航海タイム

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第十九章 光(後編)

4

 果て無く続く海岸線。
 この辺りは海賊も多いと聞かされており、ヨーロッパから南下してきた際にも、陸伝いに進むのは避けて来ていた。
 そしてその情報は確かに間違っていなかったのだ。
 メルキオールを首領とする海賊団もまた、ルアンダから南へと続く海岸線の辺りを根城としていたのだから。
「そろそろだ」
 ニ日とちょっとの間、かおるは殆どずっと無言でいた。
 だからその言葉もまた、二十数時間ぶりに放たれた声であった。
 慣れ親しんだ船員達も、フェレットでさえも話し掛けることができない程、彼は鬼気迫る表情をしていたのだ。
 食事も、睡眠も取っていない。
「そろそろって……こんな近くに海賊が居るなんて……」
 フェレットは単純に驚いた顔になっている。
 海賊達の軍勢がどれ程のものなのかは解らない。
 だが、その海賊達がもし町に押し寄せてきたらと思うと、空恐ろしくなる。
 間違いなく、ルアンダの町などでは防ぎきれないだろう。
「一定の期間を取って幾つかの箇所を移動している。根城を特定されない為に。今はこの先に居るはずだ」
 さすがに危険が近いとあって、かおるも必要な言葉だけは話すようになった。
「勢力は、どれ位なんです?」
「こっちの最低十倍。最高で四、五十倍だ」
 また何と曖昧な答え。
 フェレットは眉を潜めて黙り込んだ。
(こっちが一隻、しかも沈む寸前なんだからそりゃ十倍はいるでしょうよ。まさか、出遭うなり撃ち込んでこないとは思いたいけど)
 向かう先にいる海賊は、かおるさんの知り合いばかりのはずなんだから。
 ……あの子達を殺したのも、その海賊どもの差し金と言う訳か。
 それなら、攻撃してきても不思議は無い、か……?
(何時でも逃げれる準備しとこう)
 戦いを見届けるとは言っても、そうする事で命を失う訳にはいかない。
 ただ戦いを挑むだけなら、それは自殺行為そのものだ。
 幾ら今のかおるさんでも、まさかそんな気は無いだろう。
 そう願うしかない。
「フェレさん」
 不安げな声でリィが呼びかける。
「います。この先に」
「見えたか?」
「ええ。うっすらとだけど」
 フェレットは目を凝らして見るが、何も見えない。
 時刻は真夜中。
 視界が利かないこの状況で襲撃されれば、ひとたまりも無いだろう。
 さらに数分進み、ようやく他の面々にも敵の存在が視認出来るようになった。
 まるでかかり火が焚いてあるかの様だ。
 所々にぽつん、ぽつんと赤色が点在している。
「帆が赤い……?」
 疑問の色をした声でフェレットが呟いたが、それを向けた相手はこちらに振り返らない。
 フェレットの苛立ちは募る一方であった。
 不安は最早極限、これ以上重なるスペースそのものが存在しない。
(正直、今のかおるさんはまずいかもしれない)
 普段からして特別冷静なイメージは無いが、今は完全に頭に血が昇ってしまっている。
(何とかしてあの人を冷静に。いや、無理か)
 そんな手段が無いことは、考えれば容易に判る。
(仮に僕がかおるさんの立場だとしても……犯人を許して置けるはずが無い)
 かおるさんにとって誰よりも――きっと僕らと同じか、それ以上に大切な存在。
 それを踏み躙られたのだ。
 一体、何の意図で?
 それはきっと訊ねなければ解らないだろうし、今は訊ねても無理だろう。
 そしてそれをする時間ももう、ない。
 幾多もの、赤。
 うち一つが、ゆらりと蠢いた。
「戦闘準備を」
 指示を下すフェレット。
「要らんよ」
 だが、かおるが即座にそれを止める。
 唖然としたのはフェレットだけでなく、全船員だ。
(もう勝手にしろ!)
 フェレットは思った。
 これで撃沈されて皆海の藻屑と消えてしまっても、自分の責任ではない。
 元よりこのガレー船の主は僕では無いのだ。
 こちらへと、船が一隻だけ向かってきた。
 それを見て、フェレットらは益々訳が分からなくなる。
(向こうに戦闘の意思は無いってことか? そうだろう。そうで有ってくれ)
「あ、あの船に火薬が積んである、なんてことないですよね……。傍に来て爆発するとか……」
 リィの声にも「有り得ない」と返事することは出来なかった。
 だって、その船はあまりに不気味な外見をしている。
 他の船とは違い、帆は赤くない。
 鉄張りの黒い船体に黒い帆、さらには髑髏の紋章まで付けられているのだ。
 普段ならばジョークとして笑い飛ばしてしまいそうな程の、不気味な外見。
「あれは”人畜無害”だ」
 意外にもそう、かおるが返答をした。
「……安全ってことですか?」
「いや、船の名前」
「そうなんですか……」
 誰かの船と似たネーミングセンスだと、リィは思った。
 緊張感をいきなり寸断されて、妙な気持ちのまま、そのフリゲート船の来訪を迎えることとなる。
 攻撃を仕掛けてくる様子もない。
 フリゲートは”永久機関”の間近までやって来て、そして止まった。
 ここまで近付けば、さすがに向こうの船員達の影も目に入る。
 数は間違いなくこちらよりも多く、そして皆こちらのことを見ていた。
 攻撃もしないし、声を掛けてくる訳でもない。
 何をしているのかと思えば、やがて船から船へ小さな橋が掛けられた。
 ”永久機関”から起こしたリアクションではない。
「渡って来いってことかよ……」
 フェレットが呟き、足を一歩前へと進めた瞬間。
「用が有るのは一人だけだ。後の奴等はそこに留まってろ。少しでも変な素振りを見せたら撃つ」
 そんな声が響いてきた。
 思わず、宙に上げた左足が浮かんだまま、そこで停止する。
「さぁ、来いよ」
 再び届いてくる、男の声。
 それは、リィには聞き覚えのあるものだった。
 声もそうだが、ぼんやりと見えている姿もだ。
(あれは確か、アスナさんと一緒に居た……クライドさんだわ。かおるさんの過去の話にも出てきた)
 海賊団にかおるさんを連れ戻したのもあの人のはず。
 油断は出来ないけれど、しかしいきなり殺し合いが始まることは無いだろう。
「じゃ行って来る」
 かおるはぽつりとそう言って、タラップを渡り始めた。
「ちょっと、かおるさん!」
 フェレットを始めとした、船員達の声が一斉に放たれる。
 しかしそれは、彼の足を止める程の力を持ったものではなかった。
「本当に知らねえぞ! もう」
 フェレットとしてもそう吐き棄てるしかない。
 動けば銃で撃たれるとあっては、さすがに何も出来なかった。
「仕方無い、僕らはこの場で制止だ。とりあえず遺言は今の内に考えとけ! 辺りに居る海洋生物どもに、胸を張って聞かせるつもりでな!」
 更にやけくそになってそう叫ぶ。
 にしてもこの状況――針の筵の上に立たされている気分だ。
 前方にいる多数の戦闘艦。
 どれか一つでも砲弾を浴びせてきたら、即座にお陀仏だろう。
(何とかして、かおるさん。本当に頼むから)
 そしてこの状況においても、結局はあの無謀極まりない男のことを頼るしか出来ない自分に、フェレットは憤りとやりきれなさを覚えるのだった。

5

 かつてメルキオール海賊団の双璧と呼ばれた二人の男。
 今、戦士の顔をして再び顔を遭わす。
「久しぶりだな」
 クライドの声に、かおるは何も返さなかった。
 表情は透明色。
 しかしきっかけが有れば箍が外れ、そこから感情が溢れ出るだろう。
「知ってるか。マー坊達が死んだのを」
 そう声を吐きながら、つかつかと歩いて来る。
 そのまま襲い掛かるつもりなのだと、そう判断した船員達が二人の間に割って入った。
 邪魔だ、とそう言わんばかりに。
 船員の内一人の顔面に、かおるは迷うことなく拳を叩き込んだ。
 地面に崩れてのた打ち回る船員。
 それを見て、さらに三、四人がかおるのことを囲んだ。
「どけ」
「出来ません。貴方の頼みで有ろうとも」
 船員の一人は言った。
 この船の名は”人畜無害”――かおるが海賊団に居た際に使用していた船。
 船員達とも顔見知りなのだ。
「この船の水夫じゃなければ、殺してる。しかしこれ以上行く手を遮るなら、殺す」
「おいおい。てめぇは本当に狂犬みてぇな奴だな」
 クライドはわざとらしく、茶化すような口調で言った。
「お前ら、どいてやれ。ちゃんと話してやるから、その代わりてめえも少しはじっとしてろ」
 その指示で、かおるの包囲は解かれた。
「ガキ共はみんな死んだか?」
「アスナは無事だ。だが後は死んだ」
「そうか」
「知らなかったのか」
「手を下したのはこの船団の奴じゃねぇからなぁ」
「メルキオールの差し金だろう!」
 かおるは激昂した。
 しかしクライドは動じることなく、それどころか笑みさえ浮かべている。
「『何故殺した』。そう訊きたいんだろう?」
 大サービスだ、話してやる。
 かおるの表情を見下すようにしながら、クライドはそう続けた。
「要するに俺は、お前とガキ共の監視役だったって訳よ。今まで気付いて無かったとは相当間抜けな野郎だな、テメェも」
「何だと……」
「メルキオールはお前の力を何より欲しがっていた。以前お前がいなくなった時も、メルキオールは俺達に『命に代えてでも探して来い』と言った。だが、結局見つからなかった。数年も経ってベルゲンで遭ったのは本当にたまたまだったからな」
 そしてかおるが再びメルキオールの元に帰って来た時……その喜びようは、大変なものだった。
 その声はただ淡々と事実を語るのみ。
 薄ら笑いも消え、クライドは語り手のように話を続けた。
「だが、テメェはもうすっかりあのガキ共に骨抜きにされちまってやがる。だからあのガキ共を飼って置くことにしたってワケだ。お前がそれで海賊を続けてくれんなら、仕方無えってな」
「なら、何故……」
「元々それはメルキオールにとっても本意じゃなかったからな。我慢の限界が来たって所だろう。俺もそう詳しくは知らん、後は本人に訊くんだな」
「お前は知っていたのか? メルキオールが子供達を殺そうとしていたことを」
「ああ。まあしょうがねぇと、そう思ってたぜ。あんな薄汚ねぇガキ共が死んだところで、世の中何も変わらんからな」
「そうか。残念だ」
 かおるは剣を翳した。
 クライドも腰から獲物を抜き、同じように翳す。
 海賊団の双璧――”海狼”と”黒き虎”。
 剣を交えるのはこれが最初で、そして最後になるだろう。
「クライド様……」
「てめぇらは黙ってろ」
 船員達を制し、そして一対一の勝負に臨む。
 隙を窺いつつ、二人はその場で構えている。
「お前はヒゲの生え方以外はまともな奴だと思っていた」
「変人にまともと思われてても、何も嬉しくねぇな」
 びゅうと、風が吹いた。
 それは目に見えないほどの量の砂を運び、そしてそれが二人の間の空 間に少しだけ流れた。
 合図を受け、二人は疾る。
 二つの光が夜の空間を切り裂き――勝負は、その一瞬でついた。
 船団の帆よりも鮮やかな赤が飛沫となって舞い散る。
 倒れたのは――クライドだ。
 かおるは剣を鞘へとしまい、そしてクライドのことを見下ろした。
「子供達はお前のことも好きだったよ。何故こんなことになった?」
「海賊が、人を殺すのに、何故もクソも無えだろう」
 げほ、とクライドは血を吐いた。
 身体が二つに裂けかねない程の傷を負っている。
「お前は、あの子達のことを……」
 かおるの表情に、悲しみの色が混じった。
 眼の前に居るこの男の死が悲しいのではない。
 あの子供達と過ごした日々、その内の三分の一位だろうか――子供達と一緒に、クライドはいた。
 子供達も最初は恐がったがやがて受け入れ、そして仲の良い友人となった、はずだった。
 あの幸せの光景の中に、僅かでも偽りの色が雑じっていたことが悲しくてならなかった。
「かおる船長」
 物音がしなくなった空間に、か細い声が響いた。
 本来はそうでないのだけれど、躊躇いがちに発した為そうなったのだ。
 かおるが振り返ると、そこには一人の船員が立っていた。
 この船の副官を務める男で、かおるもよく知っている人物だ。
「クライド様は、ずっとメルキオール様の行動を止めようとしていました。子供を殺す理由など何も無いと」
「何?」
「しかし無理だったのです。メルキオール様は全く聞き入れようとせず……結局この船の面々とクライド様の耳には入れずに、手を下してしまったのです。クライド様は出来る限りの尽力をされました。しかし一人ではどうにもならなかったのです……」
「HIGE」
 かおるの表情に、焦りの色が浮かんだ。
 それを見て、クライドはくっくっと笑う。
 血を吐きながら、さも可笑しそうに笑っていた。
「らしくねぇ、顔してやがるぜ」
「何故黙っていた!」
「それが俺に出来る償いだったからよ」
 かおるのほうを見ていたその黒い瞳が、空へと向けられた。
 上空はただ黒いだけ、何も見えない。
 いや……点々と、白色が浮かんでいる。
 それは雲ではなかった。
 目が開けられなくなる程、眩い白色だった。
「悪役に徹して死んだほうが、楽だってのも……有るしな。『実は良い人でした』なんつわれても、お前も反応に困るだろうよ。……あのガキ共もな」
「アスナに伝えることはあるか」
 命の灯火はじき消えるだろう。
 最早してやれることは他にないと判断し、かおるは訊ねた。
 しかし、言葉は返ってこない。
「HIGE!」
「ああ。ちっと考えたが、別に何も無ぇ。あれはもう、十分大人だし、何も言わんでもやってけるだろうよ」
 それより。
 そう挟んで、クライドは続けた。
「テメェは大問題だ。言いたいことが有り過ぎて、死んでも死にきれん。……だからテメエには言っとく」
 まるで砂時計が落ちるかのように、黒を少しずつ染めていく真逆の白。
 白――?
 違う、それは光だ。
 段々とその割合が増えていく。
 やがて全てが光に覆われて……終わるのだろう、それで。
 クライドは実感した。
 もう直ぐそこに、死がやって来ているということを。
「……あのガキ共のことを想うなら、テメェは生きてやれ。この先ずっと……生きて生きて、生き続けろ」
「俺がHIGEの後追い自殺をするとでも思っているのか?」
「この後、奥に向かうならば、そうなる。だから、止めておけ。……メルキオールの……この海賊団のことは全て忘れて、別の所で生き続けろ」
 声が段々と擦れていく。
 聞き取り辛い質のものになっても、全ては真っ直ぐに耳へと伝わってきた。
「ガキ共の、仇討ちなんぞ、考えるな。殺、される、だけだ」
「無理な注文だ」
「テメェって奴は。まぁ、素直にはいと言われても、気持ち悪い、がな……」
 息も絶え絶えになりながら、クライドは呆れ顔を作ってみせた。
「ふ、ははは」
 そうして笑う。
 心から楽しそうにして。
「お互い……堕ちたもん、だな。人殺しが仕事、のはずの、俺達が……あんなガキどもの、為によ」
「HIGE」
「……悪くねぇ、か。それも」
「おい、HIGE!」
 かおるは再び彼のことを呼んだ。
 しかし返事は無い。
 二度ともう、言葉を言わないだろう。
 身体も動かないだろう。
 彼はもう、光に呑み込まれてしまった。
「かおる船長。私達は貴方に従います」
「連れて行ってくれ。メルキオールの元へ」
 ”人畜無害”の船員達にそう伝える。
 その意思は、微塵も揺らぐことがなかった。
(すまんな、HIGE)
 しかしお前の心配は杞憂に終わるだろう。
 俺が、この手で何もかもを終わらせてくる。
 全ての原因はこの手に有るのだから、俺がやらなければいけない。
「……いや、船長」
 船員の一人が驚愕の声を吐いて、前方を指差した。
 その先から迫り来るのは巨大な海の要塞。
 全長約六十メートルは有るだろうガレアス船だ。
 動きこそ素早くないが、こと火力においてこの船の右に出るものはいない。
 前方に取り付けられた巨大な衝角(ラム)の一撃をまともに浴びれば、大抵の船は木っ端微塵だろう。
 あのガレアス船の名は”ルーレライ”。
 他ならぬこの海賊団の首領、メルキオールの乗る船。
 配下の船を留めて置き、自ら出向いてきたその真意は?
「同じと言うことか。奴も」
 そうだ、昔からどんなことでも、自らの思い通りにならなければ気が済まない奴だった。
 いい加減、結末の一ページをめくることを待ちきれなくなったのだろう。
 そこに描かれているのが何か――誰が死し、誰がそこに立っているのかを、確かめたくなったのだろう。
 ”ルーレライ”もまた眼前まで迫り、そして立ち止まる。
「来い」
 メルキオールの声だ。
 それに誘われるようにして、かおるは再び歩き出す。
「私達はどちらの手助けをすることも出来ません。どうぞ、ご無事で」
 副官の男の言葉。
 今、かおるは彼らに対して完全に背を向けていた。
 後ろから撃とうと思えば、簡単にやれただろう。
 ”人畜無害”は決して長い付き合いをした船ではない。
 一度海賊団を抜け、数年の時を経て戻ってきてから乗ることになった船だ。
 だから、この船の水夫達ともそう親しい仲には無い。
「ああ」
 それなのに、まるで長きを暮らした家から出て行くかのような寂しさを感じる。
「そっちもまぁ、テキトーに頑張れ」
 たった一年足らずでも、海に出る時はいつだって一緒にいた仲間だ。
 俺のテキトーな命令にも、時にはぶつくさ言いつつも、ちゃんと従ってくれた。
 付き合いが短くとも、彼らは確かに仲間だったろう。
 かおるは自分の心に向け、そう訂正をした。
 ”ルーレライ”から伸びて来ている架け橋を渡ると、そこには百人を超す海賊達が武器を持ち、待ち構えていた。
 かおるの場所から最も遠い位置に、この海賊団の首領はいる。
 暗闇のせいもあって、声は聞こえても表情は見えなかった。
 声だけではない。
 エメラルドの波よりも高い音色が、場に響き渡ったのが聞こえた。
 それは、メルキオールが指を鳴らした音だ。
 合図を受けるや否や、船内を埋め尽くしていた海賊達が一斉に襲い掛かってきた。
 剣、槍、斧。
 それぞれの武器を振り翳し、四方八方から、ばらばらに。
「下らん趣向だ!」
 最も早く到達したのは、三人の海賊。
 かおるの剣は閃光と化し、それらを全て一太刀の下に切り落とした。
「生憎、俺はこの船の水夫をろくに知らん。容赦は出来んぞ」
 冷たく言い放つも、その声を聞き取れたのはたった数人だっただろう。
 関係無く、海賊はかおるの腕を掴もうとし、足を千切ろうとする。
(邪魔だ……)
 纏わり付いてくる魍魎どもの体を、まるで風を割るかのように引き裂いていった。
 圧倒的劣勢のこの修羅場において、冷静さと獰猛さを併せ持った剣技でもって、全てを砕いていく。
(何と虚しき事をしている。自分は!)
 腕を飛ばし、首を叩き潰しながら、かおるは思った。

6

 孤独な闘いが始まってからずっとの間。
 ”永久機関”にいる面々は、その惨状をただ眺めていることしか出来なかった。
 かおるは元々あの海賊団の一員であった。
 だからこそああやって奥へ進むことが出来たのだが、自分達はそうはいかないだろう。
 下手な行動を取れば、直ぐに集中砲火を浴びて沈められてしまうはずだ。
 その証拠に、こちらを牽制するかのようにして、三隻のフリゲート船が周囲を徘徊していた。
 かおるが渡っていったあのガレアスまでの距離は、そう遠くない。
 地獄と見紛いかねない狂気の声も、全て届いてきていた。
「何っ?」
 勢いよく、こちらに飛んでくるものがあった。
 それは誰にも当たらず、丁度リィが立っている付近の地面に激突し、転がった。
「あ……いやあっ!」
 リィは吐き気を催して、思わず右手で口を覆った。
 あのガレアス船から落ちてきたそれは、人の上半身だったのだ。
「まだ……二つ三つ、飛んできそうな勢いでやすぜ……」
 船員の一人が戦慄に彩られた声でそう呟く。
 馴染み親しんだ人間でさえ、あの場で死闘を繰り広げるかおるを見て、恐怖を覚えることしか出来ずにいた。
 助けに行くことが出来ない自分達の不甲斐無さを呪うより前に、ただ「恐い」としか思えずにいたのだ。
「化け物、ですぜ。あれで勝っちまったら」
 今まではその化け物という単語も、幾らか冗談めいた含みをもって響いていた。
 しかし今は違う。
 彼が何処か別の場所に行ってしまうような……行ってしまったような、そんな気がしてならなかった。
「リィ、平気か」
 口を押さえて蹲ったままのリィの背中に、フェレットが優しく触れた。
 しかしリィは返事を返せない。
 仕方無く彼女の身体に触れたままで、フェレットは再びあの喧騒へと目を向けた。
 暗闇に閉ざされていてよく見えないけれど……絶えず、何かが飛び散っている。
 それは血か、肉片か。どちらもだろう。
(……目を背けるな)
 幾つもの思い出の中で、彼が口にしてきた間の抜けた――大好きだった台詞の数々。
 その何もかもが、当て嵌まらない……今のあの人には。
(目を背けるな!)
 全身を震わせるその感情を、フェレットは強引に抑え込んだ。
(あれが、あの人だ。受け入れるんだ!)
 彼がたとえ猛獣であろうと、修羅であろうと。
 仲間である事実が揺らぐ理由にはならないだろう!
 自らの心を両の手で強く握り締め、何もかもを吐き出すかのようにしてそう叫び、言い聞かせた。

 船を浸す紅の海は、さっきまでそこにあった嵐が残していったもの。
 或いは嵐を熾したのは、彼の手に握られているその剣だとも言える。
「満足か、これで」
 羽織っている黄土色のドルマンも、黒色のトルコ帽も全て、ただ一色に染め上げられている。
「別に。当然無事でいるだろうと思っていたからな」
 この場にいるのは、たった二人だけ。
 海賊団の主メルキオールと、かつてその部下であった男。
 彼ら二人の周りに有るのは、躯、躯、骸。
「クライドでさえも、倒してきたか。なら当然俺のことも殺す気なんだろうな」
「そうする理由が有る。そしてその理由を生み出したのは貴様だ」
「俺にも、あの子供達を殺す理由があった。利害と利害が対立するならば、対決も止むを得ないと言う所か」
「言ってみろ。理由を」
「指図するな。俺に」
 ぎん、と視線が絡む。
 激しい剣戟が響いたかのようになって、その後暫定的な静寂が戻る。
「かおるよ」
「何だ?」
「俺をどのような人間だと思っている」
「ようわからんヤツだと思ってる」
「それだけで済ますとはな」
 玲瓏な声で、メルキオールは笑った。
 こんな場所にいなければ、誰もがこの人物のことを海賊などとは思わないだろう。
 美しく整った顔立ちをした、中性的な雰囲気をした海賊。
 比類する人物は、恐らくこの海にはいない。
「彼らは関わり過ぎたんだよ。俺とお前にな」
 メルキオールは言った。
「俺がどれだけお前の事を欲していたか解るか?」
 美しき青年の容貌――その瞳に、僅かな色が混じる。
「お前がいて、クライドや他の奴らがいて、そして俺達は様々な海を進んでいた。充実した時間だったよ」
「別に」
「それを奪ったのは、あの子達だ。俺がお前から大切なものを奪ったように……な。そう言えば、俺の気持ちが解るだろう?」
「ヌヘッ」
 かおるは憮然とした表情をしたまま、理解不能な言語で吐き棄てた。
「そもそも俺がいなければ、あの大火に包まれて子供達は死んでいた。今更もう一度死んだところで、少しでも長生き出来たんだ。満足だったろうよ」
 そこまで言い、メルキオールは一端言葉を区切る。
 一瞬の静寂を挟み、再び口を開いた。
「もっとも……あの時にしても、あの子達がお前にとって大事な人間だと聞かされたから生かしてやったまでだ。……お前の為に生かしてやったんだよ。そのことを忘れて刃を向けるとは、お前も恩知らず極まりない男だな」
「メルキオール」
「何?」
「俺の中に、お前の描かれた絵は無いよ」
 相手の言葉の拍子を崩すかのようにして、かおるは言った。
 その言葉は、メルキオールの眉を僅かに動かさせた。
「あの子らと出逢って無くなったんじゃない。最初から無かったんだ」
 ずっと、白だけで満たされていた。
 何も描かれていなかったその絵……キャンバス、か。
 メルキオール、クライドと共に過ごした日々も、そこには何をも添えてくれなかった。
 白が白であることを、ただ強調しただけだった。
 彩りを加えてくれたのは、子供達。
 見たことの無い様々な色を塗ってくれた。
 乱雑なようでいて、しかしこの世のものとは思えない程に素敵な絵を描いてくれた。
 それまでこの世界はただ白一色だと思っていたけれど、そうでないことを知った。
「確かにHIGEは良い奴だった……お前もな。だが、俺はここで充実を感じたことは一時たりとも無かった」
 かおるはそこで言葉を切った。
 さっき、メルキオールがそうしたように。
「全てはお前の勘違いだ」
 その言葉が刃よりも鋭いものだと知りつつ、そう口にした。
「そうか」
 それでもまだ、メルキオールは平静を保っている。
 保っているように見えた。
「子供、達が死ねば。選択肢を取り去ってしまえば、お前は俺達を、俺を選んでくれると思っていた」
 けれど、溢れ出てくる。
 感情が徐々に声に乗っていく。
「……最初から、俺のことは歯牙にも掛けていなかった、という訳か」
「まあそうなる」
「なら、ば」
 その感情は、ついにその体をも動かした。
 ひゅん、と風を切る音が鳴り。
「今ここでッ、選択肢に加えてやる!」
 一瞬で、メルキオールはかおるの位置まで迫った。
 その手に持った剣が、朱に染まった剣とぶつかり合う。
「有無を言わさず服従させてやるよ! あのガキ共の記憶も何もかも……朱一色に塗り潰してやる! この俺が!」
 感情の爆発。
 かおるはそれを真っ向から受けて立った。
「手加減出来んよ」
 言葉通りの、相手の受け辛い部位を狙っての攻撃。
 しかしメルキオールはそれを軽々と捌いて見せる。
「――たとえ女であっても、な」

 戦いは、それから数時間も続いた。
 百合では足りぬほどに撃ち合い、まず先に、メルキオールの持っていた小剣がぽきりと折れた。
 その隙を狙って攻撃を繰り出すが、すんでのところでかわされる。
 地に落ちていた新たな剣を拾い、再び剣戟を響かせる。
 それは獣の牙と牙のぶつかり合いだ。
 全てが必殺の攻撃を互いに弾き合う、その時間が続く内。
 メルキオールは、思った。と言うよりも、改めて再認識をしたのだ。
 この男はどうあっても、誰かのものになるような男ではないと。
 肉体が死しても、魂が断固として拒否するだろう。
 そんな奴だからこそ、惹かれた。
(俺とあいつが混ざり合うことはない、か。ならば)
 考えていられる分だけ、メルキオールには余力があったと言っても良いだろう。
 怒りに身を震わせていても、彼女はまだ理知的な部分を使用して剣の駆け引きをしていた。
「さすが、俺が惚れ込んだ男だけある」
 かおるの攻撃をかわすと同時に、小さく呟くように言った。
 そして、にやと笑った。
 笑って見せたのだ。
 俺の力はまだまだこんなものではないと、誇示するようにして。
 それはかおるには出来ない芸当だった。
 いや、凡百の敵が相手なら、彼でもこなせただろう。
 しかしこの戦いは違った。
「ヌッ!」
 いよいよ、メルキオールの突きがかおるの肩を掠った。
 攻撃のスピードはさっきまでと変わりない。
 しかし、そこにまた別の力が乗り始めていた。
 かおるの攻撃は、依然として当たらない。
「ならばせめて、俺が惚れ込んだ……そのかいというものを見せてみろ!」
 隠していた力――それは凶暴性、だ。
 かおるの剣を正確に薙ぎ払い、メルキオールはかおるの脇腹を突き刺した。
 致命傷には至らなかったが、さすがにかおるの顔にも驚愕の色が浮かんだ。
(強い!)
 まともに剣を交えたことは一度たりとも無かったが、まさかここまでの使い手だとは思わなかった。
 ……さっき、HIGEは手加減をした。
 奴が本気で戦えば、間違いなく勝負は長引いたはず。
 だがこいつは間違いなく――俺よりも、HIGEよりも上。
(ッつーか)
 自らの力がこれで全てかと問えば、そうではないと答えるだろう。
 しかし。
(眠……。腹減った。無理)
 ほんの僅かだが、かおるはそう言い訳をした。
 瞬間、メルキオールの拳が彼の左頬を捉える。
「ぐはっ!」
 剣を持っていないほうの手で殴られた。
 そんな屈辱を感じている暇もない。
 吹き飛ばされた先には、もう地面は存在していなかった。
 何時の間にか、ぎりぎりの所まで追い詰められていたのだ。
「ぬおぁッ!」
 ”ルーレライ”から弾き出され、かおるは海面へと落下した――かに見えた。
 が。
 ぎりぎりの所まで寄り添って来ていたフリゲート船”人畜無害”の船体が、そこにはあった。
 かおるは海に落ちることなく、そのままかつて自らの家であった船へと突っ込んだ。
 だが、それだけではない。
「あの、野郎……っ!」
 船上で感情を昂ぶらせるメルキオール。
 その顔に、大きな傷跡が出来ていた。
 船から落とされた瞬間にかおるが放り投げた――或いは単にすっぽ抜けた剣が、その頬を掠っていったのだ。
 ぽた、ぽたと地面に垂れるその血を、メルキオールは自分のものだと信じられないようだった。
 右手で頬を擦り、改めて赤い液体を目にして、しかし彼女は笑った。
「そう……だ。こうでなければな! 俺の目は節穴では無かったと言うことか!」
 自らの予想を超える力を持つものは、今まで一人としていなかった。
 ただ一人、あの男を除いては、だ。
 しかしその力はもう、自分の為には揮われない。
 それが残念でならなかった。
「お前達ッ!」
 メルキオールは叫んだ。
 ”ルーレライ”にはもう船員はいない。
 だから、他の船へと向けられた言葉だ。
「帆の赤くない船は全て沈めろ! あのガレー船とフリゲートだ!」
 指示を下すや否や、沈黙を守っていた赤色が、前へと進み始める。
 元より深く入り込んだ位置にいたフリゲート船”人畜無害”には、瞬く間に数十の砲弾が撃ち込まれた。

「かおるさん! かおるさん!」
 ”永久機関”から、フェレットが、船員達が悲痛な声を上げた。
 そう言っている間にもかおるが落ちていったフリゲート船には、さらに追加の砲弾が叩き込まれている。
「フェレットさん! どうすれば……」
 船員達は皆、フェレットに意見を求める。
 そう言われても、この場で即座に結論を出すには、あまりに両天秤に掛けているものが重過ぎた。
 ”永久機関”にも危険が迫りつつあることは、知っている。
 今は直ぐ近くに居る”人畜無害”がブラインドとなって、攻撃が届いてこないだけのことだ。
 あの船がやられれば……次の標的はこっちだ。
 そして今の状態では、下手をすれば一時間と持たずに沈没させられかねない。
(くそ!)
 フェレットは唇を強く噛んだ。
「退くぞ! 死ぬ気で退け!」
「フェレさん、かおるさんは!」
 リィが泣き叫ぶようにして言う。
 フェレットの唇から、血が溢れた。
 涙のように、ぽたぽたと地面に落ちた。
「かおるさんはなぁっ、僕らの想像もつかないスーパーマンなんだよ!
 だから絶対に生きて帰る!」
 この状況で、その言葉に確信はない。
「けど、僕らは違うだろう! ただの人間だから銃で撃たれれば死ぬだろう! 逃げないと話にならないだろう……!」
 しかしそう言い聞かせるしかなかった。
 何よりも、自らの心に。
 命令通り、ガレー船は後退を始めた。
 船員達は皆、むせび泣いていた。
 幸い、敵の追撃はなかった。
 その代わり全ての攻撃はフリゲート船へと集中し――最後に”永久機関”から辛うじてその姿を目にした時、それは半ば鉄屑と化していた。
「元々、てめぇらの仲間だった船だろう! これだから海賊ってのは……! 僕は百回生まれ変わっても、一回足りとも海賊なんかやらないからな!」
 去り行く光景に向け、フェレットはありったけの文句を放って棄てた。
 彼もまた、涙を流しながら。

 役者が退いた後の”ルーレライ”に、たった一人の女性が残されている。
 眼前に有る、既にその殆どが海中へと沈んでいるフリゲートを見て、その唇は無感情に笑った。
 彼女はそうして、独白を続ける。
「俺が見込んだ男なら、生きて見せろ」
 浅黒き肌をした貴公子メルキオール。
 やがてインド洋からアフリカにかけて一大勢力を築き上げた後、全権を部下へと譲り、名を変えて一人の女性として生涯を過ごしたと言う。
「これからもずっと、な。時がお前を殺すまで――」
 かおるとメルキオール。
 今後の時において、この二人が関わることはもう、無い。

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  1. 2005/12/31(土) 04:51:59|
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第十九章 光(前編)

1

 ケープに帰還を果たした時、その変わり果てた船団の姿に冒険者達は改めて戦慄し、そして悲しみを覚えた。
 船の数は半数に減り、残った船も全て今にも沈みそうな程に傷付いている。
「死んでった奴等も浮かばれねぇな。冒険者ならよ、新しい大陸を目指してる途中に死ねりゃぁ本望ってやつだろう。だが奴等は皆、金の為に死んだんだ」
 共同戦線を張った冒険者の一人、ジャン・イーヴはそう呟いた。
 呆然として、陸から空と船を見やりながら。
「だが、それは残された奴らを幸せにする宝だ。奴等は俺達を生かす為に死んだ。俺達の幸せの為、死んだんだよ」
 彼の船団のボスである男、ピオが言う。
「そう思うしかねえやな……」
 他の船団の会話。
 フェレットらはただ無言で、それを聞いていた。
 皆、それぞれに海を眺めながら。
 想いを風に運ばせながら。
 フェレットらの船団の被害も相当なもので、パングの駆る”嵐を呼ぶ鹿号”が沈没し、辛うじて船員達は救出されたものの、船そのものは海の藻屑と消えた。
 その他フェレットの”フォスベリー”やかおるの”永久機関”にしても、何とか航行は可能だが、最早戦闘をこなすことは出来ないだろう。
 きっと、今回の報酬で船団の船を全て買い換えることになるだろう。
 前々から話していた事だ。
 しかし今はまだ、誰もがそれを口にしようとはしなかった。
 それぞれの船の、命を落とした船員の顔を思い浮かべ、ただそうして海岸にいた。
「フェレッチ君、アイさん。それにギャル」
 ぽそり、と後ろから吐かれた声に、三人は振り返った。
 何時もと同じ顔をして、かおるがそこにいる。
「ちょっと来てくれねが」
「ねが?」
「来てくれないか、ってことだよ」
 意味が判らないでいるリィに向け、フェレットがさり気無くフォローを加えた。
「けど……何処へ行くの?」
「どっか」
 アイの言葉も流し気味に、かおるは既に歩き出している。
 町のほうに向かうのかと思いきや、海とも町とも違う方角へと進んでいく。
 そちらには文字通り何も無い荒野が広がっているだけだ。
 三人は顔を見合わせた。
 仕方なく、フェレットは付近にいたカリタスに声を掛けた。
「ちょっと……僕ら、出掛けてきます。多分そんなに掛からないとは思うけど、もし遅れるようだったら報酬の話しといちゃってください」
「ああ。それじゃ酒場で待ってるよ」
 礼を言い、三人はもう姿が殆ど見えなくなっている、かおるの後に続いた。
「どうしたんでしょうね? かおるさん」
「多分、話してくれるのよ。これまでの経緯を」
 駆け足で追いながら言葉を交わす、リィとアイ。
「あの子供達と何があったのか、話してくれるんだわ。……家族だって言ってた、あの子達の事を」
 そう言った後、アイはいきなりフェレットの服の裾を引っ張った。
 予想外のことで、バランスを崩して立ち止まるフェレット。
 アイとリィも、立ち止まる。
「どうしたんですか、急に」
「けど、かおるさんは戻って来てくれたもんね」
「え?」
 何に対しての”けど”なのか。フェレットはその意味を判りかねた。
「これからもずっと、この船団にいてくれる。絶対、そうに違いないわよね」
「そうですよ。じゃないと、私達がここまで来た意味が無いですもん」
 リィが言葉を重ね、二人はまた止めていた足を動かし始めた。
 フェレットも少し遅れて、二人に続く。
(いや。わからない)
 ただそれだけ思って、彼一人、無言で。
 ”かおるさんは帰ってきた”
 ”もう、何処にも行かない”
 そんなことを考えるのはよそう。
 これから僕らは真実を知り、その果てに大いなる喜びか――悲しみが待っているのだから。

 辿り着いた先。そこには何も無かった。
「ここで」
 かおるがただそれだけ言い、この場が終着点となった。
 そして語り始めたのは、自らの歴史。
 野が有って、ただ緩やかな風だけが吹くその場所で、彼らは瞬きもせずに話を聞いた。
「元々は、海賊をしていた」
 果ての地――印度の海で。
 名立たる海賊団の一味だった。
 人を殺すことは好きではなかったし、血に塗れた金銀財宝に魅力を感じることもなかったが、しかし選択肢は他に無かった。
 西から東に、或いは東から西に向かうことしか出来ない狭い海路――スペインの、ジブラルタル海峡のように。
 何年もの時間をそうして過ごし、この命が尽きるまで、それは絶えず続くのかと思われた。
 彼らに逢わなければ、きっと続いていただろう。
 それはもう十年も昔のことになる。
 海賊団の首領メルキオールとは別に、その時自分は地方艦隊として別働隊を率いていた。
 その別働隊のリーダーは自分の他にもう一人、クライドという男。
 近隣の海を牛耳る海賊団と戦闘状態になり、幾度も小競り合いを繰り返している中、あの子供達と出会ったのだ。
 元々は、自分達が襲った船に乗っていた。
 今にも落ちて来そうな、暗く重い曇り空をしていたその日。
 他の水夫を皆殺しにし、最後に船室で、小さくなって震えている彼らのことを見つけた。
 四人のうち、一人はまだ赤子。
 それを抱きかかえている少女でさえも、まだ十年生きているかわからない程に幼い。
 ”殺すな”
 そう指示をしたのは、或いは気紛れだったのかもしれない。
 彼らを連れて帰ったのも、きっとそうだった。
 元々、金なら手に余る程有った。
 外れの地に小さな家を手に入れて、彼らと共にそこで暮らし始めたのだ。
 海賊稼業と兼任での、主夫の……子育ての仕事。
 それは新鮮で、そして楽しかった。
 たまに帰ってきては彼らと過ごすその時間を、何よりも大切だと感じるようになっていた。
 そのことは海賊団の皆も知っており、しかしメルキオールの耳には入れなかった。
 別働隊を率いるリーダーとしての仕事はクライドに任せ、自らが生きるためではなく、子供達の為に人を殺し、金を手にする日々。
 それが何年か続いた、ある日のことだった。
 その日はとても乾いた風が吹き荒れる日で。
 火が何処から出たのかは解らない。
 しかし船から見えるほどの炎が、その乾いた大地を覆い尽くしていた。
 海上でそれを目にして――愕然となった。
 自らの命を投げ打ってでも子供達のことを救いに行こうとして、そしてクライドに止められた。
「あのガキどもの為に、生きてやれ」
 彼はそう言った。
 死を選ぶ気など無かったが、しかしその時にはもう、海賊をすることに何の意味も抱けなくなっていたのだ。
 全てを失ったと思い、人知れず姿を消した。
 目的も無く放浪し、そこで一人の少年と出会った。
 聞けばまだ自身の船を持ったばかりで、海に出ること自体が初体験だという。
 少年は、フェレットと名乗った。
 彼と一緒に行動することになったのもまた、気紛れだった。
 或いはぽっかりと空いた永遠の隙間を埋めたくて、気紛れを装ったのかもしれない。
「――しかし、彼らは生きていた」
 話はそれから大分進む。
 アイと出会い、そして砂漠で倒れていたリィを見つけて。
 彼らと共に訪れた北海で、もう二度と会うことは無いだろうと思っていた男に会った。
 海賊団に戻れと言われたなら、きっと応じなかっただろう。
 クライドが教えてくれたのは、子供達の無事だ。
 それは奇跡と言っても良かった。
 子供達の住む家の辺りが大火事に見舞われた日。
 その前日に、たまたまメルキオールがそこに訪れていたのだ。
 かおるが子供を養っているという噂を遅れて耳にして、かおるに会う為にやって来たのだろう。
 長く海の上で風と共に人生を歩んで来ただけあって、彼女は気候の変化にも敏感だった。
 その乾いた風から危険を察知し、そして火が迫るよりも前に彼女は子供達を家から連れ出し、安全な場所まで素早く移動したのだ。
 少し遅れてかおる達がそこに辿り着いたときには、メルキオールと子供達はもう別の場所まで移動していた。
「テメェの早とちりだったんだよ。全てはな」
 クライドは言った。
「ああ、それとてめーは俺に借金が大分有るからな。俺様の金で、あのガキどもに家をこしらえてやったんだからな」
 聞けば海賊団は、これからは南アフリカを拠点にするのだという。
 フェレットらのことを置いて南に向かったのは――再び海賊に戻りたかった、訳ではない。
 ただ……会いたかったのだ。あの子達にもう一度。
「なら……あの子らも一緒に船に乗せれば良いじゃないですか。みんなでまた冒険しましょうよ」
 ずっと黙って話を聞いていたが、フェレットはようやく声を放った。
 かおるの口からはこれ以上言葉は出ないだろうと、そう判断したからだ。
「それは出来ん」
「どうして!」
「あの子達は皆、海を怖がっている。かつて……海賊に襲われた、そのことがトラウマになってる。一度だけ船に乗せようとしたことが有るが、身体がもう耐え切れなくなっていた」
「じゃあっ……」
 フェレットはぼそりと言い、口篭った。
 言わなければいけないけれど……だけど、言いたくは無かった。
 これからのことについて、訊くのが怖かった。
 しかし、他の二人には出来ないだろう。
 最も長い付き合いである自分が、やらなければいけない仕事。
「かおるさんは、これから……」
「私は――」
 最後まで訊ねるともなく、かおるの声が静かに響いた。
 フェレットも、アイも。
 その顔に、瞬時にして恐怖心が満ちる。
 言わないで。
 言わないで欲しい。
 思いはしても、それを口には出来なかった。
「行けない。この先は。私の旅はここまでで終わりだ」
 フェレットはきつく目を瞑っていた。
 耳も塞いでいたかった。
 感覚の全てをシャットアウトして、その声を聞かないでいたかった。
 無情にも、言葉は続く。
「今まで、ありがとう」
 それはこの暖かさも冷たさも感じさせない大地に、優しく響いた。
 この人、生まれて初めてそんな声出したんじゃないかと、自然にそう思ってしまう程、肌に沁みる声。
 あの子供達の前では、もしかしたらいつもこうなのだろうか。
「……でも、アフリカに来れば会えるんでしょ? 何時でも」
 決意して、フェレットは目を開いた。
 そうだ、辛いのは何も自分だけじゃない。
 何より、別れを口にした彼のほうが、きっと身を切るような思いだっただろう。
「ああ」
「なら……うん、しょうがないもの。僕もいい加減、そろそろ独り立ちしないとなぁって思ってたところだし。うん、しょうがない」
 ははは、とフェレットは笑った。
 そうだ、また今までと同じ航海の旅に戻るだけの話だ。
 かおるさんを捜す為に倫敦を出発して、東地中海に向かって……イスラム圏やヴェネツィア、様々な場所を訪れて。
 ずっと……ずっと、何かが足りない気がしていた。
 食事の時でも、船の上にいる時でも。
 やりきれない思いを抱えていなければならなかった、あの航海に戻るだけだ。
 ――受け入れよう。
 そんな満たされない気持ちさえも、海を進むうち、何時しか波に流されて消えて行くだろう。
「かおるさん。これ」
「ンア?」
 フェレットは自分の帽子を手にとって、かおるに向けて差し出した。
 羽の付いたフラットキャップだ。何年もずっと同じものを被っていた。
「最初に出逢った時、僕は今よりずっと背が小さかった。そのままだと見失いかねないって言われて、コレを貰ったんですよ。覚えてますか?」
「ああ」
 ただそれだけの返事。
 それだけで、十分だ。
「僕ももう人並みには伸びたんでね。いらなくなったから返しますよ」
「フェレさん……」
 少しだけつっけんどんな響きを帯びた声。
 リィが心配そうに彼の名を呼ぶ。だが、その心配は当然杞憂に終わった。
「あの子達には僕はもうすっかり嫌われてそうですからね。だからそれ、家に置いといて下さい。僕が忘れたってことにして。忘れ物を取りに来たって理由付けて、また会いに来ますから」
 フェレットのそれよりも少しだけ大きな手が、それを受け取った。
「あやつら帽子を尻で踏む癖があるから、次来た時は破れて捨てられてるかもしれんけどね」
「どんな癖ですか、それ。……取っといて下さいよ。ちゃんと」
 思わず苦笑いをするフェレットだった。
 かおるも、笑う。
 大袈裟に笑い合ったりはしないし、涙を流しもしない。
 それは二人が二人とも、感情を剥き出しにすることを好まない種の人間で有るからだ。
 静かに別れるのも良いものだ……その思い出が果てしなく深く、大切なものだからこそ。
 大切な宝物。何処かに投げてしまわないで、この胸にずっとしまっておこう。
「ルアンダまでは送りますよ。帰り道は一緒なんだし、せめてあの子らに一言謝っとかないと」
「じゃ、戻るか」
 そう言って踵を返す二人。
 フェレットは振り返って初めて気付いた。
 かおるもずっと視線の中には入っていたはずなのに、気付いていなかった。
「アイさん……」
 驚き、フェレットとかおるは二人とも場に固まった。
 その視線は真っ直ぐに、アイの顔を見ている。
 もしかしたら、彼女自身も知らなかったのかもしれない。
 何時の間にか、その瞳から大粒の涙が零れ落ちていたことを。
 直ぐ真下の地面に絶えず降り続けて、止まずにいたことを。
「ごめん。ごめんね……折角、二人がいい雰囲気で別れようとしてるのに、私が、こんな」
 ぼた、ぼたと流れて落ちていく雫。
 彼女はそれをどうして良いのか迷い、両手で頬の辺りを覆っていた。
 涙は止まらない。
 リィに泣き出しそうな顔で見られても、何を言えばいいのかわからずにいる二人の顔をどれだけ見返しても。
 止め処なく溢れていく。
 その理由にも、彼女は直ぐに思い当たった。
(私がこの船団に入ったのは。入りたいと思ったのは)
 船旅をしてみたかったから?
 フェレさんと冒険をしたら、楽しいだろうと思ったから。
 かおるさんのあのとぼけっぷりを間近で見ていたかったから。
 そのどれもが間違いではないが、何より求めたものではなかった。
(そうだ。私は何よりも)
 何より求めたもの。もうじき失われてしまって、二度と手に入らなくなる。
(フェレさんとかおるさんの二人がいるこの船団が、大好きだったんだわ……)
 そんな、大好きな場所が消えてしまう。
 これが泣かないでいられるもんか。
 自分の心にまでそう言い訳をして、アイは流れる涙を止めようと試みることを、やめた。
「参ったな……。高級な酒で誤魔化せるようなもんでもないですかね。さすがに今回は」
 こめかみの辺りを指で掻きながら、フェレットはほとほと困り果てた顔をしている。
「とりあえず、ルアンダに行くまでの船旅では毎日宴会……ってことでどうでしょうか? アイさん」
 何とかこの場を収めようとばかりにリィが口にする。
 ぴくり。
 反射的に、アイの眉がつりあがった。
「”永久機関”もう沈む寸前だし、いっそ最期に船そのものを酒樽に見立てて、酒で満たすとか」
 普段と変わらぬ悪ノリでかおるも言葉を加える。
 彼らの表情には、一片の悲しみもない。
 最後まで幸せな顔をして、楽しく別れようとしているのだ。
 無理に装っているのではなく、ただ悪戯めいた顔をしている。
「ちょっと、もう! 茶化さないでよ!」
 こうなると、自分だけ泣いているのが馬鹿馬鹿しく思えてくるものである。

「――よし、決めた! ルアンダに帰るまでの時間は全て宴会にだけ費やすわよ! ”フォスベリー”も”永久機関”も”シャルトリューズ”も”コンスタンティア”もみんな、酒の嵐に巻き込んで沈めてやるんだから!」
 彼女がそう結論を出したのは、四人でケープの港まで戻ってきた時のこと。
「よっ酒大将!」
「うるさい!」
「かおるさん、ルアンダに辿り着く前に最大の危機到来ですねぇ」
「アフリカの危機やね。ひょっとしたらエメラルドの海が酒と血で染まるかも」
「うるさいうるさい!」
 四人の笑い声が縺れ合い、絡み合いながら、物悲しく響いていた。
 そして彼らはルアンダへと――旅の分岐点へと、向かう。

2

 過去最高の喧しさを撒き散らしながらの、数日間の航海。
 それはやがて終わりを迎えた。
 何もかもを吐き出した後で、言葉少なにして一行は陸へと降り立つ。
「まぁなんだ。君はまたどっか行ってしまっても、何となしにひょっこり現れそうだからな。あまり湿っぽくない別れにするとしよう」
 カリタスはかおるに向けそう言葉を投げかけて、握手を交わした。
 パングやルーファらとも同じように最後の会話をして。
 そして”永久機関”を始めとする船団の水夫達に見送られながら、ゆっくりと町から離れていった。

 ケープの町の郊外へと続く道無き道。
 フェレット、リィ、アイの三人と共に、歩いていく。
(にしても、えらく町から離れた所に住んでるんだな)
 あの少年少女達は皆、白人だった。
 それでもこの辺りの言語を話せるようだったが、やはり人種の違いは大きいということだろうか?
 フェレットはそんなことを考えて、他の事は何も考えずにいた。
「あそこ」
 指差しもせずにかおるは言った。
 風景の果てにぽつんと建っている小さな家まではまだ遠く、数百メートルは有るだろう。
「それじゃあ、いよいよですね……」
 隠しもせずに、悲しげな声のリィ。
「アフリカに来る機会……作ろうと思えば、何時でも作れるもん。また直ぐ会いに……」
「家まで行ってからにしましょうよ。まだですよ」
 アイの言葉を遮った声はただか細くて、リュートを手にして歌う時の彼の声とはあまりに違った。
「フェレさん。泣き出さないようにね」
 ぽん、とフェレットの肩を叩くアイ。
 よく言うよ、という顔をフェレットは作ってみせた。
 そうするだけで、返事が出来ない。
「待った」
 今度、何もかもを遮ったのはかおるの声だった。
 このムードさえも断ち切るような、不穏な響きをした声だ。
 珍しい、と三人は思った。
「ちょっと此処で待ってて」
 言うや否や、かおるは一人で走って行った。
 目を見合わせるフェレット達。
「ほら、私達が家に行く前に色々掃除とかするんじゃないかしら?」
「成る程ぉ。もうすっかり所帯じみちゃってるんですね」
 アイの言葉に、ぽんと手を打つリィ。
「見たいような、見たくないような」
 溜めた息を吐くと同時にフェレットはそんな声を漏らした。
「けど、寂しくなるわね。それに忙しくなるわ。これからは大事なことは私達だけで決めないといけないもの」
 アイが言う。
「ここ暫く、ずっとそうでしたけどね。かおるさんがいる時もそんなに変わらなかったけど」
「にしても、一体何分くらいかかるのかしらねぇ」
 アイが発した言葉。
 それから数分の時を待っても、かおるが戻ってくる様子は無かった。
「実は誰にも見えない所で、こっそり別れを悲しんで泣いてたりしてね」
「それもまた、見たいようであんまり見たくないですけどね。いきなり貧血になって倒れてるとかのが良いなぁ」
 フェレットとアイの二人はそんな会話をしていたが、さらに数分も待つといい加減待ちくたびれてきた。
「こっそり、行ってみましょうか?」
 言おうとして言えずにいた言葉をリィが躊躇いがちに口にすると、待ってましたと言わんばかりの勢いで二人とも頷いた。
「遅れたのが悪い」
「そうそう」
 悪態をつきながら、急ぎ足で進んでいく二人。
 少し後から追うリィ。
 つとめて陽気な雰囲気のままでいようとしていたが、やがて建物の傍までやってくると、三人とも血相を変えた。
 元々、綺麗な家ではないのは一目見ただけでも解った。
 洗練されたヨーロッパ諸国の建築物とは似ても似つかない、それこそ嵐が来たら潰れてしまいそうな家だ。
 その家の入り口の扉に、血がべったりとこびりついている。
 少しだけ触れてみると、ぽたりと地面に零れた。
 まだ、そう時間が経っていない証拠だ。
「まさか、かおるさんの……」
 顔面蒼白になって呟くリィ。
「それは無い」
 フェレットはそう断じた。
 壊れかけの、機能を半ば失った扉をこじ開けて、中に入っていく。
 入って直ぐの場所に、かおるがいた。
「かおるさん……?」
 呼ぶ声にも応じない。
 振り返りもせず、その場にしゃがみ込んでいる。
 彼のいる辺りに、飛び散っている血痕。
 フェレットは愕然とした。
 かおるは、小さな子供を抱いていた。
 少女だ。
 フェレットはかつてその少女と、言葉を交わしたことがあった。
 名前は確か……セルマと言ったはず。
 その四股は血に染まっていて、原型すら解らないほどになっていた。
 ただ、疑うしかない光景。
「い、一体、何が……」
「静かに」
 かおるは一言だけ、そう言った。
 少女はまだ、生きているのだ。
 小さな口が、微かに動いている。
 けれどもその声は、フェレット達には届かなかった。
 彼女自身もきっと、ただかおるにだけ聞かせようとして、放った声だっただろう。
 三人はその光景に入っていくことを躊躇い、ただその場に立ち尽くしていた。
 それでも眼前で、最期の会話を交わす二人のことを見ていて。
 ――少女の口が、動かなくなったのも解った。
 きっともう、二度と開かれないであろうことも。
 なのに、かおるはまだ立ち上がらない。
 呼吸をやめたその少女が、また何時か動き出すことを信じてやまないかのようにして。
 少女のことを抱いていた。
 ずっとその光景だけに視覚を奪われていたが、やがて三人は気付く。
 それよりさらに奥で、眠るように死んでいる少年の姿に。
 フェレットは唇を噛んだ。
 怒れば良い? 泣けば良いのか?
 それ以外にどう反応して良いのか、わからない。
 悲しみは確かにこの胸の内にあるけれど、自分は少なくともかおるさん程に彼らのことを知らなかったから、泣き叫ぶ権利は無いのかもしれない。
 物を言わぬ亡骸となった、あの少年。名前は……マテウスと言ったはずだ。
 前回ケープを訪れた時に、フェレットは彼と大喧嘩をしたのだ。
「かおるさん、教えて下さい。一体何が有ったんです」
 今度はちゃんと答えてもらう。
 強い意志でもって、フェレットは訊ねた。
「知らない連中が来て、この子達を殺した」
 殺した。
 死んだのだ。
 かおるの心はその事実を受け入れない。
 だから、無味乾燥を装った普段通りの声だった。
「連中? 一体、どうして……。何処に行ったんです、そいつらは」
「私も見ていない。だが」
「だが?」
「アスナとミケが、何処かに居る筈だ。生きている筈だ」
 セルマの亡骸を、かおるは優しく地面に下ろした。
 そして一瞬にして表情を変え――立ち上がった。
「頼む。探してくれ」
 心からの懇願の声。
 相変わらずの平坦な口調だけれど、皆解っていた。
「ええ」
 長きを共にしてきた仲間達が、その頼みを断る理由も無かった。

 四人は走った。
 元々船旅を終えたばかりの身だ。
 体力はもう限界に来ているはずなのに――魂も、感情も、何もかもを吐き出すようにして。
 元々、視覚を遮るようなものは何もない荒野ばかりが続いている場所だ。
 隅々まで回ることは然程難しいことではない。
 三十分も探しただろうか。
 ルアンダから真逆の方向に暫く進んだところに、一本の木がある。
 この木に辿り着いてしまったら、自分は逆方向に進んでしまっているのだと、子供達が目印として使っていた場所だ。
 何も無い荒野。
 それだけに声がよく通って響いた。
 少女の悲鳴を聞きつけて、四人は疾風と化して走った。
 視線に入るのは、四人。
 その内一人は地に横たわっている。
「かおるさん! かおるさん!」
 涙に染まった声が、辛うじて届いた。
「アスナ!」
 届いた瞬間、かおるは剣を渾身の力で投げ付けた。
 風を穿つ速度でそれは飛んで行き――少女アスナに剣を振り下ろそうとしている男の頬を貫いた。
 襲撃者の数は二人だ。
 一人は死亡し、残る一人はやって来た人間の数を目にすると動揺し、剣の切っ先を向ける方角すら迷い始めた。
 その隙にかおるは一瞬にして距離を詰め、そして顔面を撲りつける。
 男が吹き飛ばされて、持っていた剣を落としてしまっても、かおるは容赦しなかった。
 ぎゅっと首を掴み上げ、そして中空へと持ち上げた。
 フェレット達はそちらをかおるに任せ、それぞれ別の行動を取る。
 フェレットは横たわっている少年の所に向かい、後の二人はアスナを保護した。
「言え。何の目的だ」
 怒りの感情に塗れていても、完全に冷静さを失った訳ではない。
 男の肌は黒い。
 かおるはアフリカ諸国で使われている言語でそう問うた。
「答えろ!」
 強い声で再び。
 しかし、返事はない。
 残された左手で、かおるはその男の右腕を掴み、そして握り潰した。
「言葉が解らない訳では無いだろう。言え。言わなければ全身の骨を砕く」
「……目的は、金だ」
 首を掴まれていては、まともな声を放つことは出来ない。
「金だと?」
「我らの集落に、見知らぬ男が訪れた。……俺達が、見たことも無いくらいの金を用意してやるから、ガキどもを、殺せと。そう、言った」
 呻くような声。
「男の特徴は」
「……中、性的で……。それこそ女と見紛いかねない、美しい容貌をしていた」
 その声は、そこまでで止まった。
 宙に有ったはずの男の体。その頭が、激しく地面に叩きつけられたのだ。
 重力に任せたものではない。人為的な力によって、男は殺された。
 フェレット達は戦慄を覚え、その場に固まった。
 助けてもらったアスナでさえも、何も声を掛けられなかった。
 激しい怒りによって、かおるの身体は震えていた。
 握る拳に爪が食い込んで、そこから血が流れている。
「フェレッチ、君。ミケは」
 震えているのは声もだ。
 間違いない、こんな光景はもう二度とお目にかかれないだろう。
 フェレットは思った。
 怒れる獣。まるで狼の如く、鋭い瞳をしている。
 下手をすればこっちにも襲い掛かって来そうだと、本能がそう訴える。
「この子も、もう……」
 少年の目は光を映していなかった。
 胸に大きな傷口があって、血が殆ど流れ出てしまっていた。
「そうか」
 かおるは血に染まったその手で、地面に落ちている自らの剣を拾い上げた。
「アスナを頼む」
「何処に行くの! かおるさん!」
 アイが声を上げても、彼は見向きもしなかった。
 もう、装うことも出来ない。
 感情が溢れて抑え切れない。
「奴らを殺しに行く」
「奴らって誰よ!」
 かおるの足が、もう待てんとばかりにそこから走り出した。
 破壊衝動に駆られて、ルアンダの町のほうへと向かう。
 アイはただ呆然とするだけで、それを追えない。
 しかし、フェレットは違った。
「リィ! アイさん! その子のこと、見てて!」
 直ぐにかおるのことを追おうとし、走って行こうとする。
 そんな彼のことを、ぎゅうと抱き締める少女。
「リィ?」
「フェレさん、置いていかないで!」
 その絞り出したような泣き声に、フェレットは思わず足を止めざるを得なかった。
「私、恐いんです。自分が……たまに、別の人間に思えることがあって。人の血を見ると、別の私が顔を出しそうで……。だから……置いて行かないで下さい。傍に居て下さい」
「なら君も来い!」
 自身の胸へと回っていた少女の手を引き剥がし、そして自身の右手で、彼女の左手を強く握る。
 手を取り合って、かおるのことを追って行った。
「かおるさん。……みんな」
 アイはアスナのことを抱きながら、そのままそこにいた。
 彼らのことを追うという選択肢はもう残されていないのだと、知っていた。

3

 ルアンダの民の誰もが振り返るほどの速度で、かおるは只管走り続けた。
 靴がぼろぼろになって足が傷付いても、動きは一寸たりとも鈍らない。
 酒場の横を通ると、聞き慣れた仲間達の歓声が響いていた。
 しかしそれすらも取り合わず、海の方へと走って行く。
(何故だ。何故……今になって、何故そんなことをする)
 胸の内を支配する思いは怒りだけではなくなっていた。
 完全な信頼関係にある訳では無かったが、しかし自分は確かに、あの若き首領のことを認めていたのだ。
(返答次第では。いや)
 何を言おうとも、取る行動は揺るがない。
 八つ裂きにしてくれる。

 そして海が見えた。
 その前に、港に停泊している船の姿も。
 迷うことなく、かおるは”永久機関”へと向かった。
 丁度、船にはタラップが掛かっていた。
「せっ、船長! 一体どうしたんでやすか!」
 船の傍に一人の水夫がいて、その水夫はかおるを見るなり慌てふためく。
 当然だ、もう二度と会えないと思っていたのだから。
「船の準備は出来てるか!」
「は、はぁ。カリタスさんの指示で、丁度整備をしてた最中でやすから」
「直ぐ出港だ!」
 返事を待たず、かおるはタラップを渡って行く。
「けど、今は半数が外に出てて、ギリギリ船を動かせる程度の水夫しかいやせんぜ!」
「動くなら構わん!」
 その水夫もかおるの後を追い、船に渡った。
 渡り終えるとすぐ、タラップをしまおうとする。
「オイッ、待て! 僕らもいるぞ!」
 その時ようやく、フェレットとリィの二人も港までやって来た。
 彼らは酒場で”フォスベリー”の船員を頼ったが、出港の準備が出来ていないし、直ぐには出来ないと断られたのだ。
 仕方なく、”永久機関”に乗せてもらおうと、かおるの後を追ってきた。
 しかし生憎、二人の声は”永久機関”までは届かなかった。
 タラップが段々と縮んでいく。
 陸から離れて、船の方へとしまわれていく。
 しかし、まだ届く距離だ。
 辛うじて……死ぬ気でダイブすれば。
 フェレットは迷わなかった。
「僕らもっ、乗るッッつーのォ!」
 渾身の力で飛翔し、そしてぎりぎりの所でタラップに片足を乗せる。
 歯を食いしばって、何とかもう片方の足も。
 そこまでしたところで、”永久機関”の水夫もまた、フェレットらの存在に気付いたようだった。
「あっ、フェレットさん! それにリィさんも!」
「遅い! ずっと呼んでただろうが!」
 心臓をばくばくさせながら、フェレットは怒鳴った。
 かおるは全くこっちに振り返る気配はない。
 仕方なく、フェレットが勝手に指示を送り、そしてタラップをもう一度陸まで伸ばさせた。
 立ち往生していたリィを船に誘う。
 彼女ももうこれ以上は走れなかったようで、倒れるように甲板にへたり込んだ。
「フェレットさん、一体船長は何を?」
 混乱しているのは”永久機関”の水夫達だ。
 かおるは明確な指示を下さないらしく、皆フェレットのほうへと寄って来る。
「わからん。けど、とりあえずは指示に従って」
「言われるまでも、でやすよ。折角帰ってきてくれたんだ、それこそ行く先がたとえ地獄でも……」
「地獄じゃない。――地獄よりももっと地獄に近い海だ」
 フェレットの一言で、誰もが黙り込んだ。
 別に水夫達を脅す気なんて、欠片もなかった。
 ただ真実を述べただけのこと。
(けど、それでも)
 見届けよう。
 見届けなければいけない。
 だって僕は、あの人の仲間だもの。
 ……あの時、僕は言った。
 ”重すぎて背負い込めなくて、みんなで潰れるのも悪くない”と。
(潰れねぇよ!)
 雰囲気に任せて適当なことを言うな、この口よ。
 ”航海はテキトーに”。
 誰かから勝手に譲り受けたそんな持論も有るけれど、それはそれ。
 何もかも、受け入れてやる。
 飲み込んでやるよ。
 怒りが乗り移ったかのように、彼の魂は叫んだ。
 この海全てが震える程に。

 傷付いた一隻のガレー船はルアンダを発った。
 船長以外が、行く先を知らぬ航海。
 そろそろ陽が沈むはずなのに、それでもまだ空は真昼のように明るい。
 まるで光の中に落ちて行くようだと、誰しもが思った。



  1. 2005/12/28(水) 02:49:50|
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第一回人気投票・結果発表

 二〇〇五年、十月からの二ヶ月間、十人の登場人物に対する人気投票を行いました。
 予想以上に票が入っており、ウハウハしながらの結果発表です。

第一位
koukai_banzaifelett
フェレット(91票)
 まあ主人公としてメインで話に出張ってますので、或る意味当然の結果と言えるでしょう。
 僕のプレイキャラであるせいもあってか、あまり深く考えずに自然に描いているキャラです。

第二位
koukai_banzaikaoru
かおる(89票)
 この物語の、特に最近の話ではもう一人の主人公と言った感じで描いている人物です。
 ごく普通のドラマの中に一人スーパーマンが混じっている、そんな感じで見て貰えると嬉しいです。

第三位
koukai_banzailee
リィ(73票)
 上二人は何となく予想していたのですが、彼女にも意外に票が入っていてビックリ。
 このキャラ宛てにtellメッセージが来たことも有る、一応のヒロインです。
 むしろ今後の展開でメインとなるキャラクターなので、ここではあまり語らずに置きます。

第四位
koukai_banzaikaritasu
カリタス(66票)
 ここにカリタスさんが来ました。
 実際の登場回数はそう多くないのですが、おそらくは氏の経営しているブログ”航海者達の落書き帳”人気のせいでしょう。
 フェレットらと違い、目立った短所のない優れた人物として描いているつもりです。

第五位 
koukai_banzaieye
アイ(63票)
 僅差でカリタスさんに敗れたその理由は、酒飲みという側面ばかりが描写され過ぎているせいか。
 何やら色々な過去が設定されているフェレットやかおるらと違いそう言った背景は無いのですが、それも味かなあと。

第六位
koukai_banzairotti
ロッティーナ(45票)
 元々設定が有ったキャラではなく、第九話を書く際に取って付けで生まれたのですが、主人公の船の副官と言った役どころのお陰で自然と出番が増えております。
 ゲームの方では現時点で副官のシステムは無いので、架空の人物なのですが。

第七位
koukai_banzaiclyde
クライド(HIGE)(20票)
 あまり登場していないはずなのに、意外にも七位。
元々はウルティマオンラインの小説に登場していたキャラクターなので、その時の人気を引き摺っている……とか?

第八位
koukai_banzaileticia
レティシア(12票)

第九位
koukai_banzaipangu
パング(9票)

第十位
koukai_banzairufa
ルーファ(8票)
 まぁ、現時点ではそんなに登場機会が無い人物達なので妥当な順位と言った所でしょう。
 レティシアさんはアイさんに虐められるのが主な役どころとして、これからも割と話には出続けるでしょうが。

 ニ、三ヶ月間が空いてしまいましたが、物語もそろそろ終盤。
 ここまで来たら最後まで書き切ってしまおうと思います。
 最後に、投票にご協力頂きどうもありがとうございました。



  1. 2005/12/25(日) 15:21:18|
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第十八章 血と雨と(後編)

7

 風吹き荒れる夜に、幾多もの船はそれに翻弄されるかのようにしてぶつかり合っている。
 冒険者の船のうち一隻は派手に海賊船と激突し、諸共海へと飲まれていった。
(何時終わる? 戦いも、嵐も)
 右手に握られた剣を見やった後、フェレットはそれを地面に放った。
 地面に落ちている別の剣を拾い、新たに持ち直す。
 元は誰のものだろうか? 自分の船の水夫のものかもしれないし、敵の海賊のものかもしれない。
 剣に刻まれた刻印……見たことがあるような気もするし、無いような気もする。
 そんなことを考えたのに、何故か思考は有耶無耶になってしまった。
 降り続ける雨のせいだ、とフェレットは判断した。
 極度の寒さのせいで、物事をまともに考えることすら難しくなってきている。
「……また、来る」
 視界の先は夜。
 海も、敵の船も、何もかもが黒一色に染まっている。
 ”フォスベリー”が戦っている敵の船の数は二隻。
 その二隻の海賊船達はさっきからずっと、近付いたり遠退いたりを繰り返している。
 撹乱の意もあるだろうが、まるで獲物を嬲り殺そうとしているのかのような、そんな動きだった。
 視線を船に戻し、周囲を見渡す。
 フェレットは愕然とした。
 四十五人の、皆見知った顔ばかりの水夫達。その殆どが地面に横たわっている。
(どうして、こんなことになってしまった)
 何人かはもう、こときれているだろう。
 大半は怪我と、極度の疲労によって立てなくなっているだけだ……そうだと信じたい。
 彼らを気遣っている暇は無い。
「船長! 敵船です!」
 副官ロッティーナの声だ。女性の声はこの豪雨の中でも際立って届いてくる。
 傍へと寄って来た彼女を見ると、その右肩に大きな裂傷が有った。
 フェレットは罪悪感に苛まれる。
「すまないな、ロッティ。僕のせいで……」
「怪我のことですか? それなら話は後回しです」
「しかし」
「死にたいのですか? 船長」
 その剣幕はフェレットの口を閉じさせた。
「海賊が乗り込んできたぞォーッ!」
 時を同じくして水夫の一人がそう叫び、二人は体に緊張を漲らせた。
 生き残りの水夫達――倒れていた水夫達までもが気力を振り絞り、立ち上がって敵へと向かって行く。
「私はここで、船長をお護りしますわ」
「ああ……」
 ロッティーナの声に頷くフェレット。その顔は悔しさに歪んでいた。
 何故、僕は護られる立場に居るのだ。
 ……かおるさんならば、先陣を切って敵へと突っ込んで行き――その力でもって戦いを有利に展開させるだろう。
 カリタスさんでも、上手く機転を利かせて劣勢を跳ね返すんじゃないか。
 それなのに何故、僕は。
 正解のない問題の答えを求めるようにして、フェレットの思いは闇へと沈んで行く。
 沈んで行こうとした。
 それを遮ったのは、眼前に突如現れた敵の姿だ。
「突破されたのか。こんなあっさり……」
 いや、船内は乱戦になっていて、最早誰もが自分の命を護るだけで手一杯になっている。
 現れた敵はたった一人。
 二メートル近いであろう巨躯に、巨大な鉄の斧を抱えている。
「いかにも力だけが取り得です、って感じね。醜いわ」
 毒を吐きながら、ロッティーナは一歩前に進み出た。
 傷口からは絶えず血が流れている。
「ロッティ……」
「下がってらして」
 フェレットを制し、ロッティーナは一対一で戦う態勢を取った。
 敵の海賊は下劣な笑みを浮かべてそれに応じる。
 素早く間合いを詰め、ロッティーナが放った突きの一撃――斧の大きな刃に、それは受け止められた。
 だが、敵の攻撃は大振りをするしかない。
 ある程度の間合いを取って連続で攻撃を仕掛ければ、対応し切れない筈。
 ロッティーナはそう判断をして、一歩後ろに下がろうとした。
「あぁっ?」
 しかし、そうさせてはくれなかった。
 彼女が後ろに下がろうとする丁度その瞬間を狙って、海賊はロッティーナの左足を蹴り付けたのだ。
 それだけでは大したダメージでは無いが、この雨のせいで足場が極端に悪くなっている。
 バランスを崩して、ロッティーナは転倒した。
 転倒しただけならまだ良い。
 しかし倒れた時の衝撃が右肩の怪我に響き、激痛のあまり剣を取り落としてしまった。
 そこに振り下ろされた斧の一撃。
 素早く体を回転させて、何とか回避する。
「野郎っ、ふざけたことを!」
 フェレットが割って入ろうとするも、何と言うタイミングの悪さか。
左から突如振るわれた刃。
 もう少し避けるのが遅れれば、フェレットの首は落ちていただろう。
 また、新たな海賊が現れたのだ。
「ちぃっ!」
 自分に向かって突き出された刃。
 海賊の刃を完全に避けることが出来ずに、左脇腹の辺りがぶしゅうと音を立てて裂けた。
 回避に専念していれば、そうはならなかっただろう。
 攻撃回避を試みると同時に、フェレットは反撃の刃を繰り出していたのだ。
 それは、現れたばかりの海賊の右胸の部分を的確に貫いた。
 殆ど同時と言ってもおかしくない程、近いタイミングでだ。
 刃を素早く引き抜き、今度は横薙ぎに払う。
 海賊の首を飛ばし、地面へと転がせた。それは僅かニ、三秒の出来事だ。
「ロッティ!」
 名を叫ぶと同時に、フェレットは振り返った。
 彼女はまだ海賊と戦っている。
 落とした剣を何とか拾い直し――しかし形成は不利のまま、海の側まで追い詰められていた。
 ちょっと押されれば、或いは足を滑らせでもすれば、一環の終わりだ。
 しかし足場の悪さのせいで、中々そこから抜けられない。
 フェレットは走った。
 ロッティーナと対峙している海賊のその背中に、剣を突き立てる為に。
 だが、距離は遠い。
 たった数メートルでも、この状況においてはまるで一つの海を跨ぐかのように、長く遠く感じた。
 斧の一撃をロッティーナはかわしたが、間合いから逃れられない。
 大きな左腕が、彼女の首を掴んだ。
 ロッティーナの口から、呻き声が漏れる。
 一瞬で意識が朦朧とする程、凄まじい力だった。
(そこで……止まってろ!)
 フェレットの怒り、その足が進む速さがさらに上がった。
 海賊は完全にロッティーナのみに気を取られている。
 両腕で細く白い首を握り締め、それだけに全てを注いでいる。
 待っていろ、今後ろからその背中を貫いてやる。
 彼のその願いはしかし、叶うことがなく終わった。
 ざっ。
 思わず耳を塞ぎたくなる轟音が、空間を裂いた。
 雨も、風も――空間に有る全ての音を吹き飛ばすような音が。
 確かに響いた、のだ。
 フェレットの耳には届いていたけれど、しかし実際には無音だった。
 ただ、その視覚には――彼の目には、それは確かに飛び込んできた。
 何も無かったはずの海から、その男は突如現れたのだ。
 聴覚を刺激し、錯覚させる程の強烈な印象を残して。
 海賊は海のほうを向いていて、ロッティーナを宙に吊り上げている。
 だから彼には何もかもが見えていたはずだ。
 そしてその意味を理解出来ぬまま、太い首はまるでビリヤードの打ち出された弾のように、皆の視界から逸れて飛んだ。
 支えを失い、どしゃ、と音を立てて地面に崩れ落ちるロッティーナ。
 フェレットの視線はもうそちらに向いてはいなかった。
 つかつかとこちらに歩いてくる、その男のほうだけを見ている。
 長い髪は生気をまるで感じない、白色……知っている、それが本来だと。
 肌の色も似たものだ。
 普段はただ淡い光を放っているだけの細い目は、今はまるで獣のように鋭く猛っている。
 なんと懐かしい。
 フェレットは思った。
 数週間前にも彼の姿を見ているはずなのに、何故だろうか。
 今初めて、その存在を実感した。
「どうやって現れたんです? 此処に」
「海上にたくさん船の破片が転がってたから、それを飛び移って」
 何も無かったかのように、会話を交わす。
 何時だってそうだった。
(飛び移って……えっ?)
 ロッティーナは自分では意識を保てていたつもりでいたが、その言葉は彼女に改めて、現在地点を強く認識させることとなった。
 現実では有り得ない、ここは夢の世界なのだ、と。
 大事な仲間の帰還。
 すんなりと受け入れて、フェレットはまた、戦いの場へと戻ろうとした。
 しかし。
 今までに見たことが無い表情をして、かおるの視線は僅かに下へと向けられた。
 何かを言おうとしていて、しかし口からは出ない。
「かおるさん」
 フェレットはそちらを向かずに、言った。
 視線は船上の、仲間達のほうを見ている。
「あなたは本当は色々なことを抱えてて、それはきっと僕でも、アイさんでも背負い込めない程のことで。それでも皆素知らぬ振りをして……何だかんだで、僕らはずっと一緒に来た。ずっとそうだったでしょう。だからそんな顔をしてないでください」
 あ、と何かに気付いたような声を出して、フェレットは振り返る。
 かおるの居る方角へと歩いて行き、その手前にいるロッティーナの手を取る。
 次に口にした台詞はしかし、彼女へと向けたものではなかった。
「言いたくなったら、聞きますよ。重すぎて背負い込めなくて、みんなで潰れるのも悪くない。ただ」
”ただ?”
 そう問う者はいない。
 フェレットは風の音を代用とした。
「今は後回し。溺死するのも船乗りらしいけど、大事な仲間に恨み殺されるのだけは勘弁願いたいんでね」
 透明色だったその声が、ぱっと赤色に染まった。
 悲しみよりも果てしない怒りに彩られて。
「ああ……」
 かおるはその手を、血が滲むほど握り締めた。
 そうだ、私がずっとここにいたならば、誰一人とも死なせはしなかった。
 この豪雨よりも、海賊よりも、ただ自らのことを憎いと思った。

8

 それから更に時間は過ぎて。
 冒険者達の生き残りの内大半は、皆同じことを思っていた。
 ”何故か戦況が優位に傾きかけている”と。
 或る一人の男の存在を知らぬ者はそう思い、知っている者は”何故か”の部分を取り除いて考えられていた。
(しかし今更優位に傾いても、ようやく五分と言ったところだ)
 慣れないガレー船から戦いの行方を占いつつ、カリタスはきつく唇を縛っていた。
 今更五分? いや、五分まで盛り返すことが出来ただけでも奇跡だ。
(何と言う男だ)
 頼もしさと恐ろしさを同時に感じるのは初めてのことだった。
 体力はもうとうに限界を越していたはずだ。
 それなのに、まだ動けているどころか力が沸いて来ている気さえする。
 何より敵のほうが、脅威に感じているだろう。
 ずっと戦況を見守るようにして、陣列から離れた場所にいる船が一隻有る。
 恐らくは、海賊の首領がそこに居るはずだ。
 そして敵の陣を真っ直ぐに突破している二隻の船を見て、首領は慌てふためいているに違いない。
 ”フォスベリー”、それに”永久機関”。
 各所を散々に破壊されたずたぼろの船はしかし、命の鼓動をこの海にまで伝えるようにして進んでいる。
(終わりだな。この二隻の船は、ここまでだ)
 今だってまともに砲弾を浴びれば、即座に沈みかねない。
 しかしそんな状態にある二隻の船が、快進撃を続けている。
 ”フォスベリー”は現在、一隻の海賊船と戦闘状態に入っている。
 その船さえやり過ごせば、陣の最深部に辿り着く。
 だが、敵は辿り着かせないだろう。辿り着く必要も、無いだろう。
(なら、全力でサポートをするだけだ)
 この船の主は今、自らの家を離れて戦地に赴いている。
 家族達は皆、頼りがいが有るけれども何処か頼りない、その家主に付いて行きたがっている。
 本来の船員ではないカリタスにはそんな気は無かったが、それでも今はただ、あの戦いぶりを間近で見ていたかった。

「行くぞオオォォウゥルゥァアッシャァオラァ!」
 獣の叫びと共に、敵船に雪崩れ込む戦士達。
 半数に減っていた”フォスベリー”の船員達も治療を行い、また幾らか動けるようになっている。
 先頭を行く男は隼と化し、それこそケーキでも裂くかのように人を斬って行く。
 フェレット達は付いて行くだけで精一杯だ。
「前に出過ぎるな! 自分の体力と相談して、やれると思う奴だけ進め!」
 一人の敵を辛うじて仕留めると、フェレットはそう指示を送った。
 先頭を行く男――かおるの後を無理に追っては、それこそ命が保たない。
 この海戦で何人もの仲間を失ったのだ。
 これ以上はもう、誰一人として死なせたくはない……いや、死なせない。
 最悪、かおるさんなら一人でも大丈夫だろう。
 いや、常識的に考えればそんなはずは無いのだが、けれど平気なように思える。
「船長っ、何なんですか! あの人は!」
 ロッティーナの叫びにフェレットは反応し、表情を崩した。
 戦場に居るにも関わらず、ふふと笑っている。
「ロッティ。あれが、あの人が」
「かおるさん、ですぜ。ロッティさん」
 船長の言葉を、傍に居た”フォスベリー”の船員が勝手に紡ぐ。
 楽しみを邪魔されたかのように、フェレットは細い目をしてその船員を見やった。
「……何なの、あの人は」
 独り言のように、ロッティーナはもう一度呟いた。
 思い出すのは、何時か倫敦でフェレットと交わしたやり取りだ。

『会わせたかったな、あの人と』
 ”フォスベリー”の船の上。
 剣の練習を終えた後にフェレットが呟いた言葉。
『かおるさんという方のことですか? ”永久機関”の船長だった……。よくその方のことを口にされますね』
『そりゃあね。ロッティもきっと、驚くと思うよ。戦ってみたらね』
『その方が私よりも強いと仰るんですか?』
『悪いけど間違いない』
『……船長がそこまで言うのなら、きっとそうなんでしょうね』

 あの時、内心では「そんなことが有るものか」と思った。
 しかしこの場においてはもう、考えを改めざるを得ない。
「人間じゃないみたいだわ……。有り得ない、常識じゃ考えられないわ。大体、名前からして変」
「ロッティ」
 びしり、とフェレットの声が届く。
「そこは突っ込んじゃいけない部分だ」
「はぁ……ごめんなさい」
「とにかく、やっぱり僕は思ったよ!」
 いきなり襲い掛かってきた海賊。
 その剣の一撃をフェレットは同じく剣で受けて見せる。
 隙を逃さず、ロッティーナは横からその海賊の体を断ち切った。
「僕も結構な時間、船乗りをやってるが……。今まで生きてこれたのはあの人がいたお陰だ。きっとこれからも、そうだ」
 一人無人の野を駆けるが如く突き進んでいく男を眺めながら、フェレットは誇らしげに言った。
「いえ、船長」
 ロッティーナの声に少しだけ、濁った色が混じる。
 雨と風の仕業か、フェレットは気付かない。
「これからは、違います。あの人と……私のお陰だと、そう訂正させてみせます」
 正面から見据えられて、フェレットは剣を持っていない手でこめかみを掻いた。

 かおるの前に、一人の男が立ち塞がっていた。
 歯をがちがちと鳴らしながら、かおるのことを睨み付けている。
「てめぇか? てめぇだな」
 槍を持ったその手が怒りに震えていた。
「てめえがいなければ、この戦いは俺達の圧勝で終わっていた。そうだろう」
「わがんね」
 すこぶるどうでも良いと言いたげな表情をしているかおる。
「いいか。俺はこの船の、いや、この船団で……」
 その海賊はまだ前口上を述べている途中だ。
「にッ?」
 にも関わらず、かおるは襲い掛かった。
 激しい剣戟が鳴り渡り、詰められた間合いはまた、離される。
「卑怯な奴! だが、そうでもしないとこの俺には勝てねぇだろうからなァ!」
 響く男の声。
 かおるは知らん、と吐き捨てた。
「いいか、俺の名はサビニ! この船団で最も強い男だ! この俺を殺せたらてめぇらの勝ちを認めてやる、だが絶対にそんなことは有り得ん!」
「いや、だから」
 交差する剣と槍。
 剣は胸の肉を抉り、槍は空だけを裂いた。
「ッヌォッ!」
 怒号を上げ、海賊はもう一度槍を突き出そうとした。
 が、予測不可能な速度で剣が繰り出され。
「ッッ――?」
 斬ったのでは無い、正面に突き出した一撃だ。
 なのにまるで横薙ぎにしたかのように、それは海賊の胴体を真っ二つに砕いた。
 上半身だけが地面にごろりと転がる。
「スワヒリ語で言われてもわからんて。ほら、私印度人だから」
一仕事を終え、かおるはスペイン語でそう言った。
 気付けば何時の間にか雨の勢いは和らいでおり、空からはゆっくりと日の光が覗き始めていた。

9

 数日の間、ただがくがくと震えているのがレティシアの仕事であった。
 ”シャルトリューズ”は後陣に配置されていた為、幸い戦闘回数は他の船に比べれば少なく、彼女のいる船室にまで敵が迫ることはなかった。
 それでも絶えず剣戟が響き渡っており、レティシアは自分の無力さを呪うよりもただ只管恐い、恐いと心で繰り返していた。
 ずっと絶えなかった剣戟、それが今になってようやく途絶えた。
 何もかも掻き消すほどの豪雨の音も、果てしなく吹き荒れる風の音も……聞こえない。
 しかしそれを好意的に受け止めることは出来なかった。
 例えばアイさん達がみんな、やられてしまった。
 或いは実は何時の間にかこの船が転覆していて、ここは水中だから何も音が聞こえない。
 間も無く船室にも水が入ってくる。
 ……それとも自分が実は飢え死にしていて、ここはもう現世では無いのだとか?
 考え付くばかりの、少し現実離れした事象ばかりを想像し、レティシアはまた体を震わせた。
 さらに数分もそんなことを考えた後、船室の端で縮こまっていた彼女は、立ち上がった。
(……確かめてみようか)
 恐る恐る、船室の扉の方へと近付いて行く。
 どうしようか、開いた瞬間、そこに屍ばかりが転がっていたら。
 或いは出て直ぐのところで、海賊が待ち伏せをしていたら。
 散々迷って、また時間を掛けながらも、レティシアは少しずつ足を進めていった。
 ようやく、ドアのノブを手に掛けるところまで行く。
 がちゃり。
 開いて、ドアが少し動いた。
 しかしそれは、自分の力によるものではなかった。
「ひ、あああぁぁあ!」
 そこからぬっと現れた白く細い手。
 殺される、とレティシアは思い、そのまま声にして叫んだ。
「レティちゃーん!」
 どが、と強烈な音を立てて、胴体にタックルを浴びる。
 確かに死んでもおかしくない程の衝撃だった。
 最初に座っていた位置まで吹き飛ばされ、レティシアは地面に転がった。
「あ、あが……」
「あっ、つい力の加減が!」
 言いつつも、緑の悪魔は手を緩める様子がない。
 素早く駆け寄ってきて、レティシアの体を中空に持ち上げた。
 海に投げ捨てる? いや、このまま絞め殺される?
 もうどうにでもなれ、とレティシアは思った。
「レティちゃん! 終わった、終わったのよ!」
「えっ?」
 終わった……自分の命が? いや、違う。
 レティシアはようやく認識した。
 目の前に居るのは悪魔ではないということを。
「アイさん。終わったって、何が?」
「この戦いがよ! 海賊達は逃げていったの!」
 アイはレティシアを宙に抱いたまま、ぐるんぐるんと自分ごと回転した。
「それじゃ、勝ったの……?」
 信じられないといった声でレティシアは訊ねた。
「うん。こっちもぼろぼろだし、声を大にして勝ったとは言えないけれどね。でも、敵もこれ以上の戦いは無益だと判断したんだわ。きっと」
 海賊を全滅させたかと言えば、精々半数を沈めた位だろう。
 被害が甚大なのはこちらも同じ。
 単純な戦果で言えば、冒険者達の船団のほうが劣っているかもしれない。
 しかしそれでも、確かに海賊達は退いていったのだ。
 双方が望んだ戦いだったが、全滅寸前まで争うことは不毛だと判断したのだろう。
「とにかくそうなのよ。だからレティちゃんも早く外に来て! 皆もうゆったり休んでるわ」
 拒否権というものは最初から用意されてなかったらしく、レティシアは抱かれたまま船室の外へ連れて行かれた。
「おっ、来たか。ガキ」
 グラフコスの乱暴な声が響く。
 それすら懐かしいとレティシアは思った。
 皆甲板の上にそのまま座って、今にも寝そべりそうな態勢を取っている。
 大半が怪我を負っているし、さすがに酒を飲んではいないようだ。
「しかしよくもまあ、ここまで盛り返したもんだぜ。確実に負けたと思ったのにな」
 グラフコスの声に、他の水夫達もこぞって同意の声を連ねた。
「最初は明らかに劣勢だったからな。ほんのさっきまでそうだったのに、気付けばこちらの勝ちだ。嬉しいけど、どうなってんだか」
「俺なんかもう、絶対に自分は死ぬと思ってたよ。今こうやって話せてんのが奇跡だ」
(そっ、そうだったんだ……)
 やっぱり船室に閉じ篭っていて良かった。
 レティシアは今更ながらに全身を震わせた。
「アイさん。アイさんはどうしてだと思う? なんでこっちの船団が勝てたのか」
 振り向き、その先でレティシアはきょろきょろとした。
 さっきまでここにいたはずの姿が何時の間にか消えている。
「アイさん?」
 四方を見回して、ようやく彼女の姿を見つけた。
 朝焼けに彩られた空のほうを――海の先を、彼女は眺めていた。
 船の姿は殆ど見えない。
 ただ景色だけを眺めているのだろうか?
「おかえり。また一緒にお酒飲もうね」
 そう、アイは言った。
 声を向けた先は遠い彼方。
 この海の向こうに浮かぶ船に、彼が居るのだと知って。
 その声は、少しだけ穏やかになった風にさらわれていった。

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  1. 2005/12/25(日) 03:59:18|
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フェレット(或いはスネばな)

11 | 2005/12 | 01
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