以上にも膨れ上がった船団は、疲労と戦いながらも、来た海をまた返して行くのだった。
 事後処理の量は半端でなく、単に助っ人として参加したはずだったフェレットらまで手伝わされることとなり。
 一行に平穏な時が戻ったのは、アムステルダムに辿り付いてからさらに一月も先のこととなった。
「心配だったけど、またこうして皆とのんびりお酒を飲める時が戻ってきたのね」
 感慨深げに言うアイの隣の席にはフェレット、かおる、そしてリィが居る。
 彼等は今酒場にいて、祝勝会の開始の時を待っていた。
 倫敦を訪れた際にカリタスと待ち合わせた、あの酒場だ。
 居るのは彼等だけでなく、パングやルーファ、エアリーンと言った今回の戦いに参加した面々も全て揃っている。
 店内に入りきらなかった船員達が店の外にまで溢れ、ゴザを敷いて宴会に臨んでいるようだ。
「ちゃんと任務を達成したんだし、きっと凄まじい額の報償金が支払われたんでしょうねぇ……。あのウルフガングは賞金首だったんだし」
「まだカリタスさんに詳しく訊いてないからわからないけど、噂では城がニ、三個買えるくらいの額だったって話よ」
 パングとエアリーンのそんな会話が聞こえ、フェレットらの頭の中には一瞬にして妄想が広がる。
「よーし、前代未聞、フォスベリーを黄金船に改造してしまうか」
「その金を使って”北海の餓狼”の名をこの海に轟かせてみるか」
「各地の銘酒を、船数個分くらい買い漁るのも良いわ」
 欲望のままに言葉を吐く三人を見て、リィはこっそりとため息をつくのだった。
 男二人はそれに気付かないが、アイだけがリアクションを返してくれる。
「ふふふ……冗談よ。ちょっと私にね、提案があるのよ」
「提案?」
 きょとんとして訊ね返すリィ。
「まあ、また後で話すとするわ。今日くらいは今後のことを考えないで、倒れるくらい飲まないとね」
 いつものことじゃないか、と男二人は思った。
 倒れるくらい飲んでも倒れないのだから、見てる分には別に問題はないのだが。
 フェレットにしても、アイの意見に概ね同意している。
「酒場も借り切ってるんだし、僕等がどれだけ飲んでも金はなんとかなるでしょう。城一個分くらいは飲むとしよう」
「そうっすよ! あなた達は恩人なんだし、もうカリタスさんが貰った額の五割分くらいは飲んじゃっても構わないっすよ」
 向かいの席からパングが叫ぶ。
「パング君、お上品にしなさいね」
 ルーファが諭すように言うが、上品になる必要があるのはこの場にいる半数以上だ。
「貰った金を全部飲み食いに回したら、一体俺達どんだけ食えるんだろうかなぁ」
「北海の水量と同じくらいの酒が飲めるんじゃねえの?」
「いっそどっかの女に家一つくらいプレゼントしてやるのも、悪くねぇなあ」
 まだ酒宴は開始されていないというのに、皆酔っ払っているかのような騒ぎぶり。
 お陰で、静かにやってきた主役の登場にも気がつかない。
 カリタスは機敏な動きで席につき、
「えー、諸君。耳を傾けて欲しい」
その声だけで、一同を静まらせた。
 皆、慣れているのだ。
「また詳しく説明するが、今回の報酬は確かに相当なものだった。働いてくれた皆にも相応の額を支払うことを約束する。以前から私と行動を共にしてくれていた者も、今回に限り手伝ってくれた者も……素晴らしい働きをしてくれた。心から感謝する」
 相当な金額か。黄金船には出来ずとも、”フォスベリー”に大幅な改造を施すくらいは出来るだろうな。
 そう思い、フェレットは心の中で小躍りした。
「今日の酒宴に関しても、金に糸目はつけない。それこそ皆の腹がよじれるまで笑い合えるような席になればいいと思っている。だが」
 話はまだもう少し続いた。
「――これだけは聞いてほしい。あのヴァイキングどもに掛けられていた賞金……あれは、かつて奴等に殺された者の家族が必死の思いで国へと託したものなのだ。私達が手にした金は決して、迂闊に使っていいものではない。言わば人々の怒りと哀しみがそこに篭っているのだから。それを考慮した上で、この酒宴に臨んで欲しい。……よし、それでは始めるとしようか」
 先程までの雰囲気と一転、酒宴は慎ましやかに開催された。
 あれ程騒いでいた面々も今は、誰が最初に酒を口にするのか、互いに牽制しあっている。
(あんなこと聞かされた後じゃ、……迂闊なことはやれん。とても……)
 この日の為に帽子からハトを出す手品を研究してきたフェレットだったが、慎ましやかに封印するのだった。
 躊躇いがちに食事するフェレット、元々下戸であるかおるを尻目に、アイは普段と変わらぬ様子で酒を口にしていく。
 彼女は彼女で、心の中では殺された人々の家族にちゃんと敬意を払っているのだろう。
 変に意識し過ぎているフェレットに比べ、彼女の方が大物であることは間違いない。

 酒の魔力というものは人知を超えるほどの効力を持っている。
 落ち付いた飲みになるかと思いきや、酒宴が始まって数分、場には叫び声やらハトやらが飛び交うようになった。
(まあ……今日くらいは構わんか)
 心の中ではニヒルに言葉を連ねるカリタスであったが、表向きの行動はそう言った言葉とは程遠い。
「おおっ!?」
 フェレットの見様見真似で、帽子からハトを放ってみせるのだった。
「さすが。敵にしたくない人だ、やっぱり……!」
 夜は更けていく。
 朝が来て、やがてその次の夜が来た。
 酒場内は惨憺たる光景と化していたが、そこに暗い気持ちは一片もない。
 アイは一日以上も同じ席で飲み続け、フェレットやリィらは一旦宿に戻ってからまたここに戻ってきている。
 かおるは一日以上もそこで寝ていた。
 皆が皆好き放題に飲み続け、自分の意識が外界から隔絶されている人間も多く居るようだ。
「ねぇ、フェレさん」
「……ん」
「良かったです。無事で」
 フェレットとリィの二人も、酒宴が始まってから、面と向かい合ってちゃんと話すのはこれが初であった。
 他愛のない話なら、それこそ腐るほどしていたが。
「これであなたのご希望の、腹上死に一歩近付きましたね」
「……うん」
 まさか他人に聞こえなかっただろうなと、隣にいる人間の顔を覗き込んでみる。
 ”永久機関”の船長は酒気にやられてゾンビのようになっていた。
 彼が今船に乗り込んだなら、誰もが幽霊船と勘違いしそうな程。
 フェレットはほっとして、またリィのほうに視線を戻そうとする……すると。
「フェレさん、貴方かしら? リィちゃんにそんな言葉教えたのは?」
「うわぁっ?」
 逆に顔を覗き込まれて、フェレットはよろけて椅子から転げ落ちた。
 言葉の主はアイであり、彼女が投げかけている視線は冷え切っている。
 アイは何となく察して、リィに小声で正しい意味を教えてあげるのだった。
 フェレットはどうすることも出来ず、椅子から落ちた後、なんとなくその場に立っている。
「え……」
 たった一秒足らずで、リィの顔がまるで照った太陽のように紅くなった。
 何も言葉は言わない。
「ま、まぁ…気にするなよリィ。忘れてしまおう」
 フェレットは再び席につき、リィの肩をぽんと叩いた。
「もしかしたら君の記憶を探す手助けになるかもしれないと思って、わざと言ったんだ」
「意味が分かりません!……全く、銃があったら発砲してましたよ。間違いなく……」
 ははは、とフェレットは笑った。
 何とかして話題を逸らそうと考えながら。
「……でも」
 リィは目の前にあったワインを一口飲んだ。
 彼女は別段酒に強いほうではない。
「本当に良かった、無事で。これでまた、貴方と一緒に航海が出来ます。またあの楽しい日々が始まるんですね……」
 こんな言葉を口にしたら、この想いが届いて伝わってしまうだろうか?
 酔いのせいで、境界線が曖昧になっていることにも気付かない。
「過去の記憶も欲しいけど……今はただ、みんなと一緒に未来を探せることが嬉しいんです。――ありがとう、フェレさん、かおるさん、アイさん。私をここまで連れて来てくれて」
 その言葉をかおるは聞いていない。
 アイには届いていたが、返事をする役はフェレットに譲ってあげた。
「どう致しまして。……航海の途中にさ、他の何よりも綺麗な宝石が落ちていたとしたら、どうする? 当然、拾うだろう。……つまり、そう言うこと。礼を言いたいのはむしろこっちさ」
 一緒に探す未来、か。
 二人のやり取りを聞いていて、アイは思った。
 この先にある未来はきっと明るくて、こんな瞬間がきっとこれからも続いて行くのだと、そう思えた。
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  1. 2005/06/30(木) 16:02:49|
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