航海タイム

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第七章 Like a child, on the little sheep(後編)

9

「アムステルダムの犬どもが! このウルフガング様に立て付くだとっ!」
 大型キャラック船から放たれた怒号。
 この艦隊の主、ウルフガングの声は空を劈き、一帯に響き渡った。
 その声には焦りの色などなく、ただ怒りにだけ満ちている。
「それもたった数隻、何も考えずにこちらに突っ込んでくるだけか。余計な手間を取らせやがって……」
 わなわなと震えているその腕は大木のように太く、握られた斧はどんなものでも両断してしまいそうだ。
「時間の無駄だ。さっさと踏み潰してしまえ」
「はっ」
 吐き捨てるように指示をする。
 ウルフガングは決して侮っていたわけではない。
 もしかしたら海軍が本腰を入れて来るかもしれないと、万全の構えでもってこの取引に臨んでいた。
 だが奴等はなんだ? たった数隻だけで突っ込んでくるのも理解出来ないし、あの緩慢な動きは。
(我等をまだ侮っているようだな。アムステルダムの連中は……!)
 良かろう。
 それならばあの時と同じ様に、何もかもを血に染めてやるだけだ。
 そして今度こそ認めさせてやる、北海に海賊ウルフガングありと、平和呆けした人間共の脳髄にまで叩き込んでくれる。
 額に青筋を立てて、ウルフガングはそう強く誓いを立てた。
 だが、その次の瞬間に表情が変わった。
 怒りが収まったわけではない。
 目の前に起きた光景が信じられず、自然と大口が開いたのだ。
 アムステルダムからの使者と人質を交換し、そして替わりに金品を山ほど積んで帰ってきたピンネース。
 あの一隻のみは戦闘力よりも速度に特化した仕様となっていたが、それでもピンネースは頑丈な船だ。
 こちらに向かってくる三隻の船――ガレー一隻とキャラックニ隻では、そう容易に沈めることは出来ない。
 そのはずであったが、しかし。
「奴等、何をした!?」
 ぐらぐらと揺れて、傾いて、そして沈んで行く。
 あの三隻がピンネースへと到達してから、数分と経っていないはずなのに。
 まだ、目立った砲撃も放たれてはいないのにだ。
(ピンネースへと三方向から襲いかかったその瞬間だ。白兵戦を仕掛けた様子も無い)
 成る程な。
 ウルフガングは考えた後に理解し、ふふと笑った。
 奴等は下手に小細工を仕掛ける事無く、力任せな戦法に出た。
いや、その力任せこそ、こちらの裏をかこうとした結果の小細工に過ぎん。
 たった数隻で攻めてきたところで、我が艦隊の壁を破ることは出来ないだろう。
 船員の修練具合、士気においても全てこちらが上だ。
(それより解せんのは……)
 奴等が何故少数で攻めて来たかと言う事だ。
 統率が出来ておらず、他の艦船が付いてこなかったのか? 
 その証拠に、こちらへと突撃してくる船のさらに後ろ、中途半端な位置に三隻ほど留まっている。
(まさか)
 気付かれたと言うのか? 
 ……だとしても、本陣に向かってくる戦力がアレではどうにもならん。
 ウルフガングは巨大な二つの碧眼でもって、向かいくる三匹の仔羊を睨み付けた。

 激突したことによる激震がおさまり、キャラック船”フォスベリー”は新たな敵へと視線を移した。
 フォスベリーだけでなく、残る二隻”永久機関”と”オールド・ブラック・マジック”も同様に。
 敵の数はこちらの数倍。振り向けばそこに敵の姿がある。
 そんな状況に立たされていたが、三隻の向いた方向は全て同じ、正面だ。
 この場で周囲に目をくれず、正面だけを見ることがどんなに勇気の要ることか。
 まだ遠くにいるピンネースから砲弾が撃ち込まれる。
 そのうち数発は船へと到達した。
「みんな、何が起こっても向きを変えようとするなよ! ただ目指す敵の姿だけ見据えろ!」
 フォスベリーの船長が怒鳴る。
「今は旨いもののことを考えちゃあ駄目ですか! 船長!」
「あれは冗談だ阿呆!」
 この場においてもそんなことを言う自分の船の船員を、フェレットは情けなくも誇らしくも感じた。
(一点集中作戦……戦力差は歴然。躊躇ったら囲まれて、終わりだ)
 船員にあれだけ言っておけば、例え自分が逃げよう、と言ったところで船はもう戻らないだろう。
 海に出る前にカリタスが口にした言葉を、フェレットは脳裏に浮かばせた。

――『こちらは三隻、敵は少なくともその数倍はいるだろう。まともに突っ込んだところでどうなるのかは目に見えている。途中で誰か一人の船長が逃げ出しでもすれば、全てが終わりだ。それを覚悟した上で、この戦いに臨んで欲しい』
『コワイヨー助けてオカアチャーン!』
脳裏に浮かぶ光景の中に、あまり思い出したくないノイズのようなものが混じる。カリタスの声と比べて、あまりに品位に欠けている。
 言うまでも無く、残る一人の船長、かおるが発したものだ。
『いや、ヘレッチ君の代弁してみたんだよ』
 そして彼はすました顔でそう続けるのだった。
『何で僕が? ちょ……ちょっと冗談じゃないですよ! そりゃ怖いのは確かだけど、自分だけ逃げたりしませんよ!』
 怒りが混じった掠れ声。
『まあほんの茶目っ気という奴だ、気にするな』
『気になるわ!』
 二人のやり取りは場から緊張感を一気に奪い去った。
 ようやく静まった後、カリタスが肩を竦めながら声を置く。
『まあ怖がるのは当然のことだ。私だって怖いさ』
 カリタスはそこまで言った所で一転、表情に自信を漲らせた。
『一つ、面白いエピソードを用意してきた。二人ともこれを見てくれ』
 そう言って取り出したのは、何処から調達してきたのか、一本の矢であった。
『この矢を折ろうとすれば、簡単に折れてしまうだろう。矢というのは元々そこまで頑丈に出来てないからな』
 手にした矢をへし折る振りをして、カリタスはもう一度二人へと視線を送る。
『だが、これが三本になったならどうだ?』
 さらに二本の矢を加えて、カリタスはそれらを一緒に握ってみせた。
 力が篭っても、三本になった矢はびくともしない。
『一本の矢は脆くとも、三本一緒になればそう容易くは折れない。我々もこれと一緒だ。三本の矢が同じ目標を持って進めば、それを止められる者などいやしないさ』
『な、成る程!』
 フェレットのその声には、少しだけわざとらしさが混じっていた。
 その理由を、続けて説明する。
『なんて素晴らしい例えだ……と言いたいんですけど、それ、どっかで聞いたことがあるような……』
『なっ! 何を言ってるんだ! これは私自らが考え付き、今まで必死に温めていた話なんだからな!』
『ちょっとその矢、貸して』
 何を思ったのか、かおるはカリタスの手にした矢をひったくるようにして奪った。
 深く考える事無く、矢を握った手に渾身の力を加えてみる。
 瞬間、めきり、という鈍い音が響き渡るのだった。
 かおる以外、残る二人の表情が同時に青白いものへと変化を遂げる。
『三本でも折れたけど』
 無慈悲な声とともに、かおるは折れた矢をぽいと放り捨てた。
『折ってどうすんだ! 全部台無しだろうがっ!』
 幾つかの感情が入り混じったカリタスの声が場に響き渡り、その後に自分も何か言ったのだが――とりあえず、回想はここまでで終わる。

(最後にとんだことをしてくれたもんだけど、あの例え話は間違った話ではない。信じて、自信の拠り所にするに足りる話だ)
 船が進むに連れ、砲撃もその数を増して行く。
 今の所はまだ、船体に目立ったダメージはない。
(ピンネースが囲んで守っている二隻の大型キャラック船。どちらかにウルフガングがいる)
 目指す先、倒す目標はただ一つ……ウルフガングの旗艦のみ。
 ポーンもナイトもすっ飛ばし、キングを詰めに向かう――それが主な作戦だ。
 しかし敵も簡単にさせてくれるわけはなく。
 三隻の行く手を、覆い込むようにしてピンネースが遮ってくる。
 放たれた砲撃のうち幾つかが、今度は船体を捉える。
「怯むなっ!」
 フェレットが叫び、船は惑うことなくそのまま正面へと進んで行った。
 正面にピンネースが立ちはだかろうとも、”フォスベリー”は進むことをやめない。
「ぐっ!」
 激しい衝撃が、船体に響いた。
 それこそ横に傾いてしまってもおかしくないほどの揺れが、暫くの間”フォスベリー”を襲う。
 だが、敵船はそれ以上。
 凄まじい衝撃を受けて浸水し、無傷だった船がゆっくりと沈んで行くその姿が見て取れる。
 ”フォスベリー”、”永久機関”、それに”オールド・ブラック・マジック”。
 それぞれの船首から、まるで獣のそれの如くに猛々しい角が突き出している。
 それを突き刺され貫かれて、ピンネースは沈没した。
 いざと言う時に敵船に体当たりをして攻撃する為のラム(衝角)。
 突撃など仕掛ければ当然、自船にも相当のダメージが来る。
 下手に扱えば自殺行為となりかねない諸刃の剣を、三隻の船は扱っているのだ。
 船体には鉄版を張りめぐらし、装甲を強化してあるとは言えど。

「成る程な、突撃による一点突破か。一見無謀にも思える……いや、無謀であることは間違いないが……。だがこの状況を見る限り、奴等の思惑通りに進んで行っていると言う事か」
 ウルフガングの船をキングとするならこちらはクイーンか。
 副将グスターヴァスは大型キャラック船の上で、戦いの動向をじっくりを眺めていた。
「しかし、たとえ突破出来たとしてもそれは一時限りだ。結局ピンネースに囲まれ、集中放火されかねん。……いや、待てよ。そうさせない為に、あの三船がいるのか」
 グスターヴァスの目がさらに奥を向く。
 今攻撃を仕掛けて来ている船よりもさらに後方……まるで漁場を探す漁船のように、戦場をうろついている三船。
 アイが操る”シャルトリューズ”もその内の一船であり、その目的は遊撃。
 フェレットらに攻撃が集中してしまわないよう、少し遅れて援護を仕掛ける役目であった。
「船長、我々はどう動きますか?」
 船員が声をかけたが、グスターヴァスは海を見やったままだ。
 右手をゆっくりと動かし、自前の顎を擦っている。
 その顔、その体は傷跡だらけで、付けられた異名が伊達じゃないことを証明している。
「今突撃してきているあの三船の船員達は、中々の度胸の持ち主だな。自らの置かれている状況に恐れを為し、一瞬でも怯んでしまったなら全て灰燼に帰すと言うのに」
 ”北海の飢狼”グスターヴァス、船員達には大の薀蓄好きとしても知られている。
「もし奴等が突破し、ここまでやって来たなら――我等が全て終わらす。それだけの話だ」
 右頬にある大きな傷痕が、ぐにゃりとひしゃげた。
笑ったのだ。

10

 本格的に戦いが始まってから、時間が経つのがやけに遅く感じられた。
 自分が見守る立場だからか、待つ立場だからか? 
 アイは思う。
 彼女を船長とする”シャルトリューズ”も、ニ隻の船と共に敵陣へと進撃している最中だ。
 しかし目的はあくまで援護、フェレットらに比べれば死の危険には程遠い。
(これでフェレさんやかおるさん、リィちゃん達が帰って来なかったら私はどうすれば良いんだろう) 
 思っても何も始まらないし、今は何も終わらない。
「船長、大丈夫ですぜ。あの人らは並の人物じゃねえ。海が干からびちまわねぇ限り、確実に帰って来るに違いねえですよ」
 アイを気遣って、船員の一人が声を掛けた。
「そうね。そうだといいけど……」
 アイの笑みは何時もより力なく、苦いものが混じっている。
「そんなに気弱でどうするんですか。いつもの船長ならここで、パーッと酒宴の準備でも始めるでしょう。フェレットさんらが帰ってきたら今度は酒の海で航海させてやろう、とか言って」
 アイはまだ苦笑いしていた。
 ほんの少し前より、苦いけれど少し明るい笑い。
(でも、船員にもこんなことを思われている私って一体……)
 素直に笑ってしまってはいけない気もした。
 しかし幸か不幸か、返事をするタイミングが掴めずに事態は急変する。
「船長。後方でも、戦闘が始まったようです。……凄い数の船ですぜ」
「えっ?」
 振り向くと、遥か後方――自分達が最初にいた地点でも、砲撃が飛び交っているのが見えた。
「カリタスさんが言っていたことは正しかったのね、やはり……」
 元々こちらには十数隻もの船が戦力としてあった。
 その大半をあの場所に残してきたのは、敵の伏兵を予測してのことだったのだ。
「仮にこちらが約束通り、人質と金品を交換して帰路についていたら……途中で伏兵に囲まれて、そして皆殺しにされていた……ってことかしら」
 この辺りには隠れることの出来る地形が多く存在し、敵は確実に戦力の大半を伏せている。
 こちらを油断させ、確実に仕留めるつもりなのだと……カリタスは予めそう、皆に言って聞かせておいたのだ。
 何故確信を持ってそう言えるのか、その理由も知らされている。
「確かに、相当の数ね。間違い無くこっちよりも多い」
 戦力では絶対の差がある。
 だからこそ、積極的に敵の大将を狙いに行く必要があった。
 ウルフガングを捕らえてしまえば、敵はそこまでで戦うことを止めるだろうから。
「フェレさん達は、大丈夫かしら……」
 彼がこの言葉を聞いていたなら”大丈夫なはずない! 死ぬ死ぬ!”と大声で反論するだろう。
 その様子が鮮明に浮かび、微笑ましさを感じつつも、数倍する不安を浮かばせずにはいられなかった。

 黒い船と黒い船の間を通りぬけ、青い海を進む。
 戦いの最中に日は落ち、辺りは真夜中を迎えていた。
 砲撃を浴び、突撃を繰り返し、目に見えてぼろぼろになってきた我が船を見て、フェレットは嘆息する。
「……こうなったら、この戦いで得た報酬で黄金船に改造してやるっ! 折角取り付けたラムももっと数十メートルくらいある豪華なやつに変えてやる! それくらいしないと納得いかない!」
 不安を吹き飛ばすかのように、フェレットは大きな叫び声を上げた。
 それさえも、砲撃の音で掻き消されてしまう。
 だが、この局面においてむしろ船員の士気は高まっていた。
 襲い来るピンネースを掻き分け、その先に見えた船の姿。
 漆黒の大型キャラック船が二隻。
 ようやくゴール地点が視線に入り、失われかけていた気力を再び取り戻すことが出来た。
 何隻かのピンネースがまだ無傷で残っているのだが、こちらに向かってくる気配はない。
 きっとアイさん達、後続の部隊が上手く牽制してくれているのだろう。
(かおるさんとカリタスさんも、ちゃんと隣にいる)
 ラムによる突破作戦は確かに成功した。
 だが、今回の作戦――僕達の船団が本領を発揮するのはむしろこれからだ。
 ……残念ながら僕がやるのではなく、愛すべき仲間達がやるのだが。
 だからこそ、フェレットは絶対の自信を持っていた。
「リィ、そろそろだぞ! 大丈夫か!」
「はい!」
 フェレットの声に負けぬ大きな返事が来る。
 彼女に怯えの色は全くない。
 ちゃんとした海戦を経験するのはこれが初だと言うのに、ここまで堂々と出来るものなのか? 
 それを怪訝に思うよりも、今はただ頼もしかった。
「フェレさん達こそ、ちゃんとギリギリの所まで近付いてくださいね!」
「任せといてくれ!」
 殆ど同じ動作で直進していた三隻の、その動きにずれが生じる。
 ”永久機関”と”フォスベリー”が右方、”オールド・ブラック・マジック”が左方へと分かれて進み始めたのだ。
 ピンネースの囲みを突破し、ウルフガングとグスターヴァスの大型キャラック船に挑むべく、フェレット達はもう一つの賭けに出る。
 片方の黒船に向かうニ船の内”フォスベリー”が僅かに先行する。
 そして大型キャラック船に向け、砲撃を開始した。
 反撃を受け、”フォスベリー”が大きく揺れる。
 砲弾のうち一つは、船員の身体を焼いた。
「ハビィ! 平気か!」
 右足を血に染めた船員に、フェレットが駆け寄ろうとする。
「大丈夫でさあ! 船長はそこから離れちゃ駄目ですぜ」
「しかし……」
 他の船員の視線もまた、ハビィと同じことを言おうとしていた。
「怪我人の治療は俺達でなんとかしやす。船長とリィさんらの組は気にしないでくだせぇ。じゃないと皆生きて帰れねえかもしれねぇんだから」
「……そうだな、分かった」
 フェレットは、自らの意識をあの大型キャラック船へと向け直した。
 リィと十数人の船員が彼に付き従い、行動開始の時を待っている。
 大型キャラックの攻撃は凄まじく、早めに仕掛けなければ一方的に沈められてしまうだろう。
 ”フォスベリー”は全速力でもって、大型キャラック船へと接近していく。
 ”永久機関”との距離がその分離れていく。
「フェレさん」
「んっ?」
 小さな声が聞こえた。
 振り向こうとするその瞬間、右手にほんのりとあたたかいものが触れる。
「リィ、どうした?」
 手に触れたものが何か、確認する前にそれはもうそこから離れていた。
 触れたものが何であるか、分かっていたけれど。
 女性に触れられただけで緊張するような歳でもないが……あまりに突然で、フェレットは目を丸くしている。
「……もう大丈夫です。ちょっと……ふふ、最後に確かめておこうと思って」
 リィは自分の右手をじっと見つめていた。
 その手に残った温もりを確かめるようにしながら。
 そうして、照れ笑いを浮かべる。
「確かめるって、何を?」
「大事な人の温もりをです」
 こんな時だと言うのに、フェレットの心臓はどきりとした。
 リィはそんな様子に気付くこともなく、ゆっくりと口を開く。
「砂漠で倒れていて、助けてもらって……お母さんが出来て、リスボンに行って……。今ここに来るまで大好きな人達と一緒に旅をしてきた、その証を確かめたかったんです」
「……やめてくれよ。これで終わりになるわけじゃないんだから」
 そんな言葉もまた、物語の最後で口にされるべきものなんじゃあないのか? 
 フェレットは思った。
「ええ。だから大事な人の温もりがどれだけ心地良くて……どれだけ失いたくないものなのか、再確認したんです。一緒ですよ、美味しいものを思い浮かべたりするのと。私はいつも、怖いことを経験する前にこうやって温もりを確かめてたんです」
「そうか……」
 彼女の言葉に対して、色々と質問を投げかけたい部分はあった。
 全てこの戦いが終わってから訊くとしよう。
「みんな、銃の用意は良いですか?」
「イエッサ! 任せてくだせえ!」
 リィの左右に広がって並ぶ船員達。
 その両手には何れもマッチ・ロック式の銃の射撃銃が握られている。
「良いですか? 私の声をよく聞いて下さいね」
 フェレットは聞いていて、まるで先生が生徒に語りかけているかのようだ、と思った。
 リィはこの場にいる誰よりも銃撃を得意としている。
 それを最初に知ったのはかおるで、以前ヒホンの西の海にて”若草海賊団”と名乗る少年達に襲撃を受けた際に知ったのだとか。
 かおるからそう聞かされて興味を抱き、リィの射撃の腕がどれだけのものなのか、航海中に試したことがあった。
 船上から陸に向けて射撃をし、陸上の獲物を上手く仕留められるか競い合った。
 その辺りには鹿や豚が多く暮らしており、格好の標的となったのだ。
(あの実力を発揮出来れば……何とかなる。頼む、リィ)
 リィの腕を知っているからこそ、他の船員も必死で彼女の指示にすがっているのだ。
 ロンドンの町を出る際に、彼女の銃の腕を一つの戦力として挙げたのはフェレットだった。
 ”フォスベリー”はさらに接近していく。
 大型キャラック船が目の前にきて、敵船員の姿が目で捉えられる程まで近付いた。
「大丈夫、そのままで構えてて下さい。私が合図をするから、その時に一斉に撃って」
 リィは改めて敵の姿を見据えた。
 近い。
 向こうもこちらを睨んでいるかのように思える。
 不思議と怯えはなかった。
「今よ!」
 声と共に、手にした射撃銃が火を吹く。
 派手な音を撒き散らして、撃ち込まれた弾丸の行方を目で追うことは出来ない。
 だが、敵の船員が何人か、地面に倒れ込んだのが確かに見えた。
「再装填を急いでください! 狙うことより、こちらの姿を隠す事を優先して!」
 ”フォスベリー”の船員達は剣を使った白兵戦はともかく、銃撃戦に関しては決して巧みではない。
 リィの冷静な指示により、船員達は何とか敵を見失わずに続けて弾丸を撃ち込んでいく。
 銃撃で敵を怯ませて、その勢いで敵船に乗り込み白兵戦を仕掛けると思いきや、しかし白兵戦を挑まずに、ぎりぎりのところでその横を通り抜けていく。
「近付き過ぎるな! 僕等の仕事はあくまで援護だ!」
 ”フォスベリー”が先に出たのはつまり前座としての役割を果たす為。
 銃撃で注意を逸らし、あわよくば敵の戦力を少しでも軽減する事が目的だ。

 敵はここまで来ないだろうとタカをくくっていた大型キャラックの船内も、慌ただしくなりつつあった。
「……銃撃そのものは大した量じゃないのに、正確に狙ってきやがる。結構な腕ですぜ、敵さんは……」
 その船員の右肩もまた弾丸で撃ち抜かれて、朱に染まっている。
 表情にも痛みが走っていたが、戦うことをやめる気はないらしい。
「狼狽えるな。船員の数はこちらのほうが多く、まともにぶつかったなら敵は歯が立たん。だからこそ、あのキャラック船は撹乱のために銃撃をしてきたに過ぎん」
 ウルフガングの副将、グスターヴァスが不敵に笑う。
「その証拠にキャラック船は横に逸れて行く。直接戦闘を挑んでは来ずに、この船とお頭の船を交互に狙って行くつもりだろう。ひとまずあれは無視しろ」
「ならば、我々が相手にするのは……?」
「この船に乗り込んできている、あのガレー船の連中だけで構わん。白兵を挑んできたからには、別の船からの銃撃は無くなるだろう!」
 船内では既に”永久機関”の船員との斬り合いが始まっている。
 にも関わらず、グスターヴァスは全く慌てている様子がない。
「てめぇがこの艦隊のボスか! 死んでもらうぜ!」
 グスターヴァスの右方に、一人の男が現れた。
 獣の如く喉を鳴らしながら、その刃でこちらの首を切り落とそうと狙っている。
「残念だが、ボスは俺ではない。……それでも良ければ狙ってくると良い。だが、過ぎた真似はろくなことにならんぞ」
 グスターヴァスの声に突き動かされるようにして、男は襲いかかる。
 次の瞬間、驚愕の光景を目にした。
 自らの体が、体の部位が切り取られていき、そしてやがて死に行くその光景を。
 まず剣を持った右腕を落とされ、男が次の行動に迷った時にはもう、命の器は零れ落ちてしまっていた。
「血気盛んな……。敵も海賊か?」
 自らの傍に転がった死体に見向きもせず、グスターヴァスは言った。
 まさか、その言葉に返事が来るとは思わずに。
「私達のほうがむしろ海賊だ」
 あまりに妙な台詞。
 また、敵か? グスターヴァスは訝しげに振り返った。
 そこにいたのは、海賊にも一般の船乗りにも見えない、妙な服装に身を包んだ男。
 それもまた奇妙――滑稽極まりない格好だ。戦場に立つ姿ではない。
「ボスが別にいるってことは、もしかしてあんたが北海の飢餓死狼か」
「飢餓死狼ではない。飢狼だ」
 冷静に返すグスターヴァス。
 しかし相手の男は、絶えずこちらのペースを乱し続けた。
「こう言っちゃなんだが、私も印度では似たような名で呼ばれている。だから私の他に似たような人がもう一人いると困るんだよ。ドップルガンガーかと思っちゃうし」
「ほう、出身が印度だと言うのか? それは面白いことを聞いた……」
「いや、北海の出身だ」
「……成る程な。あの銃撃をしてきた船の様に、妙な会話で俺を戸惑わせるつもりか。戦場でそのようなことをするのは中々勇気がいるだろう。大した度胸だ……」
「ありがとう」
 よくわからないながらも、とりあえずそんな返事をする。
「……やるならやるとしよう。その槍は、飾りじゃないんだろうな――!」
 飾りかと疑ったその槍が嵐と化し、突き出された。
 グスターヴァスの頬を掠め、ぶしゅりと血が渋いた。
 自分じゃなければ避け切れなかっただろうと、直感でそう感じ取る。
 この男、強い!
「貴様、名前は……」
「インドでは北海の餓狼と呼ばれてるが、かおるだ」
「北海の餓狼……?」
 その言葉を、グスターヴァスの耳は真剣に聞いた。
 本人の意思に関わらず、つい聞くほうに神経が傾いてしまった。
 ……かおる? だと? 
 俺の知っている言語では発音することさえ難しい。
 そもそも何故インドで”北海の”と呼ばれているのだ? 
 ……何もかもが妙だ。
 そう、考えてしまった。
「――なッ」
 かおるが放った攻撃は鋭く、疾かった。
 槍は胸を深々と貫き、それは致命的な一撃となった。
 血飛沫が自らのものであることに気付いた時には、グスターヴァスの体はもう動く事を止めていた。
 それは攻撃を仕掛けたかおるでさえ唖然とする程、ほんの一瞬の出来事であった。
「あれ? 終わっ……そうか、飢餓死したのか」
 信じられないといった表情をしていたのはむしろかおるの方であった。

11

 ゆっくりと流れていたはずの時間。
 しかし三隻が敵地の奥深くに潜り込んだその時から、全ては早く進み始めた。
 こちらの船団には、持久戦に耐えるだけの力がなく、時間を掛かればジリ貧になるのは目に見えている。
 カリタスを中心とする船団は、決着を急ぐ必要が有った。
「かおるさん達は、まだ戦ってるか。さすがにあの人と言えども、そう簡単にはいかないようだな」
 冷静さを失ってはいないが、カリタスは興奮した様子でそう呻くように言った。
 大型キャラック船に張り付いたまま動かないガレー船”永久機関”、その戦況が気になったが、とは言えここで止まってはいられない。
 二つの船をすり抜け、”フォスベリー”はもう片方の大型キャラック船へと突進した。
 銃撃による牽制を織り交ぜつつ、徐々に距離を詰めて行く。
 向かってくるその船を、大型キャラック船は引き離すことが出来なかった。
 左方から迫り来る”フォスベリー”を右に避けようにも、右方からは別に迫ってくる船が有ったのだ。
「もっと速度は出んのか!」
 艦隊の長ウルフガングが怒鳴り声をあげても、状況は何も変わりはしない。
「何故敵の船がここまで来ている! あの包囲が何故、突破されたのだ!」
 その理由はウルフガング自身も知っていた。
 護衛の船に囲まれて、安全に敵の様子を眺めていることが出来たのだから。
 敵の船三隻が、護衛の船には目もくれずに突っ込んできたのだ。
 船首にラムを取り付け、立ち塞がるものを全て吹き飛ばしながら。
 こちらの砲撃で沈められなかったのは……恐らく、鉄板か何かで装甲を最大限まで強化したのだろう。
「お頭、キャラック船ニ隻の速度はこの船と殆ど同じに見えます。このままじゃ何れ追い付かれちまいやす」
「ピンネースの援護は来んのか? どうなってると言うのだ……」
 援護が無い理由、それも知っている。
 だからこそ、歯痒くてならないのだ。
 三隻の船は孤軍で突っ込んできたかと思いきや、背中をがらあきにしてはいなかった。
 後方からさらに別の船が三隻、影のように動きながらこちらの行動を巧く遮っている。
 砲撃を仕掛けたかと思いきや離れて行き、逃げるのかと思いきや、ピンネースの移動経路を塞ぎに来る。
 ピンネースはまだ大半が無傷に近い状態で残っているにも関わらず、普段の動きをさせて貰えず、本領を発揮できないままだ。
「お頭、どうなさいやすか……。グスターヴァス様もガレー船と交戦中で、実質こっちはニ対一です。銃撃も絶えねえし、段々こちらが不利に……」
「うるさい!」
 ウルフガングは剣を一閃、間近にいた船員を切り殺した。
 その場の空気が一瞬にして氷のように固まる。
「いいか! 弱音を吐いた奴はこいつみたいになるぞ!」
 物言わなくなった男を指差し、ウルフガングは怒鳴った。
「敵はこの船だけを狙ってきている! その理由がわかるか! 戦力で劣っている分、この俺様を捕らえでもしねえと奴等のとこには勝ちが転がり込まんと、そう思っているからだ。つまりこの船が沈まない限り、勝ちは揺るがん。貴様等に全てが掛かっているのだ!」
 砲撃の音に混じり、鳴り渡った声は空へと吸い込まれて行く。
 だが部下の海賊達は誰一人として、その言葉を最後まで聞いてはいなかった。
 ウルフガングが声を放つのとほぼ同時に、船体に大きな揺れが走ったのだ。
「奴ら、また突っ込んで来る!」
 船員の一人が叫ぶ。
「狼狽えるな! この船はそう簡単には沈まん!」
 再び放ったその声も、今度は幾多も響いてきた銃声に半ば掻き消される。
「お頭、あのキャラック船の奴等が乗り込んできやがった!」
「蹴散らせ!」
 ウルフガングが言うまでもなく、船内はあっという間に混戦と化した。
(何故だ……)
 兵力では大きく勝っている。
 敵の作戦は取るに足らぬものであったはず。
 それなのに、今のこの状況は一体何なのだ? 
 あの小船三隻如きに我が軍勢が苦戦を強いられている。いや、それどころか押されている? 
 キャラック船から乗り込んできた敵兵の数は多くなかった。
 兵士個人の力においても、こちらの方が間違い無く上であるはずなのに。
 もう片方のキャラック船から時折飛んでくる、波のような銃撃。
 あれのせいか? 
 ――負けるはずはない。
 仮に敵の奮闘によって、こちらの優位が引っくり返ったとしても。
 この俺は、海にその名前を轟かす、ウルフガング様なのだぞ? 
 それがこんな得体の知らない小船団に敗れるなんて、有ってはならないことなのだ。
「うおぉっ!」
 誇りを守る為に沸き上がった怒りの感情に任せて、ウルフガングは手にした鉄斧を振り回した。
 ただ振り回しているだけではない。
 付近で別の船員と争っていた敵兵を豪快に叩き割った。
「正面から突っ込んでくるから度胸のある奴等と思いきや、そんなことは全く無かった! 直接ぶつかり合うのを恐れて速攻勝負を挑んできただけのことだ。所詮奴等はアムステルダムの犬、犬と狼の違いをこやつら自身理解しておったと言うことよ。例え敵が乗り込んで来ようが、気勢に圧されなければ勝つのは我等だ!」
 それは自身の兵にではなく、何より自分に言い聞かせたかった言葉であった。
「皆殺しにしてやれ! 首だけにしてこの冷えた海の中に放り捨ててやるのだ!」
「いい加減悟るべきだ、ヴァイキングの長よ。この場においても醜く喚き散らすお前と私達の、どちらが犬に見えると思うか」
 正面から響いた声には明らかな殺気が篭っていた。
「何ぃ!」
 気付けば、ウルフガングはその周囲を囲まれていた。
 味方の兵はいない。
 付近にはただ、さっきまで味方だった部下達の屍が転がっているのみ。
「観念しろ。大人しく投降すれば、部下の命は助けるぞ」
 ”オールド・ブラック・マジック”の船長は鋭くそう言い放つ。
 貴様はどうせ助からんがな、とその表情は言っている。
「メイン・ディナーをラム(仔羊の料理)とするなら、差し詰め今はデザートか。血のソースで頂いてしまっても、一向に構わんのだがな」
 カリタスは暗い炎を宿らせた瞳で、ウルフガングを睨み付けた。
「貴様がこの船団の長か! よくも……!」
 ウルフガングは激昂し、斧を振り翳して襲いかかろうとした。
 だがその瞬間、彼方から飛来した弾丸が右肩を撃ち抜く。
 斧は宙に舞い、海へと落下して行った。
「……味方ながら、恐ろしい腕だな」
 銃を撃ったのはカリタスでも無ければ”オールド・ブラック・マジック”の水夫達でもなかった。
 その弾丸を放ったのが”フォスベリー”の女性船員だと知り、カリタスは薄ら寒いものを覚えた。
 しかし集中を逸らしてはいない。
 その鋭い瞳は真っ直ぐにウルフガングを捉えていた。
「どの道貴様等は俺を殺すだろう。貴様等がやらずとも、アムステルダムの連中が黙っちゃいまい。ならば、ここで貴様等と一緒に死んでやるさ」
「何をするつもり? この後に及んで!」
 ルーファが憤る。
 カリタスはそれを片手で制した。
 ウルフガングは押し殺した笑みを浮かべて、そして言葉を続けるのだった。
「貴様等はどうせ、俺を生け捕りにして、俺の部下どもが戦うのを止めさせるつもりだったのだろう? つまり俺が捕まりさえしなければ戦いは続く。そうなれば、兵力で劣る貴様等は何れくたばるだろう」
「捕まらない自信があるなら、やってみろ」
 カリタスの冷静な声を受け、ウルフガングは焦りを露わにした。
「馬鹿め! ここで俺が海に落ちれば全ては終わりだ! 停戦させる理由もなくなる。俺も死ぬがお前等も皆殺しだ」
「アムステルダムからの援軍がもうじき到着する。どの道、貴様の海賊団は全滅の憂き目にあうだろう。その時に私達が死んでいるか、それはわからんが」
 場は少しの間沈黙した。
 彼らの周りでは未だに戦いが行われていると言うのに、まるで無音のように感じられた。
 その沈黙が、ウルフガングに取ってはまるで無限のように長かったであろう。
「――貴様はどうせ死ぬ、それは確かだ。だがここで大人しく観念すれば……恐らく貴様の率いていた海賊団は助かる。運が良ければ軍のほうで働き口を用意してくれるかもわからん。……貴様に進むべき道が幾つかあって、しかしその末路が全て死であると言うのなら、せめて仲間に取って救いとなる道を選ぶべきだと、そうは思わないか?」
「……俺に取っては何も変わらん」
「これだけの軍勢を率いているのだ、部下に嫌われてはいないだろう。彼らの道を、変えてやれ」
 言葉が終わると、ウルフガングのその表情から、肉食獣のような猛々しさが消えた。
 地面にへたり込み、今度は絶望に苛まれる。
 そんな光景を見せられても、カリタスは同情しなかった。
 ウルフガングは大声で降参を口にはしなかったが、船上での戦闘は少しずつ収まりを見せた。
 元々、船員は戦意を失いつつあったのだ。
「……一つだけ訊きたいことがある。貴様等は何故、我が船団が大半の戦力を伏兵として隠しておいたことに気付いた……?」
 ウルフガングの本来の目論見では、人質と金品を交換し、安心しきった敵の船団が引き帰して行く際に隠しておいた伏兵によって一気に殲滅し、人質のアムステルダムの貴族も金品も、全て頂くはずであった。
 伏兵を隠す位置も練りに練っておいた場所であり、予め敵がそれに対応した布陣を敷いていたことがどうしても解せなかった。
「数年前に貴様等がやった事を、忘れていなかっただけのことだ」
「何故、知っている? あの時相手にした奴等はことごとく沈めた。一船たりとも逃さず、皆殺しにしてやったと言うのに……」
 そう、たったの一人も助かることがなかった惨劇。
 その事件は瞬く間に付近の町に広まり、やがてこの海全てに広がった。
「……一人だけな、いたんだよ。足を一本失いながらも、必死で海を泳いで……倫敦まで帰りついた奴がな」
 カリタスの声に、何かが混じった。
 憎悪と、哀しみの念だろうか? 
 聞いていて、ルーファにはそんな風に思えた。
「そいつは真相を私に伝え、やがて死んだ。大事な友人だったよ」
「……唯一貴様だけが、知っていたのか。俺達の、殺しの手段を」
「いつかこんな時もあるだろうと思っていた。数年間、待ったかいが有ったと言うものだ」
 カリタスはそれ以上に何かを語ろうとはしなかった。
 ただ、戦いの結果が全てを物語っていたのだ――予め、勝者が決められたゲームであったと。

12

 戦いは終始思惑通りに進み、結果として見れば圧勝であった。
 ウルフガングの大型キャラック船には降伏の意を示す狼煙があり、それを炊きながら幾つかの戦場を回った。
 ”オールド・ブラック・マジック”を始めとする三隻を除けば皆防御を主体とした戦術を取っており、被害は微少ですんだのだ。
 それでも死傷者が出なかった訳ではない。
 ”フォスベリー”のみ、唯一全船員が命を落とすことがなかったのは、奇跡だと言って良かった。
 ヴァイキングの大将が降伏したのを知ると、その部下達は大半が捕虜となった。
 統率力を持ったリーダーの下でなければ、海賊達は海賊でいることすら難しいのだ。
 これを機会として真っ当な生活に戻りたいと思った元海賊も、決して少なくなかったはずである。
 倍以上にも膨れ上がった船団は、疲労と戦いながらも、来た海をまた返して行くのだった。
 事後処理の量は半端でなく、単に助っ人として参加したはずだったフェレットらまで手伝わされることとなり。
 一行に平穏な時が戻ったのは、アムステルダムに辿り付いてからさらに一月も先のこととなった。
「心配だったけど、またこうして皆とのんびりお酒を飲める時が戻ってきたのね」
 感慨深げに言うアイの隣の席にはフェレット、かおる、そしてリィが居る。
 彼等は今酒場にいて、祝勝会の開始の時を待っていた。
 倫敦を訪れた際にカリタスと待ち合わせた、あの酒場だ。
 居るのは彼等だけでなく、パングやルーファ、エアリーンと言った今回の戦いに参加した面々も全て揃っている。
 店内に入りきらなかった船員達が店の外にまで溢れ、ゴザを敷いて宴会に臨んでいるようだ。
「ちゃんと任務を達成したんだし、きっと凄まじい額の報償金が支払われたんでしょうねぇ……。あのウルフガングは賞金首だったんだし」
「まだカリタスさんに詳しく訊いてないからわからないけど、噂では城がニ、三個買えるくらいの額だったって話よ」
 パングとエアリーンのそんな会話が聞こえ、フェレットらの頭の中には一瞬にして妄想が広がる。
「よーし、前代未聞、フォスベリーを黄金船に改造してしまうか」
「その金を使って”北海の餓狼”の名をこの海に轟かせてみるか」
「各地の銘酒を、船数個分くらい買い漁るのも良いわ」
 欲望のままに言葉を吐く三人を見て、リィはこっそりとため息をつくのだった。
 男二人はそれに気付かないが、アイだけがリアクションを返してくれる。
「ふふふ……冗談よ。ちょっと私にね、提案があるのよ」
「提案?」
 きょとんとして訊ね返すリィ。
「まあ、また後で話すとするわ。今日くらいは今後のことを考えないで、倒れるくらい飲まないとね」
 いつものことじゃないか、と男二人は思った。
 倒れるくらい飲んでも倒れないのだから、見てる分には別に問題はないのだが。
 フェレットにしても、アイの意見に概ね同意している。
「酒場も借り切ってるんだし、僕等がどれだけ飲んでも金はなんとかなるでしょう。城一個分くらいは飲むとしよう」
「そうっすよ! あなた達は恩人なんだし、もうカリタスさんが貰った額の五割分くらいは飲んじゃっても構わないっすよ」
 向かいの席からパングが叫ぶ。
「パング君、お上品にしなさいね」
 ルーファが諭すように言うが、上品になる必要があるのはこの場にいる半数以上だ。
「貰った金を全部飲み食いに回したら、一体俺達どんだけ食えるんだろうかなぁ」
「北海の水量と同じくらいの酒が飲めるんじゃねえの?」
「いっそどっかの女に家一つくらいプレゼントしてやるのも、悪くねぇなあ」
 まだ酒宴は開始されていないというのに、皆酔っ払っているかのような騒ぎぶり。
 お陰で、静かにやってきた主役の登場にも気がつかない。
 カリタスは機敏な動きで席につき、
「えー、諸君。耳を傾けて欲しい」
その声だけで、一同を静まらせた。
 皆、慣れているのだ。
「また詳しく説明するが、今回の報酬は確かに相当なものだった。働いてくれた皆にも相応の額を支払うことを約束する。以前から私と行動を共にしてくれていた者も、今回に限り手伝ってくれた者も……素晴らしい働きをしてくれた。心から感謝する」
 相当な金額か。黄金船には出来ずとも、”フォスベリー”に大幅な改造を施すくらいは出来るだろうな。
 そう思い、フェレットは心の中で小躍りした。
「今日の酒宴に関しても、金に糸目はつけない。それこそ皆の腹がよじれるまで笑い合えるような席になればいいと思っている。だが」
 話はまだもう少し続いた。
「――これだけは聞いてほしい。あのヴァイキングどもに掛けられていた賞金……あれは、かつて奴等に殺された者の家族が必死の思いで国へと託したものなのだ。私達が手にした金は決して、迂闊に使っていいものではない。言わば人々の怒りと哀しみがそこに篭っているのだから。それを考慮した上で、この酒宴に臨んで欲しい。……よし、それでは始めるとしようか」
 先程までの雰囲気と一転、酒宴は慎ましやかに開催された。
 あれ程騒いでいた面々も今は、誰が最初に酒を口にするのか、互いに牽制しあっている。
(あんなこと聞かされた後じゃ、……迂闊なことはやれん。とても……)
 この日の為に帽子からハトを出す手品を研究してきたフェレットだったが、慎ましやかに封印するのだった。
 躊躇いがちに食事するフェレット、元々下戸であるかおるを尻目に、アイは普段と変わらぬ様子で酒を口にしていく。
 彼女は彼女で、心の中では殺された人々の家族にちゃんと敬意を払っているのだろう。
 変に意識し過ぎているフェレットに比べ、彼女の方が大物であることは間違いない。

 酒の魔力というものは人知を超えるほどの効力を持っている。
 落ち付いた飲みになるかと思いきや、酒宴が始まって数分、場には叫び声やらハトやらが飛び交うようになった。
(まあ……今日くらいは構わんか)
 心の中ではニヒルに言葉を連ねるカリタスであったが、表向きの行動はそう言った言葉とは程遠い。
「おおっ!?」
 フェレットの見様見真似で、帽子からハトを放ってみせるのだった。
「さすが。敵にしたくない人だ、やっぱり……!」
 夜は更けていく。
 朝が来て、やがてその次の夜が来た。
 酒場内は惨憺たる光景と化していたが、そこに暗い気持ちは一片もない。
 アイは一日以上も同じ席で飲み続け、フェレットやリィらは一旦宿に戻ってからまたここに戻ってきている。
 かおるは一日以上もそこで寝ていた。
 皆が皆好き放題に飲み続け、自分の意識が外界から隔絶されている人間も多く居るようだ。
「ねぇ、フェレさん」
「……ん」
「良かったです。無事で」
 フェレットとリィの二人も、酒宴が始まってから、面と向かい合ってちゃんと話すのはこれが初であった。
 他愛のない話なら、それこそ腐るほどしていたが。
「これであなたのご希望の、腹上死に一歩近付きましたね」
「……うん」
 まさか他人に聞こえなかっただろうなと、隣にいる人間の顔を覗き込んでみる。
 ”永久機関”の船長は酒気にやられてゾンビのようになっていた。
 彼が今船に乗り込んだなら、誰もが幽霊船と勘違いしそうな程。
 フェレットはほっとして、またリィのほうに視線を戻そうとする……すると。
「フェレさん、貴方かしら? リィちゃんにそんな言葉教えたのは?」
「うわぁっ?」
 逆に顔を覗き込まれて、フェレットはよろけて椅子から転げ落ちた。
 言葉の主はアイであり、彼女が投げかけている視線は冷え切っている。
 アイは何となく察して、リィに小声で正しい意味を教えてあげるのだった。
 フェレットはどうすることも出来ず、椅子から落ちた後、なんとなくその場に立っている。
「え……」
 たった一秒足らずで、リィの顔がまるで照った太陽のように紅くなった。
 何も言葉は言わない。
「ま、まぁ…気にするなよリィ。忘れてしまおう」
 フェレットは再び席につき、リィの肩をぽんと叩いた。
「もしかしたら君の記憶を探す手助けになるかもしれないと思って、わざと言ったんだ」
「意味が分かりません!……全く、銃があったら発砲してましたよ。間違いなく……」
 ははは、とフェレットは笑った。
 何とかして話題を逸らそうと考えながら。
「……でも」
 リィは目の前にあったワインを一口飲んだ。
 彼女は別段酒に強いほうではない。
「本当に良かった、無事で。これでまた、貴方と一緒に航海が出来ます。またあの楽しい日々が始まるんですね……」
 こんな言葉を口にしたら、この想いが届いて伝わってしまうだろうか?
 酔いのせいで、境界線が曖昧になっていることにも気付かない。
「過去の記憶も欲しいけど……今はただ、みんなと一緒に未来を探せることが嬉しいんです。――ありがとう、フェレさん、かおるさん、アイさん。私をここまで連れて来てくれて」
 その言葉をかおるは聞いていない。
 アイには届いていたが、返事をする役はフェレットに譲ってあげた。
「どう致しまして。……航海の途中にさ、他の何よりも綺麗な宝石が落ちていたとしたら、どうする? 当然、拾うだろう。……つまり、そう言うこと。礼を言いたいのはむしろこっちさ」
 一緒に探す未来、か。
 二人のやり取りを聞いていて、アイは思った。
 この先にある未来はきっと明るくて、こんな瞬間がきっとこれからも続いて行くのだと、そう思えた。

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  1. 2005/06/30(木) 16:02:49|
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第七章 Like a child, on the little sheep(中編)

5

 ロンドンの町にてかつての知り合いであるカリタスから受けた依頼は、死地へと赴く依頼であった。
 そうだろうと予想はついていたものの、いざ直面すると腰が引けてしまうもの。
 決断を求められ、フェレットは一人港にて、海に釣り糸を下ろしながら考え事をしていた。
 思考の船舵は行き先に迷って混乱し、やがて暗礁に乗り上げて座礁しそうになる。
 そこに”フォスベリー”の船員の一人、リィが姿を現した。
「どうしてこの場所が分かったんだ?」
「アイさんがきっと此処に居るだろうって」
 リィははにかんだ笑いを浮かべながら言った。
 隣にぺたんと座ると、何をするまでも無くその場からただ海を眺める。
「……どう決断したのか、聞きに来たってとこか」
「だとしたら、なんて答えますか?」
「さあな、迷ってるよ。まだ」
「そうだとは思いました」
 朗らかに笑んだままの彼女を見て、フェレットは僅かに肩を竦めた。
 そして一呼吸を置く。
「リィは怖くないのか。今回の依頼ってのは一歩間違ったら命を落としかねない……間違わなくても運が悪ければ死ぬかもしれない、そんな依頼なんだぜ」
「フェレさんは怖いですか?」
「ああ、怖いよ」
 隠す事無く、本音を口にした。
 彼女はもう、一人の大事な仲間だ。
 本心を隠すことは何の意味も持たない。
「僕自身が死ぬことは別に恐れない。ただ、そうなることによって色々とまだ、成し遂げてないことが出来なくなるのが怖いね。それにみんながいなくなってしまうのも怖い」
「成し遂げてないことって?」
 リィは変わらぬ口調で訊ねた。
 だが、フェレットの顔は戸惑いの色を浮かべる。
 どうして? とリィは訊かなかった。
「僕が航海を始めた理由。それは妹を捜すためなんだ」
 それはフェレットに取って、最も触れたくない話であった。
 或いは此処に居るのが彼女以外であったなら、何とかして話をはぐらかしていただろう。
「うちはイスパニアの中級貴族の出でね。父と母と、あと三つ年下の妹がいたのさ」
 穏やかな風が吹いて、地面の木の葉を舞い上げて散らす。
 それすらも、二人の視線には入ることが無かった。
 リィはただ、言葉の続きを待った。
「まあ、幸せな家庭だったと思うよ。皆仲が良かったしね」
 だが、それは永遠に続く時では無かった。
 幸福は思ったよりも遥かに短い時間で断ち切られ、悲劇が訪れた。
「今から十年も昔の話だ」
 イスパニアの貴族達を集い、船上でパーティーが催されたことがあった。
 考えれば、愚かな話だったと思う。
 フェレットはそう、まるで自身が犯した過ちであるかのように言った。
「フォスベリーよりもさらに大きな船でね。うちも一家も招かれて、僕と妹もパーティーなんてものに初めて出席をしたよ」
 初めて聞く、過去の話。
 それは悲しい響きを帯びていて、リィは口を挟むことが出来なかった。
 彼が自分から話してくれたのだけれど、本心では躊躇しているであろうことが聞いて取れた。
「その船を、海賊達が襲撃したんだ」
 数秒の沈黙の後にフェレットは呟きを口にした。
「厳重だったはずの警備は軽々と突破され、海賊は船上へと乗り込んできた。当然、貴族達は震え上がっちまって誰一人として反抗しようとしなかった。そうした所で殺されることは判ってたからね」
 ただ、僕一人を除いて。
 フェレットはそう独白した。
 彼女が傍に居るのはわかっていて、けれど独り言のように。
「僕はガキだった。海賊をバッタバッタと薙ぎ倒す、そんな英雄に憧れてるガキだったな。……だからほんの一言か二言、奴らを侮蔑するようなことを言った。怖さよりも屈辱感とか、そんなものが先にきてね」
 子供一人に何を言われた所で、海賊はいちいち腹を立てたりはしなかった。
 ただ、傍に居た妹を軽々と掴み上げ……海へと落としたのだ。
「結局、その場にあったものを全て持ち去って海賊は去って行った。犠牲者はたった一人、僕の妹だけさ」
 釣り竿を手にした両手は、その動きを半ば停止させていた。
 竿を放って、フェレットは立ち上がる。
「認めたくないだけなのかもな。僕のせいで妹がいなくなったことを。だから妹を捜すだなんて行って、今でも船旅をしてる……」
 冒険をする事に対する憧れは元々有った。
 その事件を一つのきっかけとして、フェレットは家を飛び出したのだった。
 やがて様々な仲間と出会い、この海がどんなに広大であるかを知った。
 何時しか、この海を行くことが自身に取っての全てとなったのだ。
「きっと妹はもういない。死んでるだろう。そんなこと解ってるが……だけど、確かめることもせずに死ぬのは嫌なんだ」
 しかし自身が今まで”妹を捜す”という目的を陣頭に置いて船旅をして来たかと問われれば、イエスとは言い切れない。
 旅の楽しさを知ると共に目的は段々と色褪せて、やがて見えなくなってしまった。
「それにソフィアの時みたいに……妹の時みたいに、自分の過ちで仲間を失うことが怖くて堪らないのさ。コロの時だって、僕がしっかりしてれば助けてやれたかもしれないのに」
「そんな。フェレさんはやれるだけの事をしたと思います」
「……パング君の言う通りだったかな、こりゃ。北海に来るのはよした方が良いって、そう言ってたよな、あいつは。あの時はえらそうなこと言ったけれど、寸前になってやっぱり怖くなったよ。僕は……」
 心に連なった不安を言葉として吐き出すフェレット。
 リィの声など聞こえていなかったのかもしれない。
 そこまで口にすると、場には沈黙が落ちた。
 たった数秒間だったがフェレットはそれに耐え切れず、再び口を開いた。
「リィは怖くないのか」
 フェレットは先程と同じ台詞を、再び口にした。
「怖いですよ。私も……でも」
「でも?」
「貴方程、私は失うものが無いですから。だから貴方程、死ぬことを怖いと思う理由は無いのかもしれないです」
「そんな事は無い。僕だって君と一緒だ」
「一緒?」
 今度訊ね返したのはリィの方だ。
「何処かで失くしてしまったものを探してる。死んでしまったらそれも出来なくなるだろ? 何よりそれが怖いよ。僕にとってはそれが妹で、君にとっては記憶。それだけの違いさ」
 失くしてしまったもの――フェレットの言葉を、リィは心の中で繰り返した。
「……正直、君にはあんまり戦いに関わって欲しく無かった。そう思ってたけどでも、実際に戦いになったらなったで、君はちゃんとこなせそうな気もするんだよな」
「そう……ですか?」
「君もなんとなく、解ってるんじゃないのか?」
 確かに、フェレットの言葉の意味は解らなくはなかった。
 もし海賊に襲われた際の護身の為にと、剣を手渡された時も。
 銃を手にした時もそうだった。
 頭から記憶は全て消え去っているはずなのに、その感触には確かな覚えが有ったのだ。
「僕は直接見られなかったけど、銃の腕がとんでもなかったってかおるさんが言ってたよ。あの人が言う位だから相当のものなんだろう」
 剣に関しても、間違い無く初めて武器を手にした者の力ではなかった。
「案外、僕よりも荒れ事に慣れてるのかもしれないな」
「でも……コロ君の時は、貴方の方がずっとちゃんとしてました」
「伊達に何年も船長をやってないからね」
 ははは、とフェレットは乾いた笑いを浮かべた。
「記憶はまだ戻る気配が無いのか?」
「ええ……でも」
 リィはぽつりと言った。
「自分が思ったよりか弱くない事が知れちゃって、複雑な気分です」
 そして笑った。
 フェレットも笑う。
「それでもアイさんよりはか弱いさ。君はそんなに酒が強くないからな」
 そんなことを付け加える。
 海の方を眺めたままだったフェレットは町の方へと振り向き、そしてゆっくりと歩き出した。
「そろそろ行こうか」
「……心積もりは決まったのですか?」
「とりあえず引き受ける事にした」
 その声にはまだ迷いがあるようにも思えたが……考えてみれば普段からこんなものか。
「良いんですか? 悩んでたのに、そんな簡単に決めちゃって」
 さっきまであんなに悩んでたのに、とリィは心の中だけで続けた。
「ずっと君を見てたら、ウジウジ悩んでるのがみっともなく思えてきたもんでね」
 ”ずっと君を見てたら”――言葉の意味を大袈裟に受け取り、リィは慌てて俯いた。
 幸か不幸か、フェレットは視線をこちらに向けてはいない。
 口調も平然としたものだった。
「君だけじゃない。かおるさんもアイさんも、悩み事があってもそれを自分で乗り越えることが出来る人達だからね。一緒にいると、たまに自分が恥ずかしくなるよ。パング君には『僕等は弱くない』だなんて言ったけどさ。本当はかおるさん達程、僕は強くないんじゃないかってしょっちゅう思わされる」
「そんなこと……」
「ま、今回に関しては自分で乗り越えたって事だよ。さあ行こうぜ」
「あ、はい!」
 いささかそそっかしい動作で、リィはフェレットのことを追った。

6

 翌日。
 ロンドンの港には幾多もの船が停泊していたが、一際目立つ、理路整然とした船団がある。
 フェレットらの一行とカリタスはそれをただ眺めていた。
「これが今の所の私達の戦力だな」
 カリタスはそう言い、一つ一つ船の名前と性能を説明した。
 自分達の命に関わることだ。こればかりは適当に済ますことは出来ない。
「よく整ってる」
 かおるはそう一言だが、珍しく誉め言葉を口にする。
「短期間で揃えられるものではないですね。私達の力なんて必要ない程、立派な船団だと思いますわ」
 かおるの言葉を咀嚼して、アイもまた賛辞を呈した。
「だが、これでもまだ足りんのだよ。何せ人の命が掛かってるんだ、これだけ有れば十分なんて境界は無いよ」
「確かに……」
 フェレットも慎重に頷く。
「だからこそ、君達が手伝ってくれるのは本当に助かる。君達がマスターピースになってくれることを信じてるよ」
「ジョーカーにならないと良いんですがね……」
 フェレットは引きつった笑いを浮かべながら言った。
 幾ら海戦が初では無いと言っても、その顔にある緊張の色は隠せないようだ。
「私は一度アムステルダムに行かなきゃならない。皆で行く必要は無いから、私が戻ってくるまでの間、この町で待ってて貰えるかな」
「はい」
 一行、またそれぞれに返事する。
「と言っても君達は私が呼び寄せた客人だからね。呼び出しておいて、あまり粗雑な待遇をするわけにもいかない」
「いや、そんなことは……」
「だから私が留守の間、君達の付き添い人をする人物を用意させてもらった。詳しい作戦の説明もまだだから、その辺りも彼女にお願いしようと思ってる」
 その丁寧な応対にフェレットらは感嘆の声を上げた。
 普段船上では礼儀作法とは無縁なだけに、喜びもひとしおと言うもの。
「間も無くここに来るはずなんだが……ああ、来た来た」
 カリタスの視線の先から、一人の女性がゆったりとした動作で歩いて来た。
「貴方達がカリタスさんが連れて来た御一行様ですね。私はルーファと言います。宜しくお願いします」
 ルーファと名乗ったその女性は優雅な動作で一礼をした。
 御辞儀を返すフェレットの目は無意識に輝いている。
「こちらこそ……君みたいな女性が傍にいてくれるとあれば、たとえ火の中水の中、敵船の中ってとこだよ。任せて下さい」
 つらつらと口にされた言葉を聞いて、リィとアイは揃って溜息を浮かべた。
 が、返ってきた反応はさらに斜め上を行く。
「そう言うことは実際に敵船に斬り込んで、せめて十人は殺ってから口にして欲しいわね」
 え? とフェレットは思わず声を吐いた。
 正面から突風を浴びたかのように、顔面がひしゃげている。
 一体誰の口から吐かれた言葉なのだ? とアイでさえも目を丸くしていた。
 ルーファはにこりとしてその場に立っている。
 今の言葉が彼女の口から吐かれたものだと、誰もが信じられなかった。
 フェレットは当然のように絶句している。
「貴方達には期待しています。その分、やることはちゃんとやって貰うわ」
「ま、当然の話だな」
 ルーファの声に堂々とした態度でかおるが返事をした。
(そうですよね。みんなの命が掛かっているのにふざけたことを言う、フェレさんのがおかしいですもんね)
 リィもまた、心の中でだけそんな言葉を口にするのだった。
「ハハ、まぁ、仲良くやってくれよ。それじゃ私は出かけるから」
 一行の視線が向くのすら待たず、カリタスは逃げるようにしてその場から去って行った。
「さて、それじゃ私達も行くとするかしら。貴方達には色々と話すことが有りますから」
 口にして、ルーファはにこりとする。
 フェレットも釣られて笑みを返したが、彼女の微笑みに毒々しいものを感じずにはいられなかった。
 自業自得だとは、知りつつも。

 ロンドンの港に停泊している三隻の船の元に一行はやって来た。
 最初は宿に行く気でいたのだが、ルーファがこちらの船を見たいと言い出したからだ。
「成る程、よく手入れされてる」
 フォスベリーに乗り込み、内部をじっくりと見回しながらルーファは言った。
「そりゃ、僕がいつもちゃんとしてるから」
「私達に協力したら、綺麗な船が散々なことになるかもしれないけど、いいかしら?」
 ルーファは表情一つ変えずに口にするのだった。
 彼女の年齢は見たところ自分よりも三、四つ若い。
 対等の立場で話されていることに違和感を覚えたが、この場は封じ込めることにする。
「……出来るだけ綺麗なまま保つよう努力はするよ。やれるだけのことはやらせてもらうけど」
「うん。でも、やるからには一つだけ従って欲しい作戦が有るのよね」
「それも構わないよ」
「けど、従ってもらうってことは同時に、この船の形を少し変えることになるの。それでもいい?」
「へ?」
 フェレットだけでなく、残る二船の船長達までもが顔色を曇らせる。
「それは一体どう言う……」
「ちょっとね……あるモノを付けて頂くの。そうしないと作戦が成り立たなくてね」
「あるモノって……」
 フェレットは呟くように口にしたが、
「あっ、あー! 分かった!」
 途中で突如として大きく声を上げた。
「フェレさん、分かったって何が?」
 アイはきょとんとして声を掛けたが、彼のその表情の崩れっぷりに思わず怪訝な顔をする。
 とてつもなく嫌な予感がする。
 フェレットはあからさまにそんな顔をしていた。
「あら、もう分かったの。さすが、鋭いわね」
 対するルーファもまたあからさまに意地悪な笑みを浮かべている。
「そりゃあね。気にはなってたから……なんであの時、わざわざあんなことを言ったのかね。……一応、予め言っとくけどさ」
「何かしら?」
「これから僕等が挑むクエストで、死人が出るかもしれないってこと位は解ってるけど……。でも、無駄死にする気は全く無いからね」
 無駄死にどころか、如何なる事情が有ろうとも自分だけは生き残る気でいるフェレットであった。
 死してでも何かを守ろうとするなんて、馬鹿なことだ。
 命の尊さは万物に勝るもの……少なくとも自分と、身近な人間のそれは、全てに優先して守らなければならない宝物だ。
 それが彼の持論であり、信念であった。
「カルさんが、わざわざ呼び寄せた友人に無駄死にをさせるような人間なら、私だって今ここにいないわ。それは君の方がよく知ってるんじゃないかしら?」
「それは確かに……」
 フェレットは少し虚ろな表情になって、その視線を宙に泳がせた。
「しかし……どうも……アレを船に付けるのは。……ほら、景観とか色々あるし……」
 いきなり独り言のようにぶつぶつと漏らし出したフェレットを見て、一行は益々訳がわからなくなる。
 ただ一人アイだけは、彼の言葉の意味を何となく理解したようだ。
 かおるもかおるで、本当は早々に気付いていたのかもしれない――単に言葉と表情に表れていないだけのことで。
「よくお解りなのね。それじゃ、早速行くとしましょうか」
 フェレットが悩んでいるその様子がおかしいのか、ルーファは含み笑いを浮かべながら言った。
「行くって、何処へですか?」
 未だに全く理解っていないリィが訊ねる。
「付いて来れば解るわ」
 ルーファはそれだけしか言わなかった。
 それなのに次の瞬間、リィ以外の面々は皆ルーファと足取りを同じにして、同じ方向へと歩き出すのだった。
 リィとしても彼らに付いて行くことしか思い浮かばず、不安げな様子を足元に滲ませながら、後を追った。

 そして、到着した場所は造船所。

7

 フォスベリー、永久機関、そしてシャルトリューズ。
 三隻の船はこのミッションの間だけカリタスの指揮下に入ることとなり。
 一つの”戦力”を持った船団は、北海をまた北へ行く。
 敵の戦力は未だはっきりしてはいないが、カリタス曰く間違い無くこちらより上であるとのこと。
 元々目的は敵の殲滅ではなく、ただ任務を遂行する為だけなら、必ずしも戦力を用意する必要はない。
 だが理想とする所はまた違う。
 そしてそのカリタスの理想を実現させるべく、フェレットやかおる達は今、ここにいる。
 それが彼らに取って本意なのかはわからないが、結果としてそうなった。
 途中幾つかの街により補給をしながら陸に沿って航行をし、目指す目的地もやがて近付いてきた。
 海賊達が人質交換に選んだその場所とは――スカンジナビア半島より東の内海、バルト海に浮かぶ”神の島”の周辺の海域。
「そんなご大層な名前を付けられた島があの辺りになったなんてね。僕も知らなかったな」
 フェレットは”フォスベリー”から遥か先の海を眺めている。
神の島はまだまだ視界には入ってこない。
「私もです。そんな名前がついてるなんて、不思議というか……ロマンチックですね」
 リィは至って真面目な表情で口にした。
 それが逆におかしくて、フェレットはぷっと吹き出して、あははと笑った。
「ロマンチックかい? 神の島が? まあそりゃ、今まで僕らが辿ってきた砂漠やらに比べればよっぽどロマンチックかもしれないけどさ!」
「ちょっと、笑わないで下さい!」
「まぁもし、無事に帰ってこれたら観光にでも行くとしようよ」
 真面目になったり怒ったりと忙しいリィだったが、その表情をほんの少し沈ませるのだった。
 彼女をそうさせたのはフェレットの言葉だ。
「どうした?」
「無事に帰ってこれたら、なんて言わないで下さい。そう言うのって普通、物語の最後のほうで口にされる言葉でしょう?」
「リィ……」
 殆ど意識せずに口にした言葉だった。
 それなのに、彼女がこんなに真剣になるなんて。
 フェレットは面食らった後、真面目な表情に戻る。
「私まだ、フェレさんと出会ってから半年と経ってないんですから。まだ記憶も取り戻してないし……まだ何も、全部これからなんです。だから……必ず無事に帰ってきましょう。帰って来てそれで、神の島を見に行きましょうよ」
 船長達と出会ってから、でなく、船長と出会ってから、か?
 他の船員は話を聞いていてそう思った。
 そこには暗い感情は一片すらもない。
 ただ微笑ましいと感じながら話を聞いていた。
「ああ、約束するよ。必ず帰るってね。僕は誰かに殺されるのと溺死だけはしないって決めてるんだ」
「贅沢ですね。じゃあ、どんな死に方なら良いって……?」
 リィは少し嫌な予感がしつつも一応訊ねてみた。
「チーズケーキを食べ過ぎて死ぬのが良いかな」
 そんな答えを口にしたフェレットだったが、こちらに向いている視線が少しだけ冷たくなったのを器用に感じ取って。
「いや、食べ過ぎってのも結構辛いもんだからな、アレで……。そうだな、じゃあちょっとまともに答えさせてもらおう」
 最初からまともに答えれば、とリィの目は言っている。
 しかし悪戯好きなフェレットのこと。
 またも一言、妙な言葉を口にした。
 今度はリィ以外の全船員の視線が冷たくなる。
 いっそ海中に沈んだ方がまだ暖かいだろうと思う程の、冷気を湛えた視線が八方から注がれている。
「ふく? ふくじょうし? ってなんですか?」
 無垢な様子で口にするリィを見て、フェレットは自分がとてつもない犯罪を犯しているような気分になった。
「ん……まぁつまり、幸福を味わっている最中に死ぬってことさ。素晴らしいことだと思わないか?」
「それをふくじょうしって言うんですか……?」
「ああ。つまりはね」
 フェレットは間髪を入れずに断言した。
「さて、そろそろかな。ちゃんと準備しとかないとね」
 視線を再び海に向け、会話はもう終わった、と言わんばかりにそちらのほうだけを見ている。
 賢明な判断だ、と船員達は思ったことだろう。
(リィの言う事も一理あるな)
 何もかも、全てはこれから、か。
 それは彼女だけじゃない。僕だってそうなのだ。
 この海に、海の先に在る世界に、残してきたものは限りなくある。
 その中でも幾つか……放って置いてはいけないものを捨て置いて、自分は今ここに居る。
(……っても、気を抜いたら皆殺しにされかねないからな。僕らがやることは作戦をちゃんとこなすこと。それだけだ)
 そして運が味方をしてくれたなら、きっと誰もが無事で帰ってくることが出来る。
 何事を行うにも、間違い無く運の要素は関わってくる。
 その点に関しては、フェレットを始めとする船団の面々は皆多少の自信を持っているのだった。

 同時刻。
 カリタスの駆る船”オールド・ブラック・マジック”でもまた、戦場に赴く者達の会話が繰り広げられている。
 ”嵐の前の静けさ”――そんな言葉を誰もが思い浮かべるほど、風は 不気味なまでに穏やかだった。
「よう、ルーファ。心配で様子を見に来たのか?」
「当然です。貴方が失敗したら私の命も無くなるんですから」
「まぁね」
 カリタスはその表情に静かな笑みを湛えた。
「で、どうなのです? 勝算はあるんですか?」
「皆の働きに掛かってるね」
 無難な答えだ、とルーファは思った。
 カリタスというこの青年は、例えば南からやって来た誰か達のように、こう言った場でウィットに富んだ発言をしたりはしない。
 出来ないのではなく、しないのだ。必要であればするだろう。
「作戦を立てたのは私だが、皆がどれだけの尽力をしてくれるかによって勝敗は変わる。完勝もするし、完敗してもおかしくはない」
 カリタスは華麗な動作で鞘から小剣を抜き取り、そして正面、海の先へと翳してみせた。
「皆、聞いてくれ。私達の目指す場所はもう目と鼻の先、あと一日も航海すれば辿り付くだろう。そしてこの航路こそが、我等に取ってそのまま栄達の道となる」
 その声は大きいが粗野ではなく、玲瓏な響きをもって各船まで届いた。
「敵は北海にその名を轟かせる海賊達だ。だが、諸君らの働きを持ってすれば打ち破ることは決して不可能ではない。そう理解しているからこそ、皆もまたここにいるのだと信じている。加えて今回は、わざわざ南方から呼び寄せた強力な援軍も我等についている。こちらに負ける要因はただ一つとして無いのだ」
 翳した剣を収め、カリタスは背後へと振り返った。
 そこには彼のほうへと視線を集中させる海の戦士達の姿がある。
 彼らは一人として恐怖に恐れおののいてなどいない。
 瞳に宿る光はただ一つ、未来への希望だけを湛えている。
「良いか! 敵の数は多いが、その気勢に呑まれるなよ! 士気で負けなければ、質では間違い無くこちらが上だ! 諸君の健闘を期待しているぞ!」
 そのカリタスの声に、大きな歓声が津波と化して返って行く。
 それは繰り返し繰り返し湧き起こり、暫く止もうとはしなかった。

「素敵な方ですね。カリタスさんは」
 ”フォスベリー”の船上にて。
 何かに魅入られるようにして、リィはぽそりと呟いた。
「ふうん。君でもそんなこと言うんだな」
 フェレットは茶化すように言ったが、その顔は笑ってはいなかった。
「変ですか?」
「いや、別に」
 フェレット自身もまた、高鳴る気持ちを抑えられずにいたのは確かだ。
 まだ僅かに残っていた恐怖は、カリタスの言葉によって全て興奮と変えられた。
 しかしそれと共に、フェレットはまた別の種の恐ろしさを抱きもした。
(ああ言うことを平然とやれるから凄い)
 畏敬の念と言うべきか。
 かおるとはタイプが違うが、彼もまた一人の傑物であることは間違いない。
 そして敵に回したくない相手だと言うことも。

 それからまた数時間が経ち、船団はいよいよ”神の島”へと迫った。

8

 数十隻の船が、数隻の船を覆うようにして海に浮かんでいる。
 帆、船体と様々な色をしたカリタスらの船団に比べて、相対しているヴァイキング達の船は全て黒一色で統一されていた。
「解り易いが、不気味だな」
 吹き込んで来る風を浴びながら、カリタスは呟いた。
「不気味なのは色だけじゃないですよ」
 背後から響いたのはルーファの声だ。
 本来自身の船を持っている彼女も、今回はカリタスの参謀役として”オールド・ブラック・マジック”に乗り込んでいる。
 そもそも彼女は本来商人であり、元々こう言った荒事は得意な方ではないのだ。
 目的地に到達し、船団には緊張感が漲っている。
「見た感じ、あの黒い船団はこっちよりも数が少ないみたい」
「好都合じゃないか、こちらとしちゃ」
「……本当にあれが総勢なら良いのですが。けど相手はかの有名なあのウルフガングですからね」
 ルーファは呼吸を整えた。
 至って平然としているカリタスを見て、僅かに苛立ちを覚えもする。
 残虐として知られる海賊、ウルフガング。
 北海に轟き渡っているその威名が仮初めのものとは、とても思えない。
「何、もしかしたら噂だけが先走り過ぎたのかもしれん」
 平然としているだけではない。
 彼はさも楽しそうにこの状況を目にしている……ようにも見えた。
「我々を侮り、必要最低限の戦力だけを率いてきたのかもしれん。奴等は元々さらに北、リガの周辺を根城にしているらしいからな。我等のような名も知れない船団に、本腰を入れるまでも無いという事か」
「本当にそう思ってるのですか?」
「さあな」
 カリタスはふふ、と笑った。
 ルーファの不安は消えず、その眼差しが少しだけ冷たいものに変わる。
 冗談も程々にせねば、と、カリタスの瞳は底光りをした。
「世の中には様々な人間がいる。名声を得ることが出来る人間というのは特別な何かを持っているものだ。ウルフガングもここまで北海の人間に恐れられているんだ。きっとそれなりの物を持っているに違いない」
 整えられた髪を後ろに払った。芝居じみた動作だが、それが様になる。
「名声を得たその後が問題なのさ。自身の名声に奢れることなく進んで行ける者もいれば、名声の上に乗っかって何も出来なくなる者もいる。奴らはきっと後者だった」
「どこでそう判断を?」
 ルーファの怪訝な声。
「だったら良いと思っただけ……だな、現時点では。だが」
「だが?」
「運はきっと我々に味方しているさ。そう信じているよ」
 信じていると言うことだけでは根拠とはならない。
 ルーファはそう思った。
 だが、運もまた勝敗を決する一つの要素であることに間違いはない。
 カリタスもそう理解している上で口にしたのだろう。
 そしてそれ以上言葉を続けはしなかった。
 最上の戦術の上に運が加われば負けは無いのだと、確信して。
 見た限りでは船の数はこちらのほうが多いものの、敵船は何れもピンネース級の戦艦隊。
 戦闘用に改造されたピンネースに囲まれるようにして、中央には二隻の大型キャラック船がある。
「片方がウルフガングの旗艦、もう片方は……」
「ウルフガングの右腕と呼ばれている、グスターヴァスの船ですね」
 ルーファがカリタスに言葉を重ねる。
「かつて”フィヨルドの飢狼”と称される海賊団の首領であった男だな」
 北方を拠点とする海賊団のボスであったが、破格の待遇で迎えられてウルフガングの下についたとの噂だ。
 そしてウルフガングの下で名を上げ、今では”北海の飢狼”と呼ばれるようになった。
 現在まで彼に傷を負わせた者は一人としていないと噂される、白兵戦の鬼。
「む?」
 敵艦隊の陣形が割れ、一隻のピンネースがこちらへと飛び出してきた。
 徐々にこちらへと近付いてくるその船には、きっと人質が乗せられているのだろう。
 元々そう言う手はずとして、こちらも指令を受けている。
 大型キャラック船には武装がされておらず、戦闘の意思がないことを示していた。
 やがて船は”オールド・ブラック・マジック”の寸前まで迫る。
「お前等がアムステルダムからの使者か?」
 ピンネースから、荒々しい声が響いてきた。
 とても使者の応対とは思えないな、とカリタスは感想を小さく漏らす。
「手はず通り、お前等が用意してきた金品をこちらに寄越せ! それを確認した上で人質を返してやる!」
「人質が先だ!」
 一転して、カリタスは大きな声で返事をした。
「騙し討ちで名を挙げた海賊の言うことを素直には聞けん! 先に人質を渡してくれれば約束通り金品は渡す!」
 カリタスのその声を聞き、使者はあからさまに機嫌を悪くした。
 だが、カリタスの言葉は紛れもない真実だ。
 そのやり取りをはらはらしながら眺めているのはフェレットらもまた同じであった。
(中々肝が据わっているようね、あの人は。これだけの船団を率いているんだから、当然か)
 ”シャルトリューズ”の艦長、アイはそんな感想を抱いていた。
 彼女はフェレットやかおるらに比べて戦闘が得意ではなく……と言うより戦闘行為そのものを好んでおらず、自ら願い出て後陣に配置されていた。
「良いだろう! お前等の願い聞き入れてやる! だが、そんなことを言うからにはお前等は約束を守るんだろうなぁ?」
「言われるまでもない!」
 カリタスは絶えず強気な返事をしていたが、当然ながらルーファは浮かぬ顔になっている。
(今あそこに来てるのは下っ端だわ。幾ら腹を立てても、あいつには人質を殺す権限など持ってない……って事かしら? にしても)
 よくここまで言えるものだ、とルーファは感じていた。
 彼女だけじゃない、別の船の上から会話を聞いている人間達もまた、同様に思っていることだろう。

「フェレさん。あのピンネースから、人質が連れ出されているようですね」
 緊張した面持ちでリィは言った。
「ああ。僕等の出番ももう直ぐってことだ。みんな覚悟しておけ」
 ”フォスベリー”にも何時もの様な和やかな空気はない。
 フェレットを始めとして皆、駆け引きの様子にだけ気を取られている。
「怖いか? リィ」
 フェレットはぽそりと口にした。
「いえ、平気です」
 返ってきた返事は少し予想の外をいくものだった。
「見た感じもあまりいつもと変わってない……怖がってないように見えたが、本当にそう言い切るとはね」
 恐れ入った、とフェレットは天を仰いだ。
「……それに、君は相当プレッシャーがかかる役所だと思うけど」
「はは……よく分からないです。怖いと感じる余裕さえ、無くなっちゃってるのかも。フェレさんは?」
「よく分からないな、僕も。まあ何とかなるかなって思ってる。この間は散々ごねたクセに、変な話だな」
 今から数十分後にこの船の面々が皆屍に変わっている…そんな光景は想像出来ない。
(悪名高いウルフガングに、北海の何たらが僕等の敵か。だが)
 その二人を持ってしても、こちらの陣容に比べれば劣る。
 彼の心にはそんな確信があった。
 カリタスもそうだが、もう一人――長くを共にして来ている仲間。
(あの人がいる限り、なんか負けなさそうなんだよなあ)
 何故そう思うのか、自分でもよく解らないところがある。
 単純に雰囲気の問題か? それもあるだろうが。
「”オールド・ブラック・マジック”から、金品が運び出されてます。もう直ぐですね」
 リィが言う。
 取引の終了、それは即ち作戦の開始を表す。
「焦るなよ、みんな。……作戦開始まで後数分、町に帰り付いてから食べる旨いものの事でも考えておくんだ。そしたらいざと言う時に力が出せるようになる。帰ってアレを食べるまでは死ねるか、ってそう思えるようになる」
「さすが船長、良いこと言いやすぜ。そうだなぁ、俺は……アムステルダムのあの、肉や野菜をふんだんに使った素朴な味が恋しいなぁ」
「帰り道、ハンブルグでビールをたらふく飲むとしやしょうぜ」
「何言ってやがんだ、ビールよりソーセージが先に決まってんだろうが! 最初に一噛みした時のあの熱い汁が迸る感触と言ったら……」
「馬鹿、ビールがあるからそのつけあわせとしてソーセージが生きるんだ! ただソーセージだけなんて女に振られた四十過ぎの男みたいなもんよ」
「馬鹿はどっちだ! ビールこそ、ソーセージを美味しく食べる為のおまけみたいなもんだろう!……こうなったら、ハンブルグに行ったら勝負するか? どっちが旨いか、どちらの為にもう片方が存在してんのかをな」
「良いだろう。ビールの勝利は揺らがんだろうがな」
 やり取りを聞いていた他の船員が声を出して笑い転げる。
 一瞬で和やかなムードへと変わる”フォスベリー”の船上。
「君ら、せめてもう少し今の状況に集中しとけよ……」
 さすがのフェレットも苦い表情をしてそう言うのだった。
 苦い表情をした後、誰の目にも止まらないようにして、ふっと優しい表情に戻る。
 たった一度吹きこんで来た柔らかな空気は、今ここに在るものがどれだけ大事なのかを改めて実感させるのだった。
「リィ。あのさ」
「はい?」
「……いや、何でもない。頑張ろう、みんなで」
 フェレットが何を言おうとしたのか、考える暇など残されてはいなかった。
 リィも、彼自身にも。

「船長。ピンネースが後退して行きます」
「ふむ。そろそろ始まるな、私達の作戦が」
 漆黒のガレー船”永久機関”のみは、如何なる状況に直面しようとも流れる空気は同じ。
「カルパス船長も中々乙な作戦を立てる。敵が油断した隙に背後から豪華料理を御馳走してやろうとはな」
 ”永久機関”の船長、かおるはニヤリとした。
 その笑みは何かを湛えているようで、剛毅ではなくむしろ胡散臭い。
「なんだっけ。敵のボスの、その右手首って呼ばれてる奴」
かおるに訊ねられ、船員は一瞬考えて口にした。
「えーと……確か、グスターヴァスです。右手首ではなく、右手ですがね。”北海の飢狼”と異名を取る男だと言われています」
「あーそうだ。カッコイイなそれ。私が先に名乗っておけば良かった。”北海の飢狼のかおる”か。」
 あまり格好良くないような、とその船員は思ったが、敢えて無言を貫いた。
「あぁーそうだな。私もなんか、これからは異名を名乗るとするか。何か良いの無いかなぁ」
「あっ船長!」
 突如として船員は声を張り上げた…が、かおるは至って平然と
「良いのあった?」
そう訊ね返した。
 かおる以外の船員は当然血相を変えている。
「”オールド・ブラック・マジック”から狼煙が上がりました! 作戦開始の合図が出ましたよ船長!!」
「ああ。ついに」
 この場においてもかおるは至って冷静。
 その様子を見やり、騒がしくなりかけていた船内もまた静まり返る。
 皆、船長の一声を心待ちにして。
 かおるもその様子を感じ取り、こほんと小さく咳払いをした。
 光る視線はまるで狼の牙のように鋭い!
「……じゃ、”北海の飢えた飢狼”で行こうかな。これからは」
「船長! 合図を!」
「――前進するぞ! ラッシャアアオラァ!!」
 かおるが一瞬拗ねた表情をしたのを、誰もが見逃しはしなかった。

「”フォスベリー”と”永久機関”は前に出た。我等も行くぞ」
 船長カリタスが声を放つと、”オールド・ブラック・マジック”は嘶き前進を始めた。
「アイ、ラトク、それにパング……全て定位置についているな。現時点で問題はない」
 アムステルダムから輸送してきた金品を人質と交換し、金品を積んだピンネースは敵の陣へと戻って行っている。
 その影に隠れるようにして、三隻の船もまた敵陣へと向かって進撃を開始。
 ピンネースの船員達は当然こちらの動向に気が付いているだろう。
 あと少しも進めば、敵の艦隊にも勘付かれるのは間違い無い。
 だが、船は迷うことなくただ前だけを目指す。
 敵の艦隊が徐々に大きくなって来、重圧感を感じ始める。
 まだ敵陣から大砲は飛んでこない。
 ピンネースがブラインドになっているのだろうが、小細工はどうせ通用しない、と侮られているのかもわからない。
「……海賊如きにやりたくもない宝石をくれてやった。だが、本来彼らに似合うのは金品じゃあない」
 金品が載せられたピンネースに、三隻の船が近付いていく。
 元々いつでも攻撃は仕掛けられたのだが、敵陣に近付くまで泳がせていた。
「下準備を丹念にしておいた”仔羊の料理”――謹んで味わい給えよ」
 カリタスは静かに笑んだ。
 蒼く澄んだチェスボードの上で、駒は今、動き出したのだ。



  1. 2005/06/23(木) 05:23:47|
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フェレット(或いはスネばな)

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