航海タイム

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第十四章 空はかようにして美しく(後編)

3

「それじゃあ行ってきまーす。フェレさん、一ヶ月位で必ず戻ってきますね!」
 ヴェネツィアの港に、リィの華奢な声が響き渡る。
 去って行く幾つかの船を見送りながら、町に残された面々もまた笑顔を浮かべている。
 結局あれから話は皆に伝わり、船団の女性陣が総出で、フュルベールのお供をすることとなったのだ。
 無論、手伝った代わりに望みのものを一つずつ買って貰うと言う約束の元で。
「アイさんには珍しいお酒、ルーファさんには交易品を買って上げると喜ぶと思います」
 最初、リィがそうフュルベールに説明をし、二人の船長の顔を歪ませたものの。
 いざ出発となると、やはり二人は女性だ。
「エレオノーラさんってあの、酒場で働いてる子よね。彼女だったら…うーん、意表をついてインドのサリー辺りを買ってきたら喜ばれないかしら」
「いや、ここはストレートにドレスをプレゼントするのが良いと思うな」
 対象の女性の下見をこっそりと済ませてきた二人、色々と議論を交し合っている。
 無論心の中では、自分達が何を貰うのかも既に考えてあるのだろう。
 ともかくそんな風にして、”フォスベリー”、それにパングの”嵐を呼ぶ鹿号”を残し、船団の船の半分以上がヴェネツィアを出て行った。
(まぁ……仕方ないか)
 話を聞かされた時、フェレットは当然難色を示した。
 だが女性陣はすっかりその気になっているし、どうせ自分はこの町で暫く、例の音楽家フランチェスから色々と歌を教わるつもりでいる。
 結局”なるべく早く帰って来る”という条件付で、しぶしぶ彼女らが出かけて行くことを認めたのであった。
 ちなみにパングも一緒に行こうと誘われたのだが、彼は「ちょっとここでやりたいことが有るので」と断ったそう。
(しかし、この数日の間に一回、皆に聴かせようと思ってたんだけどなぁ)
 これから機会は幾らでもあると言えど、自分が密かに立てていた計画が潰えてしまい、フェレットは一人残念な気持ちを覚えていた。
 別に皆に聴かせなくても、とりあえず今いる船員にだけ聴かせられれば良いか。
 そう、自分を無理矢理納得させようとする。
 そうだ、今の内に日取りだけでも決めておこう。
 日にちはどうしよう。時刻は……大体、日が落ちる頃から始めようかな。
 フェレットはぼんやりと浮かべていたが、船員達のほうに顔を向けた。
「ねえかおるさん。今度酒場でさ」
 口からついて出たのは、そんな言葉だった。
「船長、今かおるさんって言いやした?」
 船員の一人に問われて、フェレットは疑問顔になる。
「かおるさんって言った? 僕」
「言いやしたよ」
「……いないって解ってるのに、なんか口から出ちまった」
 無意識に出た言葉に不思議な感触を抱きながら、フェレットは呟いた。
 かおるさんがいなくなって、もう一年と数ヶ月も経つのに。
 変な話だ、まだこんなことを口にしてしまうなんて。
(もうそんなに経つのか)
 自分が思い浮かべたことに対して、フェレットはコメントを加えた。
何だか実感が無い。
 このままこうやって、彼の存在がこの船団からフェードアウトしていっても、もしかしたら僕達は”実感がない”の一言で済ませてしまうのではないか。
(――何をしてるんだ? 僕等は)
 それなのに、僕等は見知らぬ人の手助けをしたり、旅の楽しさを貪っている。
 ……やはり、リィ達を行かせるべきじゃなかった。
 そんなことよりもっと他にすべきことがあると、何故言わなかったのだ?
「フェレット君」
「え?」
 振り返ると、そこにはフランチェスがいた。
 フェレットは慌てて、表情を取り繕おうとする。
 だが、それすらも彼は見抜いていて。
「そう言った感情は、何かを表現するには欠かせないものだよ。今度はきっと、良い演奏が出来そうだね」
 一言だけ、そう言った。
 まるで憑き物が落ちたかのように、フェレットの表情がすっと爽やかになる。
(成る程……そんな考え方も有るのか)
 そうだな、リィ達はもう行ってしまったことだし、今更どうにもならない。
 折角演奏を皆に聴かせるんだ、とりあえずはそっちのことを考えるとしよう。
 フランチェスに言われた言葉とは真逆に、猛っていた感情は一瞬にして静波のようになった。
 とは言え、元々感情の起伏はどちらかと言えば激しい方だ。
 たとえ表面には出さなくとも、奥底では何時も、それこそ海のように絶えず流動させている。
「よーし。今度の演奏会だけと言わず、この一ヶ月間頑張るぞ」
 フェレットはもう一度決意新たに、海へと出て行った仲間達の事を見送るのであった。
 こっちはこっちで頑張るから、君らも早く用件を済ませて帰って来いと。
(にしても見知らぬ男の人助けとはな。リィ達も人が良いと言うか何と言うか……)
 ちなみにフェレットは、彼女らが”ある条件”つきで手助けをしていることを知らされていない。

4

 それから数日が過ぎ、いよいよ練習の成果を披露する日がやって来た。
 ”フォスベリー”と”嵐を呼ぶ鹿号”の船員達は早々と、酒場に集まって来ている。
 昼間から酒を食らいながら、開演を待つこと数時間。
 いよいよ今日の主役が現われ、場には酔い混じりの拍手が湧き起こった。
 パングもちゃっかりカウンターにつき、エレオノーラと何やら話をしながらフェレットの方を見ている。
 が、いざ演奏が始まったとなると、場は一気に静まった。
 リュートの奏でに乗って、優しいメロディが店内を包み込み、場にいる人々の心を、何処か遠くの世界へと連れ去ってしまう。
 かと思えば”エル・サオール”という、シンプルなメロディーの船漕ぎ歌を歌い、人々の心を今度はぎゅっと掴み取るのだ。
 幾つか歌われたその歌の全てに、フランチェスの声がハーモニーとなって乗った。
 彼の普段の話し声は特に美しくはなく、至って”普通”としか形容できないものなのに。
 ――歌うとここまで違うものなのか。
 まるで天使の歌声……とは言わずとも、人の声を超えた美しい響きを持っている。
 彼の歌声を知っている酒場の常連客達はともかくとして、船員達は皆、恍惚の表情を浮かべるしかないと言った感じだ。
 たった一時間にも満たない時間でのその演奏会はしかし、観客の心を魅了して引き離さない程にするには、十分な時間であった。
 ありがとう、と一言だけ声が漏れると、辺りからは大歓声が湧き起こった。
「良かったよ、フェレット君」
 まず労いの言葉を掛けたのは、傍で彼をずっとサポートしていたフランチェスだ。
「いや……貴方がずっと、僕の下手な部分を覆い隠しててくれましたからね。僕の歌と演奏だけ取れば、まださっぱしですよ」
「けど、これから海を行くにつれてもっと成長していくさ。最初は下手でも、海が歌を変えてくれる。そうだろう?」
「はい」
 最初この人に会った時に、フェレットはそんなことを言ったのだった。
 それを同じように返されて、音楽家の船乗りは照れ笑いを浮かべる。
「まだ君がこの町を出て行くまで、幾らか余裕があるみたいだからね。それまでの間に、出来るだけのことを教えてあげよう。だが、とりあえず今日この後は、料理と酒を楽しむとしようか」
「はい!」
 握手を交わす、音楽家の師弟。
「……なぁ、ラフィタよ」
「なんだいアチェロさん。改まって」
 そこから数メートルだけ移動して、こちらは”フォスベリー”の船員達のやり取り。
「俺はたまぁに、あの船長が別人のように見える時がある」
「ああ、俺もですぜ。一年にいっぺんとか、それ位の単位ですがね。普段はかおるさん程大物じみた雰囲気を放ってもないし、カリタスさん程の覇気も感じられないのに。でも極稀に、その二人ともまた違った、独特なオーラを出してる時が有るんだよな」
「何時ものあの人と、そのたまぁに雰囲気が変わった時のあの人。一体どっちがホンモノなんだかなあ」
「んなこた、言うまでもねぇだろうよ」
 口を挟んだのは、フェレットが始めて海に出た時からずっと生死を共にして来ている唯一の水夫、パベルだ。
「普段のちょっとすっ呆けた船長と、今みたいな、一味違う雰囲気をした船長。そのどっちもがあの人の持ち味なんだよ」
 まるで自らのことのように誇らしげに言うパベル。
 他の船員もまた同じような表情をして、頷きを重ねるのであった。
 その後、ひそひそ声になってさらにやり取りは続き。
「……見ろよ、ロッティさんのほう」
「あぁ、拍手もせずに固まったままだぜ。さっきから」
 船員達の視線が向いている先にいるのは、”フォスベリー”の副官ロッティーナ。
 意識が飛んでいるかの様に、彼女はずっと一点を見つめたまま固まっている。
「ありゃ、魅了されたと言うか。すっかりヤラれちまってるな……」
「……船長、幸せ者だよな」
「ああ……」
 今度は急にしみじみとする、船乗りの面々達であった。
 基本的にやもめ暮らしの船旅、時に幸せな恋人達が羨ましくもなる。
 まあフェレットとロッティーナの二人に関して言えば、想いは明らかに一方通行なのだが。
「よぉーし、今日は飲むぞ!」
 さて、普段の顔に戻ったフェレットが先陣を切って号令をする。
 既にフェレット以外の面々には酒が入っているのだが、改めて仕切り直しと言うことで。
 ロッティーナもようやく正気を取り戻していて、フェレットにいつ賛辞の言葉を述べようかと、待ち構えているようだ。
 乾杯の合図がなされないうちは、と、立ち上がる寸前の所で止まっている。
 だが。
 彼女が心に溜めていた賛辞の言葉は全て、吐き出されずに消えて行くのだった。
 全ては、フェレットが次に口にした失言のせいで。
「折角今日はあの口やかましい女性軍も一人残らず出払ってる訳だし、男だけで豪快に飲むとしよう!」
 何気なく口にされたその言葉。
 フェレットもいちいち発言を省みなかったし、他の船員も。
 いや、パベルだけは気付いて、ロッティーナのほうをちらりと眺める。
 ……あ。
 パベルは口をぱくりと開き、そのまま固まった。
 ひどく、悲しそうな顔をしている。
 あの一言だけで? と、こちらが驚きを隠せなくなる程。
「まあ大体、最初は船団も大半が男だったのに、何時の間にこんなことになっちゃったのかと、ずっと疑問だったんだよ。だから今日は久しぶりに男だけで親交を深めようと……」
 大きな声で口にするフェレットの真後ろに、ロッティーナがいる。
 彼女がばっと席を立ちあがっても、フェレットは気付くことはなかった。
 そして、彼女が店を出て行っても。
「せ、船長! ちょっと!」
 乾杯の声が終わり、さあ飲むぞと言うところで、船員達が四方からフェレットのほうに駆け寄った。
「ん、何?」
「ロッティさん、出て行っちゃいましたぜ」
「ロッティが?……あっ」
 ぼけっとして言葉を聞いていたフェレットだったが、ようやく気付いたらしい。
 そしてその表情がみるみる暗いものへと変化をしていく。
「……怒ってた?」
「と言うより、悲しそうに見えやした。あんまりですぜ船長。ロッティさん、誘われたのにわざわざ残ってくれたんでやすから。謝りに行って上げて下さいよ」
「う、うん。わかった」
 フェレットは元々大の酒好きという訳じゃ無いし、酒よりも大事なものがこの世にたくさんあることも知っている。
 まあ、それは人それぞれと言うもので、中には酒が何より大事な人間もいるのだろうが。
 手にしたグラスをそっと置き、フェレットは走って酒場を出て行った。
 ちなみに何時の間にか、パングの姿も消えている。
 そう言えば、エレオノーラというあの女性も。
「やっぱり幸せ者だな。船長は」
「中々無いよな、今時」
 残された船員達は船員達で素に戻り、またあっさりとした様子で酒を飲み始めている。
 さすが海の男達、荒事、トラブルへの対応は人一倍慣れているのだ。
(あの青年は、船員に恵まれているようだね)
 音楽家フランチェスもまた、若者達を優しげな瞳で見つめながら、ワインと口へと運んでいた。

「ロッティ……?」
 店を出て直ぐの場所で、ロッティーナは独りぽつんと立っていた。
 視線は逆の方向を向いており、名前を呼びかけても反応がない。
 あの一言だけで、そんなに怒らせたのかな……?
 フェレットは少しの疑問を交えながらも、
「ロッティ、ごめんよ」
そう声を吐き、彼女をこちらに振り向かせようとした。
 右手を肩に添えても、振り向かない。
 フェレットはしびれを切らして、一歩前に進み出て、彼女の顔を覗きこんでみた。
(……えっ)
 そうしてようやくフェレットは事態の深刻さを飲み込むのであった。
ロッティーナはその瞳から、涙をぼろぼろと零していたのだ。
 普段見ぬ彼女の表情を見て、フェレットの目は丸くなり、視線が虚ろになる。
「ごめん、そんなに気に障ったかな? あの……あれは言葉のアヤというやつであってさ。悪気は無いんだ」
 フェレットが視線を向けると、彼女は思いっきり顔を逸らした。
「ごめんね、ロッティ」
 今後二度と出せないであろうと言うほどの、優しい声を絞り出したつもりだ。
 しかし相変わらず、彼女からは何の反応もない。
 目に見えているのはただ、滝のように溢れ続けている涙だけ。
 こうなれば、とにかく謝罪の言葉を繰り返すしかあるまい。
「ごめん……」
「船長っ!」
 え……?
 唐突に放たれた怒号。
 それを受け、フェレットの表情が素に戻って固まる。
 ――怒っている?
 こんなに悲しそうな顔をして、瞳からは涙が零れているのに?
「今夜は! 私と朝まで付き合っていただきますからね!」
「え?……はい。付き合わせて頂きます」
 ――要するに女性とは、男より遥かに不可思議な生き物であるのだと。
 フェレットの中では一瞬にしてそんな結論が出た。
 普段は男よりも愛想がよく、人当たりも優しいのに。
 突然その表情に悲しみを表し、怒りを表に出す。
 ……つまり、芸術家の素養を多く持つのは、男より女のほうなのでは無いだろうか。
 そんなことを考えながら、また酒場へと連れ戻されて行くフェレットであった。

5

 ヴェネツィアに日が昇り、そして落ちて行く。
 そんな光景を何度か繰り返すうち、気付けば時は過ぎていた。
 たった一月だ……なんて言っていては、きっとこのまま時間が経ち、何もかもを成せないまま生命が途切れてしまうだろう。
 人の一生は短いとは思わないけれど、何もかもを急がなければならない。
 少なくとも、今は。
 フェレットはそう思いつつも、しかし酒場で体調悪げにして、一向に動けないでいるのだった。
 それと言うのも、この間酒を飲んだ時以来。
 肉体的にと言うより、精神的にと言うべきだろうか。
 あの後結局、ロッティーナと一対一で朝まで酒を飲む羽目になった。
 酒を飲みながら、朝まで色々と愚痴を聞かされたのだ。
 その大半は”フォスベリー”の船員のだらしなさだとか、船長としての在り方だとか、そんなことに対してである。
 ……酒を飲んで酔っ払っていても、彼女はなんとか本音を口にしないでいられたらしい。
(ロッティ……やっぱり嫌ってんじゃないだろうな。僕のこと)
 気になって他の船員に訊ねてもみたのだが、返ってきたのは「それだけは絶対無いから安心してくだせぇ」という言葉。
「ならいいんだけどな……」
 フェレットはぽつりとそう浮かべた。
「何がですか? 船長」
 返事をしたのはロッティーナだ。
 さっきまでは居なかったのに、まだ真昼間なのに何故此処にと、フェレットは慌てる。
「いや、何でもない。それよりどうして此処に?」
「帰ってらっしゃいましたよ。船団の女性船員が」
「え! ああ、そうなんだ……ごめん」
 まだあの時のショックが抜け切っていないらしく、殆ど反射的に謝るフェレット。
 そんなやり取りをしていると、酒場のドアが静かに開かれて。
 そこから見知った顔の女性達が次々と店内に入ってきた。
「ただいま、フェレさん。一ヶ月も留守にしてしまって、すいませんでした」
 リィを筆頭に、レティシアとその船の船員達がずらずらと。
 まるでこっちと向こうで時の流れる速度が違ったかのように、彼女達は皆、服装が派手なものに変わっている。
「フェレさん見て。これっ、ナポリでバザーを開いていた商人の方から買ったんですよ」
 赤色を基調とした、飾りを施されたモラを、リィはフェレットのほうに見せつけた。
「あ、それ……。そうか、買っちゃったんだな。高くなかったか?」
「……いいええ。その商人の方の好意で、とっても安いお値段で譲って頂いたんです。それこそもう、ただって言っても良い位のお値段で」
「そうなの?」
「はいっ」
 リィの言葉に普段と違う感情の起伏があるのを、フェレットは気にしなかった。
「それにレティシアちゃんも。……それもナポリの商人から?」
 少女レティシアが羽織っている、体型に似合っているのか微妙なジュストコール。
 これもただ同然?
 だとしたらなんと親切な商人なんだろうか、その人は。
 さすがにフェレットの顔が少し疑わしげになる。
「う、うん。これもただだよ」
たじたじとなりながら応えるレティシア。
「ふーん? それよりさ、肝心のその、プレゼント探しのほうはどうなっ……」
「しっ! フェレさん!」
 開いたばかりの口を慌ててリィに塞がれた。
「そこにいるエレオノーラさんに上げるんですから、プレゼント…。喋っちゃ駄目です」
「ああ、そうか」
 二人はちらりと、カウンターで元気に営業をしている娘のほうを見やった。
「で、男は何処行ったの?」
「今、宿でアイさんとルーファさんに色々、服装を指導されてます。あと、プレゼントする時の台詞とか……」
「……色々やってるのね。君達」
 好きにやらせておけば良いのに、とフェレットは少し呆れた。
 それから直ぐ、彼等は酒場へとやって来た。
 まず最初に姿を現わしたのは――襞襟とカボチャパンツを主体とした、ラフカラータブレットを纏った青年だ。
 一見して誰もが”上品だ”と言った感想を抱きそうな、そんな姿をしている。
「……あれかい?」
「はい」
 フェレットの声に、リィは力無く頷いた。
 ふふ、と笑うその表情も、とにかくよそよそしい。
「エレオノーラさんっ!」
 その青年――フュルベールは入ってくるなり声を上げた。
 幸いまだ時間が早く、場には酒場のマスターとエレオノーラの他は、船団のメンバーしかいない。
「はい? 初めまして……私の名前を知ってるんですか?」
 どんな時でも元気にと言うのが彼女の信条らしく、エレオノーラは屈託ない声でそう返すのだった……少なくとも、表面上ではそう見える。
「……初めてなの? 会うの」
「はい。今まではその、物陰から見つめてた、そうで」
 端のテーブルでぼそぼそと話している、フェレットとリィの二人。
 フェレットの中では既に幾らか、嫌な予感がしていて。
 リィに取っては或いは、予測が出来ていた光景なのかもしれない。
「これを受け取って欲しいんです!」
 フュルベールが差し出したのは、服だ。
 それもとびきり珍しく、この辺りでは手に入らない貴重なもの。
「何、あれ……」
 フェレットは遠目ながらもその服の姿をしっかりと視線に入れている。
「ラクスシャルキって言うそうです。ダンスをする時に纏う服装なんだそうですよ」
「いや……なんであんな物をあげるんだ?」
 フェレットは心からの疑問顔になって言う。
 だってその服は踊りをする為の服とあって、下着と見紛ってもおかしくないほど、露出が多いのだ。
 さらに続けて差し出されたのは、エスコフィヨンと呼ばれる、帽子の土台にリボンが縫い込んであるもの。
「帽子はともかくとして……。しょ、初対面であんな服なんかあげたら、好かれるどころか、怪しがられるに決まってるじゃないか」
「そうですかねぇ……やっぱり」
「やっぱりって」
「その……実は私達、自分達が欲しい服を探すのに手一杯で……。あんまりちゃんとアドバイスしなかったんです。ごめんなさい……」
 話の流れ上、仕方なくリィは真相を全て明かすことにした。
「成る程ね。そのモラもあの男の有り余っている金で購入したって訳か」
「はい。ごめんなさい……フェレさん」
「まぁ、僕が買ってやれなかったことにも問題があったからな。そんなに欲しがってたなんて、知らなかったよ。ごめんな」
 この間ロッティーナに怒られたせいで、女性に対して幾らか優しくなっているフェレットであった。
 それは期間限定のことで、数日もすればまた元に戻りそうであるが。
「それにあの二人、良い雰囲気じゃないか? 意外にも」
「ええ。あのラクスシャルキ、気に入って貰えたんですね」
 それはどうだろう? と、それに関しては相変わらず疑問を抱いているフェレット。
 だが、カウンターにいる二人は楽しげに歓談を交わしている。
 それは確かなのだ。
 数分間もすると、フュルベールはやがて何かに気付いたかのようにして。
 いきなり向きを変え、こちらに向けて走ってきた。
 たった数メートルの距離なのに全力で走ってきて、そして立ち止まる。
「ありがとう、リィさん! レティシアさん! 彼女本当に喜んでくれたよ!」
 満面の笑みを浮かべながら、フュルベールは言った。
 エレオノーラもこちらのほうを見ながらにこにことしている。
「彼女、僕のこと大好きだってそう言ってくれたんだ!」
「そ、そうですか……。良かったですね、本当に」
「うん。本当に良かったね」
 リィに続いて、レティシアがまた笑みを浮かべながら返す。
 彼女の微笑みはリィに比べると、大分心の底からの表情に見える。
 たとえ、真相のところはわからなくても。
「それじゃ、宿に置いてある他のプレゼントも持って来ます。彼女にもっともっと喜んでもらいたいし。また後で!」
 フュルベールはまた疾風へと変わり、急ぎ酒場を出て行った。
 エレオノーラも手を振って見送ってくれている。
「あからさまに単純な男だな。あのエレオノーラさんもそう気付いて、それであいつを騙してるんじゃないのか?」
「フェレットさん、そんなこと言っちゃ駄目」
 レティシアに注意され、フェレットは「ごめん」と小さく返す。
 こちらの会話は相変わらずひそひそ声のままだ。
 数秒後、再び酒場のドアが開かれた。
 今度やって来たのはフュルベールではなく、アイとルーファ、それにパングの三人。
「あっ、ただいま。フェレさん」
 アイとルーファの視線はすぐにこちらに気付き、そしてテーブルへとやって来た。
「久しぶりね。色々なものを買って来たから、後でじっくり見せてあげるわ」
「うん、お帰り」
 フェレットは言う。
 だが彼の視線はアイ達ではなく、真っ直ぐにカウンターへと掛け込んで行った少年のほうを見ていた。
「パングちゃん、たまたまここの入り口で会ったのよ。何か色々荷物を抱えてたみたいだけど……」
 アイも同じ方向へと視線を向けた。
 久々に会った仲間が別に優先するものを見つけていて、少し寂しそうにしながら。
「エレオノーラさんっ!」
「あ、パングさん、いらっしゃい。待ってたんですよー!」
(仲良くなってるっ?)
 パングとエレオノーラ。
 二人の若者のやり取りを見て、衝撃を受ける船団のメンバー達。
「見てみて、エレオノーラさん。今日はこれ持ってきたっすよ」
 パングは何やらカウンターにごちゃごちゃと並べた。
 それらを、フェレットの視線は一つずつ掴み取る。
 ああ、金の装飾が施されたサンダルに……あれは宝石箱。……あっちは多分、首飾りだろう。
 目にしていくうち、フェレットの表情が段々と崩れていく。
 笑うしかないと言う感じになって、フェレットは乾いた笑いを浮かべた。
 パングよお前もか、と。
 何故だろうか、男性と言う性別そのものが、女性のもとにひれ伏してしまったかのような、そんな感触に囚われている。
「ここ一ヶ月間、ヴェネツィアのバザーで散々探したんっすよ。これならきっと、エレオノーラさんに気に入ってもらえると確信してるっす!」
「わぁ、ありがとう! パングさん、大好き!」
 何時の間にか、フェレットの乾いた笑いが皆にまで伝染している。
 このことをパングに伝えるべきか……フュルベールに伝えるべきかと思案に暮れつつ。
 最早全てを見なかった事にするしか、手段は残されていないような気もするけれど。
「これだから男って言うのは……最低だわ」
 ロッティーナがぽそりと呟き、フェレットは背筋をぞくりとさせた。
 それを表情に出さないようにしながら、フェレットは席を立ち、そして窓のほうへと歩いていく。
「ねぇ……アイさん。僕、一つ思い付いたよ」
「何を?」
 真昼間のヴェネツィアは青空が支配していて、そこには雲一つない。
 この一月の間ずっとこうだった訳ではない。
 たまには雨が降るし、日没の時には何時だって、熱き感情を秘めた橙色が空を包み込む。
 けれど水の都はその全ての空に調和をし、最も美しい光を空へと返すのだ。
「”女心とヴェネツィアの空”」
「その心は?」
 こうなれば好きに言わせてやろうと、アイは訊ね返してあげた。
「絶えず変わり続けるヴェネツィアの空のように、女心もまた移ろいやすいってことさ。そうありつつも神秘性に満ちてて、永遠の謎でもある」
「うん。まぁ、そう思っておくのは素敵なことだと思うわ」
 アイにくすりと笑われて、フェレットはああまたか、と表情を沈ませた。
 今口にした言葉でさえも、ただの子供の戯言に聞こえているのかと。
 見上げた空は蒼いままで、いっそ人々の想いもあそこまで単純に、美しいだけのものであったらどんなに楽だろうか。
 いやそんなことはない。
 空と同じように様々な色を持つからこそ、それは美しいものになり得るのだ。
 そうだ、そうに違いない。
 そんな風に、結論を二転三転とさせながら。
(……かおるさん、早く帰ってこないかなぁ)
 背後の喧騒を忘れるようにして、フェレットはぼんやり空を見ていた。

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  1. 2005/07/29(金) 05:25:16|
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第十四章 空はかようにして美しく(前編)

1

 水の都、ヴェネツィア。
 船団が町に辿り付いた時は丁度日没の時刻で、黄金色に照らされた町並みはまるで夢の光景のようであった。
 船を降り、道を行く時でも四方には海があり、海での暮らしを常とする船乗り達にはまた、馴染みやすい場所でもある。
 このヴェネツィアの土地は、大陸からの川の流れに乗ってくる土砂、そしてアドリア海の波と風の力によって作られた湿地帯。
 そのままではとても人が住み着けるような土地ではなかったはずなのに、様々な事象が重なって人が住み着き始めた、言わば奇跡の町である。
 カンディアから一直線に、他所の町に寄港することもなく来た為、到着した頃には披露困憊になっており。
 その日は町の光景を散策したり体を癒すことに専念して、翌日から本格的な情報収集にあたることとなった。
 と言っても相変わらず、探す手掛りは一つとして掴めていないままだ。
 形振り構わずに辺りの人に訊いて回るくらいしか、捜索手段も思い浮かばない。
 となれば事は焦らずじっくりとやるべきだと、やはり楽天的な面々。
 船長組もまた珍しく男女に分かれ、街の各所を時間を掛けて回っているのであった。
 リィ、アイ、ルーファという三人の女性船長にレティシアを加えた四人で、まずは靴屋を訪れて。
「あの……ドルマンって言う、ええーと、トルコの人達が着てるって言う長いコートを着た、背の高い男の人を見ませんでしたか?」
 店の人間にまず訊ねたのは”コンスタンティア”の船長、リィ。
 しかし、この説明で解る人間なんている訳が無い、と自分でもそう思っていた。
 案の定、靴屋の店主はうーん……と首を傾げているだけだ。
「あんたみたいな美人に訊ねられて、何も教えてあげられないってのも悔しいけどねぇ……。それだけじゃ幾らなんでも、無数に居過ぎると思うよ。それにいつも同じ服装をしてるって訳でもないんだろう?」
 何時も同じ服装なんですけど、とリィは思ったけれど、言わなかった。
「ごめんなさい、解り辛いことを訊いてしまって」
「いやいや。こっちこそ役に立てなくてすまんね」
「さてと、それじゃあ本題に移りましょうか」
 会話が終わったと見るや、口を挟んだのはアイだ。
 彼女もまたダウ船”シャルトリューズ”の主であり、幾多もの依頼をこなしてきた生粋の冒険者でもある。
 その冒険者としての鋭い瞳が今回向いているのは、店頭にずらりと並べられた、幾多もの種類の靴。
「ねぇ見て見て、このリボンシューズなんか、リィちゃんに似合いそうじゃない? あ、それにホラ! こっちはレティシアちゃんにぴったり!」
 女性数人が揃えば何時だってこんなものである。
 或いは未だ見つからぬ友人を心配するあまり、無理に元気を出そうとしているのかも分からない。
「ヴェネツィアはイスラムほど特殊な場所じゃないけど、それでもやっぱり色々と珍しいものが有るわよ」
 と、他所の店のほうから、ルーファの声が呼びかけている。
 彼女の視線の先には、透き通った光を映し出した細工品の数々。
 ヴェネツィアは水の都であると同時に、ガラス細工が有名な町でもある。
「うわぁ! すごい、私こんなの初めて見ました!」
 あまりの美しさに、手に取るのも躊躇しているリィ。
「あはは、お嬢ちゃん、気にせず近くで見てみて構わないよ」
「ありがとうございます、それじゃあ!」
 ヴェネツィア共和国が生み出した光と焔の芸術、ガラス。
「わぁ……」
 まるで水晶の如くな煌きを放っており、手に取るとそれは両手の中で鮮やかに光るのだった。
「綺麗でしょ?」
「はい!」
 ルーファの声に、心からの返事をする。
「けどその分、相当値が張るからね。ガラスを室内に飾ったり出来るのは王侯貴族だけって話だし」
「え、そうなんですか?」
「うん。迂闊に買っちゃわないようにね」
 と、店の主人を目の前にして歯に絹着せぬルーファであった。
「ちょっとちょっと、お嬢さん方。こんな耳元で高いなんて言われちゃ、こっちも黙って聞いてるわけにもいかんね」
「ごっ、ごめんなさい」
 慌てて謝ろうとするリィ。
 だが、主人は別に怒っている訳でもない様子だ。
「いや、お嬢ちゃん方の為に少しくらいなら安くしてあげるってことだよ。お嬢ちゃん方、どこからいらしたんだい?」
「えーと……一応、倫敦ですけど」
「倫敦! 船乗りさんか何かかい」
「はい」
「そりゃ驚いた。よーし! わざわざ倫敦からガラスを見に来たとあっちゃ、ただで返す訳にはいかないね。お嬢ちゃん、好きなだけ選んでくれて良いよ。こっちが損するくらい安くしてあげるから」
「本当ですか!」
 別にガラス細工を見に来た訳では無いのだが、そこはまあご愛嬌と言う事で。
 ようやく本格的に商品を手に取り始めたリィだったが、あることに気付き、
「ルーファさん、ありがとう」
彼女の方に振り向いて、ぺこりと御辞儀をした。
「ん。まあ私は何もしてないわよ、殆ど」
 店主が勝手に乗ってくれただけで。
 ルーファはそうくすりと笑った。
「さて、それじゃそろそろちょっと、交易所のほうを見てくるわね。さすがに船員ばっかりに交易を任せとくのは不安だから」
「あ、私も付いて行って良いかしら?」
 何時の間にやら靴屋での買い物を終えたらしいアイの声だ。
「たまにはまともに船長の業務やっとかないとね。いい加減、酒飲み船長と言うイメージも何とかしたいし……」
 それは難しそうだと、口にはしないが場にいる誰もが思った。
「それじゃあ私達はどうしようか? レティちゃん」
 リィは背を屈めて、隣にぽかんと立っている少女へと囁きかけた。
 このレティシアという女性、年齢こそリィやルーファらと同年代であるものの、背丈が子供並に小さいのだ。
「んー。私もう少しお買い物したいかなー」
 外見だけでなく、発する声も見た目の通りに幼い。
「それじゃ、私達だけで見ましょうか? レティさん」
「うん!」
 二人がそう言い出したのはアイにとっては予想外のことであり、てっきりレティシアは自分と一緒に来るものだと思っていたらしく。
「リィちゃん」
「はい?」
「レティシアちゃんに、変な気起こさないでね」
 一応念の為、そんなことを注意しておくアイであった。
 さすがのリィも閉口してしまい、少し冷えた目で見返すことしか出来ない。
 しかしこう言うことをあまり根に持たないのが彼女の良い所である。
「この辺りの店、のんびり回りましょう。レティさん」
「うん、それじゃあね。アイさん、ルーファさん」
 そうして、くるりと踵を返す二人。
 別にその行動自体は至って普通のものである。
「アイさん、別に向こうに付いて行っても構わないわよ」
 ここから消えて行こうとする二人の姿を眺めているアイに向け、ぽそりとルーファの声が届いた。
「よしておくわ。そろそろ、もう一つ異名がついてしまいそうだから……」
 と、ぎりぎりの所では何とか理性を保っているアイ。
「それにやっぱり――何か足りないものね。今は」
 意識せずにそんなことを呟いて、彼女はその表情を少し曇らせた。

 フェレット、パングという二人の船長は、町に着くなり酒場へとやって来ていた。
 ただ酒を飲みに来たのではなく、今回此処を訪れたのは明確な目的があったからだ。
 まず一つはかおるの行方探し。
 そして、もう一つは。
「そう、メロディーはそんなところだね。ただ発音がまだなってないかな。それにリズムも」
 数年間に渡る航海で、幾つもの国を目にして来た。
 航海中は滅多に披露する機会が無いとは言えど、フェレットは音楽を趣味とする人間である。
 ポルトガルやイングランドなど、それぞれの地に伝わる歌を、旅の最中に自分のものとしてきたのだ。
 無論その地に生まれた人間が歌うものにはかなわないだろうが、せめてその魂を僅かにでも汲むことが出来たらと思い、それを皆に聴かせられたらと。
 そしてこのヴェネツィアで、音楽家らしき人物を見つけるや否や、フェレットは教えを乞うことにしたのだった。
 フランチェスと名乗ったこの男、普段はサン・マルコ大聖堂の聖歌隊を務めているのだとか。
 歌に関しての学識もフェレットの比では無かったろうが、他所からやって来たこの奇妙な生徒に、親切丁寧にヴェネツィアの音楽を解説してくれていた。
 この数十年後にヴェネツィア、サン・マルコ大聖堂から二重合唱(コーリ・スペッツァーティ)と呼ばれる特殊な形式の合唱方法が生まれ、そこから音楽はさらに深化していく。
 だが、それは現時点ではまだ知られることのない話だ。
「まだ早い時刻なのに、君の連れも頑張るね」
 酒場のマスターが言う。
 まだ夕刻、本格的に客が入るのはまだこれからだ。
 ぽつぽつと数人が端のテーブルにいる以外は、フェレットと音楽家フランチェス、酒場のマスターと、カウンターに一人だけ座っているパングしかこの場にはいない。
 案の定向こうの音楽の授業には入れるはずもなく、今の時刻ではまだ酒を飲む気にもならない。
 パングは独り取り残された様な気分になりながら、カウンターでぼんやりとしていた。
(これなら、わざわざ僕を連れて来る必要は無かっただろうに……。アイさん達には秘密にしてるみたいだし……)
 不満たらたらなパングだが、口にしてもどうせ彼の耳には届かないであろうと、黙って眺めている。
 ちなみに何故女性陣には黙っているかと言うと、フェレット曰く「努力ってのは女性には知らさずに、スマートにやるものさ」らしい。
 そして何故パングを連れて来たかと言えば「だって知らない土地だぜ? 独りじゃ緊張するだろう」との事。
(今ならこっそり宿に帰っても気付かなさそうっすねえ。まあ、フェレットさんにはここでじっくり練習に励んでもらうとして……)
「あぁ、ええとパング君」
 楽器の音に混じって、声が届いてきた。
「何っすか?」
「そこのジュース、こっちに取ってくれない?」
(パシリかい!)
 辟易しつつもちゃんと運んであげる、気の良い少年パングであった。
 しかしもうこれ以上やってられんと、こっそりながらも店を出て行く決意を固める。
 幸い、丁度フェレットはこちらを向いていない。
 ばっと席を立ちあがり、つかつかと入り口のほうに向けて歩いて行ったその時。
 その入り口のドアがばたんと開き、そこから一人の少女が姿を現わしたのだった。
「こんばんはー! 遅れました!」
 そう元気よく入ってきた少女は、恐らくパングと同年代だろう。
 大きくぱっちりと開いた瞳に、後ろで幾つもに束ねた可愛らしい髪型。
 そのどれもが視線へと突き刺さるようだったが、パングが何より一番に反応したのは果たして。
「きょッ!?」
「……きょ?」
 放たれた奇声に、フェレットらも思わず振り向く。
「あら、お客さんかしら?」
 目の前で石像のようになっている少年を見て、その少女はきょとんとしている。
 だがすぐににこりと笑って、
「私、エレオノーラって言うの。お客さんですよね? 初めまして、よろしくね!」
そう、元気な声を響かせた。
 パングは彼女の顔よりも僅かに下、胸部のほうを見ていたが、慌てて視線を上げて。
「よ……よろしくっす」
 それでもまだ顔のほうを直視出来ないままで、返事をするのだった。
「あっ、もしかして、帰ろうとしてたのかな? 私邪魔しちゃった?」
「いやいや、とんでもないっす! ちょっと酔っ払って、ふらついてただけで! たまたま出口の方に歩いて行っちゃっただけっすよ! この後また朝まで飲もうと……」
「そうなんだ? それじゃあ、朝までここでお話してようね!」
「はいっす!」
 さっきまでこの場から逃げようとしていたパングだったが、気付けばまた嬉々としてカウンターの席についている。
 ぽつぽつといる酒場の客はそれを怪訝な様子で眺めていたが、フェレットは一人、やれやれと目を細めていた。
(一見愛想が良いのに限って、その実は……ってことがよくあるもんだ。まあそうしてつまづくのもまた人生経験の内かな)
 パングのことを少し心配しつつも、介入する気はないようで、フェレットはまたすぐにフランチェスのほうへと向き直るのだった。
「そろそろ人が増えてきたね。私達が雑音を響かせているのもいい迷惑だろう、他所に行くとしようか?」
 音楽家フランチェスが言う。
「構わんよ。あんたには何度か、宴会の余興として歌ってもらったりしてるしな。客も皆、ここにあんたと言う音楽家がいると承知の上で来てるだろうよ」
「今日に限っては、若者達の邪魔をしてしまいそうだからね」
 大人の笑みでマスターに返すと、フランチェスは席を立った。
「それじゃ行こうかね、フェレット君。波音をパーカッションとして楽器を奏でるのも悪くないもんだよ」
「はい!」
 ヴェネツィアで出来た、たった数日間限定の師匠だ。
 だが出会ってから間も無く、ほんの少しの間教えを乞うただけで、フェレットはこの音楽家の歌声、演奏にすっかり魅了されていた。
「パング君、ちょっと出てくるから。アイさん達他の面々には適当にごまかしておいてくれる?」
 店を出る直前にそう言ったが、パングの神経は一寸たりともこちらには向いていなかったようだ。
(大丈夫かな……。まぁ、わざわざ喋らないとは思うけど)
 ドアを閉める直前まで、パングとエレオノーラのほうをちらちらと見ながら。
 二人の音楽家はそれぞれたった一つずつの楽器を持って、海へと消えて行った。

2

 実際のところ、まともにかおるを探していたのは、リィとレティシアの二人だけだったのかもしれない。
 町の様々な場所を回りつつも、彼女達は常に周囲を見まわし、何処かに怪しい人間がいないかチェックをし。
 そして――ついに見つけた。
 ヴェネツィアのシンボルとも言えるサン・マルコ広場の隅っこで、一人、まるでこの世の終わりをただ待っているかのように地面にしゃがみ込んでいる男。
 視線は真下を向いており、こっちからは顔を確認する事は出来ない。
 その代わり向こうもこちらに気付いていないだろうと、二人はこっそりと男の傍に近付いた。
 その際に辺りにいた人から「浮浪者には迂闊に近付いたりしないほうが良い」と諭されたが、お構い無しに歩いていく。
 リィ達としても、何も怪しい人間をただしらみつぶしに当たっているわけでもない。
 この男の羽織っている服装はかおると同じ、黄土色のドルマンであったのだ。
 頭には黒色のアジシェを被っており、これもまたかおると同様。
 どちらも泥に塗れてこんな色になってしまったのかも、判らないが。
 髪の毛の色はどう見ても天然色とは思えない、紫色。
 かおるもまた、各地で面白い色の染色料を見かけては、その度髪の毛を染め上げたりしていたらしいので、今回たまたま紫を選んでいたとしても不思議ではない。
(似てるわ……ちょっと人を寄せ付けない雰囲気も、あの人にそっくり)
 蹲っている男の至近距離までやって来て、そしてリィは思った。
「話してみる?」
 横隣、少し低い位置からレティシアの声がぼそぼそと聞こえる。
(そう、ねぇ……。不安だけど……襲われたりしないかしら)
 たとえこの人がかおるさんでも、かおるさんじゃなくても。
 可能性として有り得なくはない、とリィは考えた。
「あの、すいません。今、大丈夫でしょうか?」
 リィは顔を近づけて、そして出来るだけの優しい声で呼びかけた。
 ……反応がない。
「あのぉ、すいません。いま、大丈夫でしょおか?」
 レティシアがリィの口調を真似て、もう一度訊ねてみた。
 それでも返事がなく、顔を見合わせる二人。
 リアクションは、それからさらに数秒遅れで返ってきた。
「僕にナンの用だ……?」
 俯いたままで、ぼそぼそと吐かれた声だ。
 だがそれだけでリィはもう、この人物がかおるでないことを掴んでいた。
(残念。声も違うし、そもそも”僕”だなんて、絶対に言う訳ないもの……)
 しかし話し掛けてしまった手前、このまま無言で去る訳にもいくまい。
 リィ達はそう思って、”すいません、人違いでした”と軽快な調子で口にしようとした。
 が、その瞬間。
「君達はッ?」
 地の底へと沈んで行きそうだった男の顔がいきなり跳ね上がり、顔を間近で眺めていたリィは、繰り出された頭突きをすんでの所で回避した。
「あ……ごめん。わざとじゃないんだ」
 続けて聞いてみれば、男の声は意外にも若いものだった。
 こちらを向いた顔もかおるとは似ても似付かず、年齢はまだ二十歳に満たないと言ったところであろう。
「どうしたのですか? こんな所で、一体……」
 心配げと言うよりも、最早単に怪訝な顔になっているリィであった。
「浮浪者なの?」
 レティシアもまた、無垢な調子でそう言葉を重ねる。
「失礼なことを言わないでくれよ。僕はこれでも、船乗りをしてるんだ。ちょっと……酔っ払ってしまって。帰れない程になってしまって、ここで寝てたんだ。……辛いことがあってね」
「辛いことってなぁに?」
 さらにレティシアが訊ねる。
 だが返事として返ってきたのは、わんわんと泣く男の情けない声であった。
「……もう、僕は人間として、男として駄目なんだ。今まで船乗りとして、色々な場所を見て回ってきて……それなりの自信ってものを持ってたつもりだったのにさ。そんなもの、一つも役に立たないんだって、そう知ってしまったんだよ……」
 ああ情けない酔っ払い男の典型。
 二人の少女は再び顔を見合わせ、そして溜息をつく。
「でも、ちょっとフェレットさんに似てる、感じがする……?」
「ううん。全然、全く似てないですよ。レティさん」
 リィの声は至って平然としたものだった。
 それなのに、レティシアは何故だか、無意識のうちに一歩距離を取っている。
 ほんの一瞬だけ、殺気のようなものが過った感じがしないでもない。
 リィはにっこりと笑って、また男のほうへと向き直った。
「それで、どうしたんです? 私達に向かって”君達は”って仰いましたけど」
「ああ! そうなんだよ!」
 項垂れてたかと思えばまた声を張り上げ。
 情緒不安定なのもまた酔っ払い故であろう。
「ああ、でも……やっぱりどうせ、僕なんかの相談に乗ってもらえる訳なんかないし」
 一瞬で躁から鬱へと転じたらしく、また男はしゅんとなる。
「……私達に出来ることなら、相談に乗ります。いいから教えてください」
 さすがのリィも多少の怒気を孕ませながら、そう声を放った。
 それでもまだ男は躊躇いがちであるが。
「……うちの船、水夫も男ばかりでさ……。普段、女性と関わることなんか殆ど無くて。だから女の人に相談に乗ってもらいたかったんだけど、だから船が男ばかりだから、それも出来なかったんだよ。今まで。本当にもう、嫌になっちゃうよね」
「ええ、それで」
 要領を得ない話し方である。
 リィは最早怒ると言うより、無味乾燥な顔つきで話を聞いている。
「実は……僕は、フュルベールって名前なんだけどね。フランスからわざわざ、このヴェネツィアまで用事があって来たんだ。その用件も済んだんだけど……たまたま立ち寄った酒場で、一人の女性に恋をしてしまったんだ」
「へぇ! なんて方にですか?」
「エレオノーラさんって言うんだ。元気で活発そうで、僕にない光の部分を全て持ち合わせているような、太陽のような人だった」
 もしかして酔ってなくてもこんななのだろうか、と不安になるリィ。
「この気持ちを伝えようにも、僕は口下手だし……。何か、プレゼントをあげようと考えた。しかし駄目なんだ」
 駄目って、何が? と、レティシアの相槌もどこか適当な響きだ。
「だって彼女とは国も違うし、国籍も違う。それなのに、彼女が気に入ってくれるようなプレゼントを選べるわけがない。だって僕は、彼女のことを何にも知らないんだ。ワインの味一つとっても、フランスとヴェネツィアはまるで天と地程も離れてたりするんだから」
「……成る程。それでどうすることも出来ないからって、お酒を飲んでここで独り落ち込んでたんですね」
 このままでは埒があかないと、リィは半ば強引に話を要約させた。
「けど、君達みたいな女性が相談に乗ってくれるのなら、もしかしたら……エレオノーラさんが気に入るようなプレゼントを選ぶことが出来るかもしれない」
 まるで闇の中に一筋の光明を見出したが如くに、男は急にまた嬉々として語り始めるのであった。
「そうだ……。女心を知りたいのなら女心を持っている人に訊ねるのが一番だろうし、これならきっと上手くいくぞ! 良かった!」
 ああ、きっとこの人は重度の病に冒されているんだわ。
 だからこんなに、物事を単純に考えようとするの。
 恋の病は何時だって、冷静な判断力を奪い去ってしまおうとするのだから。
 リィは頭を抱えたい気分で話を聞いていた。
 口にしてしまった以上、手伝わない訳にもいかなさそうだ。
「もし君だったら、どんなプレゼントを貰ったら嬉しいだろうか?」
 またも唐突にそう訊ねられる。
 リィは悩み、一応真剣に考えて答えを出すのだった。
「そうですねぇ……私だったら、相手の人の気持ちが篭められているんだったら、どんなものを貰っても嬉しいですけど」
「エレオノーラさんも、そんな風に模範的な答えをしてくれる人だったら良いんだけどなぁ」
(模範的って……)
 真剣に答えたつもりだったのにそんな事を言われ、リィは心外とばかりに言葉を続ける。
「でも……女性ってみんな、そうだと思います。好みは色々あるかもしれないけど、やっぱり相手の人の気持ちが感じられなかったら意味が無いですもの。ね、レティさんもそう思いますよね?」
 視線を下げて、必死に同意を求めるリィ。
 それなのに、レティシアの視線は別の方向を向いている。
「――わたし、チャドリが着たい」
「えっ?」
「それも普通のじゃなくて、インドの藍染めのやつ。欲しいけどすごい高いの」
「レ、レティさん?」
 ぼそぼそと聞こえてくる言葉の内容を、リィは聞き取ることが出来なかった。
 だが、言葉はその後も連続して吐かれる。
「それにこの間シラクサの町で、ジュストコールを着ててる人を見たの。あれも着てみたいな」
 ジュストコールと言うのは襟のない、前開きで膝丈のコート状の上衣だ。
 胴を細く絞って、腰から裾に向かって優雅な広がりをみせるシルエットに特徴がある。
「レティさん……」
 少女の意外な物欲に、リィはどう返して良いか分からなくなる。
 歓喜の表情を浮かべているのはむしろフュルベールのほうだ。
「そうそう! そんな風に教えてくれれば僕も色々と作戦の立てようがあるんだ! ほら、そっちの君も、同じようにもっと具体的に教えてくれよ! 参考にするから!」
 フュルベールの視線が、真っ向からリィのことを捉えた。
「具体的にって言われても……」
「本当は色々有るんだろう? 本音を教えてくれよ、別に隠す必要は無いんだから!」
(隠してる訳じゃないけど)
 寸分悩んだが、やがて小声でその本音を口にし始めるリィであった。
「わ、私は……ここから遥か、ずぅっと真西の……カリブ海の島に伝わっているって言う、モラが欲しいです……」
 モラとは、パッチワークでもなく、刺繍でもない手芸品。布を何枚も重ね、切り込み、縫製することで色のラインを作り出し、絵柄を構成しているカリブ特有のデザインなのだ。
 無論彼女はカリブ海のことを知らなくて、セビリアでモラのデザインをした服が売られているのを見て以来、憧れていたのだ。
 バザーで出品されているその服を見て、フェレットにねだってみたのだが、「服一着で、小さい船が買えてしまうくらい高いなんて有り得ないよ。何時か実際にカリブに行って、そこで購入するとしよう。目標を常に多く持っておくのが、楽しい旅をする為の秘訣なんだ」なんて尤もらしいことを言われ、結局セビリアでは手に入らず終いであった。
「そうか! 君達のお陰で、女性って生き物が何を欲しがるのか、十分に解ったよ」
 二人のアドバイスを聞き終わり、フュルベールはふふ、と笑った。
 言葉の通り、彼の声にはさっきまでには無かった自信が篭もっている。
「女性とは……気持ちよりも何よりも、高級な物を貰うのが何より嬉しいんだな。そうと決まれば話は早い! 今まで全く使い道の無かった、有り余った金を全てプレゼントにつぎ込んでやるぞ!」
 フュルベールは凄まじい勘違いをしている。
 リィは心ではそう思っていたが……全力を込めて、その思いを口から出さぬよう、封じ込めた。
「お金、余ってらっしゃるんですか……?」
 代わりに、躊躇いがちに放ったのはそんな声。
 こんな風に話を持っていくことに、僅かの躊躇いを覚えはするものの。
 それが物欲とせめぎあい、少しずつ押されて行く。
「ああ! 男ばっかりの船じゃあ、せいぜい食費くらいしか使い道が無くてね。……そうだっ君達にもアドバイスをしてくれたお礼として、好きなものを買ってあげるよ! 君はモラで、君は藍染めチャドリと王冠だったね?」
「ええ……」
 単純な男の人。
 そんな言葉が脳裏に浮かんで、リィの心は自分を強く責め立てた。
 責め立てたが、しかしここまで来たら、今更”いいです”だなんて言うのも勿体無い気がする……。
「良かったら、エレオノーラさんにプレゼントする物を一緒に選んで貰えないだろうか? 僕は服のデザインとかそう言うのに疎いし、独りだけだと自信が……」
「構わないですよ」
「それじゃ、探してる時に一緒に君達の希望の物も買って上げるとするよ。よーし、明日から忙しくなるぞ! 各地を船で回るんだから!」
 その言葉に、リィとレティシアの二人は表情を固めた。
 構わないとは言ったものの……てっきりこのヴェネツィアだけで話が済むものと思っていたのだ。
 そりゃあ、モラや藍染めチャドリを手に入れるとなれば、この町だけでは足りないのは解っていたけれど。
「何処から行くとしようか。トリエステ、サダール……アテネ、カンディア、ナポリの方まで行ってみても良いな」
 一人構想を浮かべているフュルベールを尻目に、二人の少女は僅かに顔を青ざめさせていた。
 たとえ人助けの為とは言えど、私達には本来優先すべき目的がちゃんとあるのに。
 まだヴェネツィアについて一日目、本格的にかおるさんのことを探すのはこれからなのに。
(フェレさんに何て言おう)
 リィは頭の中で彼への言い訳を考えつつ、しかし。
(いっそアイさんやルーファさん、それにロッティさん辺りも誘ってみようかしら。この人、女性には極端に弱そうだし)
 同時進行で、フュルベールと同じように明日からの構想を練り始めてもいるのであった。



  1. 2005/07/29(金) 05:23:57|
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100の質問やってみました。

■大航海時代Onlineプレイヤーに100の質問■
(配布元、Victoria Company様

Q001: 100の質問を始めるにあたって一言どうぞ
→頑張ります。
Q002: ハンドルネームを教えてください。
→スネばな(変えたいと思ってるんですが)。
Q003: その名前の由来は?
→スネオヘアーというアーティストの曲を聴いている時に、よしもとばななさんの本を見ていたのでそれをくっつけたものです。
Q004: もしハンドルネームを変えれるなら何にしますか?
→何かいいのがあったら教えて欲しいんです…。
Q005: プレイしているサーバは?
→Euros。
Q006: 性別をおしえてください。
→♂
Q007: 出身国をおしえてください。
→キャラが二人いるけどメインはイスパニア。
Q008: 職業系統をおしえてください。
→冒険者の職業を色々やってます。
Q009: あなたの所有している帆船の種類はなんですか?
→まだキャラック…。
Q010: 船名をおしえてください。
→フォスベリー
Q011: その船名の由来は?
→某アーティストのアルバム名から取りました。
Q012: あなたの主な資金の収集方法は?
→交易が主では無いことは確か。
Q013: あなたのよく利用する交易品は?
→…オリーブ?とか?
Q014: あなたのキャラクターの体系は?
→ノーマルを選んだら知り合いがみんな身長高くてカルチャーショックでした。
Q015: いつから大航海時代Onlineを始めていますか?(製品版からなど)
→オープンβからですね。
Q016: あなたは一人でプレー派?多数でプレー派?
→どっちかというと一人。たまに集団。
Q017: あなたはまったり派ですか?がっつり派ですか?
→自他ともに認めるまったり派だと思っています。
Q018: 海上と陸上とどちらが好きですか?
→海上。
Q019: どこで大航海時代Onlineを知りましたか?
→知り合いが話題にしてたもので。
Q020: やったことのある大航海シリーズを教えてください。
→大航海時代4を今やってます。
Q021: 他に光栄のゲームをやったことは?
→三国志は結構やりましたね。
Q022: いままでした事のあるネットゲームは?
→Ultima Online。まだやってます。
Q023: 大航海時代の文献を読んだことがありますか?(あれば文献名を教えてください。)
→さっぱしないんです。
Q024: 好きな海洋物映画は?
→…特にこれと言ってないかも。
Q025: 好きな海洋物マンガは?
→…見たことないかなあ。
Q026: 大航海時代Onlineの町で実際に行った・行ってみたいところはありますか?
→行ったことは無いです。行けるとしたらパルマ、ヴェネツィア、アレクサンドリアなどを見てみたい。
Q027: リアルで帆船に乗ったことはありますか?
→帆船は無いかな。
Q028: ログイン頻度・時間はどれくらいですか?
→まばらですが、最近はよくやってます。
Q029: 一番長くログインした時間は?
→五、六時間かな?
Q030: 寝オチをしたことはありますか?
→一人で地中海を進んでいる時に寝てたことは有ります。
Q031: ネットゲームについての意見は?
→ファンタジー以外のオンラインゲームをもっと充実させてほしいかなぁ。
Q032: ネットゲームの長所は?
→人との付き合いがあるところでしょう。
Q033: ネットゲームの短所は?
→人間関係のトラブルが起きることですかね。一長一短と言うか。
Q034: なにか大航海で自慢はありますか?あれば教えてください。
→一回の航海で沈没する回数の多さは自慢しても良い位だと思ってます。
Q035: お気に入りの服はなんですか?
→ベルベット製チュニック。シンプルなんですが。
Q036: お気に入りの場所や風景はありますか?
→やっぱりと言うかヴェネツィアの日没風景。それに西アフリカ。
Q037: 好きな街をおしえてください。
→ファロとか、小さな街が地味に好き。
Q038: 街でよくたちよる場所はどこですか?
→ロンドン、セビリア、アレクサンドリア、あとアテネ。
Q039: 好きなアイテムをおしえてください。
→楽器は全部好き。あと愛の詩集。口説きスキル無いので意味無いんですが。
Q040: 好きなスキルは?
→釣り、採集。
Q041: 嫌いなスキルは?
→特にこれと言ってないです。
Q042: こんなスキルあったらいいなーと思うものを教えて下さい。
→交渉で敵から逃げられるようになるスキルとか欲しいですね。
Q043: 一番好きなモーションは何ですか?(座るなど)
→喜ぶ、が見てて不気味で面白いです。
Q044: 今後追加して欲しいモーションは?
→モーションは特に無いけど表情をもう少し豊かにして欲しい。
Q045: SSをついつい撮っちゃいますか?
→HPに載せる時以外はあまり撮らないですね。
Q046: 一番好きなSSはどんなSSですか?
→知り合いと一緒に写ってるのは皆好きですね。後はヴェネツィアで撮りたい!
Q047: 一番好きなNPCキャラは?
ユリア。イスパニアのシナリオ連中は皆好きですね。
Q048: では、一番嫌いなNPCキャラは?
→嫌いと言う訳じゃないけどフレデリクは魅力がわからない。あとゴードン。
Q049: もし一度だけNPCになれるとしたら何になりますか?
→迷わず看板娘に。
Q050: すきなクエストを教えてください。
→好きと言うか、ギリシャ火関係のクエストは印象に残ってます。
Q051: いままでで一番苦戦したクエストは?
→名前何でしたっけ?ずっと東地中海で情報収集してるのに、突如セビリアでしか売ってない水銀が必要になるやつ。二度依頼破棄した覚えが…。
Q052: いままでで一番長い航海距離は?
→フーカーに乗ってた時に二度カリブに行こうとして難破する羽目になったことが。でも六十何日くらいかな?
Q053: 航海中は何をしていますか?
→何もしてなかったりチャットしてたり、あとはサイト更新しながらだったり。
Q054: 航海中のアクシデントはありますか?
→サイト更新中に突風に吹かれて逆方向に向かってたこと、あと街を出たら嵐が起きてて、即帆が損傷したこと。
Q055: パーティーはどうやって組みますか?(友人に声を掛けてなど)
→友人に声を掛けて、掛けられて。野良というのはやったことないです。
Q056: パーティーを組んでいる時、特に何をしていますか?
→強い友人が戦っているどさくさに紛れて自分も海賊に特攻→沈没
Q057: パーティーでよかったぁと思ったことは?
→寂しくない。お金が儲かる。白兵戦中に後ろから撃たれる。
Q058: いままでにいやなパーティーに入ってしまったことはありますか?
→あっても書かなさそうですが、特にないです。
Q059: 海賊に襲われたことはありますか?
→アレクサンドリアでPKに襲われて、お金持ってないからって逃がしてもらったことが…。
Q060: PVPについての意見をきかせてください。
→僕自身は興味はないけど、あっても全然問題は無いと思います。
Q061: PVPのメリットは?
→スリルですかねえ?PKに襲われるかも?とか言う感覚は嫌いじゃないので。
Q062: PVPのデメリットは?
→形としては人と人との争いだから、嫌いな人もいるでしょう。
Q063: 一番嫌いな海域はどこですか?
→バルト海で沈没しまくって、一時期嫌いでした。
Q064: 一番好きな海域は?
→地中海は全域好きですね。
Q065: 海戦をしたことはありますか?
→実は無いんですよね。いつもタイミングを逃してて。
Q066: 海戦について意見や感想を聞かせてください。
→たまには良いんじゃないでしょうか。
Q067: 海戦のメリットは?
→まあ各国平和なだけってのもつまらないので(ゲームだし)。ストレス発散にもなるし。
Q068: 海戦のデメリットは?
→下手するとストレスがたまる。
Q069: 敵船を見つけたら戦いますか?逃げますか?
→弱そうだったら戦いたい。
Q070: いままででうれしかった戦利品は?
→…戦利品ではあんまり大した物手に入れてないかも。
Q071: 発見物で手に入れたいものは?
→服なら何でも!
Q072: いままでに発見したもので一番印象深いものはなんですか?
→動物探しの地図だったはずなのに毛皮が発見された時は切なくなりました。
Q073: 追加して欲しい職業はありますか?
→いっそ航海よりも調理のがメインの職業とか駄目ですかね。プレイヤーが看板娘になる、みたいな。
Q074: 追加して欲しいアイテムはありますか?
→服はたくさん増えて欲しいですね。
Q075: 追加して欲しい交易品はありますか?
→数が多いに越したことは無いけど、特に希望は無いです。
Q076: 追加して欲しい船はありますか?
→上に同じ。
Q077: 船以外で実装して欲しい乗り物は?
→馬。
Q078: 追加して欲しい街はありますか?
→あんまり詳しくないもので…。
Q079: 追加して欲しいシステムはありますか?
→船長以外の船員とかをあれこれ弄れるようにしてほしいですね。大航海時代4みたいに。
Q080: 追加して欲しいクエストはありますか?
→今でも全然やり切れてないけど、冒険系はどんどん増えて欲しいですね。
Q081: 追加して欲しいNPCはありますか?
→看板娘みたいな感じで、各地に特色あるNPCが増えると良いですね。色々想像を膨らませられるような。
Q082: 追加して欲しい施設はありますか?
→宿屋。
Q083: 追加して欲しい名所はありますか?
→詳しくないもので…。
Q084: 他になにか光栄に要望はありますか?
→もっと行けるところ増やしてください。
Q085: 大好きなBGMは?
→地中海の音楽。あと、ストックホルムとかの”思えば遠くに来てしまいました”と言わんばかりの郷愁溢れる音楽も。
Q086: 大航海時代Onlineのサウンドトラックは欲しいですか?
→まあ、欲しいです。
Q087: 大航海時代Onlineのグラフィックはどうですか?
→僕は不満は感じてはいないですね。
Q088: あればいいなぁっていうイベントはありますか?
→イングランドシナリオ、イスパニアシナリオとかとは別に、各町で発生する単発イベントとかあると良いですね。
Q089: なにかいま大航海時代Onlineで悩みはありますか?
→大きい船に乗れない。
Q090: 今一番欲しいものは何ですか?
→大きい船。
Q091: 大航海Onlineで何かこだわりはありますか?
→まあ大きい船には乗りたいんですが、あんまりレベルとか、数値上のものにこだわり過ぎないようにしたいかなあと。
Q092: 大航海時代Onlineで悲しかったことは?
→ちょっとログインしてない期間があって、久々に入ったら友人が一人いなくなってたことですね。
Q093: 大航海時代Onlineでうれしかったことは?
→色々あるけど、新しい友人が出来た時。あとカリブに辿り付いた時も感動した。
Q094: 大航海時代Onlineでカッコイイなぁと思ったこと(物)はありますか?
→友人(かおるさん)のガレーでの戦いっぷり。
Q095: 一番大切なものは何ですか?
→友人ですね。
Q096: 今後何を目指して大航海ライフを楽しみますか?
→小説の完結。あとはこのままのんびりやっていけたらなあと。
Q097: もし明日、大航海時代Onlineが打ち切られたらどうしますか?
→小説がいきなりバッドエンドになります。
Q098: 大航海時代Onlineの良いところは?
→のんびりやれるところ。看板娘がいるところ。
Q099: 大航海時代Onlineの悪いところは?
→自分なりの楽しみ方を持ってないと、作業的になりがちなところですね。
Q100: 最後に大航海時代Onlineは好きですか?(お疲れ様でした♪)
→フェレットは考えた→フェレットはガッツポーズをした



  1. 2005/07/26(火) 03:35:25|
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第十三章 旅の理由

1

 遥か遠き地、イスラムにて一つの目的を達成したものの、代償として失ったものも多かった。
 ずっと行動を共にしてきた水夫達を失い、彼等がまだ生きていた頃の思い出と現在を行ったり来たりしながら、船はそれでも海を進む。
 鼻骨を折られたフェレットを始め負傷者も多く、不衛生な船上では正しく治療も出来ないと、船団はアレクサンドリアから北の、カンディアの町へと立ち寄ることにした。
 ここはイスラム圏から程なく近い距離にあるが、ポルトガルの領地となっている。
 ずっと羽織っていた暑苦しい変装具をようやく脱ぎ捨てることが出来て、訪れた町の気候はやけに涼しく思えるのであった。
 船団の次の目的地はまだ決まっておらず、カンディアに辿り付いたその日の夜から、船長達の間で話し合いが行われている。
 会合の場所は例によって酒場であり、そのせいで話は全くもって纏まる気配を見せず。
 町についてから四日目が経過して、その日も夜が訪れた。
 今日は会合も休みのようで、まだ時間も早いのに既に船員の大半が宿で眠りについている。
 ”フォスベリー”の副官ロッティーナもベッドで横になっていたが、眠れずにいた。
 時々、何処からか獣の呻き声のようなものが響いてきているような気がして、それが気になっていたのだ。
(狼? な訳は無いわよね……)
 彼女もこの間のイスラム兵との戦いで大怪我を負っており、傷口から熱が出て治まらず、未だに安静が必要な状態であった。
 無理に動こうとせず、何処かで響いているそれはとりあえず耳鳴りとして処理しようとしたものの。
 本物の耳鳴りの如く繰り返し繰り返し聞こえて来て、このままでは眠れそうにない。
 結局無視することが出来ず、他の船員に確かめてみることにした。
「つっ!」
 半身を起こすと、軋むような痛みが身体に走った。
 さっさと終わらせて、寝よう。
 ゆっくりと歩いて部屋を出て、隣室のほうへと行ってみる。
 すると。
(何……?)
 その奇声、直ぐ隣の部屋から聞こえて来ていたのであった。
 一瞬何が起きているのかとロッティーナは唖然としたが、
「船長!」
 直ぐにそう声を上げて、部屋のドアを大きく開いた。
 隣の部屋にいるのは船長であるフェレットのはずで、彼もまた怪我人なのだ。
「船長、大丈夫ですか! 傷口が痛むのですか?」
 部屋の灯りは落ちている。
 ロッティーナはベッドの方へと駆け寄り、フェレットの体を大きく揺すった。
 揺する速度よりも早く、その体は音を立てて暴れ。
 ベッドから転げ落ちそうになって、辛うじてロッティーナに支えられる。
「船長?」
「ロッティか。どうしたの?」
「いえ、どうしたって……」
 フェレットの顔面は未だ、その半分くらいが包帯に覆われたままだ。
 バンテージで鼻を固定していて、放つ声も口から空気が漏れる音のよう。
「この部屋から何か、奇声の様なものが聞こえて来たので」
「奇声だって?」
 フェレットは寝惚け眼で一瞬考える仕草を見せたが、
「ああ……もしかしたら、それ、僕の声だったのかも」
寸分悩んだあと、ぽそりとそう言った。
「実はここ数日、ずっと悪夢を見ていてね。それも毎回同じ内容なんだよ……」
「どんな内容なんです?」
「自分の鼻からピサの斜塔が生えてくる夢だよ」
 本当に嫌そうに吐かれたその言葉を聞いて、ロッティーナは思わず吹き出すのだった。
「そんなに鼻の形が変わってしまうが怖いんですか?」
「当たり前だろ。男ってのは鼻の形が何より重要なんだって、聞いたこと無いか?」
「聞いたことないですね。でも、鼻からピサの斜塔が生えてくるのなら、そちらのほうが案外元々の鼻よりも素晴らしかったりするのでは?」
「……あのな、夢で見るともう、怖いなんてもんじゃないんだからな」
 ロッティーナはまだ、くすくすと笑っている。
「あ、そうだ。ロッティ」
「はい?」
「怪我はもう平気なのか?」
「ええ。まだちょっと痛みますけど、後ニ、三日もすれば完治すると思います」
「そうか。悪かったな、何だか……」
「気にすること無いですわ。夢は誰だって見るものですから」
「いや、そうじゃなくてさ」
 フェレットはそう言って、少し間を置いた。
「僕がもう少しちゃんとしてたら、そんな大怪我はしなかったはずだからな。船長として面目ないと言うか、何と言うか」
 ぼそり、ぼそりと独り言みたいに続けるのは、本心から申し訳ないと思っているからなのか、照れの気持ちからなのか。
「それも、お気になさらずに」
 ロッティーナは平然と、流すようにして声を出した。
「でもさ、仮にあそこにいたのが僕じゃなくて、かおるさんだったら……とか思うとね。情けなく思えるよ、自分が」
「私はそのかおるさんと言う方、知りませんから」
 ――あれ?
 フェレットは首を傾げた。
 ロッティーナの声がほんの僅かに、冷たいものへと変わった気がしたからだ。
「それじゃ、失礼しますね。船長もひとまず無事だったようですし」
「うん……おやすみ」
 ぽかんとしながらも、フェレットは挨拶をした。
 彼女が部屋を出て行く動作を見つめていて、
「ロッティ、ちょっと待って」
ベッドから立ち上がり、彼女の方に近付いて行き。
「はい?」
 彼女が振り向きざま、フェレットはその額に右手を触れさせた。
「まだよろよろしてるけど、熱有るんじゃないのか? 顔色も良くないし」
「……平気です」
 額にほんのりとした温もりが触れて、思わず咄嗟にそう返してしまった。
 他の言葉を返そうとする余裕を失ってしまって。
 自分は今、上手く表情を取り繕えているのだろうか? と心配をする。
「とにかく安静にして置きなよ」
 部屋を出る直前にもう一度声が響いてきて、ロッティーナは小声ではい、と呟きを返した。
 半開きになっていたドアから、宿の廊下へと出ると。
「よぉ」
 そこには”シャルトリューズ”の船員の一人、グラフコスが立っていた。
 ロッティーナはまだ開いていたままのドアを閉じてから、
「どうしたのよ、こんな所で。元盗賊」
 ほんの少しだけぶっきらぼうになった声で、そう応じた。
「出かけた帰りだ。寝ようと思ってたんだが、面白いモンに遭遇しちまってな」
「面白いものって?」
「気の強さが有名な某女船員の、思わぬ弱味を発見したってトコかな」
「ちょっとっ、何よそれ!」
 思わずグラフコスの腕を掴みそうになるロッティーナ。
 ……他人に見られていたとは。
 さっきまで必死で抑えていたのに、頬が紅潮するのを自分でも感じた。
「弱味も何も、やましいことなんて何も無いわ。出歯亀行為をするなんて、男らしくないわよ!」
「……ドアが開いてたんだよ」
 たった一言でここまで過剰に反応されるとは、と、グラフコスは驚いている様子だ。
「それに今も、あんまりでかい声出すと船長さんに聞こえるんじゃないか?」
「あ!」
 ロッティーナは慌ててドアが開いていないか確認する。
 ちゃんと閉じていたものの、まさか中まで聞こえやしなかったろうかと、目に見えて狼狽える。
 途中でいきなり隣にいる男の視線が気になったらしく、また平静を装っているが。
「なぁ、飲み行かねえか? これから」
「貴方と? そんなに親しかったかしら、私達」
「そう目くじら立てるなって。たまにゃあ自分のペースで酒を飲むのも良いと思ってな」
「たまには、って……」
 グラフコスはもう決定とばかりに、宿の入り口の方へと歩いて行こうとしている。
「うちの船長のせいで、いつもはそうもいかねえんだよ」
 そうして、ロッティーナに着いてくるよう促した。
(平気かしら)
 この男は元、ギリシャムーンズ。
 今は船団の一員であるとは言え、信用出来るとは言い切れない。
 あれこれと疑いながらも付いて行くロッティーナに比べて、グラフコスは全く普段と変わらぬ素振りで。
 珍しい組み合わせの二人は酒場へと繰り出して行った。

2

「てっきり船長も来てると思ったんだが……いねえな」
 店内に入って直ぐ、グラフコスは周囲をきょろきょろと見回した。
 意外にも船団の面子は一人として来ていない様だ。
「ここに着てから三日間連続で酒場に来てたそうじゃないの。どんな酒好きだって、四日はきついんじゃないのかしら」
「あんたは分かってない。言っとくがうちの船長はな、あんたのとこの坊ちゃんとは器が違うんだ」
「ふうん」
 ここで過剰な反応をしてはまた勘繰られると、ロッティーナは自分に言い聞かせた。
「ま、酒を入れる器の話だけどな」
 やっぱりね。
 心の中で、少しだけ勝ち誇る。
 二人はカウンターにつき、距離を置いた会話をしながら注文をした。
「貴方も随分馴染んだものね。この船団に来てからまだ一月と経っていないのに」
「ちょっと驚いてるんだ、俺もな」
 てっきりもっと風当たりが強いと思ったぜ。
 グラフコスはそう続けた。
「表面には出さないものよ。普通そう言うのはね」
「あんたが必死に隠してるようにか」
「何なのよ、いちいちっ!」
 両手でカウンターを叩き、ロッティーナは思わず立ち上がった。
 酒場の店主にじろりと見られ、一言謝ってからまた席につく。
「別に、そんなんじゃないわ。私は。ただ……」
「話は飲みながらにしようぜ」
「……ええ」
 そうして、二人は盃を交わした。
 しかしその後に場には沈黙が落ちる。
 元々、今までまともに会話をしたことさえあまりない組み合わせだ。
 言葉少なにワインを口に運び、料理を頬張っていたが、やがてロッティーナの方から口を開いた。
「別に船長とは……船長のことが好きだとか、そんなんじゃないわ」
 グラフコスは横目でちらりと見やっただけだ。
「ただ……アイデンティティなのよ。あの人は、私の」
「悪いが、無学なもんで言ってる意味が……」
 返事が来るより前に、ロッティーナはワイングラスを大きく飲み干した。
「自我同一性、自己同一性のことよ。私が一体どんな存在なのか、それを確立させてくれる存在なの。あの人が」
 またワインを注ぎながら、つらつらと説明をする。
 液体が注がれたはずのグラスも、見る見るうちにまた中空だけを映し出すようになった。
(こりゃ、相当鬱憤が溜まってたのかもな)
 どうやら今夜も、マイペースで飲むことは出来そうにない。
 グラフコスは思った。

 ロッティーナが話し始めたその光景は、このカンディアよりも遥か北、倫敦の町の灰景色。
「今から、四年半も前の話よ……」
 ぼそり、ぼそりと、他人に言っているのか独り言なのかすらわからない、曖昧な声。
 飲み始めてまだ一時間と経っていないのに、相当酒が回っている。
「私は元々、イングランド人でね。倫敦で、海軍の士官学校に通ってたの。兄が一人いるんだけど、その兄も軍人をしてたわ」
 まだしてるけどね、と小さな声で付け加える。
「海軍か。そりゃ恐ろしい」
 聞こえていないだろうと思って、グラフコスは適当な相槌を打った。
 確かに、ロッティーナには届いていない。
 彼女の目は何処か遠くの方を見つめていて、頭はもう過去へと飛んでいた。
 ――そう、あの人に会った時の第一印象は”変な人”であった。
 今もまだ、変な人であることには何の変わりも無いのだけれど。
 出会った時のことは、今でもよく覚えている。
 ブリテン島の周辺で多発している追いはぎを取り締まったり、沿岸の小海賊の元へ送られたりと、まだ海軍候補生で有るにも関わらず、忙しい日々を送っていた時期の……ある日のことだった。
 季節は秋だったな、そう言えば。
 倫敦らしからぬ、恐ろしいほど眩しく一点の曇りも無く晴れ渡った日の、夕方。
 そうだ。あの時も確か、ドーバーの辺りで暴れ回っている奴等がいると聞かされて、出掛けた帰りだったんだわ……。
 ロッティーナの声は最早ただの独白と化している。
 グラフコスの耳に向けられたものではなく、彼は何とか食い下がって聞いているものの。
「荒れてるのはけっして、ブリテン島だけじゃなかったわ。アムステルダムにも駆り出されたしね。それに倫敦の町だって、変な輩が多くいたのよ。そう、丁度あんたみたいのが……」
「一言多いぜ」
 独り言かと思いきや、最後の声ではちゃんとグラフコスのことを指しているのだった。
 それもあまり宜しくない登場の仕方だ。
「その日にね。家に帰る途中、色々な店に寄ったりして……大分遅くなっちゃったのよ。帰るのが」
「それで?」
「たまたま、本当にたまたまね。道具屋の裏を通りかかった時に、丁度そこから荷物を盗み出そうとしている集団に遭遇したの」
「やれ、物騒なもんだな」
 グラフコスの声が少しだけぶっきらぼうになる。
 自分がその時倫敦にいたなら、間違い無くその盗っ人側に回っていただろうから、あまり笑えない話だ。
 いや……昔の俺だったら笑えなかった、か。
 ぼんやりと、そう思う。
「で、あんたはどうしたんだ?」
「その頃は血気盛んでね。……今もそうだろ、とか言わないでよ。海事の依頼を受ける事を始めて直ぐのことだったからね。簡単な依頼を幾つも成功させて、強気になってたのよ」
「ああ」
 ちなみにグラフコスは聞き手に徹しながらも、着実にワイングラスを開けていっている。
 ロッティーナと違い、顔色は未だ平然としたままだ。
 彼女はと言えば、顔は熟れた林檎のように真っ赤で、視線は覚束無い状態。
(こりゃ、話が終わった後が大変だな)
 もう少し大人の女なのかと思ってたが、とグラフコスはほんの僅かだけ、寂しそうに浮かべた。
 酒を飲むペースを知らんのも、今日だけが特別と言う訳でもないだろう。
「こっちは独りで、相手は確か……五人は居たわ。剣術も今に比べるとまだまだ未熟だったのに、私は向かって行って……散々な目に遭わされたわ」
「……おい、ちょっと待て。酒が不味くなるような展開になるのか?」
 元盗賊の発言とも覚えないと、グラフコスは自分で思った。
「ならないわよ。まぁ、数発は殴られたりしたんだけどね。けど、そこであの人が現れたの」
「ああ、あの坊ちゃん船長な」
「たまたま通り掛かったのよ。もう、凄く驚いちゃってね。人気の無い所に連れて行かれそうになって、本当に助からないと思ったの。本当に何かの物語を見ている様だと思ったわ」
 ロッティーナがやけに砕けた口調になっているのは、別に打ち解けたからではないだろう。
(こいつ……普段から相当、あの船長に良い所を見せようとしてんだろうな)
 やたら良識派ぶったり、船長に説教食らわせたりしてるのも、全て。
 これだから良いトコのお嬢ちゃんってのは。
「で、その船長が盗っ人どもを格好良く仕留めて、話は終わりか?」
「ううん」
 ――あの時の船長は、今よりも少し身長が低くて、もっと子供っぽい顔つきをしていた。
 当然今に比べれば剣術もまだまだだったろうし、喧嘩だって強くなかったのだ。
 結局僅か数分足らずの間にぼこぼこにされて、人目を恐れて、盗っ人達は逃げて行った。
「ちっ……たく、あの人は何処行ったんだよ……」
 仰向けになって倒れたまま天を見上げている少年に、ロッティーナは駆け寄った。
「大丈夫? 巻き添えを食わせてしまって、ごめんなさい……」
「いや、僕が勝手に割り込んだから」
 はははと笑うその顔は、興奮しているのが、やけに赤くなっている。
「それに、もう少し僕が強かったら、君もこんな酷い目に遭わなかったはずなのに。余計な手出しして悪かったね」
 そう言った後、案外平気そうな様子で立ち上がって、そしてそのまま行こうとした。
「待って」
「いいよ、治療してくれなくても」
「そうもいかないわ」
「気持ちは嬉しいけど、急いでるんだ」
 少年は差し伸べた手を振り切ろうとする。
 一度振り切ったそれを、ロッティーナはさらに掴んだ。
「私にも面目って言うものがあるの。仮にも軍職についている私が、何処の誰だかわからない人に助けられて、それで終わりには出来ないわ。今急いでるんだったら、後日お詫びに窺わせて貰う。それで良いかしら?」
 何故だか強い剣幕でそんなことを言われて、少年は思わず目を白黒とさせる。
 助けに入っておきながら、何故自分は責められているのだ……と。
「だから住んでいる場所と、名前を教えて」
「名前はフェレットだけど。……住んでる所かあ。そうだな、まあ各地に恋人はいるな」
 言葉を受けて、今度怪訝な顔になったのはロッティーナの方だ。
 しかしフェレットからすれば、これはまだ言葉の途中らしく。
「住所はこの海だね。北海も地中海もインド洋も何もかも、全部ひっくるめて。イルカやらウミガメやらと同棲してる」
「はぁ?」
「まあ、そう言うことだよ。だから気が向いた時にでも、海までお詫びに来てくれれば良いよ。それじゃ」
「ちょっと……待って!」
 ロッティーナは再び引き止めようとしたが、フェレットと名乗った少年は、そのまま行ってしまった。
(何なの……?)
 ぽかんとしたまま、その場に取り残されるロッティーナ。
 全く訳が解らないが、フェレットと言うその名前と口にした言葉、風に靡いていたその緑色の髪だけが、頭の中をぐるんぐるんと回っていた。
 フェレットの姿はもう見えなくなったと思いきや、
「あぁかおるさん! もう、何処で油売ってたんですか!」
さっきよりずっと大きな彼の声が、直ぐそこの角を曲がったところから響いてきた。
 相変わらず唖然としたままのロッティーナは、ただそこに立ったままで、そのやかましいやり取りを黙って聞いていた。
 聞こうと思わずとも、響いてきたのだ。
「アー悪いフェレット君、倫敦は初なんで迷っちゃったよ」
「出身、倫敦じゃないんですかっ!?」
 怪我のせいもあって、現れた男に対するフェレットの返事は荒々しかった。
「倫敦だったような気がしてならん。そうそう、ロンドン橋がフォーリン・ダウンしたせいで迷った」
「もう、訳分らないですよ。お陰でこっちはとんでもない目に遭ったんだから」
 荒々しさを越えて、呆れた声に変わるのも早かった。
「そう言えば色々人生経験を積んできた様な、男の顔になってるね」
「……いいから、もう。それよりかおるさん、カリタスさんとの約束の時刻、もう大分過ぎてるでしょ。早く行きましょうよ、全く」
「元はと言えば、フェレッチ君が倫敦の酒を先に味わっときたいって、酒場に行ったせいで遅れたんじゃ」
「まあ、そうだけど……」
 ああ、とロッティーナは小さく頷いた。
 さっき彼の顔が赤くなっていたのは照れていた訳じゃなく、酒に酔っていたのか。
 ……そう考えれば、あの妙な言動も納得が行かなくもない。
 そうして、会話はもう聞こえなくなった。
 どかどかと言うやたらやかましい足音だけをその場に置いて、彼は行ってしまったのだ。
(にしても、変な人だったわ)
 ロッティーナ自身も軽傷を負っている。
 一人になった今、わざわざ此処で立ち止まっている理由はない。
 ぼんやりと今さっきの出来事を思いながら、帰路へとつくことにした。

 その記憶の中に、確かにかおると言う人物は登場をしている。
 今のところは名前だけであるけれど、この先の回想でその姿も登場することになる。
 船長に”知らない”と言っているのは……昔からあの人を知っていたことがばれてしまうのが、怖いからだ。
(あの時、私は幾つだったっけ? 四年半前だから……十六?)
 十代の頃の私の記憶には、あの人はたった一度しか登場をしない。
 秋の夜長の変な出来事など直ぐに頭から消えてしまいそうな程、それからも忙しい日々が続いた。
 それでも時々、ふと思い出したりすることがあって、数ヶ月にいっぺんくらい、記憶の片隅から引っ張り出されたり、またしまわれたりして。
 そんな風にして、四年の歳月が流れた。

「久しぶりね、アンジェラ」
「あら、ロッティ。本当に久しぶりね。また仕事が忙しかったの?」
 倫敦の酒場で働いているアンジェラと言う女性は、ロッティーナとは旧知の仲であった。
 そんな理由から以前はちょくちょくこの酒場に来ていたが、ここ数日間は海軍の仕事でボルドーの方まで赴いていて不在にしていたのだ。
 やって来たのはロッティーナだけでなく、彼女の兄であるヘンリーも一緒だ。
「しかし兄と一緒に酒を飲むなんてな。お前、一緒に酒を酌み交わしたりするような男性とかいないのか?」
 運ばれてきたワインで乾杯するなり、ヘンリーがそんなことを言ってきた。
 余計な御世話、と言葉を返す。
「別に恋愛なんて、必要性に駆られてやるものでもないし。それに私は軍人なんですからね、そんなことに現を抜かしている暇なんて無いの」
「いや……俺も軍人なんだがな」
「けど兄さんには、アナベルさんがいるものね」
 ロッティーナが口にしたのは、ヘンリーが既に十年もの間、恋人として付き合っている女性の名である。
「にしても何だか今日、やけに活気が有るわね」
 一つのテーブルで会話していると言うのに、互いの声がよく聞こえない。
 それもそのはずだ、普段から繁盛しているこの店に、今日はさらに二倍する人が入っているのだから。
「最近ずっとこうなのよ。店の方としては嬉しい悲鳴と言う所かしらね」
 アンジェラに説明されて、ロッティーナは不思議そうな顔をした。
「ずっとこう? いきなり人気が出るような、何かがあったの?」
「ええ」
 アンジェラは頷く。
「うちの店が何かしたって訳じゃないのよ。ただ最近、この店にちょっとした有名人が来るようになってね」
「有名人?」
「ええ。ロッティ、この間の事件のことは知らないかしら? バルト海の辺りで、冒険者と海賊が結構な規模の艦隊戦をしたって言う……」
「知らないはずないわ。アムステルダムの軍も、冒険者側の援護をしてたって話だしね。えっ? もしかして有名人って、その冒険者の人なの?」
「ええ。今日は来てないみたいだけれど、その冒険者達の方々が最近よくここに来るようになったの。と言うより以前から来て下さってたんだけど、名前が知れたせいで、その人達を目当てに酒場に来る御客様が増えたみたいでね……」
「不純な目的ね。酒場に酒を飲む以外の目的で来てどうするのよ」
 ロッティーナは小声でそう毒を吐くのだった。
 店内の喧騒に掻き消されつつも、しっかりアンジェラには届いている。
「お酒も料理も、ちゃんと頼んでくれているんだから問題は無いわ。それにその冒険者の方達も、素敵な人ばかりよ」
「貴方がそんなこと口にするなんて、珍しいわね」
「だから、ロッティも一度位、その人達を見てみると良いわ。良い人が見つかるかもしれないもの」
「あのね、アンジェラ……」
「ふふっ。だってお兄さんも心配してるじゃない」
「余計な御世話!」
 先程と同じ台詞をまた口にして、ロッティは横を向いてしまった。
 これ以上何を言われようとも、応じる気は無いと言った表情で。
 ヘンリーとアンジェラは顔を見合わせ、二人して苦い笑いをする。
 その後ヘンリーだけは深い溜息を続けた。
「まあ、恋愛話とは関係ないとしてもな。その冒険者の人達ってのは何でもとても砕けた人達らしくてな、見てて面白かったぞ。お前も少しくらい見習ったらどうだ」
 溜息を吐いたその後に、ヘンリーが口にした。
 どうやらロッティーナが不在の間にも、何度かここを訪れていたようである。
「砕けたって、何がよ?」
「ああ……口ではちょっと上手く言えないがな。しかしああ言う奴等を見てて思ったよ。俺は一応軍人をやってるが、でも自分の中ではあんまり、軍人気質みたいなものを表面には出さないようにしていたつもりだったんだ。……堅い人間だと思われるのも嫌なんでな」
 心配しなくても、誰も兄さんを堅い人間だなんて思わないわよ。
 ロッティーナはそう、小声で毒を呟いた。
 ヘンリーは一瞬顔をしかめつつも、しかし言葉を止めない。
「そう言うがな。上には上がいるって言うだろう? その冒険者の奴等みたいに自由気ままにはなれないなって、俺はそう思わされたんだよ」
「ふーん。兄さんがそこまで他人のことを誉めるのも珍しいわね」
「誉めると言うか、良くも悪くもって感じだがな。……あっおい、噂をすれば何とやらって奴だぜ」
 と、ヘンリーは入り口のほうを指で差した。
 ぞろぞろと、店内へとやってくる影がそこにはある。
 まず一人目、どう見てもこの辺りの人間ではなさそうな、もっさりとした衣服を羽織った大男。
 特に表情を取り繕っている訳でもなさそうだが、一見して眠そうに見える。
 その次に続いて入ってきたのは――およそ冒険者らしくない、清楚な雰囲気を醸し出した女性。
 服装も深い緑を基調としていて、更に落ち付いた雰囲気を際立たせている。
 二人の周りを囲むようにして、いかにも水夫と言った感じの男達が数人。
「アー。マシターはおるかね」
 大男はずかずかと歩いてきて、マスターの元で、無色透明な声を放った。
「いらっしゃい。今日も来てくれたのかい?」
「そこの棚のAからZまでを全部頼む」
「あいよ」
 たったそれだけのやり取りを経て、その集団は纏まってテーブルへとついた。
「……何、あれ?」
 その様子を黙って眺めていたものの、頭に浮かぶのは疑問符ばかり。
 ロッティーナは小声でアンジェラに訊ねた。
「あの方達が、例の冒険者達よ。正確には、今回の事件を解決したカリタスさんって言う方が、助っ人として呼んだ人達ね」
 確かにカリタスと言う名前は、倫敦でも何度か耳にしたことがある。
 だが、問題はそこではない。
「いや……棚のAからZまでって、何よ? あんな注文で解るものなの?」
「最初は戸惑ってたけど、マスターも慣れちゃったみたい。今じゃあの人達と話すのが日課みたいになってるもの。なんでもああする事を、印度では”大人買い”って言うそうよ」
「オトナガイ? ふーん……」
 意味そのものはさっぱり分からないままだが、ロッティーナはとりあえずその単語を覚えておく事にした。
 これからの長い人生の上で、何時か役に立つ機会があるかもしれない。
「どう? ロッティ」
 アンジェラがくすくすと笑いながら訊ねた。
 ロッティーナが戸惑っている様子を見るのが面白いらしい。
「どうって……変な人達だってのは、見て取れるけど」
「変だけど、エスニックな魅力を持ってるって思わない?」
「全然」
 ロッティーナの返事は素で全く興味が無さそうなものであった。
 あの奇怪な面々はそう遠くない場所で飲んでいるのだが、大して気にも留めていない。
「貴方はもう……。ああ、でもね。あの船団にはもう一人、私達と同じ位の年齢の男の子がいるの」
 ロッティーナは「だから?」とも言わんばかりの表情だけを返す。
「この間、店内でリュートを演奏してくれたんだけど、結構上手かったわよ。色んな国を回ってきたんだって、様々な曲を演奏してくれてね」
「これから海軍の仕事で各地に回る機会もあるだろうから、わざわざここで聞かなくても本場で聴くから、いいわ」
 本当につれない返事ばかり。
 昔からの友人として、アンジェラが説教をしてやろうと思ったそんな時。
 店内に、大きなくしゃみが響いて渡った。
 それだけでは当然、ロッティーナが関心をよせるはずも無かったのだが、
「ちょっとフェレさん、宿で休んでなきゃ駄目じゃない。風邪、まだ治ってないんでしょう?」
しっとりとした女性の声。
 フェレさん、と言う単語だけではまだ、何も引っ掛かるものはなかった。
 しかしその次に届いてきた声。
「ちゃんと治す為に、此処に来たんですよ」
 それがロッティーナの記憶を、つんと突いた。
「酒が無きゃ治らないって、またそんなアイさんみたいなことを」
「そうよ、フェレさんらしくない……って。またそう言うことを……で、一体どうしたの? フェレさん」
 交互に響いてくる男女の声。
 ロッティーナに耳に、それは正しく聞こえていない。
 彼の声では、ないからだ。
「どうしたもこうしたも、リィにあんなこと教えたの、かおるさんでしょう!」
 割と本気で怒っている声が聞こえて来て、ロッティーナは思わず体全身をそちらへと振り向かせた。
 飛び込んできたのはまず、黄緑色をしたその髪。
 女性のもののように柔らかくて、淡い。
 片耳だけに赤いピアスがつけられていて、それが遠目にも映えている。
(あ……)
 目に入ったその青年の姿を見て、全ての言葉が失われてしまう。
 この場の空気も、喧騒も。
 みな、感覚からシャットアウトされていく。
「私がやりました」
「……そんなあっさり認められても張り合いがないけど。リィのやつ、タマネギを首に巻いたら風邪が治るって信じ切ってて、お陰で宿で寝てたら、気付いたら裂いたタマネギで首を絞められてたんだぜ! 本当に危うく死ぬところだったんだから!」
「生まれ故郷ではそう伝わってるんだよ」
 かおるさん、と呼ばれたその男は、あくまでも自分の非を認めないらしい。
「故郷……イングランドじゃないの?」
「印度」
「ウソつけっ! おまけにルーファさんやらパング君とかも、面白がってタマネギをたくさん持ってきやがるし! あんなことされるくらいなら、ここで酒気という布団に包まれて寝てた方がずっとマシだよ」
 大男と、その青年のやり取り。
 それだけで既に辺りの客は笑いを堪えに堪えており、たった一人、ロッティーナだけがそれを真剣な表情で見ていた。
 ……何故、ここまで?
 ロッティーナはそう、自らの記憶に問い掛けた。
 あの時たった一瞬だけ目にした姿であるのに。
 それからだって、何時も胸に抱いていた……なんて訳ではない。
 それなのにどうして――あの姿が、私の心をここまで刺激するのだろう?
「あれで中々の面白い船長だって噂だぜ。あそこの船員の一人が『うちの船長はこの世界の魅力的な光景を誰よりも知ってるんだ』って、自慢気に話してたぞ」
 ヘンリーがそう、ロッティーナの思考に言葉を割り込ませる。
「南でドラゴンの骨を探したり、亀やイルカを海で見付けたりしたんですって。ああ言う人達を見てると、私も海に出てみたくなるわ」
 アンジェラの声も。
「お、ロッティちゃん、あの集団に興味を持ったのかい? 何なら紹介位してやるけど」
 そう、酒場のマスターもがロッティーナに話し掛ける。
 彼らの言葉が過去の記憶と入り混じり、ぐちゃぐちゃになる。
 そうなった後、それはひどく澄み切ったものへと変わった。
「ねえ、兄さん。私、海軍辞めるわ」
「ん。ああ」
 ヘンリーは返事をしたが、言葉の意味をよく理解し切れなかった。
 表情がそれから数秒を掛けて、徐々に変わっていく。
「海軍を……え? ちょっと待てロッティーナ! どう言うことだ!」
 驚きに彩られた顔になって、ヘンリーは声を上げた。
 妹の口からそんな言葉が出るとは、考えた事も無かったのだ。
「前からちょっとね、考えてたの。決めたからには早いほうが良いし。帰って、父さん達にも説明して来るわね」
 ロッティーナはすっくと立ちあがり、毅然とした動作で入り口の方へと歩いて行った。
 途中、ちらりとだけ緑髪の青年の方を見やる。
 彼は、こちらへと振り向きはしない。
「ちょっと、ロッティ!」
 アンジェラが声を送ったが、ロッティーナの姿はもうそこからいなくなっていた。

 海軍は国の未来を担う重要な仕事。
 勿論、そう簡単に抜けられる訳などなく、結局家を飛び出したような形になってしまったけれど。
 それからしばらくの時を経て、その船団へと加わることが出来た。
 あの人は過去に私と出会ったことなんてすっかり忘れていて、それはちょっと残念だったけど。
 ドーバーの町で船長の過去の話を聞いて、あの人も自分と似た境遇なんだと知った。
 過去に出会った時も、それから数年後に再会した時も、自分はずっとあの人のことを求める側で――これからも、そうなのかもしれない。
 深く考えると寂しくなるし、辛い。
 けれどこのままこんな風に、幻想を抱いていられれば、それでも良いのかもしれない。
 ……このままずっと私に幻想を抱かせていて欲しいのです、船長……。

3

「何がなんだかさっぱりだったな。最後まで……」
 隣の席でぐっすりと眠っている女性を見て、グラフコスはぼやいた。
 一からじっくり話してくれるのかと思いきや……最初はそのつもりだったんだろうが、途中から全て自分の中だけで話が進んで行ったようで。
 結局詳しい事情は殆ど知ることが出来なかった。
(ま、辛い立場なんだろうな)
 こんな酔い方をしている時点で、それは窺い知れる。
 整った顔立ちは酒色に染まり、瞳は今にも泣き出しそうなほどに潤んでいる。
(あの坊ちゃん船長の何処に惹かれたんだか、よく分からねえが。……問題はこいつをこの後どうするかだな)
 あれこれと思いながら、グラフコスは自分のペースを崩さずに、酒を口にしている。
 良い気分で酔えているし、今ここでこの気分を断ち切りたくはない。
 グラフコスが悩んでいるそこに丁度良く、二人の来客が現れて。
「お二人さん、こんな時間によくもまあ」
 二人の船長に向かい、グラフコスはそんな言葉を投げかけた。
 しかしよくよく考えてみれば、飲み始めてからまだそんなに時間が経っていない。
「何だか寝付けない夜だったんでね。たまにはアイさんの寝酒を真似てみるのも悪くないと思って」
「……まあ、そんな理由よ」
 現れた二人はフェレットとアイであった。
 今日この酒場はやけに落ち付いた雰囲気で、店に居る客も皆、自らの世界に入り込むようにしてゆっくりと酒に浸っている。
 これなら落ち付いて飲めそうだな……と、フェレットは僅かに相好を崩すのだった。
 その後改めてグラフコスらの方を見るなり、目の色を変える。
「君ら、そう言う仲だったのかい?」
 言われてグラフコスもまた、慌てて弁解をする。
「独りで飲みに来たら、たまたまいたんだよ。まともに話すような仲でもない」
「へぇ……。まあ、確かにウマが合わなさそうな気もするけど」
 正直な言葉を口にするフェレット。
 彼の中ではまだ、ロッティーナのイメージは毒舌でありつつも真面目一辺倒な女性である。
 この先もきっと、そのイメージは変わることが無いのかもしれない。
「しかし、まだ怪我してるってのに。そんなに酒が好きだったかな、ロッティって」
「あんた、こいつの船の船長だろ? 責任持って連れて帰ってやんなよ」
「え? でも、今来たばっかなんだけど」
 フェレットがぽかんとする中、グラフコスはアイへと視線を飛ばした。
 それを見て、アイは何かを察する。
「そうね。私はか弱いから、ちょっと送ってくのは無理だし。それにお酒も飲みたいしね」
「は? か弱いって……」
 フェレットは怪訝な顔をしたが、つまり損な役回りは自分のところに回って来たのだと、そう理解をさせられる。
 損だと言ってしまってはいけないのかもしれないが、お陰で今日は酒を口にする事は出来そうにない。

「……じゃ、二人とも。達者で」
「ええ。また明日ね」
 酒場に残っているアイとグラフコスのほうに何度か振り返りつつ、フェレットは来て数分で酒場を後にした。
 背中にはロッティーナをおぶっている。
 彼女の体は重くないが、それでも宿まで運ぶのは幾らかの体力が要りそうで、これなら寝酒の必要もなくぐっすりと眠れそうだ。
 そうして宿までの道のりを、フェレットは夜空に見送られながら歩いた。
 海の波音が、時々まるでじゃれ合うかのように響いてくる。
(アイさんも、何時の間にかすっかりあのグラフコスとか言う奴と仲良くなっちゃって……。悪い奴じゃなさそうだけどさ)
 星空にも、海に話し掛けるでもなく、独りぼんやりとそんなことを浮かべていた。
(それに……ロッティって、こんなに潰れるまで飲むような人だったっけ?)
 他の船員が毎度のように潰れているのを、何時も律儀に介抱してくれている、そんなイメージを持っていたのだが。
(やっぱり、日頃の僕らのあんまりなやる気の無さっぷりに、不満を抱いてたりとかするのかなぁ……。それで今日はヤケ飲みをしてたとか)
 冗談のように思ってはみたものの、有り得なくは無さそうな気もする。
 日頃から怒られてばっかりだし、よくも我慢して船に乗ってくれているものだと、思うこともある。
 考えてみれば、男ばかりの船に女一人で乗り込むと言うのは並のストレスじゃないだろう。
 ……それはリィの時も思っていたことだけれど。
(き、嫌われて無いかなぁ……僕)
 今更ながらにそんなことを不安に感じる。
 そんな時、背中におぶさっている体が、僅かに揺れ動き。
 フェレットはびくりとして、バランスを崩しそうになった。
 変に誤解をされて、怒られたりしないだろうかと。
 案の定、ロッティーナの第一声は驚きに満ちたものであった。
「えっ、ちょ、ちょっと! 下ろし……」
「ごめん! どうしても連れてけって言うから」
 フェレットは慌てて、どう対応すべきなのか判らずにあたふたとする。
 ロッティーナも同じだ。
 だが、自分をおぶってくれている人間が誰なのか、直ぐに気付き。
「っ船長?」
「うん。酔いは大丈夫?」
「……はい」
 別の種の驚きが浮かび、彼女は何とかそれを隠そう、隠そうとする。
 フェレットはフェレットで、どうして良いものかと焦りを浮かべつつ。
 そんな風にして、一つになった影はゆっくりと、カンディアの町を行く。
「次はとりあえず、ヴェネツィアへと向かおうと思うよ。さっき酒場に来る時にアイさんと話してて、一応そんな方向で決まった。ロッティはヴェネツィアには行ったことあるかい」
「いえ、無いです」
「実はね、僕も初めてなんだ。”カナル・グランテ”(大運河)に日が没していくその光景が叙情的で素晴らしいんだって、同じ船乗りの人から聞いたことがあるだけで」
「日没ですか」
 その言葉を聞き、ロッティーナの脳裏には幾つもの光景が浮かんだ。
 船長ならきっと、私の想像なんかよりももっともっと素敵な景色を浮かべられるんだろうなと、そう思う。
「倫敦の日没も、リスボンでも、セビリアでも……。日が落ちていく光景は町毎に違っていて、けれどどれもとても美しくて、綺麗でした。ヴェネツィアは一体、どんななんでしょうね」
 その口調はしっかりとしたものだ。
 さっきと変わらず酔っているままなのに、こうしていると何故だろうか、胸の鼓動が全てを掻き消して、正常心を取り戻させてくれる。
 この人の前で、変な姿は見せられないと。
 ……ああ。
 この高鳴りを、もしも彼が同じように感じていたとしたら、どんなに素敵だろう。
 けれど、それは私だけが抱いている――叶わない夢でしかないのだと、知っている。
「ロッティ。頬、傷が残らなくて良かったな」
「はい……」
 この人の視線は何時だって海を見ていて、愛する人のほうを見ている。
 そんなこの船長のことを、私はただ護ることくらいしか出来ない。
 けれど、今はそれで良いのだ。
「ヴェネツィアでは多分、今回みたいな荒事にはならないと思うけど。もし何かあった時は、また力になって貰えるか?」
「はい! 勿論です」
 私には……この人の体も、心も、癒してあげることは出来ない。
 だから私はこの人の剣となり、盾となるのだ――。



  1. 2005/07/24(日) 07:46:52|
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第十二章 異なる闇に、月は沈み(後編)

3

 アレクサンドリアから数時間ほど西に行った所に、開けた海岸があった。
 先に続いているのは砂漠ばかりで、とても文明があるようには思えない。
 だが、一行はここに来る理由があった。
 海岸の端に、まるで乗り主に捨てられたかのようにぽつんと佇むタレッテ船を見付けたからだ。
 警戒しつつも船内を確かめて見ると、何と裳抜けの殻であった。
 まあ、こんな所に立ち寄る人間などそういないだろうから、無警戒でいるのもわからなくはないが。
 それにタレッテは十人も乗ることが出来ない、小さな船だ。
 船の警備に割く人員がいなかったのかもわからない。
 フェレットらは一応念をおして、船員の大半を船へと残していくことにした。
 多人数で動いては気取られるだろうし、それに敵の数は極少数なのだから、少人数でも問題はないと判断して。
 さっきアレクサンドリアに降り立った面々からルーファとレティシアが外れて、それに腕の立つ船員を数人選り抜き、一行は砂漠に降り立った。
「……私も来ちゃって良かったのかしら」
 船を降りてから直ぐのことだ。
 アイがそんなことを口にしたのは。
「そりゃ、レティシアちゃんと離れるのが嫌なのは解ってるけど」
 しかしフェレットは相変わらずの軽い調子。
「そうじゃなくてね。しくじるのが許されない状況なんだから……」
「平気だよ。こんなに屈強そうなボディガードがここにいるでしょ?」
 フェレットは自信満々に言い、自らの胸を親指で差した。
「屈強には見えないけどね。でも、頼りにしてるわ」
「うん。こっちもね」
 フェレットの声もまた、心からの本音である。
 彼の中では未だに、かおるとアイの二人ともがいない光景なんて、考えられないのだから。
 船団で最強の男がいない今、戦力的に万全と言えないのは確かだ。
 万全どころか、半身が失われた状態と言ってもいい。
(けど、失敗はしない。今までだって何だかんだで上手くいってきたんだ)
 フェレットは自らの荷物袋の中身を確認し、そして強く決意をした。
(かおるさんがいないんだ。僕が先陣を切ってやらなければ)
 目指す目的地は、上陸地点から南東にあるというオアシス。
 これもまたユリアから聞いた情報であり、あの包帯で全身を覆い隠した男はそこに向かったとのこと。
「冷えてきたっすね」
 パングが、真上に広がる満天の星空を見渡しながら呟く。
「砂漠ってのは夜はとんでもなく寒くなるらしい。急がないとな」
 フェレットの声も、このあまりに広大な大地の下にいるせいだろうか、不安げに響いた。
 急ぎつつも、出来るだけ気配を隠しながら進む。
 岩肌が露出した歩き辛い場所ばかりを選びながら、少しずつ進む。
「リィ。きつかったら君は離れてろよ」
「いえ、大丈夫……。やれます」
 呟く声は弱々しくて、フェレットは考え深げに、うーむと唸る。
 ――失敗は許されないんだぞ、リィ。
 解ってるのか?
 そう強く問い掛けたい気持ちで一杯だったが、それを口に出さぬように抑えながら。
 大丈夫、あいつは一見意思が弱そうに見えるけど――その華奢な姿よりもずっと、秘めた強さを持っているのだから。
 僕よりも、ある意味ではかおるさんよりも強いのかもしれない。

 岩肌が直角に隔たっていて、そこを九十度回転するようにして曲がると、そこには。
「お前等、何処から来た者だ?」
 何を確認するよりも先ず、届いてきたのはアラビア語で吐かれた言葉だった。
 その地点から遥か奥にぼんやりと見えている光景。
 黄土色ばかりのこの場所に在る、たった一つの深き蒼の色が覗いている。
 しかしその場所まではまだ遠い。
 そして遮るようにして眼前に立っているのは、三人のイスラム人。
 フェレットらは未だに変装をしたままで、一見して敵国の者だとばれることはない。
「この辺りにオアシスがあると耳にしたもので、チュニスから見物に来たのです」
 アイの流暢なアラブ語は、彼らの耳にも全く違和感を感じさせないほどのものであった。
「おお、それはそれは。よくもこんな時間に来たものだね」
 一言ですっかり騙し通せたことを確認し、フェレットは静かににやりと笑んだ。
 それは宵闇に紛れて、イスラム人達に見えることはなく。
 砂漠の冷えた空気の中に殺気が混じったことにも、彼らは気付かない。
 アイは続けて彼らに問うた。
「貴方達は一体何処からいらしたのです?」
「ああ、俺達は……。俺達の船の長の、お守りをやってんのさ」
「交易船か何かでしょうか」
「いや、私掠船なんだ。実はね」
 男のうち一人が平然とそう口にする。
 次の瞬間、会話相手の集団の中から、影に潜む獣がばっと飛び出し。
 素早く抜いた剣をそれぞれの相手へと薙ぎ払い、
 ロッティーナの剣は男の首を刺し貫き、グラフコスの剣は胴体を真っ二つに叩き割った。
「なっ……」
 残された一人の男が声を上げるも、彼もまた、既に首が胴から落ちた状態となっていた。
 パングの剣には、どす黒い血糊がべったりと付着している。
「こいつらも普段はガレー船の船員なんだろう。ざまあみやがれってんだ」
 グラフコスが暗い笑みを浮かべながら、シミターを鞘へと閉じた。
「包帯男はオアシスにいるのか? このまま気取られないように急ぐぞ」
 フェレットの号令で、一行は進む速度を速めてオアシスへと向かう。
 まだオアシスまでは大分距離があり、ここで起きた出来事は気付かれてはいないだろう。
 いよいよもう後戻りは許されなくなった。
 ――長き東地中海の旅の、一つの終着点がこの先にある。
 あとはただ、それを目指す他なくなったのだ。

4

「……何しに来た。俺を殺しにでも来たか?」
 砂漠の中に映し出された甘美な光景に、魅了される暇などなかった。
 オアシスに着くや否や、まるで刺し貫く銃声のように鋭い声がこちらへと響いたからだ。
 全身に包帯を巻いたその男はただオアシスのほうを眺めていて、言葉を口にした後、ゆっくりと振り向いた。
「イスラムの人間ではないな。貴様等は」
 視線を送ってから僅か数秒だ。
 それなのに、男はそう断じた。
「町の平和呆けした連中には解らんだろうが、解る奴には解るだろうよ」
「……そこまで解ってるなら、自分が死ぬしかないってことも、解ってるんだろうな」
 男を囲む六人の影。
 その影を守るようにして、さらに幾つかの影がある。
 影のうち一つが、続けて声を放ち続けた。
「あんたの部下はもう向こうで仏様になってる。この人数差じゃ勝ち目はないんだ。観念しろ」
「人数差だと?」
 上から見下したようにして言葉を吐くフェレットを、男は嘲笑った。
「俺には小汚いキツネか何かが数匹、周りを囲ってるようにしか見えんがな」
「おいてめぇ、立場を弁えろよッ」
 囲みの中から一つ、影が飛び出した。
 フェレットが制止するのも間に合わず、剣を男へと振り下ろそうとしたものの、
「マヌエル!」
 フェレットがそう叫びを上げた時には、隼の如くな刃を逆に浴びせられ、その船員は地面に崩れ落ちていた。
「あ……ああ、ああぁあ!」
 死を伴う痛みを雄叫びのようにして放ち、マヌエルは地面を転げ回った。
 その右頬を無慈悲な刃が貫き、それは地面へと抜けた。
「キツネでも、ここまで喧しいのはそういないな」
 包帯に包まれた口元から、ククッ、とそう笑みが零れる。
 そこに狂気は篭っておらず、場の状況を冷静に考えた上での、確信の笑み。
 ――僕達のことを恐れるに足らずと、本当にそう思っている!
「みんな、かかれっ!」
 フェレットの号令で、闇に紛れた殺戮の獣達が一斉に動くことを始めた。
 ロッティーナやグラフコスなど、剣術の覚えがある者達は、様子を窺いながらじっくりと動きを詰めて行く。
 パングもそうだ。
 即座に襲いかかった二人の船員は指を落とされ、心臓を貫かれ。
 どちらも数秒の後に躯と化した。
 リィとアイの二人は、陣形の最後尾で固まったまま、敵の動向を探っている。
 男は相変わらず、突っ込んでくるでもなく、かと言って退くでもなく。
 向こうもまた、こちらが動くのを待っているかのように見えた。
が、しかし。
「うわっ?」
 男は一挙動の後に、煙玉を投げつけて来たのだ。
 それも最も人数が固まっている場所に。
 地面へと落ちたそれは一瞬のうちに辺りを煙に巻き、闇に包まれていた視界をさらに悪くする。
 撹乱させて、逃げる気か?
 フェレットはそう思った。
 そう思うことですらもまた、敵の思惑の上にあったのだ。
 また二つ、三つの悲鳴が響き、何かがばたりと大地に沈んだのが見えた。
 その一つ、間近に転がった死体は、”シャルトリューズ”の船員のものであった。
 さらに、包まれた煙の先から繰り出された一撃!
「グッ!」
 シュバイツァーサーベルの刃を、フェレットは間一髪の所で受けた。
 とてつもなく重い一撃で、連続で繰り出されたら間違い無く受け切れないと、一瞬にして実感させられる。
「船長ッ!」
 ロッティーナが素早く横から割り込み、上に羽織っていたチャドリを男に投げ付ける。
 視界が一瞬閉じた所にエストックの鋭い突きを御見舞いするが、手応えは無かった。
 反撃の刃を持ち堪えて、二人は何度も刃をぶつけ合う。
 その攻防は一見互角に映った。
 戦っている二人以外から見れば、だ。
 しかし剣がぶつかり合うその度に、双方が受ける衝撃は明らかな差があった。
(鋭い!)
 再び刃が交わり、ロッティーナは思わず目を細めた。
 ……何? この威力――。
 まるで、岩で直接手を殴られているみたいに思える。
 一瞬でも気を緩めば、直ぐにこの手から剣が飛ばされてしまう!
 微妙だけども明らかな差、それを感じつつも、
(……負けるものかぁっ)
ロッティーナはそう気合を入れ直し、繰り返し攻撃を仕掛けるのだった。
 そうだ。
 戦いでその心が折れたもの、それは刃が折れたも同然で、死と同義語なのだから。

(ど……どうなってるの?)
 アイは未だ戦いに参加出来ないままで、そして自らがここに来たことを後悔していた。
 あの男、並の腕ではない所の話ではない。
 まるで人外のような、化け物のようなその戦いぶりはまるで――。
 敵がたった一人であるが故に、また迂闊に割り込むことも出来ない。
 この闇の中では敵味方すらの区別すら付き辛いし、他の剣士達の邪魔になりかねない。
 このままの状態で戦いが続けば……こちらが敗れることも有り得る。
 それ程、あの男は化け物のような強さをしていると、アイは思った。
 さらに、事態は悪化の一歩を辿り。
「みんなぁ! 敵の援軍っすよ!」
 パングの怒鳴り声が聞こえて来たその方角から、数人の男達がこちらに向かって来ている。
 タレッテは少ない人数でも動く船だ。船員は包帯の男と、さっき殺した三人で全てだと思っていたが――誤算だった。
 ロッティーナがほんの一瞬視線をずらそうとしたその隙を逃さず、サーベルが彼女の右頬を裂いた。
「ちっ、洒落にならんぜ!」
 フェレットとロッティーナはとても動ける状況ではないと判断し、グラフコスはパングの加勢へと向かった。
「船長、あんたも!」
 グラフコスは振り向かずにそう、呼び掛けた。
 一箇所に留まっていては危険だと察知し、アイに向かって叫んだのだ。
「アイさん!」
 リィが彼女の肩を押し、そして一緒にグラフコスのほうへと向かって行く。
(フェレさん――平気なの?)
 あの男の強さ、貴方だって判っているでしょう?
 間近で見ている分、むしろ貴方のほうが……。
 きっと私と同じ風に感じているはず。
 まるでかおるさんを見ているような……そんな疑念に駆られているはずだわ、貴方も。
 仮に相手がかおるさんだったなら、たとえロッティさんが付いていたって、勝てるはずがない。
「リィちゃん! リィちゃん!」
 隣を走る少女を呼び掛けたが、返事がない。
 アイの顔に焦りが浮かび、それは段々と大きくなっていく。
「パングさんの方を何とかして……直ぐ、戻りましょう」
 リィはしかし、アイ程動揺している様子は無かった。
「……うん」
 ああ、どうしてこの子はこんなにも強くいられるのだろう。
 自分はこんなにも、泣き叫びたいほど恐怖に駆られているのに、どうして?
 リィの顔にも、確かな怯えの色がある。
 それなのに彼女は必死にそれを抑えて、口調は平静を保っているのだ。
 ――何故、それが出来るの?
 そうだ、出会った時からこの子は剣が使えて、それでいて見事な銃の腕を持っていた。
 不安を口にしたことはあったけれど、それでもいつも根底の部分では、芯の強さを持っていた。
「アイさんっ! 前を見て!」
 繰り出される槍を受けながら、少女が声を上げる。
 普段のあの可愛らしい声とは別の、凛々しくて強い声。
 ……なんて凛々しくて、強いのだろう、貴方は。
 さっきアレクサンドリアに居た時とは、まるで別人。
 ――リィちゃん、貴方は一体何者だと言うの?

「ロッティッ!」
 フェレットの悲鳴が吐かれたその先には、体の半身を血に濡らしたロッティーナの姿があった。
 大きく斬られた訳ではないが、体の各所に傷があり、レザーベストに血が段々と染み出して行く。
 首に出来た切り傷、脇腹、頬……どれも、後少し深かったなら致命傷になりかねない傷。
 そしてそれらの傷が浅いもので済んだ理由は、決して彼女の力量のお陰とは言い切れ無かった。
 つまり運が悪ければ、最初の一撃で殺されていた可能性は存分にあったのだ。
 包帯の男は、決着を急ごうとはしなかった。
 基本の動きは全て受身で、こちらから攻撃を仕掛けない限り、無理に突いてはこない。
 まだ、見くびってると言うの――?
「く……そぉっ!」
 ロッティーナは悔しさの余り、唇を血が滲むほど噛んだ。
「ロッティ、平気か!」
「大丈夫です……船長。だから、構えたままで」
 駆け寄ろうとするフェレットを、ロッティーナは声で制した。
(……まだまだ、こんなところで死んだりなんか、するものですか。そうよ、私が死んだら一体誰があの人を)
 崩れそうになった膝をもう一度立て直し、ロッティーナは再び敵を見やった。
 だが、その視界は直ぐに別の存在によって閉ざされた。
「船、長……?」
「あんまり守って貰ってばっかってのも、船長らしくないからな」
 キャラック船の長である青年は、すたすたと歩いてきながら言った。
 そして剣を構え、ロッティーナと包帯を持った男の間に割って入る。
 さっきまでも戦ってはいたものの、主に援護に徹していた。
 自らの意思で剣を合わせようとするのは、これが初。
「無理です! こいつは並の腕じゃあ!」
「それに今はともかく……かつては船団の中で二番目に剣が使えた男だぜ。僕は」
 自分の声を無視した返事が来て、ロッティーナは思わずきょとんとした。
「……っ本当ですか、船長?」
「ああ。任せておいてくれ」
 ”フォスベリー”の船長は自身満々にそう口にした。
 翳した剣を、敵へと叩き付ける動作を見せて。
 そして素早い動作で、道具袋から何かを取り出して投げ付けた!
「ぬおっ?」
 広範囲に浴びせ掛けられたそれを包帯男はかわすことが出来なかった。
 どろどろとした感触を体全体で味わいながら、自身が何を受けたのかを改めて確認する。
「特製の粘着油だ」
 にやり、とまるで擬音でも響いてきそうな程、フェレットは笑みを作って。
 そして今度こそ、剣を翳して敵へと躍りかかった。
 彼の思惑は成功し、先程までと比べると、包帯男の動きは大分鈍いものへと変わっていた。
 いちいち粘ついてくる油のせいで、まともに身動きが取れなくなっているのだ。
 繰り出される攻撃も、フェレットでも十分対応出来るものだ。
 さらにフェレットは度々距離を取り、また道具袋から武器を取り出しては投げ付けるのだった。
 投げナイフは刃によって弾かれ、烈火薬は辛うじて避けられたものの、
「……小細工をッ!」
この強敵に舌打ちをさせる程、それらは効果的な対抗手段であった。
「卑怯、だわ」
 ロッティーナもまた、思わず戦いに混じることさえ忘れて、そう呟きを浮かべていた。
 戦慄? 恐怖? 違う。
 そこにあるのはただ好奇心――。
 こんな時なのに、何故だか、怪我の痛みよりも何よりも、高鳴る胸の鼓動だけを感じる。
 今まで生きてきた人生の中で、たった一つだけの存在だと思った。
 また、思わせてくれたのだ。
 ずっと探し求めてきたものの存在を確かめるようにして、ロッティーナはそこにいた。

5

 戦いが始まってから、何分が経過したのだろうか?
 今、どっちが優勢にあるのか?
 それはきっとこの場にいる誰もが、掴めずにいるものであった。

 ……包帯を巻いたその体に、汗が滲んでいく。
 所々に、赤い汗も混じる。
 何故、こんな所で……?
 俺はこの砂漠に、戦いをしに来た訳じゃない。
 なのに何故貴様等は、俺のことを殺そうとするのだ?
 ……貴様等など、相手にしている時間は無いのだ。
 俺には……。
(早い――少しずつ、攻撃が加速してってやがる!)
 急所を正確に狙ってくる刃を何とか受け流しつつも、フェレットは改めてこの男の力に恐怖を覚えていた。
 油が体から落ちてきたのだろうか、或いは単純に慣れて来たのか?
 フェレットが予め持ってきておいた道具はまだ幾つもあった。
 だが、もうそれを使わせてはくれない。
 距離を取るタイミングさえ掴めないまま、フェレットは気付けば防戦一方になっていた。
 速さだけじゃない。
 その攻撃に、徐々に破壊力も戻ってきたのを感じる。
 ……このままでは、まずい!
 撃ち合っていれば、じきにこちらがやられるのは目に見えている。
 かと言って、逃れることも出来そうには……。
「はっ!?」
 一瞬の思考の隙をついて、男はフェレットの懐へと潜り込んできた。
 こちらが刃を繰り出せない零距離の射程まで、一瞬で距離を詰めたのだ。
(しまっ……!)
 男は両腕で、フェレットの後頭部を掴んだ。
 そのまま渾身の勢いで、顔面部へと膝蹴りを叩き込み、そしてフェレットを吹き飛ばした。
 ぽきり、という音が、薄れ行く意識の中に響く。
 空中に飛び散る血痕……恐らく、今の一撃で鼻の骨が折れたのだ。
 だが、本人はまだそのことを認識出来てはいない。
 視線が夜の闇よりもさらに暗く、落ちて沈んでいくのを実感しているだけ。
「う、グ……」
 フェレットはそのままうつ伏せになって地面に倒れた。
 その衝撃で僅かにだが意識が取り戻され、両手をついて立ちあがる場所を探そうとするが、ままならない。
 痛みのあまり、目の焦点が合わないのだ。
「船長っ!」
 ロッティーナが再び戦いに割り込もうとしたが、男はその動きさえも完璧に把握していた。
 エストックの突きを避けつつ、同じようにロッティーナの懐へと潜り、今度は鳩尾に膝蹴りを撃ち込んだ。
 焦りのせいで散漫になっていた動きでは、それを避けられない。
 カウンターの一撃は、彼女から全ての力を奪い去り。
「……あぅっ」
 か細い悲鳴が響き、ロッティーナは気を失って倒れた。
 さらに倒れている彼女に向かい、男はもう一度蹴りを入れる。
「邪魔をしてくれたな、貴様等ッ」
 男の声には、さっきまで感じることの出来なかった感情の色があった。
 刃を振り上げて、それをロッティーナに突き刺そうと、男は彼女の顔を見据える。
 そこを、背後から銃弾が貫いた。
「ガ……ッ」
 予想外の痛み、衝撃が全身へと響き渡り、振り上げたはずの剣が手から転がって落ちる。
 その銃弾を撃ち込んだ本人でさえ、それは或る意味では本意ではなかった。
 何かの間違いで弾が逸れていってくれたなら、それも良いと。
「何……?」
 矛盾する思いに駆られながら放った弾丸はしかし、無情にも男の胸を貫いている。
 少量の血を奪って、遥か虚空へと逃げて行った。
 痛い。
 声が出せない。
 ……何だ。
 何が起きたのだ? 俺の身体に……。
 地面に落ちた剣を拾おうとするより先に、男はゆっくりと、背後に振り返った。
「誰が、やったのだ……?」
 そこに居たのは、マッチ・ロック式の射撃銃を構えたままでこちらを睨み付けている少女。
 金色の髪がさらさらと風に揺れていて、それが男の意識を掻き乱す。
 リィは溢れ出ようとする感情を全てその身に込め、ただ、自らの敵を見据えていた。
 ――敵?
 そうだ。
 この人は私達に取って、許し難い敵。
 ここで意思を折ってしまっては駄目だ。
 自らにそう、信じ込ませながら。
 今それを疑ってしまっては、自分は大切なものを失ってしまうかもしれないと。
 信じ込ませながら。
「……貴、様か」
 言葉を口にする度、口から血が溢れ出る。
 体中に巻かれた包帯は、何時の間にか朱色へと変わり果てていて。
 それでもまだ、まるで何かを求めるようにして、血は色々なものを濡らして染めて行く。
 男の膝がくずおれて、仰向けで倒れた。
 その際に、顔面に巻いていた包帯が半分程、ひらりと解け落ちたのだった。
 そこから現れた肌の色は、
(あ――)
イスラム人の黒色ではなかった。
 リィの表情から、色が失われる。
 そう、この男はリィとフェレットらと同じ白人であったのだ。
「……どうなってやがる」
 戦いを終えて戻ってきたアイに抱き起こされて、フェレットは辛うじて意識を取り戻している。
 鼻が妙な形に折れ曲がっていたが、激痛よりも眼の前の光景のほうが気になって仕方が無い。
「おい……あんた、何で……イスラムにいたんだ」
 倒れている男はまだ死んではいない。
 そう確信した上で、フェレットは訊ねた。
「答えなよ。最期に言い残す言葉くらい、受け取ってやるから」
 同じ肌の色のよしみ……と言う訳ではない。
 男はやがてゆっくりと、地面に片腕をついた。
 立ち上がろうとするが立ち上がれずに、結局半身を回転しただけで、今度は空を見上げて倒れる。
「俺は元々……イスパニアの海軍だった」
(ちっ。同国人かよ……)
 せめて別の名前を挙げてくれれば、こんな胸の奥からじわじわと込み上げて来るような、罪悪感も感じずに済んだかもしれない。
「ヘマをして、オスマントルコに捕まった。そしてこうなったって訳だ……。本来なら奴隷になるか、斬首されるところを……実力を買われて私掠船の艦長に、任命された、のだ。……肌の色を隠す為に、全身を包帯で覆い隠しておけと、言われてな。それに拷問の痕を、隠す為にも」
 だが、と男は続けた。
「こっちでの生活は、悪く、なかった。貴様等が来るまで、は」
 空を見ていた瞳から、ゆっくりと光が失われて行く。
 虚空の色へと変わって行く瞳で、男はリィのほうを見やった。
「貴様等、さえ……来なければ……」
 そう言って。
 男はやがて、何も言わなくなった。
 その後に訪れた沈黙はしばらく続き、まるで永遠にこのまま続くかのように思えた。
「アレクシスさん、ごめんなさい。ごめんなさい……」
 アレクシス――ユリアから聞いたこの男の名前を口にして、リィは天を仰いだ。
 瞳から、ぼろぼろと涙を零しながら。
 どうしようもない悔恨の気持ちにとらわれながら。
「リィのせいじゃない」
 鼻を抑えたままで、フェレットが言う。
 辺りには気絶から立ち直ったロッティーナや、パング達も居る。
 皆、涙を流すことさえ出来ずに、ただ目の前のこの光景を受け入れようとしていた。
「……だって、この人は。この砂漠に、オアシスにキツネを探しにきただけなんです。誰かを殺しにとか、そんなんじゃなくて……。それなのに私達は……」
「キツネ?」
「小さなキツネがオアシスに住んでるって、噂されてて、ユリアさんがそれを見たいって……そう、頼んだんだって。だから、この人は」
 リィは嗚咽を繰り返して、それ以上言葉を口に出来なかった。
 アイも、他の仲間達も皆、言葉を失くしているままだ。
「リィ」
 よれよれと歩いてきて、フェレットは右手をリィの髪に添えた。
 居た堪れない気持ちのまま、その綺麗な髪を優しく撫でる。
 その思い、自分達が倒した男に対して抱いたものではない。
 ろくに知らぬ人間達に対して、ここまで優しい感情を抱くことの出来る少女のことが、不憫でならなかった。
「行こう。この人のことを忘れないようにして、航海を続ければいい。僕等にはそれくらいしか、してやれることはない」
 こんな冷たい言葉を言いたくはない。
 もっと優しい言葉を掛けてあげられればどんなに良いか。
 ……だが、今ここでそうすることは出来ない。
 ここはまだイスラム圏だ。あの包帯男の船員が全滅したとは限らないし、一刻も早くこの場を離れる必要がある。
 わんわんと泣くリィの体を抱いて、そのまま立ち上がって。
 何かを欲しがって泣く駄々っ子を、家へと連れ帰るようにして。
 フェレット達は、帰路へとつくことにした。
 まだ旅は終わっていない。
 結局アレクサンドリアではかおるの居所は掴めないままであったのだ。
 イスラム圏にこのまま居座るのは危険極まりないが、東地中海にはまだ多数の町が在る。
 探索の旅はまだこれからも続くのだ。
 鼻の辺りは相変わらず混沌となっていて、
(もしこれで鼻の形が変わりでもしたら、その分も報酬料として請求してやるからな……)
フェレットはそんなことを脳裏に浮かべていた。
 痛くて痛くて気を失ってしまいそう……なはずなのに、何故だか、意識はしっかりとしている。
 最後にもう一度、戦いの地となったあのオアシスを振り返った。
(悲しいな)
 両目に映っているその光景。
 それは類を見ない程美しくて、切なくて、胸に突き刺さる。
(……けど、あんたに墓は造ってやれないよ。悪いな)
 あのイスパニア人の遺体はオアシスに残されたままだ。
 何れ風化し、土へと還るはず。
 魂はきっと故郷へと……なんてことは、きっとないだろう。
 ――同情することは出来ない。
 暫くの間、フェレットはその美麗な景色を眺めたまま、留まっていた。
 砂漠の中にたった一つだけ、エメラルドのような色をした宝物が落ちていた、そんな気分。
 あっ。
 向こうで今、小さく何かがきらめいた……。

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  1. 2005/07/20(水) 06:43:07|
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第十二章 異なる闇に、月は沈み(前編)

1

 かつて訪れた時に比べて、東地中海はなんだかよそよそしい雰囲気をしていた。
 相変わらず海に浮かぶ船は、フェレットらの船団を除いては皆無で、生気を感じさせてくれるのはただ、釣れる魚のみであった。
 ――いや、それすらも疑わずにはいられない。
 釣ったばかりの魚はぴちぴちと甲板を跳ねまわっているのに、そんな”生”を感じさせる仕草が、まるでこの海に相応しくないもののようにさえ思えてしまう。
(かおるさんが見たら嘆くわね……)
 ダウ船”シャルトリューズ”の船長、アイはそんなことを思っていた。
 フェレットやアイはまだ良い。
 彼等は以前に一度、本来有るべき姿としての東地中海を目にしているのだから。
 リィちゃんは、この海に絶望してしまってはいないだろうか。
 アイはそう心配せずにいられなかった。
 しかし、本当に海賊船一つ見当たらない。
 この海を同じように、船団もまた何者かの手によって沈黙させられるのではと、そう危惧をしていた。
 だが、東地中海に入って直ぐに三隻の難破船と遭遇して以来、結局一度として余所の船には遭っていない。
 そしてその難破船のたった独りの生き残り、グラフコスは言った。
「多分この船団は、運が良かったんだろ。この辺りを荒らし回ってるガレーが補給か何かに行ってる時に、たまたま通る事が出来たんだ」
「成る程ね。そのガレー船はたった一隻なの? 海域全てを荒らし回ってるって言う位なんだから、もっと大勢いても……」
「一隻だ、間違いねえ」
 アイの問いに、グラフコスは確信を込めて言った。
「俺らギリシャムーンズは、以前から何度もそのガレーに痛い目に遭わされてきた。たった一隻に全滅させられたことも有ったが、何人か逃げ延びてきた奴もいて、そいつらは口を揃えて同じことを言ってたよ」
「へえ、何て?」
「顔面を包帯で覆い隠した、化け物みたいな奴が船長の船にやられたってよ」
「貴方の時はどうだったの?」
「俺はそいつには遭遇しなかったよ」
「じゃあどうやってやられたの?」
 アイは重ねて訊ねる。
「ヤツ等は相当な熟練者ばかりだった。仲間は瞬く間に斬られていってたよ。……俺は背後から殴られて、気絶してたんだ。そしたらまあ、死体と間違われて見逃されたんだろうな。あの乱戦だし、しょうがねえことだ」
 背後を取られたことがしょうがないのか、死体と見間違ったことをしょうがないと言っているのかはわからない。
「ふーん……しかしまだ、眉唾ものの話だわね。包帯を巻いた海賊……か」
「いや、海賊じゃねえよ」
「海賊じゃないの?」
「恐らくは、トルコの奴等がここらの治安維持の為に泳がせてるんだ。俺らも含めて、東地中海は海賊の多い地域だからな」
「ああ、そう言うことね」
 治安維持と言えば聞こえは良いが、オスマントルコに取ってはイングランドもスペインも敵国だ。
 遭遇すればまず、排除の対象にされることは間違いない。

 結局遭遇が無いまま数日を経て、北アフリカ沿岸に位置する大都市、アレクサンドリアへと船団は近付く。
 セビリアで受けた依頼は”東地中海で船が姿を消している、その原因を突き止める事”。
 グラフコスから聞いた話だけでもあらましは掴めたのだが、何より仲間の行方を探す為に、イスラムに潜入する道を選んだのだ。
 アレクサンドリアも、敵国オスマントルコの同盟都市である。
 元々船団は東地中海に入る前から紋章などを偽装し、イスラムの船に見えるよう、予めの対策を取っておいた。
 町への到着を間近に控え、面々の服装もまたイスラム圏のものへと変わっている。
 商会”Bar like a child”の力によって集めたこの地の服装は、フェレットらヨーロッパの人間に取ってみれば怪異な形をしているのだが、船乗りとして各地を回ってきている分耐性はついている。
「良いか、胡散臭い行動はするなよ。そうすりゃばれることは無いはずだ」
「平気ですぜ。かおるさんも居ないんですから」
 ”フォスベリー”の船上で、船長と船員はそんな言葉を交わした。
 皆頭にはターバンを巻くかアジシェ(トルコ帽)を被り、靴はアラビアンシューズを履いている。
 胴に纏っているのはトルコ人が羽織う長いコート”ドルマン”だ。
「ターバンはイスラム教・アラブ世界における権威の象徴って言われてるんだぜ」
 船長フェレットはそんな薀蓄を漏らしたが、
「それ前にも聞きやしたぜ」
と船員の返事は冷めている。
「……船長」
 ”フォスベリー”唯一の女性船員ロッティーナが、何かを疑っているかのような声を口にした。
「何だい、これは本当の話だよ」
「いえ、そうではなくて」
 ロッティーナの声はいつもより少しだけ抜けが悪く、口元の辺りで何やらもごもごと言っている。
 それは全て服装のせいだ。
「本当に、これで潜入出来るのですかっ?」
 ロッティーナが纏っているのは”チャドリ”と呼ばれる、頭の先から足首までの全身をゆったりと袋で包むような形の外衣。
 頭巾からは覆面が垂れ下がっていて、それで顔の半分以上を覆っている為、殆ど誰なのかすら判別がつかなくなっている。
「平気平気、よく似合ってるよ」
「……じゃあどうして、含み笑いをしているんですか!」
「似合ってても変な物は変だからね」
「船長だって変ですよ」
「さっきもう散々笑われたんだから、勘弁してくれ」
 たとえ変装をしようとも、肌の色が白いままでは傍目には一目瞭然。
 皆、丁寧に化粧をして、肌色まで黒人のそれに扮している。
 男性陣は加えて、付け髭も。
 口を動かすだけで邪魔な感触を覚え、自分は一生髭を生やす事は無いだろうなとフェレットは思った。
「しかしまぁ、こうやってたまに訪れる分には良いけど、住むにはちょっときつそうだね」
 ターバンに溜まった汗を感じながら、フェレットはうめくように言った。
 この辺りの温暖な気候に相俟って、空気の逃げ場がないこの服装と来ている。
 体感する暑さは半端ではない。
「それにこんな布袋みたいな服装で、一体女性の何処を見て伴侶を選べって言うんだか」
 ぽそりとそう口にした後に、フェレットはすぐにその発言を後悔した。
 が、勿論取り返しがつくわけもない。
「あら。船長は女性を裸にしないとその人の事が分からない程、想像力が貧困なので?」
 響いたのは隣にいる、布袋みたいな服装をした女性の声。
「……失言でした」
 どっちが船長だよ、と自分に言い聞かせつつ、フェレットはぺこりと頭を下げるのであった。
 ルーファとこのロッティーナの二人は、フェレットの中で既に”ニ大毒舌王”として認識をされている。
「万一もし町の人間にばれたら、最悪袖の下を払ってやり過ごす。まあここらは僕がやるから、皆くれぐれも離れないように頼むよ。……ロッティ、構わないよね?」
「良いと思いますわ」
 いよいよ到着とあって、船員は皆緊張を隠せない様子だ。
 とは言え実際に町へと降り立つのは船団の全人数のうちほんの数人。
 各船からそれぞれ数名が陸に降り、改めてアレクサンドリアへと潜入する面々の顔を見回した。
 フェレット、アイ、リィ、ルーファ、パングと言う船長組に加え、フェレットの補佐役ロッティーナや”シャルトリューズ”の新船員グラフコス、そしてレティシアの顔がそこにはあった。
 皆服装が似通っていていまいち無個性になっているのだが、それでも辛うじて見分けはつく。
「アイさん、出航所の手続き頼むよ」
「任せておいて」
 フェレットも一応アラビア語を話すことは出来るのだが、自信を持てるほどのものではない。
 各国の言語を流暢に話すことが出来るアイの方が的確と考え、先頭を彼女に譲る。
 以前イスラム圏で交易を行った経験を持つルーファがさらに続き、フェレットは三番目。
「万が一正体がばれて、捕まりそうになった場合はどうしますか?」
 リィがそう質問を投げかける。
 彼女の声にもいつものようなほのぼのとした色はない。
「こっちより人数が少なかったら、仲間を呼ばれる前に即座に始末するしかないわね。人数が多ければ逃げましょう」
「解りました」
 アイの声を受け、リィは頷いた。
 服装のせいで動き辛いが、何時でも銃を抜き放てるよう神経を研ぎ澄ませておく。
「何か役立たずっすねぇ、男は」
「言うな、パング君」
 何故か歩く内他の面々に抜かされ、気付けばフェレットはパングと並んで最後尾を歩いていた。
「パングじゃないっすよ。ここではウマルって呼んで下さいっす」
「そうだったな。そして僕はアブドゥッラーか」
 町の中で呼び合うための名前も決めてある。
 しかしこればかりは会話中にぼろが出てしまいそうで、なるべく名前を呼ぶような会話をしないことを心掛けるしかない。
(にしても、以前来たときはもっとこう、和やかな空気で町に入った気がするんだけどな)
 フェレットはそう思い、過去と現在を比べて何が違うのかを考えてみた。
(……かおるさんか)
 過去を回想する度常にその姿を現わす男が、今此処には居ない。
 それが不安でならなくて、例えようのない緊張感を生んでもいる。
(度々イスラムに来たがってたけど……。でも、本当に居るのかな? ここに)
 イスラム圏は広いし、そもそもかおるがイスラムに来ているという保証もない。
 それでも各地を虱潰しに探して行かねば、このままでは一生再会は無いかもしれないのだ。
(深入りし過ぎても、下手したら僕等が命を落としかねないしな。――よし、かおるさん。ここは貴方を見習って、貴方のような心構えでもって、貴方の探索に臨みます)
 つまりはテキトーに。
 出航所での手続きは滞り無く終わり、八名の潜入者達は毅然とした態度で町の中へと入って行った。

2

 地中海沿岸各地へ進攻するための戦略拠点として建設されたと言われる都市、アレクサンドリア。
 だからと言って、その風景に刺々しいものは微塵も感じない。
 砂漠地帯であるせいで植物が少なく、緑が殆ど見られない。
 それに砂漠から吹き込んでくる熱風のせいで、まるでかまどの中に入っているかのように熱いのだ。
 しかしそれでも、街には活気があった。
 言語が違うせいか、同じ人の声による喧騒でも、倫敦やセビリアとはまた全く違った感触を受ける。
 だが、ここ数日もの間全く感じることの出来なかった生命の鼓動を、この街では確かに感じる事が出来た。
 町行く人々もその暑さのせいか何処かのんびりとしているものの、皆開放的で、話していてただ”楽しい”と感じられた。
 スーク(市場)に行って魚などを見て回ったり、交易所でラクダの毛や綿花をたっぷり購入したり。
 アレクサンドリアに着いてからと言うもの、海上ではゆっくりと進んでいた時間が、一気に数倍の速度にもなって流れ出して行く。
 出航所へと行く前に感じていたあの張り詰めた緊張は一体なんだったのだと、皆口には出さないものの、そう思っていたことだろう。
 だが、それでも油断は禁物だ。
「ここの人達だって、余所の奴等がわざわざ変装してまで来るなんて思っちゃいないだろうしな。正体がばれた瞬間に刃を持って襲ってくるような、そんな人が全てじゃ無いと思うよ」
 交易所を出た頃には、辺りはすっかり夕闇に包まれていた。
 町を歩く最中、辺りに人間がいないことを確認して、フェレットがそんなことを言った。
「いや……僕等の国を本当に心から憎んでるのはむしろたった一部の人間だけで、大部分の人達はたとえ国が違っても仲良くしたいって、そう思ってるんじゃないかな」
 それはあくまで希望でしかない。
 少なくとも現時点では。
 聞いていて、甘い考えだ、とロッティーナは思った。
 甘いけれど、だけどそうなるといいなとも。
 わざわざ姿を偽らなければ会話すらままならないなんて、どう考えても正しい人付き合いの有り方とは言えない。
 これ以上ここでこんなことを話していても、危険な目に遭うだけだ。
「そうだったら良いですね」
 リィがぽそりとだけ言って、会話は打ち切られた。
 皆、心の中で小さく頷きをしながら。

 一行は情報を求めるべく、休憩所を訪れた。
 小さな建物の外にエキゾチックな雰囲気をした椅子が幾つも並べられていて、そこで何人もの客が料理を食べたり談話したりしている。
 それに習い、フェレット達も同じようにして椅子に腰掛ける。
「へぇーっ」
 興味深げにきょろきょろと見回すリィを見て、一行は苦笑する。
「ファーティマ、そんな田舎者みたいなことしちゃダメよ」
「ごめんなさい、アミーナ」
 アミーナことアイに窘められて、リィは恥ずかしそうに俯いた。
 服装のせいで表情は殆ど見えないため、感情も仕草だけで判断するしかない。
「お嬢ちゃん、余所からの旅行者かい?」
 俯いている所に、休憩所の主人に声を掛けられ、さらにリィはびくりとなる。
 今日一日かけて様々な場所を回ってきてはいるものの、未だに一度として、イスラムの人間と面と向かって口を聞いていないのだ。
「ええ。チュニスから船で」
 ロッティーナがそう即座に応対し、なんとか事無きを得た。
 ちなみに彼女はここではドニアと名乗っている。
(頭がこんがらがりそうだな……)
 いつか誰かがぼろを出さないかと、いやむしろ自分がやるのではないかと、常に不安に苛まれているフェレットであった。
「ご注文は何にしますかー?」
 だが、背後からそんな声が聞こえて来て。
「えーとそれじゃあ……」
 不安は一瞬にして全て、何処かに吹き飛んでしまった。
 フェレットは振り向き、そこに居た少女の顔を一目だけちらりと見やった。
 どうやらこの休憩所で働いているらしい。
 数年前に来たときはいなかったと思ったが……。
「水タバコを、ここに居る皆に頼むよ」
 少々ぎこちのないアラビア語で注文をしつつ、彼はもう一度、少女の顔を見ようとした。
 だが、彼女はもう休憩所の建物のほうへと歩いて行っていた。
 それでもまだ、驚いた顔でその様子を眺めているフェレット。
「そっくりだな。ファーティマに」
「本当ね。目の大きさと言い、全体的な顔の造りも。本人かと思った」
 ルゥエティことルーファも、同じようにして休憩所の娘のことを見やっている。
「……私ですか?」
 リィはよくわからないと言った感じでぽかんとしているだけだ。
「まあ良いや、それより」
 ユリアという名の少女が抱えて持ってきたのは、水タバコを飲むための容器。
 煙草の煙を水に一端くぐらせてから吸うと言う、この地方ならではのもの。
 ただしかかる代金は結構なもので、貴族や裕福な商人の間でのみ流行っているらしい。
 煙草はヨーロッパにも無い訳ではない。
 かの有名なクリストバル・コロン提督が新大陸から煙草をヨーロッパに持ち込んだと噂されてはいるが、まだ簡単には手に入らない代物である。
「……そう言えば、かおるさんが持ってましたね。この容器」
 またも興味津々といった顔になりながら、リィが言う。
 かおるの船”永久機関”の船倉に積み込まれているのを見せて貰った事があったのだが、かおる自身も正しい吸い方は忘れていたようで、嫌な予感がして結局見るだけに留めておいた。
 味が染み込んでいる煙草を炭火で燻し、その煙がグラスへと溜まっていく。
「もう少し時間が掛かるから、のんびり待っててね!」
 ユリアにそう言われて、フェレットは破顔してぺこりと頷いた。
「ああ、良いところだな。アレクサンドリアは」
 何かに感銘を受けたかのように呟くフェレットを見て、リィは目を細めているのだった。
 やがて水タバコの容器の中に煙が充満していき、
「はい! これで平気だよ!」
ユリアがそう、準備が完了した事を皆に告げた。
 が、何人かの瞳はまだ非常に疑わしげなままだ。
 ちなみに水タバコには幾つかの香りがあるそうなのだが、今回はユリアのお勧めと言う事でミント味のものにしてもらっている。
「……アブドゥッラー、これを本当に吸うんっすか?」
「平気だよ。吸ってみな」
 アブドゥッラーはウマルにそう促した。
 彼は初体験ではないものの、自分が最初にやるのは嫌らしかった。
 実を言えば、水タバコは確かに物珍しくはあったが、かつて吸った時には直ぐに気持ち悪くなってしまい、決して良い思い出ではなかったのだ。
 アイも同じで、今回もあくまで雰囲気を楽しむと言った感じで服用をしている。
 東地中海を去ってしまえば出来ない経験だ、今後人生で後何度此処に来ることが出来るのかわからない。
 そう考えれば、肺へと流れ込む芳香も心地よく思えてくるものだ。
 和やかな空気のまま時間は経って行き、やがて見る見るうちに辺りも涼しくなってくる。
 その快適さに騙されたまま、一行は暫く、まともに情報を収集する事を忘れていた。
 しかしその空気も、場にいる客達の顔色も。
 何もかもが、たった一つの出来事によって変化を遂げた。
 ――奇妙な来客。
 思わず皆、一瞬だがそちらの方に視線を送り。
 まさか向こうと目が合いやしないかと、直ぐに逸らそうとする。
 まるでその男に関わりたくないと言った、そんな風な仕草だ。
 いや、何より驚きの顔で持ってその光景を見つめていたのは、他でもないフェレット達であった。
「いらっしゃいませ。ご注文は、何になさいますか?」
 休憩所の看板娘、ユリアがその男へと近付いて行く。
「水タバコを、頼む」
「フレーバーは何がいい?」
「ミントだ」
 ぼそぼそとした、小声でのやり取りだ。
 客と店員とのやり取りなのに、不思議な空気を放っている。
 フェレットらはそれを眺めながら、皆どう動くべきかを迷っていた。
 休憩所に現れた一人の来客。
 その姿はあまりに奇妙で――見るものに、戦慄を覚えさせた。
 アイが無言のまま、グラフコスのほうへと視線を送る。
 グラフコスもまた、他人の視線が向いていないのを確認した上で頷きを返す。
(……何たる偶然)
 汗が零れ落ちるのは、暑さのせいだけではない。
 訪れた客のその姿は正しく異形。
 顔全体が包帯に包まれて、両目の場所だけが破れていて、そこから視線を通せるようになっているだけだ。
 包帯は顔だけではなく、体にも巻かれている。
 ブルンジュクと呼ばれるラフな服装の下には、黄土色に変色した布、布。
(ミイラ……を模しているの? 粉にして飲むと、万病に効くって噂の……)
 唾をごくりと飲み込みながら、ルーファは思った。
 ヨーロッパには無い、この地域ならではの風習か何かなのか?
 だが、固まっているのはフェレット達一行だけではない。
 休憩所の店員を含めたこの場にいる全員が、あの男を前にどう対応をして良いか計りかねている様に見える。
 一瞬にして静まったこの場所で、相談事をすることも出来ず。
「アミーナ、ドニア、アジズ。交易所を見に行こう」
 フェレットは小声で口にして、立ち上がった。
 場の空気に耐えかねて立ち上がった、そんな風に傍からは映っただろうか。
「もしも帰る時になったら、教えて貰えるかな?」
 更にルーファにもそう伝えた。「うん」と至って平然とした返事を受ける。
 アイ、ロッティーナ、そしてグラフコスの三人はよそよそしく立ち上がって、
「ありがとう。お代は私達の仲間から受けとって」
休憩所の主人にそう言い残すと、フェレットに続いて去って行った。
「あれ……」
 パングが僅かに慌てた顔になったが、隣にいるリィに
「もう少し飲んでましょ?」
と囁かれ、ようやく察する。
 ルーファとレティシアもだ。
 下手に動いて気取られてはならないと、とにかく平静を保とうと努めていた。
 そしてそうしながら、包帯を全身に巻いたあの男の動向をじっくりと探る。
 髪型も顔さえも全く判断できないが……体型は何処か、かおるさんに似ているだろうか。
 ルーファはそう、ちらりとだけ送った視線で確認をした。
(かおるさんがミイラに……。いやまさか、無いわね)
 休憩を取るはずの場所でここまで息の詰まる思いをするのは、きっと人生で最初が最後だろう。

 休憩所を逃げるようにして離れたフェレット達は、直ぐに交易所に向かうでもなく町を歩いていた。
 足取りはゆっくりとしているものの、彼らの表情は何かに対して焦っているようにも見える。
「とんでもない偶然だぜ。しかし」
「アジズ、じゃあやっぱりそうなの?」
 訊ねたのはアイだ。
「間違えようもない……」
 グラフコスは歯軋りをしながら言った。
 あの包帯の男は、ギリシャムーンズの仲間を何人も殺した男。
 悔しくてならなかったが、復讐の時は未だに訪れないままであった。
 だがここにきて、その時が一気に迫ったのを感じた。
「願ってもないチャンスが来たな。グラフコスの言う事が正しければ、東地中海へとやって来たイスパニアの船を悉く消してるのは、全部あいつの仕業だ」
 フェレットも何時になく真剣に言葉を並べる。
 必死に、思考を巡らせる。
「正確には、ヤツが船長を務めてるガレーによって、だがな」
「船長を仕留めてしまえば、その力も弱まる」
「殺っても、船長が代わるだけかもしれないがな。しかし、あの男を許してはおけん」
「ああ。まさかこの町で、あんな無防備にしてるとはな。願っても無いチャンスだ、本当に」
 フェレットは先程口にした言葉を反芻した。
 自らがいる場所が虎穴だと気付かずに、虎子に遭遇してしまったような、そんな気分だ。
「船長、それじゃ……」
「頼りにしてる。ドニア」
 フェレットに言われて、ロッティーナは頷いた。
 無謀な賭け、で終わらせるわけにはいかない。
 あの男がこの町にいる間に、何とかして仕留めなければ。
 もしも仲間と合流されれば、それこそ暗殺するのは至難の業になってしまう。
 ロッティーナは、自らの右手が震えを抱くのを感じた。
「じっくりやりましょう。急いては事を仕損じるって、言うじゃない」
 血気に流行る面々を制すように、アイは言葉を吐く。
「さっきの客の反応からして、町の人にも快く思われてないように見えたわ。それとなく交易所の人に訊ねてみましょうか?」
「そうだね。……僕がやるとぼろが出そうだし、頼みます」
 こうして、一度用件を済ませたはずの場所へと四人は再び向かう。
 交易所には何人かの客がいたが、その内に一人、先程休憩所にいた客の姿があった。
 向こうもこちらのことを覚えていたようで、姿を見るなり気さくに話しかけて来た。
 これもまた願ってもないことだ。
 いちいち探りを入れるまでも無く、情報を得ることが出来るかもしれない。
「あんた達、他所から来たんだろう? さっきは災難だったな」
 案の定、男はいきなりその話題に触れた。
 しめたとばかりに、フェレットらは興味を表に出さない様にしつつも応じる。
「ここ最近、あの休憩所に居着いちまってな。あいつが来ると何時も、落ち付いて喋ってられなくなるんだよ。いい迷惑だぜ本当に」
「あの人は、この辺りに住んでる方なんでしょうか?」
 やはり表に出て応答をするのはアイ。
「それが、噂じゃあな……」
 何かを言おうとして、男は口篭もっている様子だ。
 周りの人間の目を気にしている。
 その理由に気付いた交易所の店主が、
「ここらじゃ有名な話だろ。私達の顔色を窺う必要は無いだろうよ」
そう抑揚のない声で言った。
「そうだな……。この話を聞いても、あんまり大っぴらに噂しないようにしときなよ」
 あまり口外してはいけない事情があるのだろうか。
 フェレットらは緊張を漲らせて、言葉の続きに耳を傾ける。
「……イスタンブールから派遣されてきた、私掠船の船長らしいんだよ」
 イスタンブールは、ボスポラス海峡をはさんでヨーロッパ大陸とアジア大陸の2つにまたがる、世界唯一の都市だ。
 オスマントルコ帝国の首都であり、かつてビザンティン帝国の首都でもあった。
「何でもイスパニアやらポルトガルの船が、最近ここらの海に増えてきたって言うんで、王から直々に許可を貰って他所の商船を狩りまくってるそうだぜ」
「うちによく取引に来る商人がいるんだが、嘆いてたよ。この辺りの海が、まるで死骸みたいになっちまったってな。あの包帯男の船のせいで、マトモな船なんか殆ど通らなくなっちまったからねぇ」
 交易所の店主は暗い表情のまま、言葉を連ねた。
 彼等二人の言葉を、興奮を抑えられずに一行は聞いていた。
 物事を達成する瞬間の、あの気持ちだ。
 ここまで詳しい事情を入手出来たのだ。
 セビリアで受けた依頼の達成は成ったと言ってもいいだろう。
 フェレットは、自らの幸運ぶりに心からの感謝を捧げた。
 最初にアレクサンドリアを訪れず、他所の町に行っていたら。
 あのタイミングで休憩所に居られなかったなら、ここまで事はスムーズには運ばなかった。
(ここで、あいつを殺す事が出来れば――)
 じとり、と握った手に何かが滲む。
 ……さっき、休憩所に来た時もあいつは一人だった。
 部下の兵士と一緒に行動してはいないのか?
 どう動けば、こちらが一切被害を出す事なく奴を仕留められるのか。
(もう少し、この町の雰囲気を楽しみたかったんだけどなぁ)
 そんな残念な気持ちを胸の奥へと仕舞い込みながら、フェレットは思案を巡らせた。
 あの男が休憩所を離れたのなら、皆が知らせに来てくれるはず。
まだ来ていないと言うことは、つまり。
 四人は顔を見合わせて、再び休憩所へと戻ることにした。

 幸い、ツキは未だにこちらに味方をしているようであった。
 休憩所に行くと、先程の男の姿は既に見えなくなっていた。
 この場に残っていたルーファらによれば、さっき出て行った所だとのこと。
 さらに男が何処に行ったかまで、ルーファらは情報を掴んでいた。
 一行は直ぐこの場を離れ、また人気のない場所へと移動し。
「休憩所で噂になってたんだけど……」
 ルーファは直ぐに説明を始めた。
「ここから船で少し西に行った所の、砂漠に行ったらしいわ」
「砂漠に? 何で……」
「それはわからないんですけど」
 ルーファの代わりに応えたのはリィ。
「休憩所で働いてた、ユリアさんがそう教えてくれたんです」
「ユリアさんって、さっきのリィに似てた? 変に訊ねて疑われたりはしなかったか……?」
「それは平気だと思います」
 聞けば、リィはあの休憩所の娘と幾らか言葉を交わしたらしい。
 包帯を巻いた男が休憩所を去ってからのことなので、時間にしてたった数分ではあるが。
「大きな船でも停泊出来るような場所があって、さっきの人はそこまで出かけて行ったんだって、そう言ってました」
「後を尾けようとは思ったんっすけどねぇ……。客の視線もあって、あんまり大っぴらに動けなくて……」
 パングがそうすまなさそうな声で言った。
 それはしょうがないわ、とアイが優しい声で慰める。
「例のガレー船に乗ってったのかな」
 フェレットの声が暗くなる。
 仮にそうだとしたら、最早暗殺することは不可能。
「いえ、タレッテ船が出航所に停めてあって、それで行ったらしいです」
 リィが言う。
「それなら、丁度良いチャンスじゃないか!」
 一転してフェレットの表情は明るいものになったが、
「にしても、やけに詳しく教えてくれたな。普通そんなこと、わざわざ告げてくものか?」
そう言って首を傾げた。
「ええ……」
 リィも同じように考えていたようで、その声は何処か沈痛な響きをしていた。
「あの、フェレさん」
 何かを言い出そうとして、すぐに声を引っ込めてしまう。
「どうした?」
 フェレットが問いかけるが、彼女から返事はない。
「リィ、教えてくれ。どんな情報でも重要だ」
 彼女の様子を察し、フェレットが再び声を投げる。
 一拍を置いてから、リィは消え入りそうな声で言った。
「……あの包帯の人、見た目は怖いけれど良い人なんだって……。言ってたんです、ユリアさんが」
 リィは緊張した面持ちであの休憩所にいたが、気さくに他の客に話しかけているあの少女を見て、彼女と色々なことを話してみたくなったのだ。
 自分達の受けた依頼のことなど関係無しに、ただ言葉を交わしてみたいと思った。
 そしてユリアは幾つかのことを、楽しそうに語ってくれた。
「リィ……」
 フェレットはまたもう一度、彼女の名前を呼んだ。
 闇の色を交えたような、そんな声で。
「百人を殺してきた殺人鬼だって、ある一人の人間からは優しい人なのかもしれない。だが、僕等はその一人の視線に立って見ることは出来ないよ」
 ……そんなこと、リィだって解っているだろう。
 だから彼女はわざわざそれを表に出す事を躊躇ったのだ。
 それを口にした所で、他の皆の気力を削いでしまうだけだと知っていたから。
「追おう。今ならまだ間に合うはずだ。このチャンスを逃しちゃいけない」
 リィからの言葉はない。
「詳しい話を聞いているのはリィだけなんだ。先導を頼めるか?」
「――はい」
 喉の奥から絞り出した声を、たった一言だけ。
 彼女は今、どうしようもない罪の意識に苛まれていた。
 頭の内を、何度も何度も駆け巡る声があったのだ。
 その声があまりに煩くて、やるせなくて。
 ……悲しくて、堪らなかった。



  1. 2005/07/20(水) 06:18:02|
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第十一章 Moon chaser ――月の追跡者――(後編)

3

 セビリアで受けた依頼は無期限の依頼。
 マラガ、バレンシア、パルマと、各町に寄港しながら、何処までも蒼く深い海を東へと進み行く。
 無論かおるを探すことも優先事項であるのだが、まず自らが楽しめなければ航海は意味がない、と風景をや町並みを楽しみながら。
 何時も曇り空に覆われて、落ち付いた趣を持った北海を”静の海”と表現するのなら、地中海は輝く太陽が情熱を漲らせる”動の海”だ。
 地中海は温暖な気候をしており、降雨量も少なく、過ごしやすい環境の地域だ。
 ジェノヴァの町を歩いているその際、
「やっぱり僕にはこっちが似合ってるな」
フェレットはそう、一言呟きを漏らした。
 彼以外の船長は、未だ国籍不明のリィを除いて皆イングランド出身。
 イスパニア出身の彼にとって、やはり馴染みが深いのはこの地中海の空気なのだろう。
 隣を歩いていたリィはその感覚がわからずに、感情を覆い隠すようにして柔らかく笑んだ。
 倫敦も素敵だし、セビリアも良い町だった。
 今まで辿ってきた航路の中で、行かなければ良かったと思った場所なんて一つとしてない。
 ただ全てが好きで、それに順番をつけることなんて出来なかった。
 それからさらに数日の航海を続け、船はイオニア海、シラクサの町へと達した。
 ここから東は東地中海、イスパニアの船が悉く姿を消していると言う問題の海域だ。
 じっとしていれば時は直ぐに流れて去って行くし、此処で留まっていることは出来ない。
 シラクサで一日を過ごし、翌朝早く、一行は出航所へと集まっていた。
「良いか、ここから先は危険な海域。くれぐれも船ごとの間隔をずらさないようにして、固まって進もう。もし怪しい船を見つけても、勝手に動かないで。まず他の船に伝えてから動こうとするんだ」
 珍しく、他の船長達にフェレットが指示をする。
 普段こう言うことをしたがらない彼がわざわざ先陣を切る理由――それだけ、東地中海が恐ろしい場所だと言うことなのか。
 フェレット曰く、依頼に関係無く東地中海は元々海賊の多い場所で、特に南沿岸の辺りは盗賊団や各地の海賊がこぞって集まり、虎視眈々と獲物を狙っているそうだ。
 元々船団が目的地としているのはイスラム圏の都市、アレクサンドリアだ。
 変装に変装を重ねて現地の住民に化けておかなければ、捕まって即座に命を落とすことになるだろう。
 だがその危険を押してでも向かおうとするほど、イスラムはまた魅力有る土地だ。
――「普通に出会ったら即座に斬り合いになるような人が住んでる所に行ってさ、色々喋ったり交易品を買ったりするんだ。冒険家にとって、最大級のロマンだと思わないか?」
 以前フェレットが口にした言葉。
 リィはそれを今になって思い出していた。
 彼はその言葉だけで、敵地に乗り込む恐怖を抗し難い魅力へと変えてくれたのだ。
(大丈夫……この人達と一緒なら、どんな危険な場所からも帰って来れる気がするわ)
 そう、まだ何もかもが途中だもの。
 こんな所で死んだりなんかするもんか。
 出発を間近に控え、リィはそう強く心に誓った。
「それじゃ、行くとしよう。良いかい、合言葉は『危険に遭ったら迂回して横目で見てから改めて考えろ』ってことで宜しく」
 船に乗り込む寸前に、フェレットが吐いた言葉。
 皆を笑わせそうとした冗談ではなく、それが船団の方針なのだ。
「はい、フェレさん」
 心から完全に心配を取り除いてしまおうと、リィは最後に彼へと声を掛けた。
 なんて、素敵なことじゃないか。
 命を賭した航海に赴くその前に、こんな軽口を飛ばしていられるなんて。
 自分は他の船団に所属したことは一回も無いけれど、余所の船団なら間違い無く、こんなムードでいることは出来ないと思う。
 ありがとう、フェレさん。
 貴方が私のことを拾ってくれて、本当に良かった――貴方がずっと傍にいてくれたから、私は今、こんなに幸せでいられている。
 リィは心の中で感慨深げにそう呟き、フェレットがいるであろう方角に、視線を送った。
「ッあ、アアアア!!」
 リィの静かな思いを寸断するが如くに、船から響いてくる声。
「ふっ、船にネズミが沸いてるアアアア!」
 緊張感も何も感じられないその声は、丁度”フォスベリー”に乗り込んだばかりのフェレットが発したものだった。
「またうちの船員と来たら……。さぼったわね、掃除を」
 まだ陸に残っていた”フォスベリー”の副官ロッティーナ、通称ロッティが呆れた声で言う。
「こりゃダメだ、今日は縁起が悪い! 出航は明日に延期だ延期!」
「何言ってるの、ネズミ退治くらい海を行きながらでも出来るでしょ」
 アイと言う母親役に諭されても、まだフェレットは収まりがつかないらしい。
 うだうだと文句を言っていた所を、
「行くわよ。反論は許しません」
とアイに止めを刺され、結局出発を改めて決意する。
(フェレさんらしい……ううん、船団らしいなぁ)
 リィに取っては、そのやり取りの全てが微笑ましかった。
 此処にもしかおるが居たらどんな風に各々の台詞が変わるのか、それさえも容易に想像出来るようになっていた。
 ほんの数日前に考えていたこと、その答えが浮かんできた気がしていた。
 フェレさんはイスパニア、かおるさんやアイさんは倫敦と、皆故郷を持っている……当然のことだ。
 けれど自分にはそれがない。
 そう考えると何時だって、胸をちくりと刺すような寂しさがこみ上げてきた。
 だけどきっと、これからもうそんなことはない。
 私の故郷はきっと、この船団なんだ。
 どんな素敵な光景よりも、何よりも……私はこの場所が好きなのだと、改めて気付いた。
 さっき”記憶も戻っていないのにこんな所で死ねない”って、そう誓ったばかりだけど……でも本当は。
(過去の記憶を失ったままでも私は今、幸せでいられている。このまま記憶が戻らずに、今ここで死んだとしても「幸せだった」って言える)
 このまま記憶が戻らなくても――それでも良いのかもしれない。
 もしもそれを知ることによって、失われるものが有るのだとしたら、いっそこのまま……。

4

 シラクサの町を発って三日も航海を続けたところで、辺りの空気が一瞬にして、ぴんと張り詰めたものに変わった。
 ”コンスタンティア”の船上でそれを感じ取ったリィは、もしや敵船が接近してきたのではと、辺りを見回した。
 だが今のところは船の姿は見えない。
「不気味ですね、この辺りは」
 リズウィーと言う名の船員が、そうリィに語りかける。
「なんだか、生気を感じない……」
 独りごちるように続けるリズウィーの声は、リィと全くの同意見であった。
 そうだ。
 温かな風も、美しい海も、辿ってきた航路と何も変わってはいないのに。
「この海域には、私達の船団しかいないのかしら……?」
 もたげてくる違和感を訝しく思いながら、リィは言った。
 今までは、例え陸と離れた海を進んでいても、商船等の姿がぽつぽつと見受けられたのに。
 生気を感じないとリズウィーが表した理由はそれであった。
 更に数日もこの感じが続いたのなら、自らの命の鼓動さえ、あの静かな海に飲まれてしまいそうだ。
(これならいっそ海賊か何かに襲われたほうがまだましだわ)
 リィは思った。
 いや、海賊に襲われたせいで、辺りの船は皆沈んでしまったのだとか……?
 並行して海を進む、他の船を見やる。
 まず視線に入ってきたのは”シャルトリューズ”だ。
(無事なのかしら、みんな)
 ああ、アイさんと話したい。
 そうして皆がそこに居ることを確認したい。
 この広大な海の中に独り取り残されたような、そんな気分をリィは味わっていた。
「リィ船長!」
「え……何?」
 いきなり元気な声で呼びかけられて、リィはどきりとした。
 声の主はリズウィーだ。
 改めて眺めたその顔には、一目で解る程に不安げな色が浮かんでいる。
「船長はいざとなったらあたし達が守りますからね! 心配する必要なんて、これっぽっちも有りません!」
 少し震えた声でリズウィーは続けた。
 その後、目を強く瞬いてから笑ってみせた。
「ありがとうね、リズウィー」
 私の気持ちを見抜いて、彼女はこんなことを言ったんだろう。
 こんなにやせ我慢をしながら。
 自分と同い年くらいの少女に元気付けられて、リィは息をついた。
(私、船長なんだもの。私がしっかりしないでどうするの)
 改めてそう、気合を入れ直す。
 ちゃんと剣が差さっているか、銃があるかを確認する。
「……でも、何も出ないと良いですね」
 リズウィーはてへへと笑いながら、そう呟きを加えた。
 リィも同じような仕草でうん、と頷く。
 ――だが、残念ながら彼女らの願いは叶わずに終わった。

 人気が無かったはずの海に、船の姿が現れたのはそれから一日後の、夜中のこと。
 そこに在った船の姿は、一つではなかった。
 海は暗闇から少しずつその全貌を覗かせていき、やがて自分達の周りの光景がどうなっているかを知った時、一行は愕然とした。
 船団の進む方向の直ぐ先に、三隻の船が、まるでこちらを待ち構えているかのようにして佇んでいた。
「海賊かよっ?」
 ”フォスベリー”の船上で、フェレットはうなった。
 こう暗くてはあの船の群が何処の国のものなのかも判らない。
「海賊にしては、ちょっと変ですね。こちらに向かってくる様子もないし、砲撃してくる様子もないです。向こうもこちらの姿を掴みかねているのでは?」
 ロッティーナがそう冷静に指摘する。
「いっそ無視して迂回して行くとかどうだろう」
「船長、私達が受けている依頼をお忘れですか?」
「そうだけどね……」
 訊き返されて、フェレットはもどかしげに声を出した。
「仕方ない、もう少しこのまま近付いてみるか? みんな、いつ斬り合いになっても良いようにしとけよ!」
 迷いながらもそう決断する。
「そう来なくては、ですね。船長」
「君、意外に血の気が多いんだな」
「一応、元海軍ですから」
「そりゃ恐ろし……もとい頼りになる」
 ロッティーナの視線が鋭さを帯びた気がして、フェレットは途中で言葉を変えた。
 他の船にも指示を伝え、船団は警戒しつつもそのまま前進を続けた。
 相変わらず、行く手を遮っているはずの船からは何のリアクションもない。
(どうなってる?)
 とうとう、横に並んでしまった。
 このまま通り過ぎても見過ごしてくれそうな、そんな気がする。
「船長!」
 船員に呼びかけられ、フェレットは慌てて振り返った。
「どうした?」
「見てくだせえ。あの船、ぼろぼろですぜ!」
「何?」
 一番近い位置にいる船をじっくりと眺めてみると、確かにその船は至る箇所に砲撃を受けたかのような跡があった。
 帆が半分ほど焼け落ちてしまっていて、航行が難しい状態になっている。
 残り二隻の船も、同じ様に傷付いているのが確認できた。
「もしかしたら、この辺りの海賊にやられたのかもしれないな」
「乗り込んでみますか?」
 ロッティーナが問う。
「そうだな。もし生き残りがいるんだったら、助けてあげないといけない」
 そこから情報を得て、手掛りが掴めるかもしれない。
 ”フォスベリー”は動きを止め、船団の他の船と距離を近付けた。
 そしてこの三隻の船の内部を調査する旨を伝える。
 皆で一気に船を空けてしまうのは危険だ。
 万が一、奇襲の可能性を考えて、”フォスベリー”から半分の船員、”シャルトリューズ”から半分の船員が、それぞれ調査へと赴くことになった。
「アイさん」
 漆黒に包まれたその船に乗り移ると、見慣れた人間の影がそこにはあった。
「あら、そっちも船長自ら来た訳ね」
 数日ぶりに互いを顔を見て、二人の船長は安堵の息を吐いた。
 二十数人の船員を連れ、フェレットとアイはおそるおそる甲板を歩いて行った。
「これ、キャラベル船ね。頑丈な船なのに、よくもまあ」
 甲板に開いた大きな穴を見つけ、アイが声を尖らせる。
「甲板は空っぽみたいですね。……一応、船室のほうも見てみます?」
 フェレットは薄ら笑いを浮かべながら言った。
 出来たら見たくないなあと、そんな風に思っているのがばればれだ。
「船長」
「……はい。それじゃあ僕が先頭を務めさせていただきます」
 アイの返事より先にロッティーナに言われ、フェレットは渋々ながらも先陣を切って船室のほうへと向かった。
 ――背筋がぴんと張らずにはいられないようなこんな空気。
 フェレットもアイも、何となく感じていた。
 階段を下って行き、最初の船室に行き付いたところで、
「……やっぱりな」
地面に転がっている遺体を目撃した。
 遺体の数は――六人。
 皆剣を握ったまま、迫り来る恐怖と戦っている……そんな表情をしたまま死んでいた。
 穏やかな顔をしたものなど、一人としていない。
「アイさん、平気?」
 フェレットはそう、心配そうに訊ねた。
「ええ、何とか。レティシアちゃんを連れて来なくて良かったわね……」
 アイの顔色が蒼白になっているのは、この暗闇の中でも見て取れた。
 いや、きっと自分もそうなってるのだろう。
 こんな光景を目にしたのはこれが初ではないが、慣れるなんてことは有り得ないのだから。
「イスパニアの船も、もしかしたらこの船と同じ様に……」
 さすがのロッティーナも神妙な顔つきになっている。
「可能性は低くないな。だとしたら、この人達が誰にやられたかを調べなきゃならないのか……」
 男である僕が躊躇してられないと、フェミニスト気質を奥底から絞り出して、フェレットは遺体の持ち物を調べ始めた。
 他の男の船員達もそれに続く。
「アイさんとロッティはいいよ。一応、女の人だし」
「……何で一応なのよ」
 アイは絞り出した声でそう減らず口を叩いたが、さすがに遺体に触れることは出来なかった。
 ロッティーナもそうだ。
 と言うより、触れさせないように他の船員達が形を作っている。
(血が乾いてる……)
 右手についた赤いものの感触を確かめながら、フェレットはその遺体の格好をじっくりと見やった。
「ウェイストコート(ジレ)ね……。皆同じ服装をしてるわ」
 アイがフェレットの言葉を代弁した。
 遺体は皆、同じ色をしたジレを纏っている。
 商人の服装には見えないし、姿そのものは盗賊か何かの様に見える。
 肌の色は白く、イスラム圏の人種ではないことは確かだろう。
「転がってる遺体が実は全部悪人で、どっかの正義感溢れる人に始末されたんだったら良いけどな。それでイスパニアの船がいなくなってる原因がこの人達だったんなら尚最高だ」
 この緊迫した場でも、冗談をいうことは忘れないフェレットであった。
 それもまた、自身の緊張を解す為なのか。
「どう、フェレさん。他に何かわかることはあった?」
「皆死んでますな、とりあえず」
「……そんなのこっちからでも判るわよ」
 大体この船室は相当狭いのだ。
 端で眺めていようにも、アイとフェレットのいる位置は数メートルも離れていない。
 遺体が握っている剣の種類なども一応確認してみたが、いまいち掴めない。
 調査隊は恐る恐る、この船室からさらに奥へと続いている廊下へと進むことにした。
 この雰囲気にも大分慣れて、また先頭を行こうとしたフェレットだったが、ロッティーナに遮られる。
「私が最初に行きます。いきなり襲って来る敵がいたら大変ですからね」
「……危ないぞ」
「私の方が剣を使えますから。ご心配無く」
 玲瓏な笑みを浮かべながらの一言で船長を閉口させると、ロッティーナは弛まぬ足取りで進んで行った。
 左手に灯りを持ち、右手には先端の鋭く尖った剣、エストックを持って。
 道の先にはまたもう一つ、船室があった。
 ――慎重に足を踏み入れると、がたり、と何かが鳴った。
「……っ!」
 暗闇の奥からいきなり突き出された、剣。
 フェレットもアイも他の船員達も、一瞬何が起こったのか解らなかった。
 ロッティーナはその刃を辛うじて払い除け、
「止まってっ! 敵がいます!」
と後続の船員達に向かって叫んだ。
 視線は前に向けたまま、最大限に注意を傾けている。
 攻撃は連続では来なかった。
 ロッティーナ自身も数歩下がり、皆の援護が受けられる位置で留まる。
「出て来なさい」
 その声に誘われたのかは判らない。
 ただタイミングを同じくして、その船室から一人の男が姿を現わした。
 さっき見た遺体と同じ服装をその身に纏った、長身の男。
 その左手には中型の湾曲剣が握られていて、ロッティーナに向かって振るったのもこれだ。
「……お前ら、イングランドの人間か」
 男は言った。
 一瞬その言語に戸惑い、フェレット達は自らの知識からそれに見合う言葉を探す。
「私達に敵意は無いわ、剣を下ろして」
 咄嗟にギリシャ語へと言語を切り替え、アイが意思の疎通を図った。
そうだ、さっきの遺体にしても――あの肌色はギリシャ人のものだったか、とフェレットは気付く。
「海賊じゃねぇのか?」
「この辺りを通りかかっただけの冒険者よ、私達は。貴方は?」
「俺の他にこの船に人間はいたか?」
 アイの問いに答えずに、男は逆に訊き返した。
「貴方と同じ服を着た人間が何人か、死んでいたわ」
「……あとニ隻は?」
「そっちはまだ見てないわ。それより、こちらの質問に答えなさい」
「良い? 正しく答えるのよ。何処の船かをね」
 ロッティーナが横から口を挟む。
 アイよりも若干、口調に刺々しいものが混じっている。
 変な行動を見せたら殺す、とそう言っているようにも思えるほど。
「ギリシャの、所属は――ギリシャムーンズだ」
「何ですって?」
 ロッティーナが驚愕の表情をする。
 フェレット達はその名前に聞覚えが無かった……が、フェレットだけは別の意味で顔を歪めている。
「ロッティさん、ギリシャムーンズって?」
 アイが英語に戻して訊ねる。
「私も話に聞いただけなんですが……。東地中海周辺を荒らし回っている、盗賊団の名前です」
「と、盗賊団ん?」
 この緊迫した場において、いささか間抜けな声を響かせたのは、アイではなくフェレットだ。
 わなわなを体を震わせて、無言でロッティーナのほうを見つめる。
「……船長、何か言いたそうですね」
 フェレットが何を思っているか、ロッティーナは気付いていた。
「……ロッティ、何故……先に言ってくれなかった?」
 悔しくてたまらないと言った顔で、フェレットは訊ねる。
「物知りな船長のことですもの。きっと御存知だと思ってましたから」
「そう言われちゃ、しょうがないな……」
 本当にそう思ったのか? とフェレットは問い返しそうになったが、ここで怒っては大人気ないと堪え切った。
 悩みに悩んで、”ノースムーンズ”という暫定船団名は採用しない方向で行くことに決める。
 ……僕のセンスが、盗賊団のそれと似通ったものだったとは。
 ショックを隠し切れないフェレットであったが、数秒して場の空気を思い出し、表情を取り繕う。
「盗賊団か。ここで殺しても良いけど……どうする?」
 フェレットは皆に意見を求めた。
 ギリシャ語で口にしたその声を聞き、男は目に見えて慌てた顔になった。
「待て! 命を助けてくれたならもう盗賊行為はやらん! だから頼む、助けてくれ!」
「あとニ隻の船員が仮に生きてたとしても、貴方一人だけ盗賊団を抜けられるのかしら?」
「約束する!」
 アイの声に、男は食い付くようにして声を上げる。
「好きで盗賊なんかやっちゃいねえ。ちゃんと食わして貰えるところがあれば真っ当に生きる!」
「ですってよ、フェレさん」
「うーん……」
 フェレットは頭を抱えたくなった。
 信じられるか、と撥ね付けることは容易だ。
 だがうちの船団の水夫にも何人か、元海賊出身者の者もいるし……。
 未だ経験したことがないとは言え、自分達も海事ギルドで、海賊紛いの仕事を依頼されたことが何度かあるのだ。
 冒険者にとって海賊、盗賊は、完全に縁のない存在だとは言えないのかもしれない。
「アイさんに一任するよ」
 悩んだ挙句、結局フェレットは決定権を放棄した。
 そしてそれを譲り受けられたアイはたった一言、
「良いわよ、ウチの船においでなさい」
――フェレットと違い、即断であった。
「ちゃんと決まり事を守ってくれれば、生活は保証するわ。その代わり盗賊行為は二度としないでくれるかしら」
「ほ……本当か! 分かった、それなら喜んで付いて行く!」
 男は剣を放り捨て、その言葉が嘘ではないことを証明した。
 それだけでは証拠としてあまりに足りなさ過ぎる気もしたが。
(さすがぁ……)
 フェレットはただ、ぽかんとして二人のやり取りを見つめていた。
 自分なら絶対、自分の船に乗せる等とは言えないと、感嘆の息を漏らしながら。
 他の船員も同じだ。
 アイの手並みにただただ感心している。
 ロッティーナだけは、複雑そうな表情を浮かべていた。

 その後、三隻の船を調べ終えたものの、結果として生き残っていたのは一人の男のみであった。
 そしてその一人の男は、この船団に何が起こったのかを教えてくれた。
 イスラムの大型ガレー船がたった一隻で襲撃を掛けてきて、殺戮の限りを尽くしたのだと。
 この海域を行く船は皆、そのガレーにやられているのだと。
 調査を終え、それぞれがまた元の船へと戻ろうとしている。
 空には日が昇っており、改めて体を蝕んだ疲労を実感させられる。
 ”シャルトリューズ”へと戻って行く船員は、行きと比べて一人増えていた。
「それじゃ、僕達も戻るから……。気をつけてね、くれぐれも」
 フェレットに対する返事を、アイはうん、という一言で済ました。
 心配ない、とも言いたげな声の調子であった。
 その後、新船員のほうへと向き直る。
「改めて教えるわ。私はアイ、船の名前は”シャルトリューズ”。そうそう、お酒が大好きだから覚えておいてね」
(手懐ける気かよ?)
 尊敬を超えて、最早恐ろしいとさえ思うフェレットであった。
「……言っとくが、ろくな仕事は出来ねえぞ。多分」
「飲み友達になってくれればそれで良いわ」
 男はグラフコスと名乗った。
 奇妙な縁から一人の仲間を加え、東地中海の旅はさらに奥深くへと進む。



  1. 2005/07/19(火) 03:47:50|
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第十一章 Moon chaser ――月の追跡者――(前編)

1

 イングランド、ネーデルランド、フランス、ポルトガルと幾つもの国を跨ぎ、船団はスペインへとやってきた。
 途中訪れた全ての町でかおるの行方を探してはみたものの、今のところ有益な情報は一つとして得られていない。
 リスボン湾から東に曲がらずにそのまま南に進み、東アフリカへと向かうことも考えられたのだが、まずはよく知っている近海から回ることにした。
 未知の大陸を見て回るのは勿論楽しいのだけれど、やはり見慣れた光景には心を落ち付ける効能があるのだ。
 かおるもそんな風に思ったのではないかと想像し、一行はスペイン領、セウタの町を訪れた。
 ジブラルダル海峡を挟んだモロッコの北岸に位置するその町は、フェレットらには何より馴染み深い町。
 久々に訪れたその光景は以前と何も変わっておらず、リィは故郷に帰ってきたかのような懐かしい気持ちを覚えていた。
 町に到着して直ぐ、船員の半分を船に残し、フェレットとアイ、リィの三人は酒場へと向かった。
 ルーファやパング達は町で、交易やかおるの情報入手に当たっている。
「フアナおばさん!」
 酒場で働いている恰幅の良い女性。
 その姿を見付けた瞬間、リィは彼女の元へと駆けて行き、そして抱き付いた。
「お久しぶりです。私のこと、覚えてますか?」
 彼女の小さな体を軽々と受け止め、その女性はまじまじとリィのことを見返した。
「あんた、本当に……」
 それだけ言うと視線を逸らし、リィを抱きかかえたままで、女性は酒場内に声を響き渡らせた。
「あんた達、今日はもう店閉まいだよ。航海に出てたあたしの娘が帰って来たんだ!」
 しっしっと、まるで猫でも追い払うような仕草で、酒場で飲んだくれている男どもを叩き出そうとするのであった。
 下手な客がいたなら事件になりかねないが、今日ここで飲んでいる面子は皆、日頃からの御得意様だ。
「……フアナおばちゃんがいつも自分のことみたいに自慢してる、あの船団がやってきたんだな?」
「アントニオとは別に結婚してる男がいるっていうあの船団だよな。なんでも女みたいな顔した坊っちゃんとか、並の男以上に酒を飲む淑女が船長をしてるって言う」
 入り口で固まったままだったフェレット達も、そんな声を耳にして、嬉しいような照れ臭いような気分になった。
「そんじゃ、今日ばっかりは水入らずにしてやるしかねえな。アントニオ、お代はここに置いてくぜ」
 常連客達は揃ってぞろぞろと立ち上がり、マスターのアントニオの元へ代金を放り投げていった。
 その客達は当然、去り際にじろじろとフェレットらのほうを眺めて行くのであった。
「なぁ、あれが酒を樽ごと飲むっていう例の船長だぜ……怖い怖い」
小さな噂声が届き、アイはぴくりと眉を震わせる。
「まあまあ抑えて、酒飲み船長」
「うるさい!」
 ここぞとばかりに茶々を入れるフェレットだった。
 そしてそんな喧騒を経た末、酒場には皆、見知った人間だけが残された。
「リィ……よく帰ってきたね。益々美人になっちゃって……」
 フアナは自分の胸に、リィの顔を埋めた。
 顔どころか半身が埋もれて、殆ど息が出来ないくらいになっている。
「もう二年近くも前になるのかい。あんたがどっかの砂漠で寝てたって、坊ちゃん達が慌てて駆け込んで来たのは」
 感慨深げにフアナは言った。
 たったそれだけの言葉で、フェレットらの頭にもまた、その時のことが鮮明に浮かぶ。
「確かに早いよな。あの時は一体何が起こったのかと気が気でなかったけど……」
 砂漠に埋もれていた少女を助けるなんて、人生の内に二度と経験できることではないだろう。
 それを経験することがなかったら、人生はどう変わっていたのだろうか?
 間違い無く今以上のものにはならなかっただろうと、確信を持って言える。
「ふふふ、気がつけば今や大事な人だもんね。リィちゃんは」
「アイさん! シッ」
「……そうね」
 フェレットに慌てて口を塞がれ、アイは直ぐに察した。
 大事な娘に恋人が出来たなんて事が知れたら、そしてその相手がフェレットだと判ったら――どんな目に遭うか、想像に難くない。
「何やってるの! 坊ちゃんとお嬢ちゃんも席につきなさい。当分ここから出さないからね」
 フアナに呼びかけられ、二人もまたカウンターへと歩いて行ったが、途中でぴたりと足を止めた。
「あら。かおるちゃんはいないの……?」
 彼女のそんな心配そうな声が聞こえたからだ。
 ……やはり、かおるさんはここにも来ていなかったのか。
 ほんの僅かに抱いていた希望が潰え、フェレットは落胆した。
 もしもこの辺りを通ったなら、間違い無くここに立ち寄るはずだと思ったのに……。
「ねぇ、かおるちゃんはどうしたのよ。なんで一緒に来てないの?」
(まずい……)
 一行はぎくりとして表情を固まらせた。
 このフアナと言う女性、かおるのことが大好きで、船団が町に寄る度に散々彼にアプローチをしているのだ。
 無論成功した試しはない、と言うかこの酒場のマスターがフアナの正しい夫であるのだけれど。
 それはそれとして、フアナがかおるに惚れているのは事実であった。
 彼が行方不明になったなんてこと、伝えられるわけが――。
(……え?)
 アイの視線が、何故かこっちを向いている。
 フェレットは訳がわからず、ぽかんとして見返した。
 アイに釣られて、リィの視線もまたフェレットのほうへと注がれる。
「ちょっと、詳しく説明しなさいよ。坊ちゃん」
 フアナの声も同じように、フェレットへと届けられた。
(そう言うことか……)
 責任を一人だけに押し付けやがって、とフェレットは訝しがったが、こうなってしまってはもう逃げられない。
 少し悩んだ後、フェレットは一計を案じた。
「……He has gone somewhere(彼は何処かに行ってしまいました).」
「なんで英語で言うのよ?」
 アイは思わずそう、突っ込みを入れてしまった。
 何とかはぐらかして、真実を告げるのを遅らせようという腹なのだろうが……考えが甘かったらしい。
「いなくなった……?」
 聞こえて来たフアナの声。
 それにはさっきまであった剛毅さ、そして生気――全てが無くなっていたのだ。
「あ……」
 フェレットは焦った。
 ここはスペインなのに、何故英語を普通に聞き取れるのだ?
 その理由は直ぐに思い当たった。
 アントニオ夫妻は元々二人共船乗りをしていて、船上で出会って結婚したのだと聞いたことがある。
 船で諸国を旅すれば当然、その土地その土地の言語を習得もするだろう。
「フアナッ?」
 ショックのあまりばったりと倒れ伏したフアナに、アントニオが駆け寄る。
 ちなみにその胸にはまだリィを抱いたままであった。
「フアナおばさん! 大……丈夫か? リィ」
「助、けて、ください……」
 うつ伏せになって倒れたフアナに押し潰されているリィを目にして、フェレットは潰れた蛙を連想するのだった。

 そうして気を失った二人を介抱して、三十分後。
「そう。かおるちゃんが、何処かに……」
 気を取り戻したフアナであったが、その声には明らかに元気がなくなっていた。
 フェレットらの声にも心なしか、さっきまであった陽気な部分が消え失せている。
「うん。もしかしたらかおるさんがここに来たんじゃないかと思って、それで寄ったんだけど……」
「かおるちゃんは、セウタには来てないわ。だから多分こっちには来なかったんでしょうね。来たなら絶対、ウチに寄ってくれるに違いないもの」
「僕もそうだと信じたいけど」
「どうしていなくなっちゃったの?」
「えっ」
 フアナに問われて、フェレットははっとした。
「……そう言えば、一体何の理由でいなくなったんだろ」
 答えられずに、二人の仲間のほうを見やる。
「解らないわねえ。まあ、いきなりどっか行っちゃったりしてもおかしくないような雰囲気は持ってたけど……」
 アイも正しい答えを出せずにそう返すしかなかった。
 曖昧だが、”かおるさんだから”と言う理由が一番当てはまっている気もする。
「……あの」
 リィが力のない声で言う。別にさっきの怪我のせいではない。
「何か思い当たる節があるとか? リィちゃん」
「もしかしたら、あの連日の宴会に耐えられなかったんじゃないでしょうか? かおるさん、お酒飲めないから」
 真剣な表情で言われて、アイは思わず閉口するしかなかった。
 そのこめかみは引きつっている。
 彼女だけでなく、フェレット達まで反応に困っている様子だ。
「なんで私を見ながら言うのかしら? あなた」
「……すいません、つい」
「許さないわ」
 アイはリィの後ろに回り込み、その両手でリィの両こめかみをぐりぐりと押した。
 じゃれあっているつもりなのだろうが、力加減は少しだけ強目だ。
「かおるさん、全く酒が飲めなかったからな。今にして思えば、毎晩のようにアイさんやら”永久機関”の船員やらに酒場まで連れてかれて、浴びるように酒を飲まされてたってのは苦痛だったのかも」
 フェレットが低い声で更にそう続けた。
 言葉の内容は冗談めいているのに、やけに本気じみた口調で。
「……そう言えばね。これは今まで黙っていたんだけど」
 フアナが言う。
 場の雰囲気は神妙なものになっており、アイはまた静かに席についた。
「覚えてるかしら。貴方達がここに、三度目に来たときだったかしらね。それこそ店の酒を全て飲み尽くす勢いで、坊ちゃん達はずっとここで飲んでて……。かおるちゃんが限界を超えて倒れたから、あたしの家まで連れて行って介抱したのよ」
「ああ覚えてる。あの時は僕も翌日に散々吐いたな。アイさんは?」
 わざとらしくフェレットは訊ねた。
「吐かなかったけど。それより、その時に何があったのかしら?」
 最早取るに足らぬとばかりにアイは流し、続けてフアナへと問うた。
 フアナは口にすべきかどうかを迷っている様子で、目を逸らしている。
「……良いのかしら、言っちゃっても」
「大丈夫」
 フェレットが頷き、フアナはまた向き直った。
「あたしとかおるちゃん、二人きりになってね……素敵な夜だったわ。月が綺麗で」
「ええ……」
 いい予感はしない、とフェレットは思った。
 フアナの瞳には今、星の煌きが宿っているのだ。
 きらきらと眩しくて、こちらが思わず押し黙ってしまうほどの。
「あたしはそこで、聞いたのよ」
 頭の中を回り始めた素晴らしい記憶を、フアナはそのまま言葉にして出した。

――「ねぇかおるちゃん」
「……ンア?」
 ちなみにこの時かおるは十回も吐いた後で、体調は最悪を通り越している。
 視線も落ち付かず、歯茎ががくがくと揺れていた。
 酒は剣よりも強しと言うか、普段は鬼神の如く強さを誇る彼も、今なら触れただけでも五体がばらばらになりかねない。
「かおるちゃんって、当てのない旅をしてるってずっと言ってるけど……夢とかはあるのかしら?」
「ユメ? ユメか」
「結婚とかね。だってかおるちゃんくらいの素敵な男なら、言い寄ってくる女性なんて他にもたくさんいるでしょう? あたしみたいに……」
「腐る程いて、日干しにしといたらみんな腐ったよ。どうやら私には燻製を作る才能が無いようでね」
「あたしは腐ってないわ。これからもずっとかおるちゃんのことを好きでいられる自信があるもの」
 その言葉を彼が真剣に聞いていたのかどうか、今となっては知る由もない。
 かおるはうぷ、と何かを戻しそうになった後、
「そう……だな。ドリーム……は」
ごくりとそれを飲み込み、
「……It to Islam, and to send the life without alcohol alone(イスラムで、たった独りで酒の存在しない生活を送ることだよ)!」
高らかにそう宣言したのであった。

「何で英語で……?」
 フアナは妄想に浸ることに夢中で、フェレットのその声も聞こえていないようだ。
「そう言ったのよ。夢を語るかおるちゃんの表情がまた素敵でねぇ。ちなみにかおるちゃんはこの後朝まで吐き続けたわ」
「やっぱり、アイさん……」
 気付けばワインのボトルを空にしているアイに、二人の仲間の視線が集中する。
 まるで責めるような目つきで眺められて、アイは心外だ、と思った。
「……ま、まあそれは多分、その時の酔いがあまりに酷かったから、勢いで言っちゃっただけでしょうけど……。って、大体なんで酒と私が同義語みたいな扱いになってるのよ」
 そう口にしている間にも、次のワインを運んで貰っているところが、その理由であることは言わずもがな。
「やっぱりイスラムに行きたがってたのかな。何かと話題に出すし…」
「でも確かその時って、丁度東地中海のほうから帰ってきた際にセウタに寄ったんじゃなかったかしら?」
「そうでしたっけ……。だとしたら、たまたま記憶に新しかったから口にしただけってことも有り得るなぁ」
「そう。じゃぁあんまり手掛りにはならなかったかしらねぇ……」
 フェレットとアイのやり取りを聞いて、ようやく夢の世界から帰ってきたフアナが言った。
「ううん。でもイスラムのほうに行った可能性は有ると思うよ。ありがとう、フアナおばさん」
「そうかしら! それじゃあ情報料は、かおるちゃんを見付けた暁にあたしの魅力をたっぷり彼に説明しておくってことで勘弁してあげるわ」
「うん。もうかおるさんが失神するくらい説明しとく」
 フェレットはそう言って笑った。

 翌日、別れを惜しみながらも、船団は朝早くから出発の準備を始めていた。
 不完全な状態のまま一箇所に長く留まることはもうやめたのだ、と自分に言い聞かせながら、フェレットは遠く東地中海のことを浮かべている。
 やがて準備も終わり、いよいよ別れの時。
「フアナおばさん。アントニオさんも、ありがとうございました」
 リィは皆から許しを貰い、フアナの強い希望もあって、アントニオ夫妻の家で宿泊させてもらっていた。
 二人は今見送りに来てくれていて、彼らの周りには何故か夫妻が経営している酒場の常連客までが集まっている。
「リィ」
 タラップから船に渡ろうとするリィに、フアナが優しく声を掛ける。
「大事にして貰いなよ、あの坊ちゃんに。もし不幸な目に遭わせたら、海を越えてあたしの鉄拳が飛んで行くって、伝えときな」
「ありがとう、フアナおばさん」
「それじゃあ行ってきな。こっち来た時には絶対また寄るんだよ」
「うん、行ってくるね――お義母さん」
 最後にそれだけ口にして、リィは照れ隠しをするかのようにそこから去ろうとした。
 けれどフアナはそれをさせず、彼女のことをもう一度抱きすくめてやる。
「やっぱり、もう少し居ても良かったかもしれないわね。此処に」
「ええ。本当に……」
 アイとフェレットは、自らが失ったものをそこに求めるようにして、リィ達のことを見つめていた。
(しかし、言っちゃったのね……僕らの関係のこと。こりゃ次回セウタに寄る時が恐ろしいや)
 数メートル離れた距離にいたが、フアナの台詞はちゃっかり聞こえていたフェレットでもあった。
 色々な意味で後ろ髪を引かれながらも、こうして船団はセウタの町を後にした。

2

 次に立ち寄ったのはスペイン、アンダルシア地方最大の都市、セビリア。
 この大都市ならば求める情報が手に入るのではないかと、希望を託しての寄港であった。
 港を出て、一行がまず立ち寄ったのは交易所だ。
「それにしても……」
 船団唯一の商人、ルーファ。
 彼女の手並みを拝見しながら、リィは呟きを浮かべた。
「ルーファさんが来てから、交易が捗るようになりましたよね」
 にこりと笑って、リィはフェレットのほうを向く。
「……悪かったな、今まで手際が悪くて」
「いえ、そうは言ってませんけど。でも色々な交易品が船に載るようになって、益々航海が楽しくなりました」
 リィの船”コンスタンティア”にも、ルーファから色々とアドバイスを受けて交易品が載せられている。
 今も丁度、この交易所で買い集めたアルケブス銃や弾丸を船へと積み込んでいる最中なのだ。
「まぁ奥が深いってことさ、航海は」
 フェレット自身はあまり交易に関して詳しくないようで、そんな曖昧な返事だけをする。
 交易品の相場を見極めるのも苦手だし、増してや値切りなど成功したこともない。
 もう数年間も船乗りとして暮らしているが、実のところ今までは交易を半ば放ったらかしてさえいた。
(ルーファさんを見てると勉強になるな。確かに)
「ちょっと、このワインもう少し安くならないかしら? 安くしてくれたら、また各地の特産品をたくさんここに運んできてあげるから」
 丁度ルーファと交易所の店主がやり取りをしている最中。
 フェレットらはそれを興味深く眺めた。
「そう言ったまま帰ってこない船乗りもたくさんいるもんでね。悪いがこればっかりは譲れないよ」
「なら構わないけど、でも後悔すると思うわよ。間違い無くね」
「どうしてだ?」
「私、実は北海で交易を行っている”Bar like a child”っていう商会のものなんだけど……」
「聞いたこと無いね。それで?」
「まあ新興の商会だし、商売のほうはまだこれからなんだけど……。北海では”闘う商会”として有名なのよね。商人なのに機雷で私掠船を撃退したり、賞金首をひっ捕らえたり。で、あのね……」
 ルーファは店主の耳へと口を近付けて、そこに何やら囁いた。
 突如として店主は目の色を変え、
「……そう言うことでしたら、ワイン一樽で286ドゥカートまで値下げいたします。ですから何卒うちの店には……」
眼の前の女性を怯えるような目つきで見ながらそう言った。
 怯えるような目つきで見ているのは、フェレットらも一緒であった。
「了解したわ」
 ふふ、と不敵な笑いを浮かべるルーファ。
(……勉強になるな、確かに)
 フェレットはもう一度、先程の言葉を頭の中で反芻させた。
 ……一つだけ、解ったことがあった。
 自分には著しく、商才というものが欠けているのだと。
 時に押し、また時には引き、そしてある時には刃を突き付ける勇気がないと、交易をこなすことは不可能なのだと理解した。
「よし、こっちはルーファさんに任せて、僕らは余所のギルドでも回ってみるとするか?」
「そうですね。居ても御役に立てそうにもないですし」
 アイ達は既に酒場へと向かい、色々と情報を仕入れて回っているはずだ。
 セビリアなら知り合いも多くいるし、もしかしたらかおるがここを訪れた可能性も――。
「ん、あんた」
 交易所の騒がしさの中で、こちらへと呼びかける声があった。
「もしかしてフェレットじゃないか?」
 名前を呼ばれて、フェレットも振り返る。
 そこには、セビリア冒険者ギルドの依頼仲介人が立っていた。
 船団は過去にも何度かここセビリアを拠点としていた時期があり、依頼仲介人とも顔見知りなのだ。
「久しぶりだな。セビリアに戻ってきてたのか」
「……ギルドに居なくて良いの?」
 第一声からして怪訝な声を返すフェレットであった。
 その後、遅れて挨拶の声を交わす。
「代理の人間を置いてあるから平気だ。出航所の人間からお前達がセビリアに来たと聞いて、居ても立ってもいられず探しに来たんだよ」
「僕達を?」
 ああ、とフェレットはぽんと手を打った。
「最後に会った時、ろくな依頼を紹介してくれなくて、僕らのことをリスボンに追い払ったような感じだったもんね。だからわざわざお詫びとして訪れたとか」
「まあそれもあるな。だが本題はそんな悠長な話じゃないんだ」
 フェレットの言葉を軽々と流して、仲介人は真剣な声で続けた。
「北海で、でかい海賊団の頭領を捕らえたそうじゃないか。海事ギルドにもそれなりに聞こえて来てるぜ、お前達の評判は」
「そうなんだ……」
 海で隔てられていようが、人間の情報力とは恐ろしいものだ。
 まさかセビリアにまで届いているとは露知らず、フェレットは嬉しいような不安なような、妙な面持ちになった。
「最も、主に手を下したのは、倫敦の一商会の代表を務めてる男だとも聞いてるがな。まあ、それはそうとだ」
 あまり辺りに聞かれてはまずい話のようで、仲介人は声を潜めている。
「海事ギルドに来てくれないか? そこでじっくりと説明をしたい」
「海事? あんた、冒険者ギルドの仲介人なのに……」
「今回の依頼は冒険者ギルドと海事ギルドの合同の依頼だ。それだけ、大事な話なのだ」
「ふーん」
 フェレットとリィは話を見合わせた。
 自分達の実力以上に信頼を置かれてやいないかと、多少の不安を覚えながら。
「ああ、他の船長も連れて来てくれ。特にあの変な性格した大男の方は必ずな」
「あっ、かおるさんは……」
「先に海事ギルドで待ってるから、頼むぞ」
 こちらの声を聞かず、依頼仲介人は行ってしまった。
「参っちゃいましたね。かおるさんがいなくなったなんて、あの人が知ってる訳無いと言え……」
 相変わらず騒がしい交易所の付近で、二人はまだ顔を見合わせたまま。
「きっと物騒な依頼なんだろう、おそらくな。どうするか」
「一応、話だけ聞いてみてはどうですか?」
 言われて、フェレットは頷いた。
「そうだな。かおるさんがいないと知れたら願い下げにされる気もするけど」
 フェレットは早速行動へと移り、まずは眼前の店で相変わらず奮闘しているルーファのほうへと歩いて行った。

 各場所に散らばった全船長を集めるには、それから二時間もの時を要した。
 暫定船団名”ノースムーンズ”の船長達は、雁首を揃えて海事ギルドへと集まっている。
 海事ギルドの依頼仲介人、そして冒険者ギルドの依頼仲介人が一つの場所に揃っているのもそう見られる光景ではない。
「おい、一人足りないじゃないか」
 言われるとは思っていたが、冒険者ギルドの依頼仲介人に案の定そう突っ込まれた。
 どう釈明すべきかと、船長達は互いの顔を見回し始める。
「今、彼は風邪に冒されてまして、船で休んでますわ。依頼の内容を聞き、気が向いたら参加するとのことです」
 アイがそう咄嗟に答え、この場はなんとか真実を告げずに済んだ。
 確かにかおるさんだったらそう言うだろうと、フェレットも納得出来る説明であった。
「そうか……ちゃんと船に乗ってるんなら、それで良いんだ」
 アイはすいません、と心の中で詫びを入れた。
「で、依頼の話に移らせてもらう。重大な依頼だ、心して聞いてくれ」
 薄暗い海事ギルドの中で、依頼仲介人は説明を始めた。
 海事ギルドに依頼をした人間は、セビリアの大臣だと言う。
「最近、東地中海へと出かけたイスパニアの船が、何隻も行方不明になっているのだ。その原因の調査をして貰いたい」
「東地中海で?」
 依頼の説明があっさりと終わり、拍子抜けする一行であった。
「良いですよ。別に」
 またフェレットが即断して返事をしたので、面々はさらにがくりとなる。
「ちょっと、良いの? そんなあっさり決めちゃって」
 ルーファが半ば呆れた口調で言ったが、
「だってどちらにしろ、あっちに行こうとしてましたからね」
と、フェレットの口調はあっさりしている。
「以前にもこちらで調査船を派遣したが、それも行方知れずになったままだ。下手すればお前達もそうなるかもしれんのだぞ?」
「その原因を調べてくればいいんでしょ? 深入りしなければ平気さ」
(フェレさんにしては、やけに強気ね。北海の依頼の時とは大違いだわ)
 依頼を受けることに関してはアイも異論無かったが、違和感を感じていたのはむしろそっちに対してだった。
 かおるさんを探したい、かおるさんが東地中海にいるかもしれないという思いが、彼を強気にさせているのだろうか?
「パング君も、ルーファさんも、構わないかな? もしかしたらアッサリ死ぬかもしれないような依頼なんだけど」
「構わないっすよ。そんな旅になるだろうとは思ってたっすから」
「……報酬によるわね」
 ルーファは商人の顔になって、報酬額の商才を依頼人達に訊ねた。
 金額を聞かされて、少しだけ目の色を変える。
 それはフェレット達が思わず飛びあがる程の高額の報酬であったのだが、彼女は大して動じていない。
「行くわ。けれどあまり危険には踏み入れないようにしようよ」
 そしてルーファはそう結論を出した。
 常に平静を保っていられる事。それもまた商売の秘訣であるらしい。
「アイさんと、リィは?」
 重ねてフェレットは訊ねる。
「構わないわ」
「私もです。貴方が向かう所になら、何処にだって付いて行く決意でいますから」
「あらぁ! 羨ましいわね二人共!」
 アイが茶化すように口を挟んだが、
「いえ、別にそんな意味じゃなくて……。船団の行く所なら、ってことです……」
 どうやら無意識に口にした言葉だったようで、顔を赤くして弁明されて、アイは僅かの罪悪感に駆られた。
 もっとも、僅かな罪悪感に比べてしてやったりと言う悪戯心のほうが遥かに勝ってはいたけれど。
「よぉーしっ、それじゃあ行っかァ!」
 皆の意見が一致して、フェレットが大きく声を上げる。
 そんな声を聞いて、アイは”かおるさんに似ている”とそう思った。
 ――さすがにその後にラッシャアオラァ、とは続かないんだけれど。
 私が出会った時から二人は一緒に居たけれど、当初のフェレさんは今に比べるともう少し大人しかった気がする。
 そうか、この人はいつもかおるさんと一緒に居て……一番身近で影響を受けてきた人なんだ。
 アイは改めて実感した。
「船が行方不明になっている場所は東地中海の……アレクサンドリアの周辺だと分っている。良いか、原因を突き止めるだけでいい。もしそれがイスラムの船か何かだったら、無理に攻撃を仕掛けようとはするな」
 冒険者ギルドの、依頼仲介人の声。
「おっ、もしかして僕らのこと心配してくれてるの?」
「当然だ。こちらとしても依頼が失敗に終わるのは気分が悪いからな」
「ああ、成る程」
 フェレットの声は少しだけ残念そうだった。
「帰って来たら、また石ころ探しの依頼でも紹介をしてやる。最近は若い冒険者もそう言った地味な作業をやりたがらなくてな。余ってるんだよ」
「そりゃどうも。その依頼をこなす前に、東地中海から余計な砂利を取り除いてくるとするさ」
 去り際の、フェレットと依頼人のそんなやり取り。
 特別仲が良い訳でもない顔見知り程度の関係ではあるが、共に一般の人間とは違う世界に生きる人間同士、何か感じる所があるのかもしれない。



  1. 2005/07/15(金) 06:31:21|
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登場人物紹介【2】

koukai_Kalitus
カリタス
 北海を拠点とする商会”Bar Like a Child”のリーダーを務める若き冒険家。知的で冷静な言動の中に熱き血潮と鋭い刃を秘めている。船の名前は”オールド・ブラック・マジック”。

koukai_Rufa
ルーファ
 ”ヴェレーノ・プリンシペッサ(毒の姫)”の船長を務める女商人。持ち前の毒舌でフェレットを恐れさせているが、商売の駆け引きは誰にも負けない。商会"Bar Like a Child"に所属。

koukai_Pangu
パング
 商会"Bar Like a Child"に所属する少年。何故か~っす口調であったりと、一見して青々しさを感じさせるものの、冒険家として確かな腕をしている。船の名は”嵐を呼ぶ鹿号”。

koukai_Leticia
レティシア
 商会"Bar Like a Child"に所属する少女。その可愛らしい容貌からアイに不気味な程気に入られ、”シャルトリューズ”のマスコットとして活躍することに。



  1. 2005/07/15(金) 01:42:32|
  2. 登場人物紹介
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第十章 振り返りし景色

1

 倫敦を出港し、少し南に行ったところにドーバーの町がある。
 その町の酒場で、船団にまた新たな仲間が加わった。
 まず顔を合わせたのはパングとルーファ。
 二人とも、見知った顔だ。
「カリタスさんから、貴方達のことを手伝えと言われてるの。よろしく頼むわね」
「こちらこそ。船長が一人減って色々と不安だったんだ」
 ルーファとフェレットは固く握手を交わした。
 今回ルーファは自身のキャラック船”ヴェレーノ・プリンシペッサ(毒の姫)”と名付けられた自身の船に乗り込んでの参加だ。
 パングもまた、年は若いが有能な冒険者で、剣の腕も立つ。
 彼も今度は小型ガレオン船”嵐を呼ぶ鹿号”に乗り、船員を従えている。
 かおるがいなくなって戦力的に不安がある今、二人の参戦は非常に頼もしく思えた。
 そして今回加わったのは彼等二人と、その船の水夫以外にも……あと一人いるのだった。
 ”シャルトリューズ”を駆る女船長、アイに取ってはむしろそのあと一人こそが本命だとも言えよう。
「レティシアちゃーん!」
 遅れて酒場に入ってきた人影を見かけるなり、アイはそちらへと走り出す。
 そこにいた少女を抱き上げて、まるで玩具か何かのように弄繰り回し始めた。
 フェレット達としてはもう、毎度のことながら反応に困るしかない。
「やれやれ。これから騒がしくなるな」
「良かったじゃないですか、アイさん楽しそうで」
 呆れた様子でそれを見ているフェレットと、微笑ましげにしているリィ。
「レティシアちゃんは本来連れて来る気じゃなかったんだけどね。カリタスさんが、アイさんへの御土産代わりとして連れてけって。"シャルトリューズ”に乗せるスペースは有るかしら……?」
 ルーファが言う。
「え、じゃあ自前の船があるとかじゃあなく?」
「ええ、単身で付いてきたの」
「うへ。大丈夫かな」
 フェレットの表情に僅かな不安が過った。
「大丈夫! いざとなったらうちの船員に数人降りてもらうから……なんてね」
 アイがレティシアを抱き上げたままで口にした。
 その声は普段のそれよりも自然と大きくなっている。
「……船長、冗談きついですぜ」
 シャルトリューズの水夫の一人が小声で言ったが、アイからの返事はなかった。
 もしや本気か……? と、船員皆で青ざめている。
 ここ最近の溺愛ぶりを見てると、可能性として全く無さそうでもないところが何とも。
「で、これからどこに向かう気でいるの?」
 ルーファに訊ねられて、フェレットは考えた後に、言った。
「とりあえず南に、かな」
「随分適当ね。そんなことで良いのかしら?」
「手掛りがないからね。なんとなくかおるさんが行きそうな所を回ってみるよ。ついでに僕等が楽しめれば尚更良いかな……なんて」
「そう……。確かに言う通り、航海はまず自分達が楽しめないとねぇ」
「うん。まあ今後の話はまたじっくりするとして、今日は飲もうよ。新しい仲間の歓迎会ってことでね」
「――だってよレティシアちゃん。一緒に朝まで飲みまくろうね!」
 フェレットとルーファの会話を寸断する声が響き渡る。
 少し距離が離れていて、しかもあれだけはしゃいでいるにも関わらず、アイにはちゃんと聞こえていたようだ。
(こりゃ朝までどころか……遅れるかもな、出港が)
 航海の最中は常に最悪の事態を想定しておかねば命取りとなる。
 二日、或いは三日間飲み続けるかもしれないなと、フェレットは予め時間を多く見積もっておくことにするのだった。

「ねぇ、フェレさん? うちの船団って、名前を付けたりはしないんですかー?」
 酒場に入ってからおよそ半日が過ぎた頃に、リィがそんなことを言い出した。
「”Blac”みたいに、何か呼称があっても良いと思うんですけど」
「そう言えばそうよね。今まで考えたことなかったけれど……」
 アイにもそう口を挟まれ、フェレットはうーむと唸り声をあげた。
 酒の所為ですっかり機嫌が良くなっていたはずなのに、その表情は何故だか複雑そうだ。
「カナリア沖の辺りの海賊は”西サハラ旅団”と名乗ってるわね。バレアレス諸島の辺りにも”バレアレス旅団”がいるって聞いたわ」
 アイが挙げたのは何故か両方とも海賊団の名称だった。
 フェレットは依然として、憮然とした顔のまま。
「……いや、それがさ。考えたことが無かった訳じゃないんだ、実は」
「え、何時?」
「アイさんと知り合う更にもっと前。……かおるさんに出会って間も無い時に」
「それ、何年前?」
「五、六年前かな。あぁ、考えたくないな。時間の流れを……。あの頃に比べると僕も精神的に大分大人になってしまったな」
「……の頃のことは知らないけど、そんなに変わってないんじゃないかしら?」
 アイの突っ込みも、フェレットには聞こえていない。
(そうだ。あの日、アンダルシアの青い空の下、僕は家を出て……)
 実際空が青かったかは覚えていないのだが、イメージとしてそう刻み込まれている。
 ――あの時は僕もまだ、十代半ばだったっけ。
 もっと純真で、今より無鉄砲で……ってことは別に無かったけど。
 フェレットは昔の自分のことをあれこれと浮かべてみた。
「その時考えた名前は何だったの?」
「……何だったっけかなあ」
 考えてみるが、思い出せない。
 処女航海の暁にかおるさんと話し合って、意見が割れたんだっけか。
 今名乗られていないということは多分そうなんだろう。
 いやでも、処女航海の時よりももっと後に話したような気もする。
「僕が旅に出てから、そんなに時間が経ってなかったのは確かだったけど」
「聞いてみたいなあ。その時の話」
「え、そう?」
 リィに言われて、フェレットは少し面食らったようだった。
「誰も訊いてこないから、あんまり興味無いんだと思ってましたよ」
「他人の過去を詮索はしたくないもの。教えてくれるんなら知りたいわね」
 アイも興味津々な様子だ。
「それに、かおるさんも出てくるんでしょ? その時の話に」
「あぁ――うん。最後のボスとして出てくるかな」
「何よそれ」
「さあね」
 かおると初めて遇った時のことだって覚えているのに……そのちょっと後の、船団の名前を話し合った時のことだけ、ぽっかりと記憶から抜け落ちている。
 最初から少しずつ思い出せば、やがて記憶の奥底から引きずり出せるだろうか。
 酔いの勢いに押されて、フェレットは久々に過去を回想してみるのだった。
 普段騒がしい船団の宴会も、今日ばかりは落ち付いた雰囲気になって。

2

 フェレットは元々スペインのとある貴族家の出で、そのままいけば手仕事に従事することもなく、金利で暮らす安穏な日々を送ることが出来たはずだった。
 しかしある時、海賊達が貴族の乗った船を襲撃したことから変化を見せ始めた。
 豪華な装飾が施されたその船の上で、自身の命ばかりを尊び、海賊達に震え上がっているばかりの貴族達。
 その光景にフェレットは絶望を覚え、独り反抗を試みた。
 だが、子供の喧嘩が常日頃から戦いにその身を投じている男達に通用するわけはない。
 フェレット自身も重症を負い、海賊は見せしめに彼の妹を海に投げ捨てて、帰って行ったのだった。
 その時から彼は日々が窮屈に思えるようになり――妹が姿を消したその海に、想いを馳せるようになっていった。
 数年が過ぎ、フェレットは家を出ることを決意した。
 ある日の夜に家を抜け出し、そのまま帰らない覚悟で故郷をも抜け出したのだ……。

「ふーん、フェレさんらしからぬ重い話ね。それにちょっと格好良い人みたいだわ。昔は格好良かったのね」
 アイがぽかんとした顔でそう途中に挟み、昔の光景に良い具合に浸っていたフェレットもはっと素に返る。
「らしくなくて悪かったですね。って言うかここまでは、アイさんも知ってるはずでしょ」
「うん。言ってみただけよ」
 まだ酒はそこまで回っていないようだが……何となく今日のこの人はタチが悪そうだ。
 フェレットは思った。
「まあ、いいや。それでですね」

 ――スペインは予想した以上にずっと、大きかった。
 故郷、コルトバの町から只管歩いた。
 馬もなく、自身の足だけで進む大地は広大で、海に辿り付く事さえ相当の困難であった。
 晴れ渡っていた空も少しずつ灰色を増していき、やがて大粒の雨が降り始めて。
 ……港に辿り付いても、そうしたら海に出れるという訳でもない。
 雨に打たれながら、どんどんと臆病な気持ちばかりが前に出て行こうとする。
 船出をする所までいかずに座礁しかかったが、それでも決意が萎えることはなかった。
 数年間、ずっと胸に秘めていた思いだったのだから。
 そしてやっとの思いで、セビリアの港まで辿り付くことが出来た。
 余所の船にこっそり忍び込む?
 ……いや、対等の仲間を見つけるところから始めるか?
 様々な思いを巡らせながら、フェレットは港の周辺を回った。
 海の色は美しかったが、その光景は現実のものだ。
 自分が居る場所も全て。
 仲間なんて見つかるわけもなく、そして他人に声を掛ける勇気も出ないまま、フェレットはそれでも港にいた。
 やがて、一人の見知った顔の男に遭遇する。
 その男の名はパベルと言い、フェレットの家のお抱えの召使いであった。
 ……きっと僕のことを連れ戻しに来たのだ、とフェレットはその場から逃げようとした。
 しかし事実はそうではなく、パベルはフェレットを、一隻の船の元へと連れて行ったのだ。
 小さなバルシャ船を前にして、パベルは言った。
 自分は貴方の父親に申し付かって、貴方のことを手伝いに来たのだと。
 そしてこの船が、父親からの唯一の手向けだと。
「坊ちゃんの御気持ちを察してられたのですよ。あの方も」
 父は厳格な性格をしていて、妹が行方不明になってから、日頃会話をすることも少なくなっていた。
 それでもフェレットの思いは伝わっていたのだ。
 ――ならばきっと、自分がもう帰ってこないということも、判っているのだろう。
 その船には幾らかの金が積まれていて、酒場へと赴き、その金でもって数人の船員を雇い入れた。
 彼等と船出を祝う酒を酌み交わし、そして翌日に、一隻のバルシャ船はセビリアを発ったのだった。

「ふーん、なんかフェレさんらしからぬ良い話ね」
「……悪かったですね、度々」
 アイに言われて、フェレットは反撃する気力を失った。
 こほんと咳払いをし、その後思い付いたように一人の水夫を呼び寄せた。
「ほら、こいつとはその時からずっと一緒なんだ」
 ”フォスベリー”の船員、パベル。
 フェレットが航海に赴く時から現在までを知る、唯一の船員だ。
「そん時ゃあまさか、こんなに立派になるなんて思ってなかったですぜ。船長、俺は……一人の人間として、こんなに嬉しいことは御座いやせんよ」
 これも酒の勢いだろうが、そこまで言ったところでパベルは大声で泣き出した。
 酒場にいる他の人間まで、怪訝な顔で振り返っている。
 やれやれとフェレットは肩を竦めた。
「……その時雇った船員は結局、一人残らず死んじまったからなあ。こちらこそ、これからも宜しく頼むよ」
 かつて貴族の息子と召使いという関係であった二人は、今一つの船の長とその水夫という立場に成り代わっている。
 だが、彼らの信頼関係は変わるどころか、数年でさらにその結び付きを強くしたのだ。
 フェレットとパベル。
 どちらもかつてに比べて、口調は幾らか海の男らしいものになっている。
「かおるさんは何時頃登場するんですか? フェレさん」
 アイに比べると、リィは見た目にも明らかに話に聞き入っているようで、涙ぐんでその目を赤くしていた。
 何かと感動しやすい性質であるらしい。
「ええーと……この次だな」
「意外に最後のボスが直ぐに出て来ちゃいましたね」
「もっと長々と語っても良いけどさ。……んまぁ、続けるよ」

 その後、少し船を動かしてみたは良いものの、下手に沖に出ようものなら大変なことになると、付近の町ファロへと停泊した。
 そしてそれから暫くの間は、本を読み漁り、必要最低限の航海の知識をつけるために日々を費やした。
 知識もそれなりについたことだし、いざセビリアに戻り、冒険者としてギルドに登録してみようと意気込んでいた所に――あの男は現れた。
 いや、先に現れたのはまた別の人種であった。
 ファロからセビリアへと向かうその短い航路の間に、バルシャ船は敵の襲撃に遇ったのだった。
 フェレットは一応、父から多少の剣術を教わってはいたが、実戦で使ったことは皆無。
 他の水夫達にしても、体こそ頑丈であっても一流の戦闘員では無かった。
 船へと上がり込んできたならず者達に一人の水夫が殺され、海に投げ落とされた。
 人が殺される光景を間近で目にし、フェレットはその場から動くことさえ出来なくなり、そして死を覚悟した。
 やはりろくな技術さえ持たぬガキが航海に出るなんて、無謀だったのか?
 結局妹のことだって何の手掛りも掴めずに……。
 後悔の念に襲われながら、刃がその身に振り下ろされそうになったその時――。
 まるで百足の如くな不気味を形をしたその船が、突っ込んで来たのだ。
 フェレットらのバルシャ船を逸れて、ならず者達のバルシャ船をそれは真っ二つに破壊した。
 船首に付けたラムによる攻撃に、小さな船が耐えられる訳も無かった。
 あの人はあの時からガレー船だったな……と、フェレットは嬉しそうに回想するのだった。
 勿論、今の船”永久機関”に比べるとずっと小さかったけれど。

 一体何が起きたのだ?
 場にいる人間全員が混乱する中、その小型ガレー船から、たった一人の人間がフェレットらの元へと駆け込んできた。
 長身長髪のその男は目を血走らせており、剣を握ったその右手は、がくがくと目に見えて震えている。
 その姿を見て、少年フェレットは”イスパニア以外の人間はああまで獰猛なのか、まるで獣のようだ”と思ったという。
 そしてその異人種はこちらをギラリと睨み付けるなり、吠えた。
「ッッァメシを寄越しやがレヌアァアアッシャァーッ!」
 まるで雷のような轟音。
 響いたその声に、フェレットは恐怖すら忘れた――何もかもが、あまりに有り得なさ過ぎて。
「寄越せヌラー!」
 叩き付けた剣は、船の床を軽々と叩き割る。
 その姿を見て、少年フェレットは”あれは人間じゃなく、海にだけ住んでいる人間に酷似した化け物だ”と思い直したらしい。

「ようやく、フェレさんらしくなってきたわ」
 そのアイの言葉を聞き、ドーバーの町にいる青年のほうのフェレットは溜息をつきたくなった。
 確かに、と思ってしまう自分がいるのもまた事実ではある。
「……フェレさん、それ、少し脚色したりしてないですよね?」
 ちなみにそう言ったリィの瞳は、既に正常なエメラルド色に戻っている。
 感動は全て何処かへと飛んで行ってしまったのだろう。
「かおるさんって……あの、少し変な人だとは思ってたんですけど。……そこまででしたっけ?」
「確かに最近は大分丸くなってたかもなあ」
 フェレットがしみじみと言い、場にいる全員が表情を蒼ざめさせた。
丸くなってあれかよ、と。
「で、後は想像通りさ。かおるさんがならず者達を軽々片付けてね。その後僕等も襲われそうになったけど、ご飯を分けたらおさまったみたいで」
「……飢えた獣みたいね」
「文字通りそうでしたから。第一印象は狂犬でしたね、まんま」
 アイの声に、フェレットは力無い笑いで返した。
 男はただかおると名乗り、詳しい事情は一切話そうとしなかった。
 フェレットも今まで見たことのないその男の雰囲気に圧倒され、深く訊こうとはしなかった。
 ただ船で旅をしていて食料が尽き、町に寄港しようとしたら方位磁針がイカれて、海をさ迷っていたのだと。
 船員の大半が餓死してもうお手上げだという時に、たまたま二隻の船がくっついているのを見つけ、食料を分捕るべく突撃したのだと、それだけ説明してくれた。
「んじゃ、行くとすっか」
「はい!」
 二人の船長は短く言葉を交わし、そしてそれからは目的を共にするようになった。
 ”当てのない旅”――目的のない冒険こそが、彼らの目的となった。
 それから冒険者ギルドで受けた依頼を幾つかこなし、その頃にはぼろぼろになっていたバルシャを廃棄し、軽キャラベル船へと乗り換えた。
 自身の船を”フォスベリー”と名付けるようになったのもその辺りだと、フェレットは言った。
「あ、あああああ!」
 そしてそう言ったところで、いきなり騒ぎ出した。
「……どうしたのよ? 一体」
 ルーファの顔はあからさまに鬱陶しがっている。
「ほら、思い出したんですよ! 船団の名前を話し合った時のことを! 軽キャラベルを買った時のことだった!」
「ふうん。で、どんな風だったの?」
 酔っているのに、ルーファの声は相変わらず冷めている。
「ええと……」
 細かに甦ってきた記憶を、フェレットはそのまま読み上げた。
 ちなみにどっちがどっちの台詞かは、言わなかった。
 どうせ皆、聞いているだけで判るだろうと思ったのだ。

「――まだたったニ船だけど、今の内に船団名みたいなのを決めときません?」
「じゃ、”ガレー's”で決定ね。文字として書く時は”G'z”で」
「ガレーズ!? なんで、僕ガレー船じゃないし! もっとこう、ストレートに格好良い奴で行きましょうよ!」
「”オヤカタ旅団”とかどうよ」
「オヤカタって……。どうです、”ロマンシング旅団”とかで妥協するのは」
「じゃポーカーで勝負して、勝った方が決めるってことで」
「よし!」
 結果、かおるの大敗。
「悩んだけど”オヤカタムーンズ”で行くとすっかね」
「……いや、勝ったの僕なんですけど」

 ――回想終わって、再び時間軸は現在へと戻る。
「と言う訳です。つまり」
「決まらなかったのね? その時も……」
 アイはまだ酒に酔っている様子はないのに、ぐでんとテーブルに突っ伏した。
 リィやルーファ達も、すっかり言葉を失っていた。
 そんな中、フェレットは何かを思い付いたように声を上げる。
「今なら……幸いかおるさんもいないことだし、船団名を今の内に固定しておけば、帰って来た時にあれこれ言われても問題無いはずだ!」
「……何か候補はあるの? フェレさん」
 あまり期待せずに訊ねてみるアイ。
「ロマンシング旅だ……や、じゃあ……えぇーと、”イスパニアムーンズ”とかどうです?」
「ちょっと待って、何でイスパニアなのよ」
 フェレットは何も言わず、自分の顔を指差した。
 アイははあと溜息を吐く。
「私もルーファちゃんも、皆イングランド出身なのよ?」
「あーそうか。じゃあ仕方ないな……”歌う風旅団”とか……」
「イマイチかしら」
「”酒飲み女王と愉快な仲間達”は」
「怒るわよフェレさん」
「”酒飲み女王とレティシアちゃんと愉快な仲間達”は」
「つられるか!」
 二人の不毛な争いを、最早半分流しながら見ている他の船員達。
 以前のようにまた流れるのだろうと皆思っていたが、かおるに比べれば、アイはそれでも遥かに聞き分けが良いほうであった。
「……”ノースムーンズ”でどうですかね。ほら、一応北のほうってことで……。これならイングランドの出でも問題ない」
「そうねぇ。その名前で二月ほど航海してみて、何も問題がなかったらそれで良いんじゃないかしら?」
 アイのその意見に、他の皆も異論は無い様だった。
 唯一苦笑いしているのは”フォスベリー”の副官、ロッティーナであったが、彼女も別に反対意見が有る訳ではなく。

3

「ほぉーら! レッティシアちゃーん! 海が見えるわよ、海の先に色んなものが見える!」
 小柄な少女を抱き上げながら、緑の服に身を包んだ女性が叫ぶ、叫ぶ。
 ここは船の上。
 海を行く”シャルトリューズ”の上だ。
「レティちゃん、スペインは行ったこと有るかしら? イスラムは? ヴェネツィアは? 着いたら色々なもの買ってあげるからねー」
「ちょ、アイさん、苦し……」
 ……今、何か聞こえたか? と船員達は一瞬思うも、船長のほうを見やれば、相変わらずの楽しそうな様子。
 一人受難し続けるレティシアに同情する者は、誰一人としていなかった。
「ほらレティちゃんっ、向こうに船が見えるわよ!」
 今度はレティシアを、自身の頭上まで思いっきり持ち上げようとする。
 途中手がすっぽ抜け、少女の体が中空に舞い上がった――まるで鳥のように。
「おうあ!?」
 さすが日頃から鍛えられている”シャルトリューズ”の船員達。
 素晴らしい反射神経で飛びつき、飛べなかった鳥をなんとかキャッチする。
「あらら、ごめんなさいねレティちゃん! だって可愛過ぎるんだもの!」
 何が”だって”なのだろうか、と船員達は思った。
 だが、それを口にしてしまってはいけない。
 今の船長にそれを言ったなら……殺されかねない。
 レティシアはこの時気を失っていたのだが、何事も無かったかのようにアイの手元に返還されて、また振り出しに戻って繰り返す。

 ”シャルトリューズ”がにわかに騒がしくなっている中、並行している”フォスベリー”にもまた、大きな声が響き渡った。
 ただしこちらは悲鳴である。
「こらぁ! 何するんだ!」
 ハンモックから落ちて思いっきり腰を打ち、フェレットは訳が解らないまま怒声を放った。
 誰だ? ハンモックをいきなり取り去ったのは、こんなことをする船員はうちの船には……。
 寝惚け眼のまま見回すと――ほんの数センチ先にいる女性と視線が合った。
 確か名前はロッティーナと言ったっけ、この人は。
 ……この目つき、もしかして怒ってる?
「船長? 今日は確か朝から起きて、船倉の掃除の手伝いをして下さるんでしたわよね? もう昼過ぎなんですけど」
「あ、ええと……ごめんなさい」
 女性に弱いのか、フェレットの怒りは尻切れ蜻蛉のようになって消えてしまう。
「大体船長は怠け過ぎですよ! よくよく見ていれば、船の操縦も敵の監視も食事の調理も掃除もぜーんぶ他の船員任せで、寝てばっかりじゃないですか!」
「いや、だって当番が今日、僕じゃ……」
「少し位率先してやろうって言う気持ちはないんですかっ! 全く、船長がそんなだから他の船員達まで……」
 響き渡る声を聞いて、甲板に座って談笑していた船員達、立ち上がって掃除を再開する。
「……こっちにまで飛び火しそうな勢いだぜ、あれ」
「船長の本性が分かって失望したんだろ、きっと。船長の噂を聞いて志願したって、ロッティさんは一体誰に騙されたんだか……」
「大方、カリタスさん辺りと間違って教えられたんだろ。しかし聞きしに勝る綺麗好きだなロッティさんって」
「船長も綺麗好きは綺麗好きだけど、あの人いい加減だから汚れるんだよな、船が。で、汚れてから慌てて綺麗にしようとする」
「貴方達ッ! 何でそこでサボってるのよ!」
 向きを変えて響くロッティーナの声。
 海の風に吹かれて、ついに飛び火したらしい。
「はいっ、ただいま掃除しやす!」
 ……リィさん帰ってこないかなあ、と、船員達は横目で”コンスタンティア”の方を眺めるのだった。
「船長っ!」
 再び、ロッティーナの怒鳴り声。
「……今度はなんだ」
 フェレットも怒ってはいないものの、寝起きとあって声のトーンは低い。
「数隻の船、こちらに真っ直ぐ向かって来ています。もしかしたら海賊では?」
「え? 敵船か?」
 ロッティーナと同じ方向に視線を向けると、確かに言う通り、数隻の船がこちらに向かって真っ直ぐ進んできている。
「久々だな、海戦も。それなら僕ら”ノースムーンズ”の力を思い知らせてやるまでさ」
「あの船、ブリテン島の北からやって来たのでしょうか。もしかしたら”ノース旅団”の船かもしれませんね」
「ん、ロッティ」
「何です?」
 問い返すロッティーナに、フェレットは少し得意気になって説明する。
「違う違う、うちの船団の名前は”ノースムーンズ”だよ。”ノース旅団”なんてセンスの無い名前は付けないよ、僕は」
「……いえ、向かってきてるあの船が”ノース旅団”と言う名前なんですよ」
「へっ?」
 ああ、やっぱり知らなかったのかこの人は……。
 ロッティーナは右手を額に当て、襲い来る眩暈と戦った。
「成る程……ちょっとだけ僕らの船団と似てる名前って訳だね……。でもちょっとだけならしょうがないさ。それに後半の”ムーンズ”って所がミソなんだよ。船団につける名前として、きっと誰も思い浮かばない浪漫チックなセンスだと思うが、どうかな?」
「ええそうですね。私もそう思いますわ」
 ロッティーナの声はやけに冷めていたが、眠気のせいでフェレットはそれに気付かないのだった。
 結局向かってくる船団は商船隊だったようで、敵だと疑ったのは勘違いとして終わった。
 北海を抜け、船は真っ直ぐ南へと進路を向ける――。



  1. 2005/07/12(火) 05:08:19|
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第九章 そして船はゆく

1

 幾らかの時が流れた。
 あの時まだ余所の町として映った倫敦の光景にも何時しか馴染んでしまい、居心地の良さに任せて、彼らは今もここに居る。
 キャラック船”フォスベリー”の船上では、剣を交える男女の姿があった。
「ちっ、くそ!」
 素早いガードを避け、なんとか剣を潜り込ませようと、青年は何度も攻撃を繰り出す。
 だが相手の女性の華麗な動きによって、その全てが受け流されていた。
 とは言え青年も負けていない。
 互いの攻撃が有効打にならないまま時間が過ぎ、やがて根を上げたのは青年のほうであった。
 汗を掻きすぎて、自慢の緑色の髪もしなしなになってしまっている。
「……参ったよ。僕の副官なんかに収まるには勿体無いくらいの腕だね」
「いえ、船長こそ中々のお腕ですわ」
「まだまだだよ。僕は」
 青年はそのまま甲板に寝転がり、晴れ渡った空を見上げてみた。
「女性なのに、こんなに剣が使える人は初めて見たな。今まで負けたことあるのかい?」
「幾つか他流試合を申し込まれたこともありますが、全て私の勝利で終わっていますね」
「そうか。会わせたかったな、あの人と」
 青年――フェレットはぽそりと呟いた。
 その響きは、女性にも届いている。
「かおるさんという方のことですか? ”永久機関”の船長だった……。よくその方のことを口にされますね」
「そりゃあね。ロッティもきっと、驚くと思うよ。戦ってみたらね」
「その方が私よりも強いと仰るんですか?」
「悪いけど間違いない」
「……船長がそこまで言うのなら、きっとそうなんでしょうね」
 ロッティーナ・フォゼリンガム。
 この一月の間に新たに”フォスベリー”に乗り込むことになった仲間。
 ただ雇ったのではなく、これには少しややこしい事情がある。
 フェレットが所属する船団には計四隻の船がある。
 そのうち一隻は船長を失ったままだが、半年前に加わったフリュート船”コンスタンティア”は、船員全てが女性という前代未聞の船だ。
 そして”コンスタンティア”の船長を務めているのはかつて”フォスベリー”の船員の一人であった少女、リィ。
 ”フォスベリー”唯一の女性乗組員を失い、補充要員は絶対に女性にしよう、とフェレットが思っているところに、タイミング良く、船に乗せて貰えないかと志願してきた人の姿があった。
 その人こそがこの女性、ロッティーナだったのだ。
 年も若く剣の腕も立つ才色兼備の仲間が加わり、船団は再び活気が戻った。
 だが、彼等は倫敦を離れることはしなかった。
 居心地が良いのも勿論だったが、北海で消息不明になったままのかおるの捜索を続けていて、他の地域に向かうことが出来ずにいたのだ。
 この半年間、探せるだけの場所は探したつもりだ。
 かおるが消息を絶ったベルゲンの町も訪れたし、アムステルダムやオスロなど近隣の町も探した。
 それでも、手掛りは何一つとして掴めなかった。
 いや――ただ一つだけ。
 ベルゲンで、かおるがいなくなった日に前後して、一隻の身元が知れぬハンザ・コグが港でもない場所に停まっていた……との情報を手に入れた。
 それは確かに、かおるに何かが起こった可能性を示峻する事象であったが、捜索の手掛りになるとは言い難かった。
「この辺にしとこうか。君も疲れが溜まってるだろう?」
「ええ。”フォスベリー”の掃除に忙しかったもので」
 このロッティーナと言う女性、潔癖症と言っても良い程の綺麗好きであった。
 男の船員ばかりで汚れに汚れていた”フォスベリー”は、殆ど彼女一人の手によって、ここ数日ですっかり綺麗に磨き上げられた。
 汚い衣服は捨てられ、使い道のない玩具も全て処分された。
 彼女の尽力のお陰で”フォスベリー”はこの数年後に”スペインで最も手入れの行き届いた船””女性の尻に敷かれた船”という二つの通り名を頂戴することになる。
「どこへ行かれるのです?」
「ちょっと……適当に町に繰り出してくるよ」
「疲れてないんですか?」
「別腹ってヤツさ」
 確かに言う通り、”フォスベリー”の船長はまるで疲れなど感じていないかのように、船から走り出して行った。
 時刻は朝だ。
 一日はこれからだと言うのに、寝ている気にはならないのだろう。
 しかしそれにしても。
(全く、隠すのが下手な方だわ)
 後ろ姿で自身の船長のことを眺め、ロッティーナは少し複雑な表情をしている。
 フェレットが何処に向かったのか、おおよそ見当はついていた。
 彼女だけでなく、船員の大半もきっと気付いていただろう。
 かつて名も無き砂漠に一人、倒れていた少女、リィ。
 彼女とフェレットが出会いそして恋に落ちるまで、そう長い時間はかからなかった。
 二人が恋愛関係にあるのは船団では周知の事実で、本人達も隠そうとはしなかった。
 ……いや、中途半端にはぐらかしたりはするのだが、傍目にはばればれだった。
(あの方は何よりも海を愛している方だと、耳にしたわ)
 そして何人にも縛られることのない、自由な精神を持っているとも。
 彼の噂をこの町の酒場で耳にし、どんな人間なのかと興味を抱いた。
 確かに面白い人ではあるが――今のあの人は、海よりも……。
 けれどそれは人間として当然のことなのだ。
 人間が愛すべき対象はまた人間。
 それは自然の摂理とも言えることで、疑問の入り込む余地などない。
(けれどあの人は今、海を愛しているの? また航海に出たいと思ってるのだろうか……?)
 船上から陽が沈み行く町を眺めながら、ロッティーナは思いを巡らせていた。
 見込み違い……とは思わない。
 しかし求めていたものが此処に有るのか、それはまだ判らなかった。
「ロッティさん」
「はい?」
 振り向くとそこに、船内の掃除に取り組んでいる最中だった船員が一人、いる。
「船長もリィさんと逢引きみたいだし、俺達もこの後何処かにシケこむなんてどうだい?」
「ご冗談はせめて、その顔をもう少し綺麗なものにしてから口になされてくださいね」
 彼女の毒舌を受けて、その船員は思わず地面にへたり込んだ。
「酷いですよ、ロッティさん。そりゃあ俺はハンサムじゃあねぇけど……。リィさんとは別の意味で冗談が通用しない人だぜ、全く……」
(あら、そんなつもりじゃ)
 掃除の最中についたのだろう、その船員の顔には汚れがこびりついていたのだ。
 しかしいちいち訂正しないロッティーナ、やはりリィに比べて厳しい性格であることは確かだった。

2

 待ち合わせの場所は繁華街の一角。
 この辺りは倫敦の町でも特に行き交う人々が多く見られる地域だ。
 此処で落ち合うのはこれが初ではない。
 普段と同じように挨拶を交わす二人だったが、フェレットは彼女が醸し出す違和感に即座に気付いた。
 そして、笑い出した。
 人目につくくらい、大声で。
「プッ……フアハハハ! リィ、どうしたんだ、その頭に被ってるのは!」
 大笑いしながら彼が指差している先には、彼女が巻いている緑色の布――ターバンがある。
「笑うこと無いでしょう……」
 リィは顔を赤くして言うが、フェレットはまだ笑っている。
 堪りかねて、リィはフェレットの右手を思いきりつねりあげた。
 突然の痛みにフェレットは声を出すことも出来ず、顔を歪める。
「何する!」
「これ、商会の方から頂いたんですよ。きっと似合うからって言われたのに、笑うなんてひどいです」
「いや、だってさ。それ、フェザーターバンだろ? そんだけ派手なやつだと、服装も合わせないと変に見えるよ」
「それでも、何もこんなところで大声で笑わなくても……」
「ごめんごめん。ところで商会の人から貰ったって、なんて人から貰ったんだ?」
「ステイシスさんって方です。昨日倫敦に帰ってこられたそうですよ」
「あぁ、イスラムの方に出かけてたって言う造船師の方か。ふーん」
「何ですか?」
「いや何でもない」
 カリタスを始めとする面々が倫敦の町で興した商会”Bar Like A Child”は、各地で盛んに交易を行い、遥か南から運んできた胡椒や珊瑚などを取引し、多大な利益を得ていた。
 フェレットらは名義上は商会には加入していないが積極的に活動を援助しており、商会員との交流も少なくない。
「半年間もあっち行ってたのか。イスラムは楽しかったって?」
「私はちょっと顔を合わせたくらいで、殆ど話はしなかったから。あ、でも、向こうにはこっちでは造れないような船が有ったりして面白かったって仰ってました」
「イスラム……バーバリアン・ガレーか」
「そう言ってました。フェレさん、知ってるんですね」
「前に行ったとき、かおるさんがなんか、そんなことを言ってたなと思って」
 彼の名前を出すたび、心の奥底が少しだけ軋んで、痛んだ。
 フェレットだけじゃなく、聞いているリィもそうだ。
 痛みは僅かであったが、けれど半年前に比べてほんの少しだけ強いものになった。
 何故?
 その理由を知っていて、けれど自分達は知らないと、言い聞かせようとしていた。
 放り置けば痛みはきっと、これからも少しずつ強くなっていき……やがてこの胸を引き裂いてしまうだろう。
「今日はどこ行きたいか?」
「そうですねぇ。私、このターバンに合う服装が欲しいです。選んで下さいね?」
「有るかな、倫敦に……。そうだなあ、ドレスとか……」
「笑った分、ちゃんと考えてよ。フェレさん」
 雲が空を支配する光景に、二人の声が騒めく。
 互いの体に触れながら、町へと繰り出して行く二人。
 ――はにかんだ笑みを浮かべながら、人気の無いところでキスを交わす。
 相手の体を優しくなぞり、その温もりを自分のものにしようとする。
 二人は今、自分達が幸せであることを知っていた。
 こんなにも幸せな日々がここにあるのに、大事な仲間が傍にいない。
 傍にいないのに、こんなに楽しい日々を過ごしている……。
 そんな自分達に僅かばかりの嫌悪感を抱きつつ、ゆっくりながらも時は確実に流れていた。
 勿論、かおるの捜索は依然続けてはいた。
 だが、もしこのまま彼が見つからなくて……そして時が流れていっても……。
 かおるさんがいなくても……もしかしたら自分達はこのまま、幸せなままでいられるのではないだろうか?
 そんな思いが、確かに胸の奥にはあった。
 カリタスやルーファなど、この町には別の新しい仲間がいる。
 大切なものを何処かに置き忘れた振りをして、このまま過ごすことも不可能ではなかった。

 楽しい時間はあっという間に過ぎて行く。
 夜も更けて、ふと周囲を見まわすと、すっかり人気もなくなっていた。
「すっかり遅くなっちゃいましたね。……アイさん、今頃心配してるかなぁ」
 同じ宿に寝泊りしている仲間の顔を、リィは思い浮かべた。
「そうだな。まぁ大丈夫じゃない? 最近はアイさんにも仲良しの友達が出来たみたいだしさ」
「レティシアちゃんのことですね」
 レティシアという名の少女もまた”Bar Like A Child”の一員である。
 仲良しの友達と言っても、彼女の年齢はフェレットらよりも一回り以上も下……に思える外見。
 実年齢は二十歳前後らしいのだが、フェレットはそれを未だに信じられないでいた。
 アイとレティシアの二人がいる光景は、下手すれば母親と娘が連れで歩いているようにも見えるのだから。
「だから、ま、寂しくないでしょ。しょっちゅう一緒にどっか行ってるみたいだし、問題ない問題ない」
 フェレットが口にするその言葉に、リィは少し寂しげな響きを感じていた。
 それはフェレットが感じている寂しさか?
 或いはリィが勝手に思っているだけなのかはわからない。
(以前なら――)
 例えばリスボンを訪れた時でも、北海に向かう途中の各町でもそうだった。
 フェレットらは何時だって、互いの行動を把握しあっていた。
 片方が酒場にいて片方が宿屋で寝てる、たったそれだけの日でも、いちいち互いのことを気にかけていたのだ。
 そんな彼らの関係が少しずつ変わりかけてきているように見えて、リィはそれが寂しくてならなかった。
 フェレットだって心の底では、同じ風に考えているに違いなかった。
 アイだって、きっと。
 それなのに誰もそれを口に出そうとしない。
 まるで失ったものを別の場所に求めるかのようにして、日々を過ごしていた。
 このままここで時を過ごせば……幸せではいられるけれど、今まで自分が大切だと思っていたものの幾つかを永遠に失ってしまうかもしれない。
 失ったままの記憶を、手にすることも無くなってしまうかも……。
 そう思いつつも、今此処に有るささやかな幸せから逃れることが出来ずにいたのだ。

 二人が戻ってくると、宿にはまだ灯りが点っていた。
「あれえ? こんな時間だってのに」
 フェレットが素っ頓狂な声をあげる。
 この時間に帰って来たのはこれが初めてではない。
 今まではいつも、戻ってきた時には宿は真っ暗になっていたのに。
 まさか僕等の為にわざわざ……なんてことは、まずないだろう。
 顔を見合わせた後、フェレットが進み出てドアを小さくノックした。
 するとその音に反応するようにして、凄まじい勢いでドアが内側から開かれた。
 迫り来る木製の鈍器を辛うじてかわし、フェレットは慌てて中を覗き込む。
 「何……どうしたんだ?」
 向こう側からも同じように、にゅっと顔が現れた。
 よくよく見ると、その顔はロッティーナのものだ。
「あ! 船長!」
「やあ……どうしたの? こんな夜遅くに」
「どうしたの、じゃないですよ! 貴方を探していたんです!」
「え?」
 ロッティーナの声は大きくないがはっきりとして鋭く、まるで問い詰められているかのようだった。
「大変なことが起こったんです! この辺りの海をうろついているならず者に、レティシアさんが攫われてしまったんです!」
「何だって?」
 そこまで聞いて、フェレットもようやく表情を一変させた。
「攫われたって、どうやって! ごろつきが容易く入港できるほど、ここは管理が甘くないだろう!」
「それが……レティシアさんが、バルシャ船に乗って海で遊んでいた所を襲ったみたいで……」
「バルシャ一隻で? 何てことだ」
「アイさんは?」
 違和感に気付いて口にしたのはリィだ。
 彼女がそのことを知ったなら、間違い無く黙っているはずがない。
「”シャルトリューズ”がたった一隻で、追跡に出てしまったんです。整備中でろくな武器も積んでいないのに、待ってる暇は無いと仰られて……」
「何で一隻で? ”Blac”のみんなには言わなかったのか」
 ”Blac”とは”Bar Like A Child”の略称だ。
「カリタスさん達は商会の仕事で不在にしています。今動けるのは私達の船団だけです!」
「しかし……」
「船長っ、何を躊躇してるんですか!」
 ロッティーナはフェレットの両腕をがっと握りしめた。
 思わずフェレットが顔をしかめるほど、その腕力は強い。
「躊躇ってる訳じゃない。ただ、”フォスベリー”も掃除やらなんやらで、各部品を取り外してあっただろ? 直ぐに出れるかどうか……」
「残った船員で準備しておきました。あとは貴方が船に乗るだけです」
「……そりゃあ準備が早い」
「早いものですか! レティシアさんがいなくなったのは昼ですよ!」
「ずっと僕を探してたのか? 君でも船は動かせただろうに……」
「”フォスベリー”は貴方の船です。勝手に動かすわけにはいきません」
 そうか、とフェレットは呟くように言った。
 何時だったか、勝手にベルゲンまで乗って行かれたっけ、そう言えば。
「行きましょう、フェレさん。アイさんが心配です」
「うん……そうだな」
 リィにも言われて、フェレットはようやくその重い腰を上げた。
 すぐにでも彼女達を助けに行きたいのはやまやまだったが、船をまともに動かすのは久方ぶりなのだ。
 こんな状態でまともに戦えるのか、不安でならなかった。
「フェレさん」
 リィの右手が、フェレットの体に触れた。
 ”大丈夫”
 その手の温もりが言っている。
 何時の間にか力関係が逆転してしまったな……と、フェレットは苦い笑いを浮かべるのだった。
 これもまた際限なく流れて行く時のせいか。
 そう、時は流れて行く。
 このままここから動き出さなくても、時はやがて何もかもを終着点へと運び去ってしまうのだ。
 行かなくてはならないのか、僕らは。
 ……そうだ、行かねばならない。
 船乗りなんだから、僕は――。

3

 ”フォスベリー”と”コンスタンティア”。
 二隻の船は真夜中に海へと繰り出した。
 辺りは暗闇に包まれていたが、目標を探すことはそう困難なことではなかった。
 倫敦の町からそう離れていない位置に、二隻の船が停まっているのが見えたのだ。
 片方の船はアイの乗っているダウ船”シャルトリューズ”だ。
 もう一隻の船も、シャルトリューズによく似た外観をしている。
(あっちもダウかよ。ならず者の船にしちゃあ、えらく豪華な)
 ダウは三角帆が特徴の平底の船だ。
 その形状には特徴があり、遠目でも判断がついた。
 二隻の船は互いを睨み合うようにして浮かんでいた。
 が、フェレットらの船が近付くにつれ、その二隻もまた少しずつ前進を始めるのだった。
 二隻の船の距離が少しずつ近づいていく。
 何故、このタイミングで?
 今までずっと睨み合っていたのなら、何故合流出来る寸前のところで敵に向かって行く?
 まるで僕達が来るのを見計らっていたかのようじゃないか。
「何らかの取引をしようとしてるのか? よし、僕らももっと近付こう」
「船長、砲撃の準備はどうしやすか?」
「要らない。敵は人質を持ってるんだもの、こっちから攻撃の姿勢を見せちゃまずいわ」
 船長の代わりにロッティが答える。確かに言っていることは間違っていない。
「下手に撃ったらアイさん達に当たりかねないか。もしかしたら身代金か何かを要求されてるんじゃないだろうな……」
 船団の貯金の管理はアイに一任している。
 普段冷静沈着なアイだが、レティシアが関わっていることに対してのみ彼女は人が変わる。
 もしかしたら勝手に法外な値段の身代金取引に応じてしまっているのでは……と、フェレットはあらぬ危惧をするのだった。
 フォスベリーはシャルトリューズを追尾するかのように進み、コンスタンティアもまたそれに続く。
 わざわざ積み直してきた大砲の出番も無しに、倫敦の外の海は奇妙な冷戦の真っ只中にあった。
 シャルトリューズとダウの速度は大したものでなく、フェレットらは徐々に距離を詰めて行った。
「……接舷したわ。シャルトリューズと、ダウが」
 ”コンスタンティア”の船上で、リィが呟きを漏らす。
 まさかあのアイさんが白兵戦を挑んだわけでもないだろうが……。
「私達もダウに乗り込みましょう。一応、剣と銃の準備をして」
「僕らもダウに行くぞ。あの船に適度にぶつかって、くっついてやれ」
 二人の船長は偶然にも、同じタイミングで同じことを口にした。
 キャラック船がまずダウに取り付き、少し遅れて戦闘用フリュートがダウへと接近する。
 やけにあっさり接舷できたところを見ると、敵に戦闘の意思は無いということか?
 船を動かせるだけの水夫を”フォスベリー”に残し、フェレットは数名の船員と共にダウへと乗り込んだ。
「……なんだ? この船は?」
 船員の一人が船内を見まわし、声を上げる。
「ろくに明かりすら点いてないとはな」
 フェレットも目を丸くしている。
 ダウの船内は中途半端に暗く、見渡しが利かなくなっていた。
 月明かりに助けられてはいるものの、甲板の上でさえまともに前を見ることが出来ない。
 これではこの船の乗組員達だって、まともに行動出来ないだろうに。
 そして何より、甲板に一人も水夫がいないのはどういうことだ?
 敵の来襲を察知して、皆船室のほうに逃げてしまったのだろうか?
「撹乱かもしれない。一応、気をつけろ」
 そこまで言ったところで、また別の船からの客がダウ船を訪れた。
 ”コンスタンティア”の船員達が、足音を潜めて乗り込んでくる。
「リィ、平気か?」
「はい。にしても変な船ですね」
 リィ達もまた、フェレットと同じようにきょろきょろと辺りを窺った。
 奇妙過ぎて、恐ろしい罠が仕掛けられているのではないかと疑ってしまう。
 敵船員の出迎えも無く、二隻の船の船員達はどう行動すべきか迷った。
 迷って、場に一瞬の沈黙が落ちた時。
 立っている地面の下、船室の何処かから声が僅かに響いた気がした。
「今何か聞こえたか?」
「ええ、男の人の声でした」
 正確な台詞まではさすがに聞き取れなかった。
 意を決して、地下の船室へと乗り込むことにする。
 他の足音が響いてくるでも無しに、不気味な気配の中階段を下って行く。
「船長、います」
 少し前を歩いていたロッティーナが、小さな声でフェレットらに知らせた。
 階段を降りて最初に辿り付いた船室。
 そこにアイを始めとする”シャルトリューズ”の船員達が集まっていた。
「良かった、無事で……」
 声を掛けようとするも、そこにいたのは彼等だけではなかった。
 アイ達と向かい合って、黒衣に身を包んだ集団がこちらを睨んでいたのだ。
 敵の数は十数人。
 この船室にはそれだけだが、まだ何処かに潜んでいる可能性も少なくない。
 皆覆面をしていて、素性を掴むことは出来なかった。
「ふん、援軍を呼びやがったか!」
 集団のうち一人が、擦れた声で叫びを上げた。
 その男は剣を手にしていて……切っ先を、一人の少女に突き付けている。
「新たに来た奴等もよく聞けよ! ちょっとでも変な真似しやがったらこのガキの命は無いからな!」
 突き付けた刃を、少女の頬に掠らせた。
「ひっ」
 押し殺した悲鳴が、少女の口から漏れる。
「助けてぇ! アイさん!」
 今までは声を出すことすら出来ずにいたのだろう。
 だが心の奥底に閉じ込めていたものが、恐怖の絶頂を超えて声となって 溢れ出た。
「レティシアちゃん!」
 アイもまた悲痛な叫びを上げる。
 船室内もまた暗く、不意をついてレティシアを奪い返すことは難しいだろう。
 狙撃の名手であるリィでも、犯人だけを正確に狙い打つのは困難だ。
 ここはなんとしても、確実に人質を奪い返す手段を取りたかった。
(アイさんは……冷静さを失っている可能性もある)
 暗い船室の中で、彼女の表情は殆ど視線に入ってこない。
 振り返らず、ただレティシアのほうだけを見ているのだ。
(そんなに大事なのかよ、しかし……)
 一体彼女のどんな部分に惚れ込んだのだろうか、そのサイズか?
(もしかして、今はもう、僕等よりも……)
 そんなことは今はどうでもいい。
 とにかく、僕がやらなければいけない。
 そう強く思いを抱いて、浮かんでくる不安な思いを繰り返し繰り返し、潰した。
「……あんたらの目的は何だ?」
「武器を捨てろ」
 にべもない。
「はいそうですかと従うわけにもいかない。答えてくれ、身代金が目当てか?」
「金に興味は無いな」
「じゃあ単に幼女趣味か何かかい?」
 売り言葉に買い言葉で、フェレットはそんなことを口にした。
 迂闊な行動だったと、直ぐに思い知らされることになる。
「あっ!?」
 絞り出したような悲鳴。
 アイの口から出たものだ。
 向けている視線の先で……血がしぶいたのを見た。
 男が刃を、レティシアの右手に当てたのだ。
 彼女の小さな手を裂き、そこから赤いものが溢れ出て行く。
 視線は暗かったが、流れる赤色だけはやけに鮮やかで、その光景に映えていた。
「何てことを!」
 アイが思わず飛び出そうとする。
 リィとロッティが彼女のことを制止し、二人の視線はフェレットのほうにちらりと向いた。
「……そっちの要求を聞かせてくれ。僕等にやれることなら言うことを聞く」
 下手に出たつもりはない。
 だが、これ以上失言を重ねれば、取り返しのつかないことになりかねない。
「まず、持っている武器を全部捨てろ。剣も、銃もな。話はそれからだ」
 フェレットらは言われた通りにした。
 から、からんと続けて音を立て、武具が地面に転がる。
「それでいい」
 覆面に覆われた顔がにやりとする。
「こちらの目的はたった一つだ。君が大人しく聞く態勢を取っていれば、何も荒事に持ち込む気は無かった」
 まだ刃は突き付けられている。
 だが、そこから放たれる殺気がほんの僅かにだが薄れた気がした。
「君達は”フォスベリー”、”コンスタンティア”の船員だな?」
「ああ……そうだ」
 何故、船の名前を知られているのだ?
 船乗りを始めてから数年経つが、そこまで有名になっていたのだろうか。
 それに何故だか、残る一隻の名前は挙がっていない。
 しかしこの状況において、わざわざそれを指摘することもない。
「こちらの要求はただ一つだ――今挙げたニ隻の船に、即刻倫敦を出て行って貰いたい」
「何だって!?」
 彼等が提示した要求。
 それはあまりに突拍子もなく、予想だに出来ないものであった。
「それでレティシアさんが助かるんなら、そうする。しかし何故なんだ? 理由を聞かせてくれ」
「理由か。単刀直入を言わせてもらうと、邪魔なんだよ。君達は」
 邪魔だと?
 その表現に、封じ込めていた怒りがまたふつふつと沸いてくる。
 代わりに冷静さが飛んでいき、だから気付かなかった。
 擦れていたはずのその声が、段々と透き通ったものに変わってきていることに。
「我等はこの町で商会を開いている者だ。始めてからここ半年ばかり真面目に商売を営み、お陰で業績も伸びてきている。だが」
「だが、何だと言うんだ」
「ここ数ヶ月のことだ。君等という存在のせいで、倫敦の町に居座っている女王様の機嫌が少しばかり宜しくなくてな。気になって我々は商売に集中出来んのだよ」
「女王だって……?」
「ああ。女王様は、君達に余所の海に行って欲しがってるんだ」
 徐々に沸き上がってくる怒り。
 それはある地点まで達した所で、
「……あ。……へ?」
 ぷつんと途切れて、最低ラインまで落ちた。
 倫敦の商会? それに――女王様?
 その女王様はもしかして酒が好きだったりする?
 嫌な予感、どうしようもなく嫌な予感。
 いや――それはすぐに確信へと変わった。
「……貴方達の商会名は?」
「想像に任せるよ」
 声と共に、男は覆面を取り払った。
 するとそこには、見慣れた男の顔が在ったのだ。
 黒衣を纏った他の人間も、次々とそれを脱いで行く。
 そこから現れるのは何もかも、見知った姿ばかり。
「どうなってんの……?」
 フェレットはへなへなとその場に崩れ落ちた。
「気付くのが遅かったな、フェレット」
 その青年は、吹き込んでくる爽やかな風の如くに笑んで見せるのだった。
 青年の名、カリタスと言う。
 フェレットらにとって馴染みの深い商会”Bar like a child”の主であり。

4

 ――そして、出発の朝を迎えた。
 フェレットの心の中には爽やかな気持ちと不機嫌さが同居をしている。
 ”フォスベリー”、”シャルトリューズ”、そして”コンスタンティア”。
 三隻の船は出港の準備を終えて、あとはもう海へと繰り出すだけ。
 出港を目前に控え、船乗り達は港で待機していた。
「ねぇ、アイさん」
「何かしら?」
 返ってきた声がまるで勝ち誇っているかのように思えて、フェレットはまたむっつりとする。
「僕はそんなに頑固者に見えました? あんな大芝居打たないと納得しないくらいの強情者に見えましたか?」
「ええ。中々の硬度を誇る岩の様だったわ」
(そうやって、大人の笑みで流そうとする……)
 暖簾に腕押し、という諺がぴたりと当てはまるのだが、フェレットがそんな言葉など知る訳もなく。
 彼女が受け流すほど、フェレットの表情は沈み行くのだった。
 まるで撃沈された船のように、ゆっくりとだが海底に向けて。
 リィもそんな二人のやり取りを見つめて、笑っていた。
 騙されたのは彼女もなのに、フェレットに比べて大分清々しい表情をしている。
「よくやりますよ。ったく、カリタスさん達まで引き込んで、たった二人を騙すなんてさ。やることがえげつないですよ」
「でも、久々の冒険は楽しかったでしょ?」
「……うん」
 そこでそう答えてしまうのが、アイに握られている弱味でもあった。
 こんなやり取りは昨日から今日にかけて、もう三回も行われている。
 ――この半年の間に、かおるの捜索と称して何度かは海に出た。
 だが今にして思えば、その全てはどこか上の空で、かつてのように航海そのものを楽しめずにいたのかもしれない。
 アイさんは僕のそんな気持ちを見抜いていて、再び冒険に出ることを躊躇っている僕等のことを、導こうとしてくれたのだ。
 ちなみに騙されていたのはフェレットとリィ、たった二人だけ。
 ”フォスベリー”も”コンスタンティア”の船員も予め話を聞かされていて、全ては計算通りの進行だったらしい。
 そう考えれば、あのあまりに不審過ぎる行動の全てにも納得がいく。
 フェレットらがダウ船に乗り込んだ時に丁度、あの光景に出くわすよう、仕組んでいたのだろう。
 あの時カリタスがレティシアを傷つけたかのように見えたが、それも芝居だった。
 前もって用意しておいた赤い染料の入った袋を、わからないように切り裂いたそうだ。
 改めて思い返せば幾つでも疑える点はあったが、それにしてもカリタスの演技力は中々のものだったと、フェレットは今更ながらに感嘆するのであった。
「ねえアイさん」
「ん?」
「旅に出たかったの? ずっと」
「ん……うん」
 二人の船長は、顔を見合わせずに言葉を交わした。
 二人ともただ、これから進み行くであろう航路の先を見ている。
「かおるさんが何処にいるか解らないけど。……解らないから、かな。じっと一箇所にいると、何だか不安でね」
 もう、彼がこのまま戻ってこない気がして。
 一人仲間が欠けたまま、このまま時間だけが過ぎて行くような気がして。
 彼女の言葉の続きを、フェレットは心の中で紡いだ。
「探してみましょうよ、色んな町を。絶対手掛りは有るわよ」
「うん……」
 二人の顔には憂いの色があった。
 もしもかおるさんが帰ってこなかったら……。
 これから何度もそう思って、その度乗り越えて行かなければいかない。
 しかしそれでも、動いていれば楽な気持ちになれるだろう。
(やっぱり、アイさんも一緒だったんだ……)
 リィは思っていた。
 自分達が感じていた不安を彼女も心に抱いていて。
 アイさんもそれを口に出せずにいたのだ、今まで。
 だからあんなに面倒のかかる手段を取ったに、違いない。
「北海の捜索は、商会のみんなが手分けしてやってくれるそうだわ。私達は南のほうを探すとしましょう」
「そうですね。かおるさんって昔から何かと南方志向だったし」
「そうね。衣服も何故かあっちのほうのものだったわね」
 交差するアイとフェレットの声。
 二人の船長が今後の行動の指針を立て、リィはそれに参加せず、ただ従う気でいた。
 彼らは私よりもずっと、かおるさんのことを知っているだろうから……と。
「船長」
「ん?」
 ”フォスベリー”の副官、ロッティーナがフェレットのことを呼びかける。
「これでようやく、貴方の船長らしいところが見れますね」
「まぁ確かに、最近の僕は丘に上がった河童みたいなものだったからね。はは、はははは」
 ――いや、船上でも基本的にはあまり変わらないけど。
 フェレットは自身の台詞を心の底でひっそりと否定した。
 しかし彼女がうちの船に乗ってからまだ一度として、まともに海に出ていなかったと言うのか……。
 自分はこの半年間、その多大な時間のうち幾らかを、無駄なことに費やしていたのかもしれない。
 だが悔恨の念ばかりに囚われて過ごすには、残された時間はまだあまりに多い。

 三隻の船は倫敦の町を発った。
 いなくなった仲間を連れ帰るまで、きっともうこの町を訪れることはないだろう。
 かおるが乗っていたガレー船”永久機関”を港に残して、船団は再度旅へと出発するのだった。
 いきなり隊列を乱し、”シャルトリューズ”がほんの少しだけ先を行く。
 乱している……いや、違う。
 その船の動きは、まるではしゃいでいる子供のようにも見える。
「やれやれ、女王様は大分機嫌が宜しいようで」
 フェレットはそう言って、開かれた未来のことを思い浮かべた。
 ――温かく吹き込んでくる風は、南方へと誘う風か。



  1. 2005/07/10(日) 03:57:51|
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第八章 彼方の海で――(後編)

4

「さっ、行きましょう。アイさん!」
 そんな声が何度か繰り返されて、アイは半ば強引に目を覚まさせられた。
「リィちゃん、早くないかしら? まだ思いっきり朝よ」
 布団を被ったまま、アイは気弱な声でそう呟いたが、今の彼女には聞こえていないも同然。
「船を造ってもらえると思うともう、いても立ってもいられなくて! ささ、早く起きて、食事して!」
 出会った頃に比べて、この子も元気になったわ……と、逆に元気を吸い取られたようになりながら、アイはベッドから体を起こした。
「かおるさんは? 帰ってきた?」
「今朝方戻ってきて、すぐベッドに倒れ伏したって聞いてます」
「そう……良かった。って、それじゃあやっぱり飲んでたのかしら」
「さあ。でも、かおるさんはさすがに起こしちゃうのはまずいですかね」
「そうねぇ」
 私もまだ寝てたかったけどね、とアイは心の中でだけ言った。
「ところで風邪は直ったのかしら?」
「はい! もうこの通りです!」
 と、リィは胸の前で小さなガッツポーズを作ってみせた。
 確かに昨日に比べて、見た目にも元気が戻っている。
「案外、フェレさんが倫敦から怨念でも飛ばしたのかもしれないわね……。うん、風邪が移ったんじゃなくて、むしろ怨念かも」
「怨念って……何でです?」
「だって、リィちゃんを『”フォスベリー”から下ろしたくない』って、散々ごねてたもの」
案の定、フェレットの思惑にすっかり勘付いていたアイであった。
「え! 本当ですか」
「あら、知らなかったのかしら」
 言わなきゃ良かったかな、とアイは思った。
 だが言ってしまった後では撤回は出来ないし、それで何か進展が有るのならむしろ喜ばしい事だ。
「どうして、私を下ろしたくないなんて言ってたんでしょう」
「あぁ、どうしてかしらねえ……。多分、女の子がいなくなるのがイヤだったんでしょう」
 幾ら女二人の会話とは言え、ここであっさりと真実を答えてしまうわけにもいかない。
 だが、決定的な一言を言ってしまえないことがもどかしくもあった。
「そうですか。そうですよね……」
「うん。まさか今更船長にならない、なんて言わないわよね?」
「ええ、それは大丈夫ですけど」
 さっきまで元気だったかと思えば、一転して今度は黙り込んでいる。
 ああ、若者だなぁ……とアイはそれを微笑ましい様子で見つめるのだった。
「それより、名前は決まったのかしら?」
「あ……ええ、何のです?」
「当然、船のよ!」
「ああ、まだです……。実物を見てみて、それから付けようと思ってるんです」
「成る程、それは良いかもしれないわね。よーし、そうと決まったら早く準備を始めるか!」
「カリタスさんは朝一番で、先に造船所に行っちゃいましたよ。自分が行ってもう一度説得してみる、って」
「はぁ……」
 その行動力にアイは恐れ入り、感嘆の息を吐いた。
 これが何時もの面々だったなら、もっとグダグダになって、恐らく夕方頃出発する羽目になるだろうな……と一瞬で光景が思い浮かぶ。
 事実自分もそうなりそうな気配であった。

 朝食を終え、二人はまた造船所までやってきた。
 以前からの知り合いだけあって、もしかしたらカリタスさんが巧く言い包めてくれてはいないだろうか……そんな一縷の希望を抱いてもいたが、
(今のところはまだ、駄目みたいね)
 目の前の光景を見て、アイはそう判断をした。
 桟橋があって、一人の男がそこに座り込んで釣りをしている。
 その後姿を立ったままで眺めている一人の男。こっちはカリタスだ。
「親方。女性なら、まだたくさんいるじゃないですか。いっそ新しい恋に燃えてみるのも悪くないと思いますよ」
「ワシは別に、自分から女を求めてはおらんからね。だが時にこう、自らの体に雷が落ちたかのような……そんな衝撃を感じる時があるんだよ。そしてそれを感じさせてくれるような素敵な女性がいなきゃ、どうやっても恋に落ちることは出来ないんだよ」
(何て妙な会話をしてるのかしら……)
 二人の会話は中々に大きい声で行われており、アイとリィは思わず体を固めた。
 一応ちゃんと説得に当たってくれているようだが、この会話に如何にして口を挟めと言うのか。
「あのぉ、カリタスさん」
 躊躇いがちになりながらも、リィが小声でそう呼びかけた。
「あっ! 来てくれたか、丁度良い所に!」
 やはり説得は行き詰まっていたようで、二人を見た時のカリタスの表情は心から嬉しそうなものだった。
「親方、彼女が親方に船を造って貰いたいと言っているんです。せめて、話を聞いてあげては……」
「うむ……?」
 ぼそりと声を出しただけで、ウォルターは振り向かなかった。
 丁度魚がかかっているらしく、視線は釣り竿を伝って海の中だ。
「む! ああくそ、駄目か!」
(本当に大丈夫なのかしら……)
 リィだけでなく、割と好意的であったアイまでが、表情を渋くさせている。
 もしかしたら恋人が云々――の話は言い訳で、船を造ることに対する興味を失ってしまっているんじゃ?
「で、船を造って欲しがってるのは何方なのかね……」
 ウォルターはようやく振り向いた。
 のそりとした動作で、ぼんやりと視線を上げる。
 最初にいきなり、リィと目が合った。
「ウヌオオオオアアーッ!?」
 放たれた奇声が耳にぶつかり、三人は桟橋から落ちそうになるほどの衝撃を受けた。
「な、何だっ?」
 ウォルターと親しいはずのカリタスまで、恐怖に駆られたような表情になっている。
 アイなどは別の人間の声かと思い、辺りをきょろきょろ見回している。
「……?」
 リィは驚きのあまり魂が抜けたようになり、その場に立ち尽くしていた。
「君、名前は何て言うんだね」
「リィですけど……」
「造ろう、船を。君の為に」
(え――!?)
 散々ごねてた割にまたえらくあっさりとこの人は!
 アイは声を出してそう言ってやりたい気分だったが……感電しかねないと思って、やめた。
「金は完成した船を見て、君が払おうと思っただけ払えばいい」
「で、でも、良いんですか?」
 一番信じられないのは何よりリィ本人であろう。
「構わない。だが、一つだけ頼みがある」
「え……」
 女性二人に同時に嫌な予感が走る。
 リィちゃん気をつけて、とアイは心の中で警告する。
「ワシが船を造っている間、出来たら傍でそれを見てて欲しい。それだけだ」
「……それくらいなら、お安い御用です」
「しかし、船はそう簡単に出来るものじゃない。その間ずっと見ているのは君が思ってるよりもずっと面倒だよ」
「それでも大丈夫です。私の船を造っていただくんですもの、私が頑張るのは当然ですから」
「うむ、そう言ってくれると助かるな。……よーし野郎ども、そうと決まったら早速作業に取り掛かるぞ!」
「イ、イェッサー!!」
 目にも止まらぬ早さで桟橋を駆けて行き、造船所の皆を呼びかける。
 彼等にもウォルターの魂が乗り移ったのか、いささか鈍かった動作がきびきびとしたものに変わり始める。
「早く! 君も来てくれ!」
「あっ、はい!」
 その勢いに圧倒されながらも、リィもまた造船所へと走って行った。
「やれやれ、とんだ取り越し苦労だったな。本当に……」
「ええ……。カリタスさん、心中御察ししますわ」
 場に取り残された二人、カリタスとアイ。
 彼等の表情には、疲れたものと爽やかなものが入り混じっているのだった。
「だが、これで久々に親方の造った船が見られる。……そう言えば、思い出したよ。親方が作ったキャラベル船が一般価格の三倍の値段で売られたその理由を」
「何なんです?」
「細部の造り、そのデザインで……女性の姿を表現したのだよ、確かね。他にはない流麗なデザインに、荒くれ者の船乗り達が皆惹かれたと言う訳だ」
「あんな風に恋をして、そうして造られたものなんでしょうね。その船も」
 それなら今回も、ウォルターは素晴らしい船を造ってくれるであろう。
 他人にはない感性でもって、他人に創ることのできないものを創りあげる――それこそが芸術の根本なのだから。
(ま、人間的には欠陥があるのは確かだけどね)
 それもまた、芸術家としての素養か。
 何にせよ、船の完成が楽しみであることは確かだ。
「我々も見守るとするか……遠くから」
「ええ、遠くからですね」
 ウォルターにあれこれと話しかけられているリィの姿を見て、アイは「頑張れ」とエールを送るのであった……心の中だけで。

5

 リィがしていることは、船が造られていく様子をただ眺めるだけであった。
 時々、ウォルターに話しかけながら。
 雨が降っても作業は続けられたし、当然彼女もそこから動くことなく、造り上げられて行く芸術作品を目にしている。
「お嬢ちゃん、疲れたら建物の中に入ってて良いですぜ」
 造船師の一人が、彼女に優しく声をかけた。
「いえ、平気です」
 ただ眺めているだけでも、それは楽しかったから。
 一日、一日と時が過ぎて行く。
 うち数時間はアイやかおる、カリタスらと一緒にいながら。
 時々倫敦に残っている青年のことを思い出しながら。
 その日も暮れて、夜がやって来て。
 リィは宿に戻っていたが、あの未完成の船がどうしても見たくなって、独りで造船所へとやって来たのだった。
 昼間騒がしかった造船所もさすがに今は無人で、辺りが閑散としている。
「やっぱり良いなぁ……」
 大きな大きな船を見上げ、それに魅入られるようにして呟いた。
 今思えば、自分はなんと壮大で素敵なものに乗って旅をしてきたのだろうか。
 ”フォスベリー”も”永久機関”も、”シャルトリューズ”も、同じ船でありながら皆個性的で、まるで人間のように生きているかのよう。
 そして眼の前のこの船にもまた、命が宿ろうとしているのだ。
(名前、どうしようかな)
 自分一人では決められない。
 アイさんに相談してみようか、かおるさんにも意見を訊きたいけど。
 ――フェレさんにも相談したかったな。
「お嬢ちゃん、どうしたんだい、こんな所で」
「あ……こんばんは」
 後ろから声を掛けられて、驚いて振り返ると、そこにはウォルターがいた。
 色々と浮かべていた思考はひとまず中断する。
「本当に素敵な船だなあと思って、夜中なのにいてもたってもいられなくなっちゃって、見に来たんです」
「そうか。そこまで気に入ってくれると造ってるかいがあるってもんだよ」
 ウォルターはその岩のような顔に、満面の笑みを浮かばせるのだった。
 それを見て、リィも笑顔を浮かべる。
「でも……あの、一つだけ訊いても良いですか?」
「構わないよ」
「あの……」
 ウォルターは訊いても良いと言った。
 だが、それでもリィは躊躇いの気持ちを覚えるのだった。
「カリタスさんから、訊きました。ウォルターさんは一人の女性に恋をして、その女性をイメージした船を造るって……」
「あの小僧め、喋ったな」
 また、にししと笑う。
 しかし今度は、リィは真剣な表情をしたままだ。
「この船は、誰をイメージしたものなのですか?」
 ”君をイメージしたものだよ。”
 そんな言葉が返ってくるなんて、リィは思っていない。
 だからこそ訊ねたのだ。
 その言葉を聞いて、彼女が躊躇っていた理由にウォルターも気付く。
「君は勘が良いね。と言うより……見る目があるのかもしれんね、船を」
「この船を見ていて、感じるんです。こんなに大きいのに、滑らかなデザインなのに、落ち付いた風貌をしてて……私なんかより、もっとずっと大人の女の人を見てるように思えたんです」
「成る程ね。ウチの造船師達でさえ気付かなかったのに、本当に素晴らしい」
 ウォルターは心から感嘆の声を放った。
 放った後、その視線をゆっくりと海のほうに移す。
 リィも同じようにそちらを向いた。
 真夜中の海はその美麗さが半ば隠されて、代わりにしっとりとした趣きをしている。
 そう、この未完成の船は――太陽に照らされた海ではなく、月の柔らかな光の下に存在する、この海のようなのだ。
「君の推測の通りだ。この船は君じゃなく、別の女性をイメージして造ったものだよ」
 別にショックではなかった。
 イメージしたのが誰であろうが、ここにある船は例えようのない程素晴らしいものなのだから。
 リィはただ黙って、話の続きを待っている。
「今から半年前に恋をした一人の女性。優雅でありながらも決して派手じゃなく……あの月の様だったよ」
 この人は今まで幾多もの恋愛をしてきたはずだ。
 色々な女性の魅力を知っているはずのこの人にそこまで言わせるなんて、その女性とは一体どんな人だったのだろう。
「彼女はストックホルムから遥々やって来たのだと言った。海に出稼ぎに行ったまま戻らない亭主を探しに来たのだとね」
「……亭主の方が、ベルゲンに来ていたのですか?」
「彼女がこの町に来てから少しして、辺りで嵐が起こり、何隻かの船が波に飲まれた。そのうちの数隻は難破して、陸の付近で浮いている所をやがて住民に発見されたよ。そしてその船のうち一つが、彼女の亭主の船だった」
 遺体は発見されなかったが、船の特徴が一致しており……出かける前に女性が夫にプレゼントした、ネックレスがその船には残されていたのだ。
「亭主は別の町にいたんだよ。きっと仕事を終えて、ストックホルムに戻ろうとした時に嵐に巻き込まれたんだ。亭主の死を知った女性は、後を追って身投げをしたのさ」
 バカな話だ、とウォルターは寂しげに笑った。
「恋……と言っても、ささやかなものだったよ。別に手を出した訳でもないしな。だが、彼女がいなくなり、何もかもが手につかなくなってしまったんだ」
 そしてその状態は半年も続いた。
「私には弟子もいるし、このままじゃいかんと思ってね……。それに船をまた造りたくなってきたんだ。何とかきっかけを得た振りをして、今こうやってまた船造りに取り組めていると言う訳さ」
「そのきっかけが、私だった?」
「ああ…騙すような真似をして、すまなかったね」
 ウォルターは言った後、少し慌てて訂正を加えた。
「いや、君を素敵だと思ったのは確かだよ。最後の一線を踏み切れたのは君のお陰であることは間違いない」
「私なんて…」
 この人が以前に恋をしたと言うその女性。
 私は何もその人のことを知らないけれど、けれどその女性と比べて自分が魅力的であるなんてとても思えない。
「……まぁ、それに他人に恋をしている女性には手を出さんと言うのが、私の流儀なものでね」
 ウォルターはさらりとそう口にした。
「分かるものなんですか?」
 照れるより先に、リィはただ驚きを隠せなかった。
「分かるよ。君は分かり易い」
「そうですか……?」
 リィは一瞬拗ねた表情になる。
「それに、その女性の方だって夫がいたんでしょう?」
「既婚者はまた別ってことだよ」
「まあ、なんてずるいんでしょう!」
 声は怒っているのに、何故だろうか、笑いが込み上げてくる。
 とにかくおかしくて、リィは笑った。
「昔話を一方的に聞かせてしまって、すまなかったね。船の方は絶対に素晴らしいものに仕上げてみせる。楽しみに待っててくれ」
「はい! 本当に期待してますからね!」
 場を去る前にもう一度、そこにある船を見上げる。
 月の光によって銀色に染められた船は、儚くて、けれどきっと、未来を抱く強さをも持ち合わせているのだと、そう思った。
 望む未来――そう、私と一緒に。
 一緒に行こう。
 海へと、未来へと。
 ……一緒に過去を、探して貰えるかな?
 新たなる仲間に向かって、リィはそう囁きかけるのだった。

6

 予定は大幅に伸びて、倫敦を再び訪れたのはさらに一ヶ月も後のことだった。
 船の完成に時間が掛かった訳じゃない。
 ウォルターは力を尽くして、最短の時間で素晴らしい”作品”を創り上げてくれたのだった。
 仲間の帰還を今か今かと待ち侘びていたフェレット、それらしき船が海に姿を現わした瞬間に港へと行き、そこで到着を待っていた。
 船が停泊するなり、駆けよって何やら声を上げている。
 帰って来るのを心待ちにしていたのは、何もフェレットだけではない。
「ただいま帰りました、フェレさん!」
 早々にフェレットの姿を見つけ、リィは呼応するように声を上げた。
「リィ、大きい船買ったなあ!」
「ふふふふ。色々あったんですよ、向こうでも。フェレさん、もう風邪は治りました?」
「そりゃ治ってるよ、もう。だって二ヶ月近くも帰ってこなかったんだからな、君達は」
「ええ、ごめんなさい」
 二人が会話を交わしている最中、他の船員達もタラップを渡ってくる。
 アイやカリタスらも。
 だが、フェレットの視線には入っていないようだった。
「デザインも、何だか洒落てるな。見た感じはそこまで変わってるわけでもないのに……何だか、女性的な感じがするよ。この船の名前は?」
「”コンスタンティア”って言うんです」
 リィが名付けた船の名前は、ウォルターが恋をしたあの女性の名でもあった。
 ウォルターに女性の名前を訊ねて、そしてそれを船の名とすることを、リィは迷わなかった。
「”コンスタンティア”か。うん、雰囲気と一致してる良い名前だな」
「あら、行く前は散々、リィちゃんが船長になることに反対してたのにね」
 そうアイに声を掛けられて、フェレットは少しだけ渋い顔になる。
「今でも心配ですよ。リィが新しい、ゴッツイ船員に囲まれて上手くやってけるのかってね……」
「その点なら心配無いわよね。リィちゃん?」
「ええ。ふふ」
 二人の女性は、顔を見合わせてくすくすと笑った。
「リズウィー、ちょっと来てくれないかな?」
「はい?」
 リィに呼ばれて、”コンスタンティア”から姿を現したのは…なんとリィと同じ位の年齢の女性。
「彼女を始めとして、この船、女性の船員ばかりなんです」
「なッ!?」
 何時かベルゲンの町に落ちた雷のように、フェレットの体にも雷が走った。
「みんなー、この人が”フォスベリー”の正規の船長、フェレットさんなのよ」
 アイが声を掛けると、新顔の女性ばかりがそこにわらわらと集まってきた。
「始めまして、フェレットさん。これから宜しくお願いします」
「アイさん達から噂はかねがね聞いてます。何でも妄想癖が……素晴らしいそうですね」
「カリタスさんに比べるとちょっと……だけど、素敵な船長さんですね」
 幾多もの女性に囲まれて、フェレットはもみくちゃにされている。
「ふふ、どう? フェレさん。気に入ったかしら?」
 得意気な顔で、アイがフェレットの顔を覗き込む。
 最高だよ、と満面の笑顔で返したい気持ちと、気に入るか! と怒ってしまいたい気持ち……その二つがせめぎあい、フェレットとしては微妙な表情になるしかなかった。
「……リィ、一人か二人、うちの船員とトレードしない……?」
「絶対に嫌です」
 にべもなく断られ、フェレットは今度はむすりとする。
 その後、一つのことに気付き、周囲をきょろきょろと見回し始める。
 彼の動作が何を意味しているのか、リィもアイも知っていた。
 二人の表情に影が落ちているその理由を、フェレットは知らない。
「かおるさんはどうしたの?」
 きょとんとした様子で訊ねたが、二人とも返事に困っているのだ。
「……アイさん?」
 フェレットは重ねて疑問の声を口にした。
「かおるさんは、今此処には居ないの」
「どうして?」
 どうして居ない? それは私が訊きたいくらいなのに。
 アイは思いながらも、返す言葉を探した。
「ベルゲンでずっと一緒に居たんだけど……。”コンスタンティア”が完成して、さあ帰ろうかと言う時になって、突然居なくなっちゃったのよ……」
「居なくなったって、宿は一緒だったんでしょ。それに大体、居なくなる理由なんか無いじゃないですか?」
 フェレットの脳裏にはただ”どうして”と言う疑問だけが有った。
「どうせ”永久機関”の皆に酒場でも連れてかれて、酔っ払ってどっか行っちゃったとかそんなんですよ。探したら絶対直ぐに見つかるよ」
「私達もそう思ったんです。でも見つからなくて、町の人にもし見つかったら連絡をくれるよう伝えて、それで戻って来たんですよ」
「だから遅れたのか?」
 リィは頷いた。
 船長が不在のはずの”永久機関”はしかし、目の前に停泊している。
 不思議に思ってフェレットは訊ねた。
「”永久機関”は残った船員でなんとか操縦して、此処まで来たわ」
 アイが返事する。
「ふーん……」
 浮かべた声は不満気なものだった。
 自分が居ない間に、自分の居場所が違うものに変わってしまったような、そんな感触を覚えて。
「皆が落ち付いたら、もう一度ベルゲンに行きましょうよ。自分の船が持ってかれちゃって、今頃路頭に迷ってるんじゃないですか? あの人は」
「そうだと願いたいわね。いや、それもどうかと思うけど。でも、どうせすぐひょっこり帰ってくるでしょ。今までだってずっとそんな感じだったものね、かおるさんは」
「そうですよ。チュニスでいきなりばったり倒れて、誰かに襲われたのかと心配したら、慣れないアラビアンシューズのせいで靴擦れを起こしてたとか」
「ああー! あったわね! その時だって最初、いきなりどっか行っちゃって心配してたら、水タバコを飲んで酔っ払って、休憩所の人に介抱されてたのよね」
「ターバンがほどけかかってて、危うく変装がばれそうだったのに、水タバコの吸い過ぎで顔色が悪くなってるんだと勘違いされて、九死に一生を得たんですよ。あの時は本当に死ぬかと思った!」
 大笑いするフェレット、アイ。
 かおるのことを話す時、二人は本当に楽しそうだ。
 いいな、羨ましいなぁ……と、リィはその様子をただ見つめていた。
 あの人の破天荒さは知ってるけど、姿を消したことなんて今までに無かったから不安だった。
 アイさんも不安がってた。
 けれど二人の会話を聞いていると、三人の関係は以前からそんなだったようにも思えた。
 長年の付き合いなのだろうし、たまに喧嘩もする。不安に駆られもするのだろう。
 それでも三人はずっと一緒に居られた。
 今回もまた何時もと同じように、かおるさんは帰って来るんだろう。
 そう、リィは思った。
 フェレットとアイも思っていた。

 だが、彼は帰っては来なかった。
 月日が過ぎて、季節が変わっても――かおるは帰って来なかったのだ。

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  1. 2005/07/05(火) 02:24:50|
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第八章 彼方の海で――(前編)

1

 フォスベリー、永久機関、シャルトリューズ。
 倫敦で幾らかの時を過ごした後、三隻はまた海へと出ることにした。
 船乗りたるもの陸に長く居るべきではないというのがこの船団の持論でもあるし、何より今回は明確な目的があった。
 倫敦の遥か北東、ベルゲンの町に向けて、船は只管海を行っていた。

(そんな馬鹿な……有り得ない)
 ここは倫敦の町の港。
 海の先に消えて行った三隻の船。
 それをただぽかんと見つめながら、一人の青年はそこに立ち尽くしていた。
「……オイ」
 寒風に吹かれながら暫く海を無言で見つめていたが、青年はついに叫び声を上げた。
「っ待てぇ! 待ってくれ!」
 しかしながら叫んだタイミングは既に大分遅い。
 船団の姿はもう、水平線の彼方に消えてしまっているのだから。
 それでも青年は声を上げ続けた。
 納得がいかないのも当然の話である。
 海の彼方に消えた三隻のうち一隻、”フォスベリー”の船長をつとめているのはこの青年、フェレットなのだから。
「僕はまだ此処に居るぞ! 船長を置いていってどうすんだ! 君等それでも僕の船の船員かっ」
(確かに……)
 涙混じりの声を聞きながら、後ろの方から青年をぼんやりと見つめている女性の名はルーファ。
 しかし彼女は悲しんでいる様子はなく、むしろ薄ら笑いすら浮かべている。
 フェレットの声にはやがて、怒りの色も混じってきた。
「コラァ、帰ってきたら覚えてろよ船員ども! それに発案者! 寝酒の中に毒を流し込んどいてやるからなっ!」
 正しく負け犬の遠吠えだ、とルーファは思った。
「……フェレさん。あの人達なりに気を遣ってくれてるんだから……。帰ってまた寝た方が良いわよ、そろそろ」
 この場に衛兵がいたら逮捕されかねないなあと、ルーファは顔をしかめている。
 それほど、やかましい。
「いや、だって!」
 フェレットは何か言いかけたが、喉から出た咳によって口に出来ずに終わった。
 彼の意思とは無関係に、何度もごほ、ごほと繰り返し咳き込む。
 ここ数日、フェレットは極度の風邪に冒されており、殆どベッドから立ち上がれないような状況だったのだ。
(く、くそう……!)
 全身の力が抜けて行くのを感じる。
 声を上げただけでも疲労困憊になる程、体力が落ちているらしい。
(このままじゃ……あいつが船長になってしまう)
 置いて行かれた事にも確かに腹を立ててはいる。
 現在自分の船を操縦しているのは別の人間であり、勝手知ったる他人の家とばかりに他人が船長をつとめているのも、許せないものがある。
 それもまあ心配ではあったが、大した心配ではなかった。
 あの人なら安心して船長を任せられると言う確信があったからだ。
 なら、何処に問題が有るというのか?
 ……最大の問題、それは船旅の目的が”リィの船を買いに行くこと”であると言うこと。

 ――話は少し前、倫敦で開かれた酒宴の際、アイの提案に端を発す。
 ちなみに例の祝勝会とはまた別に催されたもの。
 「ねぇ、今回の任務をこなしたことで大分船団の貯金も増えたでしょう。それで私から提案があるんだけど」
 ”シャルトリューズ”の船長であるアイ、残る二隻の船長の耳に向かって囁くように言う。
 フェレットと”永久機関”の船長かおるも、興味深々に耳を傾けるのだった――が、次の瞬間。
 「なッ……何言ってんの! そんなの駄目ですよ! 駄目に決まってるじゃないか! 無理無理っ、禁止禁止!」
 提案内容を聞いた瞬間、フェレットは頭ごなしに却下しようとするのであった。
「何でよ。リィちゃんなら絶対、務まると思うわ。聞けばこの間の戦いじゃ、彼女も大きく勝利に貢献したって言うじゃない」
「銃の腕が凄いからって、船長が出来るとは限らないでしょ。僕だってほら、こんなに魅力的だけどここ最近は女性にとんと縁が無いんだから。それと一緒だよ」
「でもね。私正直、思うのよ」
 後半の科白をアイは素直に無視した。
「リィちゃんは以前にも船乗りをしていた経験があるんじゃないかしら。だって、初めてには思えないもの」
「でも駄目だよ、いくらなんでも。確証は無いんだ」
 アイの提案。
 それは、今現在”フォスベリー”の一船員である少女リィに、船をプレゼントしてあげようというものであった。
「どうしてそんなに拒否するのかしら? フェレさん」
「どうしても何も、彼女はまだ新参だよ。リィを船長になんて言ったら、うちの船員が反乱を起こすよ」
 ちなみに二人の会話は酒場内で、割と大きな声で行われている。
 直ぐ後ろにいた三船の船員の耳にも当然のように届いていた。
「リィさんだったら、俺達は全然構わないですぜ」
「優しいし可愛らしいし、リィさんが船長になったらきっと、華やかな船になるでしょうねぇ」
「お、俺そうしたらフォスベリーを降りてリィさんの船に行っちゃおうかな」
(君ら……)
 顔に怒りを滲ませながら、がくりと項垂れるフェレットであった。
 意外や意外、満場一致。
 彼女に船長が務まるのか? と危惧するものは誰一人としていなかったのだ。たった一人を除いては、だが。
 そのたった一人であるフェレットにしても、実際のところ彼女に船長が務まらないとは思っていない。
 過去の記憶を一切失っているとリィは言うが、彼女は明らかに航海の経験を持っている。
 それは今まで同じ船で旅をしてきたフェレットが一番よく知っていた。
 あの銃の腕から判断しても、彼女がただの町人だったとは考え難い。
(しかし、やっぱり駄目だ。だってそしたら……)
 フェレットが意地でも反対意見で通そうとする理由、それは。
(あいつが船長になるってことはつまり、フォスベリーから降りるわけだろ? そうしてあいつの船の船員を別にまたたくさん雇って……そんなこと許せるわけがない。リィは僕の船にいて……航海中に色々……話し相手になったりとか……)
 要は彼女を手元に置いておきたいと言う邪まな考えであった。
 しかしそんなことを口に出せるわけもなく、只管遠まわしな反対意見を口にしている。
 自分の本心など、アイにはすっかり見抜かれているかもしれないと思いつつも。
「と……ともかく。何も今急いで買うことは無いじゃないですか。今度リィにはフォスベリーの船長を一日体験学習でもさせるとして。それからでも遅くは無いでしょ?」
「何処の誰かさんが言ってたわ。船乗りにとって、人生は決して長いものじゃないってね」
 フェレットはぎくりとした。
 アイがにこりと笑っている……その意味をなんとなく理解したからだ。
「航海をしていれば月日はあっという間に過ぎて行くから、思い立ったらすぐ行動に移すべきだって……緑色の髪をした人が言ってた気がするわね、以前に」
「……あ」
 この船団で、緑色の髪をした人間。
 考えるまでもなく、一人しかいない。
 どうやら彼女は、こちらを一突きに出来る必殺の武器を手にしたらしい。
 そう解っていながらも、
「……そ……の緑色の髪の人、素敵でした?」
「とても素敵だったわ。自分が言ったことはちゃんと守ってくれる、本当に素敵な人だったわねぇ」
「……そうですよね」
 気付けば術中にはまって、フェレットはもう断る手段をなくしていた。
 苛立って緑色の髪を弄くっても、事態は何も変わらない。
 さらにとんとん拍子でカリタスの耳にも入ることとなり。
「船、新造するの?」
「ええ、折角ですから新たに造ってもらおうかと」
「ふむ。だったらベルゲンに行ってみると良い。あそこには造船業を営んでいる私の友人が住んでいてな。腕も立つって評判だ」
「本当ですか! それは丁度良かった!」
「出来るだけ安くするよう、紹介状でも書いておくよ」
 アイとカリタスの会話に入ることも出来ず、気付けばすっかり話は進んでいた。
 このままではまずいとフェレットは必死で策を巡らしたが、思い浮かばず、その場限りの言い訳を考える。
「アイさんてば。大体、リィ本人にこのことはまだ伝えてないんでしょ? あいつの性格から言って絶対、断るに違いないですって」
「確かに、まだ言ってないけど……それじゃあ今訊いてみる? おーいリィちゃーん!」
「さっき気持ち悪いって言って出て行きましたけど」
「……介抱してあげなさいよ、あなた」
 ちなみに二人の隣では、何時の間にか酒を口にして、体全身が真っ青になっているかおるがいる。
 今のところ、誰も介抱しようとする気配はない。
「あ、帰ってきたわ」
 丁度タイミング良く、よれよれとしながらも、リィが酒場内に戻ってきた。
 顔色はいつも以上に真っ白く、酒がまだ抜け切ってないらしい。
「リィ、大丈夫か?」
「はい……。宿に戻って寝てたんですけど、手袋を忘れちゃったんで取りに来ました」
 フェレットの隣にある椅子から、リィはひょいと手袋を掴み上げた。
「それじゃあ、戻りますね……」
「あ、ちょっと待った」
 手袋を持ったリィの右手を、フェレットがぐいと引っ張る。
 前後不覚になっているリィ、それだけで思わず転倒しかかった。
「まず最初にアドバイスしておく。これから何を言われても『いいえ』と答えるんだ。そうしないときっと、君には思わぬ災難が降りかかることに……」
「せこいわよ、フェレさん」
 アイどころか他の船員にまで絶対零度の視線を向けられて、仕方なくフェレットははぐらかすのをやめにした。
 リィは何が何だか判るずに、ぼうっとしてその場に立っている。
「リィ。ちょっと提案があるんだ。聞いてくれるか?」
 先程急いで結論をだすことは無いと言ったフェレットだったが、自ら先んじて彼女に言おうとするのだった。
 気分が落ちている今なら彼女はきっと断るに違いないと、そう判断したからだ。
(大体船長になるってことは……今までずっと一緒にいたフォスベリーの船員や……何より僕と離れることになるんだ。彼女がそれを望む訳がない!)
 確信をもって、フェレットは彼女に説明をした。
「船長ですか? 面白そうですね、やります」
 二つ返事で承諾され、フェレットは酔っ払いのようにその場に崩れ落ちたのだった。
 酔っているせいで、逆に深く考えずに承諾してしまったらしい。

 それからもフェレットはまだ駄々をこねていたのだが、風邪を引いてまともに意見を言えなくなり、挙句今朝起きてみたら船がなくなっていた。
 今現在”フォスベリー”を操っているのはカリタス。
 アイもかおるもベルゲンの場所を詳しく知らず、カリタスに案内を頼むことになったのだ。
 彼の本来の船である”オールド・ブラック・マジック”はこの間の戦いでの損傷が激しく、現在改修を行っている最中。
 それに昨日カリタスに「風邪を引いている間だけ、ちょっと君の船貸してくれん? 同じキャラック船だし、ちょっと借りるだけだからさ」と言われ、何と無しに了解した覚えも有る。
 ――何時の間にか、話は何もかもが出来あがっていたのだ。
 フェレットは尚も孤軍奮闘をしたがったが、万策はとっくに尽きていた。
(リィが船長になることは避けられないのか。だけどそうなったら……)
 リィが船長を務めるその船の船員に、もしも格好良い奴が入って来て、彼女にちょっかいをかけたら……それどころか、恋に落ちてしまったら……。
 風邪のせいもあって気が滅入っており、そんな最悪のシナリオが頭の中を駆け巡る。
(こうなったらかおるさんが船員選びに口出しして、ヒゲ面の船員ばっか選ぶことを期待するしかない。いや、でももしリィが髭ダンディーを好みだったとしたら……。恋に落ちて、それで……)
 さらに回り続け、感情を掻き乱す。
 思い浮かぶことの何もかもが、暗く深い闇に閉ざされていた。
 それが風邪からくるものだと、本人は気付かない。
「ルーファさん、僕、もしかして」
「何かしら?」
「主人公、下ろされちゃったんですかね」
「寝てなさいな、大人しく」
 結局それから暫くの間、フェレットは倫敦で出来た友人達に囲まれて、不安ながらも楽しい日々を過ごすことになるのであった。

2

 フェレットの思っていたこともあながち外れていた訳ではなかった。
 リィは突然の提案を受けて承諾したは良かったものの、それからずっと悩んでいたのだ。
「リィちゃん、本当に良いのかしら?」
 ベルゲンの町を間近にして、アイは最後の確認を取る。
 これで彼女が断ったなら、単純に観光旅行として楽しむことにしよう。
 アイはそんな風に割り切ることも出来る女性であった。
「……はい」
 その声にはまだ、迷いがあるように思えた。
 自分が船長なんて務められるのかも不安であったが、何より航海中に、フェレットを始めとする”フォスベリー”の船員の顔が見られなくなることが嫌だった。
 一緒の航路を進んでいても、船と船は海という障害物によって遠ざけられている。
 大声を出せば船同士で話せないこともないが、今まで通りにフェレット達と会話する事は難しくなる。
 それなら何故、悩んだ末に「はい」と言ったのか。
 記憶を取り戻す為、この海の上で、様々なことを経験してみた方が良いのではないかと思ったからだ。
 彼女自身も感じていたのだ。
 自分が陸よりも、海に慣れた人間だと言うことを。
(フェレさんは優しいし、フォスベリーも皆も良い人達ばかりだから……私はきっとあの人達に甘えて、このまま一歩も前に進めないかもしれない。それどころか、自分が辿ってきた道を振り返ることさえ出来ないままで……)
 このままではいけない。
 新たな刺激を受けることで、何か思い出すこともあるに違いないと、彼女は自分にそう言い聞かせていた。

 およそ十日余りの航海を経て、船団はベルゲンへと辿り付いた。
 北海側の峡湾の奥にある港町は、木造の家が立ち並ぶ美しい景観をもった場所だ。
 ”シャルトリューズ”から陸へと続くタラップが下ろされ、皆順々に町へと降りて行く。
「リィちゃん?」
 船員の半数は船に残して行くのだが、リィは当然町に出る側だ。
 金は船団の貯金から払われるものの、細かい種類を選ぶのは彼女自身なのだから。
「どうしたの……」
 船から降りようとしないリィを不思議に思い、アイは駆け寄った。
「酔ったかしら?」
 アイは少女の額に手をあてた。
 熱い。
 驚いて、思わず手を離してしまった。
「リィちゃん……大丈夫?」
「ごめんなさい、なんだか急に、気分が……」
 喉から辛うじて絞り出した声で言うと、リィはふらりと前面に倒れ掛かった。
 アイが体を差し出し、彼女のことを支える。
「すごい熱だわ。……移ったのかもしれないわね、誰かさんのが。遠くにいても繋がってると言うか」
「……そうかもしれないです」
 まだ倫敦にいるであろう青年の顔を思い浮かべ、リィは力なく笑った。
 カリタスやかおるらも気付き、同じように駆け寄ってくる。
「ギャル、平気か?」
 かおるが平淡な声で言う。
 彼は決して冷淡な人間ではなく、単にぶっきらぼうなのだ。
「はい……。ごめんなさい、迷惑掛けてしまって」
「何、病気の間はあまり物が食べられんから、食費が浮いてむしろ助かると言うものだ」
「よくわからんフォローをするな、君は」
 カリタスが疲れた顔でそう口を挟んだ。
「しかしこれじゃ、今日は船選びをするのは無理だな。宿に行って休んでいた方が良いと思うよ」
「はい」
 リィ以外の三人の船長は、顔を見合わせた。
「ま、お陰で長く観光をする時間が取れると言うものだ。私も久々だしな。かおるさんとアイさんも、ここのことはそう知らんだろう?」
「ええ。殆ど初めてみたいなものですよ」
 カリタスの声にアイがそう返す。
 かおるは返事をしなかった。
(ベルゲンか。良い町だ)
 倫敦よりも、のどかな雰囲気に包まれた町。
 心地の良い空気は、彼に安らぎと、僅かな寂寥感を与えた。
(――彼らが、喜びそうな場所だ)
 壊れて開かなくなった引き出しがギシギシと揺れて、顔を覗かせるものがある。
(いや、向いてないか。曇り空だからな――この町も)
 覗かせたそれに、かおるは躊躇いながらも手を伸ばして。
 けれど直ぐに、それを強引に閉まい込んだ。
 全てはもう終わったことだ、と。
「私らだけで、先に造船所に行くとすっか。ギャルはその間に船の名前でも決めてるってことで」
 普段と変わらぬ調子で、かおるは声を吐いた。
「あっ、そうか! 名前……」
 半分目を閉じかけていたリィが、はっとして声を出した。
「リィちゃんったら、忘れてたわね。それに船員もね、ちゃんと選んで雇わないとね」
「うむ」
 アイの声に、かおるが大きく頷く。
「とりあえず船名は漢気溢れるやつで頼む」
「……女ですもん。私」
 こうしてリィを宿屋に残し、かおる達は三人だけで造船所に向かうこととなった。

「本来なら私の仲間にも一人、造船を生業としてる男がいるんだがな。イスラムの方に出かけたまま、帰って着てないんだよ」
「イスラムですか……」
 遥か南方の地、イスラム。
 カリタスからその名を聞かされて、かつてフェレットらとアラブを旅した記憶が甦る。
 イングランドからすれば向こうは敵地。
 下手に侵入しようものなら即座に命を落としかねない危険な地域。そもそも普通なら侵入を考えたりはしない。
 それでも忍び込むことになったのは、かおるの「気が向いたから」という一言のためだった。
 そしてそのたった一度の旅で、自分がイスラムに抱いていたイメージは何もかもが覆った。
 イングランドのような洗練された町並みはそこには無かったが、砂漠性の乾燥した気候の元で見るものは何もかもが新鮮であった。
 リィちゃんが船を持ったなら、みんなでまた行ってみるのも悪くないな、とアイは思った。
 ベルゲンは倫敦に比べれば町の規模は小さい。
 それでも慣れない場所だけあって、目的地に辿り付くまでは大分時間を要した。
 造船所も倫敦のそれに比べると幾分か規模が小さく、かおる達は多少の不安に駆られる。
「大丈夫大丈夫、親方は並の腕じゃないって評判なんだ。それより、どんな船を造ってもらうかは決まってるの?」
「あー……どうでしょう」
 アイとかおるは顔を見合わせた。
 そう言えばまだ、一度も話し合っていない。
「ガレーで良いんじゃ」
 かおるの声はなげやり気味に思えたが、本心から吐いたものだ。
 数少ない漕船仲間を増やしたいらしい。
「にしても、リィちゃん本人に聞いてみないとね。どうしましょう、やっぱり宿まで戻りましょうか……」
「先に親方に会いたいな。ちゃんとした技術者の意見も聞いた方が良いだろう」
 カリタスが言う。
 造船所はもう目と鼻の先だし、ここまできてむざむざ引き返すこともない。
 既に辺りでは何人もの人間が、船の修理、製造にあたっている。
「うーむ。見た感じ、ここらにはいないな」
 ぐるりと見まわした後、カリタスは呟いた。
「他の方に訊ねてみたらどうですか?」
「……親方以外に知り合いはいないんだが、訊いてみるか」
 と、カリタスは付近にいた若い造船師に近付いて、
「ここでウォルターと言う人が働いてないか?」
そう訊ねた。
 顔にたくさんのにきびがあるその造船師は、ああ……と浮かぬ表情に変わる。
「ウォルターさんのお知り合いの方ですか? ご用件は?」
「船を造ってもらいたいと思ってるんだが」
「申し訳無いですが、今はちょっと難しいと思います」
「どうしてだ? 私はあの人とは以前からの知り合いなんだ。会わせてもらえないだろうか」
「そう言うことでしたら。ウォルターさんは今、あそこにいますよ」
 その若者が指差した先には桟橋があって、男が釣りをしているのが見えた。
 ああ休憩中なのか、とカリタスはぽんと手を打つ。
 若い男に軽く礼を言い、一行は桟橋のほうへと歩いて行った。
 三人が傍まで駆け寄っても、そこにいる釣り人は振り返ろうともしない。気付いていないのだろうか。
「親方、お久しぶりです。カリタスです」
 背後から呼びかけると、ひどくゆったりとした動作で、その男は振り返った。
 年齢は一行より大分上、五十歳に差し掛かろうかというあたりで、精悍な顔つきをした男だった。
 一目見て、頑固そうだ、とアイは単純な感想を抱いた。
 男はしかし振り返りはしたものの、カリタスのほうを見てぽかんとしている。
 もしかして、覚えられていなかったのだろうか。
「ああ、以前倫敦で会った……久しぶりだね」
 覚えていない訳ではなかったようだ。
 それなのに、やたら反応が鈍い。
「幾度と無く会って、酒を酌み交わしたりしたではありませんか。親方、元気そうで何よりです」
「これでも元気なんだ」
 後方からかおるがぽそりと響かせ、アイに横腹を小突かれる。
 幸いウォルターには聞こえてなかったようだ。
「よくわざわざ、こんな所まで来たね。一体何の用があってベルゲンを訪れたんだい?」
 眼光は鋭いのに、穏やかな口ぶりであった。
 それがまた、余計に怠惰な雰囲気を増長させている。
「実は、親方に船を造ってもらおうと思って……」
「ああスマン。今は出来んのだ」
 カリタスが口にするや否や、ウォルターはきっぱりと言った。
「ど、どうしてです?」
「ワシはもう、一つの船を造りあげる気力なぞ、持ち合わせてはおらんよ」
 言葉の意味、腑に落ちなくはない。その場にいる三人の誰もがそう思った。
 かと言ってそれを受け入れては、本当にただの観光旅行で終わってしまうことになる。
「親方、以前に会ったのはたった一年前のことじゃないですか。この一年の間に何があったんです? 傍目には、衰えなど全く感じませんよ」
 どうにか食い下がろうと、カリタスは息をつかずに話し続けた。
 だが、次の一言は三人の気力をも失わせるほど、絶大の破壊力を持っていたのだった。
「女にフラれたんだ」
 唖然とする一行。
 互いの顔を見合わせて、再び正面に向き直って、表情はまだ固まったまま。
「ふうむ……」
 反論の声を失いつつも、カリタスは思い出すのだった。
 そう言えばこの人はかつて倫敦で造船業を営んでいた時から、女好きとして有名だった。
 元々は別の町で働いていて、町中の女性に手を出した挙句に男女両方から激しく恨まれることとなり、倫敦に移らざるを得なくなったのだとか――酒を酌み交わした時に、本人からそんな昔話を聞いたことがあった。
 好きな女がいて、その女性をイメージすることにより、一つの芸術として船を造りあげるのだ……とも言っていたような。

3

 ベルゲンの町は、落日を迎える。
 その日、三人は意気消沈したまま宿へと帰りついた。
 数人の船員と共に宿で休んでいたリィ、事情を聞くなりどうともつかぬ微妙な表情になるのだった。
 どちらかと言うと、ちょっと怒っているように見える。
「女の人の敵ですね。振られたからって船が造れなくなるなんて、身勝手な事情だわ……」
 風邪のせいで枯れ気味の声で、ぼそぼそと言うリィであった。
「確かに言う通りでは有るわね。でもそんな人のほうが素晴らしいものを造れるんじゃないかなって、私思うのよ」
「……そうですか?」
 アイの言葉に、リィは心からの疑問の声を投げかけるのだった。
「イメージでしかないんだけどね。それになんか、そんな訳のわからない自分なりのポリシーを持ってる辺り、フェレさんと被っちゃってね」
「そうですかぁ……?」
「うん。そうよ」
 アイはふふふ、と笑った。
 自分の想いを見透かされたのだろうかと、リィは思わず顔を赤くする。
「しかし腕は確かだよ、親方は。かつて倫敦で作ったキャラベル船を、一般価格の三倍の値段で買った客がいた程だ」
 カリタスが言う。
「三倍! どうしてそんなに高くなったんですか?」
「それだけ出来が良かったってことだろう。おそらく」
カリタスの答えは曖昧だった。
 自分が買ったわけでもないので、そこまで詳しくは知らないらしい。
「リィちゃん、どうする? いっそ倫敦まで戻って、そこで普通の造船師の人に造ってもらうって手段もあるけど」
 アイに訊ねられて、リィはベッドから天井を見上げて、考えた。
「私、風邪が直ったら会いに行ってみます。造って頂くんですから、やっぱり一度挨拶しないと」
「じゃあ、ウォルターさんで良いのね? 造ってもらう人は」
「会って失望しない限りは、ですね」
「そうね。会えば全部わかるわね…ところで、かおるさんは?」
「部屋には来てませんけど?」
「あら、おかしいわね。……また”永久機関”の船員達に、酒場に連れてかれたのかしら」

 アイの予想は外れていた。
 かおるはその頃、宿から少し離れた場所にて、一人の男と遭っていたのだ。
 この町の夜風に吹かれてみるのも悪くないと、独りで町中をぶらぶらしていた、そんな時だった。
 もしも此処にフェレットがいたなら、アイがいたなら。
 彼らが同じことを思ったであろうことは間違いない。
”こんな表情をしたかおるさんは、今までに見たことがない”と――。
「お前が、何故此処に居る……?」
 彼が普段、心の奥底に閉じ込めて、決して覗かせようとしないもの。
 彼自身、けっして振り向きたくはない過去の記憶。
 目の前にいる男の顔を見たことによって、それらが全て溢れ出て行こうとする。
 本人の意とは別に、溢れ出て行く。
「久しぶりだな、俺の顔を覚えてるか」
「ああ。忘れる訳がない」
 お前の名は……、
 かおるは声の後、少しの間を置いた。
「――HIGEだ」
「変わってねぇな、貴様」
 男の顔面の下半分は、まるで生い茂る雑草の如くに髭が覆い尽くしている。
 左のこめかみの辺りから頬にかけて、そこには髭は無いが……白い肌を、酷い火傷の痕が黒色へと変貌させていた。
 そこだけ見れば、人種そのものを見間違えかねない程に。
「ウルフガングとか言う海賊をやっつけたらしいじゃねぇか。お前、何時から正義の味方なんぞやるようになった?」
 かおるにHIGE、と呼ばれたその男の表情が、僅かに厳しいものに変わる。
 年齢はかおるより十近くも上に見えるが、その視線は対等。
「成り行き上だ。」
「まさかあんなチンケな海賊を殺して好い気になってるんじゃねぇだろうな。”海狼”よ」
「アー、ここより北に住んでるインド人が付けた名前だっけ、それ」
「その異名がついた理由を詳しく説明してやろうか? 一から解りやすくな」
「よせ」
 かおるの瞳に、刃気が帯びる。
 ここが町中じゃなかったなら、本当に刃を取り出していただろう。
 だが、不穏な空気が漂ったのはほんの一瞬のこと。
 殺気を自らの力で制御し、落ち付いて言葉を続ける。
「……なんでオッサンがここにいるのか知らんが、私はもう一緒に行く気はないよ。終わった話だ、もう」
「まあ、待てよ。たまたま会ったのも縁って奴だろう。せめて話をもう少し聞くんだな。きっと後悔はせんどころか、まず間違い無く俺様に感謝する事になるぜ」
「カンシャ、ね」
 かおるはそれ以上何も返そうとはしなかった。
 封じ込めていた記憶――この男と会話するだけで、それは瞬く間に甦っていく。
 記憶が、生々しいものへと変わっていく。
 ここで止まれば、何かを思い出した代わりに、何かを忘れてしまうかもわからない。
 だが、この男は嘘を口にする人間ではない。
「酒でも飲みながら……と言いたい所だが、今のお仲間さんに勘付かれると厄介だろう。お前に取ってもな」
 くくく、と男は笑う。
 ”仲間”というその言葉に、見下したような響きが混じっていた。
(……私は、大丈夫だ)
 蓋をしておいたその中身が溢れ出ても……それは過去の記憶でしかない。
 今自分の傍にある大切なものは、失われはしない。
 男に言われるがまま、かおるは海岸線のほうへとゆっくり歩いて行った。
 頭には何人かの、仲間の顔が浮かんでいる。
 ああ、またそんなに酒を飲んだりして。
 あの二人は結局のところ、どう転ぶんだかなぁ。
 年月を経て、自分に取って欠かせぬ存在となった愛しき仲間達。
 彼等の顔が浮かんで、そして消えた。



  1. 2005/07/04(月) 03:47:00|
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フェレット(或いはスネばな)

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