航海タイム

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第七章 Like a child, on the little sheep(前編)

1

 海を行き、進む道は全て記憶にはない光景ばかり。
 今まで辿ってきた道もそうであったが、次々に新たな景色に目にするに連れ、リィは自身の記憶が未だ戻る気配がないことを感じさせられることとなった。
 しかし自分は確かに、この辺りを訪れたことがあるはずなのだ……。
 その証拠に、北海の周辺で使われている幾つかの言語は全て、頭の中に知識として残っていた。
 思い出は一つとして残っていないのに、だ。
「全てが新鮮に思えるんなら、それを楽しめばいいさ。悩み事はたくさんあるかもしれないけど、明るく考えられる所は明るく行こうぜ」
 そう明るく言ったのは”フォスベリー”の船長を務める青年、フェレットだった。
 リィはその言葉を素直に受け入れた。
 折角未知の光景を目にしているのだ。 いちいち悩んでいても今は解決しないし、何より悩んでいてる時間が勿体無い。
「やっぱり海が違うと、釣れる魚も違うんですねぇ」
 自身が釣り上げた鮭を細部まで眺めながら、リィは興味深々に呟いた。
 海を行く三隻の船、その三人の船長に船旅の魅力を兼ねてから散々説かれていたのだ。
 そして彼女はそれを今、実際に目で見て感じている。
 フェレットが彼女に説いたのは”釣りの魅力”。
 この海ではこんな魚が釣れるんだよ、ナイル川では嘘みたいな形をした魚がいてさ、とその魅力を自身の妄想も入り混じらせながら説明していた。
 ”シャルトリューズ”の船長であるアイは”各土地ならではの服装の魅力”を伝えた。
 そんな彼女は今、遥か南方の国印度から交易品として流れてきたという一風変わった藍染のドレスを纏っている。
 ちなみに残る一船”永久機関”の船長は”白兵戦の魅力”を必死に説明しようとしていたが、やめてください、と他の二人の船長に一蹴された。
「ギャルも実際にやればわかるよ」
 という台詞が最後に吐かれたがそれさえろくに取り合ってもらえず、結局その話題はもう口にされなかったのだが。
(実際にやれば、か……)
 フェレットは今再び、その時の会話を脳裏に浮かべていた。
 白兵戦の魅力などというものがリィに解るのかは兎も角として、これから先、自分達は戦いに赴くこととなるのは確か。
 彼女を、リィを巻き込むことになってしまう。
 船旅を続けていけば何時かそうなることはわかっていたが、それが目前に迫り、フェレットは悩んでいた。
(ま……それ言っちゃあ、アイさんだって別に戦いが好きな訳じゃあ無いしな……)
「フェレさん?」
(僕だって何も大好きって訳じゃないけど……冒険者だし。けど気付いたら海事の依頼にも割と関わるようになってしまったし、今更……)
「フェレさん、釣れてますよ」
「え? あっ!」
 リィに言われて、フェレットは慌てて竿を引き上げた。
 しかし時は既に遅し、魚は餌だけを持って逃げてしまったようだ。
「ああ……」
 ぼんやりとして、釣り竿のほうを見つめるしかない。
「フェレさんたら、どうしたんですか? ぼっとしちゃって」
「ちょっと考え事をね」
「……あっ、釣れた!」
 フェレットの返事は聞こえたかどうか。
 手応えを感じ、リィは釣り竿を引き上げた。
 そこに引っ掛かっていたのは鮭で、船上でぴちぴちと跳ねている。
「やった、釣れましたよ!」
「凄いな。さっき教えたばかりなのに、これでもう四匹目か。僕より多いぜ」
「多いって、フェレさんまだ一匹も釣れてないでしょう? フェレさんは悩んでたりするから、釣れないんですよ。迷ってたって良いことは無いですよ? もっと眼の前のことに集中しないと」
 にこりと笑みながら、リィはそんなことを言った。
「……そうかもな」
 誰のことを悩んでると思ってるんだ、とフェレットは思ったが、
(眼の前のことに集中、ねえ。ま……折角倫敦まで来たんだし、話を聞かないことには始まらないか。悩んでても無駄ってのもその通りではあるしな)
リィの言う事もわからなくもない、とすぐに思い直した。
 もっとも、彼女は単に釣りに関してのことを言っているのだけれど。
 彼女の言葉に従ってフェレットは釣りだけに専念しようとしたが、彼は意外に神経が細い所がある。
 ついつい余計な事ばかり考えてしまい、結局倫敦に着くまでに魚は一匹として釣れやしなかった。

2

 小雨に覆われた空の下に、倫敦の町は広がっていた。
 人々は霧のような雨にその身を濡らしながらも、気にすることなく町を行く。
 曇り空と小雨が交互に訪れるこの辺りでは、少しの雨に降られても傘をさす人間はあまりいないそうだ。
 アイからそう聞かされて、リィは普段滅多に傘を差そうとしない”永久機関”の船長の顔を思い浮かべるのだった。
 聞いた話ではかおるとアイはイングランドの出身とのこと。
 かおるが傘をささないのは、てっきりまたよくわからない自己流の理屈によるものだろうと勝手に解釈していたが、彼はこの国の風習に従っていただけのことだったのか。
 そうだと素直に信じるのも、危険な気がしないでもない。
 船団をここまで連れて来た張本人である少年、パングは町へ着くと直ぐに、行くところがあるからと言って出かけて行ってしまった。
 おそらく彼の仲間、倫敦まで腕に覚えのある者を連れて来てくれと依頼した張本人の所に行っているのだろう。
 集合の時刻、場所は予め指定されている。
 それまでの間、船団は幾つかに別れて各々の時間を過ごすこととなった。
「うん、よく似合ってるわ。あぁー、でもこっちの色のほうが良いかもしれない!」
 リィとアイの二人は、商店が建ち並ぶ一角にある洋服屋にやって来た。
 フェレットも付いて来たがったが女二人だけで見たいと強引に跳ね除け、かおるは適当にぶらぶらしてくると残して何処かに消えてしまった。
 日の半分を海で過ごす航海者である以前に、二人とも女性である。
 暇と余裕があればそれなりの御洒落をしたくなるのが女としての性というもので、暫くの間、普段とは違ったはしゃぎ方をしながら洋服を眺めていた。
 結局服装そのものはそう変わらなかったが、どうせまたこの辺りに当分滞在することになるのだ。
 何をするにもじっくり決めれば良いと、二人はまた他の様々な店を見て回ることにした。
「ねぇ、アイさん」
 灰色をした町を行きながら、リィはふとアイに訊ねてみる。
「かおるさんもアイさんも、この辺りの出身なんですよね? 昔からの知り合いだったりするんですか?」
 一緒に行動するようになってからもう半年近くが経つが、あまり触れることのなかった話題。
 少し話に登ることはあっても、皆深く訊ねようとすることはなかった。
 過去の記憶が一切無い自分に気を遣ってくれているのだと、リィはそう思っていたが違った。
「別に昔からって訳じゃないの。私が二人と初めて会った時には、もう二人は一緒に行動してたけれど、私はここ数年の付き合いになるわね。それに」
「それに?」
「かおるさんも北海の出だとは言ってるけど、それ以上詳しく教えてくれないからよくわからないのよね」
 アイは苦笑とも取れる笑みを浮かべた。
 話したがらないと言うより、単純にあまり知らないだけだったらしい。
「フェレさんは、何処の出身なんでしょう?」
「あら、まだ本人に訊いてないの?」
 逆に訊ね返された。
 リィはそれに答えることが出来なかったので、また先にアイが口を開く。
「あの人はイスパニア出身だそうよ」
「……それ以上、詳しく教えてくれないんですか?」
「ううん、そうじゃないの。ただ、これ以上は本人から聞いたほうが良いかしらね……リィちゃんになら話してくれると思うけど。ごめんね、曖昧なことばかりで」
「いえ……」
 アイが悪くないことは知っていたが、確かにさっぱり訳がわからない内容ではあった。
 それはあたかも、何もかもを抽象的なものに変えてしまうこの灰色の空のように。
「でも、不思議な話よね。こうやって国籍の違う人間が一緒に旅をしてるなんて」
 また少し歩いた後に、アイはしみじみと言った。
「ちょっと前だったら、考えられなかったことなんでしょうね。今でも決して、イングランドとイスパニアは完全に良好だとは言い切れない関係にあるし……」
 リィはそれをただ頷き、聞いていた。 言葉の意味は、肌では理解は出来る。
 しかし出身国がどこなのかさえ解らない自分には、その言葉の意味を全て介することは出来ないだろう。
 そう思うと、胸の中がじんと焼け付くようになって痛むのだった。
「海があるおかげね」
「海のお陰?」
 その少し不思議な響きをした言葉を、リィは繰り返した。
「そう。私がフェレさんやかおるさんと会ったのも、リィちゃんと出会えたのもね。今こうやって一緒にいられるのも……みんな、この海があるから」
 そこまで言って、アイは一呼吸を置いた。
「……って、どこかの船長の受け売りなんだけどね」
 そして柔らかな笑みを浮かべた。
「それって、私ももしかしてよく知ってる人ですか?」
「ええ、よく知ってるでしょうねぇ」
 もしもこの世界に海が無かったなら、国と国を隔てるのはただ大地だけ。
 だとしたらきっと、世界は今よりももっと単純なものだったに違いない。
 その船長は確かそんな風に、言葉を続けたのだ。
 リィは一人の人間の声と顔を同時に思い浮かべた。
 海が大地と大地を隔てて、この世界に幾つもの”未知”を残しておいてくれていたのだと。
「――何より海のない光景なんて、よく似た数色だけで塗りつぶされたパレットみたいでつまらないからね」
「ああっ、それも言ってました!」
 アイは僅かに口調を似せてみせ、リィは声を出して笑った。
 たったさっき感じた憂鬱はもう吹き飛んでしまっている。
 そんな会話が交わされていたのは、町の交易所の前にいる時のことで。
「あれ、二人ともどうしてここに来てるんだ? 服はもう選び終わったの?」
 偶然同じ場所に来ていた”フォスベリー”の船長の姿を見かけるなり、
「な……なんだ?」
リィとアイの二人は顔を見合わせて、さもおかしそうにくすくすと笑うのだった。
 勿論、笑われて笑われている本人がむすっとしているのなどお構い無しに。

3

 翌日。 目を覚まして早々に、一行はパングが指定した待ち合わせの場所を訪れた。
「ここを待ち合わせの場所に選ぶとは、さすがうちの姐さんの性質をよく理解してる」
 かおるの言葉を受け、むすっとしたのはやっぱりアイだ。
 つまり彼らが現在居る場所は酒場。
 待ち合わせの相手はまだ現れていない。
「なんか、緊張しますね……」
「そう?」
 リィの言葉に、フェレットは無機質な声を返した。
 見ると、フェレットもかおるも仏頂面をしてテーブルについているだけだ。
 かおるのそれは普段通りで、フェレットはつまりそれが緊張の証なのだと、リィは勝手に解釈する。
 アイは特にいつもと変化は無いが、場の空気を察して言葉少なにしていた。
 さすがに朝から酒場に浸っている客はいないようで、只一人の地面に寝ている酔っ払いを除けばほぼ無人。
 場は静かだ。 それがまたさらに場の緊張を増長させていた。
(もし、鬼みたいな人が現れたらどうしよう。嘘をついたことがばれたらどうしようか。予め適当な言い訳を考えて、みんなにも伝えておくべきか……でもそれがもしバレたら、それこそ只じゃ済まない気もする)
 表立って緊張しているのはリィだけで、本当に心から緊張しているのはフェレットだけであったが。
 やがて、がちゃりと音がしてドアが開かれた。
 現れたのは、一人の柔らかい雰囲気を持った女性であった。
(騙されんぞ)
 フェレットは持って歯をぎゅうと食い縛った。
 その女性はただの客で、きっとそれとは別に鬼の顔をした人が来るのだ。
 或いは人の顔をした鬼かもしれない。
 女性のほうを見向きもせず、フェレットは再びドアのほうへと視線を送った。
 瞬間、再びドアが開かれる!
 乱暴に開かれたそこから現れたのは、四角い顔面に無数の傷をつけた、正しくフェレットのイメージ通りの大男。
(こっ……)
「コロサレル!」
 フェレットの心の声を実際に口にしたのは何故かかおるであった。
 残る三人は心臓が飛び出そうな程の衝撃を受け、彼の方を一斉に向く。
「口が滑った」
(滑り過ぎだろ!)
 あっけらかんと言うかおるとは対照的にとにかく一行は焦った……が、幸いその鬼のような顔をした男には聞こえていないようであった。
「って言うか今、スペイン語で言ったしね」
 と、かおるは今度は英語で口にした。
「……あ」
 三人は顔を見合わせた。
 さっきまでは英語で会話していたのに、今の部分だけスペイン語で発言してみせたのだ。
 この辺りで主に使われている言語は当然、英語。
 あの大男には声は届いても、意味は理解出来なかっただろう。
 そしてフェレット達は緊張のあまり、かおるの細かな悪戯にまんまと乗せられた。
「……って、なんてタチの悪い」
 さしものアイでさえも呆れ顔になるしかない。
 結局、意を決してカウンターで酒を飲んでいるさっきの男に話し掛ける事となった。
 フェレットがゆらりゆらりと、背後から忍び寄って行く。
「あのぉ」
「わっ!」
 そのさらに背後から声を掛けられて、フェレットは思わず飛びのいた。
 てっきりまたかおるの仕業かと思ったが、振り向いた先にいたのは先程の女性であった。
 自分より少し年上、アイさんとは少し違った和やかさを持った人だ。
 フェレットは一瞬見ただけでそう特徴を判断した。
「ちょっと、人を探してるんですけど」
「ああ、人? どんなです?」
「ええと、四人いてー……」
 女性はそこで言葉を区切った。
 次に話す事を頭の中で纏めているらしい。
「一人は普通に可愛い女の子なんだけど、後の三人が……えーと確か、一人はちょっとナルシストが入った男の人と、もう一人はよくわからなくて胡散臭い変人、それであと一人は清楚な女の人に一見見えるけど、その実航海に出る際にはいつも、水の代わりに御酒を積み込むようなワイルドな人なんですって。この時間に待ち合わせをしてるんだけど、遅れちゃって……」
 流水のように滑らかな声を受け。
 フェレットはその流れに乗るようにして奥のテーブルを見やった。
 そうすると、見慣れた顔の大男と視線が合った。
 成る程、確かに胡散臭い。
「あ、貴方達のことじゃないんです。貴方達はもっとまともな感じに見えるから、今の特徴とは似ても似つかないもの……」
 しかしそこで、絶妙のタイミングをしてドアが開かれるのだった。
 現れた少年は、こちらを向くなりあっと声を上げる。
「エアリーンさん、その人達っすよ。自分がリスボンから連れて来たのって」
「えっそうなの?」
「オイっお前! 何て言い草だよ!」
 思わずパングに向かって、総出で突っ込みを入れる一行であった。
 さらにそこに一人の男が、欠伸をしながら現れた。
 だがフェレット達は彼の姿に気付くはずもない。
「やあ、来たようだな。フェレさん、かおるさん」
 その声を聞いて、彼らは初めて振り返り――そしてフェレットとかおるの二人は、大きく目を見開いた。
「あっ、もしかして……!」
 フェレットが口を開いたままで言う。
「ナルタスさんじゃないか」
 言葉を紡いだのはまた、かおるだった……しかも大分間違えて。
 かおるが指差している青年の姿は、辺りにいる町人のものとは一線を画していた。
 纏う服は金色にも似た黄色だが、決して派手にはならず、それどころか上品な香りさえ醸し出している。
「カリタスだよ。相変わらずだな」
 動じる事無く、ロンドン中心を流れるテムズ川の如く速やかに受け流し、男は名乗った。
”この人は一味違う。できる。”
 アイとリィ、二人の女性にそんな印象を抱かせるには十分な程の、紳士的で優雅な動作であった。

4

 三人は、再会を祝う祝杯を交わした。
 話を聞くよりもまず、何よりも喜ぶべきことを優先して。
 カリタスが店主に声を添えると、料理人自慢の肉料理や魚料理やとっておきのワインがふるまわれた。
「カリタスさん……フェレットさん達と知り合いだったんすねえ。昨日話した時は全然そんな素振りを見せなかったのに」
「どうせだから驚かそうと思ってな」
 カリタスは悪戯っぽく笑った。
 そして、かつての戦友二人へと視線を送る。
「紹介が遅れて悪かったね。最近、私はこの二人と行動を共にしているんだ」
 口にして、隣の席に座る二人を順に紹介する。
「改めて、私はエアリーンって言います。よろしく御願いします」
 ぺこりと御辞儀をされて、フェレット達も慌てて御辞儀を返す。
「パングっす」
 そう続いたが、こちらには別に御辞儀は返さない。
 まだ、さっきのことを根に持っている一行であった。
「本当は他にも仲間がいるんだが、いきなり皆で押し掛けるのも何だからな。今日は遠慮してもらった」
「……そうか。僕等を北海まで呼び寄せたのはカリタスさんだったんですね」
「ああ。君達だとわかっていたら、こちらから迎えに行っていた所だったんだが。急を要す用事だったので、確かめる時間が無かったんだ」
「それは構わないですけど、一体何があったんですか?」
 フェレットは早々に訊ねた。
「そうだな……何から話すか」
 カリタスは優雅な仕草でワインのグラスを手に取り、少し口にした。
「今、リューベックの東にヴァイキングが群れを為しているのは知っているか?」
 リューベック――ここから遥か東に位置するドイツ領の町だ。
「いや、あの辺りに海賊が多かったのは元々の事だったんだが。少し事情が変わってね」
 カリタスの表情が、微かに変わる。
 酒を口にしながらも真剣な眼差しをする。
「アムステルダムの貴族のご子息が、オスロへと航海をしている最中に、乗っている船ごとヴァイキングに捕縛されたそうなんだ」
「……捕まったんですか、また」
 馬鹿な話だ、とフェレットは無意識に吐き捨てるような口調になるのだった。
「ああ。もう大分前の話になるが、ヴァイキングはそのお子様を捕まえたまま、身代金を請求してリューベック付近から動こうとしない。で、焦った貴族は海事ギルドに依頼をしたそうなんだが」
「なんか掴めてきた」
 かおるが淡々と相槌を打つ。
「傭兵達も怖がって、その依頼を一人として受けるものがいないんだ。もしも貴族のご子息を救えなければ、ただの依頼失敗では済まない。間違い無く心象が悪くなるだろうからな。……それに危険なだけならともかく、ヴァイキングの首領はあのウルフガングと来ている。それもまた、皆の腰が引けている一因のようだ」
「ウルフガングだって!」
「有名な海賊なんですか?」
 驚くフェレットに、リィは小さな声で訊ねた。
「ああ。腕が立つとか云々より、残虐さで知られる海賊だよ。リガの辺りを根城にしてたって言うけど、大分近付いてきたな」
 ヴァイキング達が人質を取り、国に身代金を請求してきたのはこれが初ではない。
 ウルフガングと言う名の海賊がかつて同じように身代金を求めて来……人質交換の際に、騙し討ちをして皆殺しにしたのだ。
 人質も、依頼を受けてやって来た傭兵、冒険者達も全て。
 そして、ウルフガングの悪名は北海に轟き知れ渡った。
「今回も同じケースって訳だ。……あの時は確かかおるさんが腹痛を起こして、行くのをよしたんだっけか」
 カリタスは言った。
 かつて一時期、フェレットとかおるはカリタスと行動を共にしていたのだそうだ。
「ああ、そう言えば陣痛に悩まされてた時期だったな……」
「その陣痛が無かったら、僕らも殺されてたかもしれないですね」
 かおるとは違い、フェレットの声には少しの怯えがあった。
「それに再び挑むって訳ですか……」
「そうなるな」
 カリタスの声は只管冷静。微塵の揺らぎも感じられない。
「当然、莫大な恩賞が用意されている。それこそ一般の人間なら一生暮らせる程のね」
 自分達は今、この町で商会を発足させようとしている。
 その為に資金が必要なのだと、カリタスは続けた。
「当然、やれるだろう。ヴァイキングでさえも軽々と屠った君達なら」
 整った紅い唇を、笑みの形へと歪める。
 フェレットの唇は真逆、への字へと曲がった。
「やってくれるか?」
 カリタスは一同の瞳を順に眺めた後、向かって正面にいる青年を見やった。
「乗りかかった船、いや……ここまで乗ってきた船ではあるけど」
 フェレットはカリタスほど、真っ直ぐな言葉を返す事はできない。
 あまりに危険過ぎる。
 自分とかおるさんだけならともかく、今はそれだけじゃない。
 失くせないものは何時の間にか、幾つもに増えた。
 フェレットもまた、仲間の姿を順に見やる。
「任せた。ヘレッチ君」
 かおるは早々に権利を放棄し、
「そうね。フェレさんの意見を尊重するわ」
アイもまた静かに声を連ねた。
 リィはただ無言で、フェレットの方を眺めているだけだ。
 皆の視線を受け、フェレットはしかし即座に答えを出すことは出来なかった。
 彼は即断即決を常とする男ではなく、時に深淵に潜り込むかのように悩みもするのだ。
「……少し、時間を貰っても良いですか?」
「ああ――構わない。”子羊の肉”を用意して待ってるさ」
 たくさんの料理が残されたテーブルを立ち、フェレットは酒場を後にした。

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  1. 2005/04/18(月) 09:07:45|
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第六章 憂いの風を抜けて(後編)

4

 奇妙な客人を迎えて、船団はまた海を行く。
 緩やかな風を受けながら、只管北へと――。
 ロンドンからここまで陸路を辿ってきたと言うパングは、フェレットの駆るキャラック船”フォスベリー”に搭乗している。
 つい先月に訪れたビスケー湾を越え、進む先の海は今、はフランス領へと差し掛かろうとしていた。
「フェレットさん、若いのに中々の操船技術っすね」
 パングは何気ない口調でそう言ったが、言葉の一部がフェレットの癪に障る。
「……そりゃ、慣れてるからな」
 中々? いや、相当のものだろう。
 心の中ではそう訂正してやりたい気持ちで満たされていたが、ここで怒ってしまっては大人気無いと、フェレットはなんとか堪えた。
「僕らもそうだが、”シャルトリューズ”はさらに早いよ。”永久機関”のみんなだって、漕船の技術はかなりのものだ。それに強いし」
「ふーん……」
「こんなに心地良い船旅、中々味わえるもんじゃないぜ」
「確かにそうっすね」
 当たり障りのない返事を受け、フェレットは眉を潜めた。
「……ところで、ロンドンまで辿り付いたらどうするつもりなんだい?」
「ああ、えーっと……フェレットさん達に会わせたい人がいるんっすよね」
「その人が、腕の立つ奴を探してるって訳か」
「ええ。ヴァイキングを軽々屠れるくらいなら、きっとお眼鏡に叶うと思うっす」
「……だと良いな」
 怖い人だったらどうしよう、とフェレットは心中穏やかではなかった……が、もう後戻りは出来ない。
 ”なんとかなるさ”――そんな風に思って、今まで実際に何とかなってきたのだ。
 船はさらに進み、あと一日も経てばボルドーに到着しそうだ。
 ワインを代表とする商取引で栄えている町であり、一行はそこで宿を取るつもりでいる。
 だが町に辿り付くより前に、空は不吉な様相を呈してきていた。
「風が強くなってきたな。……そのせいか?」
 心なしか、航行速度が少しずつ落ちてきている気がする。
 藻でも絡みついたのか、或いは……。
「あれじゃないっすかね」
 パングがそう指差した先には、帆の調整にあたっている操舵員がいる。
 そして、その隣にいるのは。
「コロ、そこで何喋ってる!」
 フェレットは怒鳴り声を上げた。
「そこは君の持ち場じゃないだろう。早めに町に着かなければ、嵐になるかもしれないんだ。普段はともかく、今はちゃんと作業にあたってくれ」
「……はい」
 コロはあからさまに不服そうな表情を浮かべ、また自分の持ち場に戻った。
 それが、フェレットの中にあった僅かな苛立ちを大きなものに変えたようで。
「ここ最近、弛み過ぎじゃないのか? 航海は皆で行う作業だ。君が楽な思いをしたら、他の船員がその分苦労するんだぞ」
「……だって船長、よく言ってるじゃないですか。航海はテキトーにって」
「それとこれとは話が別だ。力を抜けるところでは抜いておいても良いけど、最低限の努力ってものがあるだろう?」
「船長だって、何もしないで喋ってたりする時、たまにあるでしょう。リィとかとしょっちゅう……」
「コロ……」
 フェレットの顔には怒りが滲んでいたが、やがてそれはすうっと引いた。
 返答に詰まった訳ではない。
「……頭を冷やせ。今はこんな言い争いをしてる場合じゃないんだ」
 コロはその声に言葉を返さず、こちらを向こうともしなかった。
 無言で自分の持ち場に戻り、何事も無かったかのように作業にあたる。
 とは言え、全員がちゃんと自身の作業に専念した所で、進む速度は一行に上がりはしなかった。
 船団の先頭を行くシャルトリューズの速度が極端に落ちていて、これではこちらもスピードを上げることなど出来やしない。
「一体何が起きたんだ……?」
 フェレットは訝しがったが、その疑問はすぐに解明した。
「船長!」
 最も海面に近い場所で作業にあたっていた船員が、叫び声を上げる。
「鮫だ! 人食い鮫が辺りを取り囲んでやがる!」
「何!」
 フェレットを始めとした船員達が、慌てて視線を水面へと向ける。
 海は青くて黒い色をしており、その中は透けては見えない。
 だがしかし、船の周囲を取り囲む不気味な気配は確かにその場にあった。
「鮫……? 人を食べるんですか?」
 リィが恐る恐る訊ねる。
「ああ」
 フェレットは重い声で返した。
「奴等が餌とするのは、この広大な海に生きるもの全てだ」
 その言葉には、海上での暮らしを常とする人間のことも含められていた。
「シャルトリューズが遅れていたのもそれでか。みんな、持ち場を離れるな! 出せるだけの速度で引き離すんだ!」
「イェッサー!」
 船長の号令に、一丸となった声が響いて返ってくる。
 後は、辺りを囲む数匹の鮫達が囲いを解くのを待つしかない。
 フェレットは再び、周囲の状況を確認した。
 水面に見え隠れする悪魔のその数は、おそらく三、四匹と言った所か。
 大丈夫だ、鮫の襲撃を受けるのはこれが初めてではない。
 慌てずに対応できれば、何も問題は無いはずだ。
 ”フォスベリー”の船員達は皆熟練した船乗りだ。
 普段なら、それが出来るはずであった。
 いや……鮫が現れたのが今このタイミングでなければ、全ては無事に終わっていただろう。
「コロッ! 釣り竿をしまえ!!」
 船員の一人が、放り置かれた釣り竿を指差し、叫んだ。
 コロは言葉の意味がわからずに、どうして? と疑問顔になって見返す。
 船員はその理由を説明しようとしたが、出来なかった。
 突如として――けたたましい音が上がった。
 蒼き水中の悪魔は一瞬にして水面から跳ね上がり、
「な……」
”フォスベリー”の甲板へと、その姿を現したのだった。

5

 世界の海に広く生息しているアオザメと言う種。
 青色がかった黒金のような肌をしたその鮫は、釣り上げられると大きくジャンプをする習性があるという。
 釣り竿は誰も操ってはいなかったが、鮫のほうが勝手に針に食い付いたのか。
 船上に姿を現した鮫は、すぐ傍に立っていた少年のほうに、ぎょろりとその目を向けた……コロの目には、そう映った。
「逃げろ! コロ!」
 フェレットが怒鳴る。だが、出来なかった。
 アオザメは水面から飛びあがった際にコロの体をも飛び越え、丁度退路を塞ぐようにしてそこにいたのだ。
 鮫はその場でのた打ち回るように暴れ出し、
「うわぁっ!?」
尾びれを振りまわし、その一撃はコロの胴を激しく打ち据えた。
 五メートルはありそうな巨体から繰り出された一撃は鋭く、強烈だ。
 コロはそこから吹き飛ばされて、そのまま海へと落下していった。
「コローッ!」
 幾つかの悲痛な叫びが、重なって響く。
 少年が水面に落ちた音は、船舶に届いてはこなかった。
 彼がどうなったかを、確認できる者は今この場にはいない――鮫がそれを邪魔するように立ち塞がっている。
「フェレさん! コロ君が、コロ君が落ちちゃったよう!」
 リィは、傍にいた青年に泣きつくようにして言った。
「ねぇっ、フェレさん……」
 だが、彼はそちらに顔を向けない。
 フォスベリーは前進することをやめようとはしなかった。
「皆、鮫から離れろ! 海に戻って行くのを待て!」
 フェレットのその指示は、リィにはひどく冷徹な響きをして聞こえた。
「フェレさん!」
 もう一度声にした所で、フェレットはようやくこちらを向いた。
「フェレさん、コロ君が、海に……」
「わかってる」
「じゃあ、どうして! 今ならまだ……」
 その言葉を聞いて、リィが納得するはずもない。
 それも理解していたフェレットは、さらにこう言葉を続けた。
「下手に戻れば、他の船員を危険に晒す事になるんだ。残りの二隻との足並みを乱すわけにもいかない。あいつのことは忘れるんだ、今は」
「今忘れて、いつ思い出すって言うんですか!」
 フェレットは答えなかった。
 船は弛まず進んで行く。
「フェレさんっ!!」
 服の袖を、引き千切りそうなほどの勢いで引っ張りながら、リィは何度も彼の名を呼んだ。
 涙をぼろぼろと零しながら、だ。
 フェレットは、答えることが出来なかった。
「リィちゃん、今は駄目だ」
 そう言って彼女を半ば強引に振り向かせたのは、コロと仲の良いラフィタという名の船員であった。
「船長の判断は間違ってねぇ。みんな、そうわかってる」
「でも!」
 その言葉は、リィに何かを気付かせた。
 ”フォスベリー”の乗組員達、皆の視線――ラフィタが今口にしたことと、同じことを彼らの目は言っている。
 表面上には、悲しみは無い。
 まだ鮫は甲板で暴れているというのに、彼らのなんと落ち着き払ったことか。
「航海に危険はつきものなんだ。いつ死ぬかもわからない旅……皆それを理解してる上でここにいるはずだ。解ってくれ、リィ」
 その声には、さっきまでは全く表れることの無かった感情が少しだけ滲んでいた。
 リィは確かにそれを感じながら、フェレットの服を両手で掴んだまま、ただ俯いて涙を流すことだけを続けた。
 温もりを持ったフェレットの手が、長い金色の髪に優しく触れる。
 その手は僅かに震えていた。
 内包されているのは、ずっと抑えていた感情。
 外に出すまいと思って、けれどそれが出来ずに震えている。
 ああ――強い人なのだ、この人は。
 リィはそう思った。

6

 船団がボルドーの町へと辿り付いてから少しして、フランス西岸は激しい嵐に見舞われることとなった。
 それから数日は身動きが取れずに、只管雨が止み、風が静まるのをただ待ち侘びて過ごし。
 嵐が去ると、空はまるで何事も無かったかのように晴れ渡っていた。
 いや、何事もなかったのではない。
 全てを風が押し流していったのだと、誰もが皆知っていた。
 しかし吹き荒れる風でさえ、押し流すことのできないものはある。
 ただ一つ、悲しみと言う名の感情にその身を任せながら、一行は町から海を眺めていた。
 全ての船員達そこに揃い、一人の人間のことを思い浮かべている。
「コロ」
 そう名前を口にし、フェレットは視線を空へと移した。
 万感の想いを込めて、青一色に染まり尽くした風景を見やる。
 そしてフェレットは、手にしていた一輪の花を海へと放った。
 美しい白色をした花は空に舞い、水面に散らばって流れていく。
「君がこの船団に入ってから、最初に見つけた花だ」
 スノードロップ、その名の通りに雪溶けの時期に咲く花。
 今から数年前に、まだ身長が百六十センチに満たない少年を船団に加え。
 たまたま見つけた地図から手掛りを得て、みんなで探しに行った花。
 それがボルドーの町の果てに、たまたま一輪だけ咲いていた。
「最初はガキだからって、みんなアイツの事を受け入れようとしなかったんだ。だけど船長が独断で彼のことを招き入れた。今ではすっかりムードメーカーになってたのに……」
「そうだったんだ……」
 ラフィタの声は、あの時とは違った。
 みんな、悲しみに満ちた顔をしている。そう、リィは思った。
「リィちゃん、船長の気持ち、解ってやってくだせぇ」
「うん……大丈夫よ。もう……」
 人食い鮫が現れた時だって、解ってはいた。
 彼はただ、皆の命を救おうとしただけなのだと。
 コロの死を誰よりも悲しんでいることくらい、解っていた。
「ごめんね、フェレさん」
 リィは独りごちるように言った。その声は誰にも届いていない。
 フェレットは今にも墜落しそうなほど、海に近い場所に立っていて。
 その両手はリュートを抱えていた。
 彼がゆっくりと手を動かすと共に、そこから放たれる旋律。
 不得手な言語で、彼は”ファド”というポルトガルの歌を歌った。
 ポルトガルの人々の心を表現する時に”サウダージ”という言葉を使うことがある。
 それは郷愁、哀愁など言った意味合いを持っており、彼らの独特な感情を言い表した言葉。
 ファドとは、サウダージを歌い込んだものなのだ。そう、コロは言っていた。
 リュートの音色は美しかった。
 心の底に眠っていた感情が、その音に誘われて外へと溢れ出して行く。
(さようなら、コロ君)
 リィは心の中で、短い別れを告げた。
 少しの言葉で断ち切れるとは思わないし、そうしたいとも思わない。
 ほんの少しの彼の思い出を、このまま航海の旅へと引き連れて行くのだ。
 ――リュートの音色が止むと、辺りは全くの無音になった。
「あの、フェレットさん」
 パングの声が、その穏やかな沈黙を解放させた。
 音が静まるのを、さっきから見計らっていたようであった。
「ここまで連れてきておいて何っすけど、やっぱり……北海行くの、よしたほうが良いかもしれないっすね」
「なんで?」
 振り返ったフェレットよりも先に、かおるがそう反応をした。
「北海で、自分の知り合いの人と会わせようと思ってたんっすけど。多分、危険な旅になりますから」
「それは承知の上だ」
 かおるに言われて、パングは少し言い辛そうにして下を向いた。
「また、死者が出るかもしれないっすから……。一人や二人じゃ済まないくらいの……いちいち、悲しんでられなくなるくらいの」
「大丈夫よ、パングちゃん」
 諭すような口調になって、アイは言うのだった。
「私はほら、か弱いけど……でもね。皆そう言う荒事には慣れてるのよ。だから平気」
「だけど皆、たった一人が死んだくらいでこんなに落ち込んでるっす。もし、北海で……もっとたくさんの船員が死んでしまったら、立ち直れなくなるかもしれないっすよ」
「僕等はそれ程弱くないさ」
 三人の船長の言葉を、最後に締めくくったのはフェレットであった。
「船旅は危険だ。いつ死ぬかもわからない。そう知っている上で僕等は船乗りをしてる。悲しみに押し潰されることなんてない」
 しかしだからと言って、親しい人間がいなくなればやっぱり悲しいものだ。
 それなら、悲しんであげればいい。
 胸が張り裂けそうになるほどに悲しんで、そしてまた海を行こう。
 そうして繰り返し、船乗り達は今この場に立っている――失うことの辛さから、決して目を背ける事はせずに。
「って訳だ。それでも僕等は、北海に行く資格が無いかい?」
 考え込んでいる少年に、フェレットは再びそう声を掛けた。
「よくわかんないっすけど……フェレットさん達が来たいって言うなら、自分は止めないっすよ。こっちが助かるのは確かですし」
「そうか。ならそれで良いかもな……」
 フェレットは視線を移動させ、二人の船長を見やった。
 彼らもまた、気高き船乗りの瞳でもってそれに応じる。
 さあ――いざ行かん、北海へ!



  1. 2005/04/11(月) 03:13:47|
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第六章 憂いの風を抜けて(前編)

1

「そろそろ他に行きたいってのに、これと言って目的が無いね」
 冒険者ギルドの椅子に腰掛けている青年は、そんなことを呟いた。
 青を基調としたベルベット製のチュニックを羽織り、髪の毛はこの辺りにはない特殊な染色量で緑に染め上げられている。
 一見してまるで芸術家のような風貌をしているが、彼は紛れもない冒 険家であった。
 名前をフェレットと言う。
 同じテーブルについている細い目をした大男、かおる。
 深緑のローブを身に纏った落ち着いた印象を受ける女性、アイ。
 彼らは三人とも生粋の船乗りであり、年の半分以上を海上で過ごす事を常としていた。
 不思議なものでどんなに居心地が良い町にいても、気付くと海を恋しく感じている自分がいるのだ。
 船乗りとしての逃れられぬ性なのだろうし、それを苦痛に感じる事はない。
 リスボンに滞在して早二ヶ月が経ち、彼らは今、疼く船乗りの血をどうにか抑え込んでいた。
「しかしここ最近、とんと良い依頼が入ってこないわね」
 溜息混じりにそう言ったのはアイだ。
 彼らがこの町から出ることの出来ない理由はずばり、それなのであった。
 どうせ当ての無い旅だ。
 今までは言うなれば風任せ、具体的には冒険者ギルドの依頼任せに旅をしていた。
 依頼仲介人に西で事件が起きたと言われれば西へと赴き、 東へ向かう新たな航路を開拓して欲しいと言われれば、船団は東に航路を取る。
 つまりは大掛かりな依頼が持ち込まれれば、彼らに取ってはそれが旅に出る理由となるのだ。
「もうちょっとこうさ、フェニックス探索の依頼とかあれば良いのにね」
「フェレさん、それいつかも言ったわよ」
 アイに指摘され、フェレットはほんの少し不満げな表情を浮かべた。
「だってなー。冒険者ギルドだけならともかく、海事のギルドも同様にろくな依頼が無いみたいだし。こりゃリスボンも終わったな」
 町単位でくそみそにけなすフェレットを場にいた数人が睨み付けたが、彼はそれを気にする様子はない。
「ヴァイキングや私掠船とかが、一斉にリスボンに攻めこんで来てくれれば良いのに。きっと数十万単位の報酬がもらえる依頼になる」
 フェレットにつられた訳ではないだろうが、続くかおるの言葉もまた物騒なものだ。
 彼は彼で、ここ数日の暇さ加減に不満を感じているらしいし、おまけに元々、歯に衣を着せることなど知らない性質である。
 船員の大半は酒を飲むことで暇を潰していたが、アルコールに弱い彼はそうすることも出来ず。
 手持ち無沙汰な時間を最も多く過ごしていたのは、おそらく彼だったのだろう。
「ヴァイキングか。そう言やここ半年程、まともな海戦もしてないですもんね」
「そうやねえ。昔は北海のバイキン相手にブイブイ言わせてたもんだが、おじさんもこう静かだと年を感じちゃうよ」
「それってヴァイキングと黴菌をかけてるんですよね。そりゃ良いや、ここ数日の日々の中で一番面白かった」
「わっはっはっは」
(笑えないわ……)
 二人の乾いた笑いを、アイはそれ以上に乾いた笑顔で見守った。
 わざわざ冒険者ギルドを訪れている割には、一向に依頼を受けようとしないフェレット達一行。
 しかし、幸か不幸かそんな彼らに興味を持つ人間はいるものであった。
 似た者同士、一箇所に集まる習性があると言うか。
 結局だべるだけだべってギルドを後にしようとするフェレット達。
 入り口の扉を開こうとしたところで、いきなり後ろから肩を叩かれた。
「あのぉ……すんませんっす」
「うわっびっくりした」
 少々わざとらしい声をあげ、フェレットが振り返ると。
「さっきの話聞かせてもらったっす」
「はっ? さっきの話?」
 独特な口調で喋る一人の少年が、そこに立っていた。
 身長はフェレットとそう変わりないが、年齢は彼よりもおそらく四、五つは若い。
 まだ十代の半ばに差し掛かった辺りだろうか。
 この少年は誰かの知り合いなのかと、フェレット達は互いの顔を見合わせた。
 しかし心当たりは誰にも無い様子だ。
「あの……さっきの話って、どのことを言ってるのかしら? 私達、あまり人様に聞かせられるようなことは話してなかったけど」
 アイが先んじてそう口にした。
 そりゃないよ、とフェレット達は顔を渋くしている。
「えーと……ほら、ヴァイキングをボコボコにした、とか言ってた辺りっす」
「ああ……そう言やしてたね、そんな話」
 かおるは耳の穴に指を突っ込みながら返した。
 あんまりどうでも良い、と言った感じで。
「あれ、本当なんっすか?」
 かおるのそれに百倍する程、興味津々な様子で少年は訊ねた。
 立ったまま顔を乗り出して、前屈みになってかおるを見ている。
「本当だっけ、フェレッチ君」
「……なんで僕に振るんですか」
 フェレットは言ったが、返事が無かったので彼はうーむと考えを巡らせ始めた。
「本当も本当、北海のヴァイキングは今までにのべ千人はのめしたね。今じゃ向こうは僕等を恐れてしまって、僕等の船が通るだけで停戦協定書を差し出してくる位さ」
 フェレットは一瞬にして、アイの顔が呆れたものになるほどの嘘を並べ立てた。
 ふふふ、と得意げに笑んでいる彼の首根っこを、アイが引っこ抜いて奥へと連れて行く。
「ちょっと、幾らなんでもビッグマウスが過ぎるんじゃない? あんな純真そうな青年を騙したりして……」
「かおるさんが僕に振るから悪いんだよ。ま、でもあの人なら実際にそれくらいやれそうだし……」
「そうだけど、でもねぇ」
 かおると少年には聞こえない位置で何やら囁き合う二人であった。
 やれやれ、とかおるは肩を竦めている。
「本当なんっすか? 今の話は」
 少年に顔を覗き込まれて、かおるは思わず後ろへと仰け反った。
「あー、うん。じゃあまあ、そう言うことで」
 ふとした弾みで、ひどく曖昧な返事をする。
 その瞬間、少年はいきなり空に飛びあがった。
「そりゃすごいっす! ヴァイキングは自分でさえ一筋縄じゃいかない相手なのに! わざわざリスボンまで来たかいが有ったっす!」
 ドタンバタンと足音を響かせながら建物内を跳ね回る少年を、皆はぽかんとして見つめた。
「何だ何だ……?」
 フェレットとアイも驚いて、またこちらの方へと戻ってきた。
「いや、実は自分、北海からここまで腕の立つヒトを探しに来たもんで……。あ、これはここだけの話なんっすけど」
 ここだけと言うか、確かにこの建物内の全員にその声は聞こえていた。
「ほう、そりゃ面白そうだ」
 ずっと無愛想に話を聞いていたかおるも、ようやく目を輝かせ始めた。
 じっくり話を聞かせてもらう前に、
「そう言や名前は何て?」
まず、最低限のコミュニケーションを取る事から始める。
「パングっす」
 少年はそう名乗り、
(パンツか。只者ではないな。名前からして)
かおるはそう理解した。
 彼が半笑いになっているその理由に、パングは気付く事が出来ず。
 数時間後、リスボンの町を出る頃になってようやく誤解は解けることになる。

2

 リスボンで過ごした時は確かに平穏だったが、皆が皆、何も出来事が無かったわけではなかった。
 人と人との関係は、少しずつだけれど絶えず変わり続けている。
 数ヶ月前にフェレット達に偶然助けられた少女、リィ。
 彼女もまた、何時しかすっかり仲間の船乗り達と打ち解けていた。
「ねぇ、リィ。本当に来て良かったでしょ、綺麗な景色でしょ。ここ」
「うん……」
 フェレットが船長を務めるキャラック船”フォスベリー”の船員に連れられて、リィは”リスボンで一番高い場所”へと来ていた。
「俺が子供の頃から来てた場所なんだよ。変わってないな……来て良かったなぁ」
 彼女をここに連れてきた船員の名は、コロ。
 船団の中で最年少の船乗りで、元々ここリスボンの出身者である。
「うん、綺麗な景色だね」
 確かに、そこから見える海はまた格別の美しさであった。
 広大に広がる海はとにかく壮観で、船上から眺めるのとはまた違った趣がある。
「リィ、何か言ってよ」
 景色に見惚れているリィに、コロは唇を尖らせて言った。
「ごめんね。あんまり景色が美しかったから、つい」
「その綺麗な景色まで案内した、俺のこともちょっとは誉めてくれないと」
「うん……ありがとうね、コロ君。わざわざここまで連れて来てくれて」
「まだ他人行儀だなあ、なんか」
「そうかなぁ……?」
 海へと沈んでいく夕陽を、二人は僅かの会話を交わしながら見守った。
「フェレさん達、今日はちゃんと依頼を見つけられたかなぁ…。そしたら、今度はまた別の町に行くんだよね」
「そうだな。東から来たから次は北に行くのかな、それとも西か南か」
「フェレさんが言ってたわ。何処に航路を取っても、行く土地にはそれぞれの魅力があるから、楽しい旅になることは保証するって。楽しみだな」
「ふぅん」
 コロの表情に僅かに陰が落ちる。 その理由を、リィが気付く事はない。
「コロ君は、リスボンに家族がいるんでしょ? 旅に出たらまた離れ離れになっちゃうけど、寂しくない?」
「子供扱いしないでよ」
「そんなつもりで言ったんじゃないわ。貴方だけじゃなくて、他のみんなも……寂しくならないのかなって前々から思ってたの。あんなに広い海に出ちゃったら、家族に会うことなんて殆ど出来なくなっちゃうし」
「それでも航海がしたいから、しょうがないじゃん。それに家族がいなくたって、恋人は作れるし」
「恋人って……出会いなんか無さそうじゃないかしら?」
「恋人は無理じゃないよ。船員内でくっつくとかさ、よく聞く話だよ」
「そ、そうなんだ」
 まずい方向に話を進めてしまった、とリィは悔やんだ。
「でもうちは、女の人の船員はアイさんくらいだものね。アイさんは魅力的な方だけど……」
「リィがいるじゃん」
「私? 私は……」
 なんとかはぐらかそうとして、リィは益々墓穴を掘ってしまう。
「私あんまり、そう言う話には興味無いし……」
 てへへと笑ってみせたが、それはコロからすればあからさまに胡散臭かったようであった。
「興味ないって? でもリィは、普段の様子を見てると……」
「もう、いいじゃない」
 放っておいては何を言われるかわからないと、続く言葉を遮った。
「私はね、まず記憶を探すことが先決なの。……だから今はそう言うことは、あんまり考えちゃいけない時間だって思ってる」
「そんな事無いよ」
「ね、そろそろ帰ろう。夜になっちゃうわ」
 座って景色を見ていたリィだったが、ばっと立ちあがって、即座に踵を返した。
 彼女のその華奢な体に似合わぬ俊敏な動作で。
「待ってよ、急に」
 ゆったりとした坂を下って行くリィに、コロも慌てて続いた。
 下り坂は大分長い距離があり、下り終えたその場所には一行が泊まっている宿がある。
 急ぎ足で坂を下って行く。
 海から吹きつけるゆったりとした風が、背中を後押ししてくれる。
 宿の目前まで来たところで、二人は一つの人影を発見した。
「あ……フェレさん」
 そこにいたのは”フォスベリー”の船長。
「お帰り、二人共」
「わざわざ待っててくれたんですか?」
「ああ、まあね」
 何気なく言うフェレットの表情を目にして、リィの顔には自然と微笑が浮かんだ。
「と言うのは、ちょっと皆に話す事が出来てね。今後の航路のことなんだけど」
「良い依頼が見つかったんですね!」
「そんな所だ。で、これから酒場で会議をすることになった。二人の船長はもう先に行ってるよ」
「会議って、酒場で……?」
「議論を交わすより前に、酒を酌み交わしたりしてるはずさ。今頃」
「成る程、想像つきます」
 こくりと頷き、リィは笑った。
「僕もすぐ酒場に行くけど、二人はどうする? まあ実際は話し合いなんて数分で、また飲み明かす事になるだろうけど」
 そう聞いてリィは一瞬顔を歪めたが、
「もうじきリスボンを出るんですよね? なら、今日くらいは良いかな……」
と、フェレットに付いて酒場に行く意思表示をした。
「コロはどうする?」
「俺はよしときます」
 コロはそう一言だけ返事をすると、間をすり抜けてすたすたと宿のほうに行ってしまった。
 その声にほんの少し棘が混じっていたように感じて、フェレットはきょとんとして考え込む。
「僕、なんか怒らせることしたかな?」
「ううん」
 リィは首に横に振った。
「出かけてたから、疲れてるんですよきっと。私達は酒場に行きましょう」
「ああ、そうだな」
 コロの事を気にしつつも、二人は歩き出した。
「で……どうだったんだい? 景色は綺麗だった?」
 リィとコロが出かけていたことは、フェレットやアイ達にも知れている。
「綺麗でしたよ」
「で、進展はあった?」
「進展って、何のです?」
「男女関係のさ」
「フェレさんっ!」
 いきなりリィは声を上げた。
 意識したわけでもなく、自然と大きな声になってしまった。
「あのですね……そんなんじゃないって、何度も言ってるでしょう。もう、フェレさんだけじゃなくて、かおるさん達にも言われるんですから……」
「だってね。少なくとも、向こうは完全に気があるよ。あれは」
 フェレットは笑いながら言った。
 彼女がむきになっている様が、おかしかったようだ。
「コロ君は弟みたいな感じなんですよ。恋愛とは全く別の話なんです」
「ふぅん」
「ふぅんって何ですか!」
「あ……いや、違う。そんなつもりで言ったんじゃない」
 誤解を受けたと思い、フェレットは即座に訂正をした。
「君は記憶を失くしてるだろ? なのに『弟みたい』って感触がわかるもんなのか、って思ったのさ」
「え」
 言われて、リィは確かに、と思った。
 思わず口をついて出たその言葉に、自分自身でも疑問を抱いた。
「そうですよね。……変ですね、なんだか……」
「記憶は途切れてても、一般常識は残ってたりするものなのかね。難しいな」
「ええ……」
 思い直してみれば単に、咄嗟に言い訳をしただけなのかもしれない。
「まあ、コロはまだ若いし……ほら、性欲に満ちた年頃って言うか。以前某シャルトリューズの船長にもちょっかいかけて、散々な目にあったことがあるんだ。リィもそこら辺を適度に理解して付き合ってくれよ」
「は、はあ」
 けれど訂正も出来ずに、話題は流れていくのだった。

3

 冒険者ギルドでの出会いから一日が経って。
「この町ともしばしのお別れね。ま、でもまた訪れるのはきっとそう遠い日じゃないでしょう」
 アイがそう口にすると、皆はそれぞれに思いを込めて頷きを返すのだった。
「そうやね。愛しのカルスティナもいることだし」
 かおるの声にはあまり思いがこもってはいない。
「誰……って、酒場のお嬢さん達のことかしら。二人の名前が混じってるわよ、それ」
 出航を前にして、一行は最後にもう一度、町並みを眺めていた。
「何にせよ、久々の帰還ってことになるわねぇ」
「帰還?」
 アイの言葉に、リィが疑問を投げかけた。
「帰還よ。私やかおるさんはあの辺りの出身だもの」
「そうなんですか? スペイン語もポルトガル語も流暢に話すから……てっきり、この辺りの方なのかと思ってました」
「その理屈で言ったら、リィちゃんもこの辺りの出身ってことになるわね」
「いや、それがそうでもないんだよ。アイさん」
「ん?」
 二人の会話に口を挟んだのはフェレットだ。
「北に向かうにあたって、色々な言語を覚えとく必要があるって話をしたのさ。僕が知ってる言語を、基礎の部分だけでも教えとこうと思ってね。そしたらさ」
 じと目で見られて、リィは顔を俯かせた。
 フェレットは何でか悔しそうな様子だ。
「話せるんだよな。フランス語も、英語もオランダ語もね。イタリア語もか……それにギリシャ語とアラビア語も」
「そうなの!」
「僕が知ってる言葉は全部話せたよ。それも基礎だけじゃなくね。相当なもんだよ」
 フェレットとアイの会話を、リィは少しの間無言で聞いていた。
「喜ばしいことだけど、益々身元が特定出来なくなったな……」
 そんなフェレットの心配を、アイはさして気にする様子もなく。
「ねえねえ、リィちゃん!」
「はい?」
「私の知ってる各言語も、もしかしたら話せるんじゃないかしら?」
 興味津々になってそう訊ねた。
「その……幾つかの言葉は、頭の中にあるんです。でも、それぞれが何処の国で使われてるのかわからなくて……」
「それじゃ、私が一つずつ口にしてみるから、知ってたら同じ言葉で返してみてね」
 そう言うと、アイは各国の言語を口にし始めるのだった。
 ノルド語で、西アフリカ諸語で”こんにちは”と口にする。
 ノルド語は即座に理解して、リィもまた同じように返した。
 西アフリカ諸語のほうは少し時間が掛かったが、返事することが出来た。
 さらにスワヒリ語、古代エジプト語、ヘブライ語でもまた繰り返してみせる。
「……ごめんなさい、全然解らないです」
 リィだけでなく、船員全員が首を傾げていた。
「まあ、ギャルよ。漢(おとこ)なら身振り手振りでなんとかするもんだ」
 かおるの茶化すようなその言葉に、リィの首はさらに傾く。
 言葉の意味はよく把握していない。
「魂があれば、それだけで会話は通じる。言語なんていらん」
「ほーう」
 息を吐いて、アイはにやりとした。
 そしていきなりかおるに向けて、様々な言語で話し始める。
「魂があるんでしょ? それなら解るはずよね」
 口にしたその言語は、西アフリカ諸語だ。
 当然その辺りの言葉を知らないかおるには解る筈もなく、只管視線を逸らしている。
(アイさん、意地悪……)
 フェレットとリィはただ苦笑いしていたが、
「アイさん、酒が切れたって言ってる」
かおるのそんな声が響くと、二人は声を立てて笑った。
「言ってない! 言ってないわよ! もう、大体貴方達がそんなことばっかり言うから酒飲みのイメージがこびりついて……」
「どうぞ、姐御……いや、船長」
 反論するアイの元に、敏速な対応でワインが持ってこられた。
 かおるの声で即座に反応した”シャルトリューズ”の船員の仕業である。
「この船長にしてこの部下あり、ってわけだね」
 フェレットが言うと、またどっと笑いが巻き起こるのだった。
 船団がリスボンで過ごした最後の時間は、そんな柔らかな幸せに包まれて。
「――お待たせしたっす。準備出来ましたよ」
「ああ、こっちも出来てるよ」
「それじゃ行くとすっか」
「交易品もたっぷり積んだことだしね」
 背後から呼びかけを受けて、フェレット達はそれぞれに声を返した。
 北海から来たと言う少年もまたそれに応じる。
 和やかな空気に包まれている一行を見て、
(ちゃんと意思の疎通は出来てるみたいっすねえ。これなら”それなりに”助けにはなるかな。後は戦闘技術か……)
パングはそう、静かに思うのだった。
 彼もまた一人の冒険者である。
 その棘のない外面の中に、冷静に状況を見極めることの出来る確かな判断力を併せ持ってもいた。



  1. 2005/04/10(日) 01:54:36|
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第五章 別つ海(後編)

4

 ヒホンはスペインの北西、ビスケー湾に面した町だ。
 リスボン、セビリアに比べると町の規模は小さいものの、一通りの施設は取り揃えており、フェレットらも北に向かう際に何度か立ち寄ったことがあった。
 数日の航海を終え、到着した時刻は夜中。
 宿を取るには半端な時間だと、数人の船員を船に残して、フェレットらは早速捜索に出かけることにした。
 フェレットとアイがまず向かったのは、酒場だ。
 町の大きな酒場では、美味い料理と酒の他に、多数の噂話も取り扱っているもの――彼らの脳裏にはそんな認識がある。
 中に入るなり、フェレットはマスターに訊ねた。
「一人で飲みに来てた女の客? ああ、いたね。二十歳を過ぎたばかりの美女もいりゃあ、男勝りのイノシシみたいなのも来てたな」
「他には?」
「幸いうちは繁盛してるもんでね。一人で来てる御客さんなんかたくさんいたし、いちいち特徴を覚えちゃいないよ」
「……成る程」
 そりゃそうだよな、とフェレットは思った。
 そう言われてしまうと、こちらにはもう訊ねる余地がない。
 マスターに一言礼を言い、二人はカウンターを離れた。
「にしても手掛りがないよな。あのガ……ジェド君が、せめてもう少し喋ってくれればやりやすくなるのに」
「そうねえ。一つの町から一人の人を探し出すなんて、並大抵の労力じゃないわね」
 フェレットとアイ、御互い溜息をつきそうな表情になっている。
「うーん……それじゃ、私は交易所辺りにでも訊きに言ってくるわ。フェレさんはもう少し、ここの人を当たってみて貰える?」
「解りました」
 こうしてまた、船員達は四方に散って行った。
 残る面々もそれぞれに、捜索を続けている。

「みんな、帰ってこないな……」
 リィは”永久機間”の船上で、そう独りごちた。
 ”永久機関”の船員が町に出て行ってから二時間が経った。
 かおるとリィ、そしてジェドの三人は船に残り、船員達が情報を得てくるのを待つ側にいた。
 だが、今の所は一人として船に戻ってくる者はいない。
 黙って待っていることしか出来ないことにリィは苛立ちを覚えたが、話し合って決められた事に文句は言えない。
 それに船の番は、欠かすことの出来ない重要な仕事であるのだ。
 船から夜の景色を眺めていたリィだったが、一つ欠伸をすると、途端に眠気を感じ始めた。
 町に出ている船員達も、捜索を始めてから五時間後に、一端船に戻ってくることになっている。
(ちょっとくらいなら、寝ちゃっても平気かな……)
 まだ、集合の時間までは三時間もある。
 ”永久機間”の船長は既に一時間程前から仮眠に入っているし、自分も今のうち寝ておいた方が後々楽なのではないだろうか。
 欠伸がもう一つ、口をついて出た。
(寝よう)
 リィは決意し、その前にもう一度、ジェドの顔を見ておくことにした。
 航海中ずっと船室に閉じこもったままだったジェドは、未だにそこにいるだけ。
 そんなジェドの心情を、リィは理解しかねていた。
 母親に会いたいんだったら、船の中で待ってないで、町に飛び出して行けばいいのに……そう思っていた。
 彼に船に残っているように言ったのはこちらなのだが、ジェドは外に出たいという素振りさえ見せなかった。
 町に探しに行った所で、もしも見つからなかったらどうしよう、と恐怖を抱くのはわかるけれど……。
「ジェド君?」
 リィはまた、ジェドがいる船室のドアをがちゃりと開いた。
 彼の反応は相変わらず鈍く、少ししてからようやくこちらの方に振り向く。
「ジェド君、どうしたの……」
 リィは声を失った。 感じていた眠気が、強い驚きに押し流されていく。
 まだあどけなさばかりが感じられるその顔は、見ているほうが心苦しくなるほどに青白く変色していた。
「大丈夫? 船に酔ったのかしら?」
 駆けよって、ジェドの顔を近くで覗きこむ。
「違う、違うよ」
 ジェドはそれでもなお、視線を逸らそうとする。
「じゃあ、どうして……」
「違うよ。酔っているわけじゃないんだ……」
 少し掠れた声になって、ジェドは返事をした。
「……ごめん、騙したりして」
 暁を迎えたヒホンの町に、そんな声が静かに響いた。
「騙した? どう言う意味なの?」
 リィの顔に緊迫の色が加わる。
「ジェド君、話して」
 顔を背けている少年に、リィは強く呼びかけた。
 両手をジェドの頬に添えて、強引に顔をこちらのほうへと向けさせる。
 目と目があって、ジェドはもう逃げられないことを悟った。
 そうなると、言葉はまるで堰をきったように溢れ出るのだった。
「……本当は、母さんはヒホンに行ったんじゃなかったんだ。ずっと、ヒホンに行こうって言ってたけど、置いてあった手紙には違うことが書いてあったんだ」
「何て書いてあったの?」
「ヒホンの西に行くから、俺のことは連れて行けない……って書いてあった」
「ヒホンの西? 何で、そんなとこに……」
「ここから西には町はない。草原が広がってるだけだ」
 そう言葉を紡いだのはリィでもジェドでもなく、丁度船室に入ってきたかおるであった。
 眼をごしごし擦っているところを見ると、丁度目を覚ました直後のようだ。
「何故ヒホンの西に行った?」
 かおるもまた、そう訊ねた。
 リィと言葉は同じであったが、答えをはぐらかすことの出来ない強さがそこには込められていた。
「父さんが……昔冒険者だった父さんが、ヒホンの西に行ったまま帰って来なかった。だから」
「何故隠してた!」
 かおるは怒鳴った。ジェドの瞳から、ぶわっと涙が溢れ出る。
「……ジェド君の父さんがそこで暮らしてる、なんてことは無いですよね」
「野盗が徘徊してるような場所だ。人は暮らせん」
 一縷の希望を込めたリィの言葉を、かおるが打ち砕く。
 冒険に出たまま帰って来なかったと言うジェドの父親。
 その後を追って出て行ったと言うことは――。
「すぐ出航する。他の船員にも伝えてくれ」
「はい!」
 かおるは即座に決断した。
 言葉を受けて、リィもまた船内を走りまわって船員にその旨を伝える。
 船員は本来の半数に満たないが、船を動かすことは可能だ。
 当然、速度は普段のそれよりは落ちてしまうがやむを得ない。
 出航の準備をものの十分で、強引に終わらせた。
(ジェド君、なんでそんな大事なことを言わなかったの。騙したりしたの?)
 リィは問い詰めたい気持ちで一杯だったが、それをするタイミングでないことも解っていた。
 ……彼はきっと知っていたのだ。
 母親がどんな気持ちで、ヒホンの西、ビスケー湾の南岸に向かったのかを。
 事実を受け止めるのが怖くて、真実を告げることが出来ずにいた。
「フェレッチ君らにはまあ、捨てられた子供のように待ってて貰うとするか」
 かおるの冗談は失笑をかったが、それを合図として”永久機間”はヒホンの町を急遽後にした。

5

 登る朝陽をこんなに眩しく、鬱陶しく感じたのはきっと初めてのことだったろう。
 とにかく、急がなければならないのに――。
 海は朝焼けに染まっており、射し込む光はこちらの行動力を奪い付くすかのようにくどい色をしていた。
 ろくに睡眠も取っていないせいで、船員達の疲労も限界に来ている。
「あと一、二時間か……。ガレーが停まれるくらいデカイ海岸がある場所まで」
 かおるですら、歯痒そうに木々に囲まれた陸地のほうを眺めることしか出来ない。
 大体、陸地に辿り付いたとして何処を探せば良い? 
 一面に広がる草原地帯の一体何処に、ジェドの母親がいるのだ……? 
(それも、母親はもう何日も前に辿り付いているはずだ)
 何もかもは、もう終わった後かもしれない。
 それならせめて、全てをこの少年に見せてあげよう。
 悲しみを受け入れなければ、そこから先に進むことなど出来ないのだから。
 それは”永久機関”の船長、ただ一人の意思だ。
 他の船員は皆、後の事を考える余裕など無かった。
 ただ、少年の母親を見つけ出さなければならない……と、それだけが頭の中にあった。
 向かい風に押されて、ガレー船は遅々として前に進もうとはしない。
「船長!」
 左舷についている船員が、突如として叫びを上げた。
「どうした?」
「こっちに近付いてくる船がありやすぜ!」
「何?」
 船員達は一斉に西側へと振り向いた。
 そして驚愕する。
 船の接近に気がついたのはたった今だと言うのに、その船はもう大分間近まで近付いてきていたのだ。
 この辺りの地形の、僅かに窪んだ辺りに隠れていたらしい。
 海岸線には木々が生い茂っている場所もあり、小さな船なら隠れることは容易だったのだろう。
「参ったな、こりゃ」
 かおるは自嘲めいた笑みを浮かべ、呟いた。
「海賊……ですか?」
「おそらくね」
 それを聞き、リィの顔にも緊張が走る。
 背中にさしていたマッチ・ロック式の銃を抜き払い、それを右手に持つ。
「そりゃ随分気が早い」
 かおるは独り言のように呟いた。
 銃なんて使えたんだっけか? と今更ながらに疑問を抱きつつも、いちいち口にする気はないようだった。
「もう撃てる距離ですぜ、船長」
「そうやねぇ」
 船長らしからぬ間の抜けた声で言い、かおるは只管敵が接近してくるのを待った。
 砲撃が可能な距離にいると言う事はつまり、こちらの船もまた、おそらく相手の砲撃の射程内にいるということでもある。
 それなのに攻撃を仕掛けてこないのは、何か考えがあるからか。
 たとえ考えがあったとしても、あの小型の船ではガレー船には歯が立たないだろう。
 敵が接舷して、そのまま白兵戦を挑む気でいるのならそれも良い。
 遠距離で撃ち合うより、さらにやりやすくなるだけのことだ。
 一隻の武装コグは、そのままこちらへと真っ直ぐ近付いてきている。
「……もしかしてただの旅船とかで、意表をついて曲がったりして」
 かおるがそんなことを口にしたのとほぼ同タイミングで、その船は動きを止めた。
 ”永久機間”の寸前まで接近しており、大声で叫べば声も届きそうだ。
「どうなってんだ……?」
 その様子を見て”永久機関”の船員達も俄かに騒めき出すのだった。
 リィもきょとんとしている。 手にした銃のやり場に困っているようだ。
「誰か、出てきましたよ」
 武装コグの船首に、一人の男が立っているのが目に入った。
 その手には長剣が握られているが、その格好は海賊のそれと言うよりもむしろ一般の町人のものだ。
「そこのガレー船、聞け!」
 男はポルトガル語で呼びかけた。
 しゃがれていないその声は、まだ二十歳に満たない若者の声だ。
「有り金と、積荷を全てこちらに寄越すんだ! そうしないと生きて返さないぞ!」
 男はそう叫んだ。
 彼の周りは、同様に剣を手にした男によって囲われている。
「生かして返さないだってよ。笑わせるぜ」
 ”永久機関”の船員の一人が、彼らのことをそう嘲り笑った。
「船員に鮫でも混じってない限り、勝ち目は無いってのによ」
(……確かに、そうだわ)
 笑いこそしないものの、リィも心の底では同じように思っていた。
 あの大きさの船では、船員は多くて十人と言ったところ。
 彼らが相当の名うてであろうとも、”永久機関”の船員達だってひけを取らないはずだ。
「おい、聞こえてるか!」
 武装コグから再び、声が響いてきた。
 かおるは返事に困っている。元々、大声を出すのはあまり得意ではない方だ。
「ままごとは家の中でやってろよ! てめえら!」
 ”永久機関”の水夫の一人がそう、大声で返した。
 その声を聞いて、船首にいる男はあからさまに怒りの表情を浮かべた。
「お前ら、でかい口を叩いてられるのも今のうちだぞ!」
 今までよりも一層大きな声が返ってきた後、さらにもう一つ言葉を付け加えた。
「やれっ! ジェスロ!!」
 永久機関の船員達は警戒し、船体にその身を隠した。
 敵の船から不意に銃撃が来るのではないかと思ったのだ。
 だが、違った。
「……れ?」
 刃は後ろから突きつけられていたのだ。
 驚きのあまり――いつもと何ら変わらぬ様子で、そこに突っ立っているかおる。
 彼の腰の直ぐ傍に、殺気を帯びた短剣がある。
「ジェド君!?」
 リィの悲痛な叫びを受けても、少年はただ薄ら笑いを浮かべるのみだった。

6

「ごめん、騙したりして」
 ヒホンの町で言ったのと同じ台詞を、少年はもう一度口にした。
 わざとそうしたのかはわからない。
 ただ、あの時のような悲壮感はかけらも感じられないのは確かだ。
「ちょ、少年。落ち着こうよ。それは若気の至りというヤツだよ」
「落ち着いてるよ」
 確かにその声はかおるのそれよりも落ち着いたものであった。
「ほら、さっさと持ってきなよ。たくさん積んであるはずだろ?」
 暗い笑みを浮かべながら、ジェドはそう指図をした。
 くすくす、くすくすと笑いながら。
 緊張のあまりそうなっているのか、或いは狂気に駆られているのか。
「てめぇクソガキ! 最初ッから俺達を騙してたのか!」
 船員の一人が激怒して叫ぶが、少年は声で応じようとはしなかった。
 代わりに短剣の切っ先を数センチ、前に突き出してみせる。
「イテーーーー! 死ぬ!」
 響き渡る、かおるの素っ頓狂な絶叫。
「かおるさん!」
「船長!」
 僅か数ミリが体に食い込んだだけだ。 怪我と言う程の怪我ではない。
「あんまり聞き分けが悪いと、本当にザクッといっちゃうよ」
「ジェド君、どうして!」
「ジェドじゃないよ」
 リィの声に、少年は答えた。
「俺の名前はジェスロって言うんだ。ビスケーの”若草海賊団”のね」
「どこまでが、本当なの……?」
「父さんが、この辺りで行方不明になったってこと。それだけは本当。後は何もかも嘘」
「そんな……」
 リィは、目の前が暗くなるのを感じた。
 疲労のせいもあっただろうが、騙されたショックの余りに、その場に昏倒しそうになった。
「……クリスティナさん達も、あなたの仲間なの? それとも……」
 リスボンの姉妹を思い出し、リィは訊ねた。
「残念だけどあの人達は違うよ。母さんに置いてかれたカワイソウな男の子を演じて、あの人達に近付いたって訳さ」
 こんな状況だと言うのに、それを聞いてリィは安堵の息をついた。
 これでフェレさんが傷つかずに済む、そんな思いが心の中にあった。
「うちの船長も気が短いから、本当にさっさとした方が良いよ?」
 昨日までの、あのぶっきらぼうな口調は何処にいったのか。
 ジェスロの声はどす黒い感情に満ちていた。
 突き付けた短剣は”ふり”ではない。
 こちらが応じなければ、本当にかおるさんを殺してしまうだろう。
 ――それが出来るものなら。
「ジェド君、良かったわ」
 リィは言った。
 彼女の表情はジェスロの方ではなく、武装コグの船長の方に向いている。
「私、貴方がもし独りぼっちになってしまったらどうしようって、ずっと心配してたの。もしお母さんを見つけられなくて、天蓋孤独の身になってしまったらって……。でも、貴方にはこんなにたくさんの仲間がいたのね」
「そこまで騙されてくれると、こっちも騙しがいが有るってもんだね。ありがとう」
 リィのその真摯な言葉がさぞおかしかったようで、ジェスロは大笑いしている。表情を変えず、リィは続けた。
「だけど、演じてようがそうでなかろうが……可哀相でならない、貴方の事が」
「何、説教ならよしてよ」
「説教する気なんかないわ!」
 その次に彼女が取った行動は、この場にいる全員を驚愕させた。
 ずっと手にしていたマッチ・ロック式の銃を、武装コグの側へと向けたのだ。
 標的は無論、敵の船長である。
「……何の真似だよ? どうせこの距離じゃあ当たらないだろ」
「当てるわ」
 リィの声には確かな自信が感じられた。
 だが永久機関の船員達にはまだ、彼女の腕を信じる根拠が無い。
「リィさん……ここは大人しく従っといた方が」
「ううん」
 弾丸は間違い無く、あの船長を捉える。だから平気。
 そう何度も主張を繰り返す自分の心が不思議で、リィは静かに笑った。
 確かな記憶は何も無いはずなのに……何故だろう、この感覚は初めてではないと解る。
「それに、かおるさんは平気ですもの」
 その言葉にも、同じように自信が込められている。
「え?」
 ジェスロがそう小さく声を放った瞬間に、
「ぐっ!?」
かおるの放った肘打ちが、彼の顔面を捉えた。
 強烈な一撃を受け、顔面を押さえながら地面に蹲ってしまう。
 鼻血で顔を汚しながらも、ジェスロはなんとか立ち上がった。
 しかしもう、手にしていた短剣は離れている。
 船員達は彼のところに殺到し、たちまち縛り上げてしまった。
「な、なんで……」
「悪いね。スキだらけだったもんで」
 かおるはあっけらかんとした口調で言った。
「正直、殺気はずっと感じてた。武装コグが見えるもっと前からね」
 早々に捕まえる事も出来たけど、そうしたら色々喋ってくれなくなりそうだしね。
 かおるはそう続けた。
「それにまあ、お陰でギャルも初の活躍シーンが出来た訳だし」
「茶化さないで下さい、かおるさん」
 リィは平然とした口調でそう返すと、引き金を引いた。
 鋭い銃声が辺りに響き渡り、
「なっ……?」
武装コグの船首に立っていた男の手から、長剣が弾き落とされた。
 リィの放った弾丸が、剣に命中したのだ。
 カランと音を立てて長剣は床に転がり落ちる。
 青年の体には傷一つついていない。
 彼はただ、その光景を疑いながら場に固まった。
「……なんて、腕だ」
 その芸当にジェスロや武装コグの船長だけでなく、”永久機関”の船員達までもが身の毛を弥立たせる。
 さっきまでまるで予定調和のような素振りをしていたかおるまでもが、
(マヂデーーーー!?)
細く鋭い目を大きく見開いて、リィのほうを見ていた。
「ここで間違って永久機関の弾薬庫に撃ち込んで、ドカーンってなるって言う爆発オチを期待してたのに!」
「なりません」
 リィのその落ち着き払った声は、若草海賊団の船員に負けを悟らせるには十分なものだった。
 小細工など通用しない、明らかな格の違いを見せ付けたのだ。
「なんで、あんたらみたいのがいるんだよ。この海に……」
 がくりとうなだれるジェスロのことを、リィは悲しげな瞳で見つめることしか出来なかった。

7

 全ての発端となった場所、リスボンの酒場に一行は再び帰ってきていた。
 時間にしてみれば、今度の航海はたった二週間程度のものだった。
 それなのに、あのガスパールとの競争の時と同じか、それ以上の疲労感が体を支配している。
 その疲労感はおそらく、精神的なストレスから来るものだ。
 閉店時間も近付き、大半の客が帰った酒場で彼らは話していた。
「そうですか! お母さん見つかったのね! 本当に良かった……」
「うん。クリスティナさん達にも感謝してたよ」
 クリスティナとカルロータの姉妹には、真実を告げないことにした。
 中には知らないほうが良い真実だってあるし、敢えて彼女らに辛い思いをさせたくはない。
 そうフェレットが強く主張したせいだった。
 その意見にリィは心の中では異を唱えたが、フェレットの意を尊重して口には出さないことにした。
 もしかしたら私の過去は、言い表せないほど辛いものかもわからないし、幸せなものだったのかもしれない。
 そのどちらだろうと、このまま何もかもを知らないままでいたくはない……。
 真実を知って傷つく事はあっても、人間はそうして傷を作って強くなっていくものなのだから。
 ビスケー湾のあの若き海賊達は、結局手出しをせずに見逃すことにした。
 たとえ騙されていただけだと知りつつも、どうしてもあのジェスロと言う少年のことを憎む気にはなれなかったのだ。
 彼らは皆、かつてリスボンの住人であったという。
 海賊に憧れて町を出て行き、海賊稼業を始めたのは良かったものの、未熟な腕ではろくに金を稼ぐ事も出来ず、最近では明日の飯を食う金にさえ困っていたと聞いた。
 リスボンの町に別人を装って忍び込むなどという無茶な真似をしたのも、そうして決死の手段を取るしか方法が無かったからであったのだ。
「次にまた現れたなら、普通の海賊として処理させてもらおう」
 最後にかおるがそう言い残し、海賊達とは別れた。
 ――彼らの幸せを祈るのは、変な話なのかもしれない。
「あの……かおるさん」
「おー?」
 酒場から去り際に、クリスティナの声がかおるを呼び止めた。
 フェレット達も振り返る。彼の表情は目に見えて悔しそうだ。
「約束の件、デートの話なんですけど……何時だったら都合が良いですか?」
「アー」
 意外にも乗り気なクリスティナに比べて、かおるは欠伸のような声を返し続けるのだった。
「あったな、そんなの。……フェレッチ君に任せた」
「何ッ! どうして?」
 喜びと驚きが入り混じった声が上がる。
 信じられないと言った顔で、かおるとクリスティナのほうを交互に見やるフェレットであった。
「ちょっと体調がね。船で寝てくる……」
「体調が? 珍しい……。それはそうと!」
 フェレットは不思議そうな顔つきをしたが、一瞬でまた砕けた笑いへと変わる。
 かおるが仮に不治の病に侵されていても、きっと取った行動は変わらなかったであろう。
「それじゃ代わりに僕とデートするってことで決まったのでよろしく。クリスティナさん」
「えっ? でも……」
「かおるさんがそう言ったんだ。これは約束だよ」
 にこりと笑うフェレットだったが、そこには執着心が隠れられずに顔を覗かせていた。
(かおるさん……)
 酒場で繰り広げられている喧騒よりも、リィは店を出て行こうとしている男のことを気に掛けていた。
 何事にもあまり頓着しなさそうな、悪い言葉で言うなら無神経なところもある人なのだと、リィは思っていた。
(けれど、違うのかな)
 彼のそんな態度は装っているだけで、本当は皆の事を心から考えていてくれる人なのだ。
 今回の航海で、それがわかった。
 リィの視線が追っているその男は、ドアをがちゃりと開くと、
「かおるさん!?」
そこで突如として地面に倒れた。
 リィが慌てて駆け寄るが、かおるはそれを手で制止する。
「かおるさん、そんなに疲れが溜まってたんですね……しっかりして!」
「チーズを食べ過ぎた」
「はっ、チーズ?」
 顔面蒼白になっているかおるの顔を、リィは怪訝な表情で見つめた。
「駄目だ……もうアカン!」
 その顔色は瞬く間に、さらに蒼ざめていき……かおるはリィの手を振り払って、よろけながら外へと出て行った。
「追わない方が良いよ、リィ」
 かおるが去った後、フェレットが半ば呆れた顔でそう言った。
「そっか、リィはその時はいなかったっけか。ヒホン行った帰りに、オポルトの町に寄ってったろ? かおるさん、そこで散々チーズを買い溜めしてったんだよ。全部自分で食べるーとかって。で、今ああなってんのさ」
「……そんなことがあったんですか」
「皆で分けようって買って来たのに、勝手に一人で全部食べちゃうんだもの。当然の結果だよ」
「はぁ……」
 本当は皆の事を心から考えていてくれる……なんて事はないのかもしれない。
 やっぱり思い違いで、ただの変な人なのかもしれない。
 チーズ一つで判断するのも、どうかと思うけど。
「そんなことより、クリスティナさん! 予定は何時頃が開いてるの?」
「え……? それじゃ代わりに、妹が御付き合いしますね」
 クリスティナはすぐ隣にいたカルロータの肩に触れた。
「いや。かおるさんがいい」
 譲り受けたバトンを、カルロータはひょいと放り捨てる。
 反射的に思わずむっとするフェレット。
 向きになって反論をしてしまう。
「……お嬢ちゃんにはまだ解らないかもしれないが、僕だってこれでも結構魅力的な……」
「そんなのわかんない。一生解らないわ、きっと」
「それじゃあ解るようになれ!」
「わかんない!」
 そのやり取りを目にして、リィはどっと疲れを感じるのだった。
 フェレさんもかおるさんも変な人だなあと思いながら、リィはテーブルに突っ伏す。
 ――でもそんな彼らの魅力がわかるようになってきた私もまた、同じくらい変人なのかもしれない。
 そんな風に考えて、リィはくすくすと笑った。



  1. 2005/04/08(金) 12:45:38|
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第五章 別つ海(前編)

1

 船団がリスボンに滞在すること、一ヶ月。
 リスボンの町は人間の足ではそう簡単に回り切れないほど広く、船乗り達はゆっくりと町を眺め、静かな生活を送っていた。
 百を数える程の船員がいれば、取る行動もまたその数だけある。
 観光に多く時間を費やす者もいれば、日の殆どを寝て過ごす者もいる。
 そのうちたった二人だけ、酒場をまるで宿のようにして扱っている船員もいるのだった。
 一人は”フォスベリー”の船長である青年、フェレット。
 もう一人は”シャルトリューズ”の船長であるアイ。
 船団の所有する船は全部で三隻。
 うちニ隻の船長がこんなことではこの先どうなるんだ、と船団の行方を心配する船員も、中にはきっといたであろう。
 そして一ヶ月と一日が経過した今日この日もまた、二人は酒場に寄生したままであった。
「じゃ、フェレさん……私そろそろ帰りますね」
 すっくと立ちあがり、誰の制止の声も聞かずに少女は外に出ようとした。
 フェレットは咄嗟に彼女の左手を掴もうとしたが、それすらも予測して回避する。
「リィ、まだ八時前だぞ。早くないか?」
「あまり飲めないし、良いんです」
 ぼそりと呟いた声は、真冬の冷水ほどには冷たかった。
 ほろ酔いになっているフェレット、それに気付くことが出来ない。
「数日後にはまた出航だ。それまでの間だし、今日くらいは朝までいようよ」
「いえ、良いんです。行きましょ、アビエルさん、コロ君」
 同じく店を出ようとしていた二人の名を呼び、リィはまた出て行こうとする。
 アビエルと呼ばれた船員は、無言でテーブルに突っ伏している”永久機関”の船長である男を抱え上げた。
「リィ、帰るのか?」
 彼女らが出口に差し掛かった辺りで、フェレットは再び名前を呼んだ。
 最後にもう一度、リィは振り返ってみせる。
「か・え・り・ま・す!」
 明らかに怒気を孕んだ声で良い、そして彼女は出て行った。
 残る二人の店員も、そそくさと酒場を後にする。
「ちぇっ、何だ……一体?」
 フェレットは不思議に思ったが、リィの剣幕に圧倒されてしまい、結局何も言えなかった。
「……さあねぇ」
 同じテーブルについているアイの声だ。
 会話がされている間も、彼女は自身のペースを崩さずに飲み続けていた。
(解らなくもないけど)
 アイは心の中でだけ、そう言葉を続けた。
 そんなこんなで酒場内に居る船員は二人だけになってしまい。
 しかし帰ることもせずに、それから三十分程度、二人はのんびり雑談を交わしたりしていた。
「さて、それじゃ」
 そうして、ようやく次に席を立とうとしたのはアイだった。
「アイさん! 帰るのッ?」
 面食らって、フェレットは思わず声を上げる。
「驚き過ぎよ。まあ、お酒はまだいけるけどね……。あんまり飲んでばっかりいると、他の船員から見たイメージがね」
「大丈夫、今更変わらないよ! 僕を一人で酒を食らっているようなロンリーガイにさせないで下さいよ。ね、アイさん。ほらまだまだ飲んでない酒がたくさん有るし」
「……ま、いいんだけどね」
 フェレットにせがまれて、アイはまた結局席についた。
(確かに私はもうイメージ、変わらなさそうだけどね)
 すっかり酒飲みというイメージが定着してしまってアイは胸中複雑であったが、それはもう大分前からの話である。
(問題は私じゃなくてフェレさんなのよね)
 そしてフェレット自身がそれに気付いていないこともまた問題。
 テーブルの上の料理が尽きると、フェレットは嬉々としてカウンターの方へと走って行った。
 目的は料理を注文する為と、あともう一つ。
「あ、フェレットさん。またわざわざいらしてくださったのね。こちらの方から注文を伺いに行くから平気なのに……」
「うん。今日も盛況みたいだし、あんまり手間かけさせても悪いと思ってね」
 話し掛けている相手は、この酒場の看板娘、クリスティナ。
 航海者達に絶大な人気を誇り、誰もが皆各地の土産を手にして彼女の元を訪れるらしいと言う、専らの噂である。
 それはフェレットもまた例外ではなかった。
 酒場にいる間中……と言うよりリスボンにいる間中、フェレットは何かと理由を見つけては、彼女にちょっかいを出しに行っていたのであった。
 二言、三言と会話を交わしてまた戻ってくるフェレットを、アイはやれやれと言った顔で見つめる。
「どう、少しは仲良くなれたかしら?」
「それなりかな」
 すっかり相好を崩しているフェレット、にやにやとだらしなく笑った。
 それを見て、さすがのアイも少しだが説教じみた口調になるのだった。
「全く……どうせ私達はもうじき出発するんだから、仲良くなっても仕方ないでしょうに」
「もうじき出発するからこそ、今のうちにね。これから先、リスボンに立ち寄る楽しみが増えるってものじゃないか」
「知らないわよ、リィちゃんに見放されても」
「何でアイツの名前が?」
「あなたの船の船員でしょう」
「そうだけど……」
 酔いのせいもあってそれからしばらくの間、二人とも機嫌悪げに会話をしていた。
 しかし喧嘩に発展はせず、会話内容もいつものそれと大差ない。
(ま……フェレさんの場合、基本的にあれ以上発展はしないしね)
 さすがアイ、大人の視線で見ていると言うか、他の船員に比べて適度に流して考えているのだった。
 余計な考え事で酒の味を濁らせたくないだけのことなのかもしれない。

「――それじゃ、そろそろ帰るとしますか」
 結局二人はまた朝まで飲み明かすこととなった。
 千鳥足になっているフェレットと、酒場に来る前と何ら変わらぬ足取りでいるアイ。
 酒場にはもうフェレット達を除けば店員達しかいない。
「あ! 全く……」
 アイのところから離れて、フェレットはよろよろとしながらも店員のほうへと歩いて行った。
 その目当ては例によってクリスティナ嬢。
 酒場は営業中ずっと盛況でろくに顔を見ることすら出来ず、ずっと話しかけるチャンスを窺っていたのであった。
 しかも丁度酒場のマスターは外に出てしまっていて、カウンターには彼女しかいない。
 そう気付いたフェレット、チャンスだ! と駆け寄ろうとして……足がもつれて、転んだ。
 どうやら予想以上に酒が回っていたらしい。
 立ちあがろうとするものの、頭がくらくらとしていてままならない。
(……何やってるのかしら)
 自身の仲間のあまりに情けない姿を見せられて、アイは思わず目を覆いたくなった。
 そうすることもできず、ひどく冷めた視線でフェレットの方をただ見ている。
「大丈夫ですか!」
 しかしフェレットにとっては正しく不幸中の幸い。
 客に大事があってはならぬと、クリスティナが駆け寄ってきた。
「しっかりして、フェレットさん! 意識はありますか!」
 クリスティナはフェレットの体を揺り動かした。
 それはフェレットからすれば、恍惚の時間であったことだろう。
 ……ただし、それは彼の意識があったなら、の話だ。
 どうやら気力が限界に達していたようで、クリスティナの声が聞こえた頃にはもう、彼の意識は闇の中へと落ちていたのであった。
「……大丈夫なのかな」
 寝息を立てている青年をまじまじと見ながら、クリスティナは呟いた。
 そこに颯爽とアイが歩いて来て、まるで地面に埋まっている野菜を引き抜くかのようにして、フェレットの腕をぐっと掴み上げた。
「ほら、フェレさん。ここはお酒を飲むところで、宿屋じゃないんだから。さっさと行くわよ」
 アイはそのまま、取れたての野菜以上に粗雑な扱いでフェレットの事を連れて行こうとした。
 何かが地面に引き擦られる音と共に、アイの足は入り口のほうまで向かって行く。
 ご迷惑おかけしました、と言い残して入り口のドアを開いた所で、背後から呼び止める声があった。
 今酒場にいるのはクリスティナだけで、振り返ると、少し躊躇いがちにこちらの方を見ている彼女の姿があった。
 右手が引き摺っているモノの存在はひとまずさて置き、アイは丁寧に返事する。
「あの、もしかして、アイさんでしょうか?」
「そうだけど……何故、私の名前を?」
 アイは問い反した。
 フェレットが紹介した可能性も無くはないが、それなら”もしかして”とは言わないはずだ。
「あのガスパールさんをお酒と剣の両方で打ち負かしたという話、聞いたんです。もしよかったら、私の頼みを聞いて頂けないでしょうか?」
 ……やはり、大分話は尾びれをつけて広まっているらしい。
 アイはどっと疲れを感じたが、とりあえず話くらいは聞いても良いだろうと、結局また店の中に引き返した。
 相棒の青年は当分目を覚ましそうに無いし、わざわざ連れて帰るのは一苦労だ。
 それならここでもう少し、話を聞きながら静かに飲むのも良いかもしれない。
 ガスパールに勝った話を聞いて相談事を持ちかけてくるのだから、また物騒な依頼なのだろう。
 だが船乗りたるもの、風の流れを読まなければ務まらないのだ。
 突然の依頼もまた、航海の途中に突如として吹き付ける風のようなもの。
 アイはそれにうまく身を任せ、より良き旅にする為の術を心得ていた。

2

 さてやっと酒場の看板娘と話せるチャンスが来たと言うのに、フェレットは酒場のテーブルに突っ伏したまま、目を覚まそうとはしなかった。
 代わりにフェレットらの様子を見に来たかおるとリィが、その場にはいる。
「これで起こさなかったら恨まれそうね。フェレさんも起こしてあげるとしますか」
 そう言ったのはアイだったが、フェレットを起こそうと彼の体を揺すったのはリィだ。
 不自然な程の力が篭っていて、共に木製のテーブルもガタガタと揺れている。
 散々揺り動かされた後、ようやくフェレットの顔が僅かにだが、上がった。
「フェレさん、起きましたか? 随分遅くまで飲んでらしたみたいですねぇ」
「……揺ら、さないでくれ……吐きそうだ」
 にこりと笑って言うリィに比べ、フェレットの顔は普段以上に青白く、生気が感じられない。
 きょろきょろと辺りを見回して、クリスティナの姿がその視線に入っても、体調の悪さのあまり表情を変えられなかった。
 それでもこの機を逃すわけにはいかないと、あくまでこの場に残る気のようだが。
「で、なんだね。話とは」
「……ちょっとだけ、待って頂けますか?」
 かおるに急かされると、クリスティナは席を立った。
 歩いて行って、そのままカウンターの奥へと消えて行ってしまった。
「ほら、しっかりなさい」
 クリスティナの姿が消えたのを見計らって、アイがフェレットに言う。
 フェレットは何やらぱくぱくと口を動かしていたが、それは声にはならなかったようだ。
「ごめんなさい、待たせてしまって」
 数分して戻ってきたクリスティナは、彼女よりもさらに六、七つ程年下の少女を連れていた。
(あれは確か、妹の……)
 クリスティナの妹である、カルロータ。
 その存在を知っていたのは幾度と無くここに来ているフェレットだけであった。
 皆に教えようとするも、酒の飲み過ぎで声が枯れていて出ない。
「成る程。クリスティナさんの妹のカルロータさん、なのね」
 フェレットの口の動きを読み取り、アイが代弁した。
 クリスティナが連れてきたのは妹だけではなく、もう一人いた。
 こちらもカルロータと同年齢くらいの少年だ。
 少年は無愛想で、わざとこちらから視線を逸らしている様子。
「ほら、挨拶して」
 カルロータに言われて、ようやく少しだが頭を下げた。
「一体何があったの?」
 アイが訊ねたが、少年は黙ったまま。
「この子、ジェド君って言うんだけど、お母さんとはぐれちゃったみたいなの」
 カルロータが代わりに説明した。
 年齢の割にその声はしっかりとしている。
(迷子かよ……)
 フェレットはひっそり思った。
「ね、お母さんはどこにいるの。言って」
 急かし方もまるで、母親のよう。
「ヒホン」
「ヒホンですって?」
 アイは驚きを顔に浮かべた。
「ヒホンって、ここから結構離れてるわよ。はぐれたなんていう距離じゃ……」
「置いてかれた」
 少年の小さな声が、びしりとそう断定した。
「ヒホンに行きたいねってずっと話してて、出発の日に朝起きたらいなくなってたんだ。ベッドに置き手紙だけ残して」
「その手紙はどうした」
「捨てた」
 かおるの無愛想な声に、少年は同等の声を返した。
 その言葉を境に、酒場内は暫くの間沈してしまう。
「ごめんなさい」
 その沈黙を破ったのはクリスティナの声。
 フェレットは気力を振り絞り、首を左右にぶんぶんと振った。
「この子、昨日酒場の外で、捨てられてた毛布に包まって眠ってたんです。ぶっきらぼうだし、もしかしたら嫌な思いをさせてしまったかもしれないですけど、よかったらこの子をヒホンまで連れて行ってもらえないでしょうか? 御願いします」
 クリスティナはそう言うと、フェレット達に向けて頭を下げた。
「御願いします」
 隣に居るカルロータもまた、同じ仕草で頭を下げる。
 二人のその真摯さに圧倒されてしまって、リィとアイはどう返事をして良いか戸惑った。
 こんな時に頼りになる……と言うより返事をしたがる男が一人いるのだが、ご覧の有様である。
 と思いきや、台詞は予想外の所から吐かれた。
「やれやれ、美人のお嬢さん二人に頭を下げられてしまっては、断る訳にはいかないな」
(えっ?)
 アイとリィが驚愕の表情になった。
 それはいかにも”フェレットらしい”言葉の内容であったからだ。
 しかし声はフェレットのものではない。
「大丈夫、これでも僕はそれなりの腕をもった冒険者なんだぜ。ヒホンまでたった数日、無事にこの子を送り届けて見せるよ」
 確かにその声は、かおるの口から出ているものであった。
(どうなってるの……?)
 アイとリィの二人は、まるで狐につままれたようになっていた。
「本当ですか!」
 クリスティナとカルロータの姉妹は、かおるの頼もしい声を聞いて歓喜している。
 そして彼女らが喜べば喜ぶほど、アイ達はまるで幻覚でも見ているような気分になるのだった。
「全て終わったら報告に来るよ。安心して待ってて」
「はい!」
 やり取りがそこまで行われた所で、
(……あ)
リィはようやく理解した。
 相変わらず口を開け閉めしているだけのフェレット。
 彼が喋れないのを良い事に、かおるはフェレットの口の動きを読み取り、それをそのまま発言していたのであった。
 何の為にそんなことをしているのか、とは訊くだけ無駄なのだろう。
 彼の行動は元より、常人には理解し難いところがあるのだから。
 強いて言えば彼なりの茶目っ気なのかもしれない。
 悔しさとやるせなさのあまり半泣きになっているフェレットを見て、リィはほんの少し同情する。
 フェレットはフェレットで、かおるに口の動きを読まれていることを察知し、対抗すべく口を完全に閉じた。
 そして誰も喋るものがいなくなり、場はまた無言になる。
「ありがとうございます、本当に! でも私達、何も返せるものがなくて……」
 クリスティナの声に、フェレットは即座に返す言葉を思い付いた…が、口は開かない。
「それじゃ一回デートでもするかい。それで十分だ」
(え――!)
 かおるの口から吐かれた”まるでフェレットのように爽やかぶった”言葉は、またもアイ達を凍らせるのだった。
 そしてその台詞こそ、フェレットが思い付いた言葉そのもの。
 口にしなくとも、最早思考回路そのものが完全に筒抜けになっているのだった。
 彼ならそう言うだろうと知っていて、わざわざ口にする辺りは意地悪と言うか……単にふとそうしてみたくなったのだろう、おそらく。
「わかりました……それくらいで良いのなら。……喜んで」
(……鬼)
 フェレットは糸が切れたようにその場に突っ伏した。

3

「ん、貴様は……」
「あら。貴方は」
 酒場から船へと向かう途中、アイは思わぬ人物と遭遇した。
 リスボンに来て直ぐの時にちょっとした事で争いをし、そして今、アイがこの町でちょっとした名声を得ているその原因を作った男、ガスパールだ。
「折角会えたのに悪いわね。ちょっとこれから急ぎで出かけないといけなくて」
「何処に行くんだ?」
「ちょっとヒホンまでね」
「ヒホンか」
 ガスパールは考え込む仕草をした。
「どうしたの?」
 らしくない、とアイは怪訝な表情をして訊ねる。
「いや……何でもない。どうせ要らぬ心配だろう」
「あら、心配してくれてるのね」
「勝ち逃げは始末に終えんのでなァ」
 言うと、ガスパールは笑った。 少しだけ苦味を含んだ笑いだ。
「最近あの辺りに妙な海賊がいるって話を聞いたもんでな。貴様等の戦力なら問題は無いだろうが、一応忠告までだ」
「妙な海賊?」
 アイが問い返すよりも先に、ガスパールはもうこの場から消えていた。

 さて久々の船出を前にして、フォスベリーの船長の気力は底辺を突き抜けていた。
 船首のほうで海を見ながら座っており、誰も話しかけてはいけないような空気がそこに漂っている。
「フェレさん」
 そんな空気を察しつつも、リィはフェレットに声をかけた。
 誰かがそうしないと、一日中このままになっていそうな気がしたから。
「しっかりしてください。フェレさんがしっかりしないと、フォスベリーは動かないんだから」
「そりゃ、フォスベリーの心臓は僕だからな。今にも止まりかかった駄目な心臓だけどね」
 落ち込んでいながらも、無駄に口が達者なフェレット。
「何でそんなに落ち込んでるんですか?」
「何でって、かおるさんが僕の台詞を全部取っちゃったからさ」
「あれはほら。わか、若気の至りですよ……多分」
 リィがフォローしようとするも、それは聊か説得力に欠けていた。
 だがもう、フェレットにはそれを追求する元気もないようだ。
「それより、出航しますよ。もう……立ってください」
「……出航って、フォスベリーは何の準備もしてないよ?」
「かおるさんらと話してたんです。今回は大掛かりな旅でもないし、みんなでかおるさんの”永久機関”に乗って行こうって。フェレさんが落ち込んでる間に、永久機関はもう出られるようになってますよ」
「へぇ! そりゃ良いや!」
 死んだ魚の目に、途端に生気が宿った。
「久々だな、永久機関に乗るのは。最近すっかりキャラックの乗り心地に慣れてたけど、たまにはガレーも面白そうだ」
「ふふふ、でしょう? それじゃ永久機関に行きましょう。誰が乗って誰が残るのかも決めないといけないし」
 その単純さに呆れつつも、リィはなんとか手綱を撮ることに成功したのであった。
 フェレットの後姿をゆっくりと追いながら、彼女はずっと上機嫌でいた。
 ここ最近ずっと放って置かれていた分、今回の航海を誰よりも楽しみにしていたのだから。

 協議の結果、フォスベリーとシャルトリューズはそれぞれの船員達に留守を任せ、フェレットとアイ、そしてリィの三人は永久機関に乗り込む事になった。
 クリスティナ、カルロータに見送られながら、日が暮れる頃になってようやく、一隻のガレー船は町を後にする。
 乗り込んだは良いものの、出航した瞬間に手持ち無沙汰になるフェレットであった。
「あの、僕になんか出来ることあります?」
「じゃ、これを」
「……はい」
 かおるから手渡されたのはブラシ。
 フェレットはゴシゴシと甲板の掃除を拭き始めた。
「私は……」
「なんか料理を作って」
 リィには調理の手伝いを、
「かおるさん、私は?」
「いいよ、飲んでて」
「……じゃあそうするけど」
そしてアイには予め用意してあったワインを差し出すかおるであった。
 公平な処置だ、とフェレットは感服する。
 一通りの指示を終えると、かおるは船室のほうへと入って行った。
 割と大きめの部屋の中にいるのは、一人の少年だけ。
 椅子に座りもせず、部屋の隅のほうで固まっている。
「船酔いとかは?」
「しない」
「なら良い」
 自身がそうなだけあって、このジェドという少年のぶっきらぼうな声にも、かおるは何ら動じる所がない。
 手に持っていた皿を、無言でテーブルに並べた。
 皿には、蜂蜜を練り込んだパンケーキが盛られている。
「うちのギャルが作ったから、食べるといい」
 ジェドは暫くの間、じっと皿を見つめていたが、やがてむさぼりつくようにそれを食べ始めた。
 無理もない、酒場で出会ってから今までの間、ジェドは何も口にしていなかったのだから。
 料理をすすめても、食べようとはしなかったのだ。
「密室に閉じこもってばかりだと酔うし、つまらんよ。外は暗いけど海はちゃんと見える。陸から見る海と船上から眺める海の景色はまた違うし、じっくり見とくと良い」
「知ってるよ」
「知ってる?」
「船に乗ったのが初めてな訳ないだろ! いいから外に行っててくれよ」
「そりゃそうか」
 かおるは皿だけを置いて、ジェドの言う通りにすることにした。
 どうせヒホンまではまだ数日かかるのだし、海を見る機会など幾らでもあるだろう。
 船室の外で丁度、追加の料理を持ってきたリィと遭遇する。
「あれ、かおるさん」
「こう言うのはギャルのほうが得意そうだ」
「えっ?」
 リィの返事を待たず、かおるは何処かに行ってしまった。
(まだ、掴めないわ……)
 彼に対してそんな感想を持ちつつも、リィは船室のほうへと進んで行った。
 出来あがったばかりのきのこのパスタを持って、船室の扉を開こうとする……が、扉は既に開いていた。
 出て行く際にかおるがちゃんと閉めなかったのだろう、少しだけ開いていて、中が覗いている。
 そこからちらりとだけ視線を中にやって、リィは動きを固めた。
(ジェド君……)
 ジェドは、扉が少し開いていることに気付いていなかった。
 だから誰も見ていないと思ったのだろうか。
 少年は震えていたのだ。
 ついているテーブルにまで、振動が伝わる程に。
「ジェド君、追加の料理を持ってきたわ」
 リィはわざと聞こえるようにして、扉をバタンと開いた。
「脅かすなよ」
 びっくりした様子で、ジェドが振り返る。
「ごめんね、ジェド君」
 視線を合わせないようにして、リィは皿をテーブルに並べた。
「ちゃんと栄養取っとかないとね。お母さんに会えた時に、別人のように痩せ細ってたりしたら、お母さん悲しむもんね」
 その声にはほんの僅かの揺らぎがあった。
 声に、いつもとは少し違うものが混じっている。
「それじゃあね。お母さんに早く会えると良いね」
 それだけ言い残し、リィは足早の船室を出た。
 その瞳から、ぽろぽろと零れ落ちるものを隠すために。
(何で、私は泣いているんだろう)
 ジェド君の境遇に同情したから――か。
 ……少しだけ、自分と彼は似ている。
 そんな気がしたからだろうか。
 ジェド君は母親を探していて、独りぼっちで。
 私は過去のことを何も覚えていない。
 自分にどれだけ大切な人がいたのか、大切なものがあったのかを知らない。
 フェレットやアイ、かおる達と出会うことが無ければ、私は今でも孤独なままだったに違いない。
 だけど今は彼らが傍にいてくれる。
 もうこれからはずっと、独りになることはないだろう。
 ”仲間がいる”というその事実だけで、こんなにも豊かな日々を送れているのだ。
 この少年にも、同じ気持ちを味わわせてあげたい。
 リィは心からそう思っていた。
 彼は未だに自分からは殆ど話しかけようともしない。
 こちらが知っている事実はただ”母親が置き手紙を残してヒホンへと行ってしまった”ということだけ。
 置き手紙の内容についても、ジェドは語ろうとはしなかった。
 その理由は何となく察しがついたし、だからフェレットらも深く追求はしない。
 ヒホンに行けばきっと全てが解決するはず。
 彼らはただそう信じて、船を進ませていた。



  1. 2005/04/08(金) 09:46:02|
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フェレット(或いはスネばな)

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